幕間:王女シャルロッテの嫁入り
名前にピンときた方、正解です。
王女シャルロッテが帝国へと旅立ったのは、アルベールの処刑、フローラの葬儀、エドゥアールの退位と続いた一連の騒動がひと段落してからだった。
他国で殺人という大罪を犯して逃亡したとはいえアルベールは王子であり、しかも国を立て直すという大義名分を掲げて野盗たちを統合したため、各地でアルベールに呼応した彼らが蜂起し町や村を襲って強奪していた。
彼らも元は善良な国民の一人であったが、まともに働いていても死んでしまうと自棄を起こしただけであり、王子が軍と称して食料その他を強奪していたのだからやってることは同じじゃねえかと自らを正当化したのである。野盗たちもまた疲弊した国の犠牲者であった。
しかし国に仇為す以上、討伐する必要がある。マクラウド・アストライア・クラストロは辺境軍にこれの討伐を命じた。
辺境軍司令官は野盗に投降を呼びかけ、応じた者を収監、最後まで抵抗を続けた者については殲滅した。
投降した野盗たちはそれぞれ罪に準じた罰を与えられた。鉱山での労働や汚水道の処理、農地開拓などの労役刑が主だが、これにはマクラウドの――というより国としての恩情が多分に含まれていた。
そもそも革命に加担した時点で反逆者の烙印を押され、全員死刑になってもおかしくない。むしろ処刑するのが当然であった。
しかし国の現状を考えればここでさらに人口が減るのは避けたい事態だ。ただでさえ無駄遣いで国民に重税が課せられ、苛政といっても差し支えない状態なのである。家や畑を捨てて王都に逃れてくるのならまだいい、問題は、他国に国民が流出することだ。
人口とはすなわち労働生産力である。マクラウドは労役を与えることで最低限の衣食住を保証し、人口の減少に歯止めをかけようとした。これは罰であると同時に、晴れて刑期を終えて娑婆に帰った時の保険でもあった。
体がきつい労働になれていれば、どこに行ってもやっていける。故郷に帰ることもできず、人に恨まれ、一からやり直すしかない彼らへの、せめてもの詫びであり、恩情であった。
シャルロッテが帝国への道中で見た国内はそのような有り様であり、住み慣れた王都や城、宿泊先の貴族の邸宅とのあまりの差に愕然となった。
王都を出た当初こそ祝福されて結婚するのだと、懸命に浮き立たせていた気持ちはルードヴィッヒへの失恋にあっという間に萎み、母の喪に服すことも父と兄への思いを消化することもできずに泣いていたのが、自国と国民の現状を目の当たりにしてようやく王女としての自覚に目覚めた。あまりにも遅い自覚であった。
馬車を取り囲む警護がいっそう厳しくなったのは国外に出た時だ。喪中の花嫁道中ということもあり、宿泊先での社交はせいぜい晩餐会程度の、規模も慎ましやかなものであった。
そこで向けられる目もシャルロッテには厳しいものであった。民主化の革命が起きた国。あの王と王妃の間に生まれた王女。そして、あのアルフレヒト帝国第三皇子に嫁ぐのだと、軽蔑と呆れ、なぜか同情の入り混じった視線を向けられた。
国はぼろぼろ。諸国は民主化がどうなるか、その動向をぴりぴりしながら見守っていた。ここで王女を暗殺もしくは取り込んで国の乗っ取りを企む者は当然いたであろう。どこの国も、国土は大きいほうが良いのである。
厳重な警備に囲まれたシャルロッテはとうてい花嫁の喜びに浸れるはずもなく、一人安全な帝国に追いやられた不安に潰されそうになっていたという。この時期の彼女の日記には、国の行く末を案じる王女の痛切ともいえる心情が書き綴られていた。
ただ、まだ彼女は自分の運命の厳しさを自覚しきれていなかった。アルフレヒトとの年齢差もさることながら、彼は妃を二人も亡くしている。不吉な皇子に不吉な姫が嫁ぐことに、不安を覚える国は多かっただろう。それでも大陸一の国力を誇る帝国の花嫁だ、シャルロッテをどうこうする国は現れなかった。
