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3. 好きになれるかもしれない


 隣国の皇子たちは大勢の供を連れてやってきた。

 隣国の中でも、彼らの住まう王都は暑い地域らしい。皆、クラウディアたちよりもよく焼けた肌で、特産である宝飾品の煌めく衣服をまとっている。彼らは一週間滞在するという。


 クラウディアも負けず、エディに言われた通りにとびきりめかしこんでパーティに臨んだ。ドレープの美しいアイボリーのドレスで、メイクも時間をかけて侍女に施してもらった。

 会場でエディと目が合うと、小さく頷いて微笑まれた。彼の目にも満足いく出来だったらしい。

 マリアーヌと一緒にいたところで、エディが皇子たちを紹介しにやって来た。


「私の妹のマリアーヌと、ブラームス侯爵令嬢です。こちら、サイード皇太子とハシュム殿下だ」

「はじめまして」


 未婚の弟だというハシュムはクラウディアよりも少し年下だろうか。

 確かにエディの言う通り、若いのに落ち着いていて誠実そうな雰囲気を感じる。


 そう思いながら互いに挨拶し、皇太子から手に口づけを落とされた時、クラウディアは隣の変わった様子に気付いた。


 マリアーヌとハシュムが、手を取り合って見つめ合っている。


 クラウディアは、人が恋に落ちる瞬間を初めて見たのだった。



 ♦



 なにもしていないのに、振られたような気分なのはなぜだろう。

 あれからマリアーヌは顔を赤らめ、ハシュムは彼女の手を放さなかった。

 紹介したエディは一瞬驚いたように目を瞬いたが、他にも紹介したい人がいるから、とその場から皇子たちを連れて行った。

 マリアーヌは夢見心地で他の来賓からの挨拶を受けているが、クラウディアはふらふらと抜けだして庭に出たところだ。


「虚しい……」


 気合を入れてきた自分はなんて滑稽なのだろう。

 マリアーヌは何も悪くない。こういうのには相性があるのだ。彼ら二人は初対面で運命であることを悟ったということだ。

 だが。

 結局、国内にも国外にも合う人などいない。自分は世界から誰にも愛されない寂しい人間なのではないかと自嘲する。

 可愛いマリアーヌがときめく相手に出会ったことは非常に喜ばしいことなのに、それを祝う気持ちになれない自分の矮小さにもがっかりだ。


「ああ自分が嫌だ……」

「大丈夫ですか、ご気分でも?」


 項垂れていた背をさすられ、クラウディアはびくりと顔を上げた。

 すぐ間近に心配そうな顔の男性がおり、茶色い瞳と目が合った。少し年上だろうか。皇子たちほどの宝飾品は身にまとっていないが、肌の色からして隣国の人物だ。


「す、すみません、何でもありません。大丈夫です」

「いや、顔色がお悪い。少しあちらに腰掛けた方が」


 勧められて少し離れたベンチに腰を下ろすと、男性は水と、濡らしたハンカチを持ってきてくれた。


「飲めますか? あともし暑いようならこれで首元を冷やして。私はレーニエと言います。外交官です」

「ありがとうございます、レーニエ様。クラウディア・ブラームスです」

「あ、ブラームス侯爵令嬢。これは馴れ馴れしく失礼を」

「いえ」


 どうやら貴族家のことは知識があるらしい。外交官だからだろう。

 レーニエはクラウディアの隣に腰掛け、クラウディアを上から下までじっくり見てから「美しいですね」と微笑んだ。


「ありがとうございます」

「その反応、言われ慣れていますね。ま、そうですよね。これだけ美しかったら。当然だ」


 初対面だというのにずいぶんと軽く話しかけてくるものだから、警戒するよりも面食らってしまった。

 こんなに気安く異性から話しかけられたのは久々だ。

 特に、あの異名が流れてからは。


「恐れ入ります、ふふふ」

「なにか可笑しい?」

「いえ、こんなにはっきりと言われたことがないものですから」

「本当に? この国の男性は奥手が多いの? 美しいものは美しいと言わないと。あなたくらい美しかったら男の一人や二人は狂わせているはずだ」


 十七歳の時にストーカー化した伯爵令息は狂わせてしまった男に入るのだろうかと首を捻ると、レーニエは「その顔は、いたんだね」と口の端を上げた。

 それからパーティ会場の方へ顔を向ける。


「そろそろ戻らないと。体調は大丈夫、クラウディア?」

「大丈夫です、ありがとうございました。あの、ハンカチを」

「持っておいて。私は一週間はいるから、また会えるのを楽しみにしている」


 そう言ってハンカチを残したまま、レーニエは去って行った。

 いつの間にか、消えたいと思っていた気持ちは霧散していた。



 次の日からも、レーニエとは会うことになった。

 皇子たちの視察に付き合うエディに妹のマリアーヌも同行することが多い中、心細いので付いて来て欲しいと要望があったのだ。

 マリアーヌとしては、ハシュムに恋をした上で毎日顔を合わせるのが嬉しいやら恥ずかしいやら、落ち着かない気持ちなのだろうということは理解でき、クラウディアは同行することを了承した。


