第五十八帖 姫様、デートをする!(二回目 with冬木)
毎日曜日ごとに四臣家の四人とデートをするようになって四週目の日曜日の朝。
日和が縮地術の扉がある公園に着くと、冬木が既に待っていた。
今日の日和は、アーガイル柄のセーターにブラウンの膝丈スカート、足元はブラウンのタイツにショートブーツという出で立ち。
一方の冬木は、白のボタンダウンシャツにチェック柄のベスト、その上に黒のジャケットを羽織り、細身のブラックジーンズと黒のスニーカーという格好。
「おはようなのじゃ、冬木さん」
「おはよう、卑弥埜」
他の三人のように、日和の服を誉めることもなく、事務的に「では、行くか」と言って歩き出した冬木だが、それが冬木の照れ隠しだと日和も分かっていた。
また、これまでずっと、自分が興味のある研究に没頭していて、女性とまともにつき合ったことがないと公言している冬木は、今も日和と手を繋ごうともしなかったが、それも照れくさいからであろう。
「冬木さん、今日はどこに行くのじゃ?」
「博物館に行こうと思っている」
これまでの三人と同じように、自分が好きなことを日和に体験してもらいたいということのようだ。
「卑弥埜は理科とか科学に興味がないようだから退屈かもしれないな」
「そ、そんなことはないのじゃ。文化祭の時じゃったが、小学生を相手に冬木さんが科学の先生をしていたことがあったじゃろう? あの時の冬木さんの説明がすごく分かりやすくて、わらわでも納得できたのじゃ」
「小学生向けの説明で高校生の卑弥埜が納得できるというのもどうかと思うが、まあ褒め言葉だと取っておく」
「ほ、褒め言葉じゃ! 今日もあのレベルで話をしてもらえるとありがたいのじゃが?」
「分かった。自分も卑弥埜と一緒に楽しみたいからな」
二人は電車を乗り継いで、都心にある大きな博物館にやって来た。
中は「宇宙」、「生物」、「物理」、「未来」の各ゾーンに分かれていて、それぞれのゾーンにミニシアターや展示スペースがあり、また、体験コーナーもあった。
まず、二人は宇宙ゾーンに入った。
宇宙船の実物大レプリカや宇宙服、隕石などが展示されていて、ミニシアターでは「宇宙の誕生」というタイトルの短編映画が上映されていた。
「卑弥埜は宇宙に興味はあるか?」
「そうじゃのう。宇宙人は本当にいるのかのう? いれば会ってみたいのじゃ」
「それは誰しも会ってみたいだろう」
「冬木さんも?」
「もちろんだ。しかし、自分にとって、卑弥埜との出会いは、宇宙人との遭遇よりもショッキングな出来事だったがな」
「どう言う意味じゃろうか?」
「言ったとおりだが」
「……でも、宇宙人は本当にいるのか?」
「この地球がある銀河系には二千億から四千億の恒星があると言われている。恒星と言うのは何か分かるか?」
「こうせい? えっと……光る星と書いて光星と言うんじゃっかたのう?」
「まあ、大負けで正解にしてやろう。太陽と同じように自分で光っている星のことだ」
「やったのじゃ!」
無邪気に喜ぶ日和を見て、冬木も苦笑をした。
「小学生でも知ってることだぞ」
「そ、そうなのか?」
「これから、分からないことがあれば、何でも自分に訊けば良い」
冬木が言ったことは、よく考えると、いつも冬木が日和の隣にいる前提なのだが、当の冬木は、そのことに気づいていないようであった。
次に、二人は「物理」ゾーンにやって来た。
そこには、遊具のような実験道具がたくさん設置されていて、それで遊ぶことで楽しく物理の勉強ができるようになっていた。
まるで遊園地に来ているようで楽しくなった日和は、「てこ」の原理が勉強できる実験道具が目に止まった。
金属製の棒を「てこ」のようにして分銅の形をした重りを持ち上げるもので、支点の位置を自由に変えることができ、その力の入れ具合を体験すると言うものであった。
「やってみたいのか?」と訊いた冬木にうなづいた日和は、棒の先っぽを持った。
「では、最初は、ここを支点にしてやってみろ」
冬木は日和に近い位置に支点を持ってきた。
ここが支点だと、日和が全体重を棒に掛けても、重りはびくともしなかった。
次に、冬木は支点をずっと重りに近づけた。
