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スカーレット・クールの鈴蘭

クラーラの友人登場!



 スカーレット・クールはクラーラの店に行く時、いつもちょっぴり憂鬱になる。


 クラーラは良い思い出としてくれているが、気恥ずかしいのだ。


 若気の至り。そういってしまえるほど昔ではないが、自分の若さというか、青さを思い出すたびに身悶えるような気分に襲われる。


 とにかくそんな感じで行くのは気が重いが、しかし行かないという選択がスカーレットにないのもたしかなことだった。クラーラは彼女が尊敬する、親友の一人なのだ。


「いらっしゃーい」


 ちりりん、とドアベルを鳴らしてスカーレットが店に入ると、いつもの笑顔だったクラーラがパッと顔を輝かせた。


「スカーレット! 久しぶりねぇ、元気だった?」

「お久しぶり、クラーラ。ええ、もちろん元気よ」


 頬に挨拶のキスを贈り合い、クラーラは上から下までスカーレットを眺めて満足そうにうなずいた。


「さあ、座って。今お茶を出すわ」

「ありがとう」


 クラーラの店には貴族令嬢とおぼしきドレス姿の少女が三人と、それぞれの侍女たちが寛いでいた。スカーレットが来るたびに客が増えている。それが嬉しくもあり、また一抹の寂しさも覚えた。


 おしゃべりに興じていた三人は、スカーレットとクラーラの親しげな様子に驚いている。


「はじめまして」

「はじめまして。クラーラ様のご友人ですのね?」

「わたくしあれほど楽しそうなクラーラ様ははじめて見ますわ」

「わたくしたちより親しそうでしたわね」


 素直な子たちね、とスカーレットは思った。店内で堂々とお茶会を開いているくらいだからクラーラのお気に入りなのだろう。基本、来る者は拒まずなクラーラでも、日常になるほど許しているならよっぽどだ。


「お待たせ。あなたたちは初めてよね? こちら、スカーレット・クール。知っている子もいるんじゃなぁい?」


 紅茶を置いてクラーラがスカーレットを紹介すると、彼女たちから歓声があがった。


「まあ、スカーレット・クール様ですの?」

「もちろん知っていますわ」

「あの『レディ・スクランブル・タイム』で旅行記をお書きになっている、スカーレット様?」


 純粋に喜ぶ三人に見つめられ、さすがにスカーレットも照れくさくなった。赤い顔をごまかすようにティーカップを持ち上げる。


『レディ・スクランブル・タイム』はタイトルからわかる通り女性向け雑誌である。ファッションの流行や料理のレシピ、家庭で役立つ雑学から恋愛小説まで、女性が楽しめる内容の本だ。スカーレットは創刊からの記者で、ここ数年は世界各地を巡りその記録を載せていた。


 アルベールの革命の時も、この国を離れていたのである。


「私がいない間に革命だなんて……。社から電報を受け取って、急いで帰って来たのよ」

「あら、それじゃあまたすぐ旅に出ちゃうの?」

「ううん。せっかくだから本に纏めようということになってね、しばらくはこっち」


 見たところクラーラは元気そうだが、その心中まではわからない。帰国の道中、どれだけスカーレットは心配しただろう。


「それよりクラーラ、あなたは大丈夫だった? あなたのことだから周りの人を守るのに無茶したんじゃない?」


 革命は最終的に貴族対平民の構図になり、平民が議会という権利を勝ち取って終わった。貴族と付き合いがあり、自身は下町に居を構えるクラーラは間に挟まれて苦悩しただろう。どちらに付くか悩み、どちらにも手を差し伸べるクラーラを知っているスカーレットは、胸が潰れそうな思いだった。


「大丈夫よ。アタシは上手いこと隠れてたから」


 スカーレットはクラーラの正体を知らない、クラーラだけの友人だ。友人の心配がクラーラには嬉しかった。


「本当?」

「本当。それに、あの時活躍したのはアタシじゃなくて、彼女たちよ」


 そう言ってクラーラが示したのはお嬢様三人組である。にこっと笑う三人と、誇らしげなクラーラに、どうやら冗談ではないらしいとスカーレットは目を剥いた。


「ええっ? こんなお嬢様が!?」

「そうですわ。わたくしたち活躍しましたのよ」

「賊に一歩も引かずに宝物を守り切りましたわ」

「わたくしたちだって、やる時はやりますわ」


 控えている侍女を見れば、どの顔も胃を押さえつつうなずいている。お嬢様の自由奔放ぶりは承知していても、まさか賊どもが蠢く最中に屋敷を抜け出して突撃するとは夢にも思わなかったに違いない。スカーレットは彼女たちへの称賛より先に侍女たちの苦労に同情した。


