第133話 最強VS挑戦者
「俺が最強? 一体何を言っているんですか?」
俺はスイズの言っている意味がわからなくて、純粋な疑問を口にしてしまう。
彼は俺のことを誰と勘違いしているんだろう?
「おいおい。この期に及んで冷めるようなこと言うなよ」
「冷めるも何も本当のことですよ。俺は大したことない盗賊ですよ。スイズさんがわざわざ相手にするほどの価値なんて――」
「あんたが大したことない盗賊? だったら、この世の盗賊全員が大したことなくなっちまうぜ?」
スイズは真っ暗な天井を仰ぎながら告げた。
「『到達する者』の盗賊、ノート・アスロン。ダンジョン攻略では階層が進むにつれ、盗賊という戦闘職は火力不足で役に立たなくなるとされている。そんな中で、ただ一人ダンジョン攻略の最先端を行く男のあんたが?」
「それは――」
確かに俺は『到達する者』の一員として、ダンジョンの深層に足を踏み入れているが、決して俺が強いわけじゃない。
モンスターを倒すのはほぼ他のメンバーに任せているし、唯一ダンジョンのモンスターに与えられる有効打の《魔法掌底》もエリンの魔法のおこぼれをもらってに過ぎない。
「俺の力なんかじゃないですよ」
「は? よく言うぜ。ダンジョン20階層において、魔導士と二人遭難し、そこから生還したという伝説も残しながら?」
あれが伝説? 20階層でのエリンとの遭難はそんな聞こえのいい出来事じゃなかった。
ただ転移罠を踏んで、未知の階層に飛ばされるというポカをやっただけだし、あの階層から生き残れたのも単に運が良かっただけである。
何かが掛け違っていれば簡単にモンスターに殺されていただろうし、魔法を使えるエリンがいなければモンスターを倒すことすらできなかった。
「色々と俺のことを調べているみたいですけど、過大評価しているだけだと思いますよ」
「自分のことを過小評価しているのはあんたの方だろ? 言っておくけど、オレはあんたのことを調べたわけでもないぜ。元々知っていたんだ。一般人には知名度がそこまでないかもしれねえが、盗賊の中ではノート・アスロンは立派な有名人だからな」
「俺が有名人?」
「そうだ。元々ダンジョン攻略で活躍している盗賊がいるって時点で話題にはなっていたが、あんたを一躍有名人に押し上げたのは七賢選抜でのあの出来事だ。七賢選抜と言えば、各国の要人も集まる世界的に重要な祭典。当然警備も馬鹿みたいに厳重だ。そんな中、祭典の主役である次期七賢者を連れ去った盗賊がいるとあらば、有名にならない方がおかしいだろ」
確かに七賢選抜で観衆の目がある中エリンを連れ去ったが、あのときは無我夢中で行動していただけである。
今思えばだいぶ無茶な行いだったし、同じようなことがもう一度できるかって言われたら怪しいところだ。
「でも、スイズさんの方が有名じゃないですか。盗賊としても五本の指には入っているって――」
「どうだろうな。確かに五本の指に入っているなんて言われることもあるが、あんたの功績には勝てねえよ。フィロン潜入作戦での活躍も悪鬼グルーシャルの討伐も、ダンジョン攻略の功績に比べたら大したことねえ。確実にあんたの方が格上だ」
自分がスイズより格上? 一体なんの冗談なのだろう?
スイズの言葉に戸惑いを隠せなかった。
「あんたは自覚がないかもしれないが、ノート・アスロンという盗賊は既にそういう域に達しているんだよ。戦闘スキルを持っていないにもかかわらず、盗賊として最高峰の位置にいる化け物。そんな存在と戦える機会が舞い込んでくるとあらば、乗らないわけないだろ?」
これが噂の独り歩きというやつなのだろうか?
