028:ハムスター・魔石・猫
「ヒャホホ! ご機嫌麗しゅう、劔龍ガダ殿!」
「…………」
どん!
寝ていた顔を覗き込んできた道化師目掛け、寝返りがてら龍鱗から錬成した刃を突き刺す。
闇より深い漆黒の刃は真っ直ぐ道化師の喉元へと吸い込まれるように伸び、道化師を跡形もなく消し飛ばす。
「おお、怖い怖い! 一言も言葉を交わす暇なく一度死んでしまったぞ!」
「…………」
寝返りを打った先で、肘を枕にして寝転がっていた道化師と視線が合った。
「……人の夢枕に立つな、『呪怨』」
「ヒャホホ! しかしこうでもしないと君は会ってくれないからな!」
「何の用だ」
仕方なく羽黒は上半身を起こす。
見渡すと、そこは羽黒が就寝していた寝室ではなかった。ぐにゃぐにゃとした様々な色の魔力がマーブル模様に溶け切らず、混ざり合わずに混在している。隣で寝ていたもみじの姿もない。どうやら自分だけ異空間に連れてこられたか、精神世界に介入されたようだ。
どちらにせよ、羽黒相手にそんなことができるのは今やごく限られた者しかいない。
「我が主からの正式な依頼の通達だ。劔龍ガダよ!」
「魔帝から?」
予想通り、想像以上の大物の名が出てきて流石の羽黒も居住まいを正す。自身がこの世に再顕現することとなった折、魔帝にも借りを作ったと聞いている。受けた恩は倍にしてでも返す――それが羽黒の根源であり、生き様だった。
道化師姿の魔王は懐から古めかしい羊皮紙の束を取り出し、解く。
「読み上げよう。『この数年あまり標準世界ガイアにおいて存在が確認されてきた旧魔法士協会の元幹部〈漆黒の支配者〉が1年余り消息を絶っている。彼の魔王級の魔術師の動向は多重世界においても警戒すべきものであるため、貴殿に調査及び報告を依頼したい。なお、発見後の処遇については一任するものとする』――ヒャホホ! 働きに期待しているぞ、劔龍ガダよ!」
「は?」
思いがけない依頼内容に、羽黒は眉根を顰めた。
* * *
証言者1。
「え? ノワがどこにいるか? ノワが研究でいなくなるのはいつものことだよ? 連絡自体はちょこちょこ取り合ってるから生きてるし、そんなに切羽詰まった状態ではないんじゃないかなあ? 最後に直接会ったの? ……あ、そういえばもう1年くらい前かも?」
証言者2。
「はい、『知識屋』――ああ、あなたか。わざわざ電話で連絡寄こすなんて珍しい。いつもふらっと立ち寄るのに。……え? ノワールの最後の来店がいつかって? いや、流石にお客のプライバシーに関わることだから教えられないな。は? 消息不明? いつものではなく? ……あー、まあ、そういうことなら。それでもあまり詳しくは教えられないけど。彼は相変わらず月一くらいで当店を利用しているよ。本の受け取りは代理人に任せているから、私もしばらく直接は会ってない、とだけ伝えておこうかな」
証言者3。
「おいっすおっひさー。その後の体調はどうよ? おっさんに何か用でござい? え? 近年の世界的な地脈異常? うーん、この数年は随分落ち着いてるぞ? かつて君たちの街で起きた異変とか、魔帝の代替わりとか、機械仕掛けの神の侵攻があった年の前後は荒れに荒れまくりだったけど、それ以降って言うと、多少波風あってもまあまあ平穏。それこそ君が一回死んで復活した時の事件でしっちゃかめっちゃかになった時くらいだぁね。それでもいつかの年と比べたらマシなレベルだけど。それ以降はほんと静かなもんよ?」
証言者4。
