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038:蛇肉・のど飴・脱走兵

 いつものように部屋を訪れていた凛華を膝の上に乗せ、のど飴を舐めながら彼女の読む漫画に目を落としていたところ「あれ?」と白羽は違和感に気付いた。

「グレンちゃん、ちょっとお肉つきました?」

「……………………」

 沈黙。

 それは本に夢中になって白羽の声に気付かないいつものやつではなく、明らかに動揺で言葉が出ない時の無言だった。現にさっきまで小気味よくページをめくっていた手の動きも止まっていた。

「…………ぅ…………ぁの、ね…………ちょっとだけ…………」

「いえ、恥ずかしがることじゃありませんわよ? グレンちゃんの場合、今までが細すぎだったんですから」

 とは言え流石に無遠慮過ぎたかと、自身の言葉を省みながら凛華の頭を撫でる。

 しかし一方で、今までいくら白羽が食べさせても肉が増える気配がなかった凛華の体形変化は気になるところでもある。白羽の旦那が瀧宮家の尽力によってようやく標準体重に乗ったのとは話が違う。基本的に食事という行動欲求が希薄な概念魔王である凛華にとって、体重増加は無縁な話だったはずだ。

 訊ねると、凛華はいつもに増して恥ずかしそうに俯きながら「あのね……」と理由を語り出した。

「…………最近ね、お肉をたくさんもらったの…………」

「お肉?」

「うん…………蛇のお肉、なんだけど…………とってもたくさんで、ここ最近はずっとそればっかり食べてて…………」

「どこのどいつですの!? そんなワケ分からんもんをグレンちゃんに押し付けたの!?」

「…………魔帝のお兄さんなんだけどね…………」

「…………」

 めちゃくちゃ知り合いだった。

「何をやってるんですの、あの方は……」

「えっと……ね…………どこだったかの、世界、で…………おっきな蛇の、魔物を…………倒したんだけど…………そのお肉が、たくさん…………残ったから、お裾分けにって…………」

「またあなた冷凍庫扱いされたんですの!?」

 以前にも似たようなことがあり、彼の魔帝が近くの次空座標を航行中にお言葉念話を送り付けてやったことがあるのだが、全く反省していない。まあこんなことでいちいち省みているようであれば魔帝なんてやっていないだろう。以前は周囲に振り回されて胃薬が手放せなかった常識人だったというのに。

「それで、その蛇肉食べてたら体重が増えてきたと。蛇肉って脂肪がない蛋白なイメージですけど」

「…………けっこう、脂っぽいの…………味は美味しいんだけどね…………」

「異世界の蛇型魔物ですからその辺の常識は通じそうになさそうですわね。どれくらいいただいたんですの?」

「うーん…………骨と皮が、結構あるから…………食べれる場所は意外、と、少ない、けど、…………10トンくらい…………?」

「クジラか!?」

「今…………やっと半分くらい…………食べ終わったん、だけど…………」

「5トンを!?」

 いや、そもそも凛華の周囲は時間がほぼほぼ停止している。なんやかんや白羽は週に二回程度のペースで会っている感覚だが、凛華としては数百年規模に一度の再会なのだ。実際はジャネーの法則により体感時間は凝縮されているのだろうが、それはそれとしてその間毎日脂っぽい肉を食べ続けていたら流石の魔王も肥え太るということか。

「というか、そんなもの毎日食べてたらいくら魔王と言えど何かしらの支障が出そうですわね……ねえ。グレンちゃん」

「なぁに…………?」

「その蛇肉、白羽にもくださらない? 消費、少しでもお手伝いさせてくださいな」

「いいの…………!?」

 ぱあ、っと凛華の顔が明るくなる。

 いかに停滞の概念「紅蓮の魔王」と言えど、毎日毎日同じものばかり食べていい加減辟易していたのだろう。喉を鳴らして甘える猫のように白羽の胸元に頬を擦り付ける。

「あ…………でもいいの…………? 半分食べた、し…………皮と骨除けば、もう少し軽くなる…………って、言っても、まだまだ…………あるよ? そもそも、魔物だし…………」

