第98話 衰弱の騎士
「どうしたのよ、これ」
起きてきたエリンが目を見張っている。
現在の時刻は午前7時。朝ご飯を食べに来たパーティーメンバーが一階に集まってくる時間帯だ。
エリンが驚くのも無理はない。リビングのソファーには熱でうなされたソフィーが寝そべっていた。
あの後、ソフィーを家に連れて帰った俺は、すぐにネメを呼び、戦闘で傷ついた身体を癒してもらった。
回復スペルでは風邪までは治すことはできない。
雨で濡れた身体のまま放置すれば、体調は悪化するのは目に見えているので、ネメに頼んで着替えをさせて、毛布で冷えた身体を暖めることにした。
安静にしてさえいれば体調は良くなるはずだ。ソフィーの調子が戻ってから、事情を聞こうと思っていた。
意外なことに、軟禁生活を強いられていたネメはソフィーの看病に抵抗を示さなかった。
なんでもホテルでの生活中、ソフィーとはいくらか話す機会があり、そこまで悪い印象を持っていないらしい。
ちなみにネメが一番話していたのは、現七賢者であるミルだったらしく、よく暇つぶしに付き合ってくれたと楽しそうに話していた。
「ネメも新しく友達ができたです!」と喜んでいた。人が必死に助け出そうとしていた中、呑気なものだ。
まあ痛めつけられるよりはよっぽどいいし、友達ができることは喜ぶべきことだ。
あんなに人見知りなネメも、いつの間にかたくさん友達が出来ている状況になっているのは不思議なものである。
ひょっとすると、女子陣の中で一番友達がいるのではないだろうか。
「ノートが勝手なことはいつものことだから仕方ないけど、これはどういう状況なの?」
エリンは顎をしゃくって、ソフィーを指した。
いや、これは冤罪だ。確かにレイファとの交渉を勝手に進めて、方法を打ち明けないまま話を終結させたことは悪いと思っているが、これに関しては完全に予想外の出来事だ。
俺も何が起こっているのかわからないのだ。
「知らない。いきなり襲われたんだよ。そんでもって戦っていたら、熱でぶっ倒れたんだよ。放っておくわけにはいかないし、こうして寝かしているってわけ」
「なんで襲われたの? ノートの話じゃ、全部片付いたんじゃないの?」
「そのつもりだったんだけど、それがわからないんだよ。なんにも普通の様子じゃなくて。錯乱しているみたいなんだよ」
「要するにノートにとっても予想外の出来事が起きたってことね」
「うん。話を聞いてみないことにはわかんないけど、この様子じゃあね――」
ソフィーの方へ視線を向ける。
彼女は未だに苦しそうな寝息を立てている。この様子じゃ、当分の間は話をするのは難しそうだ。
「おはようございます。どうかしたんですか」
「おお、朝から集まってどうしたんだ?」
ロズリアとフォースも起きてきたようだ。
話題はリビングで寝込んでいる見知らぬ人物になるのは当然のことだ。
「誰だ? こいつ」
「あっ! 見たことありますよ! ノートくんを監禁してた人ですよ! 悪い人です!」
「マジか」
「敵地で隙を見せるとは甘いですね。隙ありっ!」
「ほら、攻撃しようとしない」
攻撃するふりをするロズリアにツッコミを入れながら、改めて事情を説明する。
レイファとの取引の内容は伏せて、今日の朝起きた出来事だけを。
「うーん、よくわからねえなぁ」
「とりあえず叩き起こして訊いてみましょうよ」
「なんで強行手段に頼ろうとするんだよ」
襲い掛かろうとするロズリアにツッコミを入れる。
本気で叩き起こすつもりはさすがにないだろうが、ロズリアが言うと怪しくなるのもまた事実だ。
「とりあえずは起きるまで様子見することにしない?」
「まあ、そんなところが無難だよな」
リーダーが了承したことで、ソフィーをどうするかという一応の方針は固まったのであった。
ソフィーが目を覚ましたのは、その日の夕方すぎであった。
一階が騒がしくなっているのに気づき階段を下りると、エリンとロズリアが慌ただしくしているのが見て取れた。
