054:顔の傷・湿原・ヒトモドキ
「まさかあんたから仕事の依頼たあ少しばかり驚きだ」
「…………」
某所――個人経営の喫茶店で顔を突き合わせる二人組に、店員だけでなく周囲の客までもがごくりと息を呑み自然と距離を保っていた。
片方は若々しい顔つきに反したジジ臭いあずき色のセーターを着こんだ白髪の少年。無意識なのか胃の辺りをぎゅっと握り込んで苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
そして反対側で優雅に長い足を組んで注文したコーヒーを啜る長身黒髪の男。色の濃いサングラスで隠してはいるが、右の目元に広がる火傷のような跡と左頬を横一文字に走る刀傷が筆舌に尽くしがたい不穏な空気を醸し出している。
周囲の目線を気にしながら、白髪の少年――異世界邸管理人・伊藤貴文は喉の奥から絞り出すような声で唸る。
「……他に、頼める奴がいないからやむを得ずだ」
「ほーん」
肩を竦める黒ずくめの男――瀧宮羽黒は興味深そうに貴文を見やった。
「連盟関係の魔術師を複数抱え、魔王二体だけでなく堕天使や戦乙女、理を覆しかけた技術者、果てに龍種まで棲みついている異世界アパートの管理人が、他に頼める奴がいないと」
「戦力を保持しているのと、それを自由に扱えるかは別問題だろ」
「それはそうだ。特にあの邸の連中はうちの当主殿もガキの頃の良い修行場になるくらいの破天荒っぷりだったな」
「特に今回の依頼は異世界絡みだ。あいつらに任せるわけにも、ましてや俺が直々に出張るわけにもいかない」
「ほう?」
その言葉に羽黒は眉を顰める。
「つまり裏を返せば、諸事情が許せばあんたが直々に出向きたいレベルの用が異世界にあると? 来るモノ拒まずの異世界邸管理人が彼の伏魔殿を留守にしてでも本当は自分で対処したい案件だと?」
「……そうだ」
「面白いな。とりあえず続きを聞かせてくれ」
言いながら羽黒はテーブルの呼び出しボタンを押し、追加の注文をする。長くなりそうな話にコーヒー一杯で粘るのは居心地が悪い。
貴文にも何か頼むよう促すと、散々迷ってりんごジュースを頼んだ。コーヒーや紅茶だけでなくカフェインの一切の摂取を禁じられているらしい。相変わらず大変そうだなと羽黒は脳内の片隅にメモを残す。
「あんたは、俺が抱えている神格については知ってるだろ」
「ああ、10年前にうっかり取り込んじまったってアレか。白羽から聞いている」
それぞれの注文が届いたところで貴文が事の顛末を語り始める。
「『機械仕掛けの神』の神格――それに付随した一部異世界の管理者権限を俺は今も持ってるんだが、その世界の一つで問題が起きているようなんだ」
「あんた他世界の管理までしてんのか」
働きすぎだと皮肉を口にすると、貴文はむっつりと首を横に振った。
「さすがにそんなことまではしてない……それまで押し付けられたら胃が四つあっても足りないだろうな……」
「牛か」
「実際の管理はその世界の守護者に任せてある。その守護者もかつての機械仕掛けの神の使徒だってだけで、俺は会ったこともない。……会ったこともなかった」
「はっはー、見えてきたぜ。つまりどこかは知らねえがその守護者の一人が泣きついてきたってことか?」
「……そうだ。俺は未だに風精霊からの勇者の加護も持ってるからな。それをアテにして助けを求めてきたようだが、自分から出向くわけにもいかなくてな」
「助けてやりゃいいじゃねえか。手続きが面倒なだけであんたはあの邸に縛られてるわけじゃねえだろ? こうして他所の街にも出歩いているし、世界の一つや二つ救ってやれよ」
軽くそう問いかけると、貴文はぎこちなく首を横に振った。
「それは出来ない。何故なら俺は見ず知らずの世界が一つや二つ滅ぼうがどうだっていいんだ」
「……ああ、なるほど」
これは本当に厄介だなと羽黒は心の中で薄ら笑う。
目の前にいるこのヒトモドキは神格を有するうえに勇者としての加護を保持する――そして同時に、魔王としての素質もまた抱えたままなのだ。
己の身が滅びようとも世界を守ろうとする勇者の自己犠牲は異世界邸にだけ向いており、世界を蹂躙し破滅させようという魔王の加虐性は邸を害する敵に向けられ、それらの均衡を神格の冷徹性で保っている。
