047:ろくろ首・きさらぎ駅・肉まん
「突然ですが、今日から一人新しいメンバーがうちのクラスに加わることとなりました」
朝のホームルームで、月波学園高等部特進科の担任を務める玖木明日香が言葉通りの突然の発表をかました。
それに対してクラス中がざわざわとちょっとしたお祭り騒ぎとなる。今朝の時点で教室の端に見慣れない机がワンセット新たに置かれていたため「もしかして?」と話題にはなっていたのだが、まさか本当にそうだとは誰もが予想だにしなかった。
しかも中等部時代からアホの子で有名だった旭咲が驚異の成績躍進で特進科へ転科してきたのがつい4月のこと。それから1ヶ月後のゴールデンウィーク明けにもう一人追加とは、これはなかなか前例がない――というか、穏やかな話ではなさそうだった。
月波学園において、中途半端な時期の「編入生」というのは往々にしてあり得る話だ。
一つが、それまで他の街で一般人として過ごしてきたが何らかの事情により異能が発現したり妖混りの血が暴走したりなどして元の暮らしから離れざるを得なくなり、「転校」が余儀なくなった場合。
そしてもう一つは、自らの意思や存在意義に従って人々に危害を加えた異能者や人外が街の術者により従服させられ、「首輪付き」で学園に放り込まれる場合だ。
前者ならば特に問題はない。
それまで普通の人間として生きていた環境が変わってしまい、多少の心の壁は築き上げてしまうこともあるが心根はそれまでと変わらない。時間をかければ新しい環境と自分の力に折り合いをつけ、馴染むこともできるだろう。
厄介なのが後者だ。
異能者ならばそれまでの活動の自尊心により学園と馴染めないこともある。人外などはそもそも人として生きる術を学ぶところからスタートすることもあり得る。
そしてこのクラスは特進科――本来はより高度な教育指針による学力向上のため、勉学に集中できる環境を整えて進路先に幅を持たせることを目的としている。そのため、前者のパターンはともかく後者の編入生が放り込まれることはまずあり得ない。
あり得ないのだが――
『『『…………』』』
クラスの視線が自然と教室の中心、何故か中等部の冬の制服の黒セーラー服を高等部2年になっても未だに着続けている少女に集まる。
白銀紫――特進科、否、現月波学園在学生屈指の問題児。
問題児とは呼ばれてはいるものの、彼女の素行は(服飾規定以外)すこぶる評判のいい優等生だ。成績も特進科の中でも上から数える方が早い位置にいる。友人も多く人望もあり、今年度の生徒会選挙では現職の副会長から会長への昇進をかけた承認選挙となる見通しだ。
しかしそれらを打ち消して有り余る両親の存在から、学園側もどう扱ってよいものか決めあぐねているのもまた事実だ。
そもそも種族がよく分からない。一応人間ということにはなっているが、昼間は万物を弾く龍の鱗を生まれながらに身に纏い、日が暮れた後は吸血鬼の如き不死身の再生力をもって夜な夜な術者に混じって街のパトロールに参加している。身体的成長、老化も齢十五にして停止していたらしいと今年の定期健診で判明した。
……ともかく、そんな紫が所属する特進科に編入生とは、どうにもきな臭く穏やかではない。
前者のパターンなら取り越し苦労で終わる。しかし後者の場合、件の「編入生」が暴走した場合の抑止力として紫を期待し、特進科に配属されたのではないかとクラスの誰もが勘繰ってしまう。
月波市に住まう者として、「編入生」に偏見の目を持つことはないが、それでも万が一の場合に備える心積もりはしておかなければならない。
そんな思考が教室全体(朝っぱらから居眠りしている咲は除く)で駆け巡ったところで、「紹介するね」と玖木が開けたままだった扉に向かって手招きする。
『『『…………』』』
さてどんな魑魅魍魎がやってくるのかとクラス中が身構える。
しかし。
「あれ? おーい?」
待てど暮らせど誰も入ってこない。
玖木は首を傾げ、そのままろくろ首の力でうにょーんと首だけを伸ばして廊下の様子を確認する。
「大丈夫? 入ってきていいんだよ? ……え? 恥ずかしい? えー、でも、挨拶くらいはしないと始まらないよ? ほら、勇気を持ってワンツーワンツー!」
「わ、わ……!?」
胴体で手を叩き、頭と首を使って器用に廊下で縮こまっていた編入生の背中を押す。
そうして教室に押し込まれたのは、小柄な男子だった。
「はい、練習した通り自己紹介!」
「は、はい! ……あの……えっと、初めまして……ゴニョゴニョ、ゴニョニョです……」
なんて? とクラスが首を傾げる。
びっくりするほど声が小さく聞き取りにくかった。
と、苦笑しながら玖木が黒板に名前を書いた。
更木 樹希
「やっほー! 更木くん、よろしくですよー!」
