第125話 ネメ・パージンと再会
ネメ・パージンが目を覚ますと、視界に広がっていたのは簡素な木の天井だった。
見知らぬ光景を不思議に思って起き上がろうとするも、身体が上手く動かない。首を曲げて自分の身体を見てみると、光の鎖で手足もろとも縛られている。
「なんです、これ……」
悪い夢か何かだろうか? ネメは咄嗟にそう思った。
確か起きる前も悪夢を見ていた気がする。
その日は休みで『到達する者』のパーティーハウスでゆったりとうたた寝をしていると、急に一階で物音がして飛び起きたのだ。
そして、気になって扉を開くと、そこには見知った顔が――。
「やっと目を覚ましましたか」
その声にビクッと身体を震わせる。
どこかで聞いたことのある声。声のした方向に顔を向けると、目を疑うような人物の顔があった。
「……フーゲ枢機卿」
まだ悪い夢を見続けているのだろうか? それとも夢なんて最初から見ていなかっただけなのか?
起きたばかりの頭では上手く状況を理解できない。気がつくと、勝手に口が開いていた。
「どうして……です……」
「はて? どうしてとは?」
「どうして……いるんです……」
「そんなに驚くようなことですか? ただ私は貴女を迎えに来ただけですよ」
そう言って、目の前の男はゆっくりとお辞儀をした。
「セシナ教の今代聖女として、迷える信徒をお導きになられるようにと」
白々しく答えるフーゲ枢機卿に、ネメは拳を握りしめる。
どの口でそんなことを言っているのだろうか? 文句を言いたい気持ちだった。
「どうしてネメなんです⁉」
「それは貴女が一番ご存じなのではないですか?」
「スキルです⁉ そうだったとしても、ネメには聖女に向いているように思えないです!」
「貴女がそう言い張っても、神が定めたことですから。貴女に聖女の素質があると」
やっぱりフーゲ枢機卿はネメなんかを必要としていない。ただ自分が持つ【聖女権能】を欲しているだけだ。
こんなスキル、一度たりともネメは欲しいと思ったことはなかった。
それなのに何かの間違いで授かってしまったばかりに、自分の人生は大きく変わってしまった。
「でも、ネメは聖女にならないと言ったです! だから、書き置きを残して出て行って――」
「あんなぼろ紙の書き置きが認められるわけがないでしょう。それに聖女になることはセシナ教を信仰する者として名誉なことです。何がそんなに不満なのですか?」
「枢機卿もネメが聖女に向いていないことはわかり切っていたはずです! 現にネメはそう言われ続けていたです!」
「それはスキルを手に入れる前の話でしょう。私達の目が間違っていただけのことです」
「だとしても、ネメより聖女に向いている人はたくさんいるはずです! それに今聖女をやっているのは――」
「アルシアですか。彼女は聖女代行としてよくやってくれていますよ。それでも聖女代行に過ぎません。散々教えたでしょう。【聖女権能】を持たない者は聖女の肩書きを与えられることはないと」
「それでもネメは聖女になるつもりはないです! 聖女になるべきなのはアルシアだと思うです!」
「神の意に反しても?」
「そうです! 神様になんと言われようと、ネメは聖女にならないです!」
「そうですか……。まったく昔から変わらないですね。人に何を言われようとも、自分の意志を曲げないところは」
フーゲ枢機卿は深く息を吐きながら肩を落とした。
説得が成功したのかとネメは内心で喜んでいると、枢機卿は懐に手を入れて銀色の物体を取り出した。
「なら、殺すしかないですね」
「えっ、銃です⁉ 待ってです!」
「どうしたのですか?」
「どうして殺すって話になるんです⁉ 唐突すぎるです⁉」
「そこまで驚くことはないでしょう。レア度EXのスキルは同時に二つ存在することがないと言われます。貴女が【聖女権能】を持っている間は他の信徒に【聖女権能】がもたらされることはないということです」
「だからって殺すまですることはないです! もしかしたらネメが説得に負けて聖女になる可能性も否定しきれないです!」
「さっき言ったばかりでしょう。神様になんと言われようとも聖女にならないと」
「それは言ったですけど、ネメの言い間違いかもしれないです! やっぱり聖女になることをほんのちょっと考えてあげてもいいです!」
「じゃあ、聖女になるのですか?」
「ネメは聖女になるつもりはないです!」
「ないのじゃないですか。じゃあ――」
「銃口を向けないでくださいです! 今のは口が滑っちゃったです!」
「口が滑ったということはそれが本心ということじゃないですか。そういうところも昔から何も変わってないですね。口から出まかせで、自分に都合のいいことばかりを言うところも」
