第109話 世界は彼女に優しくなくても
「貴方のパーティーにいたジンに両親を殺された貴族の娘。そして、ジンに暗殺者を差し向けた悪人なの」
ソフィーは俺に向かって、重大な事実を打ち明けるかのように言った。
まるで世界の隠された真相を明かすかのような深刻さで。悲観した表情を浮かべて。
対する俺はといえば、なんだそんなことかという肩透かしを食らった気分だった。
「知ってるよ。そんなこと」
真剣に思い悩んでいたソフィーには失礼かもしれないけど、俺にとっては周知の事実である告白だった。
知っていることをわざわざ口に出されても心は動かされない。
「知ってるって……」
俺の反応が信じられないと言わんばかりに、ソフィーは目を見開いていた。
補足するように俺は付け加える。
「ソフィーの父親がジンという暗殺者を作り出したことも。自ら作り出した暗殺者に命を奪われたことも。そして、ジンを殺すために首切りに依頼をしたことも」
「──っ!」
「そんなの知らないわけがないだろ? レイファ様やソフィーに対抗するために、首切りに協力を取りつけたのは俺だよ? 全部首切りに教えてもらった」
本当は首切りの右腕であるエイシャからだけど。
かつての俺はレイファの手段を選ばない勧誘に対抗するべく、首切りとエイシャに救援を求める手紙を出した。
結果としては首切りの悪人のみを執行する暗殺者という立場を交渉の材料として利用することになったが、本来の計画ではエイシャの類まれなる情報収集能力でレイファ陣営の弱みを握るつもりだったのだ。
ソフィーの名前を出した時点で、エイシャは自分達にジンの暗殺を依頼した少女と同一人物なことに気づいたようだった。
彼女は自身の持っているありのままのソフィーの情報を俺に提供してくれた。
だから、ソフィーとジンの因縁についてはあらかた知っているつもりだった。
「そうだったの……」
しかし、ソフィーにとっては青天の霹靂だったようだ。信じられないといった様子で口を開く。
「どうして……そんなこと知っていて、『到達する者』に入れてくれたの?」
ソフィーにとっては何よりも隠したかった事実。知られれば『到達する者』での居場所がなくなってしまうと思っていたほどの秘密だったのだろう。
「関係ないからだよ。別にジンはソフィーに殺されたんじゃない。首切りは俺の手で止めたんだから。ただダンジョンに殺されただけなんだから」
もしソフィーが放った首切りの手によってジンが殺されたなら、彼女のことを許せていた自信はない。
でも、実際ジンはソフィーとなんら関係のないところで死んだのだ。
俺達がダンジョン攻略を甘く見ていて、努力不足だったせいで死んだ。
そこにソフィーの殺意の有無は介在しておらず、彼女に理由を求めるのはそれこそ八つ当たりである。
「でもっ! わたしは貴方の仲間を殺そうとした! たとえ未遂だとしても!」
「そんなこと言ったら、俺もレイファ様を殺そうとした。おあいこだ」
「それはわたし達がネメを攫ったから!」
「だったら、ジンもソフィーの父親を殺した」
ジンのしてきたことが正しいなんて思わない。
それは仲間であろうとも、最も尊敬している人であろうと贔屓はできなかった。
かつての彼は悪であった。それはジン自身認めているところだ。俺も否定しようとは思わない。
それでも、俺はジンが好きだった。昔のディーンラークお抱えの暗殺者じゃなくて、『到達する者』にいた頃の優しいジンが。
彼が本来悪だったとしても、正義だったとしても関係がないのだ。俺にとっては過去は過去でしかなく、尊敬していた気持ちが噓になるわけでもなかった。
「それでもかつての自分の仲間を殺そうとした人を仲間にしようなんてどうかしている」
「そう?」
「少なくとも普通じゃないと思う……」
「なら、そうなのかも。レイファ様も言っていたし。俺は目的のためなら手段を選ばない人間らしいから」
欠けたパーティーメンバーの枠を埋めること。そして主に見捨てられ、人生に絶望をしている少女を救うにはこの方法しかない。
あの時はそう思ったから、ソフィーを『到達する者』に勧誘しただけだ。