「わっはっは! この番号に直接かけてくるなんてダイタンなことするなー! ついにお縄につく決心がついたのかな? …………は? ノワール何某が消息不明? 異世界への渡航歴? えー…………まあ、いっか。うんとねー、この数年単位で彼レベルの魔力が世界を出入りした形跡はないよ。それ以外で目立つところだと、旧デザストルが未だに散歩感覚でお出かけしてるくらいかな? そんなとこ。さあ、かちょーが珍しくちゃんと答えてあげたんだからごほーびちょーだい!(੭ु`°Д°´)੭ु⁾⁾ 具体的には娘ちゃんの絶☆対☆領☆域ナマ写真を――(ぶちっ)」
証言者5。
「毎度ご利用ありがとうございますぅ。『活力の風』でぇす。……ああ、あなたですか! その節はどうも! 何かご入り用で? ん? この1年の人工魔石の流通量ですかぁ? あー、そうですねぇ、良くも悪くも安定してるというか。本来こんな出回っていいものでもないんですがねぇ。属性も偏りないですよぅ。中には無属性だけでなく妙に特殊な属性まで出てくる始末でして。氷や雷なんてのはまだマシな方でして、毒や樹、仕舞いには龍や空属性なんてワケわからんものまで。出所見つけたら自重するよう伝えてくれませんかぁ?」
証言者6。
「フージュに聞いたんだろ、1年は接触してねえよ。居場所? んなもん俺が知りたいくらいだ。あいつの分まで仕事が積み上がって、捜索する暇もねえ。見つけたらいい加減戻ってこい仕事溜めてあるぞっつっとけ」
* * *
「って感じなんだが、じーさんなんか知らねえ?」
「急に押しかけてきて何事かと思えば……」
次空の狭間にぽつんとそびえる屋敷の客間。
一通り心当たりを回って話を聞いた後、羽黒は狭間の管理者〈世界の道化〉の元を訪れていた。
ピエールは茶を啜り、深いため息を吐く。
「儂のところにも最近は立ち寄りすらしとらんよ。全くあの馬鹿弟子、どこをほっつき歩いているのやら」
「ここにも? 最後に会ったのいつだ」
「さあて。半年くらいは見とらんのじゃないかね」
「うーん、無駄足か」
仕方なく出された茶だけ飲んで帰ろうとカップを持ち上げ、ぐいっと飲み干す。そしてソーサーに戻したところで――視界の隅を、何かが動いた。
「ん?」
「どうした?」
ピエールは特に気にした風もなく、紅茶の香りを楽しむように静かにカップを傾けている。
この老人が特に何も反応しないということは何か害のあるものではないのだろう。ほんの僅かな瞬間、視界に捉えただけであるため全貌は確認できなかったが、猫ほどの大きさで、姿かたちはハムスターやモルモットのような尾の短い齧歯類のようなフォルムだったように思える。
しかし、このピエールがそのような使い魔を使役しているという話は聞いたことがない。まさかペットということもあるまい。少なくとも、羽黒の世界で見かける生物ではなさそうだった。
「…………」
立ち上がり、先ほどの謎生物を見かけた部屋の隅へと足を運ぶ。
ピエールは訝しげに羽黒へと視線を送り続けているが、その行先を確認した途端、眉の端がほんの僅かに動いた。
「……なるほどな」
屈み、床に落ちていた物を拾う。それは齧歯類のような乾燥したフン。しかし鼠よりもはるかに大きく、親指の爪ほどの大きさがあった。
それを床に向かって放り、転がす。
するとフンはある程度まで進んだところでフッと姿を消した。
「ここか」
一見するとただの壁である。
しかし直に触れると、若干だが魔力波長に違和感がある。こういった年季の入った魔術建造物では、使用された材質ごとに波長が変化することがある。建築当初は均一でも、月日と共にどうしてもばらつきが生じるのだ。
しかしこの一角だけはそれが存在しない。
後から漆喰で覆い隠したかのように、不自然にまっさらなのだ。
「ちょいと失礼するぜ」
「……勝手にせい」
念のため家主に確認すると、諦めたように肩を竦めた。
確認が取れると羽黒はその空間に右手の龍の爪を突き立て、こじ開ける。
