閑話・レオノーラ・マカンの毒薬
クラーラが髪を切る話。
新しく仕立てたドレスに身を包み、姿見の前に立ったクラーラは、眉を寄せた。
「う~ん?」
「クラーラ様?」
いつものクラーラなら「なぁんてうつくしいア・タ・シ!」と言って高笑いの一つもしそうなのに、どうやら気に入らない様子である。
「どうなさいました? やはりコルセットなしではお腹のたるみが気になります?」
「やめて。たるんでないわ。中年太りという言葉はクラーラの辞書にはないのよ!」
とはいえ気になるお年頃だ。暴飲暴食はすぐさま脂肪になって体にへばりつく。しかもつくのは簡単なくせに、取るのは非常に大変だ。クラーラは体形維持を欠かさない。たまに酔っぱらって食べ過ぎてしまうだけである。
「ムキになるということは」
「鍛えてるわよ! レオノーラだって知ってるでしょ」
「はい。ですが、加齢による衰えというのは自覚するより早く訪れますし」
「気をつけるわよぉ……」
その言葉、何度目だ。と言いたげなレオノーラに、クラーラは萎んでいった。
「では、何か気になるところでも?」
「ドレスは思った通りよ。でも、なぁんか気に食わないというか、しっくりこないというか。……そう、華がないのよねぇ」
クラーラが自分のために仕立てたドレスである。クラーラに一番似合っていなくてはならないものだ。
なのに何かが気に入らない。自分でも原因が掴めず、クラーラの眉根の皺が深くなる。慌てて指先で押さえた。染み、皺、たるみは大敵だ。
「目新しいデザインですから、見慣れていないだけなのではありませんか」
クラーラのための新作ドレスは、今までの常識を覆す斬新なデザインだった。
まず、腰の位置を高くしている。腹部から腰骨までのハイウエストになっているためコルセットが外された。太めのベルトで飾り、自然と目線をそこに集めさせ、足を長く見せている。
スカートはアシンメトリーにしてプリーツの波を作り、左側から右側へと長くなっていた。プリーツはわざと重ねずに下に膝丈のスカートを穿いてそれを見せつけ、さらに足を晒していた。
以前のクラーラであればそこにさらにズボンを穿いていたが、今回のドレスはストッキングだ。もちろん脛毛は完璧に処理してある。
わざと足を見せるドレスなど、今までの常識からは完全に外れていた。
基本的に足を晒すのは、労働者か子供というのが常識である。
クラーラのような、労働者ではあるが貴族にも一目置かれている立場の者が足を見せるドレスを着るなど、社交界でははしたないと叩かれるだろう。
「レオノーラは反対?」
鏡に映ったレオノーラに訊ねれば、有能なメイドは少し言いよどんだ。
「いいのよ。言ってちょうだい」
「……その。足を見せるのはいかがなものかと」
「まともに生地も買えない労働者。社交界から爪弾き?」
クラーラはズバリ切り込んだ。それくらいのリスクは承知の上だ。
「……」
沈黙が肯定だった。
「まぁね。アタシもこれで社交に出るのは早いと思うわ」
「いずれ、受け入れられると?」
「そうよぉ。絶対にこういうデザインが来るわ」
クラーラは自信たっぷりに言い切った。
たしかに、今までクラーラが仕立ててきたドレスは斬新なものが多い。
コルセットについても考えていたし、やたらデコルテばかり強調するドレスはどうかと思っていたようだ。スカーレットをはじめとする働く女性を応援したいと活動している。
貴族であろうと平民であろうと、懸命に生きる女性を応援するのがクラーラだ。
「……髪形かしら」
鏡に映る自分を眺めながら、ぽつりと言った。
「御髪ですか?」
「最近マクラウドの時間が多かったから、気になってはいたのよねぇ」
長く伸びた髪を指に絡め、引くと、するりとほどけて流れていった。
クラストロが社交に復帰すると、マクラウドとして社交に出る回数がぐんと増えた。クラーラと同じ場に招かれている時はクラーラを優先し、なるべく重ならないようにしている。レギオンにマクラウドの代理をさせているが、あまり任せきりにするとうるさい弟に叱られるのだ。
「思い切って、切ろうかしら……」
クラーラの長い髪は後悔と愛憎の象徴だった。すべてが終わった今、切ってしまってもいいだろう。
腰まである黒髪を肩にかけ、クラーラは微笑んだ。歳月を重ね、苦悩と喜びが複雑に絡み合った寛容の笑みだった。
「レオノーラ、切ってくれる?」