「待ってです! ネメが悪かったです!」
冷や汗を全身にかきながら懇願していると、奥の扉が開いた。
そこから現れたのは、パーティーハウスで気を失ったとき最後に見た顔で――。
「フーゲ枢機卿。殺すのはまだ早計かと」
「アルシア⁉」
思いもよらぬ人物との再会にネメの声はひっくり返る。
「どうしてアルシアがいるです⁉」
「どうしても何も、あなたを連れ戻す作戦に協力しているからです」
「アルシア! 今すぐネメを助けてください!『到達する者』のみんなのところに戻してください!」
「だから、人の話を聞いていましたか? 今はフーゲ枢機卿の作戦に協力していると言っているでしょ。わたしはあなたの敵です」
「違うです! アルシアは優しくて、いつもネメの味方をしてくれたです! アイファンにいたときも――」
「過去のことは過去のことです。今とは違うんですよ」
アルシアは冷たい声色で言い放つ。
そういえば口調も表情も昔とは全然違う。前はもっと砕けた話し方でネメに接してくれたし、いつも穏やかな笑みを浮かべていた。
でも、今のアルシアは仮面を被ったような作られた笑顔だ。
「アルシアに何をしたです⁉ 洗脳です⁉」
「されていないですよ。自分の意思で動いているだけです」
「洗脳されている人はみんなそう言うです! そうです? フーゲ枢機卿?」
「いや、洗脳などしていないですが……」
「洗脳している人はみんなそう言うです!」
「これは何を言っても通じないやつですか……」
フーゲ枢機卿はどこか呆れた表情を浮かべていた。
ゴホンと咳払いをすると、表情を戻してアルシアに向き合う。
「それにしても、ネメ・パージンの殺害を止めるとはどういう風の吹き回しですか? まさか今になって裏切るつもりですか?」
「そんなつもりはないです。ただ第一、第二案を諦めて、ネメを殺すという最終案に移るのは時期尚早かと思っただけです」
「ネメ・パージンを聖女に据えるという第一案は既に潰えたのでは? それに第二案を実行するのに必要な、どんなスキルでも一つだけ盗むことのできる【奇跡の簒奪者】の所有者も見つかっていません。そうなると最終案が現実的なところだと思うのですが?」
「ネメを殺したところで、すぐに【聖女権能】が別の者に移るわけじゃありません。そもそもネメ自体何十年ぶりの【聖女権能】所有者なんですから。【聖女権能】が新しい聖女候補生に移ることに賭けるよりかは、ネメを聖女に据えることの方が容易なはずです」
「私はネメ・パージンが素直に説得に応じるようには思えないのですがね」
「そこはわたしが説得します。ネメとは知らない仲でもないですから」
「聖女候補生時代にネメ・パージンと親交があったから、温情を与えているわけではないですよね?」
「わたしに温情などという気持ちがあったら、ネメを連れ戻す計画に参加していないでしょう」
「それもそうですね」
フーゲ枢機卿は納得するように頷いた。
正直ここまで来ると、ネメの頭では二人の会話についていけない。
アルシアが現れたことだけでも頭がいっぱいなのに、アルシアの変わりぶりや、ネメに敵対したことを明言したことで考えがぐちゃぐちゃになってしまった。
ただ二人がネメの意にそぐわない企みをしているのだけは明らかだった。
「二人とも悪いことを考えているようですけど、全部無駄になるです! レイファのときみたいに、きっとノート達が助けてくれるです!」
「ノート・アスロンですか……」
アルシアは片目に手のひらを当てながら呟いた。
「確かに彼はわたし達の一番の脅威となるであろう存在ですが、対策ができないわけでもありません。彼の【地図化】とそれに追随する《索敵》も、世界の理から外れたダンジョンの中にいては無意味です。彼がダンジョンに潜っているタイミングで襲撃をしたおかげで無事に作戦は成功しましたし、彼がダンジョンから戻ってくる頃には射程外から逃げることもできました。それにわたしの【超遠視】の方が射程は上です。今も彼らの動向は把握できていますから」
アルシアは右目に当てていた手を下ろすと、こちらを見下ろして言った。
「というわけで、助けは期待しないでください。わたし達は明け方になったらこの宿を出て、馬車でアイファンまで進むことにします。その間に抵抗するようであれば、フーゲ枢機卿の言う最終案を取らなくちゃいけなくなります」
「アルシア……」
「死にたくなかったら大人しくしておいてくださいよ」
そう口にするアルシアは自分の知る彼女と同一人物とは思えなくて、ネメはただ息を呑むことしかできなかった。




