第116話 因縁の対決、弔い合戦、夢物語
「どうやらあの光っている剣が、神聖職のスペルを封じる効果があるみたい」
ソフィーは【高位鑑定】スキルによって得た情報を周囲に共有していく。
「剣さえ壊せば、ネメの回復スペルも使えるはず。レイファ殿下も助けられる」
それはよい情報を聞いた。
あの魔剣さえ破壊できれば、悪魔の脅威は半減するらしい。
「エリン!」
「わかってる!」
アイコンタクトでこちらの考えていることは伝わったみたいだ。
彼女は杖を構え、その先端に魔力を込めていく。
「フォースとソフィーはボスの気を引きつけて。他のみんなは『王女の軍隊』の救助を」
主役は交替の時間帯だ。
《魔法掌底》を使い果たした俺が役に立てるとは思えないし、神聖術スペルが使えない状況ではロズリアやネメも満足には戦えない。
残る三人で戦況を打破してもらうしかない。
「フォース、ソフィー、なんとしてもあいつの動きを止めなさい。そうしたら、私が剣を破壊するから」
エリンは自信満々に告げる。魔力の流れで銀色の髪がはためいていた。
「オレがあの剣を叩き割らなくていいのか?」
「必要ないわ。私のスペルで一発だから」
「おいおい。大口叩くじゃねえか」
「大口じゃないわよ。事実だから」
そう言って、術式を展開させた。
「《転送領域》」
顕現する透明の直方体。領域内に入った生物以外のすべての物質を空間ごと切り取る、対非生物最強のスペル。
領域は射出され、魔剣を飲み込もうと迫っていく。
しかし、相手はダンジョン深層を守る最強の番人。
エリンの繰り出した《転送領域》を回転して躱し、逆に距離を詰めていく。
「させるかよ!」
そこにブロックに入ったのはフォースである。
またしても魔剣と妖刀が競り合う光景。その均衡にエリンは《転送領域》を打ち込んでいく。
「おっ!」
領域は非物体的な存在である。フォースの身体を貫通して、そのまま魔剣をその身に収めようと進んでいく。
驚いて腰を引くフォースと、即座に危機を感じて剣を下げる悪魔。
両者の退避によって、鍔迫り合いの均衡は爆発することなく、仕切り直しの形となる。
「おい! なんか変なの、オレの身体すり抜けたぞ!」
「気にしなくていいから!」
「気にしなくていいってなんだよ!なんだよ、あれ!」
エリンの《転送領域》を知らないフォースは完全に戸惑っている。
そんな動揺をばっさりと切り捨てるのが、エリンという人間である。
「いいから。あなたはあの魔剣の動きを止めなさい。そうすれば一瞬で飛ばしてやるから」
「飛ばすって何をだよ!」
「魔剣に決まってるでしょ」
「全く意味がわからないんだが……」
エリンの名をこの国中に轟かせた七賢選抜最終戦を実際に見ていないフォースは、《転送領域》の能力を理解できていないようだった。
彼自身も理解することを諦めて、ボスへと身体を向ける。
「要はあいつの剣の動きを止めればいいってことだろ?そうすればお前が剣を壊すと」
「さっきからそう言っているじゃない」
「どう考えても説明不足感が否めないんだが……」
不満は抱いているようだが、エリンへの信頼が勝ったようだ。
エリンがやると言ったら、本当に彼女はやってしまうのだ。
向こう見ずで後先考えなくて猪突猛進な彼女でも、そこだけは信用できる。
エリンは自分の大口を絶対に遂行する本物の天才だ。
「ほら、行くわよ!」
次から次へと《転送領域》を解き放っていくエリン。
悪魔は身体を旋回させながら、器用に迫りくる直方体を搔い潜っていく。
「《守城の精霊、大地を用い、牢を生成》」
そこに仕掛けたのはソフィーだ。大地属性精霊術で作った牢で、悪魔を捕らえんとする。
脅威的な反射速度で、牢ですらも躱そうとする悪魔。
しかし、《転送領域》の弾幕もあったせいで、完全には躱すことができない。
ちょうど右足だけが牢に捕らわれた状態となる。
そこに迫っていく直方体。
「──やったぞ!」
フォースが歓声をあげるも、直方体は魔剣と悪魔の身体をすり抜ける。
特に何かが起こるということのないまま、悪魔は拘束を解き、頭上へと滞空していった。
「おい、当たったのに何も起こらなかったぞ!?」