最初は内側から無理やり抑えているかのような抵抗感があったが、すぐに諦めたようにすっと異空間が口を開けた。
「邪魔する――」
一歩踏み入れた途端、羽黒は閉口する。
目の前に広がるのは、棚。棚。棚。
天を貫かんばかりの馬鹿高い棚の森。
そしてその棚一つ一つに拳大からボウリング球ほどの大きさの宝石が陳列されていた。
「……これ全部、魔石か?」
手近な棚から赤い石を拾い上げ、確認する。
巨大すぎて一周回ってガラス球にさえ見えてくるが、その輝きの深みは間違いなくルビー。仮に天然ものだったら間違いなく国宝級。さらにそこに炎属性の魔力を宿すことで小国一つが武力、経済両方の面からお買い上げできる価値にまで跳ね上がっている。
そんな代物が河原の石ころの如く溢れ返っていた。
「きゅーきゅー!」
「あ?」
と、ズボンの裾を何かに引っ張られる。
見ると、猫ほどの大きさの四つ足動物が羽黒の脚にへばりついていた。
先ほど客間で見かけた謎生物のようだ。
「なんだ? これか?」
謎生物は必死に羽黒が手にしていた魔石を求めて短い手足をじたばたさせている。それを見て何ともなしに手渡すと、謎生物はそれを嬉しそうに受け取り――口に放り込んだ。
「…………」
食ったわけではない。魔石を呑み込んだ謎生物はハムスターよろしく片頬が大きく膨らんでいた。その状態で器用に棚をえっちらおっちらと登り、羽黒が手にして空いたスペースまで辿り着くと、おえっと口から魔石を吐き出した。
「…………」
それを見て、羽黒は反対側の棚から黄色の魔石を手に取る。
すると謎生物は「きゅー!?」と鳴き、棚から転げ落ちるように降りて再び羽黒の脚にしがみついた。そして魔石を手渡してやると、その魔石を元あった場所に戻そうと再びえっちらおっちらと棚を登り始める。
「……何をしてるんだお前は」
「お」
棚の森の奥の方から声が聞こえた。
随分と久しぶりに聞いたそのぶっきらぼうな声音に釣られるように、歩みを進める。
……しばらく歩くこと数分。
その間も棚の森は途切れることなく続き、道中で何匹もの謎生物とすれ違った。中には手のひらサイズではあるものの完全に人型をしている種もいて、背中から生えた半透明の翅で棚の間を飛び回っていた。
「どんだけ広いんだ」
ため息をつきながらも歩みは止めない。あまりにも同じ風景が続くので罠に嵌められたかと思ったが、よく見ると棚に並ぶ魔石は完全に無秩序で、ループの類はしていないようだった。そもそも本気で拒絶したいのであれば摘まみ出すことなど造作もないだろう。何より徐々に人の形に押し込められた世界そのものかそれ以上の魔力量が近づいてきたのが感知できた。
そのまましばし歩くと、空間の様相が変わる。棚の森は相変わらずだが、中身が魔石から魔術書へと置き換わった。そしてその先に、魔術書や実験器具が所狭しと乱雑に置かれた大きな作業机が見える。どうやら研究室のようだ。
「よう、久々だな。その節はどーも」
「あのままくたばっていればよかったものを」
「わりーな、もうしばらく死ねねえんだわ」
真っ当に言葉を交わしたのはいつぶりか。
かつて数日だけ剣の使い方を教えてから縁が重なること20年近くになるのだろうか。最初に出会い、その後再会した頃と殆ど年恰好が変わっていない――その魔力量故に時の流れからも置き去りにされた黒衣の青年が、そこにいた。
彼はいつもの仏頂面で魔術書が大量に積まれた机につき、腕を組んで羽黒を睨んでいる。
そしてその後ろに控えていた人影に、さしもの羽黒も予想外で目を見開く。
「あら、ついに見つかってしまいましたか」
「ちっ」
「まあここに籠ってから1年くらいですし、思ったよりもったのではありませんか?」
「…………」
「お久しぶりです、ハクロさん」
「……おう、こりゃどういう風の吹き回しで?」
