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050:ソロキャンプ・とんかつ・トースター

 とある山中の湖畔に、一つの小さなテントが置かれていた。

 湖からは深い霧が立ち上り、視界は50メートル先も見えない。さらに周囲には湖畔へと続く道のようなものはなく、藪や茨が生い茂っている。テントの周囲だけ綺麗に除草されているが、どうやってそこまで辿り着いたのか経路が一切不明だった。

「ふんふーん♪」

 そんなテントの近くに折りたたみ椅子を持ち込み、鼻歌混じりにガスコンロの準備をする黒ずくめの男が一人。左頬を奔る火傷のような一文字の横傷、さらにその上から硬質なものにより抉られたかのような歪な縦傷が交わっている。ついでとばかりに右目の上にも火傷の跡が歪に広がっている。

 見るからに堅気の雰囲気ではなく、近寄りがたい空気をまとっているがそもそも周囲に人影は皆無。男は上機嫌にカチャカチャと鞄を漁る。

 まず取り出したのはホットサンドメーカー。そこに麓のスーパーマーケットの総菜コーナーから買ってきたとんかつを挟み、軽く炙りつつ温める。両端は入りきらなかったためそのまま口に放り込んだが、冷めたとんかつはそれはそれで美味い。

 いい具合に油が染み出しつつ温まったところで厚切りの食パンを一枚挟み、ひっくり返す。一度開いたら付属のとんかつソースを塗りたくり、その上にこれまたスーパーで売っていた袋詰めの刻みキャベツをギリギリまで盛り上げる。割高だが、こういう場所でキャベツ丸ごと切る手間を考えれば楽でいい。

 山盛りのキャベツの上からもう一枚食パンを乗せ、中身がこぼれないよう慎重に蓋を押し付ける。

 その後具合を見ながら何度かひっくり返しつつ焼き色を付ければ完成だ。

「おお、いい色」

 トースターではなかなかできない、ぎゅうぎゅうに圧縮しながら焼かれたパンの均一な焼き色に男は満足げに頷く。

「さーて、冷めないうちに」

 火から下ろしたばかりで湯気が昇るホットサンドを指先でつまみ、がぶりと齧る。

 ざくりという心地よい音と共に香ばしいパンとジューシーなとんかつの旨味が口いっぱいに広がる。間に挟んだキャベツも完全に火が通り切っていない部分がシャキシャキとしていいアクセントになっている。

「いいな、これ。普通に家で作っても良さそうだな」


「お、いいもの食べてんねぇ」


 と、男以外誰もいないはずのキャンプ地に背後から声がかかる。

 ともすれば心臓が縮み上がるような状況に、男は全く驚いた様子を見せずに「はあ」と大きくため息をする。

「知らんのか。ソロキャンプ中に声をかけるのは法律により禁止されている」

「そうなの!? おっさんが日本離れてる間にそんな法律が!?」

「最高で30年以下の懲役だ」

「おっも!? 何その蛮法!?」

 男の軽口にツッコミを挟みながら、声の主はテントの脇に置かれていたもう一つの折りたたみ椅子を引っ張り出し、勝手に広げて隣に腰かけた。

「お久。こうして直接面を向って会うのはもう何年ぶりだろうね、羽黒青年。いや、羽黒おっさん」

「老けたなあ、あんた。おっさんというかもうジジイじゃねえか」

 声をかけてきたのは和風の意匠が施されたローブの男。髪は魔術師らしく黒く綺麗に整えられてはいるが、口の周りの無精ひげには白いものが混じっている。よく見ると目元や口元の皺も記憶よりも深く、数も増えていた。

 ジジイ――秋幡辰久はブウと年甲斐もなく口を尖らせながら文句を垂れる。

「そりゃお互い様! そっちは皺だけじゃなく傷増えて余計人相悪くなってんじゃん!」

「おかげで仕事がしやすい。顔の覚えも良くなったしな」

「この世界に君を知らない魔術師がどれほどいるかねぇ……」

 辰久が肩を竦めると、男――羽黒はホットサンドからはみ出たソースで汚れた指先を舐めながら軽薄に笑う。

「意外と若い世代は知らない奴らも多いぜ? 都市伝説だと思ってる連中もいたりな」

「うわ、本格的に怪談じみてきたなあ、君」

「そんで、何の用だ?」

 態度には一欠けらも出さなかったが、この場所で辰久と出くわすのは羽黒としても予想外であった。ここ最近では辰久直々の依頼というのもなく、最低限のやり取りしか交わしてこなかった。いきなりアポなしで出向いてくるような用があるとは、流石に身構えざるを得ない。