「タイミング外したのよ! 次は合わせる!」
《転送領域》は非常にシビアな条件を持つスペルである。
効果は破格なものの、直方体の領域内に一ミリでも生物が存在してしまえば、不発に終わってしまうデメリットの大きい魔法。
悪魔の機動力に対応しようと、エリンは《転送領域》の弾速を上げていた。
そのせいもあって、直方体内に魔剣のみが入る時間は一瞬であり、今回はそのタイミングを逃してしまったようだ。
《転送領域》は10戦の時のように動かない物質に当てるのは有効だが、今回のように動き回る対象に当てるのは少々ハードルが高い。
その代わり、一発でも当てれば確実に対象を破壊することができるという大きすぎるメリットがあるので、このまま攻め続ける以外の方法はないのだが。
「ほら、文句を言ってないで、あいつの動きを止めなさい!」
エリンは発破をかけると、また《転送領域》の射出を始める。
今度は直方体を少し小さく。一度に削れる量は落ちるが、剣のみを領域内に収められやすいように修正していた。
強者の直感というやつだろう。一見人畜無害に見える直方体にも、未だ悪魔は警戒を解かない。
ステップや翼を用いた飛翔を使って常に回避。合間を縫ってエリンへ攻撃。
しかし、銀髪の魔導士の前には二枚の壁があって。その魔剣の進攻はフォースとソフィーによって阻まれてしまう。
「今っ!」
フォースの攻撃を防いだことで、悪魔の剣筋が一瞬だけ止まる。
そこに向かって、エリンの《転送領域》。
成功するかと思いきや、悪魔は突然身体を前傾姿勢に。
なんと領域内に胴体を滑り込ませ、《転送領域》の発動を未然に防いだ。
「あ、あいつ……!」
偶然──と考えるのは楽観的すぎるだろう。
どういう仕組みかわからないが、恐らくあの敵は既に《転送領域》というスペルを見破っている。
その脅威と、弱点を正確に分析されているようだった。
初見殺しのようなはめ技が効かないとなると、魔剣を壊す方策を変えなければならないかもしれない。
そう思った瞬間だった。
「《守城の精霊、大地を用い、柱を生成》」
頭上からの一撃。ソフィーの精霊術。
天井を媒介して展開した柱が前傾姿勢になった悪魔の背中に打ちつけられる。
無理に重心を崩した瞬間の奇襲に、いくら21階層のボスといえども耐えられるわけがなかった。
魔剣を地面に刺し、潰されないように持ちこたえる悪魔。
動きを止めた魔剣は格好の的だった。
「ソフィー、よくやったわ!」
エリンの杖の先が光る。そこから現れる直方体はどこまでも幾何学的で。
「《転送領域》」
紫色に発光する剣を領域内に収めた瞬間に消滅した。
まるで最初からその一部がなかったかのように消え失せる刀身。
突然支えを失った悪魔は頭上から迫る柱に対抗することができず、地面に這いつくばった。
一瞬にして辺りに展開されていた紫色のオーラが消え失せる。
その瞬間を虎視眈々と狙っていたのは、他の誰でもなく──。
「《聖女の施し》です!」
『到達する者』の正神官であって。
ネメが解き放った奇跡が、魔剣の呪いが解けた世界を塗り替えた。
レイファの斬られた足はみるみるうちに元通りに。魔道具で辛うじて延命されていた瀕死のミルは息を吹き返していた。
絶望的に死が近づいていた人間を一瞬にして生の境界へ誘う回復スペル。
これほどの治癒術式を発動できる神官は、この世界を見ても数人といないはずだ。
いつもはマスコット的な立ち位置の彼女だが、『到達する者』にいた意味を改めて知った瞬間だった。
土柱が弾ける音が聞こえる。押さえつけられていた悪魔の脅威が甦った瞬間だった。
その青黒い身体が変化する。
浮き上がる血管とともに身体構造が置き換わっているのが見て取れた。
フォルムは流線形に。翼は小形になって。
代わりに足は一段と大きくなって、爪は地面に食い込んでいた。
走るのに適した形。より疾く、より強く敵を倒せるように。
魔剣を持っていた手は既に刀のように鋭く煌めいている。
これがあの悪魔の第二形態。魔剣という攻撃手段を失った敵の最適化された変体であった。
ブーストされる邪悪な波動。
敵が攻撃を仕掛けに来たと気づいたのは、悪魔が地面を蹴ったあとだった。
