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052:土砂崩れ・骨です・ぺんぺん草

「……何をしているんだ」

 次元の狭間、その管理人たるピエール邸宅に数日ぶりに足を運んだノワールは、思わぬ来客に眉にぎゅっと力を込めて顰ませた。

「よう、邪魔してるぜ」

「あ、ノワー、おかえりー。ここの黒もらうね!」

「お帰りなさい、ノワール。ビショップをb5へ」

「おお、来たのか。……ここじゃ、8三歩成」

 客間の大テーブルに三つ椅子を並べているのは邸主のピエール、ノワールの研究……というか魔石管理の手伝いをしているミア、そして標準世界から一足先に来訪していたフージュだ。こちらは問題ない。問題なのは、三人がそれぞれ目の前に広げた将棋、チェス、オセロ板を挟んで対面に座るヤクザ面、瀧宮羽黒だった。

「何って、見てのとおりだ。じーさんの将棋の相手しながらミア嬢のチェスの相手しながらフージュとオセロで遊んでる」

「結構白熱しておるよ」

「ここから打開するのはなかなかに骨ですが、まだ勝ち筋はあるはずです」

「なんで私だけ『遊んでる』なのー!?」

「……器用なことを」

 溜息混じりに呆れながらノワールは客間に新しく設えたドアノブに手をかける。その先はノワールが有り余る魔力から魔石を精製、貯蔵管理する虚空間となっている。以前までは隠蔽していたのだが、三人相手にボードゲームで大立ち回りをしている羽黒によって暴かれて以来は開き直って扉を取り付けた。そこにさっさと身を投じると、遠隔でも勝手に注ぎ込まれていた魔力の蛇口が全開となり、魔石の生成速度が上がった。

 その背中を目で追いながら、羽黒は肩を竦めた。

「なんだ? お疲れか?」

「おうちのお仕事沢山押し付けられたって言ってたかも」

「ああ、そりゃ疲れる。報告書ってやつはなんでああも作るのも読むのも面倒なんだろうな」

「魔法士時代、その報告書を作らせとった奴が何を言うとるのか……」

「……そう言えば」

 と、ミアがチェスの盤面を眺めてうーんと唸りながら訊ねる。

「お二人はどうやって知り合ったんですか?」

「俺?」

「はい。ノワールとフウ、ピエール、それにあの男との出会いは聞いたことがありますけど。でも思い返せば、ハクロさんとの出会いって聞いたことがないと思いまして」

「あー、そいえば私もない。なんか『勝手に師匠面してきた』としか聞いたことないかも?」

「ま、言わんだろうなあ、ノワールは。俺も詳しくは吹聴して回ったことないし」

「何か言えぬ理由があるのか?」

「いや、全然? 聞かれたら答えるが、聞かれなかったからな」

 羽黒はチェスと将棋の駒とオセロ石を指しながら軽薄に笑った。


「あれはもう何年前だろうな。当時の俺の体感時間は当てにならんから正確には分からんが、30年は経ってねえかな」



          * * *



「……ぐっ……うぅ……?」

 まだ辛うじて目元や口元に幼さの痕跡が残る長身の魔法士――スブラン・ノワールは鉛のように重い瞼を必死に持ち上げる。

 瞼だけでなく、四肢や指先も重い。ほんの僅かに動かすだけで多大な精神力を有したが、幸いなことに五体満足らしい。視界も多少霞むが、問題なく機能している。聴覚は――自分の声だけだが、聞こえてはいるようだ。

 ゆっくりと上体を起こす。その時になってようやく自分が地面に転がっていたと気付いた。眩暈は止まらず、消耗が激しい。

 ぐるりと周囲を見渡す。

「どこだ、ここは……」

 視界を埋め尽くす砂と礫の大地。一見砂漠にも見えるが、空気は乾燥しているどころかむしろじめっとした湿気が肌に張り付いて不快にさえ感じる。

 そして砂と礫の向こうには断崖絶壁が聳え立っていた。それがぐるりと不自然に円形に砂漠を取り囲んでいる。谷や盆地というよりもクレーターと称する方が近かった。

「俺は、確か……任務で、この世界へ……ぐっ!?」

 意識が戻ってから続いた眩暈が一際大きくなる。起こした上体を保てなくなり、再び砂漠に這いつくばった。口の中で舌打ちをしながら全身に魔力を浸透させて身体状態を確認しようとし――さらなる眩暈に襲われる。

「がっ……!? な、なんだ……!? ま、りょ……くが……!?」

 ノワールの体験したことがない激しい頭痛と乾き、そして動悸。それは脱水からくる症状にも似ていたが、原因は全く異なる。本来、生まれながらにある症状を抱えるノワールならば起こりえないはずの――魔力欠乏。

 練ろうとも練ろうとも、流そうとも流そうとも、魔力がとめどなく流れ続ける。体内の魔力が枯渇しているということに魔力を用いて確認しようとして、ようやく気付いた異常事態。ノワールの全身から勝手に溢れ出た魔力は地の底へと染み入り、そしてどこかへと消えていった。

 その先は追えなかった。追うだけの魔力も残っていなかったからだ。

「なんっ、だ、ここは……!?」

 砂漠を這いずりながら場所を移ろうと試みる。当然のように転移魔術など発動できないし、なんなら身体強化すらままならない。まさに虫のように地を這いながら延々と魔力を吸い上げ続けるこの砂漠から脱出しようとする。

