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ジェイン・アンバー・プラティーヌの才能・2

まだ続きます。


 表向き浮気に心を傷め気落ちしている伯爵令嬢のドレスを仕立てることになったクラーラは、プラティーヌ伯爵邸に通うことにした。


 採寸を済ませ、ジェインのお気に入りのドレスを確認すると、ふむと考え込む。


 ジェインはあらためてドレスを並べてみて似た傾向にあると気づいたのか、さほど浮かれていなかった。


「ジェインちゃんは、もしかして体が細いのを気にしてるのかしら?」

「はい。……おわかりになります?」

「そりゃあねぇ」


 ジェインのドレスはバッスルの骨組みが大きく、デコルテも広くとっていた。コルセットで腰を締めるとはいえ本来のサイズからずいぶんと作っている。胸の膨らみも詰め物をしてなんとかごまかしているのだ。


 十九歳にもなって胸も尻も薄いのは、ジェインのコンプレックスである。クラーラは健康的で良いと思うしそういう趣味の男もいるが、少なくとも婚約者の好みではなかったのだろう。


「ジェインちゃんはどちらかというと才女タイプよねぇ。ボリュームのあるドレスで無理をするより、むしろ才能をきらめかせるさりげなさで攻めていきましょう」


 牡丹の魅力は誰もが認めるところだが、風にそよぐ柳のしなやかさを愛する手もあるのだ。


「才女?」


 ジェインは思いがけない言葉を聞いたと目を瞬かせた。


「自領を切り盛りして領民の生活を豊かにし、ひいては国を豊かにする。そんな志を抱く女性は少ないわ。ジェインちゃんがやることで励まされる領民は多いでしょう」

「わたくしはまだ何も成し遂げていませんわ」

「くじけなければ結果は必ず出るわよ。良し悪しはともかくね」

「良かった場合はともかく、悪ければ……」


 ジェインはしょせん貴族令嬢だ。同じ貴族の箱入りでも、男と女では教育内容が異なる。ダニエルのような次男であろうと、いずれ家を出るという決意においては違っていた。


 領に戻り事業を起こしたところで領主の娘のお遊びだと思われるのではないか。決心したとはいえ、不安は山積みだった。


「その時は次に行けばいいのよ」


 うつむくジェインにクラーラはケーキを切り分けるような軽さで言った。


「次?」

「そうよぉ。何が悪かったのか反省して、次に活かす。恋と同じね」


 恋、という言葉は正しくジェインの胸を刺した。


 ダニエルとジェインがであったのは彼女が十五歳の時。伯爵家で開催された舞踏会でのことであった。


 主催側の令嬢として、ジェインは客の間を挨拶に回っていた。もちろんそこには良い結婚相手を探すという思惑が含まれている。ジェインの華やかな容姿と華奢な体は男たちを惹きつけた。次々にダンスを申し込まれ、踊るジェインの目に、身の置き所がなさそうに佇むダニエルが入ってきたのだ。


 ジェインが声をかけるとダニエルはあからさまにうろたえ、含羞をあらわにした。いかにも女慣れしていない様子と、低い物腰にジェインは好感を抱く。打算的な恋を囁きお世辞ばかりの男に疲れていたのだ。


 一つ年上のダニエルは、そうとは思えないほどの純情さだった。すでに社交界で揉まれただろうに、ジェインをエスコートするのにいつまで経っても緊張した。


 ダニエルは伯爵家とはいえ次男であることを自覚していた。しかしジェインは気にしなかった。彼が将来内政官になろうと、自分が支えていけば良いと思った。なにより誠実で堅実である。ダニエルなら浮気や借金に悩まされることはないだろう。


 ダニエルの求婚を受け入れ、両家に報告すると、エタン伯爵は大いに喜び伯爵が持っていた爵位の一つである男爵をダニエルに贈与した。


 結婚が近づき、そろそろドレスを仕立てようかという段階になってまさかの浮気である。ジェインも両家も驚いた。


「クラーラ様、わたくしの何が悪かったのでしょう」


 呟きのような問いかけだった。


 そうねぇ、とクラーラは同情を込めて彼女を見る。


 何も悪くない、と言ってやりたいが、それは正解ではない。彼女が悪かったのは、ダニエルと恋をしなかった。できなかったことなのだ。


「恋を侮ったことでしょうね」

「恋……?」


 ピンとこなかったのか、ジェインは鸚鵡返しに言って、首をかしげた。


「そう。恋ってね、勢いなのよ。爆発といっていいわね。聞いたことあるでしょ、恋の炎って。それが周囲にまで広がって延焼を起こすと被害が甚大になるわ」

「迷惑ですわね」


 現在進行形で延焼被害に遭っているジェインが白けて言った。


「そうでもないわよ。本人は幸せだもの」

「巻き込まれた者はどうなるのです。恋は病だから許せとでも?」


 ムキになるジェインにクラーラが微笑んだ。


「理性や理屈で片付けられないから厄介よねぇ」


 答えになっていない。クラーラを睨むジェインは、どこか遠い微笑みにうなだれた。


「わたくし……。わたくし、ダニエル様に恋をしていなかったのでしょうか……」

「それはアタシにはわからないわぁ」


 クラーラはジェインではない。ジェインがダニエルに抱いていた感情が恋か否かを決める権利もないのだ。


 穏やかに生きていけると思ったのだ。なにかしらの不満はあるだろうが、特に冒険することもなく子供に囲まれて一生を過ごす。婚約から今まで四年もあったのに、ジェインはクラーラが言った爆発的な恋情をダニエルに抱くことができなかった。


