第28話:大事な情報と機密保持
圧縮された空気が吹き出す音を響かせるタンクベッドから身を起こしたシンは、タンクベッドの端に腰掛けたままで、決して少なくは無いポイントを使って歴戦の熊撃ちに酒を奢った事で得られた様々な知識を反芻して居た。
あの老人はなんて事のない当たり前の知識だ……と、酒に釣られて簡単に色々な事をシンに話して聞かせてくれたが、ソレは狩猟の現場を知らずゲームの中の戦場で培った経験だけを元に活動して居たシンに新たな知見を与えてくれたのだ。
別にポイントランキングそのものに興味は無いが、効率良くポイントを稼いでセブンスムーンに有る図書館や博物館へ行きたいと言う気持ちに嘘は無い。
それとは別にあの熊撃ちの老人の孫娘が、銀河連邦の優れた医療技術で助かる未来が有っても良いだろう……と、思う程度にはあの老人にも好感を抱いて居た。
彼は良くも悪くも愚直な……田舎の猟師だった、熊撃ちは猟師だけで生計が成り立つ程に儲かる仕事では無い。
実際彼自身も先祖代々熊撃ち猟師だったと言うだけでその立場を引き継いで来たが、ソレとは別に女房子どもを養う為の仕事として、屠畜場で牛や馬を解体する技術者としても働いて居たと言う。
3年前のあの日までは定年で現場を退き、年金と過去の蓄えに熊撃ちで得られる僅かな収入で生活をして来たのだそうだ。
実入りと言う点で言えば熊撃ちをして居た頃よりも、マーセの方が圧倒的に良い稼ぎでは有るが、市場に出回る事の無い【現場でしか食べれない味】を味わう事が出来なくなった事を残念そうに語っていたのが印象的だった。
兎にも角にもあの老人から聞き出した知識を、自分の経験に落とし込む事が出来れば、シンのマーセとしてのスペックは今の数倍に跳ね上がる可能性は十分に有る……そんな風に思えたのだ。
「取り敢えず……腹減ったな。今日の朝飯は何にしよう」
とは言え、ソレは話を聞いたからと言って即座に実践出来る様なモノでは無いので、今は忘れない様に頭の片隅にしっかりと記憶する事だけを意識し、現実の問題を直視する事にする。
何時も通り朝飯を終えた後にはスポーツジムへと行くのだから、出来ればその途中で食べれる店が良いだろう。
身支度をして少し待てば10時を過ぎて、ブランチとでも言うべき時間帯に営業を始める店は動き出すだろうし、ソレを待って飯を食うのが何時ものスタイルだ。
「んー、パン……は何となく気分じゃないなぁ。米はいつ食っても良いモノだが、今日はもっと雑にカロリーを接種したい気分だ」
パンを食べたい時に割と良く行くのは、デカいと言う方向でメニュー写真詐欺が有名な喫茶店チェーンのモーニングだが、今日は何となくそんな気分では無い。
かと言ってカツ丼や親子丼と言った丼物と言うのも違う気がした……そこで思い至ったのはラーメンと言う選択肢だ。
シンが住む札幌と言う都市はラーメン激戦区と言っても間違っていないだろう程に、多くのラーメン屋が営業して居る、ラーメンマニアにとっては天国の様な都市である。
札幌を訪問したならば多くの観光客が訪れるススキノのラーメン横丁は全国的にも有名なラーメンの聖地の一つだろう。
ただ……シンに言わせるとああした【観光客向けの店はボッタクリが多い】と言う事になる。
別に金には困っていないのだから、いくらでも高い店で美味いモノを食おうと思えば食える立場なのだが、貧乏性と言うか何と言うか生来培って来た食生活の範囲外に有るモノを、普段の食事には中々し辛いモノがあるらしい。
「うん、よし、久々に丸岡屋にするか……味噌の方で良いよな」
丸岡屋は全国の幹線道路沿いに多くの店舗を構えて居る豚骨ラーメンの全国チェーンである、その姉妹店で北海道に数店舗だけ有るのが味噌ラーメン丸岡屋で、シンはそこで売られている札幌醤油ラーメンが割と好きなのだ。
味噌ラーメンと銘打っている店で醤油ラーメンを食うのかよ? と思わなくも無いが、本店のガツンと来る豚骨とは違う、何と言うか【こういうので良いんだよ】と思わせる味がなんとも好みなのである。
そうと決めたシンは早速ベッドから立ち上がると、着替えと洗顔の為にロッカールームへと向かうのだった。
