042:安請け合い・遺伝・あなや
「今期の神事異動、見たか?」
「見た見た。いやあ、びっくりした。あんなことあるんだな……あっ」
「え、あ……」
冥府、死神局。
その通路を歩いているセイと呼ばれる女性死神に視線が集まる。
元々生前から周囲の視線はあまり気にならない性質ではあったが、流石に今日ばかりは複雑な気分になる。少し遅れて歩く相方のナツも、何とも言えない表情のままセイの背中を追う。
目指すは、死神の統括――死神の長、リンの執務室だ。
「……失礼します」
「どうぞ」
局内の上層階に位置するその部屋に辿り着き、一呼吸を置いてからノックをする。すると部屋の中から待ちわびていたかのように一瞬の間も置かず返事があった。
ふう、と再度一呼吸おいてドアノブを回す。
中に入ると、棚という棚に綺麗に書類が一部の隙も無く整理された神経質な雰囲気に目が眩んだ。そしてそれとは対極的に、人ひとりが寝転がってもまだ余裕がありそうな大きな机の上には乱雑に書類が山積みになっていた。
その山の隙間から、群青色の瞳を持つ癖の強いウェーブがかかった黒髪の女性が書類に目を通しつつ右手にペンを持って書き物をしていた。
死神局長リンは入室してきたセイとナツに一瞥をくべることなく口を開く。
「ごめんなさい、少し作業が立て込んでいて。お話はこのままでいいかしら」
「……はい」
セイは眉間に力が入りそうになるのをぐっとこらえ、頷く。
冥府に属す死神だけでなく生者や亡者の管理は死神の役割だ。その長ともなれば割り振られる作業量もその難易度も桁違いだ。自分にとっては一大事の出来事も、彼女にとっては作業の片手間で片付けなければならない些事に過ぎない。それは理解している。
「好きなところにかけて頂戴」
「いえ、このままで結構です。お時間は取らせませんので」
勧められた席を断る。口にしてから、流石に幼稚すぎたかとセイは顔色が暗くなったが、リンは気にした風もなく「そう」と頷いた。
「それで、用件は何かしら」
「今期の異動の件です」
すう、とセイは今一度呼吸を整える。
「ウチ……私を、浄土管理室へ天使として転出させるって、本気ですか?」
浄土管理室。
陰の気で満ち満ちている冥府において特異点とも言える、陽の気のみが存在する「極楽浄土」。そこの維持管理を目的として冥王により冥府が制定された際に編成された組織である。
しかし現世で悪逆非道の限りを尽くした亡者が堕ちる地獄とは異なり、浄土に送られるのは人畜無害の聖人君子の魂ばかりである。そのため浄土管理室と言えば維持管理とは名ばかりの閑職、というのが死神や鬼狩り、さらには獄卒に至るまでの冥府の認識だった。
加えて言うならば、その維持管理業務でさえ「室長」と呼ばれる怪物のような人間が一人で取り仕切っているため、そこに属する「天使」と呼ばれる役職の人間の魂は本当にやることがない。
「ええ。既に冥官様からも、室長殿からも許可頂いているわ」
「そんな……っ」
セイは愕然とする。
確かに自分は死神として日が浅い。生前は視えるだけのただの人間だったし、特別な能力があるわけでもない。しかし幽霊として現世を漂っていた際に犯した、世界の理に反するような大罪によって現在の死神としての刑期を科せられており、日々その贖罪のために真面目に死神の職にあたってきた。
それなのに今更、浄土管理室へ天使として送られるなんて――
「私、何か悪いことでもしたのでしょうか……?」
セイは震える声でリンに訊ねる。しかしリンは変わらず書類に視線を落としたまま「いいえ」と首を横に振った。
「貴女の死神としての職務態度は皆の規範となるべきものです。死神となった経緯はどうあれ、それについては私も冥官様も高く評価しています」
「だったら、どうして私が天使なんかに――」