 恋に身を焦がすことを、ジェインはどこかで恐れている。なりふりかまわず、周囲を省みず、ただ一人のために理性もなにもかも吹き飛ばして恋に生きることを、貴族としてあるまじき行為だと理由をつけて避けてきた。


 ジェインが悪かったのであれば、それは恋を知らぬことである。


「恋もしていない相手と結婚しようとしたのが間違いでしたのね」

「そうとも言えないわよ。だいたい貴族なんて政略結婚がほとんどでしょう。恋してなくても一緒にいれば情が湧くし、尊敬と信頼が愛に育つことだってあるわ」


 クラーラがジェインの胸を指差した。


「人を動かすには情熱が必要ってことよ。事業を起こすんでしょう? 頑張ってね」


 パチン、とウインクされ、ジェインはようやく笑うことができた。強くうなずく。


「はい!」


***


 王都からプラティーヌ領に帰ったジェインだが、なぜかウィリアムが付いて来た。


「ジェインの護衛と、無茶をしないようにアルフォンソに頼まれてね」

「お兄様ったら。ウィリアム様、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「とんでもない。ゆっくりさせていただきますよ」


 アルフォンソに誘われてたびたび滞在したこともある、勝手知ったるプラティーヌ邸だ。ウィリアムも伯爵家の出だが、三男という身分のため気軽だった。


「ゆっくりなさるにはうってつけですわね。我が領にはこれといって何もありませんもの」


 自嘲気味にジェインが笑う。そうではないんだけどな、とウィリアムは口の中で呟いた。ジェインには聞こえなかったようだ。


「今日はどうするんだ?」


 帰って来てからのジェインは、茶会やあちこちへの訪問、来客の応対に追われていた。今日は久しぶりの休日なのだ。


「ええ、今日は農業地帯を視察しようと思っていますの」


 前王エドゥアールの祝賀とその後の混乱で、小麦をはじめとする農地を放棄する農民が増えていた。地道に田畑を耕すより、王都などの繁華街で物乞いしたほうが食べていけるからだ。貧しさのあまり娘を売りに出す平民もいると聞いている。


 税収となる人口流出はなんとしても食い止めるべき深刻な問題だ。農業ギルドや商人ギルドの悲鳴じみた嘆願も来ている。次期当主として王都を離れられない兄に代わり、ジェインがしっかり見て回るつもりであった。


「それでクラーラのドレスを着ているのか」


 なるほど、というようにウィリアムがうなずいた。ぱっとジェインが笑う。


「そうなのです! ようやくお披露目できますわ!」


 クラーラが仕立てたのは外出用のドレスである。夜会用、茶会用、訪問用とはまた趣が違うのだ。


「ウィリアム様には特別に教えてさしあげますわ」


 ふふふ、と笑うジェインはお転婆だった頃のようだ。懐かしさに目を細めたウィリアムの前で、ジェインは腰回りのプリーツを作っていた布をたくしあげた。ウィリアムがぎょっとする。


「ジ、ジェイン!?」

「ほら、ここですわ。ウィリアム様、おわかりになります?」


 咄嗟に横を向いたウィリアムは、ジェインにせっつかれてそろそろと顔を戻した。


 夏空のような青の上着に、若草色のドレス。ピンクブロンドのジェインの髪もあって、そこに花盛りの季節が顕現しているようだ。ドレスには太いピンクのストライプが入り、そこに白や黄色の花々が咲いている。しかもよく見ると蜜蜂が止まっていた。青いプリーツにはなんの飾りもなく、身軽で動きやすそうだ。


「よく似合ってるよ」

「もう! そうじゃありませんわ、ほら、ここ!」


 的外れな感想にジェインがドレスを叩いた。


「……? これは」

「ポケットが付いてるんですのよ。よく見ないとわからないでしょう?」


 興奮気味にジェインが言うように、ストライプ柄に紛れてポケットが付いている。紳士用スーツの胸ポケットと同じ縫い方で、一見するとポケットには見えないようになっていた。しかも上手いことプリーツで隠れている。


「クラーラ様が、視察では新しい発見があるでしょうから、それを入れられるようにと作ってくださったの」


 上流階級の女性が手に持つのはせいぜい日傘か扇くらいで、荷物はメイドが持って付き添う。


「メモ帳と、鉛筆も入るんです」


 すでにしまわれていたメモ用紙と、短めの鉛筆を自慢げに取り出す。鉛筆は芯に布が巻かれて汚れないようになっていた。


「なるほど」


 かつてないほどやる気に満ち溢れたジェインにウィリアムは微笑ましそうな顔になる。ジェインはさらに続けた。


「これだけではないんですのよ。靴もこの通り、歩きやすいようになっていますの」


 裾を少し持ち上げて足を見せる。ジェインの小さな足を包んでいるのはリボンが付いただけのシンプルな靴だった。ただし爪先は広く、ヒールも低く太くしてゴムが使われている。内側はやわらかなコットンで足を傷めないよう工夫されていた。


