第十二帖 姫様、大きな愛に包まれる!
日和が学校に通い始めて二週間ほど経ったある日の放課後。
「では、行ってくるのじゃ」
「おひい様」
「何じゃ?」
「楽しそうでございますね?」
「うん! 部活が学校で一番楽しい時間なのじゃ!」
「そんなおひい様の笑顔を見られて、拙者も幸せでございます。では、拙者は、いつもどおり、校門で待っております」
「分かったのじゃ」
軽い足取りで新校舎に向かった日和の後ろ姿が見えなくなるまで見送った真夜は、日和の部活が終わる頃まで暇を潰そうと、神術関係の図書が備え付けられている第二図書室に行った。
真夜は、これまでに確認されている神術のすべてが登載されていると言われている「神術総覧」の写本を書架から見つけ出して、閲覧室で眺めていた。日和を襲って来る輩はどんな神術を使ってくるか分からない。未知の神術をできるだけ減らしておくことが必要だと考えたのだ。
「真夜じぇねえか?」
夏火の声に、真夜が振り向くと、四臣家の四人が立っていた。
真夜は、立ち上がり丁寧にお辞儀をした。
「今日は、皆様、クラブはお休みですか?」
「いや、明日の朝までに提出しなければいけないレポートがあって、そのために必要な資料が図書室にあったという冬木の記憶を頼りに、みんなで来たんだよ」
秋土が代表して答えた。
「明日の朝までに提出ですか? おひい様は何も言われていませんでしたが?」
「日和のことだから忘れてるんじゃないか?」
夏火が言うとおり、のんびり屋で緊張感無く授業を受けている日和は、時々、宿題が出ていることを忘れていることがあり、最近は、宿題が無いと日和が言った日には、真夜が秋土に電話で確認をするようにしていた。
「そうかもしれませんね。皆様方が探している資料とはどんなものなのですか? ひょっとしたら、おひい様も必要かも知れませんから、私が代わりに見ておきたいのですが?」
資料を憶えているという冬木に向かって、真夜が訊いた。
「探している資料は『神術総論』という分厚い本だ」
「あっ……」
真夜がテーブルに広げてあった本を見ると、その視線を先をたどった冬木も気がついたようだ。
「これだ! 梨芽は、どうしてこの本を読んでいるんだ? 弐組でも同じテーマの宿題が出たのか?」
「いえ、そう言う訳ではありません。たまたまでございます」
「宿題が出ている訳でもないのに、こんな難しい本を読んでいたの?」
秋土も驚いているような顔で真夜に訊いた。
「いつもではございません」
「いや、真夜なら納得だな」
「何がですか?」
夏火が懲りもせずに、真夜に近づき、その肩に手を置いた。
「弐組の連中から話は聞いているぜ。お前、頭も良いし、運動神経も抜群らしいじゃねえかよ? そのうえ、そのルックスときたら、声を掛けたくなるのも当然だろ?」
「……」
「俺が日和を守った暁には、お前からお礼のキスの一つくらいプレゼントしてくれても良いんじゃないか?」
「夏火殿、おひい様にもそのようなことを平気で言っているのではなかろうな?」
「日和には言わねえよ。って言うか、日和はウブなのか鈍感なのか分からないけど、キスとか言っても反応薄いんだよな」
「言っておるではないか!」
「まあまあまあ」
秋土が間に立って、真夜をなだめると、真夜も少し怒りを収めた。
「ちょっと、あっちに行こうよ」
秋土は、他に生徒がいる閲覧室から出て行った。真夜達も秋土について、図書室の入口に近いロビーのような場所に行った。
「真夜さんは、日和ちゃんを守るという使命のため学校に来ているんだから、いくら夏火が言い寄ったとしても、夏火とつき合うことなんてできないんでしょ?」
辺りに他の生徒がいないことを確認してから、秋土が真夜に訊いた。
「左様でございます。さすがは秋土殿。拙者の立場を分かっていただき、感謝申し上げます」
「真夜! お前、一生、日和に尽くすつもりか?」
「そうだ!」
一瞬の迷いも無く真夜が答えた。
「もったいねえ! せっかくそれだけの器量を持ってるというのに!」
「もったいないというのは、夏火がだろう?」
冬木の冷静な突っ込みが入った。
「ああ、そうだよ! ロリコンやホモのお前達には分からねえだろうがな!」