ノワールの背後で魔石を齧る謎生物を抱えていた、豊かな銀髪を結い上げた女性。シンプルなシャツとスカートに白いコートを羽織っていたため、最初に出遭った頃とイメージが異なり瞬時に顔が合致しなかったが、腰からぶら下げた鎖時計は見間違うはずがない。さらにこちらは最後に会ったのはかなり昔のことのはずなのだが、どういうわけかその頃から数年ほどしか歳を重ねていないような若々しい姿をしていた。
羽黒の視線に気づいたのか、彼女は首筋を見せながらいたずらっぽく微笑んだ。
「ノワールの餌だった頃の後遺症で、老化が少し遅いんですよ。1年以上ノワールほどの魔力の持ち主の影響下にいたんですから何かしらあるとは思いましたけど」
「……俺はその時計の副作用だと考えているが」
「違います。ノワールの影響です」
「…………」
途中で口を挟んだノワールをバッサリと切り捨てる女性。ノワール相手に相変わらずの肝の据わった態度で羽黒は思わず苦笑を浮かべる。
「相変わらずで何よりだ――ミア嬢」
* * *
「AIって、あるだろう」
「お前さんの口から一番出ちゃいけねぇ単語出たな」
研究室の片隅のソファに腰かけ、ミアが淹れてくれた紅茶を口に含む。先ほどピエールの客間で飲んだものと全く同じ香りと味わいが広がった。あのピエールがまとも飲食物を出してくるのは妙だと思ったが、ミアがあらかじめ淹れておいたストックだったらしい。
しかし今はそんなことはどうでもよく、ノワールの口から漏れ出た不穏な単語の方が重要だ。
「元々この空間は俺が物品の出し入れに使っていた虚空間だ。だが俺の魔力増幅に伴い広がっていく上に、魔力消費のために定期的に生成した魔石の管理がいい加減煩わしくなってな。いっそ人工知能を魔術に組み込んで全自動で魔石の生成・保管を行おうと目論んだ」
「歩く原発改め魔石の生産工場か。世界が壊れるわ」
思わず茶々を入れるが、ノワールは気にする風でもなく話を続ける。
「実稼働を開始したのは3年ほど前。ちょうどあんたが最初の暴走をする前くらいか」
「そんな前からこんなことしてたんかお前」
「当初は予定通り稼働して、魔石の生成と生産機構の維持で魔力負担もだいぶ軽くなった。それが油断の一つだったんだろうな」
「魔力つぎ込むことで負担が減るとかもうわけわからんな」
「それからしばらくしてあんたの死亡と白銀もみじの狂乱、さらに1年後の劔龍捕縛作戦で目を離した隙に、不具合が発生した」
「俺のせいみたいに言うな」
ともかく。
その不具合というのが、今ミアが抱えている謎生物らしい。
「稼働当初は魔石精製のための陣と、魔石の属性判別と含有魔力量を分類して仕分けるベルトコンベアのような簡易的な構造だったはずなんだ。しかしほんの数カ月目を離した間にコレが生まれていた。それが1年前の話だ」
「人工精霊みたいなもんか? ……いや待て。さっき表でそいつのフンみたいなやつ拾ったぞ」
「ああ。精霊や魔物のような魔力で形成された精神生命ではなく、物質で身体を形成する動物だ」
「ついに無から有を精製しやがった……!」
「しかも元は魔石の管理を任せていた術式だ。この見た目でそこそこの知能を有している。さらに言うならこの鼠の姿も問題だ。文字通り、鼠算式に増殖しているうえにどんどん人に近い姿へと進化を始めている」
「手に負えねえ!」
「だから最初は俺も虚空間ごと処分しようとしたんだが……」
と、そこでノワールは言い淀む。
すると続きを任せられたかのように、ミアが嬉しそうに口を開いた。
「この子たちにとってノワールは創造主ですから。これで結構慕われてるんですよ」
「……そういうことは言わなくていい。単に爆発的に殖えたこいつらの維持管理と魔石の生成で消費魔力と増幅魔力が安定してきたから、潰すには惜しいと考えただけだ」
