【書籍化記念SS】リーヴ・ジュモーの贈り物
とうとう本日「秘密の仕立て屋さん~恋と野望とオネエの魔法~」が発売となります!
よろしくお願いします!
世の中には(いったいどこの誰が買うのだろう)と首をかしげたくなる物がある。微妙にリアルな猫の刺繍が入ったハンドバッグ、笑っているのかひきつっているのかわからない笑みを浮かべた人形、あって困るものではないが何を収納したらいいか迷う小物入れ。自分では絶対に買わないが、それらは堂々と店に並び、売られている。
そんな品々が、クラーラの前にあった。
「リーヴちゃん、一応聞くけどこれ本気で選んだのよね? 冗談で買って来たわけじゃあないわよね?」
いっそ冗談だったと言ってくれとばかりに額に手をやったクラーラに、それを持ち込んだリーヴ・ジュモーは大きな体躯をぴんと直立させ、きりりと答えた。
「大真面目に選びました」
リーヴ・ジュモーは騎士組合に登録している騎士である。どこかの貴族に雇われたわけではなく、依頼があれば商家であろうと貴族であろうと任務に就く。いわゆる浪人だ。王都生まれではなく地方都市の出身で、商隊の護衛でこちらに来て以来居着いている。人当たりの良さと剣の腕前を買われて今はとある商家で住み込みの護衛に就いていた。
そんなリーヴは現在22歳。結婚適齢期の彼は目下お見合い相手への贈り物に悩んでいた。
「それで、お相手はどんなお嬢さんなのかしら?」
「大旦那様のお供で伺った貴族のお屋敷で働いていたメイドです。どうもはじめからそのつもりだったようで、彼女が庭を案内してくれました」
商家の護衛というのは厳しく精査される。家の内部に入り込んで調査したり、あるいは泥棒の一味であったりと、枚挙に暇もないほどあるのだ。信頼を得るまでも時間がかかる。しかし、旦那や女将に気に入られればこうした恩恵に与ることも多々あった。旦那にしてみれば嫁を紹介したことで恩が売れるし、一家揃って働いてくれれば安心安全な従業員が確保できるのだ。薄暗いことを加えるなら、もしも悪党だった場合嫁を人質にできる。
そんな商家の大旦那の目から見て、リーヴは優良物件だったらしい。馴染みの貴族に、この場合は奥様にうちの護衛騎士とお宅のメイドを見合いさせてみませんかと持ちかけた。
これは貴族側・メイド側にもメリットがある。メイドの自由恋愛にたいていの主人は嫌な顔をする。理由は商家と同じで、ヘタなごろつきを引き入れて家を探られ泥棒に入られたり、駆け落ちの際に行き掛けの駄賃とばかりに金品を盗まれたりするからだ。またメイドが逃げたとなれば家の評判にも関わってくる。事が人の心なだけに悩ましい問題なのだった。
メイドは奥様から客人の相手をするようにと仰せつかっただけで、見合いの意識はなかったという。リーヴのほうもこれが自分の見合いだとは露とも思わずに今日の大旦那はなんだかそわそわしていたな、くらいに思っていた。とはいえ雇われ同士の二人は庭を歩くうちになんとなく打ち解けた。
「笑った顔が可愛らしくて、こんな娘さんが生き生き働いているなんて良いな、と」
そこでリーヴは大きな体躯を縮ませ、耳を赤くした。クラーラはいかにも騎士然とした彼の微笑ましさについ笑いが漏れた。
「自分の隣で笑っていて欲しいと思った?」
「は、はい」
いよいよ赤くなるリーヴは額に汗までかいていた。いいなと思った娘が見合い相手となれば、その先の想像までするのは当然のことである。
「……で、コレなのね」
「はい……」
そして冒頭に戻る。
お見合いだと知ったリーヴはぜひ話を進めてくれと大旦那に頼んだが、自分でも頑張らなければならない。メイドは中々忙しい職なのでいきなりデートに誘えば向こう側も良い顔はしないだろう。そこで恋文と贈り物の出番となる。
「真剣に選んだのです。マリエールは19歳ですし、その年頃の娘に人気だという店まで行きました」
