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041:高架下・格付け・マンボウ

「あー、あー! あー!! あー!?」


 桜色のパーカーに丈の短い短パン、素足にサンダルというラフな格好の少女が愕然と悲鳴を上げ、そして地に手をついて悲嘆に目元を濡らした。

「あー……流石にこれはどうしようもないんじゃないかな」

「ウチはもう終わりサ……恋多き橋姫人生、長いようで短かったサ……」

「そんな大げさな……」

 いつものように辰帰川に掛かる名もなき石橋のたもとで釣りをする桜河と絵を描いていた遊斗の元へ、作業着に身を包んだ役場職員が二人やってきて、声をかけてきた。

 元々月波市の中でも人通りがほとんどない辺境に位置するこの石橋だが、その風景と桜河の気分によってしょっちゅう狂い咲く桜の老木を目当てにぼちぼちとカップルがやってくることが多かった。そこに男が二人で近付いてきた時点で桜河は大層嫌な顔を浮かべていたのだが、その二人が名刺と共にある文書を差し出してからはこの世の終わりのように地に伏した。


 曰く、耐震強度診断の結果とそれに係る架け替え工事の通知。


「まあ見るからにボロいしねえ」

「ボロいゆーなー! ウチが何十何百年と守護してきた橋サ!!」

「ごめんて」

 思わず口を滑らせると桜河は地面をごろごろと転げまわりながら全身で不服申し立てを体現する。その様子に役場の二人――農林水産課の早川と住民課の大里も困った顔を浮かべた。

「この橋は耐用年数の50年を超過していましたので、数年前からこちらで機能診断にかけていたのですが、やはり診断結果としてはS-1……えー、簡単に言うといつ壊れてもおかしくないため早急に改修工事を行いたいと。国からの予算も確保できたので、今年中には着工したいなと……」

「そんな急に言われても嫌サ!」

「い、一応今年は設計計画なので、実際に工事が始まるのは来年からですが……」

「というか、急に言うも何も前々から話はしているだろ」

 全体的に丸く柔らかな印象の早川とは対照的に、何やら角々とした雰囲気の大里が溜息をつく。

「橋姫たる桜河が橋とこの辺り一帯を守護しているのはこちらも把握している。だからこそ機能診断の時も話を通したはずだ」

「その時は橋掛け替えるなんて聞いてなかったサ!」

「言った。その時も架け替えという単語が出た途端今のように駄々をこねて会話にならんかったんだろうが」

 おや、と遊斗は少しばかり首を傾げた。工事を担当するという早川(この橋は農道に付随する施設なので農林水産課が管轄らしい)が物腰柔らかなのは分かるが、いかにも役場の人間ですといった風体の大里が妙に圧が強い……というか、上からでも下からでもなく同じ目線から声を上げているように感じた。

「あれ、というか橋の耐用年数って50年なんですか?」

「一般的にはそうですね。実際は交通量とか災害の有無で前後しますけど、概ねそれくらいの年数で診断をかけて、長寿命化……修理するか架け直すか判断します」

 早川に訊ねると、彼は頷きながら遊斗に答える。

「へー。……ん? でも桜河っていつも『何十何百と守護してきた橋』って言ってるんですけど、実際は50年にも橋を直してるんですか?」

「ええ。ですが50年前は橋桁は修理して使える状態だったのでそのまま残して、上の端の部分だけ架け直したと記録にあります。桜河さんは修理の間は役場で用意した借家に移り住んでもらったようですね。ですが今回は桁から上物まで、全部アウトなので……」

「あちゃー」

 桜河が駄々をこねているのは多分それだろう。

 なにせ自分の守護する橋だ。その寿命が尽きようとしているのは自分でもわかっているはずだ。しかしそれはそれとして、自分の半身にも等しい橋が一度綺麗さっぱりなくなるというのは不安で不安で仕方ないのだろう。

「あの、早川さん」

「あ、はい」

「自分、こう言う者なんですが」

 言って、遊斗はポケットから名刺を取り出し、早川に手渡す。

 橋の架け替えは恐らく避けることはできないだろう。それならば、桜河のため、画家である自分にできることは一つだった。



          * * *



「あー、それで塞ぎこんでるんだねー」

「うん、思ったより重症っぽい」

 桜河を連れて帰宅すると、彼女は玄関をくぐるなり勝手知ったる友人の家をダッシュで駆け抜け遊利のアトリエに突撃し、部屋の隅に置かれた実物大マンボウぬいぐるみに頭からダイブしてそのまま寝息を立て始めた。

