第四十四帖 姫様、美和の家でびびる!
日曜日の午後。
私服姿の日和と和歌は学校最寄りの駅から五つ目の駅で降りた。
駅前に少しだけ商店があるだけの郊外の街で、少し歩くと、閑静な住宅街に入って行った。
和歌が美和からもらった地図を手にして、周りを見渡しながら、あっちでもないこっちでもないと道を行き来していたが、目指す道すら分からなかった。
「和歌ちゃん、迷子になったことはないと言ってなかったか?」
「そうですけど……。たぶん、地図を見なくても行けるところにしか行かなかったからでしょうか?」
自分の方向音痴は棚上げにして、日和がジト目で和歌を見つめると、さすがに和歌も心苦しくなったようだ。
「ひ、人に訊いてみましょうか?」
「そうじゃの。それが早そうじゃ」
なかなか人通りもなかったが、少しすると前から妙齢の女性が歩いて来た。
「和歌ちゃん、あの人に訊いてみるのじゃ」
自分は人見知りで初対面の人に話し掛けることができない日和が和歌に話を振ると、和歌は何ら物怖じすることなく、にこやかにその女性に話し掛けた。
「すみません!」
「はい、何でしょうか?」
人当たりの良さそうな女性だった。
「この辺りで三輪さんというお宅はご存じありませんか?」
和歌のこの質問で、それまでニコニコとしていた女性の顔が豹変した。
「あ、あなた達はそこに何をしに行くの?」
「な、何をって、招待されたんですけど?」
「招待? あなた達、まさか借金のカタに売られてきたの?」
「はあ?」
「じゃあ、あれかしら? 芸能界にデビューさせてやるからとか言われたのを信じてやって来てるの?」
「な、何を言っているんですか?」
「悪いこと言わないから、お止めなさい! あなた達、まだ若いんだから、自分の人生は大切にしなきゃ駄目よ!」
「は、はあ」
女性は関わりになるのも嫌だというように早足で去って行ってしまった。
残された日和と和歌は訳が分からず、目を点にして見つめ合った。
「いったい何を言われていたのじゃろう?」
「さっぱり分かりませんでした。ここって日本ですよね?」
「たぶん……、あっ、和歌ちゃん! 今度は、あの人に訊いてみようぞ」
和歌が反対方向から歩いて来た高齢の男性に「三輪宅」について尋ねたが、あからさまに関わりたくないという顔をして無言で去って行った。
その後、何人かに道を尋ねたが、みんな、「行っちゃいけない」と日和達を止めようとした。
「どうしても教えてもらえぬようじゃな。仕方がない。わらわ達のみで地図を頼りに行くしかないの」
「そうですね。えっと、ここがあれで、あれがこれだから……」
和歌が地図とにらめっこをしながら、うろうろとしていると、目標となる小さな和菓子屋さんを見つけた。
「あの和菓子屋さんの角を曲がれば、部長の家があるはずです!」
「遠かったの」
やれやれと若干疲労の色を表情に出しながらも、安堵した日和と和歌の顔が角を曲がった途端に引きつった。
日和と和歌の目の前には、高い塀が遠くまで続いていた。
塀の上には一本、針金のようなものが走っており、風で飛んできた落ち葉がその針金に触れると火花が散った。
「ここが部長のお宅なんじゃろうか?」
「地図によると間違いないと思いますけど」
「それにしても、大きな家じゃな」
日和の家も相当な広さではあるが、周りの風景が山なので相対的にその大きさが感じられず、街中にある目の前の豪邸の方が大きく見えた。
「そ、そうですね。部長って、お嬢様だったんですね」
「あの大きな印は何の模様なんじゃろうの?」
しばらく歩いてたどり着いた大きな門扉には、オリンピックのマークから両端の二つの輪がなくなっているような模様の大きな紋章が掲げられていた。
「そ、それより、その横に『三輪組』って金ぴかの看板が掛かってますけど……」
「そうじゃの? 三輪組って、何年生なんじゃろうな?」
「いえ、学校の組とは違う気がしますけど……」
浮き世に疎い日和は、その看板の意味が分からなかった。
「じゃあ、何の組なのじゃ?」
「たぶん、や、やくざの組ではないかと……」
「やくざ……って、あの、やくざ?」
「あのやくざじゃないやくざって何ですか?」
日和と和歌が門の前でおろおろと話していると、門扉がギイィーと軋んで少し開くと、中からパンチパーマにサングラス、紫色のダブルのスーツ、派手なシャツとネクタイの「いかにもその筋の」男が一人出て来た。
「ああ~ん、姉ちゃん達よぉ! 人んちの門の前で何、ぴーちくぱーちく話してるんだよ! うるせえんだよ、ごるぁ!」
そのプロの脅しに日和と和歌は、抱き合って震えることしかできなかった。
「何とか言えよ、ごるぁ! おめえら、見えねえけど、ポリの回し者か?」
「い、いえ、違います」
和歌が震える声で小さく答えた。
「ああ~ん? 聞こえねえな!」
――ドスッ!