たしかに一定層に人気はあるだろう。それなりに需要があるからこういったものが出回っているのだ。売れなければ作られない。しかし適齢期の娘が喜ぶかというとクラーラでも首をかしげざるを得なかった。
「悪いものじゃぁないのよねぇ。ハンドバッグは造りがしっかりしているし、大事に使えば長持ちするわ。お人形は個人の好みもあるからなんともいえないけど、この小箱は細工が見事よ。ずいぶんしたでしょう」
クラーラもとりあえずフォローした。
「猫ちゃんの顔がどーんと中央に、ベースが紫に緑の水玉模様。これは恋人じゃなくてどちらかというと母親向けじゃないかしら」
はたしてリーヴがどんなものを贈るのか、興味と心配からチェックが入ったらしい。リーヴが仕えている商家は銀細工を取り扱う店で、彼の同僚である使用人たちも目が利く。自信満々に見せたリーヴはそれはもう口々に駄目出しを食らう結果になった。
「大旦那様お薦めの店に行ったのですが」
「何十年前の19歳の娘に人気だったのか考えるべきだったわね……」
なるほど、とクラーラがうなずいた。
女というのは母になろうと祖母になろうと女である。自分たちが一番輝いた時代の流行をいつまでも愛するものだ。古臭いと思われるそれは伝統になり、最新流行は品がないと嘆く。もちろん個人の趣味はあるが、今となっては見向きもされないようなものが流行になった時代があったのだ。
今日は常連のお嬢様たちが来ていなくて良かった。ほっと胸を撫で下ろしたクラーラはリーヴに茶を薦めた。
「知っていると思うけど、クラーラの店は本人を見てから作るかどうか決めるわ。まずはマリエールちゃんを連れてきてちょうだい」
「はい。あの、それで、予算なのですが」
「こんなに買った後じゃあんまりないでしょ。わかってるわ」
予算はたしかに大事だが、クラーラが作るかどうかはまずマリエールを見てからだ。
「それより、これはマリエールちゃんにきちんと贈った方がいいわ」
「え!? ですが散々駄目だしされましたよ?」
クラーラは首を振った。それとは別の問題がある。
「あのねぇリーヴちゃん。たとえこれらがマリエールちゃんの趣味に合わなくても、自分のために買った物をよそに回されるのは女は癪に障るのよ」
女のプライドである。こっそり誰かに、たとえば母に贈ってしまったと後から知れば、それは本当なら自分のものだったのにと思うだろう。そこに理屈はないのだ。リーヴが悩み、選び抜き、金を出した事実は物には変えられない。贈り物とはそうしたものだ。
「そ、そうですか?」
リーヴはそういった女心がわからないらしい。心持ち引いている。
「そうよ! 良い事? 大旦那様のお薦めとかそういう言い訳はせずにいるのよ。リーヴちゃんが選んだことに間違いないんだから。マリエールちゃんの趣味に合わなければ、さりげなく好みを教えてくれるわ」
よくわからないまでも、リーヴは大人しく従った。
***
手紙と共に届けられたリーヴ・ジュモーからの贈り物は、案の定マリエールの同僚メイドに酷評された。
マリエール・カトルは14の時にこのお屋敷に雇われた。貴族とはいえさほど裕福とはいえず、給料は仕送りと貯金に回すと手元にはわずかしか残らない程度であった。同僚たちはさっさと恋人を作って結婚し、あるいは別の働き口を見つけて出て行ってしまい、何年も勤めているのはメイド長とそのお気に入りである古参くらいだ。5年も勤めているマリエールは奥様に気に入られ、良い結婚相手を見つけてやろうと常々言われていた。
「結婚かぁ」
同僚が辞めるたびに奥様とメイド長がぶつぶつ言うのを聞いていたマリエールは、あまり結婚に積極的ではなかった。責任感というよりは臆病なのだ。
そこに見合い相手であるリーヴから贈り物が届いた。包装から出てきた猫のバッグにドン引きしたものの、これをあのいかにも堅物な男がどんな顔をして買ったのか。想像するとなんだか胸がほっこりした。
しかしそれはそれとしてこれどうよ。どうにもいかんともしがたい贈り物にマリエールは困り果てた。くれるのは嬉しいが、使い道がない。まずこれに合う服がないし、持っているところを同僚や同じ年頃の女性に見られるのも恥ずかしかった。女というのは同性の目を気にするものなのである。