そして唯一、待ってましたとばかりに嬉しそうに声を上げて手をぶんぶんと振る生徒が一名。
彼女はクラスの真ん中で一人だけセーラー服を着ているため、大変目立つ。
『『『…………』』』
その瞬間、クラスの全員が安堵と杞憂と呆れで溜息をついた。
おめーの持ち込み案件かよ、と。
* * *
「「きさらぎ駅?」」
弁当を机に広げながら神楽坂陽菜と咲が口を揃える。
「……それって……アレだよね……? 一昔前にネット上で話題になった都市伝説の……?」
「へー! そうなんだ!」
「……当たり前のように咲は知らないと……」
「これ、都市伝説の下りから知らない可能性ありません?」
「さすがにそれは分かるよ!」
深い深い溜息をつきながら陽菜は「いただきます」と手を合わせて小さな弁当の蓋を開ける。すると申し訳程度に白米がうっすらと敷き詰められた上に梅干しが一個だけがちょこんと乗ったレベル1日の丸弁当が姿を現した。
「……陽菜、今月も厳しい感じです?」
「……冷蔵庫が逝ったの……今年買い替えたばっかりなのに……」
「ウチの唐揚げあげるよ?」
「紫の卵焼きもどうぞ」
「…………ありがとう…………!」
と、いつものように友人二人からのおかずのお裾分けに咲が涙しているところ、さらにもう一つ、たこさんウインナーが差し伸べられた。
「えっと、その……ど、どうぞ……!」
「あ……ありがとう……更木くん……」
陽菜のクマの深いどろりとした色の瞳が僅かに輝く。
彼は休み時間は男子のグループにあちこち連れ回されたようだが、昼休みになると助けを求めるように紫の元に寄ってきたため、昼食を一緒に食べることにしたのだ。
「んで、きさらぎ駅って何?」
咲が陽菜とは対照的な唐揚げが一個減ったくらいじゃ全く影響がない肉ばっかりな茶色い色取りの弁当箱をモリモリと頬張りながら訊ねる。
「某電子掲示板発祥の都市伝説ですね。超ざっくり説明すると、ある女の人がお仕事の帰りの電車で寝過ごしてしまったんですよ。慌てて折り返そうと下車すると『きさらぎ駅』って見知らぬ駅名で、ここはどこだろうって掲示板に書き込みした後、その女の人は行方不明になったです」
「ヤバイじゃん!?」
「……まあ不特定多数が書き込む掲示板だし……真偽のほどは置いておいて……そういう都市伝説があるのよ……」
「で、更木くんはその『きさらぎ駅』の都市伝説の怪異です」
「つまりこいつが犯人か!?」
「ひっ!?」
「落ち着くです、咲」
当たり前のように咲の弁当箱からミニハンバーグをちょろまかしながら紫が待ったをかけた。更木も怯えたように体を縮こまらせ、紫の陰に隠れようとする。
「更木くんは確かに『きさらぎ駅』ですけど、実際にその女の人が行方不明になった『きさらぎ駅』とは別件です」
「ほえ???」
頭から大量のクエスチョンマークを浮かばせながら咲が首を捻る。
さてどう言えば咲が理解してくれるかと紫はしばし沈黙した後に説明を再開した。
「女の人が掲示板に書き込み、その後行方不明になったという都市伝説……怪談が生まれたというのは分かりましたね?」
「あ、うん」
「それが本当に起こった事件なのかどうかは、この際問題じゃないんです。それが不特定多数の人間に『認識』されて、実際に起きた出来事であるかのように語り継がれたことが問題なんです。火のないところに煙は立たず。卵が先か鶏が先かじゃないですが、煙が認識されたことでありもしない火が起きてしまって――」
「……紫……紫……ダメみたい……」
「ダメでしたかあ」
「あうあうあ……???」
説明の途中で咲が目を回してしまったため小休止。
先に弁当を食べ終わって脳に糖分が行き渡るのを待ってから再度説明を試みた。
「えっと、つまり僕は『きさらぎ駅』という都市伝説から生まれた、『きさらぎ駅』の妖怪です」
「なるほど!?」
むしり、と食後のデザート(?)の肉まんパンに齧りつきながら咲が頷く。いや何だ肉まんパンって? と陽菜は思わず二度見した。
「ふう、最初からそう言えば良かったんですね」
「つまり『きさらぎ駅』の子供ってこと!?」
「ああ、もうそれでいいです」
当然違うが、話が進むのならばそれでいいやと紫は投げ捨てた。
実際、全くの見当外れというわけでもない。
「とある廃線になった駅周辺で行方不明者が急増してるから何とかしてくれって依頼がWINGに来たんですよ。で、様子を見に行ってみたらそこら一帯がある種の神隠し状態になってまして」
「……どうやって解決したの……?」
「天狗やら狐狸やら堕神が引き起こす神隠しなら元凶をとっちめて終わりなんですがね、廃線という土地に『きさらぎ駅』という怪談が紐づいて発生した神隠しだったので物理的な対処ができなかったです。利用者もいない廃線を復活させたり、駅を移動させるわけにもいかないですし」