「大丈夫ですわ。うちは分家と使用人含めたらとんでもない大家族ですもの」

 それに、と白羽は悪戯っぽく微笑む。

「大飯喰らいの悪食娘がいますから、どうとでもなりますわ」



          * * *



「でっっっっっっっっっっかぁ!?」


 月波学園の複数ある体育館のうち、最も大きな高等部第一体育館。バスケットボールのコート4つ分広さを誇る体育館の床に敷かれたブルーシートの上に置かれたぶつ切りの肉の塊に、紫は目を剥いて感嘆の声を上げた。

 事前に腹を開いて内臓は除かれ、血抜きも済ませてある状態で運び込まれているためウナギの開きのようにペタンとなっているが、それでもその大きさは正しく異形。生きていたら太さだけでも紫の身長を超えていたに違いない。

「焼肉にしたらいったい何人分あるんですか!?」

「流石にこの大きさだと見当もつかないねえ」

 紫と一緒についてきた裕も乾いた笑いを浮かべながらその肉の塊を眺める。

『いや、これ捌いてみて分かったんだが、可食部位としてはそれほどじゃないぞ』

 それほど大きい声量というわけではないのに体育館の壁や床、窓をビリビリと震わせる不思議な声が響く。その方向を見ると、巨大な黒い蜥蜴型のフォルムの龍がこれまた巨大な大太刀……というか包丁を右手に、蛇の身から皮を剥がしていた。

「羽黒さん」

「パパ!」

『よう、来たな』

 小走りで駆け寄ると、龍化した羽黒は左手を軽く挙げて二人を迎える。

『蛇なんて元々腹肉なんてあってないようなもんだからな。食うとしたら皮剥いで骨ごとカリカリに焼くか揚げるくらいだ。だがこのサイズになると流石に骨ごとってわけにゃいかんからな』

 そう言って羽黒は二人に曲線を描いた白い鉄の棒を差し出した。なんだろうと思いながら紫が受け取ると、見た目よりも軽かった。

『それ、小骨な』

「ふっといです!?」

『しかもそれがハモとかニシンみてぇに無限に刺さってる。もう骨抜きは諦めたわ』

 はあ、と羽黒は龍の口から深い深い溜息を吐く。羽黒が事前準備で会場入りしたのは早朝のはずだが、それでもまだ少し作業が残っているのを見るに、最初の方は骨も取り除こうと腐心したのだろう。

『こんだけ骨が多いなら、もういっそふぐ刺しみてぇに薄切りにしてから食う直前に人の手で取り除いた方が早いってんで、今はじゃんじゃん運び出しにかかってる』

「なるほどです」

「骨と皮はどうするんですか?」

 裕が尋ねると、羽黒は『ああ』と顔を上げる。

『そこら辺を走り回ってる大学の連中がいるだろ。切り分け次第好きに持ち帰ってるぞ』

「ああ、それで入口の方で白羽ちゃんが暴徒鎮圧してたんですね」

 異世界の魔物の素材がタダで手に入るということで、月波大学に属する魔術師や錬金術師たちは我先にと体育館に群がってきていた。中には熱量が行き過ぎて半ば暴徒化しかけていた連中もいたため、今回の件の責任者である白羽が鎮圧に乗り出していた。……叩きのめされた者の中には先日瀧宮家に婿入りした快斗の姿もあった気がしたのだが、裕は見ないことにした。

『そっちに積んでるのが皮剥いで薄切りにしたやつだ。持ってけ』

「「了解です」」

 羽黒が指さしたところには骨ごと薄切りにされた(と言っても極厚ステーキくらいはある)蛇肉が山積みになっていた。二人はここに来るまでに引っ張ってきたリアカーに肉を積めるだけ積み込むと、羽黒に手を振りながら体育館を後にする。

