第五十五帖 姫様、デートをする!(二回目 with秋土)
真夜が先に家を出た後、日和は自分で着替えを済ますと、伊与の部屋に行った。
今日の日和は、ピンクのブラウスにライトブラウンのカーデガン、ブラウン系チェック柄のミニスカートにブラウンのタイツという出で立ちであった。
「お婆様、行ってまいります」
部屋の奥で座布団に座っている伊与の前で、日和は深々と三つ指を着いた。
「日和よ」
「はい」
顔を上げた日和に伊与が嬉しそうであるがゲスっぽい顔をした。
「今夜は無理して帰って来なくても良いぞ」
「はい?」
「儂も早くひ孫を見たいでな」
「……何をおっしゃているのか分かりませぬ」
縮地術の扉がある公園まで来ると、秋土が待っていた。
秋土は、シャツの上に裏地が赤のチェック柄のライトグレーのパーカー、ズボンはカーキ色のワークパンツで折り返した裾にも赤のチェック柄、そして黒のスニーカーという、いかにも男子高校生というファッションを身にまとっていた。
「おはようなのじゃ、秋土さん!」
「おはよう、日和ちゃん! 今日の服も可愛いね!」
「ありがとうなのじゃ」
「じゃあ、行こうか?」
秋土は日和に右手を差し出した。
日和は少しだけ躊躇したが、すぐに手を繋いだ。
「第一関門突破だ!」
秋土が少し照れながら笑った。
そして、公園から出て、学校の方向に向けて歩き出した。
「秋土さん、今日はどこに行くのじゃ?」
「今日はね、テニスをしようかと思ってるんだ」
「テ、テニス?」
「うん」
「秋土さんの気持ちは嬉しいが、わらわはしたこともないし、たぶん、できないと思うのじゃ」
「僕の好きなテニスを日和ちゃんも好きになってもらいたいと思って。だから、一度で良いから、日和ちゃんにもテニスを経験してもらいたいんだ」
「一度で言良いから?」
「うん。趣味は人それぞれだし、いくら恋人同士だって、お互いの趣味を相手に押し付けることはすべきじゃないって思ってる。でも、テニスでも何でも、したこともないのに『やらない』って言うべきじゃないと思うんだ」
「それはそうじゃの」
「だから、日和ちゃんも一度で良いからテニスを経験してもらって、無理だと思えばやらなければ良いし、やらないからって、僕が日和ちゃんのことを嫌いになったりしない。でも、可能性があるのなら試してみないとね」
「わ、分かったのじゃ」
「ちなみに、次のデートのチャンスをもらえるのなら、その時のメニューも既に考えているんだ」
「そ、そうなのか?」
「次は、日和ちゃんが好きなことを僕がやってみようと思ってる。裁縫でもビーズ造りでも何でもやるよ!」
「秋土さんが手芸を?」
「似合わないかな?」
「そ、そんなことはないのじゃ! 手芸好きの男の子も、もっと増えても良いと思うのじゃ」
「うん。僕もいろんな経験をして、自分の世界を広げてみたいって思うんだ。ひょっとしたらテニスよりも夢中になる何かを見つけられるかもしれないしね」
何事にも積極的で前向きな秋土ならではであった。
日和は、秋土が昔よく通っていたというテニスクラブにやって来た。
そこは室内コート三面と屋外コート五面を有し、ナイター設備も完備している会員制のクラブであった。
「うちは家族でここの会員になっててさ。僕も小さな頃から親と一緒にここに通っていたから、自然とテニスが好きになったんだ」
「秋土さんの家族はみんな、スポーツ好きなんじゃな?」
「そうだね。父親と母親は、今はゴルフに行くことが多くなっているけど、兄貴は、まだ、ここによく通っているんだよ。僕は学校のテニス部で練習してるから、ここには滅多に来なくなっちゃったけどね」
玄関を入ると、ホテルのロビーのような受付カウンターがあり、秋土は予約をしていたようで、すぐに手続が済んだ。
「秋土さん、今、気づいたんじゃが」
「何?」