一直線にエリンに──。
ではない。敵の進路はネメの下に。
魔剣を一撃で打ち砕いた魔導士よりも、あの悪魔は破格の神聖術を使う神官の方を危険と判断したようだ。
遅れる反応。
それは俺だけのことじゃなく、フォースもソフィーもロズリアも同じことだった。
誰しもが自身の過ちを悔いたその瞬間──。
たった一人、動き始めている人物がいた。
「《裁きの鉄槌》」
悪魔と対峙していたのは『到達する者』だけではない。
神聖術が使えなくて、くすぶっていたのはネメとロズリアだけじゃない。
あの悪魔に胴が割れるほどの一撃を食らわせたのは、『王女の軍隊』の神官兵士ギルベルト・アインザックであった。
「礼を言う。『到達する者』の者達よ」
片手に持つのは、人間大の大きさである白銀のメイス。
聖なる波動を身に纏い、溢れ出る魔力を練り上げているのは、神官兵士という戦闘職において最強と謳われた男だ。
続々と立ち上がる気配。
ネメの回復スペルによって、復活した『王女の軍隊』の面々が戦闘に復帰できる状態に戻った。
《索敵》による気配察知によって、魔剣を壊されて第二形態になった悪魔の戦闘能力が上がったのは肌で感じていた。
それでも神聖術が解放されて、万全の状態で戦える『到達する者』。
さらに『王女の軍隊』のメンバーが加勢するとあれば負ける気がしなかった。
どれだけ時間が稼げるかが勝負だった、俺と悪魔の一対一の第一ラウンド。
エリンが《転送領域》によって魔剣を壊すことが勝利条件だった、第二ラウンド。
そして、第三ラウンド。
最後のラウンドとなる『到達する者』と『王女の軍隊』による戦いが始まろうとしていた。
※※※※※※※※※※
21階層のボスと戦い始めてどれくらいの時間が経過したのか。
俺が到着してから数えても早三十分は経っただろうし、『王女の軍隊』との連戦を考慮すると戦闘時間は一時間以上になるだろう。
既に敵は魔力を切らして、回復手段を失っていた。
フォースの斬撃によって切り取られた右翼は断面が見えたままだし、ギルベルトに与えられたメイスの一撃によって顔は潰れていた。
エリンの炎魔法によって左半身は焦げ、ミルの創り出した魔法剣は背中に刺さったままだ。
ロズリアの聖剣フラクタスにより両手の爪は削り取られ、オーンズの打撃によって右足は潰されている。
まさに敵は満身創痍な状態。撃破まであと一歩という状態だ。
対するこちらも悪魔に有効打を与えるために、リソースをかなり吐いた状態だ。
ネメとロズリアの魔力はいざという時のための分を残してなくなり、フォースの煉獄による呪いの黒炎も無視できないほど侵食していた。
『王女の軍隊』も似たような状況だろう。
レイファも魔道具を使い果たしており、ミルも魔法剣を生成する魔力は残っていない。
いくら回復スペルの存在があろうとも、オーンズやギルベルトの体力も底を尽き始めていた。
「大丈夫なのか?」
隣に立つハーフエルフの少女に向かって話しかける。
彼女は息を吐きながら、拳を握りしめて言った。
「うん。矢はもうないけど、エリンさんのスペルで魔力は回復してもらった。全然戦えるよ。そっちは?」
「《魔法掌底》の残弾は補給できた。今の俺なら有効打を与えられる。体力も充分。万全の状態だ」
『到達する者』と『王女の軍隊』による共同戦線。
最初は総力戦を挑むつもりであったが、敵の不死身とも思える回復能力もあって作戦を変え、敵の魔力を削り取る戦い方へと移行することになった。
人数が多いので、持久戦を挑むからにはローテーションでの戦いとなるのは必然だった。
何人かが戦い、その間に残ったメンバーが態勢を立て直す。
現在はフォースとギルベルトが敵の攻撃を受け持つターン。
そして、無限の魔力を持つエリンによって支援を受けた俺とミーヤが、次の矢面に立つ順番だった。
ローテーションの都合もあって、俺とミーヤが悪魔を同時に相手取るのはこれが初めてのことだった。
初めての共闘。
生まれ育ったチャングズでの生活や、二人きりで活動していた冒険者時代。
再会して、ロズリアと三人で冒険者をやっていた王都での毎日。
ともにモンスターと戦うのは初めてではないけど、本当の意味で肩を並べて戦うのは初めてのことだろう。