『到達する者』のみんなに訊いても同じように答えると思う。俺は冒険者として決して強い方ではないと。
「俺はスイズさんの期待に応えられるほど強くないですから。噂を鵜呑みにしてもがっかりするだけですよ」
「そうか? あんたは期待通りの人物だと思っているけどな。さっきの広場での戦闘でだって、スピードでならオレとタメを張っていただろ? それにオレの動きだってきちんと見切っていた。違うか?」
どうやらスイズは勘違いを改める気はなさそうだ。
だからといって、俺がスイズに構っている時間はない。一刻も早くネメを助けにいかなければならないのだ。
「スイズさんが俺と戦いたいのはわかりました。戦ってもいいです。だけど、今じゃなくてもいいじゃないですか。ネメを助けてからでも――」
「おいおい、そんな冷めること言うなよ。なんの緊張感もない模擬戦で満足しろって? そんなの何も面白くないだろ。仲間の命運がかかった重要な局面での戦い。こういう状況じゃなきゃ、あんたの全力は引き出せないだろ?」
「狂ってますよ……」
俺だってダンジョン攻略に命を懸ける身。
人のことは言えないかもしれないが、それでもスイズの、面白さですべての行動原理を決める生き方は理解できない。
好き勝手生きるのは悪いことではないが、それに巻き込まれる立場としては勘弁してほしいところだ。
「狂ってる? 褒め言葉として受け取ればいいのか?」
スイズは悪びれもせず笑いながら答える。
確かにスイズ・マイランは一流の盗賊だ。彼のおかげで俺達が監視されていることにも気づくことができたし、敵の本拠地まで潜り込むこともできた。
だけど、最後の最後で反旗を翻されてしまえばすべて台無しだ。
俺は彼に協力を仰いだことを後悔していた。
「こんなことなら、俺達だけでネメを取り返すことにすれば良かったですよ」
「そうつれないこと言うなって。フーゲの奴に協力しているって言っても、襲撃のタイミングや作戦については一切教えていねえ。奴はオレの扱い方をよくわかっているからな。オレに自由にやらせてくれるんだ」
「だから、どうしたっていうんです?」
「簡単な話だ。あんたがオレを倒せば作戦は滞りなく進められる。逆にあんたが負ければお仲間は取り戻せない。どうだ? 全力で挑みがいのある戦いだろ?」
「本当に性格悪いですね……」
作戦成功の目を完全には潰さないことで、俺に戦いを強要する。なんとも狡猾で、非常に有効な一手だ。
ここまで来たら引き返すことができない。
スイズをここで見逃せば作戦の全貌をフーゲに伝えられてしまうだろうし、再度別の機会にネメを取り返すというのは難しくなってしまう。
ネメを連れ戻すなら、今このとき。俺がフーゲを打ち破る他ない。
「こういうの苦手なんですよ……」
仲間の命運がかかった一対一の決闘。
記憶に残るのは首切りとジンの暗殺を賭けた戦いだろうか?
あのときはリースの援護がなければ、首切りに敗北する形となっていた。
次に記憶に残っている決闘といえば、フォースとの『到達する者』再加入の是非を問う戦いだった。
あの戦いではフォースに《魔法掌底》を耐えられ、彼に認められはしたものの、勝敗としては完全な負けであった。
俺は別に強いわけではない。自分でも自覚しているつもりだ。
しかも俺は、こういう決闘においては事前の準備をしっかりするタイプの人間だ。
対策ありきで格上と一時的に渡り合うことができるだけで、なんの準備もなければ首切りやフォースには太刀打ちすらできなかっただろう。
それにもかかわらず、今回は咄嗟に発生した戦いという完全に苦手なタイプの戦闘ときた。
「やっとやる気になったか。名が通ってくると、なかなか格上と戦う機会ってのはなくてな。久々に若い頃の気持ちを思い出してわくわくしてくるぜ」
残念なことに相手に慢心はない。むしろ挑戦者として、心を滾らせている状態。
なんで本来俺より格上のはずのスイズが、挑戦者の気分で戦うんだよ。どう考えても挑戦するのは俺の方だ。
「こっちは最悪の気分ですよ」
ため息を吐きながら両手を前に。ダガーは持たない。徒手空拳の構えだ。
やるしかないのはわかっている。たとえ分が悪い戦いでも、ネメのために勝利を拾わなければならない。
「容赦はしませんからね」
後手に回るつもりはなかった。先行早々、《絶影》にて駆け出した。
「おいおい、開始の合図も待ってくれねえのかよ」
スイズも《瞬光》を起動。詰めた距離を一瞬にて引き剥がしてきた。
彼の手の内はわからない。だけど、俺が《絶影》をベースに戦うように、彼も《瞬光》を起点に速さで仕掛けてくるタイプの戦い方なのだろう。
《瞬光》が《絶影》より勝っている点は純粋な直線距離での速さだ。
逆に《絶影》が勝っているのは曲線的な動き。《瞬光》は方向転換時にどうしても減速してしまうが、《絶影》はそのロスが限りなくゼロに近い。
だから真っ直ぐは追わない。前後左右、三次元的に動いて、敵を翻弄する。
「おっ、突っ込んでは来ないか。まあ、得物がある相手に純粋な近接戦闘は挑みたくないよな」
スイズは既にダガーを抜いている。そのまま刃を一本、二本と投げていった。
「投げもいける感じですか」
「ダガー使いなら当然だな。って言っても、あんたもちゃっかり避けているじゃないか」
「投擲術なら師匠が得意としていましたから。ある程度は見慣れているんですよ」
「じゃあ、これはどうだ?」
今度は懐から赤いダガーを出した。先ほど投げていたダガーは青みがかった金属の色をしていたため、別物のようだ。何かの魔道具性能を持つものか?