「わらわは何も用意しておらぬのじゃ。この格好では、さすがにテニスはできないじゃろう?」
「心配しなくて大丈夫だよ。ここは『手ぶらで仕事帰りにテニス!』がキャッチフレーズのクラブでさ。ウェアも靴もラケットも全部レンタルできるよ」
「そうなんじゃ」
「それじゃあ、日和ちゃんは、あそこのレンタルカウンターでウェアとシューズを借りてくれる? ラケットとかボールは僕が借りるから」
「分かったのじゃ」
秋土は、日和をカウンターまで案内すると、日和のサイズを聞く訳にいかないからと、すぐに日和の側を離れた。
日和がカウンターの中にいた女性従業員に自分のサイズを告げると、従業員がすぐにウェアとシューズを持って来て、更衣室に案内してくれた。
テニスウェアということでスコートを想像していたが、クラブ名の入ったスウェット生地の長袖シャツにハーフパンツというトレーニングウェアであった。
日和が着替えて、更衣室から出ると、同じデザインのウェアとシューズ姿の秋土が、スーパーマーケットで使われている籠を持って、ドアの前で待っていた。
籠の中には、たくさんのテニスボールとラケットが二つ入っていた。
「お待たせなのじゃ」
「僕も今、着替え終わったばかりだよ」
そう言って優しい笑顔を見せると、秋土は、先に立って室内コートに歩いて行った。
「外は寒いかも知れないから室内にしたんだ」
秋土は、三面並んであるコートの奥のコートまで行き、籠をベンチに置くと、ラケットの一つを日和に渡した。
「じゃあ、スイングの基本からやってみようか」
「よろしくお願いするのじゃ」
日和は向かい合って立った秋土の真似をしながら、フォアハンドとバックハンドの素振りをやってみた。
「もっと腕を伸ばしてみて」
「こ、こうじゃろうか?」
「そうそう! 今度は、もうちょっと後ろから振ってみよう!」
「こ、こうか?」
「うん! 良いよ」
五分ほど素振りをすると、それだけで汗が出て来た。
「日和ちゃん、良いよ。素質がありそうだよ」
「そうじゃろうか? 基本的に運動は苦手なのじゃが」
「運動と言っても、いろんなバリエーションがあるでしょ? 瞬発力が必要とされるものもあれば、持久力を必要とするものもある。一流のテニスプレイヤーが一流の野球選手ではないことと一緒で、運動が苦手だからテニスも下手だとは限らないよ」
「そう言われると、何かそんな気になってきたのじゃ」
「そんな気になってもらったら嬉しいけどね」
秋土が嬉しいと思ってくれることが嬉しいと感じる自分に、日和は気がついた。
「次は、実際にボールを打ってみよう」
ネット近くに立った日和に秋土がボールをトスして、ネットを狙って日和がラケットを振ったが、ボールに当たらなかった。
「日和ちゃん、焦らなくても良いから、じっくりとボールを見てみて」
「うん」
日和は、秋土がゆっくりとトスしてくれるボールに神経を集中させた。ボールを打つ瞬間には、顔が前向いてしまっていたのが、ボールを最後まで見るようにしたのが奏功したのか、ボールがラケットに当たってネットを揺らした。
「当たったのじゃ!」
「うん! その調子でいってみよう!」
その後は簡単にボールを打つことができるようになった。
「できるようになったね」
籠の中のボールを全部打ち終えた日和に、秋土が笑顔で言った。
「うん! ありがとうなのじゃ、秋土さん」
日和は、今までできなかったことができるようになったことが純粋に嬉しかった。
「じゃあ、もう一回やってみよう」
そう言うと、秋土は、コート中に散らばっているボールを集め出した。
「秋土さん、わららも集めるのじゃ」
「姫様にやってもらうのは申し訳ないからね」
「わらわは、テニスの姫ではないのじゃ」
「はははは、分かった。それじゃあ、お願い」
秋土は、ラケットのガットの上に複数のボールを器用に乗せて、籠の中に放り込んでいた。
