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051:花嫁・おめかし・ペスト医師

「今日から高等部です! 改めてよろしくです、陽菜!」

「…………うん……よろしくはいいんだけど…………」

 四月。

 年度と学年、さらに今年は校舎も移ったことで多少の緊張感と共に教室の隅の自分の席に腰かけていた神楽坂陽菜は、いつも通りの眩しい笑顔で挨拶してきた白銀紫に首を捻る。

「…………なんで……中等部の制服着てるの…………?」

 紫は、数週間前の卒業式が最後の着る機会とされていた黒色のセーラー服のまま堂々と高等部の教室にやって来ていた。他のクラスメイトも月波学園中等部から昇ってきた面々だけでなく、高等部から新たに月波学園にやって来た一部の者は「なんでここに中学生が?」と困惑している。

 家庭の事情、ということは聞いたことはない。確かに紫は数ヶ月前まで両親が()()ではあったが、どちらかというと裕福……というか破天荒な経済環境のはず。幼少期に貧乏神として覚醒してしまった陽菜と違い、高等部の制服を新品で買い揃えるお金がなかったということはないはずだ(ちなみに陽菜は卒業した知人からお古の制服を譲ってもらった)。

「ふっ……紫は宵闇より出ずる吸血鬼の血を引く者。白き清浄なる衣よりも、幾重にも誓約の科せられたこの重き黒衣の方がより力が馴染むのです」

「…………つまり……魔導具化したセーラー服を着変えるのが勿体ないと…………」

「あ、はい。そういうことです」

「…………そう言えば……去年も夏服着てなかったね……なんでそっち冬服(そっち)を魔導具化しちゃったの…………」

「冬に夏服着たら寒いじゃないですか」

「…………夏に冬服着るのは暑いんじゃ…………?」

「そこは耐暑魔術組み込んでもらってるです。むしろ腕全体が冷えて涼しいですよ? 長袖ならお肌も焼けないですしね」

 あとまあ、と紫は頬を指先で掻きながら苦笑を浮かべる。

「紫、最近白い服着るの、ちょっと苦手で」

「…………? ……そう言えば……私服でおめかしする時も……最近は白い服着ないね…………」

 以前、中等部一年の頃は今は別クラスにいる旭咲と共に遊びに行く時は白い服も普通に来ていた記憶があるが、ここ最近は確かにとんと見かけない。一体どういう心情の変化があったのかと問おうとしたところで、教室の扉ががらりと大きな音を立てて開かれた。

「はいはい自分の席に着きなさい新一年生共! 入学式前、高等部最初のホームルームの時間だよ!」

 入ってきたのはビシッとスーツを着込んだ女性教師。ろくろ首らしく、自己紹介のつもりなのか必要以上に首だけを伸ばしてぐるりと教室を一周させた。高等部から入ってきた者たちはそれに「ひえっ!?」と小さな悲鳴を上げていた。