「それです」
コツとリンがペン先で書類を叩き、顔を上げた。
群青色の眼差しがセイに向けられる。
「本来、天使とは『なんか』等と言われるような役割ではありません」
「……っ、それは、まあ……」
「彼らの本来の職務は浄土に住まう亡者の魂の管理と、彼らの輪廻に向けた調整。それに現世へ向けた神託です。ですがこの数百年、室長殿が例の『計画』に腐心するあまり組織は形骸化し、天使たちも傲慢な駄肉で精神が肥え太る傾向が強くなっています」
「…………」
「それでも浄土が正常に回っているのは、ひとえに室長殿の手腕によるためです。あの怪物は本当に単身で、それも頭の九割九分を件の馬鹿馬鹿しい計画の構想に回しながら、片手間で浄土を十全に維持している。しかしこのままでは良くないというのが、死神局だけでなく鬼狩局、地獄局、さらには冥官様の総意です」
「その、冥官様もまずいって思ってるなら、冥官様はなにかなさらないんですか?」
と、セイと一緒についてきたナツが疑問の声を上げる。
しかしリンは頭痛を押さえるように首を横に振った。
「冥官様でさえ、室長殿はどうこうできないんですよ。アレは冥王閻魔と同等か、それ以上の存在なのですから」
「「…………」」
セイとナツは思わず顔を見合わせる。
閻魔と同等の浄土の管理者――それってもしかして、と逡巡するも、リンが「ともかく」と思考を遮る。
「セイ。貴女には申し訳ないのだけれど、今回の異動は浄土管理室改変のための楔だと思ってほしいわ。一応鬼狩局と地獄局からも何人か選出しようとしたのだけれど、どちらも今すぐ動かせる人員も、動かすための前例もなくて。その点、死神局は幸いにして数年前のあの街絡みの事件でナツを始めとした人員が豊富だし、あなたのような優秀な死神も多い」
「あー、そっか。あの時ウチらがいっぺんに成仏したから死神局って人多いんですね」
「まあ、その、そういうことでしたら……」
自分が思っていた以上の評価をリンの口から直接告げられ、ここまで勢いだけで訪室したセイは気恥ずかしくなって一歩下がる。あなや左遷かと泡を食って突撃かましたらべた褒めされてしまい、なんだかふわふわとした気分だ。
「とは言え、さらに申し訳ないことがもう一つあるのだけれど」
「え?」
リンがため息混じりに付け加える。
「浄土管理室の現状は私が言った通りだし、天使は貴女の認識そのままよ。つまり、異動したからと言ってあなたに今すぐ何かを任せられるような環境もないのよ」
「あ、あー、あー……そりゃまあ、そうですよね……」
「だから先ほどは『楔』と称させてもらったの。まずは冥府三局から天使へ転身したという前例が必要だったから。実際の組織改革は三局出身の天使が増えてからだから、もっと先ね」
「あー、うん、まあ、仕方ないですよね。それじゃあ後輩が来るまで、少しでも動きやすい環境を整えるのが私の仕事ですね」
「あまり気張りすぎもよくないわよ。それに我々で浄土管理室に働きかけている間に、貴女には産休と育休を取ってもらうつもりでいますから」
「へー、産休と育休を……」
「ん?」
「……はい?」
硬直。
冥府で絶対に聞くことのないはずの単語にセイは自身の耳がおかしくなったのかと首をひねるが、隣に立っていたナツが「まあ」とニヤニヤと口元を吊り上げながら笑っていた。
「セイったら、ヤることヤってんだね。現世の彼と」
「ちょ、は、へぇ!? リン様どういうことですか!?」
「仕組みとしては幽婚に近かったですね。それでも子を授かるとは予想外でしたが」
「どどどどどどどどど、どどう!?」
「落ち着いて、セイ。せめて言語で話して」
はい、とナツがセイの背中をさする。
それでようやくセイは深く息を吸い、吐き出した。
「……どういう、ことですか?」
「そもそもセイ。いえ、盛田加奈子さん」