「ふふ、そういうことにしておきましょう」
「つまりこいつらの隠蔽も兼ねてしばらく雲隠れしてたってことか。そういやなんで嬢ちゃんがここにいるんだ?」
この空間でノワールと再会してからずっと疑問に思っていたことをぶつける。
見たところノワールの助手のようなことをしているようなのだが、それならノワールの相棒であるフージュでもいいはずだ。しかし最初にノワールの所在を聞いた時、彼女も知らなかったようだ。
それにはノワールが答える。
「フウが魔石と魔術書を『知識屋』に卸していたら、自動的に俺の不在がバレる上にフウから足がつく。逆にフウ達が普段通りにしていたからお前達も1年間は、失踪ではなくいつもの研究だと思ったのだろう」
「あー、目眩しと時間稼ぎだったんか。でも嬢ちゃん呼び出してよかったん?」
どうやらフージュの方は知らないのではなく誤魔化されたらしい。羽黒にものすごくちょろく口車に乗せられていた過去が懐かしい話だ。確かにいつもの失踪として見過ごされていたのは、フージュや疾が動いていなかったからである。だが、それならばノワールの性格からして一人で引きこもりそうなのだが。
今度はノワールが口を閉じた。それを見たミアが、苦笑して代わりのように答える。
「私は……というよりこちらの世界としては、ノワールは魔法研究機関特別顧問という役職を少し前に作っていましたし、私は共同研究者として申請が受理されているので問題はないかと」
「いつの間にそんなことになってるん」
「どうも、あの男が突然現れて問答無用で虚空間へ私を引き摺り込む前に、勝手に手続きをしていたようでして」
「は?」
予想外の言葉に羽黒が声を上げると、ノワールがようやく口を開いた。
「……こいつらに最初に気づいたのは四神だ。眷属は眷属の気配に敏感らしい」
「あー、そりゃそうだ」
「研究関係者一同、罵声と悪態を多大に含んだ説教を散々食らった上で、実行犯が責任を取れ、何よりこちらの世界に影響を欠片も出すなと問答無用で虚空間に蹴り込まれた」
「私の事情にも少しは気を遣っていただきたいのですが、今更ですね」
「それはまあ今更だけど、それより関係者一同って単独犯じゃねえのか。どこの傍迷惑な研究者を巻き込んだよ」
「心配しなくともこちらの身内だ」
「それはそれでどうなん?」
流石に羽黒も少しだけ疾の肩を持ってやりたい気分だ。言われてみれば、人工的に生み出された生命などばっちり職務に抵触してしまうだろう。蹴り出しただけ温情だ。
「まあ、監視をすり抜けてフウ以外に魔術書や魔石を預けられ、かつこの一件について情報開示をしても問題にならない人材として選ばれた形だ」
「研究に没頭しすぎて外のことを忘れたり、自身の健康管理に無頓着にならないようにという監視役でもありますよね?」
「…………」
「なるほどな、つまり『魔女』のところに顔出してた代理人って」
「私ですね」
「ちっ……『魔女』め、箝口令はどうした」
「あんま責めてやるなよ? なんせ今回の依頼人があの魔帝だからな。ある程度は口を割らにゃならんだろ」
「……何故魔帝が俺を嗅ぎ回る」
と、今更なことを訝しげに訊ねてきたノワール。その変わらない周囲に対する無頓着ぶりに羽黒は肩を竦めた。
「お前が1年前にこの空間に引きこもったからだろう。いつだったか嬢ちゃんの世界に飛ばされた時みたいな話ならともかく、マジで一切何の痕跡も残さず消え去ったらそりゃ注目されるわ。どこぞの世界に移ったならともかく、その形跡はない。じゃあ死んだのかってなると、そうでもないようだ。そもそもノワールを殺せる奴なんているのか? なんて話になるのは目に見えてるだろ」
「……そういうものか」