日和は、そんな器用なことができる訳はなく、一つ一つボールを手で拾って集めた。
日和が、拾ったボールを両手で挟み込むようにして持ち、籠に入れようとしたが、ボールが一つこぼれ落ちて、転がっていった。
持っていた残り二個のボールを籠に入れた日和は、急いでそのボールを追い掛けた。しかし、秋土もそのボールを追い掛けていて、二人ともボールに注意が向いて、お互いが見えてなかった。
日和が気づいた時には、目の前に秋土がいて、すぐに止まれなかった日和は、秋土にぶつかり、後ろ向きに弾き飛ばされた。
秋土が咄嗟に、日和の右手首を握って、自分の方に引き寄せてくれたが、勢い余って、日和は秋土の胸に飛び込んで行ってしまった。
気がついた時、日和は秋土に抱きしめられている体勢になっていた。
秋土の胸に顔を埋めた格好のまま、何が起きたのか分からなかった日和が顔を上げると、秋土も呆然とした顔で日和を見ていた。
「あっ! ご、ごめん!」
先に状況を把握した秋土が焦って、日和の体を離した。
「えっと……、わらわもすまぬのじゃ」
秋土に先に謝られて、やっと我に返った日和も顔を赤くしながら頭を下げた。
「いや、僕が悪いよ。少なくとも、僕が日和ちゃんのことを、ずっと気をつけて見てあげないといけなかったのに、それをしてなかったんだから」
「秋土さんは悪くないのじゃ! わらわが落としたボールを秋土さんは拾ってくれようとしただけじゃ」
「ううん。テニスは初めての日和ちゃんが危なくないように気をつけるべきだったんだ」
「秋土さんは、また自分の責任を大きくしようとしておるぞ」
「テニス部の部長としての責任より重大だよ。何て言ったって、日和ちゃんは卑弥埜の姫様で、何かあったら取り返しがつかないんだから」
「いや、じゃから……」
日和が、また反論をしようとしたが、すぐに反論が浮かばず、気がつくと秋土と顔を突き合わせていた。
「……ぷっ! はははは」
「ふふふふ」
しばらく見つめ合っていた日和と秋土は、何だか、おかしくなってしまい、二人して吹き出してしまった。
「秋土さんは本当にぶれないのう」
「日和ちゃんだって」
笑いが収まると、秋土は、再度、日和に頭を下げた。
「でも、アクシデントだったとしても、日和ちゃんを抱きしめてしまったのは事実だから、それについては、ちゃんと謝るよ。ごめんね」
「それも良いのじゃ。本当に不可抗力だったのじゃから」
「でも、内心、ラッキーって思ってるんだよね」
「えっ?」
「僕だって男なんだからさ。あの一瞬の間にいろいろと考えちゃった。日和ちゃんって本当に小っちゃいんだなとか、良い匂いだなとか」
「そ、そんなことを?」
「軽蔑する?」
「……ううん。正直者の秋土さんらしいのじゃ」
秋土は、照れて後頭部をポリポリとかいていた。
「でも、わざとするのは許さないのじゃ」
「しない! 絶対しないから!」
秋土の慌て具合を可愛いと思った日和であった。
「ふふふふ、じゃあ、秋土さん、続きをしようぞ」
「うん! 分かった」
今度は、自分でトスしたボールをアンダーハンドでラケットに当てる練習をした。
これも最初は、ボールに当たらなかったり、当たっても明後日の方向にボールが飛んで行ってしまったが、何回かしていると前に向けて飛ぶようになり、最後には、ちゃんとネットを超えて、相手のコートに入るようになった。
「それじゃあ、打ち合ってみようか?」
「い、いきなり?」
「大丈夫! ちゃんと日和ちゃんが打ちやすいところに返すから」
日和がネットを挟んで反対側にいる秋土に、アンダーハンドで山なりにボールを打つと、秋土はすぐにボールの近くに駆け寄り、日和が打ちやすい位置に山なりのボールを打ち返してくれた。
最初は何度も空振りをしたが、しばらくすると、日和もボールを打ち返せるようになってきた。
