034:過労・辛党・フードコート
『続いて次のニュースです。先月7月18日から「過労の魔王」を名乗る武装集団に襲撃されていた惑星マーズ第28居住区ですが、本日未明、フランドール製薬傘下の警備組織が完全な撃退に成功したと発表しました。民間企業による魔王種の撃退は過去50年で二度目となります。火星自治政府はこの発表について――』
「最近、魔王の質落ちたよなー。魔帝クンも頑張ってるが、ここいらが踏ん張り時だぞー」
端末が読み込んだニュース記事を読み上げていた機械音声を停止させながら、男はベンチで軽く伸びをする。
旧キョート地区の街はずれの公園。
古来の建築様式である木造の街並みが今なお残る古都として、他惑星や多重世界からも観光客が多く訪れる街だが、目玉となる観光物から遠く、平日の真昼間ということで未就学児を遊ばせに来ている家族連れがちらほらと見える程度だ。
そしてそのちらほらといる家族連れも、男を不審な目で遠巻きに眺めているため、実際よりも広く感じられた。
さもありなん。男は今時とんと見かけない布製の黒いコートを身に着けていた。観光盛んな古都ということで布服自体は見かけないことはないのだが、そのほとんどが貸し出し用のKIMONOであるため異質度が高い。都市部へ行けば汎用性光覚衣類を購入できないような浮浪者が布服を身に着けているのを見かけることはあるが、男が着ているのは目立つ皺や綻びのない上等な物。一目見ただけで分かるような相当な変わり者だ。
と、そこに駆け寄る人影が公園に足を踏み入れた。
「パパ! 見て見てこれ!」
ピカピカに明るい笑顔で何やらテイクアウト用保温ポッドを二つ抱えた少女だった。年の頃は10代を半ば過ぎるかどうかといったところか。汎用性光覚衣類で、わざわざかなり昔に絶滅したセーラー服を投射しているという奇特なセンスだが、彼女が男のことを父親と呼んだことから周囲の視線は多少警戒が緩んだ。
この父にしてこの娘あり。こういった手合いの変な観光客は今でもたまにいるのだ。
少女は男にポッドを一つ預けて蓋を開けると、独特の香りが周囲に漂った。
「じゃじゃん、昔カレー! ターメリック使用、かつてニホンで親しまれたカレーライスを再現しましたって! フードコートもまだまだ捨てたもんじゃないですね!」
「マジかお前。その辺の香辛料軒並み生産規制入って価格爆上がりしてんだろ。いくらした」
「250ガイアドルです!」
「たっか。フードコートの相場の10倍以上じゃねえか」
「奢りだから安心するですよ! パパは辛党でしたよね、そっち辛口です。久々のカレー、いただきます!」
少女は男の隣に腰かけ、さっそく備え付けのスプーンでポッドの中身を掬う。どろりとした不自然に黄土色の半固形物が白い穀類にかけられていたそれを迷わず口に運ぶと、少女は「ん?」と固まった。
「どうした」
「…………」
スプーンを咥えたまましおしおと見るからに元気がなくなる少女。もぐもぐと咀嚼し、やっとの思いで嚥下すると深いため息を吐いた。
「お酒の前に飲むあのドリンクの味がするです……」
「よかったな、ウコンたっぷりだぞ」
「クミンは!? コリアンダーは!?」
「そこら辺まで用意したら250じゃ済まんだろうな」
「しかも中に入ってるお肉、これソイミートです……培養肉ですらない……ご飯もこれ、人造米結構混じってるです……」
「まあ大豆肉も出始めの頃よりはかなり美味くなっただろ」
苦笑しながら男もポッドの蓋を開ける。するとこちらは強烈なターメリックに混じって安価な辛味調味料の臭いがした。顔をしかめながら一口食べると、確かにこれは記憶に残るカレーではない。カレーを目指そうとした別の何かだ。
「はあ……京都まで来たらカレー食べれると思ったのに……」
「つかよく考えたら京都ってカレーの街じゃねえだろ。漬物とか出汁とか、カレーの対極に位置づく食べ物だろ」
「古い街並みが残ってるなら、古いレシピも残ってるかと思ったです。……ご馳走様です」