 そのまま一時間ほど砂礫と睨み合いながら赤子よりも遅い歩みを進めた。最初に目覚めた地点が最も魔力吸収が激しい場所だったらしく、移動することで眩暈や動悸は多少マシになった。相変わらず初歩の初歩の魔術一つ形成できないほど魔力が奪われ続けているが、それでも症状が和らぐだけで精神的負担は軽くなった。

「……なっ……」


 そして今どのあたりだろうと顔を上げ――絶望した。


 遠くから見えていた崖が百メートルほどにまで近付いてきていたが、あまりにも高すぎる。文字通りの断崖絶壁の上、遥か上方の崖の縁は抉られたようにせり出している。そして崖下の方はというと、土砂崩れでできた斜面のような地形は見当たらなく、砂漠から直接崖か生えてきているかのような不自然な構造になっていた。

 どちらにせよ、とてもではないが登れそうにない。

 この延々と魔力を吸い上げられる謎の砂漠で、一人で死ぬ。

「く、そ……! 死んで、たまるか……!」

 唇を噛み、気力を振り絞って再び這いずる。幸いにも崖に近付くほど魔力の強制流出はマシになることは身をもって感じた。こんなところで死んでいられない、まだ己は何も成しえていないと指先を鋭利な礫で血まみれにしながら先へと進んだ。

 そして崖にようやく辿り着き、そこに背を預けるように一息つく頃には日はすっかり落ちていた。



          * * *



 ノワールは再び意識を失っていた。どれほど経過したかは分からない。反対側の遥か彼方の崖の縁の青紫色の空に僅かばかりに紅が混じり始めたため、10時間は経ったのかもしれない。

 相変わらず魔力は驚くほどの枯渇状態だった。砂漠の中央付近にいた頃と比べると魔力の流出はだいぶ抑えられたが、それでも必要最低限の生命維持に回すだけで精一杯。とてもではないがこの切り立つ崖を今から生身で登頂などできる状態ではない。普通に手を滑らせて落下死は間違いない。


 さてどうするかとノワールは瞳を伏せて思考を巡らせる。


 今は何とか残りカスのような魔力でしのげているが、水や食料がない。もちろん自身の虚空間にはどちらも潤沢に備えてあるが、そもそも開くことができないので意味がない。

 そして目の前の空が白み始めたということは、この世界が東西どちらから日が昇るかは知らないが、これから日差しが直に降り注ぐということだ。生まれて初めての魔力枯渇状態に冷静さを欠いていたとは言え、移動する方角を誤ったと悔やまれる。人は直射日光の当たる劣悪な環境に放り込まれると最悪三時間で死亡するというが、自らそのタイムリミットを短くしてしまった。周囲を見渡すが、日光を遮れるような地形や岩、樹木もない。本当に崖と砂漠しかない。


 どう考えても詰んでいる。


 この断崖絶壁に沿って移動すれば、地形の切れ目やまだマシな斜面が現れるかもしれないが、そんなものはないかもしれない。あったとして、左右どちらに進めばいいかは完全に賭けだ。

 ならばと最低限の生命維持に残り少ない魔力を込めて救援を待てばいいかと言えば、それも怪しい。そもそも自分がこの世界に訪れた理由も、救援……というか、行方不明となった魔法士の捜索だ。


 ここ数ヶ月、この世界の調査に派遣された魔法士たちが誰も帰って来ないという異常事態に陥っていた。一人二人ならばともかく、それが両手両足の指で足りなくなったとなると話は変わる。そこで止むを得ず新進気鋭の若き幹部である自分に白羽の矢が立ち、調査を開始したのが発端だ。

 ノワールさえも戻らないとなればいよいよ捜索は打ち切られ、閉鎖世界として認定されるかもしれない。

 そもそもこの世界への転移にやたらと手間取った。多世界と比べて次空座標の振れ幅が激しく、やたらと不安定だった。何度も座標計算し直してようやく隙間を縫うように転移してきた。

 かと思ったら、不自然に魔力を吸い上げている地形を発見した。遠方からの観測を試みたがその探知魔術さえ形にならずに崩壊したため、やむを得ず肉眼での調査に向かった。

 そして――


「……そうだ。その時、俺は何者かに襲撃されて……!」


「おお、驚いたな。まさか本当に生きているとは」


「――ッ!?」


 独白に声がかかり、ノワールは顔を上げる。

 その時になってようやく、目の前に誰かが立っているのに気付いた。

 しかも日本語だった。

「はっはー。ここ最近やたらと来ていた異世界人でこの魔喰いの砂漠を生きて縁まで辿り着いたのはお前さんが初めてだ。んー? ……ああ、そもそもの魔力量と生成量が桁違いなのか。なるほどなるほど」

 何がおかしいのか軽薄な笑みを浮かべながら肩から鞄を下げてじろじろとノワールを観察する男。

 ノワールと同じく黒髪黒目。ついでにシャツとズボンまで黒という、自分のシルエット違いを見ているようで不快だった。髪と目に関しては魔力由来というよりも民族由来か、その両方か。どちらにせよ魔力がカツカツの状態ではノワールにも判断しづらい。背丈はノワールと同等か、あっちの方が気持ち高め。鍛えられたがっしりとした肩幅は立っているだけで背丈以上の威圧感を放っていた。