クラーラの表情と言葉に息を止めていたレオノーラは、一瞬反応が遅れた。
「わ、たくしで、よろしいのですか?」
「あなたにだから頼んでいるのよ」
クラーラの髪を手入れしてきたのはレオノーラだ。
「クラーラ様……」
レオノーラは目を瞑った。
報われた思いだった。
***
レオノーラ・マカンはクラストロ公爵家にメイドとして送り込まれた暗殺者だった。没落したマカン男爵家を買収して養女となり、時が来るまでじっと潜んで待っている。長期的な情報収集と、いざという時の駒として、レオノーラは育てられた。
彼女の元々の生まれは盗賊の一家だった。表向きは商人として国中を回り、これといった貴族や大店に目を付けて盗みを働く。レオノーラは三歳になるまで自分は商人の娘だと信じていた。
それが変わったのは首領であるレオノーラの父が捕まったからだ。捕らえたのは警察ではなく、そこの領主の私兵だった。
盗賊として縛り首になるか、自分たちの駒になるか、と貴族は問いかけた。盗賊は見つけ次第処刑と決まっている。父たちも覚悟していただろう。
だが、貴族はレオノーラたち子供を人質にした。盗賊一家といっても家族でやっているという意味ではなく一家、血の繋がらない手下も家族という意味だ。中には所帯を持って子供のいる者もいた。
親子の絆を人質にとっての脅迫に父は屈した。盗賊一家は暗殺一家に成り代わった。
レオノーラは一家から引き離され、整った顔立ちを買われてメイドの仕込みをされた。貴族の家に勤めるからには立ち居振る舞いから礼儀作法まできちんとしていなければならない。同時に暗殺者として武器の扱い方、毒についても叩きこまれた。時に毒を飲まされ効果を実験させられた。
そうしてレオノーラが潜入したのがクラストロ公爵家だった。長男のマクラウドと同じ年の彼女は狙い通りにお付きメイドとなり、命令が来るのを待った。
レオノーラの主人はクラストロ公爵家の政敵だった。どうやらマイクロフトに相当やりこめられたことがあったらしい。いつか一矢報いてやると執念を燃やしていた。
彼らの予想外だったのは、クラストロは政にさえ関わらなければ、貴族としては驚くほど寛容で、人情味があったことだろう。
クラストロ家はレオノーラを歓迎した。よくある新人いびりなどは影も形もなかったし、マクラウドは自分と同じ年の少女が公爵家で働くことをねぎらいさえした。
クラストロ麾下の貴族だけではなく、繋がりを得たい貴族から行儀見習いとして働きに来ている者もいて、レオノーラが驚くほど、クラストロ公爵家は居心地が良かった。
しかしレオノーラは家族や一家をいわば人質にとられている状態である。どんなにやさしくされようとも、絆されるわけにはいかなかった。罪悪感に苛まれ、良心が痛んでも、今この時も死と隣り合わせの任務に就いている一家を思えば堪えることができた。
それでも、どんなに自分を戒めても、自分ではどうしようもないこともある。
レオノーラは、若き双頭の龍――マクラウドに恋をした。
それを自覚したのはマクラウドとフローラの婚約が正式に決まった時だ。彼に憧れていた同僚のメイドたちが失恋に泣いていても、レオノーラはただぼんやりと、自分の胸にあった感情を持て余すだけだった。
フローラがマクラウドに会いに屋敷を訪れ、そしてフローラと会ったマクラウドの笑顔を見るたびに、それはレオノーラに諦めを告げた。
どのみち叶わない恋である。最初から諦めていたレオノーラは、ただその事実を認めてしまえばよかった。男爵家の養女となっているが盗賊の娘だし、なにより政敵の密偵である。その点フローラは伯爵令嬢で、貴族議会議長の娘だ。これ以上ないほどの政略結婚でありながら二人の仲は良く、両家が手を組んで国を支えていくのは誰にとっても喜ばしいことに違いない。そこにレオノーラの恋が入り込むことは絶対にないのだ。
レオノーラが失恋ではなく諦めを噛みしめていた頃、マクラウド暗殺命令が来た。
レオノーラは迷わなかった。マクラウドではなく、命令を持ってきた男を殺したのだ。
命令に背き、クラストロに寝返ったと、殺されることを覚悟してのことである。
盗賊の娘。とはいえレオノーラは何も知らなかったのだ。家族にも、一家の者にも愛されて育った。たしかに盗賊は悪だ。それなら、そんな盗賊を脅して利用している貴族は大悪じゃないのか。
どのみち一度は死んだ身なのだ。だったら愛する男のために、命をかけよう。そのほうが満足して死ねる。