 完全に子供のする不貞寝だが、まあ今はこのまま置いておこうと遊斗はキャンバスを立てかけた。

「それで、どんなイメージで描くの?」

「やっぱりあの桜の木は引き立たせたいよなあ」

 きゅきゅっと車椅子のタイヤを滑らせ、遊利が遊斗のキャンバスを覗き込んだ。

 手早く鉛筆を奔らせて下書きをうっすらと構築する。それは桜河が守護するあの石橋――その未来のイメージ図だった。

「遊斗、設計もやるの?」

「まさか。ぼくはあくまであの橋と風景を愛する一市民として、こんな橋を作ってほしいって要望を伝えるだけだよ。それを受け取って実際にどんな橋になるかは役場次第」

「ふーん」

「聞いた話だと橋姫にも格付けみたいなのがあって、大きい橋や立派な橋を守護する橋姫は相応に力が強くなるんだって。まああの川に架ける橋だとあんまり大層なものは作れないけど、でもその周りは今よりすごしやすくすることはできる」

「親水公園ってやつだね。……あれ、でも予算は大丈夫なの?」

「うん、そもそもそういう計画だったらしい」

 実際、遊斗が何かしなくても、あの石橋が鉄筋コンクリートとフェンスでできた殺風景な高架下のような景色になるような未来はなかったのだ。なんせ駄々をこねる桜河に溜息をついていた早川と大里という男もまた、かつてあの橋で桜河と遊んでいた子供だったと早川がこっそり教えてくれた。

 今ある石橋のある風景を残しつつ、色々な人に親しまれるような雰囲気に――

「…………」

「遊斗?」

「あ、うん。ごめん、遊利、どうかした?」

「んーん、急に手が止まって思いつめた顔したから」

「うん、ちょっとね」

 ちらりと振り返り、変わらずマンボウに顔を押し付けている桜河を見る。

 違うな、と遊斗は肩を竦める。

 色々な人が行きかう公園のような橋の下はとても魅力的だとは思うが、それは桜河が求める場所なのだろうか。旧い石橋の下に吹けば飛ぶようなあばら家を建て、日がな一日釣り糸を垂らしている橋姫が居る今の風景とは――少し、違う。

「ねえ、桜河」

「…………」

 無言。

 しかし遊斗は構わず話しかける。

「一緒にどんな橋がいいか考えよう?」

「…………」

 変わらず、無言。

 しかし彼女のサイドテールがぴょこんと蟻の触角のように揺れたのを見逃さなかった。

「ぼくたちが一緒に考えれば、きっと桜河も住みやすい橋になるよ。ね?」

「…………」

 渋々、といった風に、桜河が起き上がった。



          * * *



「で、結局こうなったわけねー」

 役場にイメージイラストを提供してから2年、ようやく新しい橋が完成したと聞き、遊斗が運転する車で橋までやって来た。

「桜新橋。名前もいい感じじゃない? 分かりやすいし、語感も綺麗」

 遊利が新たな橋の銘が掘られたプレートを撫でながら頷く。

 そこに架かっている橋は、一見するとかつての旧い石橋と大差はない。軽自動車がようやくすれ違える程度に幅は広くなってはいるが、当初用意されていた予算からすればびっくりするくらい質素な造りだ。他に違ったことがあるとすれば、桜の老木の近くに秋晴家の車椅子が積める大型車が停められる程度の駐車スペースと、申し訳程度に東屋とベンチが置かれた程度か。

「聞いてた話だと結構予算がついてたイメージだったけど、それはどうなったの? まさかこの小さい広場で使い切ったわけじゃないでしょ?」

「うん。実は橋の改修ってここだけじゃなかったらしくてさ、下流の方にあるもう少し大きい橋も事業に組み込まれてて、当初こっちで予定してた親水公園の予算はそっちで使ってもらうことになったんだ。結構立派な遊歩道ができたらしいから、そっちは今度行ってみよう」

 よいしょ、と遊斗は遊利を背負うと橋のたもとから河川敷に降りるために設えられた階段を下る。と言っても、この橋は「主」に許可された者にしか見えない特殊な橋だ。当然ながら、遊斗と遊利には見えている。

 橋を架け直しつつ、神秘性を残すための折衷案。

 これが桜河と遊斗、そしてかつて彼女とこの地で遊んだ少年たちの出した答えだった。

「お、いたいた」

「桜河さーん」

 遊斗の背に負ぶさりながら、遊利が手を振る。


 まるでそこだけ時間が止まったかのような小さなあばら家。その前に転がる大きな岩に腰かけ、小さな橋姫が釣り糸を垂らしながらうたた寝をしていた。

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