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第129話 聖女候補生、ネメ・パージン

 ネメ・パージンは軟禁されているサレングレ大教会の一室でベッドに腰をかけていた。

 部屋から一歩も出ることができないとあればやることもない。

 ダンジョン攻略に明け暮れていた日々も遠い昔のことのように感じていた。


 どうして自分がビスリルにいるのか? 自分がこの街に戻るのはダンジョン制覇を終えた後だと決めていたにもかかわらず。

 世の中みんな勝手だ。アルシアもフーゲ枢機卿も、神様だって。

 でも、それは彼女達から見た自分も同じようなものなのかもしれない。


 そうして、彼女が白昼夢として見ていたのは、彼女が『到達する者(アライバーズ)』に来るよりもずっと前の出来事。

さらに言うなら、幼少期からの思い出であった。




 ネメが生まれたのはビスリルの街外れにある、とある貧民街であったらしい。

 らしいというのも、物心がついたときには既にセシナ教の教会に預けられていたからだ。


 ビスリルの街では両親を失ったり、訳あって手放された子供が教会に引き取られるシステムがある。

 自分もそのどちらだかはわからないが、そういう親がいない子供の一人であった。


 博愛主義のセシナ教の教えの下、ビスリルが子供達への救済に力を入れているというのもあるが、もちろんそれだけが理由ではない。

 アイファンではスキルの研究に力を入れており、贈与の儀で狙ったスキルを得る研究というのも行われていた。


 神様はどのように分け与えるスキルを決めているのか?

 その謎には三つの仮説が立てられていた。


 一つ目は人として生を受けた時点で、十五歳になったときに得られるスキルは決まっているというもの。

 神様に生を授かった時点でその人物のスキルは定まっており、贈与の儀でそれが表に現れるようになるだけなのではないかという仮説だ。


 二つ目は後天的な経験によって定められるというもの。

 十五歳までに伸ばした能力や得られた適性を基に、神様が分け与えるスキルを決めているのではないかという考えだ。


 そして、三つ目の仮説は贈与の儀を受けた時点で、完全にランダムでスキルが定められるというもの。

 要は贈与の儀をくじ引きみたいなものだと捉える考えだ。


 魔法に精通している者は魔術関連のスキルが得られやすかったり、セシナ教を信仰している者は神聖術系のスキルが得られやすかったりと、現在ではスキルにある程度の後天的な要素が関わっているのは自明のこととなっている。

 だからといって、完全にコントロールできるかと言われるとそうではなく、外れ値的な要素もかなりの確率で確認されている。


 だから、今のアイファンでは一つ目の仮説と二つ目の仮説の組み合わせか、二つ目の仮説と三つ目の仮説の組み合わせ。もしくは三つの仮説がすべて合わさって、神様は人に分け与えるスキルを決めているのではないかという考え方が主流になっている。

 そういった研究を進める意味でも、誰にどのようなスキルが分け与えられるかといった情報のサンプル数は重要であり、ましてや生活環境を把握したり、調節することができる親のいない子供というのは非常に利用価値のある存在であった。


 ネメが割り振られたのは、そんな中でも【聖女権能】というスキルを狙って出そうという子供のグループであった。

 アイファンには教皇という立場とは別に、聖女というものがある。

 教皇が国のトップとするならば、聖女はいわば国の象徴みたいなものだ。


 元々は数百年前にアイファン中に広がった戦火を嘆き、平和な世を創り出そうと働きかけた一人の少女に由来するもので、彼女もまた【聖女権能】というスキルを持っていたらしい。

