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032:暗殺・うっかり・コオロギ

「夜店楽しみです! 何食べようかなー」

「ふふ、そうですね」

 ちょっとした陸上競技大会や球技が行える施設が併設された大型公園。まだ日が傾き始めて間もない頃合いだというのに、気の早いコオロギやスズムシが鳴き始めている。

 徐々に増えてきた人混みを縫いながら、二人の少女がカランコロンと下駄を鳴らしながら浴衣姿で歩いていた。

 一人は背が高く大人びた雰囲気をまとっている。さらに濃藍色の生地に赤い牡丹があしらわれた浴衣を綺麗に着付けているが、外国人並みのプロポーションを完全に隠しきることができていない。もう一人は、連れ合いほど背が高いわけではないが、水色の生地に赤と黒の金魚模様の可愛らしい浴衣がとても似合っている。

 どちらも長く艶のある黒髪を結い上げてお揃いの簪で留めており、白いうなじから女性特有の色気を漂わせていた。顔つきもとても似ており、恐らくは姉妹と思われる。すれ違う男どもは二人の少女へうっかり視線が釘付けになってしまい、連れの女性に腕を抓られようやく正気に返っていた。

「やっぱりたこ焼きはマストですよね。あ、でも焼きそばと唐揚げ棒も食べたいし、甘いものならわたあめ、りんご飴、ああ、あとやっぱりチョコバナナも捨てがたいです……!」

 しかし当の本人、特に金魚柄の浴衣の少女は周囲の視線などどこ吹く風。色気より食い気で立ち並ぶ屋台の品定めで頭がいっぱいになっていた。

「焼きそばと唐揚げなら家でも食べれますよ? 今度作りましょうか?」

「いやいや、分かってないですねー。おうち焼きそばやおうち唐揚げはもちろん美味しくて好きですし楽しみですけど、夜店で食べるのはまた別物ですよー。特に焼きそばは鉄板で一気に水分飛ばせるので屋台の方が美味しいという話を聞いたことがあるです」

「なるほど、確かに言われてみれば」

「うー、でもバイト代もらうようになったから自分でやりくりしなきゃですし……」

「今夜くらいはいいんじゃないですか? 私が買ってあげましょうか?」

「え! いいんですか!? ……うっ、でも、それはなんかルール違反な気がするです……」

「あらあら、真面目ですねー。良い子良い子」

「うー」

 ほがらかに微笑み、連れ合いの頭を撫でる濃藍色の浴衣の少女。それを恥ずかしそうに俯きながらも、金魚柄の浴衣の少女はどこか嬉しそうに口元を緩めていた。

 と、そこに。

「よーう、そこのカノジョー、二人だけー?」

「暇なら一緒に回らねえ? 奢るぜぇ?」

 浅黒く焼いた肌に髪を痛々しく脱色し、耳にじゃらじゃらとピアスを開けた上に程よく鍛えられた腕にごてごてのタトゥーを入れた男二人組が近寄ってきた。今日日こんなのまだいたんかと周囲も思わず距離をとるほど、分かりやすいヤンキーといった風体だった。

 男二人は下心を隠す気がないニヤニヤとした笑みを浮かべながら少女二人を挟むように並ぶ。

「……なんですか?」

 金魚柄の浴衣の少女が嫌悪感に顔を歪めながら一歩下がるも、下がった分さらに男たちは無遠慮に接近する。

「俺たちもツレが来れなくなってヒマなんだよねえ。野郎二人でこんなしょぼくれた祭回ってもしゃーないし、一緒に楽しもうぜえ?」

「いえ、結構です」

「んだよ、ツレねーなあ。ほら、こっちのおねーさんも一緒でいいからさあ」

「あ」

 そう言いながら男の一人が濃藍色の浴衣の少女の肩に触れる。


 周囲が止めに入ろうと息を呑んだその瞬間――空気が凍り付いた。


 それは比喩でもなんでもなく、本当に気温が下がり、男二人はぶるりと背筋が縮み上がる。


「え……あ……?」

「なん……?」


 男二人はどことも知れぬ小部屋にいた。

 元は白くて小綺麗だったと辛うじてわかる石壁と床、天井にはびっしりと赤茶色の汚れがどろりとこびりついている。その汚れが何なのかは想像したくもないが、ともかく、男たちはそんな部屋の中央に背中合わせで置かれた椅子に縛り付けられていた。

「やれやれ、せっかく家族水入らずでお祭りを楽しもうと思っていたのに、とんだ邪魔が入りましたね」

 声がした。

 耳ざわりの良い心地よくも、薄ら寒いソプラノ。

 見ると、先ほどの濃藍色の浴衣の少女が二人を見下ろすように、顔を覗き込むように立っていた。

「二人にはお仕置きとして、拷問を受けてもらいましょう」

「ご……? は……?」

「ああ、正確には拷問ではありませんね。私は別にあなたたちから何かを聞きたいわけではないですから。なので責苦と言った方が正しいのでしょうね」

「せめ、く……?」

「おやおや、責苦という言葉が分かりませんか? それでは噛み砕いて教えて差し上げますね。これからあなたたちを痛めつけます。とは言え、本当に傷付けるわけではありません。ここは私の精神世界。あなたたちは魂のみの精神体……幽体離脱していると思ってください。ここでどれだけ私が痛めつけようと、実際にはあなたたちの肉体は全くの無傷ですから」