『到達する者』のノート・アスロンと『王女の軍隊』のミーヤ・ライン。
同じ村で生まれた俺達は、不幸にも別々の道を歩むことになり、別々に生きていくことを選んだ。
それでも二人で一流冒険者になるという、昔からの夢は心の奥底にあって。
幼い頃に思い描いた形とはかけ離れてしまったけど。
本当の意味でその願いはもう叶えることができないんだろうけど。
きっと、この共闘は神様からのプレゼントなのだ。
ダンジョン深層の強敵相手に、幼馴染と肩を並べて挑むことができる。
その一幕は、確かにかつての俺が思い描いたものであって。
経緯やお互いの立場に目をつぶって、景色だけを切り取れば、夢を叶えたと言っても過言じゃない。
そう考えているのは俺だけではないのかもしれない。
ミーヤは俺を見て、微笑んだ。
「じゃあ、わたし達の番で終わらせちゃおっか」
「そうだね、二人で倒そう」
「足引っ張んないでよ?」
「そっちの方こそ」
こんな何気ない軽口ですら楽しい。
だって、これは俺が彼女と肩を並べたという証なのだから。
昔の自分がどうしても叶えたかった夢だったのだから。
「フォースさん!」
「ギルベルトさんっ!」
「「替わってください!」」
二人の声が薄暗い神殿の中でこだまする。
さあ、ひと時だけの最高の夢の始まりだ。
「──《絶影》」
光を置き去りにする黒の疾走。
度重なる戦いで疲労が溜まっているはずなのに、身体が軽い。
今なら、どこにだって行ける気がする。
悪魔の腕を薙ぐ攻撃を回避し、炎のブレスも回避。目から放たれるビームも、尻尾の刺突も全部当たらない。
「《万緑の精霊、水を用い、矢を生成》」
ミーヤの精霊術の詠唱が聞こえる。
右手にどこからか水が現れ、渦巻き、矢の形を形成していた。
悪魔の意識が魔力の存在に引っ張られて、ミーヤの方へ向く。
わかっている。行かせるものか。
──《流線回避》。
ここに来て、今まで躊躇していた《流線回避》の札を切る。
敵に接近して、相手の攻撃の寸前で回避するこのアーツは、一歩でも距離感を間違えば即、死に繫がる危険なアーツだ。
特に膂力の高いこの悪魔相手だと、周囲の衝撃波に巻き込まれてしまう可能性も高かった。
だから、敢えて使わないようにしていたけど、今の俺ならいけるといった確信があった。
そして、確信は当たる。
繰り出した攻撃を寸前のところで躱された悪魔が、一瞬だけよろめく。
俺の幼馴染は、その僅かな隙を見逃さない。
「──からの《破撃の一射》」
ミーヤの精霊術で作られた水の矢が悪魔の身体を貫通した。
致命傷に近い一撃。今が仕留めるチャンスだ。
「ふっ──」
右手を曲げ、息を整える。
背筋に芯を通し、まるで一帳の弓になったかの如く。
逸る心を制して、構えに徹する。
そして、右の手袋に込められた罠魔法を解除し、術式を解き放つ。
「《魔法掌底》」
俺の《掌底》とエリンの魔法を組み合わせたアーツ。
そんな一撃をゼロ距離で食らった敵は、既に上半身が消え失せていて。
再生することのないまま、黒き身体は静かに崩れ落ちた。
その瞬間はあっという間であり、長き戦いの割にあっさりで。
「倒したのか……」
少し拍子抜けと言っても過言じゃなかった。
辺りを静寂が包む。返事は返ってこない。
砂埃が静けさとともに舞っているのみだった。
その長き沈黙により、段々と実感がこみ上げてくる。
もしかして、俺は21階層のボスを倒したのではないかと。ようやく倒せたのではないかと。
パーティーの仲間であり、尊敬する師のジンの命を奪った悪魔。
『到達する者』を絶望的な力で叩き潰し、一時は再起不能な状態に陥れた因縁の敵。
ボタンを掛け違っていたら、俺の冒険者人生もこいつのせいで終わっていたかもしれない。
そんな怨敵をようやく倒すことができたのだ。
『到達する者』はやっと先に進める。21階層の先に。深層への奥深くに。
一年以上足踏みしていた階層攻略をようやく成し遂げることができたのだ。
辺りに響く『到達する者』と『王女の軍隊』の者達の歓声、そして開く次の階層への扉に、悲願を達成したことをようやく実感したのであった。