「じゃあ陽菜、また後で!」

「…………うん……また後で…………」

 手を振って陽菜の机から離れていく紫。その黒髪が靡く背中を何となく見つめながら、陽菜は小さく首を傾げた。


 結局、彼女が白服を着なくなった理由はこの後も聞く機会はなかった。



          * * *



 今でも、たまに夢を見る。



          * * *



「バイタルに異常が出ている者はいるか!?」

「壱番から伍番、全40名異常ありません!」

「陸番から拾漆番に魔力欠乏の症状が出ている者を集めています!」

「伍番までの奴らに気付け魔術をぶち込んで叩き起こせ! 歩けるようなら別棟に自力で移動させろ! 補給用の魔石の備蓄は!?」

「拾漆番まで配置済みです!」

「毎秒50で少しずつ流し込め! 拒絶反応の予兆があれば即座に停止し、再度魔力波長を確認しろ!」


 怒号が飛び交う瀧宮屋敷。

 そこで自分はふらりふらりと、あてどもなく歩き回る。

 何度も何度も、意味もなく病室代わりの客間を覗き込む。

 そのたびに回復したり逆に症状が悪化したりで顔ぶれは変わるが、自分が探す二人はどこにも見当たらない。

 ふらふらと、ふらふらと、彷徨い歩く。


「先生! 特壱番の部屋の赤髪の女性が目を覚ましました! 魔力は枯渇状態ですが意識正常、会話もできる状態です!」

「分かった、すぐに行く!」


 ふと、そんな声が聞こえた。

 極限まで生気を低下させ、気配を殺して後を追う。


「何があったか、教えていただけますか」

「……はい」


 耳を傾ける。


「作戦は、成功したはずなんです。暴走状態の龍はアズサによって討伐されて、目論見通り核になっていたハクロおじさんだけ残して消滅しました」


「でも……その瞬間、どこかからか撃たれた魔術? 魔法? ……分からないけど、とにかく羽黒さんが撃たれたんです」


「見るからに、即死でした」


「そしたら、モミジが……白い、吸血鬼が……暴走、して……! ハクロおじさんを撃った奴を喰い殺して……その余波でみんな、魔力を根こそぎ吸い尽くされて……それで、目が覚めたらここに……」


 声が途切れ途切れになる。

 赤髪の女性の意識が薄れていったのか、自分の耳がおかしくなったのか、わからない。


 気付くと自分はまた屋敷を彷徨っていた。


 死んだ?


 パパが死んだ?


 悪い冗談だ。

 あのパパが死ぬわけがない。

 ちょっとトラブルがあっただけだ。

 すぐにでも帰ってきて、自分をぎゅうっと抱きしめてくれるはず。


 いつものように。

 いつものように。

 いつものように。


 ……結局、その「いつも」は来ることはなかった。


 屋敷は数日間、もしかしたら数週間、ずっと上へ下への大騒ぎだった。

 一度は回復した者も再び意識が混濁し、魔力が枯渇して倒れた。


 今なお魔力を吸われ続けているかのように。

 徴収され続けているかのように。

 喰われ続けているかのように。


 やめて、と願う。


 ママ、やめて。

 みんなの命を喰べないで。


 願っても願っても、祈っても祈っても――止まることはなかった。


 そうして彷徨うだけだった足取りは、いつしか逃げる駆け足へと変わった。

 しかしどこか遠くへ逃げ出すだけの勇気もなく。

 屋敷の隅、もう誰も使っていない埃に塗れた納戸へと逃げ込んだ。

 中は思っていたよりも整理され、小柄な小娘一人が膝を抱えるのには十分すぎる広さがあった。

 だが、それすらも許されていないのか――納戸を開けると、先客と目が合った。

 ……正確には、相手の目は見えなかったが。


「十二月二十八日水曜日、午後四時二十八分。父親の死亡と母親の狂乱による世界の()()に耐え切れなくなり、屋敷の端の納戸に逃げ込む……。ふふ……ワタシの予想通り」


 ()()は、スリーサイズは大きなパーカーを羽織ってフードを目深に被った女だった。シャツの胸元のボタンを外して豊満な胸の谷間をさらけ出し、短いスカートで脚を組む姿は男ならば視線に困るところだろうが、生憎と自分は女だし、スタイルの爆発した女性というものは母親で見慣れていた。


