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037:スライム・花火・蛇腹剣

 混沌渦巻く次空の海原。

 そこに一隻のヨットが漂っていた。

 上下前後左右の区別なく荒れ狂う魔力風をものともせず、真っ直ぐに突き進む異形の船体。船首から船尾、果ては帆に至るまで全てが鋭利な『剣』で形成されていた。

 その甲板にふわり、と人影が舞い降りる。

 濃い灰色のローブにあからさまな「魔女」然とした大きなつばの帽子。分厚い眼鏡の奥には灰色の瞳が柔和な微笑みを湛えている。年頃は20代を半ばに踏み込んだ女性に見えるが、この手の者が見た目通りの年齢であった試しはほぼない。


 そんな彼女を――艦の主は操舵室から蠍の尾のような蛇腹状の剣を放ち、絡め取った。


「…………」

 鞭のように蠢いた剣は無数の刃を以って女を拘束する。艦の主の手加減によりその柔肌には傷一つついていないが、身に着けているローブは切り裂かれ、そこに仕込まれていた術式ごと破壊された。

「……誰だ」

 艦の主が質す。

 操舵室から顔を出したのは、女と同程度か少し若い青年だった。

「…………」

 女は自身に巻き付いた刃をしばし見つめると、ふっと笑みを浮かべる。

 そして――ぱぁん! と、花火のように破裂した。

「ほう」

 青年は興味深げに蛇腹の刃を回収し、剣の形に戻す。

 破裂した女がいたところには何やらぶよぶよとしたスライム状の物体が飛び散っており、その一つ一つが徐々に魔力を蒸気のように放ちながら霧散していく。そして魔力の蒸気が完全に晴れると、甲板に再び灰色の女が立っていた。

「こうして直接お会いするのは初めてですね」

 女はローブの裾をスカートのように摘まみ、帽子を取る。

「雑貨屋WINGの真奈と申します」

「ああ。あんたが『眠りの魔女』か」

 灰色の女――真奈が礼節以って名乗ると青年は多少警戒を解く。その肩書には多少の心当たりがあった。

「急に出てくるから敵襲かと思ったぞ」

「ふふ、申し訳ありません」

「何の用だ」

「先日の『劔龍』の依頼の件で、対価をお支払いに参りました」

「……ああ、あれか」

 しばし思考し、思い出す。

 そう言えば数日前に旧い知り合いだった女から直接の依頼を受けたのだった。何でも、標準世界ガイアの衛星に発生した龍種を捕縛し、彼女の研究施設へ送ってもらいたいという話だった。

 別に断るほどのことでもないし、たまたま付近の座標を通過することもあって気紛れに受諾したのだが、わざわざ対価を用意していたらしい。

「律儀なものだな」

「『感謝は適度に、報酬は一割増、ただし恨みは三倍返し』が当店のモットーですので」

「どうやってこの艦に来たんだ」

「企業秘密です」

 しーっと指を口元に当てる真奈に、青年は肩を竦める。今度セキュリティ関係を見直す必要があるなと心に決める。別に敵襲を恐れているわけではないが、いちいち撃退するのも面倒だ。

「それで、対価とは?」

「こちらになります」

 真奈がローブの懐からソレを取り出す。

「……魔石?」

 それは魔力を凝縮させることで形成される鉱石に見えた。

 大きさは真奈の両手の平になんとか収まるほどの大きさで、形状は五角柱に整えられている。色はまばゆく輝く金色だが、その内に秘められた膨大な魔力によって脈打つように、焔のように揺らめいていた。

 青年はやや拍子抜けする。この大きさの魔石は確かに希少性は高いだろう。昔なら魔力不足どころか魔力保有が困難だったため有難いと感じたろうが、今となってはこの程度の魔力は雀の涙だ。

 とは言え元々気紛れで受諾し、対価など期待せずに受けた依頼だ。わざわざ次空の海を掻い潜って直接渡しに来た律儀な依頼主に不満を口にするのもはばかられ、青年は「それじゃあ、ありがたく」と魔石に手を伸ばす。

「……!?」

 そして指先が魔石に触れた瞬間、その奥底に押し込められた異質なモノに気付いた。

 己の身から零れ落ちた体の一部に気付かず生活し、それが突如として戻って来たかのような、奇妙な異物感。体は受け入れているのに心にどうしようもないほどの違和感を覚える。

()()()()()()()()()()

 真奈が恭しく頭を垂れる。

「『返す』だと? あんた、これは一体……」

「その魔石には()()()()()()が封じられています。今のあなたでしたら吹けば消し飛ぶような脆弱な悪魔です。ですがその異端の力は、間違いなく人を外道へと貶めるには十分なものでした」

 真奈は自嘲気味に微笑みながら、指先で陣を描く。

 すると彼女の足元から徐々に魔力が溢れ出し、その身を包み込んでいく。

「おい、話はまだ終わってないぞ!」

「これ以上の滞留は私の身にも負担が大きいのでご容赦を。ですが最後に1つ――その悪魔は()()()()()()()()()()()()()()()()。千の剣の魔王……魔帝さん。『黒き劫火』をその身に取り込んだあなたにならば――」

 ひゅおう、とひときわ大きな魔力風が艦を揺らす。

 それにほんの僅か気を取られた間に真奈の姿は完全に消え、手元に金色の魔石が残されただけだった。

 いや。

「……なんだこれ」

 よく見ると、魔石の裏側に何やらメモが貼られていた。見るからに角の丸い女性の字。恐らくは真奈の物なのだろう。


『収集要素 黒き劫火の火の粉 1/108』


「え、いや、なにこれ!? RPGあるあるのクリアには直接関係ないやり込み要素か!?」

 声音を荒げて説明を求めるも既に真奈の姿はなく、そのツッコミは虚しく次空の彼方へと消えていった。

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