だが、そんなレオノーラの決死の覚悟をくじいたのも、やはりマクラウドだった。
***
「……ラ、レオノーラ?」
物思いに耽っていたレオノーラを、クラーラが呼び戻した。
「あっ、はい」
「どうしたの? 髪を切るのはやっぱり辛い?」
レオノーラは鏡台に向かって座るクラーラの長い髪をとり、最後にブラシをかけているところだった。
髪は女の命だ。二十年間丁寧に手入れをしてきた髪を、他人のものとはいえ切るのは、女のレオノーラに頼むのは酷だったか。クラーラは心配そうにレオノーラを振り返っている。
「そうですね……。感慨深いといいますか、女としてはもったいないとは思います」
「でも、短ければ洗うのも乾かすのも楽になるわ。いちいち油で固めてピンでぎっちぎちに固定して頭が痛くなることもなくなるのね」
「それは、レギオンが喜びそうですわね」
「あー、そうね。レギオンにも知らせなくちゃ」
「後でわたくしが行って、切ってきます」
そうね、とうなずきかけたクラーラが待ったをかけた。
「待って。マクラウドとクラーラが同時に髪を切ったら、あの目敏く口うるさい貴族がいらん憶測しないかしら」
自分のことは高い棚に放り投げてクラーラが言った。
「……するでしょうね」
髪を切ったのならフローラを吹っ切ったのだろう。次の嫁を探せとばかりに社交界が盛り上がるだろう。うら若き令嬢を差し出されても困るが、年齢をみて寡婦やどこぞの愛人を用意されても堪らない。一番腹が立つのはフローラに似た娘を探されることだ。想像しただけでむかついてきた。
なにより困るのがマクラウドとクラーラのからくりに気づく者が出てくることだ。フランシーヌは気づいていても他言しないだけの配慮があるが、貴族の全員がそうではない。弱味と思ってつけこんでくるかもしれなかった。
「マクラウド様がクラーラにリスペクトしてるだとか、あるいは衆道……」
「やめて」
おっさん同士でそれはない、と言いきれないのが貴族の怖いところだ。真剣な顔で冗談をかましたレオノーラに、クラーラは笑うどころではなかった。
「レギオンにはそのままでいてもらって、切った髪はつけ毛にしましょう」
自分だけさっぱりすると言った主人に鬼かと思いつつ、レオノーラは同意した。
「はい。では、サイドはそのままに、後ろだけ肩のあたりまで、ですね?」
「うん。お願いね」
レオノーラはクラーラの肩にケープをかけ、鋏を手に取った。
「……」
***
あの後、命令を持ってきた男を殺しても、不思議なことにレオノーラに暗殺者が向けられることはなかった。
しょせん自分は使い捨ての駒だ。素性がばれればクラストロ家に処分されるだけだし、自分から密告しない以上、積極的に殺す手間を省いたのだろう。
そう思っていたある日、新聞を読んでいたマクラウドが言った。とある貴族の屋敷で火災が起き、残念ながら主人だけではなく使用人を含めた全員が亡くなったそうだ、と。
その時の彼は、本当に残念そうな、心から人の死を悼んでいる表情を浮かべていた。
続きがなければレオノーラは安堵をおくびにも出さずに「そうですね」と言えたに違いない。マクラウドが告げた貴族の名前は、レオノーラの主人だった。
「レオノーラ、全然実家に帰っていないだろう? たまには家族に顔をだしてやったらどうだ」
まさか、と血の気が引いたレオノーラに、マクラウドはその白皙の美貌に楽しげな笑みを乗せた。その頃はまだ短かった黒髪には天使の輪が輝いていた。
帰るといってもレオノーラは名ばかりの養女でマカン家に行ったこともない。マクラウドはレオノーラのためにわざわざ馬車を用意し、道中の宿ばかりではなく食事の手配までしてくれた。御者はアーネスト・カイエンと名乗った。
はたして辿り着いたマカン男爵家では、懐かしい両親と盗賊一家が涙目でレオノーラを待っていた。
レオノーラはマクラウドの、クラストロの底知れない実力と慈悲に、泣きながら感謝した。
そんな『マカン男爵家』にアーネストは複雑そうな、それでいておかしさを隠しきれない様子で、
「二週間後に迎えに来ます。それまでに体調を整えておくように、との若殿様のお言葉です」
地獄の幕開けを告げた。
おかしい、と思ったのは近況を話し合っている最中だった。手足が震え、舌がもつれ、視界が点滅する。
