第61話 幸福の終わり
「もうすぐ冬が終わるらしいですよ、ノートくん」
「まだまだ全然寒いのにな。ああ、早く春になってくれないかな……」
暦の上では冬も終わろうとしている、雲一つない空模様のこの日。
俺とロズリアは、朝から外に出かけていた。
こうして休日に顔を合わせるのは何週間ぶりのことだろうか。
毎週のように仕事があると噓を吐き、週に一回だけの平日デートで済ませていたので、彼女と丸一日遊ぶのは久しく感じる。
ロズリアには大変悪いことをしていると思っている。
約束を破って、冒険者を辞めるという夢を捨てきれずに修業に明け暮れて。
二人の時間を作れないでいる。
これは完全なる裏切りだ。
本来なら、そういった裏切りは即座に止めるべきなんだろうが、その選択をするつもりはなかった。
夢と呼べないような仕事をして、退屈な日常を送っている自分にとっては、ヒューゲルとエイシャとの修業は生きる活力そのものだ。
ロズリアのために、その時間を切り捨てることはできそうになかった。
幸い、昨日からヒューゲル達は仕事で家を空けていた。
修業相手がいなくなって暇になったことで、この度こうしてゆっくりとロズリアと遊ぶ時間ができたというわけだ。
罪滅ぼしになるかどうかはわからないが、今日だけは目一杯ロズリアを楽しませよう。
そんな気持ちで今日のデートに臨んでいた。
朝早くから王都の観光スポットを回って、昼食には背伸びした高めの店に入って、今はカフェで一休憩取っているところだ。
これから彼女の希望を聞いて、候補地から次の行き場所を決める。
それで夜は予約した高級レストランで食事をする。
今日の予定はこんな感じだ。
「これからどこに行きたいとかある?」
テーブルに肘をつきながら外を眺めているロズリアに投げかける。
道端の雪は既にほとんど溶けていて、水たまりとなって地面を濡らしていた。
こういう光景を見ると、冬ももう終わりなんだなと実感する。
「ノートくんは、今日はこの後、仕事は入っていないのですか?」
「うん、今日は一日休み貰えたから。ずっと遊べるよ」
ロズリアの横顔を見つめながら答える。
すると、彼女は瞳を閉じて言った。
「ちょうど先々週になりますかね。デートが取り止めになった日です。わたくし、ノートくんの仕事場に行ったんですよ」
「――え?」
ロズリアの口から出た言葉に、俺は固まった。
「わたくしはその日は休みでしたから、仕事を頑張っているノートくんにお弁当でも届けようと、サプライズするつもりだったんです」
彼女はそのまま流れるように話していく。
「でも、ノートくんはいませんでした。それどころか、職場自体が休みの日だったんですよ。おかしいですよね……。人が足りなくなって、仕事に出なくちゃいけないからって、デートを断られて。けど、実際ノートくんはその日働いていなくて」
やがてロズリアはゆっくりと目を開いた。
「何かの間違いだと思って、その次の週も確認しましたけど、同じでした。一体、ノートくんは何をしてたんですか? 仕事で忙しいってのは全部噓だったんですか? そんなに わたくしとのデートが嫌だったんですか? 好きな女の子とデートでもしてたんですか?」
彼女は潤んだ瞳で問いかけてきた。
「またどこか行ってしまうつもりなんですか?」
いつかはバレる噓だと思っていた。
彼女を裏切るような願望を抱いていることも、約束を破ったことも。
だけど、こんな形で。こんな風に、全てが崩れることになるとは思わなかった。
今日はロズリアにとって、最高に楽しい日にするつもりだったんだ。
今日だけは。彼女のことだけを考えるって決めていたんだ。
けれども、それは俺の卑劣な噓で、壊されてしまった。
ロズリアを泣かせてしまった。
「ごめん……」
「謝らなくていいですよ……。本当にノートくんが悪いことしているみたいじゃないですか? 違いますよね? 何か致し方ない事情があったんですよね?」
「違うよ。全部、俺が悪いんだ……」
「やめてください、そういうの……。その先は聞きたくないです……」
ロズリアは涙を流しながら、首を振り続ける。
「あれですよね? わたくしがちょっとうざったくなっちゃっただけですよね? 毎週のように会っていたから、少しの間だけ距離を置きたくなっちゃっただけですよね? そうですよね? そうだと言ってください」
「そうじゃない――」
もうやめよう。噓を吐き続けるのは。
