16、少女の暴走
佳代が教室に呪具を仕掛けている現場を抑えた護は、めんどくさい、とでも言いたそうにため息をついて、佳代に近づいて行った。
目と鼻の先までくると、佳代の腕を掴み。
「まったく、まさか呪詛を素人がやっていたとはな……ま、あの時から、まさか、とは思っていたけど」
あの時というのは、初めていじめの主犯格たちから自分を助けてくれた日のことだろう。
佳代はすぐにそう理解し、目を見開く。
――まさか、あの時からわたしが呪詛を仕掛けていたことに気づいていたの?!
それどころか、自分の中の憎悪に気づいていたのではないか。
だが、その驚愕の想いは、護の言葉によって一気に冷め、別のものへとすり替わっていった。
「素人が興味半分で呪詛なんぞに手を出すんじゃない……人を呪わば穴二つ、多少調べたなら、知ってるだろ?」
人を呪わば穴二つ。
他人を呪殺しようとしたなら、その報いで自分の命も失うこととなるため、墓穴が二つ必要となるという成句だ。
たしかに、佳代もその言葉は知っている。
だが、それはどうでもいい。
重要なのは、護がいま口にした言葉だった。
――え?いま、興味半分でって、言った?
今まで、理不尽ないじめに苦しめられてきた。
自分が巻き込まれたくないから、周りのクラスメイトたちは助けてくれなかった。
教師も自分の仕事に手いっぱいで自分の担当生徒が置かれている状況を細かく理解することなんてできていない。
最後の防波堤であるはずの家族も、仕事に追われて自分の救援信号に気づいてくれなかった。
わかってもらうために、あえて警察に補導されるという手段を考えてもみた。
だが、そんなことをしたところで、事態が解決するはずがない。
教師は余計な仕事を増やしたくないから、とことんまでいじめの事実を否定するだろう。
家族も、自分の学費や生活費、受験のため、将来のため、老後のための諸々の費用を貯めておくために仕事に奔走していたいはず。
どうあっても自分を救ってくれる人はいないため、頼れるのは自分だけしかいない。
そんな状況だったが、殺人なんて安易なことをするつもりはないし、考えることもなかった。
――ふざけないでよ!そんなわけないじゃない!!もう呪詛に頼るしかなかった!だからわたしの持ってるオカルトの知識を総動員して、復讐することにしたのに!!
オカルトなら、科学的に証明することは難しい。
何より、自分がやった、という証明をすることはできないはずだ。
そう思って、呪詛に手を出した。
――人を呪わば穴二つ?知ってるよ、そんなことは!
他人を呪えば自分がどうなるか、佳代が知らないはずもない。
だが、自分の理不尽の象徴である彼女たちを地獄のどん底に突き落とすことができるなら、自分の身に何が起きても構わない。
それだけの覚悟をして手を出したというのに、彼は素人が興味半分で手を出したと言った。
彼なら、自分が受けている理不尽をわかってくれるかもしれない、彼とならこの呪詛にも似た憎悪を共有できるかもしれない。
そう思っていた矢先の言葉であるから。
――やっと……やっと理解してくれる人が出てきてくれたと思ったのに!!
裏切られたという想いが、どす黒い憎悪の念となって佳代の心を染め上げる。
――憎い、憎い、にくいニクイニクイにくいニクイにくいニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイ!
これでもかというほど、どす黒い憎悪が、佳代の心を支配していく。
精神が、たった二文字の単語にむしばまれていくと、佳代の体が変化していった。
目が金色に輝き、その瞳孔は縦に細長くなる。
さらに、目元は真っ黒な隈が浮かび、老婆のようなしわが浮かび、その額に二本の鋭く黒い角が伸び、上あごからはこれもまた黒く鋭い犬歯が伸びた。
――生成りになったか……
佳代が変貌したその姿に、護は覚えがあった。
能面に表現されるほど、有名な鬼女の面。
想いを寄せるものへの憎悪と、失意の念によって鬼へと変貌しかけた哀しい女性を描いた逸話から生まれた妖だ。
人から妖に転じるという、滅多に出現することのない存在だが、いままさに、目の前の少女が胸に秘めた憎悪を暴走させ、鬼へと変貌しかけていた。
「ちっ!こうなることだけは避けたかったんだけどな!!」
舌打ちをして、護はポケットにしまっていた呪符を抜き取り、佳代に向かって投げつる。
しかし、佳代に呪符が張り付く前に、呪符は青白い炎に包まれ、灰になってしまった。
その現象に、護は目を見開く。
だが、すぐにその原因に思い至り、佳代の背後へ視線を向けた。
――隠形術のゆらぎ……ということは、あそこに何かいる
その視線の先には、見鬼の才を持つ人間にだけ視認できるわずかな"ゆらぎ"があった。
隠形していたようだが、呪符を焼き払う術を使ったため、ほんのわずかなほころびができてしまったようだ。
「何者だ、あんた。人間、それも普通の術者じゃないな?」
その視線の先に、一人の老人の姿が護の目に映っていた。
長年の経験から、その老人が霊であることにすぐに気づく。
さらに、信じられないほどの長い時間を霊として存在し続けた、妖や神といった人がとうてい到達しえない領域に片足を入れている存在である。
それを直感で感じ取り、警戒心をあらわにして問いかけた。
老人は護にそれを指摘され、にやりと口角を釣り上げるが、老人の胸中を占めていた想いはただ一つ。
――そうでなければ、面白くない
仮にも、千年という時間を超えて巡り合った、宿敵の子孫。
元服を迎えて間もない年頃のこの男が、はたして、往年の自分と渡り合い、勝利したあの男にどれほど迫っているか。
それを図るうえで、まず第一段階を突破したと言っていい。
だが、ここからだ。
ここからが、道摩法師の本領発揮だった。