と、リンが生前の彼女の名を呼ぶ。
「貴女が死神になった経緯はなんですか?」
「そりゃ……あの錬金術師の少年が作ったホムンクルスに受肉したのが、世界の理に反するから、成仏したあと死神に――」
「あ、そうか。あれってそういうこと」
と、ナツが納得いったように頷く。
「ナツ?」
「ほら、ウチ……ってか、にーちゃんもあのホムンクルスにはその後一枚噛んでるから話は聞いてたんだけどさ。セイが成仏した後、例のホムンクルスをキシ補佐が回収しようとしたのを羽黒さんが横から掻っ攫ったんだよね。白羽ちゃんの肉体作るためのサンプルとして」
「あー」
セイは曖昧に頷く。あの仮初の肉体がその後どうなったのかは気にはなっていたのだが、当のキシが頑として口を割らない、というか苦虫を噛み潰した顔をさらに不機嫌にするものだから聞くに聞けなかった。どうやらあの後いいように出し抜かれたらしい。
「んで、持ち帰ったホムンクルスを色々調べたら――妊娠の前兆の形跡があったらしいよ」
「…………へ?」
「実際は着床もしてない受精卵状態だったらしいけど、細胞分化も始まってて。でも途中で止まってたから流石に試作段階のホムンクルスでそんな上手い話はないかーって、その場では記録だけ取ってホムンクルスごと処分したんだけど」
「…………」
「つまり、セイってば、一発大当たりをぶち抜いたわけだ。いや、ぶち抜かれたわけだ」
「言い方!!」
ナツのあっけらかんとした物言いに思わずセイは顔を真っ赤にして声を荒げる。付き合いは長いが、この死神はこういうところがある。
「でもあり得るんですか? あのホムンクルスは確かに構造的には完全に人間でしたけど、そこに受肉した幽霊が生身の人間との間に子供を授かるなんて」
リンに訊ねると、彼女もまた難しい表情を浮かべながら頷く。
「実際にキシがホムンクルスに宿った無垢の魂を回収しています。それは今も冥官様が直々に管理、保管しているのですが、状態としては受肉さえすれば真っ当な人の子として成長するとの見込みです」
「……なんか、線引きが分からなくなりますね。世界の理」
「ええ。ですがよくよく考えたら、ホムンクルスの妊娠がNGなら、昨今の現世でも広まりつつある不妊治療はどうなるのかという話にもなりますからね」
「ああ、昔で言う試験管ベビー。アレって冥府的には今のところセーフなんですよね?」
「ええ。『世界』が拒絶していないということは、そうなのでしょう」
「あの……それで結局私とその子はどうなるんでしょう……?」
と、やや専門的な分野に足を突っ込みかけたリンとナツの会話に割り入る。
リンは「ああ」と頷き、セイに向き直る。
「死後の魂が新たな命を授かったという事例は冥府でも他に類を見ません。件のホムンクルスは極端な例だとしても、今後現世でそれに近しい医療技術が生み出されないとも限りません。そうした場合でも、『世界』は貴女の時のように魂を輪廻すのか……冥府としても、見定めなければなりません」
「…………」
「貴女には冥府で用意する義体に再び受肉してもらい、一度回収した無垢の魂を返却後、当面は現世で生活してもらいます。……血も涙もない言い方になりますが、貴女と貴女の子供には被験者となってもらいます。妊娠中は浄土管理室に籍を置きながら、冥府に属す魔術師、錬金術師、遺伝学に秀でたその他医師や学者が逐次データを取ることとなります」
努めて冷たくリンはそう言い放つも、その奥底にある複雑な感情はセイとナツにも伝わってくる。
リンもまた、一度は現世で子を産み、育んだ母親だ。冥府で死神を統括する立場についているとは言え、世界の選択を見定めるためとは言え、――元々はその咎が発端とは言え、一人の母と子を実験対象のように観察することに、何の感情も抱かないわけがない。