「マリエール、ちょっといいかい」
仕事が終わり部屋で休んでいると、メイド長がやってきた。
「は、はい。なんでしょうか」
すでに寝間着になっていたマリエールは焦りつつ立ち上がった。何かしでかしてしまったか。今日の出来事を素早く振り返る。
メイド長はマリエールのベッドに置かれたバッグを見て、いつもしかめっ面の表情をかすかに動かした。
「家政婦が呼んでいるから部屋に来るように。そのバッグも持っておいで」
「はい」
ハウスキーパーはメイド長の上司にあたる、奥様の補佐役である。泣く子も黙るメイド長、鬼の家政婦などと噂される、メイドにとって恐ろしいボスである。緊張にバッグを胸に抱きしめて、マリエールはこわごわ家政婦の部屋に向かった。
バッグを持って来いと言うからにはリーヴとのことだろう。予想に違わず、家政婦はまずバッグの贈り主について訊ねた。
「それはリーヴ・ジュモーさんからで間違いないわね?」
「はい。お見合いの話を進めたいと手紙と共に届きました」
「そう。ちょっといいかしら」
メイド長がマリエールからバッグを受け取り、家政婦に手渡す。家政婦はためつすがめつ眺めると、やがてほうと息を吐いた。
「……ありがとうね、マリエール。懐かしいわ『ケティ・キッス』のバッグ。わたくしたちが若い頃に流行ったものですよ」
「ジュモーさんは実家が地方だというから少し心配していたけれど、これなら安心ね」
「そうね。お母様のご趣味かしらね。これを持てるお家の出なら、それほど悪くはないでしょう」
マリエールはつい口を挟んだ。
「これ流行ってたことあったんですか?」
失言に気づいたマリエールが謝るより先に笑い声が響いた。メイド長と家政婦が、めったに変わらない顔を崩して笑っている。
「まあ、そうよねえ。こんなの今の若い子は持たないわね」
「そうですわね。マリエール、これはね芝居で使われてそれは流行ったの。『ぼくの可愛い子猫ちゃん』という歌があってね」
「ねえ。これを殿方から贈られるのを都中の娘が憧れたものなのよ」
かつての少女たちに爆発的人気を誇った『ケティ・キッス』のバッグはシリーズとなり、次々と新作が生み出された。今もなおその頃の心を忘れない婦人に人気があるという。
「あなたは勤勉な働き者だし、奥様が推薦したとはいえ結婚で退職してしまうのはもったいないと思っているの」
「あそこの大旦那の紹介ですからめったな人ではないでしょうけれど、ろくでなしなら断固反対するつもりだったわ」
目をかけられているとは気づいていたがそこまでとは思わず、マリエールは感動した。メイドはしょせん結婚までの足掛けだと思われるのが関の山なのだ。代わりはいくらでもいる。しかしメイド長、家政婦と出世していくのはほんの一握りだけだ。
「どうやら誠実そうだし、お頑張りなさい」
「そうね。もしかしたら外堀を埋めるつもりでこれを選んだのかもしれないけれど、それならそれで結構なやり手よ。しっかりね」
「はいっ」
そして良く働くメイドが結婚退職することをどこの家でも渋る。マリエールは応援されていると知り、がぜん乗り気になった。
***
ちりんちりん。ドアベルが鳴り、リーヴとマリエールが揃ってクラーラの店にやってきた。
「いらっしゃーい」
「こんにちは、クラーラさん」
「はじめまして」
クラーラはやっとか、とほっとした。もしもあの贈り物でリーヴが振られてしまったら、贈るようにアドバイスしたクラーラにも責任がある。連れてきてくれなかったらどうしようと思っていたのだ。
「あなたがマリエールちゃんね? ようこそクラーラの店へ。待ってたわぁ」
あれからリーヴとマリエールは何度かデートを重ね、少しずつ交流を深めていった。リーヴの買っていた人形と小箱もマリエールに贈られたが、それはやはりマリエールの趣味に合わず、メイド長と家政婦、時に奥様に絶賛されるだけだった。予算の関係もあってクラーラの店は二の足を踏んだが、ここらで決め手になるものが欲しいとついにマリエールを誘ったのだ。