パンチパーマはいきなり脇腹を押さえながらうずくまってしまった。
その後ろには怒った顔の美和が立っていた。
「てめえ! 私の話を聞いてなかったのかい? 今日は私の大切な友達が来るって言っていただろうが!」
「お、お嬢! こちらがお嬢のお友達とは気がつきませんでした」
「どっからどうみても女子高生だろうが!」
「ぐはっ!」
今度は、腹に美和の蹴りが決まり、パンチパーマはうつ伏せに倒れて起き上がらなかった。
美和は、怒りの表情から一瞬にして穏やかな表情に変えて、日和と和歌を見た。
「ごめんね、二人とも。みんなには、朝、言い渡しておいたんだけど、頭の悪い奴とか、そもそも人の話を聞かない奴が多くてさ」
「い、いえ。ちょっとびっくりしただけなのじゃ」
日和が美和を庇うようなことを言うと、途端に上機嫌になった美和が、日和の手を取った。
「いらっしゃい、二人とも。シロちゃんとウサギちゃんは先に来てるわよ」
「お、お邪魔するのじゃ」
「どうぞ」
日和の手を引いて、少し開いたままの門をくぐると、広い日本庭園があり、玉砂利が敷き詰められた通路が和風の豪邸まで続いていた。
そして、その通路の両脇に、黒服サングラスのお兄さん方がずらっと並んでいた。
「私が久しぶりに友達を連れて来るって父親に言ったもんだから、父親も気合いが入っちゃって」
「そ、そうなんじゃ」
大きな金屏風が置かれている玄関で靴を脱いで上がると、その奥の応接間に案内された。
「どうしても父が挨拶したいって言うから、ごめんね」
応接間には稲葉姉妹がかしこまって座っていて、僅かな表情の変化であったが、日和と和歌の顔を見て安心したのが分かった。
その応接間は、敷物は虎の毛皮だし、ピカピカの甲冑や日本刀が飾られ、その他にも全体的に金色の占める割合が高くて、目にキラキラとする輝きが眩しかった。
三人が余裕を持って横に並んで座れるソファの一つに美和と日和が、他の一つに和歌と稲葉姉妹が座ると、間もなく着流しを着た男性が応接間に入って来た。
「どうも、いらっしゃいませ」
強面ではあるが、その顔は本当に嬉しそうに笑っていた。
「美和の父親の三輪亜久人でごぜえやす。今日は、我が家に来ていただいてありがとうございます。ぜひ、ごゆっくりしてください」
日和達も恐縮して座ったまま深くお辞儀をした。
「こんな家ですから、美和もなかなか友達を呼びづらかったようですが、けっしてお嬢さん方に危害は加えませんからご安心くだせえ」
危害を加えられる来訪者もいるのだろうかと、日和は、かえって不安になってしまった。
「こいつの母親が死んで四年。男手一つで育てることができるか心配でございましたが、皆さんのような友達がいてくれたなんて、あっしも父親冥利に尽きるってもんでさあ」
男泣きする父親にキレたように美和が言った。
「お父さん、もう良いでしょ!」
美和が、父親の話を強制終了させると立ち上がった。
「みんな、向こうの部屋に準備しているから行こう! じゃっ、お父さん! 後は女の子だけの会だから邪魔しないでね!」
相手が父親であろうが、般若の形相で念を押した美和であった。
日和達も一応、美和の父親にお辞儀をしてから、美和について応接間を出た。
美和は、日和達を少し離れた和室に連れて行った。
障子を開けると、そこは広い和室で、大きな座卓の上には、豪華な食事が既に用意されていた。
「みんな、座って! ここからは手芸部員だけしか参加させないから」
「部長、このご馳走は?」
「ちょっと張り切り過ぎちゃったけど、一応、私の手作り」
「え~! これ全部ですか?」
「うん。料理も好きでよくしてるから」
「部長、さっき、お母様が……」
日和も尋ねることが躊躇われて最後の方は言葉を濁した。
