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049:神ボイス・鬼の棍棒・不死身のトカゲ

 雑貨屋WINGの事務所に新しく置かれた自分専用の机で学園の宿題をしていた紫は、突如鳴り響いた異音に思わず顔を上げた。


 ボキボキボキボキッ!!


「何事です!?」

「あ、ごめん」

 異音の発生源を見ると、裕が自分の首に手を当てていた。

「……すごい音したね」

「最近肩から首回りがちょっとねー」

 同じく凄まじい音に驚いて魔導具の調整作業を中断させた真奈が苦笑を浮かべる。対して社長席で書類整理をしていた羽黒は「はん」と鼻で笑いながら呆れた表情を浮かべた。

「肩こりとか、年取ったなお前も」

「そりゃもうアラウンドしたら三十路(サーティ)どころか四十路(フォーティ)ですよ。肩こりくらいなりますよ。狙撃待機中なんかは平気で三日とか同じ姿勢でじっとしてたりするんで」

「俺も五十路見えてきてるが不調はないぞ」

「そりゃ羽黒さんはそうでしょうけども!?」

 と、そこで裕はぐるりと事務所を見渡す。


 瀧宮羽黒→不死身の蜥蜴(人間じゃない)

 白銀もみじ→不死身の吸血鬼(人間じゃない)

 白銀紫→不死身の半龍半鬼(多分人間じゃない)

 朝倉真奈→ある意味不死身の悪魔混じり魔女(ほぼ人間じゃない)


「……そうか、ここに純正の人間って僕しかいないのか」

「紫はまだ人間のつもりですよ!?」

「肩こりの有無で人間かどうか判別するなら私も人間です」

「もみじさん……反応に困ります……」

 胸部の巨大な塊二つを腕で持ち上げるもみじに真奈が溜息混じりにツッコミを入れる。

 ともかく。

「そんなに肩こりが酷いなら紫が揉んであげましょうか?」

「……大丈夫? 僕、まだこれからも仕事続けたいんだけど」

「なんで肩もみで再起不能レベルのダメージ負う前提なんですか!? ちゃんと力加減するですよ!!」

「えー……」

「とにかくじっとしててください!」

 言いながら紫は裕の背後に回り、その両肩をむんずと鷲掴みにする。そしてそのまま揉み解すかと思って多少身構えていると、どういうわけか硬直して動かなくなった。

「……え?」

「紫ちゃん?」

「え? ……え? あの、ちょっと真奈さん、お願いしてみていいですか?」

「……わたし?」

「はい。ちょっと触ってみてください」

「う、うん……」

 何やら事態が呑めないが、紫は真奈を引っ張ってきて裕の肩に手を置かせる。

 そして真奈は裕の肩に触れた瞬間、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。

「い、岩……!?」

「は?」

「ですよね!? 全く指が入っていかないんですけど!?」

 右肩を真奈、左肩を紫が両手で握り潰さんばかりに力を籠める。しかしシャツの上からでも分かる頑強な岩石の如き肩のこり、というか筋肉に弾かれて全く揉み解すことができない。

「こ、こうなったら〈龍化装甲(ドラゴフォーム)〉で無理やり……!」

「いやそれ僕の肩がタダじゃすまなくなるやつ!?」

「でも……これは実際、それくらいのパワーがないと指が入らない気が……」

「ですよね!」

「やめて!」

 ぎゃーぎゃーわちゃわちゃとひとしきり戯れながら、裕の肩周りをつんつんと突きながらもみじが「あらあら」と苦笑を浮かべた。

「本当に硬いですね。これ、生活に支障は出ませんか?」

「今のところは特には」

「ですがあんまりひどいと無意識に体が歪む原因になりますからね。一度整体に行ってみてはいかがですか?」

「整体かあ。興味なくはないんですけどね、どこに行ったらいいか分からないというか」

 街中をぐるりと見渡すだけでその手の店はぽつぽつと二、三件見つかるが、多すぎて逆にどこに行けばいいのか判断しずらい。口コミもまばらでイマイチ参考にできない。

 そう言うともみじは「それでしたら」と自分の作業机からファイルを取り出し、中から名刺を一枚取り出した。

「このお店、私の知人がやってるんですがご紹介しましょうか? 初診は経費で落としますよ」

「え、いいんですか?」

「もちろんです。二回目以降通うかは受けてみてから決めてもらって結構です。オーナーは魔術界隈の知識にも精通していて、多少無茶な体構造のお客も診てくれると評判なんですよ。あとお隣に本格的な飲茶(ヤムチャ)を楽しめる中華系の喫茶店が併設されてて、そちらも有名ですね」