「これでどうだ?」
日和は、また全体重を乗せて棒を下に押し込んだが、やはり、棒はびくともしなかった。
「さすがに、ここを支点にしていれば持ち上げられるだろう?」
「全然、動かぬのじゃ!」
日和は棒にしがみつくようにして足を浮かせたが、やはり棒はびくともしなかった。
「卑弥埜はどれだけ軽いのだ?」
冬木も呆れながら、棒を釣り竿のようにして持っていた日和の後ろに立ち、後ろから日和を抱き込むようにして、自分も棒を持ち、軽く押し込むと、棒は下に下がり、支点を挟んで反対側にあった重りが持ち上がった。
「ほれ、これくらいの力で持ち上がるぞ」
「本当じゃ! って、冬木さん! ち、近いのじゃ!」
「へっ?」
日和が上を向くと、後ろから日和に覆い被さるようになっていた冬木が下を向き、目が合った。
「どあぁあー!」
驚いた冬木が急いで日和から離れた。
「す、すまん! わざとじゃない! 卑弥埜にこの実験をしてあげたかったから、夢中で」
冬木の言葉に嘘はないことは、日和にも分かった。
何かに夢中になると周りが見えなくなるのは日和も同じで、冬木が日和を抱きしめようという邪な感情のまま行動したものではないことは言うまでもないことだ。
お昼の時間になると、「腹が減った」と言う冬木と日和は、博物館内にあるレストランに行った。
二人は、入口にあるガラスケースの中に展示されている精巧な蝋細工の見本を見ながら、注文するメニューを選んだ。
「栄養のバランスが良い食事をしないと卑弥埜に叱られるからな」
冬木は「野菜たっぷり中華丼」を選んだ。
「冬木さん、野菜は食べられるのか?」
「自分も別に好き嫌いがある訳でない。どうせ腹に入ってしまえば同じだと、コンビニ弁当を選ぶ時も最初に目についたものを選んでいただけだ」
「それもどうかと思うが……。冬木さんの中では美味しいものを食べたいという欲求がないのじゃろうか?」
「もちろん、美味いものは食いたい。以前、家庭科の授業で卑弥埜が作ってくれた肉じゃがは本当に美味かった」
「ど、どうもなのじゃ」
「卑弥埜も決まったのか?」
「うん」
「では、入るか?」
ちょうどお昼時で、入口に並べられた椅子に五、六人が座って待っていた。日和と冬木は、最後尾の椅子に座ったが、思いの外、回転率が早く、十分ほどで、一番前の椅子まで進んできた。
すぐにウェイトレスがやって来て、二人に声を掛けた。
「相席でよろしければ、すぐにご案内できますが、いかがなさいますか?」
「卑弥埜、どうする? 自分は特に気にしないが?」
知らない人と相席することに、日和の人見知りが発動されたが、お腹が空いているはずの冬木を待たせることも忍びなかった。
「わ、わらわも気にせぬ」
と強がってみたものの、相席の人から話し掛けられたらどうしようと内心びびっていた。
二人がウェイトレスの跡について行くと、窓際の四人掛けテーブルに案内された。
そのテーブルの片方に、母親らしき女性と小学校一、二年と思われる女の子が並んで座り、女性はカレーライス、女の子はオムライスを食べていた。
窓側の席に日和を座らせ、冬木が通路側に座ると、冬木の前に座っている女性が、相席になった若いカップルに会釈をした。
日和も慌てて会釈をすると、目の前の女の子が自分を見つめているのに気がついた。
話し掛けられても、ちゃんと話ができる自信がなかった日和は、窓の外を見つめた。そこには中庭があり、竹林をイメージした和風庭園のように整備されていた。
そんな景色を眺めているふりをしながら、チラッと横目で正面の女の子を見てみると、まだ、日和をじっと見つめていた。
「愛ちゃん、早く食べなさい」
日和を見つめていて、オムライスを食べるスプーンが止まっていた女の子に女性が優しく注意した。
「このお姉さんの髪の色が珍しいのだろう?」
唐突に、冬木が日和の前にいる女の子に話し掛けた。
「す、すみません!」
ジロジロと見るなと言われたような気がしたのか、女性が冬木に頭を下げた。
「い、いや、そう言う意味で言ったのではない。子供が興味を持っていることは、そのまま持たせてあげた方が良いと思うのだ」
「は、はい?」