真夜は、大きくため息を吐くと、小悪魔的な微笑みを浮かべて、夏火を見た。
「夏火殿は、拙者のキスが欲しいのか?」
「ああ、欲しいな」
「では、差し上げようか?」
「マジか?」
「ああ」
真夜が夏火の真正面に進み出ると、夏火の手を取った。
「拙者もキスなどしたことないから胸が高鳴っておる」
「へへへへ、意外にウブなんだな?」
「ほれ、このように」
真夜は、握った夏火の手を自分の胸に押し当てた。
「……!」
夏火が驚いたように手を引っ込めた。
「どうだ、夏火殿?」
「お、お前……」
「どうしたんだ、夏火?」
夏火の余りの驚きように他の三人も驚いていた。夏火が女性の方から手を胸に当てられて驚くような男では無かったからだ。
「こんな平面胸は初めてだ。しかも、男のような筋肉が……」
「ふふふふ、皆様方には正直に言っておきましょう。拙者は女ではありません」
「えっ? じゃあ、男? まさか?」
真夜の美貌では、女では無いと言われても、直ちに信じられるものではなかった。
「今は、男でもありません」
「はあ?」
「どういうことだ?」
真夜は、辺りを見渡して、近くに生徒がいないことを再度、確認してから、小さな声で話し出した。
「拙者は、梨芽の家に男として生まれました。小さな頃は、おひい様と一日中遊んでいた幼馴染みでもあります」
「……」
「しかし、十歳を超えた頃から、一緒に遊ぶことができなくなりました。おひい様は、まったく気にされませんでしたが、拙者の親からも言われたし、自分でも何となく分かりました」
「お年頃になったということか?」
「そうです。しかし、拙者は、おひい様と別れることが辛かった。おひい様と一緒でない人生など考えられませんでした」
「……」
「だから、拙者は去勢をしたのです」
「何!」
「そ、そんな!」
「十歳でか?」
「自分から進んで?」
「そうです。誰から勧められた訳でも、強制された訳でもありません。拙者は、ただ、命ある限り、おひい様のお側にいたい! その一心で自らこの体になったのです」
「日和ちゃんは?」
「もちろん知っています。拙者が自らの体を傷つけたと知った時、おひい様は、ずっと泣いておられました。しかし、拙者は言ったのです。『おひい様の笑顔を近くでずっと見たくて、拙者はこうしたのです。おひい様が笑ってくれなければ、拙者は意味の無いことをしたことになってしまいます』と。おひい様は泣きながらも笑ってくれました」
「……大きいですね。真夜さんの日和さんに対する愛の大きさには、誰も敵いませんね」
「拙者は、命ある限り、おひい様のお世話をさせていただくつもりでございます。しかし……」
真夜は、四人の顔をゆっくりと見渡した。
「拙者は、おひい様を幸せにして差し上げることはできません。できれば、皆様方のどなたかが、おひい様を幸せにしていただけると、それは拙者にとっても大きな喜びでございます」
四人とも言葉を発することができなかった。
「もちろん、それを強制するつもりもございません。時代は違うのですから。でも、おひい様は、本当に、純粋で、素直で、優しくて、お側にいるだけでこちらまで優しい気分になれるお方です。皆様方には、おひい様と、もっと仲良くなっていただきたく、拙者からも改めてお願い申し上げます」
真夜は、四人に深く頭を下げた。
日和は、今日も今日とて、稲葉姉妹が無言でニコニコと見つめる中、美和から濃密なスキンシップを受け、和歌からは小声で刺激的な話を聞かされて、ヘロヘロになってしまったが、大好きな手芸を誰にも邪魔されずにできて、百二十パーセントの復活を果たしていた。
午後六時になって、美和が終了を告げた。
稲葉姉妹が先に部室を出た後、モタモタと後片付けをしていた日和に美和が声を掛けた。
「日和ちゃん、帰りにお茶でもしていかない?」
「お茶?」
「もっと、日和ちゃんといろんな話をしたいから。時間は大丈夫?」
「えっと、真夜と一緒に帰る約束をしておるのじゃ」
「真夜さんって、いつもお昼を一緒に食べている人よね?」
「うん」
美和の目に嫉妬の炎が燃え盛っていることに、気がつく訳のない日和であった。