「うん。中学二年生の時に病気で死んじゃってさ。一人っ子だから、それからはお父さんと二人きり。まあ、この家は同居人や来客がいつも大勢いるから寂しくはなかったけどね」
美和も自嘲気味に言った。
「確か、縫い物はお母様に教わったって言ってなかったか?」
「ええ、極道の妻だったから、男に尽くすことが女の幸せという考えの人で、縫い物もそうだけど、料理などの家事を全部叩き込まれたわ」
「そうなんじゃ」
「そのお陰で手芸が好きになって手芸部に入って、みんなに出会えたって思ってるんだけどね」
美和らしいポジティブシンキングだった。
「でも、『女は男に尽くすべき』とか、『三歩下がって旦那様の影を踏まず』なんて考え方には最後まで納得できなかったな」
「……」
「母親も最後には『幸せだった』と言ってたけど、本当にそうだったのかなあって、私は思ったの」
「……」
「それに、この家には、むさ苦しい男どもがいつもいたから、いつの間にか男が嫌いになっちゃってさ」
美和の百合趣味は、男主体の家庭環境への反発から生まれたのかもしれなかった。
「とりあえず食べましょう」
何となくしんみりしてしまった空気を払い除けるように、美和が笑顔を浮かべて言った。
「う、うん。いただきます」
日和が手を合わせて言うと、後の者も一斉に頭を下げて、ご馳走に箸を付けた。
鯛の尾頭付きがでーんと食卓の真ん中に鎮座していたが、その周りに置かれた料理の数々は、どれも家庭的な料理で手作りだと分かった。
「部長、このお刺身も部長が?」
唯一、食卓の上で豪華さを放っていた鯛の尾頭付きも飾り付けがプロっぽくなかった。
「ええ、親の刷り込みみたいで嫌だけど、昔からお祝い事には鯛の尾頭付きが出てたから、今回も欲しいなって思ったの。でもお店で頼むと高いから自分で捌いたのよ」
「すごいのじゃ!」
「でも、日和ちゃんもお魚はおろせるって言ってなかった?」
「こんなに大きな魚はやったことがないのじゃ」
「まあ、私も鯛は初めてだったけどね」
「この煮物も美味しいです! 家ではあまり煮物は食べないけど、これなら進みます」
和歌も幸せそうにご馳走を頬張っていた。稲葉姉妹も無言のまま、もぐもぐと顎を動かしていた。
「部長、空手をやっていたのもお父様から言われたからなのか?」
「そうね。護身術よ。いつ敵対勢力から襲われるかもしれないからって」
まるで自分と同じだと日和は思った。
一通り、ご馳走も食べ終わると、コーヒーやジュースが出された。
「家に友達を呼んで来てもらうのが小さな頃からの夢だったのだけど、家に来たら絶対みんな引いちゃうよねって思って誘えなかったんだ。シロちゃんとウサギちゃんも一年の時に来てもらって以来だよね?」
稲葉姉妹がこくりとうなづいた。
「でも、手芸部のみんなには来てもらいたかったの。だって、同じ感動を味わったみんなは、私の最高の友達だから」
美和が嬉しそうに微笑みながら、みんなを見渡した。
「……」
「今日、みんなに私の家に来てもらうのに、すごく勇気がいったの。日和ちゃんと和歌ちゃんは私の家の前まで来たら、そのまま帰っちゃうんじゃないかって、正直、怖かったんだ」
「部長……」
「だから、来てくれて、ありがとう」
美和は正座したまま頭を下げた。
「部長」
「何、日和ちゃん?」
美和が頭を上げて日和を見つめた。
「部長は、この家に生まれて後悔したことはないか?」
「じゃあ、逆に訊くけど、日和ちゃんはどうなの?」
普通科の美和や和歌は、日和の家が伝統芸能を継承している由緒ある家だと理解していた。
「わらわは、……後悔はしておらぬ」
「私も今はね」
「今は?」
「小さな頃は、何でこんな家に生まれたんだろうって親を恨んだこともあったけど、今じゃあ、もう諦めてる。だって親子の縁は切ろうたって切れないんだもんね」
自分と同じような境遇だった美和に、更に親近感が湧いた日和であった。