「警戒はしているようだな。だが、やられてくれるなよ」
――瞬間、耳元で紫電が走った。
なんだ? 何が起きた?
目で追えていなかったが、今のに当たっていたら一発でやられていた。当たらなかったのは完全に偶然だ。
「ギリギリ反射で避けたか。この魔道具は魔力を通すことで、アンカーとの間に雷魔法を通すものだ。アンカーはさっき投げたダガーだな」
後方の柱に刺さっていた青色のダガーに目を向ける。
確かに雷が走っていたのは、スイズの持つダガーと青色のダガーの直線上だった。
「もちろんアンカーは何本もあるからな。当たらないように気をつけろよ」
「わざわざ魔道具の性能を教えてくれるなんて優しいですね」
「いや、この魔道具は相手に性能がバレてからの方が駆け引きが面白いんだ。さあ、行くぞ」
スイズは《瞬光》でジグザクと軌道を描いていく。
そのうちにもアンカーとなるダガーが撃ち出されていく音が聞こえるが、柱にいくつか灯りがともされただけの地下室じゃ正確な位置までは把握できない。
アンカーとスイズの直線上に立っちゃいけないことはわかっているが、アンカーの位置も把握できていない状況で、スイズは《瞬光》で位置を変えるときた。
確かにこれは魔道具の能力がわかるほど、頭を使って立ち回らなければならない。
「とりあえずは止まっちゃ駄目だな」
スイズが俺に雷魔法をぶち当てるには、アンカーとの直線上に俺を入れなければならない。
ということは、逆に俺の位置を捉え切らなければ、雷魔法を当てることはできないということだ。
《絶影》で絶えず動き回ることで俺の位置を掴ませず、その間に紫電の発生場所を観察することでアンカーの位置を把握する。
「四――いや、五本か?」
入り口付近に一つ、その右に一つ。後は側面に二つと、奥に一つといったところか。
「おっと、もう見破られたか。ったく、戦いにくいっちゃないねえ」
スイズは側面のアンカーに近づきながら紫電を展開していく。
と、ここでアンカーの投擲。どうやら壁に刺さっていたアンカーを抜いて、位置をずらしたようだ。
「また覚え直しですか」
アンカーはダガーのため、抜き差しできるのはわかるが、位置を変えながら戦われるとなると難易度が高くなる。
でも、新しいアンカーを投げなかったということは、アンカーの総数は全部で五本。
いや、決めつけは良くない。相手は一流の盗賊だ。ブラフでもう一本隠し持っている可能性もあり得る。
先ほど投げたアンカーの位置は大まかにわかっている。他のアンカーの位置を移動させられる前に叩きたい。
《絶影》で距離を詰めようとすると、スイズは横に逃げた。
すかさず追おうとすると、スイズが反転をした。
「こういうこともできるんだぜ?」
またしても目の前で紫電が。入り口近くのアンカーとの伝導だ。
一旦は躱すことができたが、今度は持続した紫電だった。
スイズの軌道とともに電熱線も動いていき、その中間にある柱を切り取っていった。
「それは反則じゃないですか」
《蟲型歩足》を即座に発動し、光速で過ぎ行く電熱線の下になんとか滑り込んだ。
「当たったら即死してましたよ」
「でも、避けただろ」
「偶々反応できただけですよ」
「でも、これは駄目だな」
崩れゆく柱に目を移しながら、スイズが笑う。
「使いまくっていたら、この部屋が倒壊しちまう」
「そうすれば二人とも瓦礫の下ですね」
「だな。いざというときにしか使わねえことにするか」
「できれば今後一切使わないでほしいんですけどね」
「そう温存して勝てる相手じゃねえだろ。あんたは」
今度は柱を蹴りながら、《瞬光》で距離を詰めてくるスイズ。
こちらとしても紫電が行き交う中戦うよりは、インファイトの方がやりやすい。