両親の顔が知らない人に見えた。部屋の風景が暗く、何か、得体のしれないものが襲ってくる感覚に恐怖した。
心配する両親が伸ばした手に悲鳴をあげ、レオノーラは自分の身に起きた異変に「ある薬」を思い浮かべた。
依存性が極めて高く、一度体内に取り込んでしまえば何をおいても求めてしまう。完全に依存してしまえば他のことなど考えられず、やがて廃人に成り果てる。
禁断症状は手足の震え、幻覚や幻聴、不安感と恐怖心。
「あ、の……っ、おとこ……っ」
マクラウドは、とっくに知っていたのだ。
レオノーラが暗殺目的の密偵だったことも。どこの家に飼われていたのかも。
知っていて泳がせていたのだ。決定的な事を起こしたら、逃げられないレオノーラを尋問するつもりで薬漬けにしていた。
ところがレオノーラは暗殺を実行せず、それどころか命令を持ってきた男を返り討ちにした。おそらくだが、マクラウドは驚いたのだろう。
だからこそレオノーラへの詫びと礼を込めて貴族を焼き討ちにし、ついでに一家を助けて恩に着せたのだ。
人を薬物中毒にさせておいて改めていうことでもないが、やることがえげつない。
レオノーラはマクラウドへの怒りと恨みの一心で二週間を乗り越え、克服した。迎えに来たアーネストのほっとした顔は今でも忘れられない。
もう二度と男なんか好きになるものか。そんな意気込みで公爵家に戻ったレオノーラに、マクラウドは実にあっさりと言った。
「おかえり」
マクラウドが少しでも傲慢さや蔑みを見せていたらレオノーラは彼に幻滅していただろう。しかしそうではなかった。マクラウドはまるで自然現象を見るような瞳でレオノーラを見ていた。また今年もこの花が咲いた、とでもいうように。
あたりまえで、自然すぎて、疑問すら抱かなかったのだ。
「ただいま戻りました」
「家族とは会えたかい?」
「はい。おかげさまで楽しく過ごせましたわ」
嫌味を言ってもマクラウドは「そう」と言っただけで特に反応はなかった。マクラウドにとって自分がそのような人間なのだと知った時、レオノーラはまた恋をした。
薬物治療はその後も続けられ、万全のサポートにマクラウドは恩に着せることもなく(そもそも彼のせいなのだが)、毒の恐ろしさを知る者としてレオノーラを黒後家蜘蛛の一員にした。
だから。
――フローラ。
***
ジョキ、と音がして髪が切られていく。レオノーラは髪の束を丁寧な仕草で盆に乗せた。黒々と蜷局を巻いている。
マクラウドが、たった一人の女を失ったくらいであそこまで絶望するとは思わなかった。信じられなかった。いや、信じたくなかったのかもしれない。レオノーラにとって、マクラウドは及びもつかない智謀の持ち主であり、神のごとき存在だった。
そんな男が恋人の裏切りに心を死なせた。
レオノーラの胸に、はじめて明確な嫉妬が沸き上がった。
同時にフローラへの、感嘆にも似た想いがある。
なんということ。誰にも気づかれずに、フローラはマクラウドに毒を流し込んでいたのだ。そんなつもりはなかった、なんて言わせない。現にマクラウドはあの時死んだのだ。フローラほど見事な暗殺者は他にいないだろう。彼女はマクラウドとエドゥアールに、毒を流し続けたのだ。
恋という、埋伏の毒を。
レオノーラには、できなかった。
フローラだからこそ、彼は愛したのだ。
こんな屈辱があるだろうか。こんな見事なやり方があるだろうか。フローラはただフローラであるだけで、レオノーラの愛する男を殺したのだ。
「……」
マクラウドがクラーラになり、自分を愛してくれたら、と思わないことはなかった。身も心も命さえも捧げているのに、と。
だが、クラーラはレオノーラを愛さなかったし、彼女の恋に気づいているそぶりもなかった。聡いクラーラのこと、気づいていないはずはないのに、知らぬふりをし続けている。
気づいてしまえばそれを利用してしまうことを、彼は自分でもわかっているのだ。そしてそれに、レオノーラが喜んで従うことも。
だから彼は確認しない。レオノーラ・マカンはクラーラの忠実なメイドだ。マクラウドはレオノーラの恋を知らぬことで、彼女の恋に応えたのだ。
「いかがです?」
毛先を整えて肩にかけていたケープを外し、レオノーラはさっと肩に落ちた髪を払った。
「いい感じじゃなぁい! さっぱりしたわ!」
後ろ髪をローラーで軽く巻いて毛先を遊ばせ、首すじにふわりとかかるようにした。感触がくすぐったいのかクラーラが楽しげに笑う。