「へー、いいですね。帰りに一杯お茶してくるのもアリですね」

「いいなあ、ユッくん……」

 と、話を聞いていた真奈も羨ましそうに呟く。それを聞いたもみじはにっこりと笑みを浮かべた。

「真奈さんもご一緒にどうですか? 私も久々に行ってみたいですし」

「わ、いいんですか? ぜひお願いします……!」

「それでは今度の水曜の定休日に予約しましょうか。お二人ともご予定は?」

「今のとこないですね」

「……わたしもです!」

 楽しみだなあと真奈と言葉を交わしながら各々作業に戻った。そして裕はもみじから受け取った名刺をちらりと確認する。


 中国按摩 霧雨

 整体師 山崎雨桐(ユートン)


「……ん?」

 何やら聞いたことがある気がする名前だったが、思い出せなかった。



          * * *



「いらっしゃー……うげ」

 翌水曜日。

 もみじの案内で繁華街の片隅の雑居ビル二階にやって来た裕と真奈は、受付で接客スマイルを引きつらせた女性を見て「あ」と声を上げた。

「思い出した、中華料理研究会の留学生だ」

「確か、もみじさんとの生徒会選挙で負けた……(リー)雨桐さん」

「そんで卒業後に選挙で負けた恨みで学園祭で梓にやっかみ吹っ掛けてきた人だ」

「キシさんが残した激辛麻婆豆腐を梓ちゃんの責任にしようとして返り討ちに遭った……」

「雨桐さん、あなたそんなことしてたんですか?」

「うわあああああああああ!? 若気の至りだ!? そんな昔のこと掘りだしてくるなあああ!?」

 受付奥の衝立に半身隠しながらこちらを覗き込み、しゃー! と猫のように威嚇する雨桐。あの後は特にこれと言って絡みがなかったため知らなかったが、どうやら国には帰らず日本で結婚してマッサージ店を開いたらしい。

「うー……予約表見た時から嫌な予感したネ……白銀だけでなくあの時の後輩共まで一緒とは……!」

「いいから受付済ませてくださいよ」

「はいはい……。えーと、そっちの二人は初めてだからこっちの問診票ネ。白銀も、久々だからこっち書いといてネ」

 もみじに急かされ、雨桐はカウンターの下からボードとペンがセットになった問診票を差し出す。そして内容を確認しながら住所や連絡先を記入し、裕は肩と首のこり、真奈は目の疲れの項目にチェックを入れて返却した。

「どうぞ」

「はいな。二人は今日はとりあえず全身コースでいいわネ? 一通り揉んで様子見たいから」

「はい……お願いします」

「白銀はいつも通り上半身中心?」

「ええ、お願いします」

「それじゃあ白銀は1番の部屋で待ってて。朝倉サンは2番、穂波サンは3番でどうぞ」

「はい。……あの、着替えとかっていらないんですか?」

「ン? ああ、うちはオイル使うエステじゃないから不要ネ。普通に服の上から揉ませてもらうわ。まあ場所によっては女性には下着外してもらうこともあるけど、基本そのままで結構ネ。あ、ちなみにウチは整体師は女性だけだからご安心を」

「あの、僕結構凝り固まっちゃってるんで力強めの人が良いんですけど」

「ああ、そういうことならワタシが診るわネ。……佐々木さん! 1番お願いします!」

「はーい」

 三人の要望を聞き、てきぱきと回答する雨桐。さらに3番の部屋で待機していた整体師に指示を出して移動させると、裕たちをそれぞれの部屋へと案内した。

「よろしくお願いします」

「ハイハイ。靴脱いで、台の上でうつ伏せにお願いネ。顔をそこの穴に嵌める感じで」

 指示に従って処置台の上に横になる。さてどのような感じなのだろうと少しワクワクしながら待っていると、隣の部屋から何やら声が聞こえてきた。


「ふにゃぁぁぁぁああああ???」


「何事!?」

「ああ、お隣の2番の担当はゴッドフィンガー小室サンね。彼女の手にかかればCV変更になったかと思うほどの甘~い神ボイスが漏れ出てしまうネ」

「え、今の腰抜かした猫みたいな声、朝倉なの!?」

 二十年来の親友の聞いたことがない声に思わず動揺が走る。努めて聞かないよう自己暗示的に聴力を調整していると、「さて」と雨桐の指先が裕の肩に触れる。

「それじゃあこっちも始めるわネ」

「お、お手柔らかに……」

「フフフ、柔らかくなるのはアナタの肩――岩ッ!?」

 途中まで自信満々に蠱惑的な口調で囁いていた雨桐が驚愕の声を上げる。

「ナニこの岩みたいなコリ……!? イエ、岩というかもはや大地!?」

「大地!?」

「これは揉み解すというより開墾と言った方が正解なのでは!?」

「そんなレベル!?」

 わなわなと震えながら一度指を話す雨桐。その様子を横目で見ながら裕はごくりと唾を飲む。

「えっと、大丈夫ですか?」

「……ハッ!? い、イエ、問題ないわ! そっちがそのつもりならこっちにも考えがあるわ!」

「いえ、僕は別に何か企んでるわけじゃ……」

「この不毛の大地を開墾するためには相応の道具が必要ネ!!」

 そう言って雨桐は何やらポケットから鍵を取り出し、処置台の下にあったロック付きの箱をガチャガチャと漁る。いったい何事かと顔を上げて眺めていると――ずるり、と何かを取り出した。