「リーヴさんが贈ってくれるのならなんだって嬉しいですわ。ただ、普段使いにするにはもったいなくて」
「私としてはマリエールが本当に喜ぶものを贈りたいのです」
ふむ、とクラーラはマリエールを見た。
メイドというだけあって少し疲れたような顔だ。倦怠感は見えず、仕事に誇りを持っているようである。普段使いにはもったいないというのも嘘ではなさそうだった。それでもデートに使わないのは、やはり使えないということなのだろう。クラーラでもあれを持つにはちょっと時と場所を選ぶ。
ミルクティーのような淡い茶とピンクの中間色の髪に、やわらかい琥珀の瞳、白い肌。目立たない美人である。あのバッグはマリエールには似合いそうにない。今も持っているのは地味な茶色のバッグと、リボンがついただけの同じく茶色の帽子である。
「帽子のピンはどうかしら。ちょっと華やかな、こんな感じで」
クラーラが取り出したのは見本のハットピンだった。小さな輝石を繋いで花束になっている。光に当たるときらきらと輝いた。
「宝石をカットする際に出た屑石だけど、本物の宝石だからそれなりに値が張るわ。リーヴちゃんは、マリエールちゃんに本当は何が贈りたいの?」
スケッチブックに描かれていくデザインを見て、マリエールがぱっと華やいだ。しかしクラーラの問いかけに打って変わって頬を染める。反対にリーヴは予算を心配されたと受け取って眉が寄った。
あれからクラーラも調べたのだ。やり手商家の大旦那ともあろう者が、最近の流行を知らずに自分たちの時代のものを薦めるものだろうか。もしも知らないのであればリーヴへの嫌悪が透けて見える。だが、知っていたのであれば、また別の意味を持っている。
「あのバッグ、シリーズで出てるのよ」
「子猫ちゃん、ですわね」
「マリエールちゃんは知っているのね。なら話が早いわ」
「メイド長と家政婦がなぜか大喜びなんです」
「あぁ、ずばりあの時代だものね」
知らないのは自分だけという状況にリーヴの眉根の皺が深くなった。クラーラは楽しそうに、マリエールは恥ずかしそうに微笑む。
「お人形は「気難し屋」という、これも人気のシリーズよ。笑顔はわたしにだけ、という意味」
「は」
「さて、それじゃああの使い勝手の悪そうな小箱は、何を入れるものかしらね?」
小箱は彫金の細工で飾られ、中は布張りでクッション性が高かった。だがずいぶんと平たく、しかしネックレスなどが入るほどの大きさもない。実に使い道が限られていた。
リーヴは謎かけに頭を悩ませた。マリエールが期待するように彼を見て、ぱっと手元に視線を落とす。
リーヴがクラーラの店に来ようと思ったのは、大旦那に薦められた店のセンスだけではなく、マリエールへの贈り物が大旦那からのものに思えてきたからだった。選んだのも購入したのも自分だが、店を選べなければ意味がない。マリエールが別の男に染められていくようで嫌だった。
クラーラの店ならマリエールの趣味とリーヴの希望も合わせて作ってくれる。たったひとり、マリエールのために贈りたかった。世界で一番似合うものを。
「あ……」
その時リーヴの胸にひらめくものがあった。自分だけに笑っていて欲しい子猫に贈る、唯一のもの。小箱に入ってしまうサイズで、やわらかなクッションで守られるべきものといえば。
「マリエール」
リーヴはそっと彼女の手を取った。
「はい」
左手の薬指にキスを落とし、そこを撫でる。マリエールの目は感激に潤んでいる。
「指輪を、贈らせてもらえないか」
「はい」
クラーラはスケッチブックで顔を隠しながらデッサンを続けていた。婚約指輪はマリエールに相応しいものになる。リーヴの実直さと、マリエールの優しさを表現する、誰もが幸福に微笑むようなものになるだろう。
そしてようやくリーヴとマリエールの心はひとつになるのだ。