安全面を最大限考慮した一行がようやく帝国に到着すると、暗い雰囲気が一転してアルフレヒトの妃を歓迎する民衆が出迎えた。
帝国民にとって、アルフレヒトは帝国の最盛期を築いた皇帝によく似た期待の皇子なのである。どこか陰のあるアルフレヒトは年を重ねるごとに皇帝に面差しが似てきて、そんな皇子が二度に亘り妃を喪う不幸を国民は嘆いてきた。
偉大なる皇帝の血筋は完璧であらねばならない。そう信じる帝国民は多少瑕疵のある国の王女であろうとシャルロッテを歓迎した。
帝国に入る際、花嫁は慣習として着替えを行う。これは祖国を捨てるという意味であり、帝国の一員となる意思表示でもあった。ここまで付き添ってきた侍女も国に帰される。
ドレスだけではなく下着、帽子、髪飾りなど、すべてである。自国の物はここですべて脱ぎ捨てることでまっさらな花嫁となるのだ。
侍女の手で着せ替えられていたシャルロッテは、取り外された銀のブローチにハッとした。
「待って!」
ドレスとアクセサリーを片付けようとする侍女から素早くブローチを取り戻す。
「シャルロッテ様、お国の物の持ち込みは禁止されています」
シャルロッテ付きの侍女が帝国からの侍女の目が険しくなったのを察知して、おろおろと諭した。
ちなみに花嫁道中での持ち込みは禁止だが、贈り物については制限されていない。どうしても持ち込みたい物があれば後で贈り物として持って来る、あるいは花嫁になる娘のために事前に帝国に贈られるのが常であった。
シャルロッテの場合はそうしたものを整える余裕もなく、また本来その役目を果たすべき母親が不在であったこともあり用意されていなかった。ついでにいうとこのブローチは他のものは着けたくないとシャルロッテが言ったため、道中ずっと身に着けている。
「……シャルロッテ様、これより先は帝国です。帝国のしきたりに従っていただきます」
首を振るシャルロッテに、帝国からの侍女が冷たく告げた。
強引に奪おうとする手を、うずくまり胸にブローチを抱きこんだシャルロッテが全身で拒否する。
「お願いです。これは形見なの。許してください。我儘はもう言いません」
下着姿のままたどたどしい帝国語で泣いて訴える少女に、侍女達は顔を見合わせた。シャルロッテの侍女が聞き分けるように何度も言うが、少女は首を振るだけだ。
許可が出るまで頑として動かない体勢のシャルロッテに困り果てた侍女が、別室に控えている帝国からの出迎えに伺いを立てに行った。
力づくで抱き上げて連行することもできるが、シャルロッテを一目見ようと沿道に詰めかけた民衆に泣き喚く花嫁を披露するわけにはいかない。
「形見、というとフローラ王妃のものでしょうね……」
「母を亡くしたばかりの王女にあまり無体をするのは気が引けます」
「申し訳ありません。ずっと身に着けていましたが、まさかそのようなものだとは思わず」
いかに帝国といえども喪中の花嫁から形見を奪うのは酷である。もっともな判断から特例としてブローチの持ち込みは許可されることになった。まさかそのブローチが母の形見ではなく、ルードヴィッヒから贈られた初恋の形見であるとは思いもしない。
その頃のシャルロッテは両親が居て何の不安もない幸福のただ中にあった。後のことを思えば正しく形見といえるのかもしれない。幸福な幼少期の形見である。
「……仕方がありませんね」
未だうずくまりブローチを守るシャルロッテに、侍女長がやさしく話しかけた。
「シャルロッテ様、ブローチは身に着けないことを条件に持ち込みを許可します」
「着けたら駄目なの?」