「そ、そう……。さすがはクラーラのお気に入りってわけね」

「でしょ? はらをくくった女はやっぱり強いわねぇ」


 ぱちん、とクラーラがウインクする。クラーラの知る強い女の筆頭がスカーレット・クールだ。


 スカーレット・クールは『レディ・スクランブル・タイム』で女権論を唱える記者である。


 女権論といえば聞こえがいいが、スカーレットが当時書いていたのは男性批判であり、男に抑圧されている女性を嘆くだけの、いわば私情であった。彼女の記事は男に笑われ、男性誌では特に過激で知られる『バンキ』に取り上げられて嘲笑されていた。粋がった女が何か言ってるぞ、というわけだ。


 嘲笑されればされるだけ、スカーレットは意固地になった。男なんて何するものぞとばかりに反発心を膨らませ、その頃ようやく社交界で名が知られるようになったクラーラを突撃取材したのである。クラーラは貴族嫌いと共に取材嫌いとして、流行発信の雑誌社から反感を買っていた。


 女になりきってみても、しょせんは男。スカーレットのオネエに対する認識はそのようなものであった。私が化けの皮を剥がしてやる。そんな意気込みで乗り込んだクラーラの店で、スカーレットはこてんぱんにされた。


 少し有名になったくらいですぐに繁盛するほど商売は甘くない。その上クラーラは客を選んでいた。閑散とした店にそれみたことかと入ったスカーレットは、にこやかに出迎えたクラーラに出鼻を挫かれた。


 クラーラは可愛かった。自らデザインし縫製したハンカチーフ・ドレスはバッスルを使わずにプリーツを重ねることで腰の膨らみを作っていた。そこからハンカチーフ・ドレスの特徴である三角形が色を段階で変えながら見え隠れし、さりげなく演出している。黒髪の毛先をグラデーションで青から碧に変え、華やかで落ち着いた、けれども新しいものが好きな淑女といった雰囲気だった。


 うっかり見惚れている間に顧客名簿にサインをしたスカーレットはすぐさま取材と見抜かれ、自分を知っていたという事実に驚き、男批判をクラーラに論破されてすごすご退散した。


 この初対面でクラーラが「またいらっしゃい」と言ってくれなければ、今のスカーレットはないだろう。それがわかるだけにこの時のことを思い出すとスカーレットは身悶えてしまうのだ。


 クラーラは、自分のやり方をスカーレットに体験させてくれたのだ。直接会い、話をし、相手がどういう人物であるか見極めてクラーラは最高のドレスを仕立て上げる。少女といえる年齢ではなかったが、スカーレットもクラーラの魔法にかけられた一人だ。


『自分より稼ぐ女は嫌だなんてちいさい男、別れて良かったじゃなぁい』


 スカーレットの男性批判の根幹にあったものをあっさりと見抜き、ごみでも捨てるような軽さで言ってのけたクラーラに、横っ面を叩かれたような気分になった。


 働く女が好きだとスカーレットを応援しておいて、まさにそう言って捨てた恋人に傷つけられたことを、認められずにいたのだ。痛みは男への嫌悪にすり替わり、スカーレットはそれを女権論の名の元にぶつけてきた。まったくの私情、私怨である。男に嘲笑されるのも無理はなかった。


 クラーラによって気づいたスカーレットは、今まで男への嫌悪と反発心だけで女を捨てていた自分を恥じた。男なんかに負けるものか、と身嗜みも化粧もせずにがむしゃらに働いたところで、どうあがいても女であることは変えられないのだ。ならば、女の強みを活かしていけば良い。


「あの頃のスカーレットは尖ってたわよねぇ」

「我ながら可愛げがなかった自覚はあるわ」


 お嬢様たちは興味津々で前のめりになっている。働く女といえばメイド、家庭教師などがもっぱらで、記者ともなれば花形、憧れの職業婦人だ。男社会を堂々と渡り歩くスカーレット・クールは社交界でも有名なのだった。