「懐かしいですね」
「そうね。若返ったみたいだわ」
右を見て左を見て、正面を向き、満足したクラーラは鏡に微笑んだ。
レオノーラがこの先を思って少し眉を下げた。
「お嬢様たちがご覧になったら驚かれるでしょうね」
「そりゃあ驚くわよねぇ。もしかしたら泣いちゃうかもしれないわ」
二人の会話はまるっきり女同士のそれだ。レオノーラが指導したのだ。女としての立ち居振る舞い、言葉使い、仕草の優雅さ、発声の方法まで。
その結果がやけにわざとらしいオネエ言葉になったのは遺憾の意だが、クラーラを育てたのはレオノーラといっていい。
だから、もういいのだ。
フローラは破滅させることしかできなかった。レオノーラはクラーラを生み出すことができた。それで満足だ。
翌日クラーラが店に立つと、やってきたお嬢様三人組が悲鳴をあげた。
女の命である髪をばっさり切ったクラーラに何があったのかと泣きながら問い詰め、答える前に無礼を働いた狼藉者に復讐してやると息巻いた。お嬢様たちはあれ以来ずいぶんと強くなってしまった。
「やあねぇ。三人とも、クラーラが男にフラれたくらいで髪を切るとでも思ったのかしらぁ?」
「いえ、思いませんわ」
「クラーラ様でしたらむしろお相手の髪を毟りそうですわね」
「だからこそ、驚いているのですわよ」
言うようになったものである。ある種の篤い信頼と揺るぎない評価に、クラーラは教育を間違えたかと思った。
「で、でしょう? これはねぇ、応援なのよ」
応援? 揃って首をかしげる三人に、クラーラはその場で一回転してみせた。
「新しい女性像の見本よ。軽い髪に、動きやすいドレス。足は見せても女は失わない、新時代の幕開け。どうかしら?」
アシンメトリーのスカートがゆったりと揺れ、脹脛から足首の脚線美を挑発する。少女には刺激が強かったのか、三人は頬を赤らめた。
「クラーラ様だからお似合いになるのですわ」
「そうですわ。クラーラ様はお綺麗でかっこいいのですもの」
「わたくしたちには大人すぎますわ」
体に添ったラインからコルセットを着けていないこともわかる。初心な少女たちは、自分には無理だと白旗を掲げた。
「今は無理でも、五年後ならどうかしら? 大人のドレスを着て、颯爽と歩いてみたいと思わなぁい?」
五年後。具体的な数字に三人は顔を覆っていた指をそろりと動かして目を出した。
婚約者どころか初恋もまだな少女たちだが、五年といえば婚約も、もしかしたら結婚していてもおかしくない年齢になる。彼女たちの初恋は、しいていうならフランシーヌなわけで、三人はクラーラのドレスを着ているフランシーヌを連想した。
「良いですわ……」
「わたくしもお姉様のようになれるかしら……」
「大人の女性の魅力にわたくし、もう……」
うっとりと陶酔するお嬢様たちに、クラーラも苦笑するしかない。
反発や批判は覚悟の上だ。むしろ、それこそがクラーラの望むところである。
古今東西、出る杭は打たれるものだからだ。
それはすなわち、出ていると周知された、ということでもある。ようするに目立ちすぎたからこそ潰されるのだ。
女の社会進出を男は本能的に嫌う。これは単純にメスを囲い子孫繁栄を求めるオスの種の保存に基づく本能だろう。
しかも男が女に勝てるのは純粋な力だけなのだ。一度女が手を組んで一致団結し男に向かって来たら、男は暴力でしか解決できない。女の弁舌――感情的で理不尽な、過去の細かなことまで蒸し返すヒステリーに、男が勝てたためしがないからだ。女の集団に暴力で勝とうものならその男の元から女はいっせいに去っていく。そのことも男は本能的に知っている。だから男は、女に弱くなる。
母は強しというが、考えてもみてほしい。男ばかりが強くては、子孫繁栄など夢のまた夢だ。女というのは強くなっていくものなのだ。
「いつまでも女の子じゃぁいられないものねぇ。アタシのドレスを着る女なら、しっかり前を見て、自分の足で道を選ばなきゃ」
「そうですわ。わたくしたち、もう子供ではありませんわよ」
「大人への一歩を自分の足で踏みだすのですわ」
「わたくしたち、とっておきのドレスで大人になるのですわ」
あんなドレス、こんなドレスとはしゃぎだすお嬢様たちを眺めながら、クラーラはコケティッシュに微笑んだ。
「かっこよさに男も女もないわ。いい女になりなさい」
だからこそ、クラーラは応援しているのだ。