 そしてマリアーヌと一緒に行動することで、外交官であるレーニエにも会うことになる。

 パーティの次に彼と会った時、クラウディアはハンカチを返した。

 すると「ずっと持っていてくれてよかったのに。次にまた会える言い訳になる」とベタなことを言われ、思わず笑ってしまった。


 その次に会ったのは夜会で、赤ワインのグラスを軽く空けるクラウディアを「かっこいいね!」と褒めた。

 そして、自国の話をたっぷりと語ってくれた。

 この時期は暑いけれど、海が非常に気持ちいいこと。国で採れる宝石と種類。

 隣国の人々は家族の絆がとても強いこと。外交官の仕事をやっていて楽しいこと。この一週間の外遊もとても勉強になるということ。


「クラウディアもいつか海外を見るといい。世界にはいろんな景色があるよ」

「素晴らしいですね」


 それからも、二人で話せないときでも目配せしてくれる。

 周りに気付かれぬよう口だけで「可愛いね」と言ってくれることもあった。二人の秘密のようで嬉しく感じた。


 たった一週間しか彼はいないけれど、会うのが楽しい。

 これはきっと恋になるとクラウディアは思った。


 そしてそれをエディにも報告したかった。

 想定していた相手とは違うけれども、いいなと思えるかもしれない相手と出会えたことを。彼の言った通り、国外だったら自分のことを理解してくれる人がいるのかもしれないと。

 しかし、エディは彼らの視察の案内の上に通常の公務をこなして多忙で、見かけはするものの全く話が出来る状態ではなかった。



 皇子たちが視察を終えて帰国する前日、王宮では最後のパーティが開かれた。

 終盤、クラウディアはレーニエに手を引かれ、初めて会った庭に連れて行かれた。繋いだ手にどきどきしてうつむけば、彼の腕で金属製のバングルが光った。異国の文字が彫ってあるのが見えた。


「クラウディア」


 ベンチに腰掛けると、いつも軽くて朗らかなレーニエに真剣な眼差しで見つめられた。こんな経験が過去になく、頬に熱が集まってくる。


「君に出会って一週間しか経っていないけれど、とても楽しかった。君が本当に素敵な女性だと感じている。もしよかったら、私との将来を考えてくれないだろうか」

「レーニエ様……」


 正直に、クラウディアは嬉しいと感じた。

 出会ってたった一週間だけど、楽しかったのは自分も同じだ。


「もちろん、私の国に来て欲しいなどとは言わない。君は侯爵令嬢だからここでやるべきこともあるだろうし」


 ──ん??


「クラウディアがここで自分のしたいことをして輝いていて欲しいんだ。私は外交官だから、いつでも君に会いに来られる」

「レーニエ様……?」

「今すぐにここで答えなくていい。考えてもらって、いいと思ったら手紙をくれないか」

「は……、はい」

「私は本気だよ、美しいクラウディア。いい返事を期待しているからね」


 レーニエはそう言うと顔を寄せてきたので、思わずクラウディアはそっと距離を取った。

 「ごめん、気が早かった」と苦笑され、手を引かれてベンチを立つ。手にキスを落とし、レーニエは先に会場に戻った。


 クラウディアは幸福に浸りきれないまま、首を捻って再度ベンチに腰を下ろした。


「………………んん??」


 今のはプロポーズだったはずだ。

 なのにどうもしっくりこないのは何故だろう。いや、理由は分かっている。国について来て欲しいとは言われなかったことだ。結婚する場合、一緒に暮らすものだと思っていた。

 確かに、弟キースの手助けを近くで出来るのに越したことはないが、しかし。

 外交官だと、そういう結婚生活もあるのだろうか。国が違うから文化も違うのだろうか。


「お姉さま」


 頬の紅潮したマリアーヌがやって来て、隣に腰を下ろした。興奮した様子でうずうずと話したそうな雰囲気を感じる。これは良い話だろう。

 クラウディアが促すと、マリアーヌは感極まった様子で話した。


「ハシュム殿下に告白して頂きました……!」

「まあ! それは良かったわね!!」

「はい!!」


 あの歌劇のような初めての出会いから、二人はこの一週間仲睦まじい様子を周囲に見せてきた。

 ただ、当初はハシュムはクラウディアの相手としてどうかとエディが考えていたこともあり、マリアーヌは少々気まずく思っていたようだ。

 初対面の後、「お姉さま、ハシュム殿下とのことですが……」と遠慮がちに話してくるマリアーヌに対し、クラウディアは全く気にしていないから頑張れと告げたのだ。

 そしてその後、周囲の人間は微笑ましく見守りながらも、誰もが姫と隣国の皇子の将来を期待している状態だったのである。


「自分にこんなことが起きるなんて、本当に夢のようです」

「おめでたいことだわ、本当に良かった」

「ありがとうございます。ハシュム殿下は将来について皇帝陛下にもお話ししてくださるそうです」

「あっ、そうよね……。もし婚姻するとなったら向こうに行くことになるの?」

「え? ええ、もちろん。待っていてくれって、これをくださいました」


 おずおずとマリアーヌが見せてきたのは、腕に着けたバングルだ。黄金色が輝き、とても美しい。


「なんでも、向こうのお国では厄除けで幼い頃からこれを着けていて、結婚するときにお相手と交換したり、お互いの名前を彫ったりするんですって」

「…………そうなの…………」



 同じようなものをつい最近見たことが脳裏によみがえり、クラウディアは気が遠くなった。



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