「……誰ですか」

「ワタシ? ふふ……ワタシは九段(くだん)人丑(じんちゅう)九段。見ての通り、占い師よ」


 古びた納戸の奥で、どこから持ち込んだのか塵一つついていない豪奢な椅子に腰かけ水晶玉を撫でるその姿は、なんだかひどく滑稽に見えたのを覚えている。


「最近の占い師は人の家の納戸で勝手に開業するんですか?」

「ふふ……。お嬢ちゃんがそのような皮肉を口にするのをワタシはオギャアと生まれた瞬間から知っていたわ」

「…………」


 その時ふと、両親の知人から聞いた話が脳裏をよぎった。


「……思い出したです。人丑九段。月波学園七不思議の一つです。ふらりと学園に湧き出ては厄介な予言を残して消える、性悪件の兄妹です」

「ふふ……。少し、惜しいわね。予言を残すのは兄さんの方。ワタシはその予言に対する解決策を告げる妹の方よ」

「……解決策。それなら、真奈さんの前にあなたが現れたのはどうしてです? 真奈さんは貴女のお兄さんには会ったことがないと言っていたです」

「ふふ……。ああ、あの眼鏡の女の子に授けた解決策のことを言っているのかしら? ええ、確かにあの子は兄さんから予言は受けていないわ。でも()()()()()()()が、ワタシの兄さんから予言を受けているわ。『もうすぐ歩道橋の上からあなたの妹さんが転落して亡くなる』という予言をね」

「…………」

「ふふ……。結局、彼はワタシのところに解決策を聞きに来る前にあの子のところに自力で辿り着き、彼女を庇って亡くなったのだけれども」

「……サイアク」


 聞いていたより、よっぽど性格が悪い。

 思わず吐き捨てた言葉に、しかし件の女は笑みを崩さなかった。


「ふふ……。結局ワタシは彼に授けるはずだった解決策を抱えたまま現世に留まることとなってしまったから、仕方がなくあの子の前に現れて()()()()()()()()を示したのだけれど」

「進むべき道? そのせいで、真奈さんは悪魔を召喚してしまったって聞いたです……!」

「あら、ご機嫌斜めね? 彼女がこの街で事件を起こしたからこそ、あなたのお父さんはこの街に帰ってきて、今のあなたがいるというのに」

「え?」

「ふふ……。少し喋りすぎたわね」


 件は笑いながら手持無沙汰に水晶玉を撫でた。


「それで、何の用です。まさかどこかの誰かが受け取り損ねた予言の解決策を押し付けるつもりですか?」

「当たらずとも、遠からずかしら。ワタシは……ワタシたちはね、お嬢ちゃん。あなたにお礼を言いに来たのよ」

「お礼?」


 予想外の単語に、思わず聞き返してしまう。

 それが何故か嬉しかったのか、件はさらに言葉を続ける。


「ふふ……。そう、お礼よ! あなたのお母さんのおかげで、あの我儘小僧(イレギュラー)をこの世界から排除することができた! ああ、これで、これでようやく、ゆるりと正常に世界は循環(まわ)る!」

「なに、を……言って……?」

「おっと、ふふ……。思わずはしゃいでしまったわ。気にしないで、お嬢ちゃん。こちらのお話。ただお嬢ちゃんのお母さんにはとても感謝しているというだけのお話。ただまあ……そうね、今起きている事態については、ワタシたちも少々予想外だったと言わざるを得ないわね」

「何か知っているんですか!?」


 件の言葉に思わず食って掛かる。

 詰め寄ると、件はにこりと笑みを浮かべて手のひらで自分を押しとどめた。


「厳密には、ワタシには何が起きているか分からないわ。何せ過去のワタシはこの瞬間の運命を『観る』ことができなかった。ふふ……。あなたのお母さんはあの場にいた人たちの魔力だけでなく、ワタシたちの『運命観』すら喰べ尽くしてしまったみたいね。けれど、作戦から戻ってきた人たちの運命の断片から読み取る限り、相当厄介なことになっているのは間違いないわねね」