「ずいぶん気合が入っているね、ジェイン」

「当然ですわ。今回の視察でなんとしても特産を見つけて、事業の第一歩を進めなければなりません。もちろんわたくしのことだけではなく、領を活性化させるのも忘れてはならないプラティーヌの使命ですわ」


 凛として言い切ったジェインは、婚約者の浮気など気にも留めていないようである。本当にどうでもいいのか、それとも強がっているだけなのか。前を向く彼女からは読み取れなかった。


「では、微力ながら、私もお手伝いさせていただきます。レディ」

「まあ。こちらこそよろしく、ウィリアム」


 目を合わせて笑い合う。ウィリアムが気取って腕を差し出すと、ジェインも澄まし顔で手を添えた。


 結果からいうと視察はそこそこの首尾であった。領主の姫が来るという通達が前もって行っていたこともあり、どこへ行っても歓迎された。


 だが、ジェインには不満が残った。あちらにも不備があってはという思いと、できる限り完璧なところを見せたいという見栄があったのだろうが、実状を知るには遠かったのだ。


 物々しい護衛の騎士が付き従い、話をするのは地元の有力者ばかり。当然耳ざわりの良い返答しか返ってこなかった。小娘相手ならこの程度でいいだろうという思いが透けて見えたのだ。


 それよりもジェインは馬車の窓から見えた放棄された畑に健気にも咲いている花や、放牧されているのかそれとも野生のものか、馬が駆けている光景に感動した。住民が少ないのは予想していたが、残った人々は懸命に働いている。休憩を取った村では遠巻きに見ていた子供たちがジェインのために茶を淹れてくれた。娘たちははじめて見る貴族の姫とドレスに憧れの眼差しを注ぎ、貴重な蜂蜜を分けてくれたのだ。


 本当の歓迎とはああいうものだ、とジェインは強く思った。緊張していた娘はジェインが礼を言うとびっくりしたように目を丸くし、次に真っ赤になって破顔した。


 ポケットから摘んだ花を取り出す。そっと顔を近づけると甘い香りが鼻腔をくすぐった。このハーブはどこへ行っても咲いていて、生活に密着しているようだった。


「ウィリアム様、今日はありがとうございました」

「うん。……ジェイン、まだはじまったばかりだ。気を落とさないようにな」


 ウィリアムはジェインの消沈を敏感に嗅ぎ取っていた。ウィリアムの慰めにジェインは顔を上げる。


「あら、わたくし別に落ち込んでいませんわ」

「え?」

「それは、おためごかしな態度にはがっかり致しました。ですがウィリアム様もご覧になりましたでしょう? 広大な土地と、そこに住まう人々を。我がプラティーヌは、とても綺麗ですわ」


 何もないということは、それだけ可能性があるということだ。自分に言い聞かせるようにジェインが言った。


 ぽかんとしていたウィリアムは、次第に肩を揺らして笑い出した。


「ウィリアム様、わたくし真剣ですのよ」

「わかっているよ、うん。それでこそジェインだ。そんな君だから、みんな嬉しそうにしていたんだな」


 クラーラのドレス効果だけではなかったらしい。ウィリアムの言葉にジェインが首をかしげた。


「ドレスの効果?」

「気づいていなかったのか? ドレスに入っている花はそこら中で咲いていた。蜂蜜も、おそらく村で採れるんだろう。特産がないと言っていたが、生活に密着しているものを君が知っていると思えば、好意的になるさ」

「あ……っ」


 ジェインはドレスを見た。


 あまり派手ではない、というより、王都でこれは地味で目立たないデザインのドレスは、困窮している人々の前に出るなら華美なものはかえって反感を招くだけという理由ではなかったのだ。ミントの葉にカモミール、ローズマリー、ラベンダーなどのハーブが刺繍されている。そこに止まる蜜蜂は、人々の大切な糧となっているのだろう。


 社交界で堂々と女装を貫いているだけのことはある。クラーラは国内外の貴族情勢に詳しかった。


 このドレスはまさしくジェインのための、ジェイン・アンバー・プラティーヌが着てこそ完成するドレスなのだ。


「ウィル兄様」


 ジェインは幼い頃の呼び名で彼を呼んだ。


「なんだい、ジェイン」


 懐かしい呼び方にウィリアムがやさしく彼女を見つめる。


「わたくし、頑張りますわ。きっと王都中に、いいえ、国中にプラティーヌの素晴らしさを伝えてみせます」

「そうか。でも、頑張りすぎて疲れたらちゃんと言うんだよ。私が……いや、私とアルフォンソがいることを忘れないでくれ」


 私がついている、とはっきり言えず、ウィリアムはこっそり息を吐いた。



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挿絵(By みてみん)

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