高校生とは思えない、冬木の落ち着いた態度に、女性も飲まれてしまったようだ。
「ふ、冬木さん! 何か威圧的ではないか?」
「そうか? 自分としては、ごく普通に話しているつもりだが?」
木訥として素朴な反面、愛想笑いなど無縁な冬木の話しぶりからは、怒っているのかと誤解されても仕方がなかった。
この場を丸く収めようと焦ってしまった日和から人見知りが吹き飛んで行った。
日和は、笑顔で女の子に話し掛けた。
「わらわの金髪が珍しいか?」
うなづいた女の子は「外人さんなの?」と、目を輝かせて、日和に訊いた。
「お父さんが外国人じゃが、わらわは日本人じゃ」
「そうなんだ。髪の毛、触って良い?」
日和が優しい人だと分かった女の子が要求をエスカレートさせたことで、今度は女性の方が焦ってしまった。
「愛ちゃん! そんな失礼なこと、言っちゃ駄目よ!」
「良いのじゃ。減るものではないし」
女性にも笑顔で言うと、日和は自分の髪の先端を持って、女の子の前に差し出した。
女の子は嬉しそうに、日和の髪の毛をサワサワとさすった。
「すごい! 綺麗! まるでお姫様の髪みたい!」
女の子は興奮して日和の顔を見た。
その無邪気な笑顔に日和も癒やされてしまって、自分まで嬉しくなってきた。
「どうも、すみません」
娘のわがままを聞き入れてくれた日和に女性がお礼を言った。
「い、いえ、これくらい大丈夫じゃ」
日和の言葉に、女性も安心したように微笑んだ。
「愛も金髪になりたい!」
女の子の無茶ぶりに女性も苦笑するしかなかったが、冬木が真面目な顔をして女の子に訊いた。
「金髪になるとお姫様になれるからか?」
「うん!」
冬木の口の利き方は相変わらず無愛想であったが、女の子は、本能的に、冬木が冷たい人間ではないことを感じ取ったのか、元気よくうなづいた。
「実は、彼女は本当にお姫様なのだ」
「えー!」
女の子と同時に、日和も驚いた。
神術の存在は一般には秘密で、当然、日和がその神術使いを統べるべき姫であることも秘密なのだ。
しかし、冬木は、いつもと同じ調子で話を続けた。
「しかし、彼女が姫様なのは金髪だからではない。金髪でなくてもお姫様になれるぞ。君だってなれる」
「私もお姫様になれるの?」
「もちろんだ。お姫様になれる方法を知りたいか?」
「知りたい!」
「よし! 教えてやる!」
冬木は、椅子を日和に近づけるようにして身を乗り出し、少しだけ女の子に顔を近づいた。
「最初にすることは、目の前のオムライスを全部食べることだ」
女の子もそうだが、日和も母親も目を点にして冬木を見た。
「姫様は王様の娘だから贅沢をし放題と思うかもしれないが、国民の手本となるのが王様やお姫様の役目なのだ。食べ物を残すことはしてはいけないことだろう?」
女の子は真剣な顔をしてうなづいた。
そこにちょうど、日和が頼んだサンドウィッチと冬木が頼んだ中華丼が運ばれて来た。
「よし! では、自分達も一緒に食べよう! 自分は姫様にはなれないが全部食べるぞ!」
「そうじゃな」
その後、すっかりと打ち解けた日和達と母娘は他愛のない話をしながら一緒に食事をした。
女の子もよほどお姫様になりたいと思っていたのか、一生懸命にオムライスを食べていた。
その様子を見て微笑ましく思うとともに、小さい頃、母親と一緒にこうやって外で食事をした記憶が蘇ってきて、懐かしく思えてきた日和であった。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう!」
先に食べ終えた母娘が日和と冬木に手を振りながらレストランを出て行った。
既にお昼のピークを過ぎていたからか、日和達の前の席に座る者はいなかった。
日和は食後に頼んだジュースを、冬木はコーヒーを味わっていた。
「冬木さん」
「何だ?」
「あの女の子にいきなり話し掛けて、びっくりしたのじゃ」
「自分が話し掛けなかったら、卑弥埜は、ずっとあの女の子に無言で見つめられながら食事をすることになっていただろう」
「そ、それはそうかもしれぬ」
考えてみれば、それはすごく辛いことだ。
冬木が話を始めてくれたことで、そう言った苦痛から逃れることができたのだ。