 そして左目が隠れるほど伸ばした前髪の隙間から伺える顔つきに、ノワールはかつて一通り浚ったデータベースで見覚えがあった。

「……瀧宮羽黒。『最悪の黒』、『瀧宮』の外れ者、連盟の請負始末人『妙高』」

「おぉ!?」

 ノワールの言葉に男――羽黒はぎょっと目を見張る。

「日本語!? おお、すげえ、翻訳介さない日本語なんて何十年ぶりだ!? はっはー、顔つきからまさかとは思ったがお前さん日本人か! いやあ、今まで来てた連中全員フランス語とかイタリア語とかスペイン語とか絶妙に聞き取れねえ言葉ばっかりだったからなんだか嬉しいねえ!」

「…………」

「てかなんで俺のこと知ってんだ? しかも妙高なんて名前、半年も使ってなかったぞ。まさか追っかけのファンじゃあるまいし」

 何やら勝手にテンションを上げながらべらべらと喋り出す羽黒。それに対しノワールは深く深くため息と――殺気を込めて、睨み上げる。

「魔法士協会幹部――ノワールだ。この世界には行方不明の魔法士を捜索に来た。その口ぶりだと、あんたが原因か」

「……なんだ、やっぱお前さんも魔法士か。しかも幹部様とは驚きだ。あっちの世界でも評判悪いぞー。俺は気にしてなかったんだが最近は評価ダダ下がり中」

「答えろ」

「おお、怖い怖い。初歩魔術も使えないぐらい魔力切らして意識保つので手一杯のくせに、殺気だけはいっちょ前か。ま、隠してるわけじゃねえし教えてもいいがね」

 やれやれと大仰に肩を竦めながら羽黒が答える。



          * * *



「もう随分前だが、ある魔法士チームが転移してきてな。魔法文明レベルの調査だのなんだの色々謳ってたが、まあとどのつまりこの世界に介入して技術持ち帰ろうって魂胆は見え透いてたな。


 それ自体はまあどうでもいいかって最初は無視してたんだがな、俺も人のことは言えねえし。

 だが段々と、やれ他世界の異物的魔術が持ち込まれてる、やれ世界の形態が歪んでる、やれ己が全て正しく整えるとうるさくなってきて、目障りになってな。

 ようやく、やっとの思いで軌道に乗せたこの世界を邪魔されるのも癪だからな、軽くぶちのめしてこの砂漠に突き落としてやったんだ。


 はっはー、この砂漠の怖さはお前さんも身をもって体感してるだろう? お前さんの魔力量だろうと関係なくこの砂漠はゴリゴリに吸い尽くす。周囲の土地にはぺんぺん草も生えねえ。理由はちゃんと判明してるがな。

 もっとも、例えそれが魔術師の上位職を謳おうが、たかだか一介の魔法士程度にはどうすることもできねえだろうよ。原因は砂漠じゃあない。もっと別の場所にある。……おっと、話がそれたな。


 まあ俺もきつめの灸を据えたら助けてやるつもりで見てたんだが、何を思ったか、連中、魔力がすっからかんになっただけで泡食って発狂して自害しやがった。

 流石に驚いて何も言えなかったぜ。

 馬鹿じゃねえの。命軽すぎねえ? ってな。

 何のためにてめえに手足が生えてんだ。脱出を試みるくらいしろよ。


 ちなみに、その後については俺は何もしてねえぞ?

 第一陣の魔法士チームの痕跡を辿ってきた捜索隊は自分から勝手にこの砂漠に無策で降りて、案の定魔力根こそぎ吸い尽くされて、発狂して自害した。

 それがお前さんが来るまで延々と続いた。

 いやいや、流石に呆れてどうすればいいか悩んだわ。

 傍から見れば集団自殺の志願者だったからな。


 んで、そこに来てお前さんだ。


 ちょいと用があってこの近くまで来てたんだが、砂漠の縁から覗き込むお前さんを見かけてな。この辺の住民は絶対に近付かねえからまた魔法士かと思って声をかけたんだが……はっはー、この辺りは気配探知も碌に機能しねえからな。奇襲か何かと勘違いしたお前さんが切りかかって来たからしゃーなしに応戦したんだよ。

 今まで魔術メインの近接サブ程度で戦ってきただろ。この辺りの地形効果で魔術の発動に手間取ってる間に一発だったぜ?


 まあこちらとしては? 善意で声をかけたのに斬りかかって来られて虫の居所が悪かったからな。砂漠に用を済ませるついでに真ん中のいっちゃんキツイところに連れてって干物にしてやろうと引きずっていったのが昨日のことだ。


 んで、用事済ませてお前さんを回収しようとしたらどっか行ってて驚いたわ。目ぇ覚ましたのはともかく、自力で脱出しようなんて気概がある奴は今までいなかったからな。後を追いかけてみたらここに座って目ぇ閉じてたから流石にくたばったかと思ったが――まさか生きてるとはなあ」



          * * *



「…………」

 一方的に語られた羽黒の話を聞き終わったノワールは、しかめっ面をさらに険しく歪めながら思考する。

 今の話の十割が全て真実だとは思えない。大筋はその通りだろうが、捜索隊が全てこの砂漠に落ちてきて命を絶った等、流石に眉唾が過ぎる。なんなら羽黒がそうなるよう誘導した可能性だってある。そもそもノワールとの接触も「声をかけただけ」と言っていたがノワールの記憶では明らかに襲撃された。……魔力の枯渇という前代未聞の状態で記憶がやや混濁してはいるが。