「あの、ハクロさん。それで、どう報告するつもりですか?」
と、ミアが口を挟む。
魔帝云々の話をどこまで理解しているかはわからないが、羽黒の口振りからノワールを警戒している組織がいるらしいというところは目星をつけたようだ。それでノワールがどうこうなるとは思ってはいないだろうが、探るように視線を投げかける。
羽黒は肩を竦める。
「別に、どうもねえよ。ただ生存確認したーつって、それでお終いだ」
「それで納得してもらえるんですか?」
「ダメなら『魔力増えすぎて歩くだけで地脈変動起きるから亜空間に引きこもってた』ってテキトーに足しとくわ。連中もお前の研究癖は分かってると思うし納得すんだろ。それに、それなら今後もここに籠ってこいつらの管理できるだろ」
「……そうだな。そうしてくれれば助かる」
「あそうそう、説教主から伝言だ。仕事が溜まってるから帰ってこいってよ。どっかでいっぺん顔は出しといたほうがいんじゃね?」
「分かった」
ノワールはそう口にしつつも、据わった視線は止めない。「それで?」と付け加える。
「口止め料に何を要求するつもりだ?」
「あ?」
「とぼけるな。お前が無償でこいつらについて公言しない、なんてあるわけないだろう」
「いや別に俺そこまで考えてなかったんだがなあ」
「生命の無からの創造。それは見方を変えれば魔王の眷属創造と同等だ。万一にも魔帝の耳に入ったら話がややこしくなる」
「そういやそうだ。んー、そんじゃあ」
と、羽黒はカップを持ち上げる。
「茶、お代わりくれよ」
「…………」
「ふふ、只今お持ちしますね」
ミアは笑い、ポッドを取りに席を立つ。その背中を視界の隅で見送りながら、ノワールは悪態をつく。
「この偽悪者が」
「はっはー。そういやまだ刀の代金も受け取ってねえんじぇねえ?」
「払う前に死ぬような奴が何を言っている。とっとと帰れ」
「一杯飲んでからな」
軽薄に笑いながら、羽黒はソファの背もたれに体を預けた。
* * *
標準世界特記戦力@日本語板
オンライン:13/74
―― 7月21日(土) ――
【報告】ノワールの生存確認、情報提供諸氏へ感謝
結局どこにいたんですかぁ?
実家。じーさんとこ。魔力増えすぎて動くだけで地脈に影響出るからって引きこもってたわ
あ、見つかっちゃったんだー
魔力どうにかなったみたい?
しれっと嬢ちゃんが騙してくるとは思わなかったわ
魔力は少しマシになったみてえだぞ
そういうのブーメランって言うんでしょ!
よかったー!
お疲れ様です。見つかって何よりです。
実家に引き籠もりとか草不可避
そろそろ差し入れ持っていった方がいいかなあ?
いらんと思うぞ。某異世界の某貴族令嬢囲って身の回りの世話やらせてたし
聞いてないよ!?!?!?どういうこと!?!?!?
くわしく
kwsk(σ゜▽゜)σ
詳しく事情を♪
この人たち、職務なのか興味本位なのかどっちだろう……
ああ、いつも商品を受け取りに来るお嬢さんはそういうこと
何してるんですかあの人は……
――旧災厄さんがNoirさんを招待しました――
――Noirさんがグループに参加しました――
お前を殺す
――Noirさんがグループから退会しました――
こっっっっっわ
何してくれてんだてめぇ!!!!!
喧嘩は余所の世界でやってくださいね?
夕飯までには帰ってきてくださいね?
店員から慕われてますなあ笑笑笑
ふぁいとだ羽黒おっさん!
がんばれ♡ がんばれ♡
うぜえええええええあああああああもうなんかすっげえ魔力が地脈吹っ飛ばしながら近付いてきてんだけど!!!!
あーあーあー。あとでちゃんと片付けてくださいよぅ?
それは、数年振りに超大規模な地脈異常を観測した日の出来事だったという。