 そんな羽黒の思考を察したのか、辰久は「ああ、違う違う」と首を横に振った。

「確かに君に用はあったけど、そんな深刻なものじゃぁない。ちょっと個人的に挨拶しとこうと思ってね」

「挨拶? ガラでもねえな」

 意外な言葉に羽黒は首を捻る。

 お互い出会ってから今まで、利用したり協力したり出し抜き合ったり色々あったが、単に言葉を交わすためだけに会うことなどなかった。

「うん、まあ自分でもらしくないなとは思ってるさ。でもまあ、ほら、おっさんもいい歳だからさ。動けるうちに会って話しときたい相手もいるわけよ」

「…………」

「おっさんは戦乙女との契約もあってこの世界の冥府には行けないし、ヘキセン魔道学会のおばあちゃんみたいに寿命弄るのも、それこそらしくないなあって。だから魔術界隈で曖昧になりつつある『お別れ』がおっさんの場合本当に『お別れ』になっちゃうんだぁね」

「はん」

 羽黒は鼻で笑った。

「終活とは、本当にらしくねえな。どうせアンタのことだ、神界(あっち)行ったところでラグナロクだろうが大洪水だろうがしれっと生き残るに決まってる。賭けてもいい」

「買い被りすぎだぁよ」

「それにこっちはお陰様でめでたく人間卒業しちまったからな。なんもやることなくなったら酒持って話でも聞きに行くわ」

「しれっと超上位世界である神界への電撃訪問予告するなあ。それこそ戦乙女とか、冥府の役職じゃない本当の『天使』しか出入りできない世界なんだけど……君なら、いつか本当にふらっと遊びに来そうだ」

「なんならアンタの契約してるでかい狼連れていこうか」

「フェンリル連れて神界来るのはやめてくれない!? ラグナロク起きちゃう!? ……あれ、まさかラグナロクに攻め入ってくる巨蛇(ヨルムンガンド)って君のことじゃないよね!?」

「さあどうだか」

 軽口をたたき合いながら、何ともなしに湖の沖を見つめる。

 すると俄かに霧が濃くなり始め、どこからともなく「リーン」と甲高い金属音が鳴り響いた。

「……何の音だい?」

「ようやくお出ましだ」

 リーン、と再び音がする。

 先ほどよりもはっきりと辰久の耳にも届く。

「これはおりん? 何だってこんな湖に?」

「そっちじゃねえ、反対だ」

 きょろきょろと湖を見渡していた辰久の肩を叩き、振り向かせる。

 見ると、山裾の奥の方からボウっと薄暗い人影が歩み寄ってくるのが見えた。

 その数――七人。

「まさか、七人岬か?」

「ああ。常に七人で行動する悪霊集団。一人取り殺すと一人が入れ替わりに成仏できるってアレだ」

「ちょっと待って、なんでこんな近付くまでおっさんの探知に引っかからなかったんだ?」

「せっかくの獲物だ。絶対に逃がさないためにギリギリに近付くまで極限隠密するに決まってんだろ」

「獲物っておっさんのこと!?」

「本当は俺が囮だったんだが、あんたの桁違いの魔力ならさぞや美味しそうに見えるだろうな。ほら見ろ、連中我慢できずにダッシュで近寄って来たぞ」

「うわキモ!? 山伏姿の骸骨がめっちゃ綺麗なフォームで走ってくる!?」

 おりんを鳴らすことで自分たちの気配を遮断しする特性でもあったのだろうが、流石に羽黒や辰久が相手では完全に殺しきれずに音が漏れてしまったようだ。そして気付かれてしまったのならば話は早いと、七人岬はものすごい速度で呪詛を撒き散らしながら走ってきた。

「俺が左四人やるから、右三人は任せた、おじいちゃん」

「やれやれ、こんなつもりじゃなかったんだけどなあ。……まだまだ現役だぁよ、おっさんが四人やる」

「んじゃあ、最後の一人をどっちがやるか競争しようぜ。勝った方が今日の飲み代な!」

「乗った!」

 羽黒は右腕の龍の爪を解放し駆け出し、辰久はその背後から追うように即座に魔方陣を展開し魔術を放つ。


 ……その湖畔周辺の集落を騒がせていた亡霊騒ぎは、ものの五分足らずで跡形もなく消し飛ぶこととなった。

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