全く以って厄介極まりない。
しかし伊藤貴文という人間性が失われたかというと、決してそんなことはないようだ。それすらないのであれば、こうして曰く面倒な手続きを経て山を下り街を出て、世界各地から接触禁忌扱いされてる羽黒への「依頼」という形で救済を差し伸べることなどありえない。
「いいだろう。その依頼、とりあえずは受ける方向で進めてやろう。詳しく話を聞こうか」
* * *
「なるほど、これは確かに守護者も藁にも縋る気持でアイツに助けを求めるわな」
――軋海世界ギィ=ライン、旧王都。
貴文の世界の管理者権限を元に連盟の魔術師及び旧魔法士協会関係者に作らせた転移術式で訪れたその世界は結構な大惨事となっていた。
「魔王の一匹や二匹ぶっ殺す心積もりできたが……まさか魔王が原因ではないとはな」
人気の消え失せた王都を蔓延っているのは、エンジンの唸り声と排気音を発する機械の獣だった。
「……こいつは、なんだ? 魔力で動いているわけではなさそうだが……未知のエネルギーか、この世界特有の燃料か?」
とりあえずその辺を走り回っていた大型のネコ科哺乳類程度の大きさの機獣をとっ捕まえて解体してみたが、稼働原理そのものは羽黒も知るところのロボット工学に基づいているようで、極端に世界の技術から逸脱しているわけではなさそうだ。燃料だけは全くの不明だったが、魔王の眷属特有の淀んだ魔力も感じられない。
『認証済みの生体コード確認。ようこそおいでくださいました。瀧宮羽黒様』
「おぉ?」
ばらした機獣を眺めながらうんうん唸っていると、背後から機械的――というか、本当に機械の声で話しかけられた。
振り返ると、今時こんな分かりやすいロボット娘おるか? といった具合のメカメカしい少女が恭しく礼をしていた。
『声明を開始します。わたくしは主より当世界の守護を仰せつかっております機体番号578027と申します。主からはコードネームとして「ニーナ」と呼称されております。声明終了』
「ああ、あんたがこの世界の守護者か」
機械仕掛けの神の元使徒ということもあって機械人形の姿をしているのかと納得する。
羽黒は先程解体した機獣の破片を持ち上げながら守護者――ニーナに問いかける。
「早速だが質問させてくれ。この機械の獣は何なんだ?」
『ご回答します。そちらの機械生命体は機械仕掛けの神の生み出した世界を守護するシステムの端末です。魔王の眷属に類する物と捉えていただいて差し支えありません。回答終了』
「は?」
予想外の答えに、羽黒はニーナの無機質の瞳……にあたるパーツを見つめる。
そのまましばし呆けた後、ぐるりと周囲を見渡す。
今でこそ人は見当たらない廃墟都市だが、機械仕掛けの神の使徒が守護しているだけあってかなりの高度な文明が築かれていたと見て取れる。そしてその間を駆け回る大小さまざまな機獣が、死体蹴りでもするかのように滅んだ廃墟を執拗に粉砕して回っていた。
「……世界を守護?」
『弁明します。現状にわたくしは大変当惑しております。王都は放棄されて生き残った人間たちは今も小さな集落を築いて生き残ってはいますがそれも時間の問題でしょう。このままでは主より管理を賜ったこの世界が灰燼と帰してしまいます。弁明終了』
「…………」
思わず羽黒はこめかみを押さえる。
これは困った。世界の状況に対して守護者が機械的なせいで他人事にしか聞こえない。ありていに言って危機感が感じられない。いや、貴文に救援を求めているため困窮はしているのだろうが。
「見たところ暴走した機獣が文明を破壊しているようだが……自分で止められないのか?」
『ご回答します。これら機械生命体の管理権限は機械仕掛けの神が保持したままとなっております。しかし機械仕掛けの神の神格が主に取り込まれた際に本体と共に破壊されてしまったため引き継がれずに放棄されてしまいました。そのためわたくしにも彼らの制御は不可能となっております。回答終了』
「じゃああいつのせいじゃねーか」
いや、それを自覚しているから見捨てられず、さりとて自分が出向くこともできずに羽黒に依頼してきたのか。