 目指すは体育館横に設置されているグラウンドである。

 そこには色とりどりのテントやパラソルが所狭しと乱立したBBQ会場となっていた。

「うわあ、なんか夏休みに観光客でごった返してるビーチみたいです」

「改めて見てみるとすげえな。八百刀流四家の術者、系列組織関係者、その家族が一堂に集まるとこうなるのか……」

「最初はこんなに集まって大丈夫かなって思ったですけど、アレを見るとむしろ集まってもらって良かったって気分になるです……」

「だね。あんなの絶対食べきれない」

 しかも振舞われるのが異界の魔物肉という明らかなゲテモノだ。よくもまあこれだけ集まってくれたものだと裕はいっそ関心すら覚える。端を発したのが瀧宮当主ということもあるだろうが、ここに集まった連中は「ちょっと珍しい美味い肉が食える」程度の認識なのだろうか。

 リアカーを押し、二人はBBQ会場本部へと立ち寄る。秋も深まってきた頃合いではあるが今日は比較的気温も暖かで、生肉を扱うには不安な気候なのだが、解体場の体育館と本部周りは魔術により冷涼かむしろ肌寒いほどの気温に抑えられていた。

「追加の肉持ってきましたー」

「そこに置いといてくれ!」

 隈武家と大峰家の調理人と思われる術者集団が一心不乱に大ぶりな包丁を振るっている。肉を持ってきたのがかつての穂波家当主と瀧宮羽黒の娘であることすら気付いていないらしく、額に汗をにじませながら巨大な肉から改めて小骨を外し、一口大に切り分けていた。

 職人たちの作業の邪魔してはいけないと、裕と紫は手早く肉をリアカーから下ろし、それが終わると再度体育館へと戻る。

 それを何度も繰り返していると、体育館で『よっしゃ終わり!』と羽黒の声が響いた。

 見ると、ちょうど最後の一塊を切り終えたところだった。

「パパ、お疲れ様です」

「ああ、二度とやりたくねえ」

 羽黒の体を魔力の粒子が包み、それが晴れると見慣れた黒衣の男が両手をぶらぶらさせながら現れた。朝早くからここで蛇の解体をしていたため、相当精神的疲労が溜まっていたらしい。

「運び出しは僕らでやっとくんで、羽黒さんは先に会場に行っててください」

「おう、頼むわ。あー、早くビールが飲みてえなあ」

 軽薄な笑みの端に疲弊を滲ませながら体育館を去る羽黒。後に残された裕と紫も手早く残りの蛇肉をリアカーに積み込み、体育館の片付けは他の関係者に任せてBBQ会場へと向かった。



          * * *



「紫ちゃん、僕はちょっと一通り挨拶して回ってから行くから」

「分かったです! お先に失礼して食べてるです!」

 最後の蛇肉を本部に届けた後、裕は一旦紫と別れることにした。びしっと右手を額に当てて敬礼し、紫は羽黒ともみじ、真奈の雑貨屋WINGとビャクたち行燈館の面々がテントを張っている方へと駆けていった。

「さて、まずはどこから行こうか」

 リアカーで何往復模したため火照ってきた体にシャツの襟をはためかせて風を送る。遠くからだと無秩序にテントがひしめき合っているように見えたが、実はしっかりと動線は確保されている会場をぶらぶらしながら見知った顔を探す。

「アハハハハハハハ! ちょー美味いウケるんですけど!」

 と、真っ先に聞き覚えのある底抜けに明るい笑い声が聞こえてきた。

 声のする方に歩みを進めると、顔色の悪い黒衣の少女がコンロに齧り付くように蛇肉を貪っていた。

「こらドビー、それまだ乗せたばっかりで生でしょ」

「ウチ生でも腹壊さないからヘーキなんだゾ☆ 死んでるからね、ちょーウケる!」

「てめぇは良くても俺らが食えねえだろうが!」

「ええい、貴様のせいでもうなくなったぞ! 次の皿もらってこい!」

「ああ、では僕がもらってきますね」

「兄さんあんまり食べてないでしょ、私がもらってくるから座ってて」

「いやあ、脂がのってて実は結構もうお腹いっぱいなんだよなあ」

「あ、それじゃあ私行ってくるね。お野菜も多めにもらってくるから」

 やってるなあ、と裕は苦笑しながらそのテントに近付く。

「どもー。なんだかんだお久しぶりです」

「お、穂波のカシラじゃん! いぇーい、飲んでっかぁ?」

「今来たばっかですよ、っと」

 金髪にちゃらちゃらとした風貌の鬼――悪十郎が缶ビールのプルタブを開け、裕に押し付ける。さらにそこに半ば強引に自分の缶ビールを押し当て、「かんぱーい!」と勝手に音頭を取った。