だからといって、両者真っ向からぶつかるのはどちらも避けたいところだ。
《絶影》も《瞬光》も両者ともに人類の最速と呼ぶに相応しいアーツである。
自分がアーツを発動している間は移り変わる周囲の光景を追うのも難しいところがあるのに、そこに相手のアーツの速度も相まって正面から迫るとあらば、インパクトの瞬間を見極められずに激突する可能性もある。
イメージとしてはチキンレースだ。直前まで《絶影》で接近し、得意とする曲線的な動きで軌道を変え、敵の横か背後に抜ける。
スイズもそれを読んで途中で軌道を変えてくるはずだから、進路を変えられたら自分も有利なポジションに動き直す。
俺が《絶影》で横に逸れた瞬間、スイズも《瞬光》を使って反対側に弾き跳んだ。
最初の接近では、運よくお互い別々の方向に進路を取ったようだ。
もうお互いに動体視力が追いついていない。勘も入り交じった読み合いの戦いだ。
次の接近では運悪く、二人とも同じ方向に逸れてしまった。よって、スイズの刃が届きうる距離に。
「《柄打》」
顎に向かって振り上げられたダガーを、俺もダガーを抜いて迎撃に出ようかと思ったが、なんとか途中で思いとどまった。
あのダガーは魔道具だ。アンカーとの間に雷魔法を発生させることができるということは、刃に紫電を纏わせることも可能なんじゃないだろうか。
そこまで考えが至ったのは身体を反らして、刃の軌道を無理やり避けた後のことだった。
無茶な体勢を取ってしまったため、《絶影》の足が止まってしまう。
敵はそんな隙を見逃す相手じゃない。
「《縮地》」
強引にアーツを発動して逃げるのではなく、逆に距離を詰め、そのままぶつかりにいく。
決してタックルとは呼べない不格好な衝突も、スイズにとっては予想外の動きだったようだ。
ダガーで防ぐことも間に合わず、両者ともに地面に叩きつけられる。
二人の足が止まった。今が最大のチャンスだ。
俺は即座に起き上がるも、同タイミングでスイズも起き上がっていた。どうやらこちらと同じことを考えていたようだ。
「《幽刃》」
「《掌底》っ!」
スイズの手にするダガーの軌道が二つに分かれるも、俺はその手ごと打ち払う。
得物の長さの利点がなくなった完全なるインレンジ。この瞬間なら素手でもやり合える。
スイズの繰り出してくる剣筋を《掌底》や《流線回避》を駆使しながら捌いていく。
向こうの攻撃を食らうことはないが、こちらが《掌底》をクリーンヒットさせることも難しい。
「ほらよ!」
この間合いでは不利だと思ったのか、スイズは赤いダガーに魔力を込め、アンカーとの間に紫電を発生させる。
これには俺もたまらずひるんでしまい、その隙を縫われて鳩尾に蹴りが当たってしまった。
呼吸もできないまま、なんとかして距離を取った。両者ともに仕切り直しの形だ。
スイズは手の中でダガーを回しながら口を開いた。
「おいおい、ノート・アスロン。いい加減にしてくれよ」
「いい加減にしてほしいのはこちらですけどね。さっさと倒されてくださいよ」
「倒されてくださいだ? オレを倒す気ねえのはあんたの方だろ?」
スイズの言葉にはどこか怒りの感情が込められていた。
「あんたいつになったら、本気出すんだ?」
「こっちは常に本気で戦っていますよ。これが本気に感じないんだったら、単に俺に期待通りの実力がなかったってだけですよ」
「そうじゃねえだろ。あんたはまだ本気を出してねえ」
スイズはダガーを突き付けて睨んできた。
「確かに本気で攻撃は避けているんだろうよ。でも、オレを倒そうっていう気概のある攻撃はまったくねえ」
「それは俺の攻撃力不足なだけですよ」
「違げえだろ。あんたはダンジョンのモンスターともやり合える冒険者だ。攻撃手段がないわけじゃねえ。ただ温存しているだけだ。違うか?」