「そんで、君はどうするね、ノワール君?」

 軽薄な笑みを浮かべながら羽黒が問う。

 ノワールは水と魔力の渇きでカサカサになってきた喉をぎゅっと引き絞りながら声を出す。

「……経緯をまとめた後、協会へ帰還、報告する」

「仕事熱心だねえ」

 皮肉を口にしながら羽黒は肩から担いでいた鞄から革袋を取り出し、ノワールに差し出す。中身は水のようだが、どれほど喉が渇いていようと怪しすぎて飲む気にはなれなかった。

 しばし無言で睨み合うと、羽黒は呆れながら軽く煽って中身を飲んだ。

「ほれ」

「…………」

 仕方なく受け取り、一口含む。

 数時間ぶりの水分が細胞一つ一つに染み渡っていくのが自分でも感じられた。

 そこからは抑えられなかった。乾燥状態で一気に水分を摂ることは逆効果になりえると頭では分かっていながら、革袋が空になる勢いで飲み干してしまった。

「……で、どうやって?」

「…………」

 ノワールが落ち着くのを待ってから羽黒は指を立て、崖の上を指す。

「見てのとおりの断崖絶壁。器具なしで登るのは自殺行為だ。身体強化や魔法士お得意の転移魔術があれば一発だろうが、それを発動するための魔力はない」

「……何が言いたい」

「手を貸してもいい」

「そっちが連れてきておいてどこから物を言っている。……要求は何だ」

「はっはー、話が早くて助かるぜ、魔法士ドノ。ちょいと俺の研究に意見が欲しくてね」

「何だと?」

 羽黒の予想外の言葉に流石のノワールも意図が読めず、魔力枯渇の精神的負担もあって無思慮に聞き返す。それの何が面白いのか、羽黒は肩を揺らしてくつくつと笑う。

「俺もちょっと欲しい技術があってこの世界に来ててな。それの基礎自体はもう何年も前に手に入れたんだが、そこから先のゴールに辿り着くのに四苦八苦しててよ。魔術ならまだしも錬金術の分野まで関わってくるとなると、個人のゼロスタートだと流石に限界が見えてきてな」

「……錬金術は俺も専門外だ」

「だろうな。だからお前さんには魔術分野からの知見をいただきたいんだわ」

「いいだろう。……と、言いたいところだが」

「うん?」

 承諾しかけた言葉を一度遮り、ノワールはじろりと羽黒を睨みつける。

「砂漠に叩き落した張本人が、崖の上に引き上げるという利に対して、俺から差し出すのが『研究内容に対する知見』とは、随分と不釣り合いだだろう。あまりにも俺から差し出すものが大きい」

「おやおやぁ? 俺は別に助けてやらなくてもいいんだぜ?」

「あんたが何を求めて元居た世界から外れて研究しているか知らんが、あんたとしても魔法士協会の有する魔術的知見は喉から手が出るほど欲しいはずだ。だからこそ、俺を殺さず砂漠に落とした。それに、俺からの連絡が途絶えたとなればこの世界に対する捜索は打ち切られるだろう。魔法士協会により世界は閉鎖され、今後魔法士が派遣されることはなくなり、さらにあんたが元の世界に帰ることも困難になる」

「……やれやれ。満身創痍のくせに、取引はきっちり対等に立たれちまった」

 肩を竦め、羽黒は苦笑する。

 そしてベルトの隙間に差し込んでいたソレをずるりと抜き放った。

「な……!」

 見えていたはずなのに、羽黒に集中するあまり気付かなかった。

 ソレはノワールが得物として今まで振るっていた黒い刃の日本刀だった。昨日の戦闘後、紛失してしまったと思ったら羽黒が持っていたらしい。

「俺の家系の術式は、元を辿れば安倍家を起源に持つ陰陽術だがな。どっちかっつーと鍛冶屋の毛色が強い。だからこういう手合いの得物に触れると、その持ち主がどんな使い方をしてきたか何となく分かる」

 羽黒は黒刀の刃を撫でながら軽薄に笑う。


「お前、吸血鬼が憎いらしいな」


 刃に触れる指の腹は裂けることなくツッと切っ先まで流れる。

「……っ!」

「深い深い呪詛だ。この俺でさえ感じたことのない馬鹿深い闇を感じる。元になった刀が良いんだろうな。魔力なんて大層なモンじゃない、恨み辛みのドロドロとした暴力的で穢い感情をぶち込まれてんのに、刃毀れ一つせずこんなにも綺麗なままとはな」

 言うと、羽黒はぽいとノワールに向けて黒刀を放る。

 それを反射的に鷲掴みにすると、ノワールは最後の魔力を振り絞って刀を振り上げ、羽黒に斬りかかる。


「分かったような口をきくな!!」


 振り下ろされた刃は真っ直ぐに羽黒の首元へと吸い込まれて行き――ガキン! と金属同士が激しくぶつかり合ったような音を立てて、()()()()()


「なっ……!?」

()()()()()()。そうじゃないだろう」

 根元から折れた刃が宙を舞い、それを羽黒は素手でつかみ取る。

 そして一歩踏み込み――ノワールの横をすり抜け、背後の崖に刃を突きつける。


 するりと、刃は水でも切るかのように岩壁に吸い込まれていく。


 そのまま二度三度と刃が振るわれると、一瞬の静寂を挟んで――ガラガラと音を立てて崩れた。

 後には人ひとりが膝を抱えて身を隠せるだけの穴が穿たれた。

「……!!」

 ノワールは息を呑む。

 岩を刀で切り裂くこと自体はノワールでもたやすい。刃に魔術をまとわせ、振り下ろすだけだ。

 しかし今この地で――魔力を際限なく吸われ続けているこの状態では、そんなことは不可能だ。いくら刃が業物だろうと、岩に向かって刀を振り下ろせば弾かれる。

 普通に考えれば羽黒もまた似たような術式を使用しているのだろうが――いや。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ノワールの桁違いの魔力量と魔力の生成速度でなんとか生命維持を保っていられるこの砂漠で、なぜ平然として涼しい顔でいられる?