 そう口にした件は、一瞬前までのひとを食ったような調子はなりを潜めていた。


 すう、と大きく息を吸う。

 納戸の埃っぽい黴臭い空気に少しだけむせたが、視線は件から外さずにいた。


「……教えてください。何が起きているのかを」


「それはこの俺も聞きたいところだな」


 背後から声がかかる。

 目の前の件に集中していたとは言え、声を聞く寸前まで気付かなかった。


「――ッ!?」

「あらあら。ふふ……。懐かしい坊やの登場ね」


 振り向くと、そこに立っていたのはくたびれた白衣をまとった痩せた青年だった。

 目の下に濃い隈ができ、顔色も悪く今にも卒倒しそうだった。

 確か、叔母にあたる瀧宮白羽の生体管理を担当する錬金術師――工藤快斗。


「懐かしい? はっ、この俺と貴様は初対面だったはずだが?」

「あら、そうだったわね。あなたに会ったのは兄さんの方だったかしら。元気そうで何よりね」

「貴様らが押し付けた()()のせいで今日も元気に不眠症だ」

「その代わり、延々と湧き続ける知識欲は満たしてくれているでしょう?」

「はっ、この無限の知識欲はこの石ころのせいだろう。……いや、それはひとまず今はいい。今すべきことはこんな内容のない問答じゃない」


 言いながら、快斗は納戸の扉を閉めながら中に入る。

 一瞬手元も見えないほど暗くなったが、すぐに鬼の瞳に切り替えて暗視する。

 快斗は扉に背を預け、件がどこかに消えないよう退路を塞ぎながら再度問う。


「今起きていることについて知っていることを全て吐け。くだらない言葉遊びも不要だ。この俺は無駄が嫌いだ」

「ふふ……。残念だけれど、今起きていることについてはあなたが把握していること以上のことはワタシも知らないわ。なにせワタシは運命を観ることしかできないのに、この瞬間の運命は喰い荒らされてしまっているもの。あなたの()()()()()の方がよっぽど状況は分かっているはずよ」

「ちっ。……まあいい。それならすべきことだけ吐け。一言で、簡潔に」


 そう問うと、件は静かに口を開く。


「白銀もみじだったモノの封印」


「……ッ!!」

「ちっ。……やはりそれしかないか」

「ええ。あの世とこの世の境目にて、瀧宮羽黒の死亡により狂乱状態で復活してしまったあの白き吸血鬼はそう遠くないうちに現世だけでなく冥府をも喰い尽くす。被害はこの世界だけに留まらないでしょう。放置すれば、無限に広がる各次空の世界も喰われていって、最後には何もなくなってしまうわ」

「それは予言か?」


 快斗は尋ねる。

 件は、首を横に振った。


「いいえ。これは予言ではなく自明の理」

「ならば白銀もみじを封じれば総てが丸く収まるんだな」

「ええ。総て、解決するでしょう。世界の侵喰は食い止められ、外れかけた世界の循環も正しい方向へと戻る」

「それだけか?」

「え?」


 快斗の返す問いに、件は首を傾げる。


「それだけ、とは?」

「ここに、父親が死に、母親が狂って世界を蝕む癌となってしまった小娘がいるわけだが――()()()()()()()()()()()()んだな、と聞いている」

「――っ!」


 その言葉に、息を呑む。

 そして件はゆっくりと、頷いたのだった。


「ふふ……。ええ、解決します」


 件の口元が、にこりと持ち上がる。


「そのことを伝えに、解決策(ワタシ)予言(兄さん)に先んじてここに来たのです。ふふ……。こんな件の本懐から外れたことは、ワタシもオギャアと生まれて初めてです」



          * * *



 現世と冥府の次元の狭間を、紫は駆けた。

 普段であれば縦横無尽に吹き続ける魔力風により、死神や鬼狩りのように専門の術や道を持たない者はあっという間に吹き飛ばされ、どことも知れない次空間へと落ちてしまう。

 しかしこの時だけは、瀧宮羽黒ぶっ殺大会のために多少険しい山道程度には整備されていた。


 とは言え、全くのノーリスクではない。


 狭間を伸びる道の中間地点に聳える巨城からとめどなく瘴気が溢れ出ていた。

 それもただの瘴気ではない。触れた者、吸い込んだものを蝕み喰らう、魔王の瘴気だ。

 紫がそんな瘴気の中で平気でいられるのは、自身の中に半分流れる血が瘴気の出処と根源を同じであることと、快斗から渡されたペスト医師のマスクを模した魔導具による。そのデザインに紫はそんな場合ではないのに一瞬そわっとしたのだが、それを察知した快斗に「この形は病瘴を防ぐ魔術的意味があるからこうなっている」と窘められてしまった。


