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055:期限切れ弁当・健康診断・コーヒーメーカー

「……この家のエンゲル係数どうなってるんだ」

 食卓にずらりと並べられた「朝食」に唖然としながら、頬のこけた幼い少年が歳に似合わない言葉遣いでぽつりと呟く。無駄にでかいオムレツ、大量の焼いたベーコンやソーセージ、山盛りのサラダ、さらにスムージーと思しき手作りドリンクは飲食店でしか見たことがないピッチャーに入っていた。

 それを耳ざとく聞き取った三人――羽黒ともみじ、そして紫は首を傾げながら目を合わせる。

「別に普通だよな?」

「普通ですね」

「普通だと思うです」

「普通なワケあるか」

 そう呆れながら吐き捨てるのは琥珀色の瞳の少年――旧姓名、波瀬疾。原因不明の諸事情にて転生に失敗し、記憶と人格、さらには容姿まで引き継いで生まれ直し続けている鬼狩りである。数週間前に羽黒と紫により家庭崩壊したボロアパートから保護され、そのまま(本人の同意を得ずに)白銀家へ養子として迎えられた。

 疾は目の前に置かれた自分の拳ほどの厚さのあるトースターを小さな手で摘まみ上げながらため息を吐く。

「なんだこの分厚い食パン。名古屋のモーニングか」

「あ、いいですね。紫今日は小倉バターにしよっと。疾さんもどうです?」

「この話の流れでさらに量を増やそうとするな。というかあんこ常備してんのか」

 一度席を立って冷蔵庫を覗き込みに向かった紫に突っ込みつつ、疾はげんなりと溜息をつく。それを面白そうに眺めながら、羽黒はバターとオリーブオイルを吸ったスパニッシュオムレツに齧り付きながら軽薄に笑った。

「食いきれねえなら残してもいいぞ。どうせ育ち盛りが食いつくす」

「何年育ち盛っていやがる。もう200を超えた老害だろうが」

「気持ちは今でも現役JKですけど!?!?!?」

「落ち着きを身につけろ」

 冷蔵庫からタッパーにみちみちに詰められた粒あんを持ってきた紫はのっつりと自分のトースター(三枚切り)に塗りたくって齧り付く。見ているだけで疾は幼い胃腸に胸やけを覚え始めた。

「というか、食事を残すという行為に気が引けるんだ」

「今まで食うに困ってたからか?」

「……それも、ないわけではないが」

 一番最初の人生、それこそ疾が波瀬疾だった頃に受けた教育の賜物だろう。幼少期は海外での暮らしの方が長かったが、食事に関しては古き良き日本の食育を徹底して叩き込まれたため、現在五度の人生ではあるが未だに米粒一つパンくず一つ残すことにも抵抗がある。

 そんなことを目の前の人外家族に言っても仕方がないことではあるが。

「まあ確かに少々多かったかもしれませんね」

 と、もみじがサラダ(取り分け用かと思ったら一人分の山盛りだった)を口に運びながら苦笑する。

「この前の健康診断でも異常なし、普通の食事で問題ないと聞いたので少し張り切りすぎてしまいました」

「限度があるだろ」

「紫は今の疾さんくらいの年頃でこれくらいペロリと平らげていましたから、勝手が分からなかったというのもあります」

「ふふん!」

「胸を張るな。今のどこに誇らしい要素があった」

「良く寝てよく食べよく遊ぶ健康優良児だったってことですね!」

「…………。そうか」

 よく考えたら、目の前にいるのは「餓蛇」の二つ名を引っ提げた魔王級の龍、極楽浄土の聖人を喰い殺した吸血鬼、そしてその娘の半龍半鬼だ。真っ当な食事量を期待する方が愚かだった。

 何か言い返す気力も削がれ、疾は自分のトースターを三分の一ほどの大きさにちぎり、大きい方を紫の皿に押し付けた。

 ついこの前まで期限切れの弁当すら滅多に食べることができなかった環境を思い返せば、随分と変わった――変わり果ててしまったものだと何度目かも分からない溜息が出る。

「というか」

 羽黒が食卓に置くにしてはやけに本格的なコーヒーメーカーを操作しながらさらに頭の痛くなることを口にする。

白銀家(うち)に来たからにはお前にはしっかり肥え太ってもらうからな」

「肥え太らせるな」

「どうせお前、これから学園通ってもガキ共に混じってかけっことかできねえだろ。本当ならそれで培われる基礎体力がつかない分、お前には兼山道場に通ってもらう。あそこに通うなら多少以上に食わねえとやってられねえからな」

「……仮にも八百刀流四家の道場に、得体の知れねえガキを送り込むとは大した度胸だな。技術流出しても知らねえぞ」

「安心しろ。今代の兼山は俺の知る中でも一番のやり手だ」

「そりゃ楽しみだ」

 疾は肩を竦め、子供らしくない皮肉めいた笑みを浮かべて千切ったトーストに齧りついた。

「…………」

 想像したよりも美味かった。

 保護されてから昨日まで、衰弱した内臓の様子を見ながらのよく言えば胃に優しい、有体に言って味の薄いメニューばかりだったため、真っ当な食事というものが久しぶりだった。前の家では碌な食べ物がなかったため、下手をしたら前世以来かもしれない。

「…………」

 思わず無言でトーストにがっつく。疾の成熟しきった精神は自制しようとするが、栄養を欲する幼い肉体は止まらない。あっという間にぺろりと食べきってしまった。

「疾さん」

 と、空いた皿にトーストが乗せられる。

 顔を上げると、紫がにっこりと笑っていた。

「バターの他にもピーナッツとかジャムとか色々あるですよ?」

「…………。ピーナッツバター」

「了解です、今取ってきますね!」

 頷き、紫は再度冷蔵庫へと席を立った。

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