 以来、アイファンでは【聖女権能】を持つ者を平和の象徴である聖女として祀り上げている。


 もちろん【聖女権能】はレア度EXのスキルであり、おいそれと所持者が現れるものでもない。

【聖女権能】を持つ者がいない時期は、その立場に相応しいとされる人物が聖女代行として平和の象徴を担っていた。


 だが、聖女代行は所詮代行でしかなく、【聖女権能】を持つ真の聖女までの繋ぎのような存在だ。

 聖女がいる時代と聖女代行の時代とでは国の活気も違うらしく、アイファンは常に真の聖女を求めていた。


 ネメがいた教会には百人近い子供が集められていた。

 上は十四歳、下は四、五歳と様々な年代の子供がいて、同い年の子供が大体十人ほどいる環境だった。


【聖女権能】のスキルは女児にしか発現せず、また初代聖女のような敬虔なセシナ教の信徒が得られるのではないかと推測されていた。

 従って、教会にいる子供は一様に女子ばかりで、聖女候補生と呼ばれ、皆慎ましく慈愛に満ちた生活を行うように心掛けさせられていた。


 スキルを得るために育てられると言われれば聞こえは悪いが、中での生活はそこまで悪いものではない。

 基本的にセシナ教は博愛の精神が基になっている。

 セシナ教に従う聖女候補生としての生活も規則は多いものの、どれも理不尽なものはなかった。


 育てのシスター達も子供達に愛を持って接するし、子供達もそんなシスター達を愛していた。

 そして、子供達にとっては平和の象徴である聖女は憧れの存在であり、聖女になるべく聖女候補生として日々慎ましい生活を送っていた。


 この教会には外と違って、同年代の子供によるいじめや喧嘩もない。

 おやつの取り合いにもならなければ、おもちゃが少なかったら順番を決めて、皆が平等に遊べるように心掛ける。

 さらには皆が譲り合い、最初に遊ぶ人間がいなくなるほどの平和ぶりであった。


 そんな中ネメ・パージンという少女の印象を、当時を知るものに訊けば、皆口を揃えてこう言うだろう。


 ――彼女は問題児であったと。




「いいんですか? ありがとうです!」


 そう言って、幼きネメは隣に座っていた子供からフルーツの乗ったタルトをもらい受けていた。

 食後のおやつの時間、隣の女の子の皿に残っていたデザートをよだれを垂らして眺めていたところ、「そんなに食べたいんだったら、あげようか?」と彼女が申し出てくれたのである。


 聖女候補生として模範的な生活を心掛けている彼女達にとって、お腹の空いた人に食べ物を分け与えるなんてことは当然の行いであり、隣の女の子もまた尊敬する聖女になるべくネメに残ったタルトを分け与えることにしたのだろう。


