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044:残業・勧誘・裁量制

「あの世」、とりわけ「冥府」と聞いた時、生ある者はどのようなところを想像するだろうか。


 これが「天国」や「極楽浄土」といった言葉であったならば、花々が咲き誇り、小鳥がさえずり川のせせらぎが心を穏やかにしてくれる楽園を思い浮かべるかもしれない。


 しかし文字に「(くら)い」の一文字が入るだけで、多くの人は全く違う印象に囚われる。


 針と剣の山々から血が滴り落ち、それが淀み溜まって血の池ができ、見上げるほどの恐ろしい形相の鬼たちによって煮えたぎった赤銅に放り込まれる――そんな「地獄」を想像する。


 実際のところ、その想像はどちらも正しい。

 冥府は「極楽浄土」と呼ばれる聖域に行けば心穏やかになる情景が見渡す限り広がっているし、反対に「地獄」へ赴けば鬼たちによって想像を絶する責苦を受ける亡者たちの姿がある。

 とは言え、それが全てというわけではない。

 冥府の方針こそ上位の神々によって示されているが、実際に冥府を回しているのは現世での生を終えた後、有用であると判断され登用された人間だ。しかし死後の魂と言えど休みなく働き続けることはできない。一人一人に住まいが配され、ある程度の娯楽を供す施設もあるため、ある種の「街」ともいえる風景が形成されている。

 彼らはそこに身を寄せながら日々の業務に勤しみ、己の転生の時を待つ。


 ある者は現世に染み出た冥府の陰の気に中てられた鬼を狩り、世界を調停する。


 ある者は亡者が現世から冥府への旅路に迷わぬよう道先案内に勤める。


 ある者は極楽浄土に穢れが這入り込まないよう整え、転生を待つ魂の安寧を願う。


 そしてある者は――地獄に堕ちるべき魂を選定し、徹底した管理を行っている。


「地獄局」という組織が冥府に存在する。

 名に地獄とあるが、実際に地獄にて亡者を焼いているわけではない。そういった呵責は地獄に元来住まう鬼たちに託されている。

 そこに勤める「役人」の主な業務は、亡者の生前の行いによって死後の行先を裁く冥王閻魔と、彼を含む十王と呼ばれる十柱の裁判官の書記である。その職務の性質上、鬼狩局や死神局のように注目を集める組織ではないが、実はそこに勤める人数は他二局よりも何十倍も多い。


 大した業務でもないくせに、その昔は冥府の花形とも呼ばれ閻魔の手となり足となり亡者の管理を行ってきた頃の名残などと口さがないものは揶揄するが、地獄局の役人はすべからく、そういった輩を見つけ次第地獄局に放り込みその看板に似合う「地獄」を贈ることとしている。


 繰り返しになるが、亡者は生前の行いを裁判にかけられ、行先が決まる。しかし冥王閻魔やそれに連なる裁判官とて万能ではない。十王と言えど彼らも元を正せば人間であるため、全ての人間の魂を把握などできない。そもそもが寿命と亡者の管理を行っていた女神荼枳尼天(ダキニテン)でさえ現世で起きた人口爆発に対応しきれなくなり、死神局という専門機関が設けられたのだ。

 ならばどうするか。

 どのようにして亡者の生前の行いを把握し、裁判にかけるか。


 その回答の一つとして、地獄局は頭数を増やすことを選んだ。


 その者の力量と罪の重さにもよるが、現在では多い場合は人口1000人当たりに対して担当役人が一人配されている。現世で日本と呼ばれる地区を担当する役人だけで10万人を超える計算だ。

 役人はその担当する1000人の魂の行いを一つ一つ記録するのが仕事の一つだ。


 ()()()()()()である。


 いついつどこどこで無益な殺生をしただとか、これこれこういう理由からやむを得ず人を殺めたといった行い全てである。

 とは言え、かつて荼枳尼天が一柱で管理していた頃と比べて作業量が減ったとは言え、役人一人当たり担当する魂は1000人分。術式や魔導具が発展した現代でもその全てに常時目を光らせるなど現実的ではない。


 そこで利用するのが倶生神と呼ばれる一対の閻魔の眷属である。


 彼らは人が現世に生を受けると同じくして両肩に顕現し、右肩の「同正」が悪行を、左肩の「同名」が善行を記録する。そしてその者が死ぬと閻魔へと報告し、次の魂の元へと旅立っていく。

 つまり役人の主な仕事の一つが、彼ら倶生神からの報告を取りまとめ、裁判に必要となる行いを抽出して閻魔ら十王へと提出し、その裁判の結果を記録するというものだ。そしてその担当する1000人の判決を見届けることで「役人」としての刑期を終え、自身もまた輪廻の輪へと還ることとなる。