約束はとっくに破られているのだ。
今更取り繕って、自分の罪を誤魔化しても手遅れだ。
その場しのぎの噓を言えば、この場は丸く収まるかもしれない。
今日一日はロズリアを楽しませてあげられるかもしれない。
でも、きっとそれは長期的な目で見たら、彼女のためにならなくて。
ロズリアのためにも、俺は全てを打ち明けるべきなのだ。
たとえ俺とロズリアの、友達と恋人同士の中間のような、白黒つけない心地よい関係が今日終わるとわかっていても。
彼女が俺に愛想を尽かし、離れていくとしても。
これまでに吐いてきた噓の全てと、これから先にしようと思っている裏切りの全容を話そう。
そう決めたから――。
「ロズリアに話さなくちゃいけないことがあるんだ。だから、聞いてくれ。俺は――」
「だから、聞かないと――」
子供のように駄々をこねるロズリアに向かって、打ち明けた。
「もう一度、冒険者をやりたいんだ」
ロズリアは俺の顔を覗き、目を見開く。
「ジンさんが死んで、一度は冒険者を辞めようと思った。でも、半年以上経って。気持ちも落ち着いて。自分のことをきちんと見つめ直せるようになって。やっと、自分の夢に気がついたんだ」
今まで溜めていた感情が、堰を切ったかのように溢れ出る。
一度、想いを口にしたら、言葉はもう止まらない。
「ダンジョン探索が。『到達する者』にいた時が。人生で一番楽しかったんだ。毎日が輝いていたんだ。あの夢のような毎日を知ったら、普通の日常になんか戻れない。普通の人みたいな人生を歩んで、人並みの幸せを感じていくなんて嫌だ。だったら、たとえ死ぬとしても、その短い最高の瞬間だけを走っていたい」
あのジンが死んだんだ。
大した実力も持たない俺が冒険者なんか続けても、すぐに命を落とすのがオチだろう。
そんなのは傍から見たら、幸せとは程遠い人生だ。馬鹿げている選択だ。
だけど、夢というのは幸せになりたいから抱くものじゃなくて。
人生の損得を無視してでも叶えたいものだから、夢なのだ。
「ロズリアと会う予定を、噓を吐いてまで断ったのも、全部これが理由だよ。冒険者に復帰するために、ずっと修業をしていたんだ。もう危ないことはしないってロズリアと約束していたのに、破っていたんだ」
「……それが隠していたことの全てなんですか?」
ロズリアがゆっくりと尋ねる。
彼女を傷つけていることにいたたまれなくなって、俯きながら頷いた。
「本当にごめん……」
「はあ……そんなことだったんですか……。なんか心配して損しました」
「はい?」
「わたくしの今までの心配を返して欲しいって言ったんです」
頰を膨らませ、プイッとそっぽを向くロズリア。
その冗談じみた反応にあっけに取られてしまう。
「約束を破ったんだよ? 噓を吐いたんだよ? もっと怒らないの?」
「ノートくんは怒られたいんですか?」
「そういうわけじゃないけど……。俺、真剣な話をしているつもりだったんだけど……」
理解できない状況に頭を搔く。
未だ混乱の最中にいる俺に向かって、ロズリアは人差し指をさす。
「わたくしはてっきりノートくんが職場の女の子と付き合って、自分をポイッとしちゃうのかと思ったんですよ。それなのにノートくんと来たら。修業をするためにデートを断っていただけって。肩透かし感満載ですよ」
肩透かし感満載って……。
ロズリアに見放される覚悟までして、身構えていた俺の方が肩透かし感満載なんだけど……。
「そもそもノートくんが修業のことばっかり考えているのだって、『到達する者』の時のままじゃないですか。元のノートくんに戻っただけですよ。それをもったいぶって言われても、驚きませんから!」
「じゃあ、約束は? もう危ないことはしないってロズリアとした約束を破ろうとしているんだよ?」
「ああ、それですか……」
ロズリアは上を向いて、思い出したかのように言った。
「あれは元々、ノートくんが冒険者を辞めるって言うから、それだったらわたくしも平穏な生活をしたいなって思っただけでして。冒険者を続けたいのなら、いいんじゃないですか? 再開しても?」
「えっ、反対しないの⁉」
「別にしませんよ。わたくしも『到達する者』にいた時が一番楽しかったですから。もう一度冒険をしたい気持ちもわかりますし。今の生活も、普通の恋人同士の日常って感じで嫌いじゃなかったですけどね……」
白けた目で見つめてくるロズリア。