「ふむ、こうして直に会うのは久々だな」

「九朗左衛門さんも、お久しぶりです」

 甚平に身を包んだ見上げるほどの偉丈夫に、裕もビールの缶を掲げて乾杯を返す。

 山ン本九朗左衛門と神ン野悪十郎――どちらも地獄の鬼を束ねる魔王だが、縁あって一時月波市に奉公に出されたことがある。それ以降、たまにこうして地獄を抜け出して酒を飲みに来ていた。

「その後、奥さんの体調はどう?」

「また今度火里くんに会いに行っていい?」

「ええ、どっちも元気ですよ。火里は元気有り余ってる感じですけどね」

 燃えるような赤い髪と尖った耳を持つエルフの姉妹――ライナとレイナ。その昔、裕が学生だった頃に月波市を襲撃した錬金術師の契約幻獣だったのだが、羽黒の取り計らいにより事件解決後、保護という名目で月波市の住人として腰を落ち着かせている。姉のライナは金融機関、妹のレイナは人外専門の病院に就職したと聞いている。

「穂波さん、どうもご無沙汰してますね」

「……どーも」

「ジーノさん、ティナさん、お久しぶりです。月波市に戻ってきてたんですか?」

 緩やかな笑みを浮かべた薄紫色の髪の中年男性と、同じ毛色の妙齢の女性――ジーノとティナ。こちらも兄妹で、かつて世界を文字通りまたにかけて勢力を広げていたとある魔術組織に所属していた吸血鬼狩りである。羽黒がその魔術組織を崩壊させる依頼を請け負った折、とある人物から連絡を受けて保護した過去があるのだが、ここ数年はほとぼりが冷めたこともあり月波市から離れていた。

「今回はお呼ばれで立ち寄らせてもらっただけですよ。何日かは逗留するつもりですが、しばらくしたらまた仕事で日本を離れる予定です」

「……あ! えっと、これ、お土産!」

 思い出したかのようにティナがクーラーボックスを漁り、中から上品な包装のシャンパンを取り出した。

「お、ありがとうございます! さっそく開けさせてもらいますね」

「えー、ティナっちウチにはないのかよー?」

「アンタには会ってすぐ渡して飲み干したでしょ!? あんな風に飲むお酒じゃないんだけど!?」

 と、コンロに乗せられた肉を片っ端から貪っていた黒衣の少女がティナにしな垂れかかる。

 幻獣ドラゴンゾンビ――通称ドビーである。彼女もその昔、羽黒が請け負った依頼で保護した、もとい、勝手に憑いて来た元契約幻獣である。普段は月波学園で清掃作業の仕事をして暮らしており、紫も結構懐いていた。

 ちなみにこのテントのメンバーは俗に「瀧宮羽黒被害者の会」と呼ばれている。別に全員が全員羽黒の元敵対者というわけではないのだが、いつの間にかその呼称が定着していた。

「さて、他の人たちにも挨拶しなきゃなので、そろそろ行きますね」

「引き止めちゃってごめんなさいね」

「いえいえ」

「穂波くん、またねー!」

 手を振るエルフ姉妹に見送られながら、裕は悪十郎に渡された缶ビール片手に次のテントを目指した。



          * * *



「どーもー」

「お、ユーユーじゃん。おっつー」

「……よう」

 しばらく会場を彷徨っていると、ひときわ賑やかなテントがテント群に辿り着いた。

 裕に気付いて手をひらひらさせてきたのは八百刀流四家の一角「隈武」の当主である宇井と、その夫で隈武の表稼業の経営を担当している明良だった。二人には仕事柄今でも顔を合わせることは多いのだが、テント周りをちょろちょろと駆け回る小さな影はしばらく見かける機会がなかった。