中心にいるのはソフィーであった。なんとかして立ち上がろうとするも、よろめいているようだ。
すぐにバランスを崩して、ソファーに倒れ込む。
「あまり無理しない方がいいわよ」
エリンの制止を振り切って、なおも立ち上がろうとするソフィー。
目の前に立つ俺の存在に気づくと、見上げながら呟いた。
「ノート・アスロン、ここはどこ……?」
「そんなに睨まないでくださいよ。襲い掛かったりしないですから。ここは『到達する者』のパーティーハウスです」
「パーティーハウス……?」
「戦っていた時、急に倒れたからびっくりしましたよ。起きないし、熱もありそうだったので家まで運んできたんです」
「これを……ノートが……?」
ソフィーは身につけていた部屋着と、地面に落ちた濡れタオルに目を移す。
慌てて否定する。
「それは違いますよ! 着替えをさせたのはネメ姉さんですよ!」
「あのドワーフの子……」
ソフィーは納得したように頷いた。
無理やり立ち上がると、よろめきながら廊下に向かって歩き出した。
「ありがとうと言っておいて」
「無理しない方がいいんじゃないですか? 足元もおぼついてないですし。帰るのはもう少し休んでからでも――」
「これ以上、迷惑をかけるわけにはいかないから」
「なら、せめて送りますよ。あの王女様がいるホテルまで――」
そう口にした瞬間、ソフィーの動きは止まった。
顔をくしゃくしゃにして崩れ落ちる。
「そうだ……もう帰る場所なんてないんだった……」
ぽろぽろと泣き始めるソフィー。
えっ、どうして?
焦る気持ちを抑え、なるべく敵意を感じさせないように丁寧に話しかける。
「大丈夫ですか? とりあえず起きたばかりですし、飲み物でも用意しましょうか?」
「うん……」
椅子に座り、しばらくして泣き止んだソフィーはゆっくりとお茶をすすった。
そろそろ大丈夫な頃合いかと思い、話を切り出すことにした。
「帰る場所がないってどういうことですか?」
「そのままの通り」
ソフィーは答えた。
「レイファ殿下に見放された。用済みだって。使えない人間はいらないって」
「それはまたどうして……」
「わたしが使えない人間だったから。ノートを逃がしたり、勝手な行動をしたり――」
そう言って、付け加えた。
「ミーヤとかいう女に負けたから」
「ミーヤ⁉」
知っている人物の名前に驚きの声をあげてしまった。
隣に座っていたロズリアも気になったようで尋ねる。
「どうして、ミーヤさんの名前がここで出てくるんですか?」
「もしかしてお前達、あの女の知り合いなの……?」
「知り合いも何も――」
言葉に詰まる。この状況でミーヤの名前が出てきたということは、俺が関係しているのかと思ったが、どうやらソフィー陣営は俺とミーヤの接点を知らなかったようだ。
「ノートくんの幼馴染ですよ。昔は一緒に冒険者活動をしていたそうです」
「そう。やっぱりノートが関係しているの……?」
そんな恨んだ視線で見つめられても……。
ミーヤが何をしたのかわからないけど、その件と俺は無関係だ。
この街に戻ってきてから、俺とミーヤは顔を合わせていない。
「違いますから。確かにミーヤとは知り合いでしたけど、今は全然接点とかないですから。俺のせいじゃないですよ。で、ミーヤは何をしたんですか?」
誤解を解きながら尋ねる。
ソフィーの一件がなくても、ミーヤの動向は知っておきたかった。
いくらダンジョン制覇が終わるまで会わないと約束したとしても、彼女とは生まれてきた時からの仲なのだ。
気にならないといえば、嘘になる。
「レイファ殿下の作るパーティーに入れてくれっていきなり訪ねてきて。レイファ殿下は怒って、わたしに勝つことを条件にパーティーに入れることを呑んだの。それでわたしが負けて……代わりに追い出された……」
「それはまた……」
もしかして、俺もちょっとは関係しているのか?