「当然ながら、現世での生活中の支援は死神局が責任を持ちます。住居は周囲に不審に思われないよう月波に用意しますし、生まれてくる子供についても、出産後は一般的な生者として扱い、冥府からの接触は極力避けます。それが――いえ、何でもありません」
途中で言葉を切り、リンは口を噤む。
それが死神局長として冥府からもぎ取った精一杯の譲歩だ、なんて、とてもではないが口にできない。
「もちろん貴女には断る権利があります。その場合は今回の内示のとおり、すぐにでも浄土管理室で組織改革の下地を作る楔になってもらいます。……当分は暇でしょうが」
「……その場合、あの子はどうなるんですか?」
「現世の母親でもない無関係の女性に魂を宿すわけにもいきませんから、当然、輪廻の流れに戻すこととなります。人格も形成されていない無垢の魂ですから、摩耗なく、滞りなく次の生を迎えることでしょう」
「分かりました」
セイは頷く。
その瞳には、すでに強い意志が宿っていた。
「その任、承りました」
「……本気ですか?」
「はい。安請け合いのつもりもありませんよ」
断った場合については聞くだけ聞いたが、それはあくまで話の流れ、念のための確認だった。話の途中、というかかなり前半の方でセイの心は決まっていた。
「生前の私は男運がなくて死んじゃいましたけど、縁あって佑真君と再会できました。そこからさらに縁あって愛し合うことができて、成仏した後もその縁を繋ぎとめることができました。そのうえ、佑真君も諦めてた子供まで授かることができるなんて……なんか、それで断っちゃったら、望んでも生まれてこれなかった子供たちに失礼な気がして」
それに、と言葉を続ける。
「ウチがちょっとデータを提供するだけで、今後、子宝に恵まれなかったお母さんたちの希望になれるかもしれないなら、どんとこいですよ! ……へへ、なんか、ウチの縁ってこのために繋がってきたのかな、なんて思ったり」
「……強いわね」
小さく、リンは微笑んだ。
「それでは、詳細は改めてキシから通達させます。働きに期待しています、セイ」
「はいっ!」
「ナツ」
「はっ」
「セイが浄土管理室に異動後、後任が就くまでは月波担当は貴女一人となります。特殊な職務のためすぐには人員は補充出来ないけれど、よろしくお願いするわ」
「はっ……って、えー!? 後任いないんですか!? 管理室の組織改革の楔! とか格好良いこと言っといて!?」
一度は威勢よく正した姿勢を崩し、脱力する。相方の異動が気がかりで一緒についてきたら、むしろ自分の方が今後大変なことになりそうだと判明してしまった。
「人員は豊富だけど、流石に月波を任せられる死神は少ないのよ」
「ナツ、私も月波市に住むわけだし、隙を見て手伝うから」
「それはダメ。セイには元気な赤ちゃん産んでほしいもん。妊婦の周りを死神が無駄にウロウロするなんてもってのほかなんだから!」
「……早急に、人材育成して後任をつけます」
「よろしくお願いします局長-」
ぶうと口を尖らせながらも、改めて敬礼する。
そして二人が局長執務室から出て行くのを見届けると、リンは一度置いたペンを再び手に取る。
「……ふふ」
セイにとっての戦いはこれからだが、リンにとってもこれからはようやく巡り巡ってきた反撃のチャンスだ。死神に就いて以来、あの浄土管理室長の手のひらの上で転がされてきた。
それがようやく、一矢報いることができる。
「まずはあの牙城をどう切り崩そうかしら」
幸いにも超長期的な計画を組むのは慣れている。
喉の奥で笑みを堪えながら、リンは書類にペンを奔らせた。
* * *
そんな浄土管理室瓦解への楔や彼女の覚悟が、標的であった室長ごとあっけなく潰え――喰い殺されたのはそれから数年後のことだった。