 そしてもう一つ、右手に引っ提げているのは刃渡りだけで二メートルを超える、この世の闇を搔き集めて煮詰めたような漆黒の大太刀。


 妖刀【龍堕(リュウオトシ)】――瀧宮羽黒が龍を殺すためだけに打った、異形にして偉業の刃。

 そしてそこに封じられているのは、製作者である瀧宮羽黒の魂そのもの。


 本来この大太刀は龍化し、暴走した瀧宮羽黒の龍鱗を滅するために梓に託されていた。

 しかしその梓が白銀もみじの狂乱に巻き込まれ、未だに目覚めないため瀧宮家当主たる白羽の一時預かりとなっていた。

 そしてその白羽もまた、ここ数日の過労によりついに倒れてしまった――という体で、彼女の肉体を管理している快斗が強制的に機能停止させることで家の者の目を盗んで強奪してきたものだ。


 これから紫がやろうとしていることは、瀧宮家の者に知られてはいけない。

 知られたら、絶対に止められる。


 しかしこれは紫にしかできない。

 白銀もみじの瘴気に耐えうる血を持ち、瀧宮羽黒の刃を振るうことができる魂を宿す、紫にしか。


 紫は駆ける。


 駆けて、駆けて、そうして――ようやく辿り着く。


 この狭間の地において物理的な距離というものがどれほど意味があるかは分からないが、その城は遠くから見えていたよりもはるかに巨大だった。

 窓一つとっても紫の背丈の倍ほどもあり、門に至っては民家が丸まる一つすっぽり出入りさせることができそうな大きさがあった。

 しかし目を見張るべきは、大きさではない。


 白銀色の光沢を放つ巨大な城にべったりとこびり付いた赤い汚れに、紫は思わずマスクの口元を手で覆った。


 それは白銀もみじが今なお啜り続ける命の滴。

 しかもそれらはズルズルと音を立てながら()()()()と滴り続けている。

「はあ…………ふう」

 大きく息を吸い込み、吐き出す。

 マスク越しとは言え僅かばかりに肺に侵入してくる瘴気を、心地よく感じてしまうのは、己に流れる鬼の血に所以するのか。

 紫は開いた左手で巨大な門に触れ、ゆっくりと押す。

 その大きさからは想像もできない、羽のような軽い感触に多少拍子抜けする。見た目ほどの重量がないのか、無意識のうちに龍の腕力を解放させてしまっていたのか、それとも城の主が受け入れてくれたのか。

 ともかく、紫は血濡れの城へと足を踏み入れた。


 中もまた、外観同様の白銀色の柱と石壁の造りになっていた。

 そして当然のようにべっとりと血に塗れており、鼻を覆いたくなるような鉄臭さがマスク越しにも伝わってきた。


 これほどの大きな城だ。城内も複雑な迷宮になっているかもしれないと覚悟していたのだが、扉の類は一つも見当たらない。代わりに吹き抜けの城内に一本、上へと続く螺旋階段が伸びているだけだ。

 空っぽの城。

 ただ巨大なだけの、見せかけの城。

 灯台のような構造と言えば聞こえはいいが、これはどちらかと言えば、城の主の悲哀と憤激で膨れ上がってしまった張りぼてのように感じた。


 右手の大太刀を握り直し、紫は螺旋階段を駆け上がる。


 行く手を遮る物すらない。


 ただただ紫は最上層を目指し続けた。


「…………」


 一体どれほど駆け続けたか。

 半龍半鬼の身でさえ息が切れるほどの高さを登り、正面の門を潜ってからようやく二つ目の扉が目の前に現れた。

 息を整えることも忘れ、紫は扉に手をかける。

「んっ……くぅっ!?」

 門とは対照的に、尋常ではない重量が左腕に返ってくる。

 はっきりとした拒絶の意思。

 そうして気付く。最初の門は紫を受け入れたからではなく、獲物を城内に、口内に誘い込むために過ぎなかったのだ。喰らったはずの獲物が咀嚼もされず、消化もされず、腹の奥へ奥へと這入ってきたのだから、拒絶するのは当然か。