「ひょっとして、冬木さん、わらわのために話し掛けてくれたのか?」
「まあ、五割くらいはそうだ。あとの五割は母親に話したとおり、興味があることを押さえ込もうとすることが個人的にすごく嫌いだから、つい口が出てしまったのだ」
「どうして、そのことが嫌いなのじゃ?」
「興味を持つことが科学の発展の基礎だからだ。興味があるからこそ、人は時間を忘れて、それに没頭することができる。モチベーションも上がる。子供達が持った興味を摘み取っていたら、科学は発達しない」
「そこまで考えておるのか?」
「そうだ」
冬木もまだ発展途上の高校生の分際で、後継者の育成のことまで考えていることは、分不相応とも言えるが、科学部の部長もしている冬木にとっては、ごく普通のことなのだろう。
「自分もそうやって、飽きることなく研究を続けることができた。自分のような人間を増やして、自分の専門分野以外の研究をさせると、その成果が自分の研究にもフィードバックされて、ますます面白いことになるのだ。本当は自分の分身を作りたいところだが、科学的にまだ無理だし、自分のような人間がうじゃうじゃといると自分でも気持ち悪い」
分身の術のように大勢の冬木に囲まれている自分を想像してしまった日和も、プッと吹き出してしまった。
「卑弥埜もそう思うだろう?」
「い、いや、冬木さんが大勢いれば面白いと思うのじゃ」
日和の本心であった。
冬木は、四臣家の四人の中では、一番、口数は少ないが、毒舌とも言える冗談を連発して、四人の関係をギスギスしたものにしない役割を果たしている。
四臣家の四人の役割を大きく分けると、秋土や夏火は自分からどんどんと物事を進めるエンジン役であり、春水と冬木が潤滑油役と分けることができるが、春水の役目は、その優しい言葉遣いで場を静めることであり、冬木は逆にその毒舌とも言える発言で場を和ませるという役割があった。
日和も冬木の冗談にハラハラすることもあったが、よく笑わされた。
日和と冬木は、レストランから出ると、次の展示スペースに並んで向かった。
「冬木さん」
「何だ?」
二人とも足を止めずにお互いの顔を見つめた。
「冬木さんは意外と小さい子供が好きなんじゃな」
「人を犯罪者のように言うな」
「そう言う意味ではない」
冬木の照れ隠しだと分かった日和も苦笑した。
「夏祭りに一緒に行った時も子供の代わりに金魚を捕ってあげたし、文化祭の時も子供達を前に素敵な先生をやっていた。今日も」
「まあ、話の流れから何となくだ」
「そうかのう?」
「そうだ。まあ、他に理由を探すとすれば、一人っ子の自分は、子供の頃に兄弟と遊ぶという経験がなかったから、子供と話すことに飢えているのかもしれない」
「やっぱり、寂しかったのか?」
「まあ、そう思う時もあったが、春水や夏火、秋土が近くにいてくれたから、いつも寂しいと感じていた訳ではない」
「特に、夏火さんとは仲良しじゃもんな」
「あの男は、自分を無料の塾講師とでも勘違いしているようだ。試験前とかには必ず自分の家に泊まりに来るし、ちゃんと教えてやっているのに何の見返りもくれない」
と言いつつも、全然、嫌そうにない冬木であった。
「でも、冬木さんほど、出会ってからの印象が変わった人はいないのじゃ」
日和は初めて冬木に会った時のことを思い出した。
後の三人は、初日からちゃんと話をしてくれたが、冬木は、しばらくの間、話をしてくれなかった。
徐々に話をしてくれるようになったが、普通に話ができるようになったのは、日和が、科学部のOBが作った理科子ちゃんというコンピュータ内のキャラに好きと言わせた時からだった。
「最初は怖い人かと思ったのじゃ」
「この顔のどこが怖いのだ?」
「ぶすっとしておるから怖いのじゃ! 本当は優しい人なのじゃから、もっと笑顔を見せていたら良いのに」
「相手が男でも女でも媚びを売るつもりはない」
「じゃあ、もし、わらわが冬木さんを選んでも、そんな顔をしているのか?」
「自分を選んでくれるのか?」
「もしもの話じゃ!」
慌てて言い加えた日和だったが、冬木が一瞬、見せた嬉しそうな笑顔が眩しく見えた。