秋土に向けて打ち返すことまではできなかったが、秋土が素早くボールの落下地点まで移動して、優しいボールを打ち返してくれた。そうしているうちに、日和も次第に秋土に向けてボールを打ち返せるようになり、山なりボールであったが、三、四往復ほどのラリーもできるようになった。
「ちょっと休憩しよう!」
日和は、秋土が勧めたベンチに座った。
「飲み物を買ってくるよ。スポーツドリンクで良い?」
「うん」
ベンチに座った日和が汗を拭いていると、秋土がスポーツドリンクのペットボトルを二つ持ってきてくれた。
「ありがとうなのじゃ、秋土さん」
「どういたしまして」
二人は並んで座り、スポーツドリンクを飲んだ。
「美味しいのじゃ! スポーツドリンクがこんなに美味しいと感じたのは初めてなのじゃ」
「汗をかいたからね。でも、日和ちゃん、お世辞抜きで本当に筋が良いよ。今日中には普通にラリーができるようになりそうだ」
「本当か? 自分でも不思議じゃ」
「テニスをやってみてどうだった?」
「やっぱりできるようになると面白いのじゃ」
「そう思ってくれるだけで、今日、日和ちゃんをここに案内した甲斐があったというものだよ」
秋土が、ほっと安心していることが見て取れた。
「秋土さんが一生懸命教えてくれるから、わらわも頑張れたのじゃ」
教えたことを日和ができるようになると、秋土は本当に嬉しそうな顔をした。だから、頑張ることができた。
でも、そのことは照れくさくて、秋土には言えなかった。
「日和ちゃん」
日和が隣の秋土を見ると、秋土も日和の顔を覗き込むように見ていた。
「実はさ、今日の日和ちゃんとのデートがすごく楽しみで、昨日、ちょっと寝付けなかったんだ」
「秋土さんも?」
「えっ! と言うことは日和ちゃんも?」
「えっと、……うん」
「それはそれで何か嬉しいな」
秋土の満面の笑みが眩しくて、日和は秋土から視線をはずして前を向いた。
「その眠れなかった時、いろいろと考えていて、僕は日和ちゃんのことを、いつから好きになったんだろうって思ったんだ」
秋土も前を向いて話した。
「日和ちゃんが転校してきて初めて会った時、小っちゃくて可愛い子だなって思った。卑弥埜の姫様だと聞いて、ちょっと興味が湧いた。それから、毎日、教室で話していて、日和ちゃんが、姫様なのに飾らなくて気さくで、優しくて、純粋な人だと分かった。それから、ひょっとして、僕は日和ちゃんのことが好きなのかもって思ったのは、僕の怪我を太陽の神術で夜通し治してくれた時なんだ。あの時、何て思いやりがあって素敵な人だろうと思ったんだ」
「あ、秋土さん、誉めすぎじゃ」
「僕はそう思わないよ。全然、誉め足りない。練習試合に負けてヘタレていた僕を叱ってくれた時は、男子の言いなりになる女の子じゃなくて、ちゃんと自分の考えも持っている人だと分かった。日和ちゃんと一緒にいると、自分も人間として一緒に成長していける気がするんだ」
「秋土さんこそ、人の前に立ってどんどんと引っ張っていけるし、正義の味方だし、秋土さんと一緒にいると、わらわも本当に勉強させられるのじゃ」
「ありがとう。日和ちゃんにそう言ってもらえると本当に嬉しいよ。そうやってお互いに刺激しあい、お互いの足りないところを助け合える、そんなカップルになりたいな」
「そうじゃな」
と肯定しておいて、日和は、秋土とカップルになることを承諾したと勘違いされたと思ってしまった。
「あ、あの、秋土さんとカップルになると、きっと、そうなるんじゃろうな」
すぐに言い直した日和に、一瞬だけ残念そうな顔を見せた秋土もすぐに笑顔になった。
「そうなるよ! 絶対に!」
自分に言い聞かせるように、秋土が力を込めた。
「じゃあ、続きをやろうか?」
秋土が差し出した手を握った日和は、秋土を見つめながらコートに出て行った。