「入れて……! 中に入れてよ、ママ!!」

 頑として動かない扉に痺れを切らし、右手に持った大太刀を振りかぶり、横薙ぎにする。

 するとガシャン! と大きな音を立て、扉が両断された。

 殴ってもびくともしなそうな扉だったはず。しかし瀧宮羽黒の魂が宿る大太刀は、紙切れか何かのように受け入れた。

 その事実に紫は唇を噛む。

 自分では駄目なのか。娘の自分では、母に近付くこともできないのか。

「…………」

 再び、大きく息を吸う。

 大丈夫だ。

 愛されていないなど、決してない。

 ただそれが白銀もみじの在り様なのだ。瀧宮羽黒が存在してこその白銀もみじだ。瀧宮羽黒と白銀もみじがあってこそ、自分がいるのと同じように。その根底が崩れてしまったから、紫のことも見えなくなってしまっているだけだ。

 それを取り戻すために、ここに来たんだ。

「…………」

 大きく、息を吐き出す。

 切り裂かれて瓦礫と化した扉を潜り抜け、紫は中へと踏み入れる。



          * * *



 血に塗れていなければ、荘厳で見る者を圧倒するような広間だった。

 柱の一本一本に豪奢な装飾が彫り込まれ、見上げるほどの天井からぶら下がるシャンデリアは圧巻の一言だった。

 それはさながら城主と謁見するためだけの空間。


 しかしそこにあったのは玉座ではなく――一つの、断頭台。


 そこに腰かけるように、()()はいた。


 花嫁衣裳のような白いドレスに身を包んだ人ならざる存在。

 白銀の長い髪の毛は毛先に行くほど赤い血に染まり、それでもなお妖しく輝いている。双眸は血よりも赤く、赤よりも紅く淀み、視線の先が分からないほど濁りきっていた。


 そして何よりも異様なのが、口元から伸びる長く鋭い二対の牙が、彼女が抱きかかえる黒髪の男の首筋に、深く、深く、突き刺さっていた。


「マ……マ? ……あっ」

 ここまで紫を守ってきたマスクが広間の瘴気に耐え切れなくなり、ついにごとりと床に落ちる。

 しばし転がると端の方からボロボロと崩れていき、そうして瞬く間に一欠けらも残さず喰われた。

 その瞬間、遮る物がなくなった紫の体内に瘴気が侵入する。

「くっ……!?」

 体内の魔力循環を意識し、瘴気の吸収に抵抗する。

 幸い、己の血によって即死することはなかった。しかしそれも時間の問題だった。

「ママ!!」

 呼びかける。

 しかし、ソレはピクリとも動かない。変わらず、男の首筋に牙を突きつけ続けている。

「ママ、もうやめるです! 帰ろう! 帰って、パパをちゃんと眠らせてあげよう?」

 動かない。

 否。

 ずるりと、ソレの周囲の血が色濃くなって立体的に盛り上がり始めた。

「くっ……!?」

 後ろに飛び退る。

 瞬間、数瞬前まで紫が立っていた場所に無数の血の刃が突き刺さった。

 しかしそれで終わらない。

 床を穿った刃一つ一つが再び異様な速度で飛び交い、次々と紫目掛けて飛来する。

「くぅ、あぁっ!?」

 一つ、刃が肩口を抉る。

 傷口からさらに体内へ侵入し貪り喰おうとする刃を自身の血を以って逆に喰い返し、そのまま傷を塞ぐ。

 掠り傷一つで消耗が大きい。止むを得ず一度鬼の血を鎮静化させて逆に龍の力を活性化させることで防御に徹する。

「がっ、ふ……!?」

 しかし今度は無防備になった血に肺を介して全身に瘴気が回り始める。じわじわと内側から蝕まれていく感触が止まらない。

「時間が、ない……! 躊躇している場合じゃない……!」

 血の刃を龍鱗で弾きながら両手で大太刀を構える。

 幸い、アレ自体は動く気配がない。

 ただの案山子、木偶人形同然だった。