その視線に思わず身を引いてしまう。
「それはなんかごめん……」
「それと、どうして全部事後報告なんですか? 冒険者に復帰するつもりだったこと。修業を始めたこと。なんで相談してくれなかったんですか?」
「いや、それは……」
「こっちだって、冒険者に戻るには色々と準備が必要なんですよ! いきなり仕事だって辞められないじゃないですか!」
「というか、ロズリアまで冒険者に戻ってくれるの?」
「何、当たり前のこと言っているんですか」
ロズリアはさらっとした口調で告げる。
彼女自身はあまり気にも留めていないようだが、当然のようについてきてくれるという のはとても嬉しいことだ。
「なんで、にやけているんですか。文句はまだまだあるんですから!」
どうやら、嬉しさが顔に出ていたようだ。恥ずかしい。
口元を指先でほぐして誤魔化していると、ロズリアはこちらの動揺に気づかないまま、まくし立ててきた。
「そもそもですね、なんですか! 人を誤解させるような、あの話の前振りは! ちょっと泣いちゃったじゃないですか!」
「その誤解に関しては、そっちが勝手に思い違いを……」
「何か言いました?」
「いえ、何も言っていません」
凄みに押されて、背筋が自然と伸びてしまう。
まあ、この件は全面的に俺が悪いので、黙って文句を耐え凌ぐしかない。
「で、冒険者に復帰するって、ノートくんは具体的にどうするつもりだったのですか?」
「具体的な方法ね……」
呟きを口に出しながら、自分の思考を整理してみる。
正直なところ、今後の具体的な方策は、今のところまだ何も考えていない。
ダンジョン探索をするのか。それとも普通の冒険者として地上のモンスターと戦っていくのか。
そもそも、どの街を拠点に冒険者をやっていくのかすら、決まっていない。
もう一度冒険者に戻りたい。その一心で行った決断だ。
ただ今の俺達にとって、一番手っ取り早く冒険者に戻る方法は、王都を拠点に活動していく方法だ。
ピュリフの街から持ってきたお金は、王都での生活でかなり減っていた。
他の街に移るだけなら間に合うが、そこからの生活も考えると心もとない蓄えだ。
冒険者の収入は安定せず、軌道に乗らないとなかなか稼ぐことが難しい。
冒険者時代に築き上げてきた経験もあるが、経験があるからといってそう簡単に上手
くいくものでもない。
そもそも、ダンジョン探索にはダンジョン探索の、地上での冒険者活動には地上での冒険者活動のノウハウが必要なのだ。
『到達する者』での経験はほとんど役に立たないだろう。
俺とロズリアは一応、地上で冒険者をやっていたこともあるが、どちらもお遊びみたいなものだ。勘定に入れるには頼りない。
冒険者に戻っても、蓄えをすり減らし、食べられなくなったとなれば目も当てられない。
「とりあえず、王都で冒険者やってみようか。それである程度稼ぎが安定してきたら、その時に次の方針を決めようよ。他の場所に拠点を移すのでもいいし。そのまま王都で続けていくのでもいいし」
「要するにそれって、後のことは後で考えようってことですよね?」
「そうとも言えるのかな……? 駄目だった?」
「いいんじゃないですか? そういう適当なのって冒険者っぽくて好きですよ」
「冒険者に対しての偏見すごいな……」
まあ、ロズリアの偏見もあながち間違っていないんだけど。
冒険者は皆、適当でいい加減だ。
まともな人間が、自ら危険に飛び込むような、あんな馬鹿げた職業を選ぶわけがない。
俺が笑っていると、ロズリアは一瞬だけ目を見開いて、それから続けて微笑んだ。
「久しぶりに見た気がします。ノートくんが心の底から笑っているの」
「あっ――」
指摘されて、口元に手を当てる。
掌の感触で、口角が上がっていることに気づく。
確かに久しぶりだ。
無意識的に笑顔が出ていたのは、一体いつ以来のことだろう。
「止めなくていいですよ。笑っていた方が、ノートくんらしいですから」
「なんだよ、それ……」
なんか恥ずかしくなって、ロズリアの視線から顔を逸らす。
その恥ずかしさはどこか心地よくて。そこまで嫌じゃなかった。
俺はきっとこの瞬間、楽しかったのだと思う。
ジンが死んで。
『到達する者』が崩壊して。
師匠であったリースまでもが冒険者を辞めてしまって。
でも、そんな過去の出来事を吹き飛ばすくらい。
これから始まる冒険者生活に希望を抱いていた。