これは帰ったら成功報酬としてさらにふんだくる必要がありそうだと心に決める。
「それで? 暴走の原因は?」
『ご回答します。暴走は標準世界ガイア時刻における9年258日8時間7分34秒前の機械仕掛けの神の消滅を境に緩やかに始まりました。元々この世界における機械生命体とは標準世界ガイアにおける開拓並びに生産用重機及び警備戦力として活用されてきた歴史があります。それが該当時刻を境に少しずつ誤差の範囲で過剰生産された結果文明を破壊する形で暴走するに至っています。回答終了』
「ああ、アレルギーみたいなもんか。それなら機獣を産み出している核的な部分の破壊……は、少しマズいか。元々機獣をベースに世界が築かれているなら全くのゼロにするわけにはいかないか」
『肯定させていただきます。本ミッションは機械生命体の生産基地への侵入及び管理者権限の上書きによる過剰生産された機械生命体の廃棄が目標となります。解説終了』
「了解。ちなみに、この世界に元からいる奴らの援護はあるのか?」
『ご回答します。当世界の人間は他世界における有機生命体が時折扱える魔力と呼ばれるエネルギーをほぼ保有しません。その代わりに身体的強度は他世界と比較して強靭となる傾向があります。しかしそれで暴走した機械生命体に対抗出来るとは限り――』
と、そこでニーナはフリーズしたかのように言葉が途切れる。
「おい、どうした」
『謝罪させていただきます。申し訳ありません。回答を続けさせていただきます。しかしそれで暴走した機械生命体に対抗出来るとは限りません。援護は望めないと考えていただいて差し支えありません。回答終了』
「……あいよ」
少々引っ掛かりを覚えるが、とりあえず羽黒は頷いてみせた。なんにせよ、アテにできる味方はいないらしい。
「さて、行くか」
『同行を開始します』
羽黒とニーナは瓦礫の山と化した旧王都を歩き出した。
* * *
旧王都から北西へ約200キロ地点。
軋海世界ギィ=ライン最大の湿地帯に二人は足を踏み入れた。
うっかりすると膝まで沈み込む湿原に四苦八苦しながら羽黒は額にじんわりと浮かび上がる汗を拭った。
「くそ、足場が最悪だ。他にルートはないのかよ……」
『謝罪させていただきます。当湿地帯を抜けるルートが機械生命体生産基地への最短ルートかつ最も安全な行軍路となります。機械生命体はその性質上湿潤な土壌を避ける傾向にあります。謝罪終了』
「まあ流石に漏電対策なんかは完璧にやってるだろうが、単純に重量過多で嵌ったら抜け出せねえんだろうな。仕方ねえ……」
羽黒は微量の魔力をブーツに回路状に浸透させ、術式を発動させると靴裏の泥が一瞬だけ硬質な足場となった。これで行軍速度を上げることはできるが、この世界は大気中の魔力もほぼ存在しないため、いつもよりも微細な制御を施さなければすぐに霧散して消えてしまう。精神的な消耗を避けるためにもさっさと抜けた方が良さそうだと、その場で軽く跳びながら確認する。
「つーか、お前さんは何で沈まねえの? 当たり前みてえに水面歩いてるが」
『ご回答します。わたくしは金属を主原料とした機械生命体とは異なり合成樹脂に機械仕掛けの神の神力を組み合わせることで生み出されました。そのため外見よりも軽量かつ自機のみであれば浮遊も可能です。回答終了』
「ずりー……」
やっかんだところで何も始まらない。
羽黒は慎重な魔力操作でさっさとこの湿地帯を抜け出そうと駆ける準備を――しようとしたその瞬間。
ちゅどおおおおおおおおおおおおおん!!
「なんだ!?」
進行方向を向いて右手側に爆発音と共に巨大な黒い水柱が上がった。
「ちっ、機獣か!? 湿地には出ないんじゃなかったのか!?」
『警告。警告。逃亡を推奨します。警告。警告。逃亡を――』
「は!?」
突然壊れたかのようなエラー音と共に逃亡を呼びかけるニーナ。訳も分からず、とりあえず彼女を小脇に抱えて言われた通り水柱の震源地から距離をとるため走り出した。
しかし。
ドドドドドドドドド!!
「なんだ!? 水柱がどんどん近付いて――!?」
「見つけたぞスクラップがああああああああああああああ!!」
ちゅどん!