「あぁあああああっ!!」


 両手と両足に龍鱗を集中させ、石畳が割れるほど踏み込む。

 大太刀の柄が軋むほど強く握り、刃が唸り声をあげる。


 駆ける。

 駆ける。

 駆ける。

 血の刃が雨のように飛び交う中、ひたすらに駆ける。


「あぁああああああああああああぁっ!!」


 一度大きく肘を後ろに引き、全力を以って突き出す。


 ――瀧宮流対人剣術〈一想い〉


 漆黒の刃が黒衣の男ごと白き鬼の胸へと吸い込まれ、貫く。


()()! ()()()!!」


 叫ぶ。

 すると紫の握っていた柄から()()()、と『黒』が抜ける。

『黒』は柄から刃へと押し出されるように、煮詰まった闇をさらに凝縮するように刃を黒くしていく。


 パキン


 場違いなほど、軽い金属音が響く。

「……っ!」

 折れた。

 黒き大太刀の半ばから先、凝縮された切っ先が、ぽっきりと。

 そして――白き鬼が抱きかかえていた黒衣の男の肉体が魔力となり、崩壊を始める。

「パパ……!」

 闇より深い水底のような黒い魔力は霧散することなく、ぐるりと鬼の周囲を漂う。


「ぁ……」


 鬼が、初めて動く。

 紅く濁った瞳を上げ、首筋に噛みついたままの半開きの口から吐息が零れた。

 そして次の瞬間――黒い魔力が鬼を優しく包み込む。


「…………。あぁ……そこに、いたのですね……」


 鬼が――白銀もみじが、微笑む。

 静かに瞳を伏せると、黒い魔力が棺桶のような形に寄せ集まっていく。

 それと同時に血に塗れた白銀の巨城も霧散し、棺桶の中へと吸い込まれるように消えていった。


「……おやすみなさい。パパ、ママ」


 白い荒野と黒い空だけが広がる狭間の地に残ったのは、半ばで折れた黒い刃の刺さった棺桶と、一人の少女だけだった。



           * * *



 その後、次元の狭間から棺桶を引っ張りながら帰還した紫は、今回の作戦に関わった全員を巡り、頭を下げた。


「このたびはパパとママがご迷惑をおかけしました。責任をとって、この通りママを封じました。申し訳ありませんでした」


 ただそれだけ伝えて回った。

 白羽にも、梓にも、その他瀧宮家の関係者にも一様にそれだけを。

 真相を知る者は、紫の他には工藤快斗と人丑九段だけ。


 あとはひたすら噂が出回るのを待った。

 幸いにしてあの作戦に参加した者は数だけは多く、界隈に広まるのはあっという間だった。

 瀧宮羽黒の魂の行方についてもひた隠しにしたことも結果としてはプラスだった。何もしなくても「本当に死んだのか?」と新たな噂が生まれるのにさほど時間はかからなかった。


 街談巷説、道聴塗説。


 噂は噂を生み、噂は次第に都市伝説へ、怪談へと成長していく。


 そうして怪談からは――怪異が生まれる。


 後はとても簡単だった。

 白羽に事の真相を伝えて各地で発生した瀧宮羽黒の残滓を寄せ集め、空っぽになった大太刀の柄を用いて()()()()()怪異を形作る。さらに瀧宮羽黒本人の魂が眠る大太刀の切っ先と同化させれば、『瀧宮羽黒』という怪異の完成だ。

 同時に封印していた白銀もみじも解き放てば元通り。

 多少の混乱はあった物の、いつも通りの日常が戻ってきた。


 いつも通り。

 いつも通り。

 いつも通り。


 ただ一つ、以前と違う点があるとすれば、今でもたまに夢で見てしまうあの光景――血濡れの巨城の大広間の母だった白き鬼の姿が脳裏を離れず、白い服を着ることに抵抗を感じるようになったことか。

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