「よっす、勝凪(まさな)ちゃん」

「お! 穂波のおっちゃん! おっすおっす!」

「ちょっと見ない間にデカくなったなー。今何年生だっけ?」

「3年だぜ! この前学園で二分の一成人式やった!」

「ん? ……ああ、18歳で成人になるから、二分の一成人式って3年でやるのか」

 髪を短く刈り、どこでスっ転んできたのか短パンとノースリーブのシャツから覗く肌のあちこちを絆創膏だらけにした少女が快活な笑みを浮かべてハイタッチをしてくる。それに裕も手を合わせると、後ろのテントがもそもそと動いてパネルが開く。

 誰が入っているのだろうと眺めていると、中からド派手なフリルたっぷりの白いロリータ服が姿を現した。

「おや、珍しいね。朋幸(ともゆき)くんがこういうとこに来るなんて」

「……ども。BBQとか、絶対髪が煙臭くなるから来たくなかったんですけど、母さんが行ってこいってうるさいんで」

 スカートの皺を気にしながらうんざりとした表情と歳の割に野太い声で事情を説明する朋幸。黙って立っていればどこからどう見ても美少女な彼だが、母親である「兼山」当主の美郷には逆らえないらしい。

 ちなみに勝凪と朋幸の二人は従兄妹にあたるため、八百刀流の「家」というよりも一般的な意味合いで家同士で交流が深かったりする。

「じゃ、僕はこれで……」

「あ、ともにーちゃん待ってよ!」

 一応挨拶だけするだけしておこうと顔を出したらしく、すぐさまテントに戻ろうとする朋幸。しかしそのスカートの裾を勝凪がむんずと掴む。

「ひゅっ!? おま、手ぇ洗ったのか!?」

「洗ったよ!」

「そうか、それなら……いやよくない!? 離せ、皺になるだろ!?」

「元々しわくちゃじゃん、ともにーちゃんの服」

「そういうデザインなんだよ!!」

「ともにーちゃんも食べようぜ! せっかく来たんだし!」

「蛇の魔物の肉なんてワケ分からんもん食いたくないんだけど!?」

「でも、うめーよ、ほら!」

「もがっ!?」

 ぎゃあぎゃあ騒ぐ朋幸の隙をつき、勝凪がいい塩梅に焼けた蛇肉を口に放り込む。それを渋々噛みしめ、死ぬほど嫌そうな顔をしながら嚥下する。

「どう? どう?」

「……トントロじゃん、これ」

「美味いよな!」

「うまい、けど、なんか……複雑……」

 一口食べてしまったせいで食欲に中途半端に火がついてしまったのか、テントに戻ろうか揺れ始める朋幸。一応本部では普通の肉などの食材も用意しているため、そっちを食べるという選択肢もあるのだが。

「そう、トントロなんだよね」

「ヘビのくせにどうやってこの脂肪蓄えたんじゃ?」

 と、蛇肉を齧りながら首を傾げる大柄な二人の声が届く。

 そちらに目をやると、相良とシャシャ夫婦がコンロの上の肉をひっくり返していた。

「やっぱりその辺って変なんですか?」

 裕が尋ねると、生物のプロ二人は大きく頷いた。

「ヘビって基本的には食べた栄養って筋肉と骨の成長と維持に回すんだよね」

「一応メスは産卵のために脂肪をつけることはあるがの。それにしても哺乳類のように皮下脂肪ではなく繁殖器官周囲に蓄えるんじゃ。じゃからこういうふうに全身に牛肉のようにサシが入るなんてありえんのじゃよ」

「へー」

 先ほど肉を運び込む時にゴム手袋の上から触れたが、確かに牛脂に触れたようなぬるっとした感覚があって掴みにくかった。

 やはり異世界の、しかも魔物はこの世界の常識が通用しないのか。それともこの世界の人間には蛇に見えているだけで、現地では哺乳類のような存在だったりするのかもしれない。