「そうだな。これが俺から差し出す対価だ」

 呆然とするノワールの手元から折れた刀の柄を抜き取り、羽黒は軽薄に笑う。


「身体強化のさらにその先――折れない刀の振るい方を教えてやるよ」


 言いながら、羽黒は流れるように柄を握った手の甲でノワールの肩に触れ、

「とりあえず、これがヒントな」

「な――ぐぁっ!?」

 バチリと全身を強烈な電流が駆け抜けるような感覚に襲われる。ノワールの魔力波長を読み取り、あえて相性の悪い魔力を流し込んだらしい。視界がチカチカと瞬き、再び眩暈に襲われる。

「まあまずはそこの穴倉で休んでな。俺はちょいと用事済ませてくるからよ。死なないように頑張れよ? なあに、こんな踏み入れるだけで普通は死ぬような砂漠に近付く魔物はいねえから、安心しろ」

 再び薄れ始める意識の中、何一つ安心できない言葉を残して羽黒の声が遠ざかっていった。



          * * *



 目が覚めると、ノワールは穴倉に膝を抱えて押し込まれていた。申し訳程度に穴を虫食いだらけのボロ布で塞がれているのは、日よけのつもりか。

「…………」

 這うように穴倉から外に出ると既に日は高く上り、見覚えのある鞄が穴倉から出てすぐのところに置かれている。中を見ると再び水で満たされた革袋と、そのまま食べられるいくつかの保存食が入れられていた。

「…………」

 なんだか腹立たしくてその辺に投げ捨てようかとも思ったが、生命維持のための魔力で手一杯の現状では空腹や喉の渇きを誤魔化す余裕はない。止むを得ず、保存食と水に手を伸ばす。

「……クソ」

 こんな状況でも味がある物を口に入れれば美味いと感じる己の体が憎たらしかった。多少パサつくが、幸いにも水分はたっぷり用意されていたため遠慮なく呑み込む。

「というか、この世界の文明レベルにしてはやけにレベルの高い非常食だな……」

 ノワールが管理を任されている世界の軍用レーションや行動食と同程度の味がした。羽黒との会話の中で、最初に調査に来た魔法士が「異物的魔術が持ち込まれている」という話をしていたと言っていたが、持ち込まれた物は魔術だけではなさそうだ。

 一通り非常食を腹に詰め込み、ノワールはゆっくりと立ち上がる。

 多少の栄養と水分を摂取したことにより、これまで魔力で強引に維持していた生命維持が正常の状態に戻りつつあるようだ。相変わらず魔力自体は流失し続けているため魔術は使えないが、立って歩く分には問題なさそうだ。

「それで……なんだ、これは」

 非常食を口に運んでいる最中から気になっていた物体に近付く。

 それはブリキでできた案山子だった。何か棒のようなもので地面に刺さって立っており、顔を模したバケツにはこちらを小馬鹿にしたように舌を出した落書きがされている。

 さらにご丁寧に胴体部分には「Kill Me !!」と書き殴られており、地面には10本の訓練用の木製の刀が散らばっている。

「……まさか、この木刀で案山子を斬れと?」

 顔をしかめながら木刀を拾う。当然ながら魔力の類は含まれていない。というか、万一含んでいたとしてもこの砂漠にあっという間に吸収されてしまうだろう。

「…………」

 試しに思いっきり振りかぶり、案山子に向かって横薙ぎに振り抜く。


 ばきぃん!


「くっ……」

 当然ながら、木刀はブリキの胴体に弾かれる。余程頑丈なのか思いっきり力を込めたにもかかわらず凹みもしない。

 ならばと木刀に魔力を注ぎ込む。砂漠に吸収され続ける分を考えると、微々たるものだ。

 ……が、これもまた至極真っ当なことが起きる。

「くそ、少量だとすぐに砂漠に吸われる……!」

 止むを得ず、込める魔力の量を増やす。さらに吸収される前に振りかぶり、何とも頼りない刀身で案山子に斬りかかる。


 ボキ!


「…………」

 へし折れた。

 木刀の方が。

「…………」

 折れた木刀の断面を確認すると、内から外へと破裂したようなささくれが出来ていた。込める魔力に耐え切れず、木刀の方がもたなかったようだ。

「くそ!」

 へし折れた木刀を捨て、次の木刀を拾う。

 何度か込める魔力を微調整し、再度斬りかかる。今度は案山子に弾かれたため込める魔力を微増させると、振るう前から破裂した。

 それを何度も繰り返す。

 何度も何度も。

 次々とへし折れていく木刀にノワールも苛立ちを隠せなくなってきた。一番腹が立つのは木刀の材質が不均等で、一つ前では問題なかった魔力量でも別の木刀だと込めるだけで耐え切れずに破裂することだ。そのたびに木片が飛び散って肌を傷つけて煩わしい。