狸小路4丁目に有る上記のラーメン屋で麺大盛りの醤油ラーメンをスープも残さず飲み干したシンは、普段通りに行きつけのスポーツジムへと顔を出した。
「やぁ橘君待ってたよ。ちょっと聞きたい事が有るから……隣良いかな?」
すると先日もここで話をした年嵩のホストがそんな声を掛けて来たのだ。
普段は顔を合わせても挨拶をする程度、先日の様に話題があれば多少話す程度の間柄でしか無い彼が、こうして改まって話をしようと言うのは初めての事で有る。
「ええ、何時も通り走りながらで良ければ」
何となく嫌な予感を感じながらも、そう言って普段通りにランニングマシーンの上へと乗り走り出す。
「いや、ちょっと小耳に挟んだんだけれども……マーセは宇宙人の進んだ医療を受けられるって本当?」
やっぱりソレか!? と、内心では嫌な話題になったなぁと感じつつも、ソレを可能な限り顔には出さない様に意識して、
「無料でって訳では無いですよ、それ相応に向こうの通貨を稼がないといけないし、何よりもこっちの通貨を向こうの通貨に換金は出来ないですからねぇ、金さえ払えりゃ直ぐに……ってな訳には行かないです」
割と勘違いされがちなのだが、ポイント……銀河連邦共和国通貨:マニゴルドから米ドルを経由して日本円への換金が可能なので、その逆も出来ると思っている一般人は割と多い。
その為、金持ち連中は宇宙の技術や産物を金に物を言わせて手に入れていると言う論調は、経済が上手く回っていない国程多い……らしい。
またマーセがポイントで買った物を買った時の価格よりも高値で買う……と言う金持ちはやはり多いのだが、その手の取り引きに関するやり取りをネットで行った場合には、ヘタをするとマーセの資格が取り消される場合も有るくらいには転売は厳しく対処されて居る。
勿論、個人的な付き合いの有る相手に売る程度の事であればお目溢しされて居るが、ソレでも銀河連邦産の品物を他者へ譲り渡す行為は、マーセの資格を取る際にサインする機密保持契約に触れる可能性があるのだ。
分りやすいのはシンが普段から購入している書籍の類だろう、はっきり言ってしまえばマスコミに所属する者達ならば、こぞってその内容を報道したい筈だ。
けれどもソレが為されないのは、マーセ《《だけ》》が買える書籍類に書かれている内容は、明確に《《職務上知り得た秘密》》と定義されて居るからである。
そう言う意味ではあのパンフレットの内容を詳しく話すのも機密保持契約に抵触してしまう事に成る為、シンは可能な限り最小限の言葉で相手が知りたいであろうと思われる事を、ほんの少しだけ口にした。
「一応、その情報とかって機密の筈だから、あんまり吹聴するとその情報の出所とか探られて面倒な事に成りますよ。宇宙人の事とか喋った奴がマーセ資格停止食らったとか話には聞きますから……」
マーセをして居ると無作為に振り分けられている筈の戦場が頻繁に被る者と言うのはある程度居る物で、昨夜話をした熊撃ち猟師の爺さんもそうした仲間の一人である。
けれども何の前触れも無く唐突に姿を見なく成る者と言うのも割と居るのだ。
単純に戦場が被らなくなっただけと言うケースも有るだろうが、中にはガチで何処の戦場でも見た者が居ない……つまりはマーセを辞めたか、資格停止を食らったかした者の噂は直ぐに広まる物である。
眼の前に居る彼のホストと言う商売柄、様々な人から話を聞くだろう事は容易に想像が付く、そして酒の席でポロッと機密を漏らしたなんて話は枚挙に暇が無い程に良く有る話だ。
つまりは彼の客もしくは彼本人では無くとも他のホストの客や、場合に依ってはホスト自身が副業としてマーセをして居ると言う可能性も有り得るだろう。
そうした身内から漏れ聞いた話だとしても、運が悪けりゃ資格停止を食らう可能性はゼロでは無い。
故にシンはマーセ同士ならば兎も角、一般人である彼にその内情を口にする様な事はしたくなかったのだ。
その心情を汲み取ったのか、ホストは押し黙ると前を向いてランニングマシーンに集中しだしたのだった。