「ていうかシャシャさんって蛇肉食べていいんですか? 下半身蛇ですけど」

「……その質問、もう今日だけで5回目なんじゃがな。わらわ、ラミアはラミアでもヒトの近縁種じゃから。ヘビっぽいヒトじゃから。ヘビちゃうんじゃ」

「え、あ、すんません。……あー、そう言えば今日フルルちゃんは?」

 なんか気まずくなり、別の話題を振る。

 勝凪と朋幸が来ていたため二人の娘であるフルルもいるものだと思っていたのだが、その姿が見えなかった。

「フルルは向こうの大峰家のテントに遊びに行っとるよ。意中の相手でもおったんじゃろうな」

「……父親としては複雑だけどね」

「あー、悠太郎(ゆうたろう)くんか」

 この春に高等部に進学した大峰家の次期当主の少年は父親に似てずば抜けた身長と体格を誇っている。それこそ、手洗鬼の相良には流石に及ばないものの、人狼の明良には勝るとも劣らないレベルだ。潜在的に大柄な男性に惹かれる傾向があるらしいラミアのフルルは一目見てメロメロだったらしい。……問題は、フルルはこの前ようやく初等部に上がったばかりのピカピカの一年生であるというところだ。

「恋に恋する女の子っぽくて可愛いじゃないですか」

「君んとこは子供が男の子だし、まだまだ小さいから分かってないよ……相手が大峰家のお坊ちゃんだから変なことにはならないだろうけども、こう、なんか、……分からないかあ」

「娘を持つ父親の苦悶じゃな」

「明良は分かるよね?」

「……まあ、言わんとしてることはな」

 無言でコンロに炭をくべて火加減を調整していた明良に話を振る。表情は昔から全く変わらない仏頂面だが、その頷きに込められた感情は何やらとても大きそうだった。

「はーい、追加のお野菜とお肉もらってきましたー」

「お?」

 声の方に振り返ると、見覚えのある二人が両手に食材の乗った大皿を持って立っていた。

 一人は黒髪をボブカットに揃えたなんとなくふわふわとした雰囲気の女性。かつては前髪で目元を隠していたのだが、林業職についてからは危ないということで流石に短くしたらしい良子だった。元は九朗左衛門や悪十郎と同じ頃合いに保護の名目で月波市に移住してきたのだが、被害者の会のテントで見かけないと思ったらこちらに来ていたらしい。

 そしてもう一人――話には聞いていたため一度は顔を見せに来ようと思っていたのだが、いざ再会してみると胸にこみあげてくるものがあった。

「よう、穂波の。なんだか懐かしいな、立派なおっさんになってまあ」

「……経さんこそ、もう日本人には見えませんね」

 髪を伸ばして後ろで一つに無造作に括っている、こんがりと日に焼けた男。裕とは一つしか違わないはずなのだが、結構な修羅場を潜り抜けてきたためか、不思議と裕にはない渋みのような雰囲気を醸し出している。

「奥さんは流石に来てない感じですか?」

「いや? そこにいるだろ」

「え?」

「はは、いつ気付くか見てたんだが、案外バレないもんだな。……久しぶりだな」

 裕が振り返ると、テントの陰から椅子に腰かけたまま金髪ショートカットの女性がひょっこりと顔を出し、微笑みを浮かべていた。眼鏡の奥には昔と変わらない、強い光を湛えた青い瞳が静かに微笑んでいる。

「うわ、気付かなかった。ご無沙汰してます、ハルさん」

「ああ。そちらも息災でなによりだ」

 藤原経と、その妻のハル。かつて月波市で共に学園に通い、時に一緒にバカなことをし、寝食を共にした大切な友人夫妻だ。一時は日本を離れ、紛争地帯で医療と農業施設の設置に貢献していた。それが数ヶ月前に日本に帰ってきたというのは聞いていたのだが、お互いに仕事の都合が噛み合わずに今日まで再会がお預けになっていた。

 そして藤原夫妻の帰国の理由というのが、

「随分と大きいですね。今何ヶ月ですか?」

「今8ヶ月だな」

 ハルが大きくなったお腹を撫でながらはにかみ、答える。自分の妻の同じ時期の姿を思い返すと、それよりも大きいように見えるが、欧米人と日本人の体格差なのだろうか。

「本当は前の活動拠点からだとハルの母国の方が近かったから、そっちで産もうかって話もあったんだがな」

「私が日本で産みたいと望んだんだ。父母も今や日本が大好きだし、反対はされるどころか喜んでいた。それに何より――経と出会えたこの街が、私は好きだからな」

「……なんだか、ありがたい話ですね。そう言えば仕事はどうしたんですか?」

「しばらくお互い休業だな。日本でもあっちに対してできる限りの支援は続けるつもりだが。向こうの情勢も多少落ち着いてきちゃいるが、たまに脱走兵だなんだと担ぎ込まれるところじゃちっと不安だったからな。あっちの先生方にも帰れるなら帰れって言われたわ」