「……くそ。俺は何をやっているんだ」

 最後の一本の木刀がめでたく爆砕四散ところで堪忍袋の緒が切れ、折れた木刀の柄を地面に投げつける。魔力量的にも限界だった。休憩を挟むため、ノワールは穴倉へと膝を抱えて身を隠し、日差しが入らないよう布切れで入り口をふさいだ。



          * * *



「よう、起きたな」

「…………」

 数時間の休憩とも言えない時間を挟んで穴倉から這い出ると、辺りは日が沈みかけて赤く染まっていた。そんな中、憎たらしい軽薄な笑みを浮かべながら羽黒が焚火の燃えカスを突いていた。

 薪は、昼間にノワールがへし折った木刀だった。

 さらに傍らには、昨日へし折られたはずの黒刀が元の姿で置かれている。

「飯出来てるぞ。まあ大したもんではないが、そこそこ美味いぞ」

「……っ!」

 駆け寄り、無防備に置かれた黒刀を奪い取る。

 そしてありったけの殺気と嫌悪感を込めて振り上げたところで――どくん、と大きな動悸に襲われた。

「ぐっ、がぁ……!?」

「おーおー。どっちも元気がいいなあ」

 眩暈とも言えない不快感に思わず膝をつく。それを見た羽黒はゆらりと立ち上がり、ノワールの手から黒刀を回収する。

「今のこいつはお前さんを持ち主とは認めてねえようだな」

「な、に……!?」

 黒刀を手放すと身体の不調は嘘のように軽くなった。

 息を整えながら羽黒を見上げる。

「お前さんはこの刀にこれまで吸血鬼に対する憎悪を込めて振るい続けた。こいつはもはや立派な呪具だ。意思はなくとも指向性が宿っている。憎くて憎くて仕方がない吸血鬼を滅したくてたまらない。だが今のお前さんじゃあ持ち手として十全に力を発揮してくれない。だからより力のある持ち主の手に渡るよう、お前さんを見限ったんだ」

「……!」

「怒りに任せて力を振るうのはともかく、それでへし折っちまったんだからな。あ、ちなみに直してやったのはサービスだ。次からは対価をもらうぞ」

「……ちっ」

「まあちょいとばかり冷静になりな」

 羽黒は黒刀を鞘に戻し、腰かけて焚火にかけていた鍋をノワールに差し出す。

 野菜と燻製肉をぶつ切りにして煮込んだスープだった。

「…………」

 苦虫を噛み潰した表情を浮かべながらノワールも腰を下ろし、鍋を受け取る。

 かき混ぜるための匙が入れっぱなしということはこのまま食えということか。少々躊躇したが、焚火の火は既に小さくなっていたため火傷するほどの温度ではなかった。匙で二、三口啜った後は鍋に直接口をつけて貪った。

「さて、今日の成果は……まあ見れば分かる。上手くいかなかったようだな」

「……そもそも、木刀で金属が斬れるものか」

「斬れるわけねえな。だが、それを可能にするのがお前さんらがお得意の魔術だろう」

「この魔力を徒に吸い続ける砂漠で魔術などどうしろというんだ」

「どうにかするのがお前さんの課題だし、どうにかできるようにするのが俺からの対価だ」

 言って、軽薄な笑みを浮かべながら羽黒は手を差し伸べる。それにハッとしたノワールは空になった鍋を投げ捨てて距離をとった。

「おっとー。嫌われたなあ」

「出会ってから今まで、あんたに好意を持てる箇所は一つもない」

「はっはー、まあまあ。昨日は休息をとらせるために派手に魔力流し込んだが、今回はちゃんと加減する」

「待て、そもそもあんたはどうしてこの環境で自在に魔力を操れる?」

「それは今回の目的のその先にある答えだな。ほらじっとしてろ、もう一度ヒントをくれてやる」

 笑いながら羽黒はノワールの肩に手を置くと同時に微量の魔力を流し込む。一瞬だけパチリと静電気のような痛みが奔り、羽黒が触れた箇所から神経や骨に沿ってうぞうぞと他人の魔力が駆け抜ける何とも言えない不快感に眉を顰める。

 その後羽黒の魔力はノワールの腹――へその内側辺りでぐるりと渦巻いてから体外へと放出され、砂漠へと呑み込まれて行った。

「ほい、今のでだいぶ分かっただろ」

「……何がだ。ただただ不快だっただけだぞ」

「おいおい、今ので人によってぱっと閃くんだがな。んー……」

 キョロキョロと周囲を見渡し、「これでいいか」と呟いて羽黒は立ち上がる。手には、鞘に収められたままの黒刀が握られていた。

 それを肩に担いで向かった先は、ブリキの案山子。

「出血大サービスだ。よーく見てな」

 羽黒は黒刀に魔力を流し込む。

「なに……?」

 流れた魔力はほんの一摘まみ。ノワールが木刀に込めた量の半分にも満たない。にもかかわらず、一滴も砂漠へと奪われずに鞘に留まり続け――髪の毛一本にも満たない極細の血管のように張り巡らされていた。

 そして、


「おらっ」


 構えも何もない、無造作な薙ぎ。

 勢いもない。子供のチャンバラ程度の一振りで――ごとり、と案山子の胴体が砂漠に頭から落下した。

「さ、飯食ったら今日は休みな。そんでそのパンパンに詰まったノーミソで考えるんだな」

 笑いながら、羽黒は振り向くことなく立ち去る。

 後に残されたノワールは呆然と地面を転がる案山子の頭を眺めていた。



          * * *



 目が覚めて穴倉から這い出ると、鞄には新たな非常食と水が入れられ、案山子も真新しい物へと立て替えられていた。表情は相変わらずこちらをおちょくっているとしか見えない落書きのままだった。

「…………」

 非常食と水で腹を満たすと、ノワールは補充された木刀を拾い上げる。

 昨晩羽黒が見せた光景を思い出す。

 幸い、考える時間はたっぷりとあった。

「斬れないものを斬るために必要なものは、魔力の量の如何ではない」

 多ければ多いほど良いというわけではないのは初日に散々へし折った木刀からでも分かる。ただし少なければ砂漠によって瞬く間に魔力を吸い尽くされてしまう。


 そもそも魔力とは何か?