「なりません。花嫁は無垢でなければならないのです」
ようやく立ち上がったシャルロッテはブローチを握りしめたまま下着を取り換えた。背中で締められたコルセットの内側に大切にしまいこむ。
横目でそれを見ていた侍女長がため息を吐き、シャルロッテの着替えを急がせた。
涙の痕を蒸しタオルで治し、化粧で隠した。花嫁ではあるが成人前の少女ということで髪は下ろしたまま、オリーブを模った金細工の付いた帽子をかぶった。
ドレスは胸元に大きなリボンを付け、袖や裾にレースを重ねただけの、豪華だが清楚な花嫁を連想させるものだった。シャルロッテの金の髪、強気な瞳が緩和されて賢くやさしい雰囲気になる。
シャルロッテが乗る馬車は四頭立ての幌付き馬車だ。帝国の紋が刻まれている。幌は下ろされ、シャルロッテが見えるようになっていた。まずは侍女長が乗り込んだ。
門の外からは今か今かとシャルロッテの登場を待つ民衆の歓声が聞こえてくる。
「すごい人……」
王都からここまで、花嫁道中は粛々と進んできていた。帝国内に入ったとはいえ帝都ベルリッツまでは遠い国境地域である。にもかかわらず大勢の民衆が自分を見ようと来ていることに、シャルロッテは今更ながら緊張してきた。
「アルフレヒト様は帝国でも一、二を争う人気者でございますから」
もちろん第一は皇帝である。アルフレヒトと皇太子の人気は拮抗していた。
ちいさな体を震わせたシャルロッテを励まそうと侍女長が口を開く。
「いかなる天運か、アルフレヒト殿下は二度もお妃様を亡くしておいでです。民はみな、殿下と姫様の幸福を願っているのですよ」
シャルロッテは帝国語を勉強中で、侍女長の言葉の大半は聞き取れなかった。だが、幸福と言われたのはわかった。
「わたくし、頑張る」
シャルロッテの美徳はこの素直さである。さっきまでの泣きべそを忘れて張り切るシャルロッテの変わり身に、侍女長はほっこりした。
侍女長は普段帝妃の傍仕えをしている。それだけに、帝妃がアルフレヒトの悪癖に悩んでいるのを知っていた。
あの国から送られてくる、幼い王女。反対意見もそれなりに出たが、示された条件が他のどの国よりも帝国にとって有利だった。
なにより幼ければそれだけ教育しやすい。素直であればなお良しだ。シャルロッテには今度こそ死なずにアルフレヒトと添い遂げてもらわなければならなかった。
形見のブローチの件でも彼女が情に篤い性格なのがわかった。これならば帝妃も安堵するだろう。
侍女長は他でもない帝妃のために、シャルロッテの素直さを喜んだ。
護衛の騎馬隊に続いてシャルロッテの馬車が門をくぐると、沿道の民衆が歓呼で出迎えた。
シャルロッテへの親愛を示すために、彼女の花である鈴蘭を捧げ持っている。季節ではないため造花だが、これだけの数を揃えられる、帝国の力を見せつけていた。
シャルロッテは帝国での道中を大歓迎で通り抜け、鈴蘭で祝福された。
帝都ベルリッツでは皇帝と帝妃、そして彼女の夫となるアルフレヒト第三皇子をはじめとする皇族がシャルロッテを待っていた。
皇太子夫妻とその子供である皇子皇女は男女に分かれて列を作っている。皇族たちもそれぞれ位置についていた。
リーベンリヒト宮殿祈りの間は、帝国に嫁いでくる姫君たちを迎える部屋である。
装飾はすべて青で統一され、左右対称になっている。帝国の示威を見せつけ、しかし歓迎を表すためか圧迫感はない。かけられた絵画はいずれも神が人々を祝福する姿を描いた宗教画だ。ひときわ見事なのは天井に描かれた『天使の降臨』で、青い布をまとった天使が花を咲かせながら初代皇帝の頭に王冠をかぶせている。皇帝の後ろで頭を下げているのが初代帝妃。彼女の頭にはオリーブの冠、手には麦を持っている。豊穣の麦の色こそ帝国でもっとも尊い黄金に似たハニーイエローの由縁だ。