ガサガサとポッドの中身を一気に掻き込み、胃袋に詰め込む。ぶうぶう文句は言うが米一粒残さないのは男の教育の賜物だ。
男もまたカレーもどきを腹に押し込め、ふうと一息つく。
「さて、そろそろ約束の時間だが」
「あ、あの子じゃないです?」
食べ終わったポッドを感知して近づいてきたドローンに食器を預け、少女が公園の入り口を指さす。そこには5歳くらいの小さな女の子が大きな鞄を背負い、辺りをきょろきょろと見渡していた。
それだけならば一人で公園に来た女の子なのだが、彼女はもはや骨董品の域に達するガラス製の眼鏡をかけていた。
少女が「おーい!」と声をかけながら手を振ると、女の子も黒いコートとセーラー服の二人に気付いたのかたったったと小走りで駆け寄ってきた。
「おひさしぶりです、はくろさん、ゆかりちゃん」
「よう、久々だな」
「こんにちは、真奈さん!」
* * *
数十年ぶりに顔を合わせたかつての雑貨屋WINGの三人は思い出話や近況報告に花を咲かせながら、その標的を待つ。
「え、それじゃあ真奈さんの今のご家族って魔術師じゃないんですか?」
「そうなるねー。まあふつうにせいかつするぶんにはふじゆうはしてないかな」
「学校の授業とか暇そうだな」
「そうでもないですよ? ぜんせでもそうでしたけど、じゅぎょうないようとか、けっこうかわってて。ほいくえんでもおぼえなおすこともおおいし、たまにむかしむかしのちしきとまざっちゃうんですよ」
「うわあ、大変そうですね……」
「そういえば、ういんぐはまだつきなみしにあるんですか?」
「ああ。いや、市内にはあるが区画整備で一回移転したな。今は大峰温泉街の裏路地にある」
「そうなんですね……ちょっとさみしいかも。あとじゅうねんくらいしたら、いっかいかおをだしますね」
「待ってるです! また真奈さんと働けたらいいですねえ――っと、もしかしなくてもアレですかね」
紫が姿勢を正す。
彼女の人外の視力と魔力探知が遠くから歩いてくる標的の姿を捉えた。
「どうだ?」
「外見的特徴はほとんど残ってないです。混血著しい昨今では珍しく、片方は相変わらずの黒髪黒目ですけど」
「よし、配置につくから二人はここで確認を頼む」
「了解です、オーナー」
「りょうかいしました」
紫が標的を注視し、真奈が鞄から自身の胴体ほどもある分厚い魔導書を取り出して術式を練り上げる。それを確認すると羽黒は立ち上がり、公園へと近付いてくる小さい影を見る。
紫ほどではないが、羽黒の人間離れした視力でもその三人が確認できた。
三人とも中等学校に入学前くらいの年頃か。一人は少女で、こちらは事前情報にないためたまたま帰宅路が同じなだけの一般児童だろう。残り二人の少年が今回の標的だが、どちらも羽黒の記憶にある面影はない。紫の言う通り片方は黒髪黒目だが、最近は少なくなってきたとは言え見かけないこともないため、この要素はとりあえず無視していい。
歩き出す。
まだまだ遠くにいるが、既にあちらは羽黒の存在に気付いたらしい。今どき見かけることの少ない布製の黒コートの長身の男を不審に思ったのか、髪色の薄い方の少年がおずおずと二人の陰に隠れた。
「…………」
思わず吹き出しそうになる。
かつてならそんな行動はあり得なかった。
しかし、今ならば。今この時代ならば、それは何よりの救いとなる。
「…………」
そのまま羽黒は歩を進める。
三人との距離が縮み、そして10メートル余りまで近付いたところで、思わぬ先手を打たれた。
「こんにちは!」
黒髪の少年が大きな声で挨拶をしてきた。
恐らく不審な人物に対しては自分から大きな声で挨拶することで周囲の注目を集め、犯罪を予防するように教わっているのだろう。事実、公園内にいた数少ない家族連れの視線が全て羽黒へと集まった。
「こんにちは。元気が良いな、坊主」
「はい!」
「気を付けて帰れよ」
「はい!」