 そしてこの仕事が地獄であった。


 なんせそもそもの倶生神が両肩に乗る程度の大きさしかない。

 さらに彼らは蟻一匹殺したという悪行からゴミ一つ拾ったという善行まで全てを記録する。

 ……つまり彼らの報告は読みにくいうえに量が膨大なのだ。

 ある程度の記録の抽出は魔導具で何とかなるが、そこからさらに魂の行く末に関わる内容を選別する作業は終わりの見えない苦行であった。

 元々が役人自身も罪人ないし穢れある魂、地獄に堕とすほどでないにせよ要観察処分とされた者たちであるため、その業務は刑の執行の意味合いを兼ねるため楽な作業などでは決してない。その上、いい加減な仕事をしようものなら十王はそういったことにやたらと目端が利くため、すぐに露呈して担当ノルマが増えることとなる。

 当然ながら刑責であるため給与の類はない。鬼狩りや死神と違って十割内勤であるため魂の消滅といった根幹的な危機とは無縁というメリットはあるものの、与えられるものは寝て食べて暮らせるだけの最低限の暮らしと僅かばかりに心と羽を伸ばせる娯楽のみ。裁量制と言えば聞こえはいいが、作業が遅れようが残業代なんぞ存在しない。

 生まれて間もなく亡くなった赤子だろうが齢百を超えてに天寿を全うした老人だろうが「一人」としてカウントされていた設立当初と比べたら職場環境はだいぶ改善されたが、それでも役人たちは地獄の道連れ――もとい、勧誘のチャンスを虎視眈々と狙っている。昨今では他局からの出向もあり得ない話ではななくなったため、一部の役人たちの目がいよいよ血走って来たという話も聞こえてくる。



          * * *



 地獄局に勤める役人の一人、義豊は現世での生を終えて百と数十年ほどになる。生前は将として戦の先陣を切り、多くの兵を殺めたとして地獄へ堕ちるはずであったが、時勢による丈量酌量と彼個人の能力の高さから地獄局の役人へと配されることとなった。

 かつては刀の柄を握り節くれだっていた手のひらも、今や筆だこと墨の匂いが染みついた商人のような手となった。未だに終業後に鍛錬は怠ってはいないが、生前に兵を率いていた頃と比べると肉の質が落ちたように感じる。

 とは言え、そこに悲嘆の感情は薄い。

 本来は今頃は地獄に堕ちて骨の髄まで焼かれ続けていたはずだ。死した時、その覚悟は済ませていた。しかし閻魔の判決に待ったをかけ、役人として登用することを冥官に進言した局長には感謝している。

 ならばこそと、義豊は職務に忠実であろうと努めた。


 同僚に酒の席に誘われても時節でない限り辞退した。

 生前の悪癖を脱ぎいきれず女遊びにうつつを抜かす輩には苦言を呈した。

 分からないことは学び、分からぬと困っている者には積極的に手を差し伸べた。


 粛々と、こつこつと、淡々と、真面目に、真摯に、ひたむきに、職務を全うしてきた。


 そうして百数十年間役人として尽くしたところ、気付けば己の任期の終いが見え始めた。


「君もいよいよ輪廻の刻が近付いてきたな」

 地獄局、局長室。

 自身が担当する魂の行いを取りまとめた、俗に簡易閻魔帳と呼ばれる報告書を同僚の分とまとめて運びこむ。そこで決裁の印を押しながら局長が感慨深そうに呟いた。

「君と同じくして登用された者は未だノルマの六割程度か。君は本当に仕事が早い」

「恐れ入ります」

 のんびりと口は動かしつつ、報告書を確認する目とページをめくる手が止まることはない。

 この地獄局の役人を取りまとめる男こそ、義豊を登用した張本人だ。仮にも地獄と冠する組織の長にしてはあまりにも朗らかで、苛烈な鬼狩局長や鉄面皮で思考が読めない死神局長と比べて覇気に欠け、昼行燈などと呼ばれることもあった。しかし義豊は彼ほど目端が利く者と会ったことがなかった。

 彼の采配に誤りはなく、振られた業務に滞りもない。そのくせ、その日の業務が終了すると積極的に登用年数の浅い者たちに混じって安酒をかっ食らいに花街の外れへ赴く奔放さも併せ持つ。

 人生を終えた後にも人生を謳歌する――それが地獄局長という男だった。

「義豊、君の仕事の速さには秘訣があったりするのか?」

「秘訣ですか」

 手早く判を押しながら局長が尋ねる。

 それに対し義豊はどう答えたものかと首を捻る。

「特にこれと言っては思い当たりませんね」

「そうなのか? 例えば、余暇に息抜きしているとか」

「私はこれといった趣味のない、つまらない人間ですよ。強いて言うならば、生前からの鍛錬は欠かさず続けているくらいでしょうか。もっとも、そちらについても昨今は流石に衰えを感じますが」