湿原を平地並みの速度で駆けていた羽黒の目の前に一際巨大な水柱が立ち上る。そしてその発信源が怒気を含んだがなり声を発し、打ち上げられた泥水の雨をかち割りながら突進してきた。
「なん――ッ!?」
「どぅらああああああああああ!!」
狙いは羽黒――ではなく、羽黒が抱えているニーナ。
その指先が触れる瞬間、羽黒は無理やり肩に担ぎ直し天高くニーナ放り投げた。
『――あ』
「自分だけなら飛べるんだろ!? 離れてろ!!」
『オーダーを受諾。了承しました』
自由落下を始める寸前、ニーナは魔力とは異なるエネルギーで形成された翼を展開。そのまま当初の進行方向を目指して滑空を始めた。
「さて……」
羽黒は構え、襲撃者を観察する。
「クソ、逃がした。逃がしちまった。この俺様としたことがしくっちまった。いや、それは俺様が原因か? 俺的に一匹見つけたら三十匹はいるって話はちゃんと覚えてた。なのに前に見つけた時に見落としたせいなんじゃねェのか? 誰だ一匹見落とした奴は? 俺様か!? なんてこった、やっぱり俺様が原因か!? 仕方ねェ、それなら自分のケツは自分で拭かねェとなァ、幼稚園のピヨピヨのガキでもそれくらいできるもんなァ!?」
「なんだ、こいつ」
マロンクリーム色の髪をざんばらに切り、身に着けた作業服の上からでも分かるがっちりとした体つきの偉丈夫。年頃は羽黒より幾らか下といった具合か。この世界の人間らしく魔力は全くと言っていいほど感じられないが、それよりも羽黒は太腿まで泥にまみれた作業着の方が気になった。
こいつ、もしかしてこの湿原を泥に浸かりながらあの速度で走ってきたか?
「どんな身体能力だ……!」
ニーナはこの世界の人間は強靭な肉体を有していると言っていたが、ここまでとは聞いていない。あとさっきからブツブツと何か呟き続けているが襲撃の目的がさっぱり読めない。
「おい、てめえ」
「……あ?」
止むを得ず、羽黒から声をかける。
すると男は今の今まで気付いていなかったかのように羽黒を見て首を傾げた。
「誰だ、お前? メカじゃねェな」
「それはこっちのセリフだ。いきなり襲い掛かってくるとはどういう了見だ」
「襲い掛かったァ?」
まるで心外と言わんばかりに男は表情を歪める。
「俺的にあんたを襲ったつもりはねェ。まあ、そういう趣味もあるが俺的に時と場所と相手を選ぶ。今俺的にぶち壊してェのはあのクソメカ共だけだ。クソが、人がしばらく留守にしてた間に勝手にボコボコ増えて勝手に世界を滅茶苦茶にしやがって! ならお返しにこっちも滅茶苦茶にしてやってもいいよなァ!?」
「いいわけあるか。知らねえなら教えてやるが、あいつはこの世界を正しくしようとしている守護者だ」
「知らねェな。俺的に知らねェ!! メカのボスは人型って昔から相場は決まってんだよォ!! あのスクラップを庇おうってんなら俺的にテメェも敵ってことでいいんだなァ!!」
ちゅどん!
再び黒い水柱が上がる。
そしてその水しぶきを撥ね退けながら男は一瞬で羽黒に肉薄した。
「ちっ」
とっさに左の拳をカウンターで突き出す。
本来ならばそれだけで鉄も砕ける最高硬度の龍鱗を纏った拳だ。しかし湿地で足場を取られようが関係なく突っ込んできた男に対応が遅れ――僅かばかりに踏み込みが甘かった。顔面にめり込んだ羽黒の拳に男は多少顔を歪めたが、それだけだった。
男の右拳が大気を――世界を抉るように下方から天へと突き上げられる。
みしり、と軋み罅割れる音がした。
「……ッ!!」
泥に足を取られた中途半端な踏み込みに中途半端な体幹による回避。
そんなもので対峙できる相手ではなかった。
ぶしっ、と羽黒の視界の左端が赤く染まった。
「クソが!!」
振り抜かれた拳によって抉れるように裂けた皮膚。その激痛に悪態を吐きながら羽黒は自ら後方へと倒れ込み――手のひらを沼の奥へと突っ込んだ。
「――水陣《揚清激濁》!!」
「ぬ、おっ!?」
羽黒の言霊に呼応して、湿地から巨大な間欠泉が沸き上がる。
本来ならば四振りの妖刀を以って陣を形成して放つ術式だ。何の準備もない状態で使用しても威力はたかが知れている。
しかしここには潤沢な水に満ち、さらにそこに多量の土砂を含んでいる。威力の低さは重さでカバーできる上に、仮に耐えられたとしても泥水が目くらましになる。
「ああ!? クソ、前が見えねえ、目に泥水が入って痛ってェなァ!?」
男は逆か昇る泥水をもろに受け、でたらめに手足をじたばたさせて暴れ回る。