「目つきが悪くて、かっちりとしたテーラードスタイル。おまけににこりともせず上から目線だったものね」


 ふう、とため息を吐いてスカーレットがかつての自分を振り返る。


 今日の彼女もテーラードスタイルだが、上着にはタイではなくリボン、左胸に鈴蘭のブローチを着けている。スカートの左右を大胆にレースが飾り、カフスボタンに鈴蘭の意匠が入っていた。遊び心が見え隠れする一着である。


「目つきは視力のせいよね。目が悪いとしかめっ面になりやすいもの」

「眼鏡をかけると余計にきつい印象になるんじゃないかためらってたけど、意外とそんなことなくて快適よ」

「良かったわ。ただでさえあなた頑張りすぎちゃうんだもの。少しでも楽したほうが体のためよ」


 時には徹夜で仕事をすることもある。ガス灯はだいぶ普及したが、一般的なアパートでは蝋燭がまだまだ主役だ。暗い部屋で蝋燭の灯りを頼りに執筆する生活は、どうしても目にダメージがいった。仕方がないとわりきっていたが、クラーラの言う通り、体の声に耳を傾けるべきである。


「ねえ、それで今度の旅はどうだったの? 南の国に行ったんでしょう?」


 身体が疲労すれば精神も疲労する。苛々する毎日にほとんど病んでいたといってもいいだろう。過去のことを若者に笑って話すほどにはスカーレットもまだ歳を取っていない。過去を糧にはできても武器とするには時間が必要なのだ。


 さりげなく話題を変えたクラーラに感謝の目配せを送り、スカーレットは気を取り直した。


「ええ。南国は開放的とは聞いていたけれど本当ね。でもやっぱり女の一人旅は驚かれたわ」


 スカーレットは今、一人で各地を旅してそれを記事に書いていた。


 女が旅行するのは珍しくないが、たいていは親しい友人や家族など複数人と連れ立って、現地に詳しいガイドも雇って行くツアーである。一人旅はどうしても道中危険が伴う。女一人ともなればなおさらだ。


「親切な人が多くてね、ガイドには困らなかったし、ホテルも綺麗で食事は最高だったわ!」


 スカーレットは別に安全アピールで旅行しているわけではない。後に続けと女性を鼓舞するつもりもなかった。自分の冒険心、どこまで行けるか試すために、世界を知るために旅をしているのだ。


「言葉に不自由しませんでした?」

「南の国には海がありますのよね?」

「有名な古代遺跡はご覧になりましたか?」


 現地で買った絵葉書や風景画をテーブルに並べると、お嬢様たちから次々と質問が飛んできた。


 近年発明されたカメラだが、大きくて重たいうえに取り扱いが難しく、危険な薬品類を使うため好事家の趣味となっている。おまけに写真は白黒モノクロである。風景を描いた絵葉書やカードサイズの風景画が土産の定番だ。


「言葉は不自由しなかったわ。古代遺跡は観光地として有名だから、ガイドは数ヶ国語を話せるし。ホテルの従業員も片言だけどこちらの言葉で話してくれたの」


 ガイドは仕事だから当然だとしても、ホテルの従業員は言葉が通じる安心感でチップを期待できるからだろう。気に入ってもらえれば口コミで伝わり、また来て貰える可能性が高くなる。


「観光地だけあっていろんな国からたくさんの人が来ていてね。なかには怪しい人もいたわ」


 旅行の解放感で良からぬ遊びに興じる人もいたという。見た所貴族か青年実業家といった身なりの男が、やたら女性に声をかけていた。


「お金持ちのご婦人をひっかけてお金を騙し取っているようだったわ。私が記者だと名乗ったらすぐに離れていったから、本人も悪いことしてる自覚はあるみたいね」

「スカーレット、放ってきたの?」

「旅の安全は自分で買うものよ。……まあ、彼に本気っぽい子に「彼はあちこちで女に声をかけてはデートしてるわよ」って教えたら他の子も含めて修羅場になってたから、当分懲りて大人しくしてるでしょう」


 最低限の忠告はしてきた。そうでなくても連日別の女性と出歩いているのを目撃されていたのだから、放っておいても修羅場になっただろう。


「詐欺師かしら。いやぁね、せっかくの旅でそんなのにひっかかるなんて」

「逆よ、クラーラ。旅先だからこそひっかかっちゃうのよ。現地の色男とのロマンスなんて、最高の思い出じゃない」

「本気で燃え上がってこその思い出でしょ。恋を売るなら完璧に演じてもらわなくちゃ、割に合わないわ」

「あの、お二方……」


 さすがに侍女たちから待ったがかかった。見ればお嬢様たちは赤くなったり青くなったりしている。婚約者もいない少女には刺激が強すぎたようだ。


「そ、そんな、旅のロマンスが……」

「詐欺師だなんて、ひどいですわ……」

「恋は売り物ではありませんわ……」


 恋愛小説ではありがちな旅先でのロマンスといえば、隠密旅行中の姫君と現地の好青年が恋に落ち、すったもんだのあげく姫君の帰国で終わる、定番のお涙頂戴だ。彼女たちもうっとりしながら架空のロマンスに浸ったことがあるのだろう。