「まあ実戦がないとどうしても勘は鈍るよなあ」

 苦笑しながらも局長の手は止まらない。次々と決裁済みの報告書が積み重なっていく。

 聞くところによると、局長も生前は武に生きた()()()()であったらしい。しかし義豊が登用された時には既に首周りに肉がほんのりつき始めていたため、既に刀を置いて久しいのだろう。

「ああ、ですが私の仕事が早いのには理由があります」

「なんだ、やっぱりあるんじゃないか」

「あることはありますが、他の者には真似できない……というか、真似されると困りますので、誰にも言っていません」

「真似されると困る?」

 と、初めて局長が手を止める。義豊の口から出たにしては少々意外な言葉だった。義豊はそういった仕事の効率化は積極的に広める性質だと局長は記憶していた。

「ええ。実は仕事が思うように進まず滞った時は、阿鼻地獄にて作業しているのです」

「……は?」

「あそこは冥府上層とは時の流れが異なりますからね。何日もかけて作業しても、局に戻れば数分しか経っていません」

「…………」

 局長は開いた口が塞がらず、むりやり手でかこんと顎を閉じる。そしてふうと大きなため息を吐き、目の間を指で揉む。

「……阿鼻にいる間の魂の摩耗はどうしているんだ?」

「見てのとおり、支障はありません」

「どうなってるんだ君の精神……」

「はっはっは」

 義豊は大変珍しく、笑みを溢す。

 地獄の鬼も裸足で逃げ出すような、凄惨な笑みだった。

「これでも生前は『鬼』と恐れられておりましたからな。むしろ阿鼻くらいの空気が私には調度良いのかもしれません」

「……不調を感じたら、すぐに言うんだぞ」

「自己管理は徹底しているつもりです。そもそも阿鼻に行くほどの仕事というのが最近は少ないですからな」

「そうかい。しかしなるほど、確かに真似されたら困るな」

「ええ。皆が皆、私のように壊れているわけではありませんから」

 そもそも真似をする輩がいるかも怪しいが、万一己を過大評価している馬鹿が赴いたら一瞬で消し炭も残らないだろう。

「そう言えば最後に阿鼻に赴いたのは数年前になりますが、面白い鬼と出会えました」

「ほう?」

「元々はそこの鬼共を取りまとめている頭領なのですが、十年以上籠り続けてひたすら剣を振るっているのです。それも、人化した状態で」

「阿鼻の頭領……確か、山ン本一派の朧と言ったかな」

「ええ、そのように名乗っていたと記憶しています」

「ここ十数年とんと話を聞かないと思ったら、武者修行をしていたのか」

「なんでも人の身で対等に闘いたい猛者がいるとのことです。いやはや羨ましい話ですな」

 そのような武人に出会えることは滅多にない。

 動乱の世を生きた義豊でさえ、そのような強者と巡り会えたことはない。強いて挙げるならば二人ほど顔が思い浮かぶが、一人は兄と敬い慕う同門だし、もう一人は出遭った時から自分など到底足下に及ばない天才だった。

「ん、待てよ? 朧だと?」

 と、局長が何かを思い出したらしく書類の棚から古風な巻物を取り出した。その封を解き、作業途中の報告書の上に広げると、力強く雄々しい書体の文字が書き殴られていた。

「それは?」

「先日、件の山ン本の総大将から出された嘆願書だ。なんでも、獄卒の十六頭領が一堂に会す場を設けてほしいと。いくら地獄の鬼共とは協力関係を築けているとは言え、連中が一カ所に集まるなど危険だと保留していた。しかも目的が決闘の立ち会いだという」

「ほう……?」

「詳細は会って話したいとして不明だが、つまりこれは、その朧の決闘ということか?」

「恐らくは」

「君はどう思う」

 局長からの問いかけに義豊は淡々と答える。

「地獄局の役人としては、そのような会合は棄却すべきでしょう。しかし私個人の考えからすると、あの朧がそこまで惚れ込み、二十年もの歳月を阿鼻で剣を振るい続けた相手というのは大変気になります」

「仮にこの決闘が実現するとして、どの程度の準備が必要だ?」

「地獄局管理で魔王二鬼と十六頭領を収容できる施設はありません。あるとすれば、鬼狩局の訓練場ならば可能でしょうか。さらに万一の時の抑止力として三局長……いえ、冥官様の立ち会いが必要になるかと」

「ふむ。……()()()()の労力でこの決闘に立ち会えるならば」

「安いものでしょうな」

「決まりだな」

 局長は報告書の決裁に用いる簡易判ではなく、局長名義の大判を取り出してドン! と勢いよく嘆願書に叩きつける。持ち上げると、血のように紅い印がでかでかと押されていた。

「義豊」

「はっ」

「鬼狩局との交渉は任せる。私は冥官様に掛け合ってくる」

「承知」


 そう言って、地獄局長――本多平八郎忠勝と彼を支える局長補佐――土方歳三義豊はそれぞれ動き出す。


 瀧宮梓と朧の決闘が実現する三カ月前の出来事だった。

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