「日和ちゃんと、その真夜さんとは、どう言う関係なのかしら?」
「真夜は、わらわの幼馴染みで、親友で、護衛役なのじゃ」
「護衛役?」
「えっと、帰り道に怖い人が出てきても大丈夫なように、わらわを守ってくれるのじゃ」
「ふ~ん。今日は、私が日和ちゃんを守ってあげるから、真夜さんには先に帰ってもらったら?」
「えっ! 部長が?」
「部長、こう見えて、空手少女なんですよね」
和歌が割り込んで来た。
「そ、そんなに見えないのじゃ」
「部長、私も一緒に行って良いですか? どうせ暇だし」
美和は、明らかに不機嫌になりながらも、和歌に「どうぞ」と返事をした。
日和が、美和と和歌と一緒に校門まで来ると、いつもどおり、真夜が立って待っていた。
「真夜! 待たせたの」
「いえ、こちらは?」
「うん。手芸部の部長の三輪美和さんと一年生の和気和歌ちゃんなのじゃ」
美和と和歌が真夜に会釈をすると、真夜も深々と頭を下げた。
「梨芽真夜と申します。いつも、おひい様がお世話になっております」
「おひい様?」
「私なりの日和様の呼び方でございます」
「そうですか。今日は、日和ちゃんをお借りしたいのですがよろしいでしょうか?」
「おひい様を借りる?」
「ええ、お茶をしながら、もう少しお話をしたいものですから」
真夜が日和の顔を見た。
「真夜! わらわも部長達と手芸の話をもう少ししたいのじゃ!」
「……分かりました。結構でございます」
「本当に良いのか?」
反対されると思っていた日和は、少し拍子抜けした。
「ええ、拙者は陰からお守りいたします」
「あっ、先に帰っても良いぞ。部長は空手の達人だそうじゃから」
「……三輪殿。どちらに寄られる予定なのでしょうか?」
「駅前のスターパックスに行くつもりです」
「分かりました。おひい様」
「何じゃ?」
「では、一時間後に、そのスターパックスにお迎えに上がります。それまで、ゆっくりとされてくださいませ」
「分かったのじゃ!」
「梨芽さん、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「いえ、おひい様をよろしくお願いします」
「分かりました」
自分を見る美和の視線の厳しさに気がついた真夜であった。
美和と和歌と一緒に、日和は、初めてコーヒーショップに入った。
家では、伊与の趣味もあり、ほとんど、緑茶しか飲んでなかった日和は、美和と和歌の注文の仕方を真似て、キャラメルラテを頼んだ。
席に着いて飲んでみると、今まで飲んだことのないくらい甘く美味しかった。
「美味しいのじゃ! 世の中には、こんなに甘くて美味しい飲み物があったのじゃな」
「……日和ちゃん、普段は、どんな飲み物を飲んでいるの?」
「お茶か水じゃが? 甘い飲み物だと、真夜が、時々、飴湯を作ってくれるのじゃ」
「コーヒーは飲んだこと無かったの?」
「コーヒーは苦いから飲んだこと無かったのじゃ」
伊与がコーヒーが嫌いで、「コーヒーは苦いもの」というイメージを日和に植え付けていただけであった。
「ねえ、日和ちゃん」
「何じゃろ?」
「真夜さんと日和ちゃんは幼馴染みと言ってたけど、お風呂は一緒に入ったことがあるの?」
「部長! いきなり、ストレートすぎますなあ~」
喜んだ和歌も無視した美和だった。
「真夜は、お風呂には誰とも一緒に入らないのじゃ」
「そうなの? きっと小さな胸を見られたくないのね」
美和は、真夜が平面胸であることを見逃してなかった。美しさでは到底敵わないが、胸の大きさで勝利を確信した美和であった。
「胸なら、わらわも無いのじゃ」
日和としては、真夜を擁護したつもりだったが、美和は別の意味に取ったようだ。
「そこが可愛いのよ。いつでも私の胸に顔を埋めても良いのよ」
「ぶ、部長の胸に顔を埋めると、息ができなくなりそうなのじゃ」
「ふふふふふ、息が止まったら、マウストゥマウスで人工呼吸をしてあげるわよ」
「い、いろいろと危険みたいなのじゃ」
少し離れた席に、美和と和歌に弄られまくっている日和を見つめる、二人の白人の男がいた。
その目には殺意が隠れることなく現れていた。