目論見通り目潰しに成功すると羽黒は即座に身を起こし、改めてブーツに魔力を纏わせて湿地を駆けだす。
「は、ハハ! はっはっは……! なんだアイツ、何だアイツ!!」
事実上の逃亡――しかし羽黒の口元には堪え切れない獰猛な嗤みが浮かんでいた。
* * *
「はあ……はあ……」
『対象の生存を確認。バイタルチェック。顔の左部への損傷を確認。治療しますか?』
湿原を抜けた先で、ニーナは羽黒の到着を待っていた。襲撃者は完全に撒いてきたため、警告音も既に停止していた。
「いや……いい」
『忠告。湿地帯での戦闘の負傷はそのまま放置すると破傷風を発症する可能性があります。治療しますか?』
「……消毒だけしておいてくれ」
『了承しました』
羽黒が久しぶりにの硬い地面に腰かけると、ニーナは右手の薬指をガシャガシャと変形させてスプレーの噴射口を形成した。そして消毒液のような液体を発射し、傷口を丁寧に洗浄した。
『ご報告します。傷口が複雑に抉れているため完治しても跡が残る可能性が高いです。縫合しますか?』
「はっ。今更顔の傷が一つ二つ増えたって構いやしねえよ。そもそもお前さんに俺の龍鱗を刺せるだけの縫い針があるか?」
『否定させていただきます。わたくしにはこれ以上の治療は困難と判定しました。せめて自然治癒促進シートの塗布を進言します』
「はっはー。お優しいこって。じゃあ頼むわ」
本当は羽黒の血を介して封印している吸血鬼の再生力を拝借すれば数秒で跡も残らず完治するのだが、あえてその選択肢は除外する。
足場が悪い上に不意打ちの戦闘だったとはいえ、出合頭に、それも素手で龍鱗をぶち抜かれたのは羽黒も初めてのことだった。戒めとして残しておくことを誓う。
「それにしても、アレは何だったんだ? この世界の連中は皆あんな馬鹿強いのか?」
『否定させていただきます』
ニーナは羽黒の肌の色に合わせた湿布状のシートを傷の上から貼り付ける。
『彼はこの世界においても特異な身体能力と戦闘能力の保有者です。単純な個での能力で換算するとこの世界の戦闘職千人分に匹敵するでしょう。処置を完了しました』
「あいよ、ありがとさん。つーか、あれだけ強い奴がいるならこの世界の問題も自力で何とかできそうなもんだけどな」
『否定させていただきます』
指の変形を元に戻しながらニーナが再度首を横に振る。
『彼はわたくしを機械生命体の暴走の原因と誤認しています。過去に四度ほどエンカウントしその度に説得を試みましたが聞き入れてはいただけませんでした』
「ああ……」
曖昧に頷く。
頭に血が上っているということもあるだろうが、確かに良くも悪くも思い込んだら一直線という印象を受けた。
『補足させていただきます。加えて彼の存在が機械生命体の過剰生産による暴走の拍車をかけています』
「あ? どういうことだ?」
『彼は10年以上前に一度次空門により当世界から消息を絶ちその後数年前に帰還を果たしました。それもあって機械生命体の暴走を知らなかったために精神的ショックを受けた様子でした。その後過剰に増えた機械生命体を駆除しようと単独で破壊活動を開始しました。それを世界の守護機構は魔王等の侵攻と誤認しさらに機械生命体の生産を増加させました。補足終了』
「……なるほど。誤解が生んだ『壊し屋』か。ならさっさと生産基地を正常化させてやらねえとな」
羽黒は立ち上がり、土埃を払いながら歩き出す。
「そういや、あいつの名前は何つーんだ?」
『ご回答します』
ニーナは小さく頷き、情報を開示する。
『個体名グレアム・ザトペック。当世界に帰還後は解体業を営んでいるようです。回答終了』
* * *
後日談――羽黒は機獣の生産基地を正面からぶち破って侵入を果たした。そして最奥の機獣生産を司るシステムと物理的にニーナと接続させることで管理者権限は上書きされ、世界を破壊して回っていた自衛端末の機能を停止させることに成功したのだった。
さらにそれら鉄くずと化した機獣を資材として回収し、廃墟と化した都市を復旧させるインフラ建築用の機獣の生産を優先させることで世界の復興の目途を立てることができたとニーナは感謝の言葉と共に羽黒に報告した。
だが羽黒としてはそれらの言葉は話半分で右から左へと流れてしまっていた。
今回はこれで元の世界に帰還することとなるが――ああ、いつか、いつかあの「壊し屋」と再び拳を交えることが出来たら。
そんなことで頭がいっぱいだった。
その願いが叶ったのは10年後――天下一魔王武闘会でのことだった。