「……」
スイズの指摘はもっともだった。
確かに《魔法掌底》を使えば、戦いの局面を進めることはできていたかもしれない。
だけど、これはネメを奪還するために取っておかなければならない切り札だ。
それをこんな想定外の戦闘で切るわけにはいかない。
そんなこちらの心の内を見透かしていたのか、スイズは言う。
「オレも舐められたものだ。こっちは魔道具も全開に使って、全力で戦っているっていうのに」
「別に舐めているわけじゃ――」
「じゃなかったら、どうして使わない? 仲間を助けたいからか? だったら、ここで全部使い果たして、オレを倒して先に進めよ」
「スイズさんを倒しても、その先でネメ姉さんを取り返せなければ意味がないじゃないですか?」
「おお、オレに勝った後のことも考えてるときた。さすがは最強の盗賊。いいご身分だなぁ」
スイズは大きな笑い声をあげた。
そのまま大きく目を開くと、部屋いっぱいに響かせるように叫んだ。
「驕るなよ、最強。盗賊スイズ・マイランは温存して勝てるほど、甘い相手じゃねえぞ」
「――っ」
驕りか。自分では認識していなかったが、確かにそんな気持ちが心の奥底にはあったのかもしれない。
スイズは全力で俺に向き合っている。だけど、俺はというとネメを取り返すことを考えながらスイズと戦っている状況だ。
相手を最強の盗賊と認めながらも、どこかになんとかなるんじゃないだろうかって気持ちがあったのも事実だ。
だけど、彼の言う通り、スイズ・マイランは温存して勝てる相手ではない。
俺の全身全霊を費やしても勝てないかもしれない強敵だ。
俺は挑戦者なのだ。決して忘れるな。たとえ相手が俺に挑戦しているつもりでも、その事実は変わらない。
「そうですね。いい加減にした方がいいのは俺の方だったかもしれません……」
間違っていたのは俺の方だ。エリンに託されたすべてのスペルをもって、この強敵を打ち倒す。
俺のやることはただそれだけだ。後先なんて考えていられない。
「ありがとうございます。おかげで目が覚めました」
そう口にしながら、一歩、二歩と歩いていく。
《絶影》は使わない。ゆっくりとした、ただの歩行としての足取り。
この罠魔法を使えば勝負は一瞬で決してしまう。
想定通り上手く嵌ればこちらの勝ち。逆に対処されれば、その時点で切り札を失ってこちらの負け。
決着は非常にシンプルだ。この一撃ですべてが決まる。
大事なのは距離だ。目測を誤るな。俺には【地図化】のスキルがある。距離だけは正確に把握できるはずだ。
できる限り平静を装いながら、距離を詰めていく。
スイズも《絶影》で接近したなら即座に《瞬光》を発動して回避行動に移ったであろうが、じわじわと歩み寄ってくるこちらにどう対処すればいいのか迷っているようだった。
もしくは俺の《絶影》の発動タイミングで、《瞬光》を発動し逃げ切れる自信があったのかもしれない。
だけど、俺の次なる《魔法掌底》は《絶影》の速度をも超える。
――ちょうど5mの間合いに入った。
その瞬間、俺は《罠解除》を起動した。
即座にスイズの背中が視界に映る。
プロテクトを解除したのは手のひらにある攻撃魔法陣ではない。手の甲にある魔法陣だ。
そこに仕掛けられた罠魔法は忌々しい因縁の魔法――転移罠。
それをわざと発動させ、スイズの背後に転移。すかさず手のひらに用意された魔法陣を起動させる。
「《縛式――》」
発動したのは捕縛型の魔法だった。光の帯が樹状に広がりながら、瞬く間に展開。
さすがのスイズもこの奇襲には完全に面食らったようで、反応が遅れてしまった。
帯が身体を覆うとともに引き締まり、彼の身体を包んでいく。
「――は?」
拘束魔法はスイズを完全に捕らえて、離さない形に展開されていた。