この時の様子をこっそり覗き見ていた宮廷詩人ベルナルド・カッツェはこう書き記している。
『シャルロッテ王女はまるで偉大なる天帝に捧げられた小鳥のように震えておられました。無垢なる乙女に寄り添ったアルフレヒト殿下は威厳に溢れたご様子で、幼き妻に向けてその愛を額に与えられました。喪中の王女は不吉だと囁かれていましたが、アルフレヒト殿下によって払拭されるでしょう』
いかに王女といえども国力の違いすぎる帝国皇帝を前に緊張を隠しきれなかったらしい。蒼ざめて震えるシャルロッテを憐れに思ったのか、アルフレヒトは彼女に寄り添い、花嫁となるこの少女に微笑みかけ、額にそっとキスをしたのだ。
シャルロッテの初恋はすでに帝妃に知られている。恋の終焉についても当然報告を受けていた。
この『額へのキス』はプロポーズの定番として後に大流行するのだが、実は帝妃メルセデスがアルフレヒトにやれと命じたともいわれている。三十五にもなる息子が母の命令でそんなことをするかという疑問はあるが、アルフレヒトを溺愛し今度こそ孫をと望むメルセデスならやりかねないと思われていたのは確かだった。
ともあれ家族以外の男からキスなどされたことのないシャルロッテにこれは効いた。たちまち頬を染め、アルフレヒトに微笑み返したのである。互いの第一印象は最良といって良かった。
「シャルロッテ王女は未だ幼く、また喪中の身である。よって婚姻は半年後とし、王女にはそれまで帝国の教育を受けてもらうこととする」
「シャルロッテ王女の教育係としてアーデルハイド・フォン・キルンベルガー伯爵夫人とマチルダ・フォン・エーベルバッハ公爵夫人がつきます」
名前を呼ばれた女性二人が進み出た。
金の髪に蒼い瞳。帝室の特徴が良く出たこの二人は皇帝の妹である。アーデルハイドが姉、マチルダが妹。アーデルハイドはキルンベルガー伯爵に嫁ぎ、マチルダは隣国の貴族であるエーベルバッハ公爵にそれぞれ嫁いだ。ちなみにアーデルハイドは恋愛結婚で帝国貴族に嫁いだが、マチルダは夫と死別、エーベルバッハ公爵領と共に帝国に帰ってきている。
「シャルロッテ王女、はじめまして。わたくしは主に語学、帝国経済などを受け持つアーデルハイド・フォン・キルンベルガー伯爵夫人です」
「わたくしはマチルダ・フォン・エーベルバッハ。礼儀作法、歴史、礼典を教えます」
シャルロッテは女傑二人を前に、国での教育係だったブロンテ伯夫人を思い出した。彼女よりずっと厳しそうな二人に優雅に礼をしてみせる。
「はじめまして。どうかよろしくお願いします」
帝国語の挨拶だけはブロンテ伯夫人に叩きこまれたので滑らかに言うことができた。
ブロンテ伯夫人からも教育係が付けられることは聞かされていた。国での先生方よりもずっと厳しくされるだろう、逃げ出そうものならすぐに皇帝や帝妃に知られ、ひいてはアルフレヒトにも知られてしまう。そしてそれはアルフレヒトへの侮辱となり、帝国民のシャルロッテへの感情が冷たいものになってしまうのだ。くれぐれも、くれぐれも嫌われないように努力してくださいと口酸っぱくして言われた。よほど心配だったのだろう、ブロンテ伯夫人は馬車の中でおさらいできるように帝国語のテキストをシャルロッテに渡している。
ここでつまずくわけにはいかないシャルロッテは王女として、教育係を前にへりくだりもせず高飛車にもならず、ごく自然に挨拶した。
アーデルハイドとマチルダはそんなシャルロッテに満足そうに目を細めた。やる気の持続と資質のあるなしはともかく、二人の目にもシャルロッテは好印象に映った。
皇帝、帝妃、アルフレヒトをはじめとする皇族との顔合わせを無事に終え、シャルロッテは帝国に迎え入れられた。