目的のためなら多少の私情や因縁には目をつぶるつもりだった。
「そういえば、貴方はそういう人間だった」
ソフィーは呆れるように息を吐いた。
「やっぱり貴方は変わっている。本当にわたしが『到達する者』にいたままでいいと思うの?」
「父親の仇が作ったパーティーだとか、ソフィーが気にしないんだったら」
「気にしないわけじゃないけど、今の日常がそんなに嫌いじゃないから目をつぶることにする」
ソフィーは言い切った。
嫌いじゃない。それは傍から見たら消極的な表現だけど、彼女にとってはそこまで消極的な表現ではないのだろう。
彼女の瞳からは悲しみの色が抜けていた。
「それにしても、よくみんなを納得させた。ノートならまだしも、他の人はジンを殺そうとしたわたしがパーティーに入ることに反対だったはず……」
「それは──」
一瞬言葉に詰まる。
だけど、俺は自分の不誠実さについてソフィーに打ち明けることにした。
「他のみんなは知らないよ。ソフィーの生まれのことも、ジンを殺そうとしたことも」
「知らないって……」
「それどころか首切りの存在も。全部言っていないんだ」
そして、俺はソフィーにすべてを話した。
ジンを襲ってきた首切りを自分と、かつて『復讐の戦乙女』にいた盗賊の二人で撃退したこと。
そして、その時にできた首切りとの個人的な繫がりで、レイファとの一件で協力を頼んだこと。
ヒューゲルとエイシャ自身の個人情報は特定できないように言葉を選びながら、パーティー内の誰にも告げなかった事実を話していった。
ソフィーは話を聞いている間、黙っていた。そして、俺の話が終わるや否や、一言だけ呟いた。
「そんな重要なこと、みんなに隠していたの……?」
「まあね」
「罪悪感とか覚えなかったの?」
「覚えなかったわけじゃないよ」
だけど、俺はソフィーほど正直者でもなかった。彼女みたいに綺麗な価値観を持ち合わせていなかった。
「それでも、言わない方が正解だと思ったから言わなかった。その方がみんなが幸せになれるなら隠したままでいいと思っていた」
首切りの襲撃のことを話してもただの自己満足にしかならない。
俺の手を煩わせてしまったことに対してジンには罪悪感を覚えさせるかもしれないし、約束を守って手を引いてくれた首切りの素性がバレるリスクも高まる。
そして、俺がネメを助け出すために首切りを頼ったことを知らせても、誰も幸せにならない。
場合によってはレイファを殺すことさえ可能性としてあったわけで、そんな物騒なことにパーティーのみんなを巻き込みたくはなかった。手を汚すのは俺一人で充分だった。
「じゃあ、わたしがジンを殺そうとしたことも、ディーンラークの娘だっていうことも全部隠したままでいいって言うの?」
「いいんじゃない? ソフィーがそうしたいって言うんだったら。そうした方がいいって言うんだったら」
世の中には隠しておいた方がいいこともたくさんあると、個人的には考えていた。
元々ソフィーの隠し事を暴こうとしたのも、彼女がとても辛そうに見えたからだ。
もしソフィーが『到達する者』での生活になんら影響を及ぼさないまま、秘密を隠し持っていたら、きっと俺は追及することはなかっただろう。
今回は秘密を秘密にしたままの方が悲しみの総量が増えると直感的に思ったから、問いただしたに過ぎない。
「だから、無理に罪悪感を覚えなくてもいいんじゃないかな?もっと素直に『到達する者』での生活を楽しんでいいんじゃない?」
隠し事をしている罪悪感に押しつぶされそうだったら、秘密をみんなに打ち明けてもいい。
隠したままでいたいんだったら、今のままでもいい。
俺はソフィーの意見を尊重するつもりだった。
彼女は俯いて口を開いた。
「じゃあ、秘密にしたままにする……」
どうやら彼女が選んだのは俺と同じ選択だったようだ。
「言っても誰も気分がよくなることじゃないし、わたしの過去を知っている人がいないところでやっていきたい気持ちもある」
「うん」
「それに特にフォースはわたしの生まれを知らない方がいい。ジンが父を殺した一件に関わっている彼なら、わたしがディーンラークの娘だと知ってどう思うかわからないから」