 諸説あるし、世界が変われば世界ごとに異なる考えやシステムが存在するため一様に答えることはできない。

 しかし一つの説として挙げられるのが、俗に魂と呼ばれる存在根源から放たれる余剰エネルギーであるという話だ。

 魂は存在によってそれぞれ異なる。そこから生み出される余剰魔力もまた、千差万別だ。ノワールのように際限なく溢れ続ける者もいれば、一切魔力を生み出せない者もいるという。

 しかし魔力がなくとも、その者は問題なく生きていける。

 では何故魔力を有する者が魔力を過剰に使役すると不調が起こり、最悪の場合は死に至るのか。


 それは、魔力の発生源である魂を削って魔力を生成しようとするからだ。


 そもそも魔力を作り出せない者は魔力を使おうと魂を削ることがないため、問題にすらならない。


 つまり羽黒が平気な顔をしてこの砂漠で活動できるのは、魔力に依らない彼本来の肉体によってただ普通に活動しているからに過ぎない。

 その考えに至るのはノワール自身そう時間はかからなかった。

 次なる疑問は、羽黒がノワールに伝えようとしている「折れない刀の振るい方」とやらだ。

 魔力がなくとも稼働できるのは理解した。砂漠の中央から離れたこの地ならば、極少量ながらも魔力を操れることも分かっている。

 羽黒は魂に影響が出ない微小の魔力を以って鞘で鉄の案山子を一刀両断にしてみせた。

 その根元にある理論自体はノワールの知る魔法技術とそう変わりはない。

 つまり、得物に魔力や魔術を込めて斬りつけるだけだ。

 だが、違う。

 そうじゃない。そうじゃないのだ。


「魔力を纏わすのではない。込めるのではない。刃を己の肉体と見なし、魂の一部と化して、武器の内から魔力を浸透させる……!」


 流し込む魔力はほんの一摘まみ。魂に干渉しない程度の、ごく微量の誤差とも呼べないほどの量で構わない。

 それだけで手にした木刀に血管のように魔力が浸透していく。

 霧散もしなければ吸収もされない。

 当然だ――今この木刀はノワールの肉体の一部だからだ。

 身体強化のさらにその先とは、よく言ったものだ。


「ふっ……!」


 木刀を上段に構え――振り下ろす。

 案山子に触れる瞬間、魔力に込めた切断の術式が発動させる。


 パカン!


 そんな間抜けな音を立てて、案山子は一刀の下に両断され砂漠に転がった。


「……。これで、いいんだな」

「その通り」


 振り向くと、羽黒が崖を背にしてもたれかかり、軽薄な笑みを浮かべていた。

「まさか二日でモノにするとはなあ。もう一日か二日くらいかかると思ったが」

「元々微細な魔力操作は慣れている。コツが分かれば容易だった」

「お前さん、その魔力量で微細な操作とか得意なんか……」

「その辺の脳筋と一緒にするな」

 不満げに文句を垂れると、羽黒は苦笑しながら手にしていた黒刀をノワールへ差し出した。

 一瞬、躊躇したが素直に受け取る。

「……ふん」

 昨日のような不調は起こらなかった。再びノワールを使い手として許容したということか。

「さて、行くぞ」

「何処へだ」

「ここから出るんだろ、こっちだ」

 そう言って羽黒は()()()()()へと歩き出した。



          * * *



「……なるほど。確かにこれは一介の魔法士ではどうすることもできないな」

 砂漠の中央に空いた大穴の壁に打ち込まれた鋲を足場にしながらノワールは下へ下へと降りていく。

「そう! この砂漠は中央へ行くほど魔力の吸収量が増えるが、その出口は中央の穴から繋がる洞窟しかない。崖の上から侵入は出来るが鼠返しになってる縁のせいで登れない。魔法士共はビビって中央に近付けずに発狂しちまったわけだが」

「そもそも魔術に人生を捧げた狂人共だ。頼みの魔術が使えないとなれば思考も停止するか」

「切ないねー。もっと色々なものに目ぇ向けなきゃなー」

 そして絶妙なのが、この砂漠は魂に関わるほどの魔力吸収の能力はないということだ。ノワールクラスの莫大な魔力だろうが関係なく限りなくゼロになるほど魔力を奪うが、決してゼロにはならない。しかし魔力保有者は枯渇していく魔力に焦り、魂を削ってまで魔力を維持しようとしてどんどん衰弱していくというわけだ。