「……それはそう……」
実際には神隠しそのもののような怪異現象だろうが紫の父・羽黒の出身である瀧宮家の当主クラスの術者であれば関係なくたたっ斬ることはできるのだが、諸々の事情で基礎訓練しか積んでいない紫はそんな器用な真似は当然出来ない。
そのため、
「なのでこうして人化して出歩ける程度の格がつくくらいの魔力をぶち込んで――」
「……待って……!?」
流石に陽菜が止める。
「……なんて危ないことしてるのこの子は……!?」
「いやあ、パパだけじゃなく白羽おばさまと梓おばさま、あとユウおじさまと真奈さんにもしこたま怒られたです」
「……でしょうね……!」
「ママは笑ってて、竜胆おじさまは頭抱えてました」
「……でしょうね……!!」
「急にお腹いっぱいになったと思ったら意識と手足が生えてきて、僕もびっくりしました……」
「……それも……でしょうね……!!」
話を聞いただけで陽菜も頭痛がしてきた。当の本人の更木も微妙な顔を浮かべ、咲だけはきょとんと首を傾げていた。
「そんな怒られることなの?」
「……下手したら神隠しの範囲が拡大して被害が増えるだけよ……」
「へー」
肉まんパン(結局その正体は分からなかった)の最後の一齧りを口に放り込みながら絶対分かっていないアホ面で頷く咲。
「い、一応無策だったわけじゃないですよ!? 魔力ぶち込むと同時に『絲』で人の形になるように縫い上げたんです。……実戦は初めてでしたけど」
最後に聞き捨てならない言葉がつるっと紫の口からこぼれたが、それはこの際一旦置いておくことにする。
「……それで……物理的に移動できない土地型神隠しに足を与えて……移動させたと……」
「そうなるですね」
「……その姿は……?」
「えっと、僕が巻き込んでしまった被害者の方たちをモデルに……」
「あ、行方不明になってた人たちは全員回収できてるですよ。記憶は飛んでますけど命に別状はないです」
「……そう……それは何より……」
その点については本当に良かったと陽菜は胸を撫で下ろす。
「何にせよ、これからよろしくねってことだね!」
「まあそうですね。しばらくは紫が面倒を見るってことで特進科に入ってもらったです」
「……勉強は大丈夫なの……?」
「い、一応元々が電子掲示板の集合知から生まれた怪異ですから、最低限の常識はあると思います……」
「編入試験もフツーにパスしてましたし、下手したら咲より手がかかりませんよ」
「えっへん!」
「……褒めてない……全く褒めてない……」
「そーなの!?」
「これは咲が逆にお勉強を教わる日も近いですね……」
「むう! その時はよろしくね樹希ちゃん!」
「……いっそ清々しいほどの他力本願……ん……?」
と、陽菜が違和感に顔を上げる。
「……ちゃん……?」
「え? うん、だって女の子でしょ? スカート履いてるし」
「……え……?」
陽菜は首を傾げる。
確かに更木は同年代の男子にしては線は細く背も低いように感じるが、それでも体つきは男子そのものだった。そもそも男子の制服のスラックスを着用している。
どういうことかと紫に視線を向けると、「あー」と頭を掻きながら事情を説明する。
「人化して間もないから男女が曖昧なんですよね。そもそも生物系の怪異じゃないですし。なので見る人によって男の子か女の子か違うです。ちなみに紫には男の子に見えてるです」
「そうなの!? ウチには女の子に見えてる!!」
「……私には……男の子に見えてる……けど……これ……お手洗いとか更衣室とか……どうするの……?」
学園生活を送る上で根本的な部分について尋ねる。昨今では性差についてやんややんやと口うるさいが、それはそれとして現代日本の学校生活ではそう言ったライン引きはしなければならない。貧乏神とは言え年頃の女子である陽菜としても、昨日まで男子として着替えていたクラスメイトが今日から女子ですと言って女子更衣室にやってくるのは抵抗がある。
「その辺は大丈夫ですよ。ちょっと遠いですけどおトイレは1階の多目的トイレ、着替えは保健室使えることになってるです」
「……そう……」
「な、なるべく早く性別を固定化できるよう頑張ります……」
ふんと拳を握りしめて意気込みを語る更木に陽菜は曖昧に頷く。それに関しては本当に早めに何とかした方が良いだろう。今後彼(彼女?)がどのような「人生」を歩むかは分からないが、それでもまずは一本道筋を決めるところから始めなければならないのには変わらない。
「えー、女の子のままでいようよー!」
「咲、そういうのは本人が決めるですよ」
なんにせよ、これからまだまだ騒がしくなる。
そう深く息を吐きながら、陽菜は空になった弁当箱をハンカチに包んで鞄に入れた。