 にこりと笑いながら、女は二人の顎に謎の針を刺した。

「いっ!?」

「まだですよ、これはただの局所麻酔です。精神体とは言え舌を噛み切られると肉体に何かしらのフィードバックがあるかもしれませんからね」

 言うと、少女は男の顎の付け根を強く握る。すると男の意に反してカコンと口があっけなく開かれた。

「はーい、まだ痛くないですよー」

 女は白魚のような指を口腔内へと這わせ――ぽりんと、木の実でももぐかのように捻る。

「……???」

「はいはい、まずは前歯ですねー。一応奥歯もいっておきましょうか」

 ぽりんぽりんと何かが零れ落ちる。

 そしてじわりと舌に生臭い鉄のにおいが滴る。

「い、いやだ! やめろ! 助けてく――あがっ!?」

 背後から連れ合いが何かを察したのか暴れる気配がする。しかし手足どころか指や頭部までがっちり拘束されており、一ミリも自由に動かせる部位はない。

 男は痙攣する眼球を必死で動かし、足元を見る。

 そこには血で汚れた白い歪な塊が何個も転がっていた。

「は……へ……」

 言葉が上手く発音できない。顎に刺された麻酔のせいだけではない。本来口の中にあるべきものが、ひとつ残らずなくなっている。

「はいはーい、それでは本番行きますよ」

 にこりと笑い、女が男の顔を覗き込む。

 笑みを受けベているはずなのに、そこに一切の感情が感じられない。

 喜びも、愉しみも、怒りも、何もない。

「うーん、まずは何をしましょうか? とりあえずオーソドックスに爪からいきましょう」

 女は拘束された男の指先をちょいと摘まみ――めきっと、握り潰す。

「がああああああ!?」

 落花生でも割るかのような感覚で爪が縦に砕ける。そしてその破片の先を掴み、シールのように捲った。

「いあああああああああああ!?」

「うーん、思ったよりもしっかりくっついてるんですね。これを20枚やるのはなかなか大変ですね」

「ひゃ、めっ……! ああああああああああああああ!!」

 女は次々と爪を砕き、剥ぎ落としていく。後半になると手馴れてきたのか、一度砕くことなくそのまま摘まんで引き千切るような手際になっていった。

「あああああああああああああ!!」

「ふう、まずは10枚完了ですね。さて、お待たせしました、次の方いきますよ」

「ひゃめ、ひゃめ! ほへんなはい、ほへんなは――があああああ!!」

 背中から聞こえてくる悲鳴に男はぎゅっと瞼を閉じて耐える。

 これは夢だ。

 死ぬほど痛いし、さめる気配が全くないが、これは夢だ。夢でなくちゃいけない。なんで俺がこんな目に遭わないといけない。確かに真っ当な人生を歩んできたとは胸を張っては言えないし、ガキの頃からサツに世話になった回数は片手じゃ足りない。それでもこんな目に遭うほどのことはしていないはずだ。田舎のしょぼい祭で女に声をかけただけじゃないか。痛い、痛い、痛い、夢だ夢だ夢だ、これは夢なんだ。痛い痛い痛い夢夢夢――


 ぶちん


 不意に視界が明るくなる。


「何を現実逃避してるんですか?」


 明るくなった視界に女の顔が映り込んだ。

 夜空を彷彿とさせるどこまでも続く闇色の瞳がじっと男を覗き込んでいる。

 と、時間差を置いて視界が上の方から赤く染まり、目の上の方に新たな痛みが走った。

「安易に気絶なんて許しません。自分の身に起きることを最後まで見てもらいますからね」

 そう言って女は摘まんでいた皮の切れ端を床に捨てる。

 視界が塞がらない。

 瞼が閉じない――無い。

「さて、次はどうしましょうか。でも結構飽きてきちゃったんですよね。これ思ったより面白くないというか」

 だったら、だったら解放してくれ。

 男は血と涙で歪む視界でそう願うも、女は嘲笑うだけだった。

「飽きてはきましたが、まだ終えるつもりはありませんよ。溜飲が下がらないといいますか。うーん、でもどうしましょう、私じゃレパートリーが少ないというか。こんなことなら盗賊ギルド(ゾルフ=コミュニティ)の拷問担当に話を聞いておくべきでした。暗殺者なら掃いて捨てるほど知り合いはいたんですが。……あ、そうだ!」