 最後の鋲を踏みしめ、羽黒が大穴の底へと降りる。ノワールもそれに倣って飛び降りると、目の前に横穴が続いていたのが見えた。

 その横穴の違和感に気付き、ノワールは顔をしかめる。

「おい、この洞窟は人の手によるものか」

「正解。ここは放棄された坑道の一つだな」

「上の砂漠も自然物には見えなかったが、何者かが人為的に生み出したか、事故により発生したということか? だから坑道が放棄されて――」

「いや、逆だ。放棄された坑道の上に砂漠ができたんだ」

 ノワールの推察を遮り、羽黒は鞄からランタンを取り出して火を灯す。そしてそのまま足元を照らしながら坑道跡を進んでいく。

「この世界は魔力量が潤沢でなあ。生活や戦闘だけでなく、生態系のありとあらゆる基礎に魔力が組み込まれている。だが潤沢すぎる魔力は時に世界の進歩を阻害しちまう。それで大昔、この世界は一度ならず滅びかけてんだ」

「どういう意味だ」

「平たく言えば、科学技術が全く機能せず停滞しちまったんだ。ノワール、例えば、火はどうやって燃える?」

「……? 炭素に酸素が結合して起きる発火現象のことを言っているのか?」

「そう。俺たちの世界では常識なそんな化学の概念がこの世界は存在しなかった。『火とは火属性の精霊の息吹』としか存在しなかった」

「それは、確かに歪だな」

「まあそれも本当に大昔の話だがな。文献にギリギリ残ってるくらいの何千年も昔の話。そして文献曰く、神が遣わせし賢者が世に外の理をもたらした。まあ大層なこと言ってるが、つまりは異世界人が飛ばされてきちまったんだな」

 その異世界人の人となりまでは文献に残っていなかったが、少なくとも魔術と科学どちらにもある程度精通している世界の人間だったらしい。賢者は世界の進歩を願い、世界に科学という概念を根付かせるために魔力濃度を薄めるある仕掛けを施した。


「それがこのキノコだ」


「……は?」

 羽黒のランタンに照らされた坑道跡に、無数の菌糸類の群生地が広がっていた。

「き、のこ……?」

「知らんのか? キノコは世界一巨大な生命体だぞ」

 賢者は環境さえ合致すれば無限に菌糸を伸ばして繁栄するキノコに目を付けた。そして自身がもつ魔術知識と科学技術をつぎ込み、一種のキノコを生み出した。

「このキノコは周囲の魔力を根こそぎ吸い取って成長する。日の光も不要、なんなら水や酸素すらなければなくてもいい。全部周辺環境から吸い上げた魔力で賄っちまう」

 賢者は世界各地を巡り、このキノコの菌糸をばら撒いた。増えすぎて世界の魔力が枯渇しないよう、一定以上の密度になると一部が死滅するよう術式も仕込んでいたのを見るに、外来種やF1種がもたらす被害についてもある程度の知見があったようだ。

 そうしてキノコは魔力が過剰なこの世界で一斉に繁茂し、見事魔力濃度を低下させることに成功した。

「ちなみに魔津茸(マツタケ)という。食用にもなる辺り、ぜってーその賢者って日本人だよな」

「……それは間違いなさそうだな」

 羽黒は説明する傍ら大きく成長したキノコをいくつか採取する。ことあるごとに「砂漠に用がある」と言っていたが、まさかキノコ狩りが目的だったとはノワールは軽い眩暈を覚えた。

「つまり、上の砂漠とはこのキノコの過剰群生により発生したということか」

「そう。薄まったとは言えこの世界の根っこにあるのはまだまだ魔力だからな。魔力を吸い尽くされると土壌まで砂漠化する。入ってきた大穴も魔力枯渇による落盤で空いたやつだ。まあ放っておけば術式によってキノコは勝手に死滅するし、十数年もすれば砂漠も消滅するが、まあせっかく珍味として高値で取引されるから採れるだけ採っておこうってな」

「…………」

 世界の根幹を大きく塗り替えた技術の粋を目の前に、「美味くて高く売れる」という欲望丸出しで採取をする羽黒にノワールは深い深い溜息をつくしかなかった。



          * * *



「大手」

「むっ?」

「チェック」

「あら」

「ここに最後の石を置いて……はい、見るからに俺の勝ちだな」

「あーあーあー!?」

 将棋とチェスの駒を置き、オセロの石を指して盤面を黒く塗りつぶす。そうして羽黒は軽薄に笑いながら冷めかけた紅茶を口に含んで背もたれに体を預けた。

「俺の話に集中しすぎたな。最後は攻めやすくて助かったぜ」

「ぬう、しくったのう」

「ふう……やっぱり一筋縄ではいきませんね」

「むむむ……! もう一回! もう一回やろう!?」

 頬を膨らませながら再戦を申し込むフージュに羽黒は肩を竦める。初めて出会ってから二十年になるが、こういう子供っぽい仕草は未だに健在で微笑ましく感じた。

「残念だがこの後予定が入っててな。ミア嬢、依頼の魔術書の件は頼んだ」

「あ、はい。お任せください」

 チェスの駒を片付けながらミアが頷く。本当は「知識屋」を仲介に依頼しても全く問題のない程度の魔術書の解析依頼だった。しかし時間があったため何とはなしに自ら足を運んだのだが、思いのほか話に花が咲いてしまった。隠していたつもりはないが今まで話す機会のなかった昔話もできて羽黒自身存外楽しめた。

「予定って?」

「ちょいと梓と竜胆と飯食いにな」

「おお、それは呼び止めてスマンかったのう」

「いやいや、俺も長居しちまった。じゃあな」

 軽く手を振り、席を立つ。

「またね! 梓に今度は私ともご飯行こうって伝えて!」

「あいよー」

 振り返りながら小さく頷き、羽黒は次元の狭間を後にした。

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