どうやらソフィーは既にジンの暗殺にフォースが関与していたことを知っていたようだ。
ソフィーの父はかつてジンを使ってフォースを殺そうとした。
しかし、フォースの人柄に惚れ込んだジンが、逆に主に反旗を翻して、ソフィーの父を殺したという背景がある。
ソフィーの姓がディーンラークだと知れば、彼は一体どのような感情を抱くのか。
ジンの人生を弄び、自分を殺そうともした父を持つ少女に反感を覚えるのか。自分の親友を殺そうとした少女を恨むのか。そして自分の選択により、父を奪われてしまった少女に罪の意識を感じるのか。
長く過ごしてきた俺自身でもわからなかった。
「知っていたんだね。フォースのこと」
「首切りから教えてもらった」
「てっきり知らないかと思ってた」
「なんで?」
「だって、知っていたら、このパーティーに入ってなかったと思っていたから」
自分の父の仇みたいな存在がいるパーティーに普通は入りたいと思わないだろう。
本来なら、ジンだけでなく、フォースにまで殺意を覚えていてもおかしくないはずだ。
「ジンを殺そうとしたことも実は後悔してるの。あの時は衝動的に首切りに頼んじゃったけど。失敗して、本当にほっとした。こんなこと言っても、信じてもらえないだろうけど」
「疑わないよ、そんなこと」
「本当はわかっているんだ、わたしだって。お父さまが全部悪いんだって。でも、それをどうしても認めたくなくて。認めたら、本当にお父さまの味方が誰もいなくなっちゃう気がして。子供みたいに駄々をこねていただけなの」
ソフィーの考え方は何も悪くないと思う。
好きだった人間の味方をして何が悪い。世界中が敵に回ろうとも、一人で必死に戦ってきた彼女は称賛されるべきだ。非難されるいわれはどこにもない。
「だから、フォースをどうこうしようという気持ちはない。他の人と同じように関わっていけるかは不安だけど、でも一緒のパーティーでやっていってもいいと思っている」
「なんか、ありがとうね」
「感謝なんてしなくていい。だから、貴方も秘密を守って。知ってしまったからには、わたしの秘密を他のみんなに言わないで」
「わかった、約束する。俺達は秘密の共犯者だ」
月夜の中、俺達は誓い合った。
誰が見ているわけでもない。世界に二人だけしかいないような夜に。
契約書も指切りも交わすことのない、不確かで、でも絶対的な約束を交わした。
「共犯者……悪い響きじゃない」
ソフィーは言葉を咀嚼するように、満足げに頷いた。
この瞬間に、俺達は恩を売り買いする不健全な主従関係から脱出し、互いが互いの罪を認識している不健全で対等な関係になった。
ソフィーが本当の意味で『{到達する者』に入った瞬間だった。
「共犯者ってことはもう遠慮しなくていいってこと?」
「もちろん。俺達は対等な関係なんだから」
「じゃあ、一つだけ言わせてもらう」
「いいよ。一つだけと言わずに、何個でも」
「じゃあ──」
そう言って、ソフィーは口を開いた。
「正直、わたしの父の仇が作ったパーティーだと知って、それを隠しながら『到達する者』に勧誘したのはどうかと思う」
「えっ!?」
「それにフォースが父の死に関与していたことも知っていたみたいだし。詐欺みたいなやり口。わたしが何も知らないと思って──」
「いや、それは……」
「まだ不満はたくさんある。まず恩に付け込んでパーティーに勧誘すること自体がどうかと思う。やり方が悪人そのもの。人として尊敬できない」
「そこくらいまでにして欲しいかなぁ……って」
「何個でも言っていいって言ったのはノートの方。もしかして、またわたしを騙したの?」
「そういうわけでは──」
「じゃあ、黙って聞いて」
そう言って、俺は溜まりに溜まった不満をぶつけられた。
それは俺に対する不満だけではなくて。レイファから受けた仕打ちに対してだったり。彼女の生まれに関してだったりと。
十八年分の溜まりに溜まった不満をすべて余すところなく、八つ当たりのような形で俺へと投げつけてくる。
そして、そんなに嫌でもない二人の時間は一晩中続いた。