耳がキンキンになるほど威勢のいい返事に羽黒は苦笑する。さすがに声デカすぎだ。
そして思わぬ先手を制されたが、羽黒は計画通り行動を起こす。
とは言え、大したことではない。ポケットに突っ込んだ端末を取り出した拍子に、一緒に入れていた物を地面に零しただけだ。
「あっ」
気付いたのは少女だった。羽黒はそれに気付かないふりをしつつ、端末を弄りながら歩き去る。
「あの……!」
拾い上げたのは、元気な挨拶の黒髪の少年。ころころと足元に転がってきたそれを手に取ると、遠慮がちに羽黒のコートの裾を引っ張った。
「あの、落としました」
「ん? ああ、すまんすまん」
それは漆黒に輝くオニキスの小さなピアス。かつてあれだけあった特別な石だが、今や羽黒の手元にはこれくらいしか残っていなかった。
少年からピアスを受け取りながら二人の様子を観察する。
黒髪の方は羽黒の姿に対し特段反応なし。もう片方は多少怯えているが、それだけだ。「落とし物」に対しても特に何も反応はなかった。
あとは真奈の解析結果次第だが、これは成功と見ていいだろう。
「ありがとうな」
「いえ」
少年たちに礼を言いながら羽黒はその場を離れ、軽く公園内を遠回りしながら二人が待つベンチへと戻る。
「おつかれさまでした」
「おう、そっちはどうだった?」
羽黒が戻ると、三人の姿はもう公園の反対側まで遠のいていた。そして羽黒が何となく見守っていると道の角を折れ、姿が見えなくなった。
「かいせきけっかがでました」
真奈が報告する。
「しきそのうすいこのほうですが、まりょくりょうはいっぱんじんにけがはえたていどです。あいかわらずといえばあいかわらずですが、ぎそうのこんせきもありませんでした」
「黒い方は?」
「くろかみのおとこのこのほうは、あのとしごろにしてはまりょくはおおいですが、さほどいつだつしているわけではないです。……もんだいのしょうじょうも、かんぜんにしょうめつしていました」
「……はは」
羽黒は肩の力を抜き、ベンチの背もたれに体を預ける。
やっとか。
やっと、解放されたわけだ――あの二人は。
「長かったな……。魔力増幅も魔素循環阻害も完全に消えて、ようやく環に戻った」
「おつかれさまでした、はくろさん」
「これであの時代に請け負った最後の仕事は終わりだ。ご苦労さん、真奈。転生先まで調整してもらって、手間かけた」
「いえいえ。これくらいのことでしたら、いくらでも」
「あとはお前さんの人生だ。今度こそ好きに生きてくれ」
「ふふ……でもみちはつながっていますからね。どこかでまじわるかもしれません」
「はっ。物好きな」
「それでは、そろそろりょうしんがしんぱいするかもしれないので、わたしはこれで」
言って、真奈は背負っていた鞄に魔導書を戻す。そして手を振って公園を後にする小さな背中を見送りながら、羽黒も「よし」と立ち上がった。
「俺たちも帰るか」
「…………」
「夜は久々に寿司でも食いに行くか。カレーは食えなかったが、寿司なら信頼できる店知ってるからな。美味いぞ」
「…………」
「紫?」
「あ、いえ。ごめんなさいです。何でもないです」
「何か気になることでもあったか?」
「いえ、そうではないです。お寿司、なにあるかなーって考えてたです!」
「……そうか」
それ以上は深く追求せず、羽黒は歩き出す。寿司は一度宿に戻り、待機しているもみじと合流してからだ。
紫もその後に無言で続くも、脳裏には先ほどの子供たちの最後の姿が浮かぶ。
羽黒は気付いていなかったが、道を折れて姿が消える直前、標的二人に付いて歩いていた女の子が唐突に振り返り――無邪気な笑みを紫たちに向かって浮かべ、しーっと、指を口に当てていた。
「……悪いものではなさそうですし」
なんなら、むしろ良いものの気配すらした。
彼女の正体は見当もつかないが、言わないでとお願いされたのだから、まあ下手に口に出すつもりはない。
若干のふわふわとした気持ちを抱えながら、紫は羽黒を追いかけた。