 女は何かを思いついたのか、部屋の隅にあった棚に向かってごそごそと何かを漁る。

 そしてそこから取り出したのは――大ぶりな鑿と金槌。

「そう言えば聞いたことがあります。男性用の拷問で、名前は忘れましたが、ねじを締めると傘が広がっていく器具を尿道に差し込むという」

「「!!??」」

「ですがそんな物は流石に用意してないですし、そもそも私はあなたたちのモノなんて触りたくないですからね。なので手っ取り早く、これで叩き潰しましょう」

「は、はって……!」

「ほへんなはい、ほへんなはい、ほへんなはい……!」

「お二人は女の子が大好きなんですよね? でしたらいっそなっちゃいましょう、女の子! 大丈夫ですよ、最近は世の中そういう方も広く受け入れてくれますから」

 女は笑いながら、鑿の先を男の下腹部よりもさらに低い位置に押し当てる。

 そして目一杯金槌を振り上げ――振り下ろす。

「ひゃ――」

 槌が鑿を押し込む寸前、


「何してんだ」


 視界が暗転。

 千切られたはずの瞼を持ち上げ視界が開けると、男は夜店の立ち並ぶ公園の広間にしりもちをついていた。

「は……え……」

 震える指先を見ると、昨日磨いたばかりの整った爪がきちんと残っている。思わず口の中に指を突っ込むと、ちゃんと歯も全部残っていた。

 夢…………本当に、夢だった。

 隣を見ると、連れ合いも呆然と自分の手を眺めている。

 良かった、夢だ。

 何もなかった、何も――

「おい、何してんだって聞いてんだ」

 剣呑な声が頭上から降ってくる。

 そして次の瞬間、胸倉を黒い手袋が嵌った右手に掴まれ、無理やり立たされる。

 目の前にいたのは、色の濃いサングラスをかけ、長身にがっちりとした体形の黒いシャツの中年男。そこに至っても呆然とする男に苛立ちをバンバンに撒き散らしながら、空いた左手でサングラスを外した。

 隠れていて見えなかったが、目つきが尋常じゃなく鋭いヤクザ面。そのうえ左頬に十字の傷があり、右目の目元には火傷のような痣が広がっている。

 どう見てもカタギじゃない。完全にスジモンである。

 ヤクザ男はさらに目つきを吊り上げ、男にどすの利いた声を突き刺す。

「俺の嫁と娘に絡んでたみてぇだが、何か用か?」

「へ……」

 視界の隅に、先ほどの少女二人組が立っていた。

 特に濃藍色の浴衣の方を見てしまった時にぶわっと背筋に汗が浮き上がったが、その先の言葉にさらに凍り付く。

「妻です♪」

「娘です」

「…………」

 ひゅうっと呼吸が止まる。

「パパ、こいつナンパ野郎です! 紫とママにウザ絡みしてきました!」

「ほーう?」

 と、追撃とばかりに金魚柄の浴衣の少女が告発する。ヤクザ男の目つきがさらに険しくなる。もう視線だけで人が死ぬレベルだ。

 先ほどまでの夢で味わったのは、思い返せば現実味のない恐怖だった。例えるなら馬鹿みたいに怖い体感型ホラー映画を見せられている感覚だ。しかし今目の前にある恐怖は、具体的な身の危険。バイクで事故って路上に放り投げられた時のそれに近い。

「す……、すんませんでしたああああああ!!」

「あ、待ってくれぇ!!」

 火事場の馬鹿力。

 ヤクザ男に掴まれていたシャツの胸倉を自ら引き千切るように踵を返し、ずっと隣で腰を抜かしていた連れ合いを残して駆けだす。

 何度も祭客にぶつかりながら公園の外を目指す。途中一度だけ振り返ったが、幸いなことに追いかけてくる気配はなかった。

 それでも、息が切れようが欠けた石畳に足を取られようが、止まらず走る。


 明日からは真っ当に生きよう。


 男はただただそう心に誓ったのだった。



          * * *



「ったく、なんなんだ」

 羽黒は再びサングラスをかけ、走り去った男の背中を視線で追う。

 あれだけ脅しかければもうアホなことはしないと思うが、それにしても最初の段階で既に精神的に参っていたように見えた。

「もみじ、お前何かしたか?」

「いえ、特には」

 首を傾げながら、濃藍色の浴衣に身を包んだもみじが微笑む。

 これは十中八九何かしたらしいが、まあいいかと羽黒は肩を竦める。

「やっぱ市外の祭りに来ると変なのに絡まれるですねー」

「お前が来たいって言ったんだろうが」

「だって花火すごいってネットで言ってたですもん!」

「では、もう絡まれないように羽黒にはしっかりついてきてもらわないとですね」

 言いながら、もみじが羽黒の腕に自分の腕を絡める。

 それを見て紫も「いいなー! 紫も紫も!」と反対側の腕に抱きついた。

「……やめろ、それでさっきも俺だけ職質受けたんだろうが。ちゃっかり二人だけで逃げやがって、おかげでさらにややこしくなったんだぞ」

「ふふ、ごめんなさい」

「口ではそう言いつつ振りほどかないパパ大好きです!」

 はあ、と羽黒は溜息をつく。

 そして三人で人混みを縫うように歩き出したのだった。

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