 対するネメも、おやつを分け与えられるのはこれが初めてではない。

 自分が物欲しそうに眺めれば皆がおやつを分けてくれることがわかっており、毎日のように行っている行為であった。

 口の周りに食べかすをつけながらタルトを頬張っていたところ、背後に気配が現れる。


「ネメちゃーん、また人のお菓子食べてるの?」


 慌てて振り向くと、そこには見知った少女の姿が。ネメと同年代である幼き頃のアルシアであった。


「駄目です! このタルトはもうネメのものです!」


 ネメは食べかけのタルトを守るように抱え込むと、口の中のものを飲み込んで言った。

 アルシアは食欲にまみれる聖女候補生にあるまじき自分の姿を見ながら、腰に両手を当てて言う。


「あのね! ネメちゃんのお菓子を取ろうとしたわけじゃないから!」


「だったら、なんの用です?」


「ネメちゃんが人のお菓子を取ってないか心配で見に来たの。そしたら、案の定取っているじゃない」


「取っているなんて人聞きが悪いです! ネメは譲ってもらっただけです!」


 ネメにお菓子を分け与えた人物はこくりこくりと頷いていた。

 もちろんネメが強引に奪ったわけではないことをアルシアは知っていたが、同時に人の善意に付け込んで譲り受けたことも知っていたのだろう。

 外の世界では日常茶飯事で起こっているような自分のずるい働きも、この教会の中では滅多に見かけないから目立ってしまう。


「はい、ネメちゃんにあげた分のお菓子」


 アルシアはネメから目を離すと、先ほどネメにお菓子を分け与えた女の子に、取っておいた自身のタルトを渡していた。


「ありがとう、アルちゃん」


 タルトをもらった女の子が感謝の言葉を述べる。

 アルシアは恥ずかしそうにはにかんだ。


「いいよ、気にしないで。セシナ教徒として当然のことをしたまでだから」


「やっぱりアルちゃんはすごいね。優しくて本当の聖女様みたい」


「私なんてまだまだだよ」


 アルシアは謙虚な姿勢を見せるものの、候補生を育てるシスターや同年代の子供達の誰しもが、彼女こそが次なる聖女に相応しいと考えていた。

 温和な性格で、他人に気配りができ、誰に対しても分け隔てなく接する。


 決してネメのような者も見捨てず、一友人として親交を深めながらも、彼女のためを思って悪いところは正そうとする。

 それでいて学業や神聖術の成績はトップなのだから、次期聖女と謳われるのも当然のことだった。

 しかも、その本人は自身の評判を鼻にかけることがないと言うのだから、文句のつけようがなかった。


「他の人にあげるんだったら、もう一個ネメにもくださいです!」


 そんな彼女と仲の良いネメはというと、聖女候補生に相応しくない強欲っぷりを見せていた。

 さすがのアルシアもこれには呆れる気持ちを隠せない。


「いいの? そんなんじゃ聖女様になれないよ?」


「わかってるです!」


「だったら、どうして――」


「ネメは聖女様になれなくていいです!」


 胸を張りながら、ネメは口を開く。


「ネメは今の生活で満足しているです! お菓子がたくさん食べられて、みんな優しくて、お菓子もたくさん分けてくれて。だから、聖女様になる必要なんかないです!」


「それってほとんどお菓子食べたいって言ってるようなものじゃ……」


 先ほどお菓子を分けてくれた少女がぼやく。

 ネメ達がこうしてご飯に困ることがないのも、次期聖女に育て上げるという名目があるからである。

 それにもかかわらず、聖女を目指さない聖女候補生がいるとあらば問題なわけで、ネメが問題児とされている一因であった。

 開き直るネメにアルシアが注意を促す。


「駄目だよ。そんなこと言っちゃ」


「どうしてです?」


「シスターに怒られちゃうよ」


「それは大丈夫です! 今日のお祈りの時間にもう怒られたです!」


「えっ……」


 ネメの返答にアルシアや隣にいた少女は戸惑っているようだった。


「ネメが必死に神様にお菓子がいっぱい食べたいですってお願いしてたら、何故か怒られたです!」


「お祈りっていうのは、みんなが平和に暮らせますようにだとか、貧しい人達がお腹を空かせないようにとか、そういうことを祈るものであって、自分の欲のために祈ってたらそれは怒られるのも当たり前だよ!」


「そういうものです?」


 シスターの説教すら響かないネメにとって、アルシアの説教は暖簾に腕押しみたいなものだった。

 こういったネメの態度は教会にいる者なら誰しもが知っていることだ。

 それでも追い出されたりしないのは、ここが他者への施しを推奨するセシナ教の教会だからともいえた。

 まったく反省しないネメにこのままではまずいと思ったのか、アルシアは注意の方向性を変えてくる。


「というか、そんなにお菓子ばっかり食べてると太っちゃうよ」


「……はっ!」


 今さら気づいたとばかりに、ネメはぱっと目を見開く。

 聖女になれないことより、太ることの方がネメにとって恐ろしいことであった。そんな考えを持つ聖女候補生はネメくらいのものだ。


「いやいや、ネメはまだ若いからいくら食べても太らないです」


「そう? ほっぺのところとか、みんなよりぷにぷにしてると思うけど……」


「それはネメがドワーフだからです! ……多分」


 そう付け加えたのは、自分の体重が年々増加していたからだ。

 成長するにつれて体重が増えているだけだと思うのだが、なかなか身長が伸びないためそれも怪しいところである。


「多分って言うなら、人からおやつ取らないようにしないとね」


 アルシアが普段からの生活を改めるようにネメに言う。

 だけど、この程度で反省するなら、ネメも問題児とは言われないわけで――。


「おやつは別腹です! おやつをたくさん食べる分、お野菜を食べないダイエットをするです!」


 反省どころか、逆効果とも思える結論を導き出していたのであった。

 こうして自分が好き勝手言えるのも、この教会が平和な証だろう。

 幼い頃のネメは聖女候補生としての生活に幸せを感じていたのであった。


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