 それは、パン屋が生地を捏ねる時に使う大きな麺棒に、鬼の棍棒のような突起がいくつも生えた恐ろしい見た目をしていた。

「何その拷問器具!?」

「当店オリジナルの按摩器具ネ。フッ……コレを使う日が再び来ようとは思わなかったネ……!」

「そんな伝説の武器みたいな扱いで封印されてたの!?」

「まずはこれを使って強引にでも解してやろうぞ!」

「発想が紫ちゃんと同じなんだけど!? ちょ、本当に大丈夫ですか!?」

「ええい、暴れるでない! 大人しく我が鬼棍荼毘の錆となれィ!」

「マッサージ器具についてちゃいけない呪具みたいな名前!? ちょ、ま、まだ心の準備ががががががががががががが!?!?!?」



     ―― 少々お待ちください ――



「はいな、全身コース完了。もう起きていいネ。調子はどう?」

「……気持良かったです……それに楽になりました……」

 肩を回しながら起き上がると、その可動域に驚愕する。今まで気付いていなかったが結構体が硬くなっていたんだなと改めて実感した。あんなに乱暴な処置だったのに。

 シャツの裾と襟を正しながら処置台に腰かけると、雨桐は先程の問診票に書き込みながら裕へ今後について忠告をする。

「とりあえずしばらくは問題ないと思うケド、このままだとまた一カ月もすると元に戻るわネ。本格的に治療するつもりなら医療機関に相談するのもおすすめネ」

「あー、そのレベルで歪んでるんですか」

「歪んでるというか、うーん……キミ、身体強化を常に使うクセがあるでしょ?」

「え?」

「自覚ナシ、と」

 雨桐の言葉に首を傾げると、彼女は溜息混じりにやれやれと首を振った。

「ともかく、今日触った感じだと身体強化を常時発動してるのヨ。多分幼少期からのクセなんでしょうね、それが原因で筋肉と骨の密度が常人離れしてるのヨ。キミの身長と体格に対して体重が重すぎるのも、それが原因ネ」

「あー、そういや、体格の割に重すぎるって言われたことあるかも」

「キミのような戦闘職の術者だとたまにいるのよネ。その中でも症状としては見たことないくらい飛び抜けてるケド。肩こりの原因は骨と筋肉の肥大化による関節と腱への過剰な負荷ネ。今までは若さでどうにかなってたけど、これまでの積み重ねが今になって出てきたって感じネ」

「どうにかする方法はあるんですか?」

 訊ねると、雨桐は難しい表情を浮かべる。

「身体強化のオンオフのメリハリをつけるようにすれば、後は老化によって数年もすれば健康な体構造に落ち着くネ。でもそれによって今ほどのパフォーマンスは発揮できなくなる可能性もあるから、仕事を今後も続けるなら対症療法しかないわネ」

「あー、それは少し困るなあ……」

 一応火里を一人育てるだけの蓄えはあるし、仕事においても今後は前線ではなく魔導具の調整をメインとした技術職にチェンジするという選択肢もある。とは言え今すぐに希望通りの配置換えがまかり通るほど人材に溢れているわけではない。何より裕自身、もう少し現場で動きたいというのも本音だ。

「まあ戦闘職に限らず、現場に出る者ならいつかは選択しなきゃいけない事ヨ? 今すぐどうこうってわけではないし、あと十年は今のままでも大丈夫でしょうケド、考えておきましょうってお話ネ」

「……分かりました」

「ほい、お大事に。しばらくすると揉み返しが起きるかもしれないから無理はしないようにネ。次回を考えてるなら気になる箇所を重点的にやるコースもあるから、そっちもおすすめネ」

「ありがとうございます」

 頭を下げ礼を口にして処置室を後にする。

 再会した時は以前のイメージから少々不安だったが、いざ仕事となるととても丁寧な按摩でこりも解れた。今後については裕も考えなければならないなとは改めて自覚したが、とりあえずまた辛くなったら来ようと心に決めた。

「お待たせしましたー」

「いえいえ。私も今終わったところです。どうでした?」

「すごい良かったです。僕もたまに通おうかなって……朝倉?」

「…………うん、また来ようね…………」

「…………」

 何やら表情をふにゃふにゃにしながらも顔色がつやつやになってる真奈を直視していいかどうか悩む裕だった。

「三人分の代金は既に支払い済みですし、それでは予定通りお隣でお茶してから解散しましょうか」

「あ、ありがとうございます! それじゃあ行きましょうか。……朝倉、立てる?」

「……ちょ、ちょっと肩貸して……」

 足腰の芯まで解きほぐされたかのような頼りない動作で裕ともみじの手を借りながら立ち上がる真奈。

 彼女が自力で立てるようになるまで回復したのは、雨桐仕込みの本場飲茶で一杯落ち着いてからのことだった。

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