 それが現実には詐欺師。複数の女と遊んで修羅場。夢のない話だ。


「あらら、大丈夫よ。そんな男ばっかりじゃないから」


 慌ててクラーラがフォローすれば、


「病気の母親と事業の失敗を言い出す男は要注意よ」


 スカーレットがやけに具体的な忠告をした。


 三人のお嬢様は現実の前に脆くも崩れ去ったロマンスに、涙目になってうなずいた。


***


 お嬢様たちがしょんぼりしながら帰った後、スカーレットが切り出した。


「クラーラ、しばらく泊めてくれない? アパートは解約しちゃったし、ホテルで暮らすわけにはいかないもの。なるべく早く住むところ見つけるから」

「いいわよ。次の旅の支度もあるでしょうし、なんならうちに住む?」

「そこまで甘えられないわよ」


 いつ帰るとも決めない旅のため、スカーレットの荷物は最低限だ。貴族のように一日に何回も着替える必要はないので下着と衣類が数着、社交界用のドレスが三着。あとは原稿用紙とペンとインク、護身用の短剣と非常食である。足りなくなったら現地調達すればいい。


 ちなみに旅の資金だが、スカーレット・クールの冒険に賛同するパトロンから出ている。また彼女と同じ女権論者が各国の女権論者にスカーレットのことを知らせてくれているので、社交界に出れば喜んで出資してくれた。クラーラもパトロンの一人だ。


「それと、これが頼まれたものよ」


 旅行鞄から取り出したのはガラスの小瓶だった。受け取ったクラーラが真剣な顔で蓋を外し、香りを確かめる。


「……うん、良い香り。ありがとうスカーレット。いくらだった?」

「それ一つで帝国金貨一枚よ。ずいぶん回ったけど、それより安いのはなんだか怪しかったから買わなかった」

「それで正解。偽物売りつけられたらたまったもんじゃないわ」


 クラーラが買い付けを頼んだのは、希少な薔薇から採れる香油だった。南国の、気温が高く湿度の低い土地でしか育たないため非常に貴重なものである。


「石鹸や香水に欠かせないものだから助かるわ」


 貿易商から購入しているが、マージンを取られるため高くつく。スカーレットが南に行くと聞いて頼んでおいたのだ。


「全部で十本。工房は警備が厳しくて見学できなかったのが残念だったわ」

「よくこんなに買えたわね」

「パトロンの奥様へのお土産だって言ったし、記者の肩書きって案外便利なのよ」

「奥様じゃぁないけど、パトロンは合ってるわねぇ」


 土産屋の観光地価格で買うのと、工房を訪ねて直接買うのとでは信用と価格が違ってくる。大量買いは取引のあるバイヤーとの兼ね合いもあるので断られることが多かった。スカーレットの肩書きとパトロン、そして実力のおかげだ。


「ありがとう、スカーレット! そうだ、あなたの香水も調合できてるのよ。帰ったらさっそく使ってみて」

「鈴蘭?」

「そうよぉ。スカーレット・クールといえば鈴蘭よ。可憐で可愛らしく、香りも爽やか。しかも繁殖力が強くて根っこに毒がある。ぴったりじゃなぁい!」

「なめてかかったら痛い目に遭うと言いたいの? 褒め言葉ととっておくわ」


 スカーレットは胸元のブローチをそっと撫でる。クラーラが作ったそれは、特別な思い出だった。


 銀の土台に金属の釉薬を使って焼き付けた、透明感のある花だ。内側から輝くそれは、鈴蘭の花は白から金に、葉の部分は翠から蒼へと複雑に色を変えた。


 鈴蘭が有毒植物なのは有名である。そして鈴蘭が幸福をもたらす花というのもまた、有名な話である。




金や銀に金属の釉薬を使う手法は、七宝焼きです。調べてみたら古代エジプトの時代からあるそうです。びっくり!


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挿絵(By みてみん)

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