これが作戦の前にエリンに込めてもらった、人を殺さないための対人戦用のとっておきスペルであった。
「なんだ、この拘束魔法? 魔道具か?」
ここまで手足や関節に絡まってしまえば、スイズがどんな手を使おうとも自力で脱出するのは不可能だ。
後はこのスペルが自然と解けるのを待つほかない。
「エリンのスペルですよ。動けないでしょう? さすがに俺の勝ちってことでいいですよね」
「どうしてあの嬢ちゃんの魔法が? いや、そうじゃねえ。どうしていきなり背後に――」
どうやらスイズは俺が瞬間移動した事実に気づいていないみたいだった。
《絶影》を目で追うには線での動きを捉えるのがコツである。
だから、《絶影》の動きに慣れてしまうと、転移による瞬間移動に対処しづらくなってしまうのだ。
「元々は転移罠っていうダンジョン産の罠魔法なんですよ。それを空間魔法が使えるエリンが改良して、術者が特定の場所に転移できる罠魔法に変えてくれたんです」
この罠魔法の転移できる場所は、5m先前方も定められているとのことだった。
だから、俺は歩いて、スイズの背後から5mの場所に自分の位置を調節する必要があった。
後は転移罠を起動し、即座に振り返って、手のひらの束縛魔法を展開させるだけだった。
「なるほど。瞬間移動か。全然なるほどじゃねえが、あんたくらいの存在なら使いこなして当然か」
「ほとんどエリンの功績ですけどね」
手袋に《魔法掌底》用以外の魔法をセットするのもエリンの案だった。
魔法術式が付与できる布で作られた手袋は当然、手のひらと手の甲の部分の生地があり、今までは《魔法掌底》で使えるようにと手のひらの生地しか使っていなかった。
しかし、今回《転送門》の魔法陣をセットして作戦に挑まなくてはならず、《転送門》に手のひらの枠を使ってしまうと、《魔法掌底》が一回しか使えなくなってしまうという問題が発生してしまった。
《魔法掌底》は俺の生命線とも言えるアーツなので、その使用回数が半分になってしまうとなると、大幅な戦力ダウンは否めない。
ということで、《魔法掌底》には使えない手の甲の生地に魔法陣を描くことにしたのだ。
俺の右の手の甲には《転送門》。左手の甲には転移罠。
右の手のひらには比較的威力のある攻撃魔法。そして、左の手のひらには捕縛魔法といった組み合わせだった。
「ぶっつけ本番だったけど、なんとかなりましたね……。その代わりここからだいぶきつくなりますけど……」
元々はこの転移罠だって、こうして戦闘に活かすためにセットしてもらったわけじゃない。
本来はネメが閉じ込められている部屋の近くまで行き、そこで《転移罠》を起動。
部屋の中に転移し、ネメを連れ戻すという使い方をするつもりだったのだ。
それをスイズとの戦闘に無理やり使わされてしまった。
温存したいところだったが、相手が最強の盗賊ときた。こればかりは仕方ない。
「本当にどうやってネメの下まで行きましょうね。警備の兵士はたくさんいますし。割とこれ無理じゃないですか?」
「さあな。オレに訊かれても困る。自分は負けた身だ。これ以上は邪魔しねえよ」
「負けは素直に認めてくれるんですね」
「オレも往生際が悪いわけじゃねえからな。完敗だよ。オレの負けだ」
「それにしては清々しい顔してますね」
「当たり前だろ? こんなにも面白え戦いができたんだからな。大満足だ」
「裏切って戦いを挑んできて、そんでもって負けて勝手に満足してってずるいですね」
「そういうなよ。あんたも面白かっただろ?」
スイズの少年のような純粋な瞳に、俺はため息を吐いて答えた。
「まあ、そこそこは。こんな経験二度とはごめんですけど」
「あんたも素直じゃないなぁ」
「スイズさんが欲望に素直すぎるんですよ」