「まあ、それは流石に仕方ないか」

「向こうの病院で面倒を見ていた子供たちも寂しがってはいたが、最後は笑顔で送り出してくれてな。ほら、こうしてミサンガを編んでくれたんだ」

 ハルは手首に巻かれたミサンガを誇らしげに裕に見える。多少網目が荒いが、それだけでも子供たちが思いを込めて一生懸命に編んでくれたのが目に浮かんだ。

「そうだ」

 マタニティワンピースを押し返すように丸くせり出したお腹を愛おし気に撫でながら、裕に一つ訊ねる。

「触ってみてくれないか」

「……いいんですか?」

「ああ。むしろ穂波のみてぇな強ぇやつに触ってもらったら、なんかご利益ありそうだしな」

 経が笑いながら肩を竦める。

 それでは、と裕はおずおずと手を伸ばす。

 指先がハルの腹部に触れる。ビャクが妊娠していた時以来の感覚だったが、ちょうどタイミングよく中の胎児が裕の手を押し返すようにとくんと動いた。

「……はは。元気いっぱいですね」

「ああ。なんせ俺とハルの子供たちだからな」

「世界一元気だろう」

「そうですね。……たち?」

 ああ、と経が嬉しそうに鼻の頭を掻いた。

「双子なんだ」



          * * *



「そういや穂波の、あとで羽黒のアニキと顔繋いでくれ」

「いいですけど、何かありました?」

「ああ、さく井機送ってやりたくてな」

「さく……え?」

「井戸掘る重機だよ。値は張るが、あると断然便利でなあ。金はうちの活動組織から出すから心配すんな」

 そんなやり取りを交わし、裕は経たちのテントを離れた。その後もあちこちのテントを回りながら懐かしい顔や今も付き合いのある顔と言葉を交わしていく。


 紅や泉、良樹やあき子がいる行燈館のOBOGのテント。


 修二と穂の姉夫婦を始めとした月波学園高等部の教師陣のテント。


 ホムラやミオなどの月波市の神々がどんちゃん騒ぎしているテント。


 他にも、大学に入ってから知り合った友人たちや、羽黒がかつて拾ってきた被害者の会第二陣のテントなんかもあった。


 本当はもう少し昔を懐かしみながら肉をつつきたい気分ではあったが、行く先々で酒を注がれるため流石に酔いが回ってきた。いくら何でもべろべろに酔っ払った状態で戻ってはビャクに呆れられてしまう。

 名残惜しみつつも良いところで切り上げ、裕は自分たちのテントを目指す。

「うまーい! 何枚でも食べれちゃうです!」

「よく食うなあ、お前」

「若さですねえ……わたしは流石にもういいかなって感じです……」

「そう言いながらマナも結構食べたじゃない」

「口直しにフルーツでもいかがですか? 家で切ってきた物を持ってきてるんですよ。……あら、ユウさん」

 クーラーボックスからタッパーを取り出しながら、もみじが裕に気付いて顔を上げる。

「ユウおじさま! お先いただいてまーす!」

 紫が口の周りを脂と焼き肉のたれでてかてかにしながら手を振る。

「はは……ただいまー」

「おかえりー」

「ぁうあ!」

 ビャクが微笑みながら出迎え、抱かれた火里も裕に向かって手を伸ばしてきた。ずっと抱えていたビャクに代わって火里を抱き上げ、その腕に愛くるしい重さをしっかりと抱きとめる。

「どうだった? みんな元気?」

「うん、みんな変わりなく。あ、そうそう、ハルさんと経さんとこの子供なんだけど――」

 今日会ってきた旧友たちの話を、一人ひとりビャクに伝える。

 どこまでも続くような秋空の下、裕たちはしばしの休暇を満喫したのだった。

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