「部長は家を継がなくても良いのか?」
「私が?」
美和が思わず吹き出していた。
「こういう職業はね、別に血縁者が跡を継ぐということじゃないのよ」
「そうなのか?」
「ええ、もし父親が引退して組を後継者に譲ると、私達はここを出て行くことになると思うわ」
「そうなんじゃ。不謹慎かもしれぬが、早くそうなれば良いと思っているのではないのか?」
「図星よ。早くこんな家から出て行きたいけど、父親も無駄に健康で元気だからねえ」
父親に対する憎まれ口を叩いていたが、心底そう思っている訳でないことが分かった。
「じゃあ、そろそろやりましょうか?」
みんなが食後のお茶も飲み終わったのを確認した美和が立ち上がり、日和達を居間に残して出て行ったが、すぐに戻って来た。
その手には綺麗にラッピングされた二つの袋が握られていた。
「今から、耶麻臺学園高等部手芸部の部長交代式をします! みんな、立って」
美和の指示で、稲葉姉妹は美和の後ろに立ち、美和の前に日和が、日和の少し後ろに和歌が立ち、三年生と下級生が向き合った。
美和は、優しい顔をして、少しの間、日和を見つめてから、口を開いた。
「手芸部の伝統にのっとり、私とシロちゃんとウサギちゃんは、今日をもって手芸部を引退します。日和ちゃんと和歌ちゃんとは半年間という短い期間だったけどいろいろとお世話になりました」
美和と稲葉姉妹がタイミングを合わせて、日和と和歌にお辞儀をした。
そして顔を上げた美和は、日和を見つめた。
「私立耶麻臺学園高等部手芸部部長三輪美和は、次期部長に卑弥埜日和ちゃんを指名します!」
そう宣言してから、美和は稲葉姉妹と和歌を交互に見た。
「異議のある方はいますか?」
「異議無し!」
打ち合わせをしていたとは思えなかったが、和歌がすかさず同意をした。稲葉姉妹も無言でうなづいた。
「日和ちゃん、受けてくれる?」
「分かったのじゃ」
神妙な顔をして、日和は答えた。
「ありがとう」
ほっとしたのか、美和の顔も少し緩んだが、また表情を引き締めた。
「私達が去って行くと、手芸部には二人しか残らないけど、新たな部員を募集したり、来年には新入生を大勢勧誘してもらって、これからも手芸部が活発に活動することを祈っています」
「分かったのじゃ。約束するのじゃ」
日和は心からそう誓った。
「頑張ってね!」
「うん!」
「それじゃ、これは私達三年生から日和ちゃんと和歌ちゃんへのささやかなプレゼントです」
美和が手に持っていた袋を、日和と和歌にそれぞれ差し出した。
「あ、ありがとうなのじゃ」
日和と和歌はその袋を受け取った。
「部長、開けても良いじゃろうか?」
「部長はもう日和ちゃんだよ」
「あっ! えっと、じゃあ何と呼べば良いのじゃろう?」
「三輪先輩で良いんじゃないでしょうか?」
「それで良いわよ」
戸惑い気味に答えた和歌の意見に、当の美和が承諾した。
「み、三輪先輩、開けても良いじゃろうか?」
初めての呼び方に日和も照れてしまった。
「ええ、もちろん」
日和と和歌がラッピングを丁寧に解いて袋を開けると、中からハンカチサイズのパッチワークキルトが出て来た。
広げて見ると、おそらく日和を模したと思われる顔が真ん中に縫い付けられ、その周りに美和とシロとウサギの短いメッセージが刺繍されている布が縫い付けられていた。
「ふぁいと! シロ」
「いっぱつ! ウサギ」
「ありがとう! みわ」
そのメッセージを見て、それまで我慢していた日和の涙腺が崩壊してしまった。
「わらわは、この手芸部に入って本当に良かったのじゃ! みんな大好きなのじゃ!」
泣きじゃくる日和を美和が抱きしめると、その周りに和歌と稲葉姉妹も寄り添ってきて、二人を取り囲み一緒になって泣いた。
チャンスとばかりに美和から体を撫で回されることも、今は心地良い日和であった。