ミーヤにダンジョン攻略を焚きつけたのは俺だ。ミーヤがレイファの下に向かったのも、間接的にだが俺に原因があることになる。
「ミーヤさんってノートくんの影響でダンジョン攻略をすることにしたんですよね? ノートくんにも責任がないこともないんじゃないですか?」
余計なこと言わないでくれませんか、ロズリアさん。
自分でも、ひょっとするとって思っているんですから。
ほら、ソフィーの視線も険しくなってきているから。
「また、その女の名前……」
ついでにエリンの視線まで険しくなってきているし。
違うよ。今は本当に関係ないんだから。
「でも、また厄介なタイミングで現れますね。毎度毎度、間が悪いっていうか」
ロズリアの言い分も気持ちはわかる。
俺とロズリアが冒険者活動を再開しようと思った瞬間に現れて。王都を出て心機一転、『到達する者』を復活させようってところで、また再会して。
やっとレイファとのいざこざも解決したってところで、またかき回し始めて。
ミーヤに悪気はないんだろうけど、つくづく間が悪いとしか言いようがない。
本当に波長が合わないんだろうな、俺達って。
それにしても、レイファの作るパーティーにミーヤが入るのか……。
どうなんだろう。心配っちゃ心配だ。レイファの人格はあんな感じだし。
「それでどうするんですか? 王女様のところには戻れないって」
「それは……」
言葉に詰まるソフィー。
顔を俯かせて、机の上に置かれた拳はぎゅっと握りしめられていた。
「昨夜はどうしたの? ミーヤって人と戦って追い出されたのって昨日のことでしょ?」
エリンは気になったのか、質問をする。
「わかんない……。ふらふら歩いてて、気がついたら朝になってた」
「朝になってたって。昨日は一晩中雨が降ってたじゃない。もしかして、ずっと外に?」
「うん……」
ソフィーは静かに頷いた。
「そんなことしてたら熱が出るのも当たり前じゃない。ほんと、何考えてるの?」
「ごめんなさい……」
「エリンさん、ほどほどに。ソフィーさんだって普通の精神状態じゃなかったんですから」
かつてソフィーから、レイファに感じている恩義について話してもらったことがあった。
貴族として没落した彼女に手を差し伸べたのが、あの腹黒王女だったと。
それからソフィーは、レイファに忠誠を誓った。
だけど、その忠誠は用済みとされ、見捨てられてしまった。
そのショックは計り知れないものだ。ソフィーほど、忠誠心が高い人間なら尚更のことだ。
「それでどうして俺を狙って来ようとしたんですか?」
「ノートを倒せば、殿下に見直してもらえると思って」
「あのぉ……」
一言言おうとする前に、「ごめんなさい」とソフィーが謝る。
俺が責めようとしたのはそういうことじゃない。彼女の考えの無さについてだ。
もしソフィーが俺を殺すことに成功したら、即座に首切りはレイファの暗殺に動くはずだ。
たとえ、ソフィーの独断で動いたとしても、第三者である首切りからはレイファがけしかけたようにしか見えない。
よって、この状況で俺を狙うのは逆効果。却ってレイファの反感を買うこととなる。
まともな精神状態じゃなかったソフィーには、冷静に考えている余裕なんてなかったんだろうけど。
「これから泊まる予定の場所とか、お金とかあるんですか?」
ソフィーはゆっくり首を振った。
「わからない……。荷物とかお金持ってきた記憶がないから……」
割と詰んでいる状況だ。お金や私物はないときた。この街に来たばっかりなので、頼れる人間もいないだろう。
それに意識は戻ったとはいえ、依然熱はある状態だ。そんな中、一人で帰すわけにはいかない。
「なら、体調が戻るまではここで休んでも……。その状態で外に出るのは危ないですし……」
「気遣わなくていいから」
ソフィーは首を振る。
「別に生きる意味もなくなったし、どうなったっていいから」
「そんなこと言われたって……」
「そもそもわたしは、あなたの敵。そんな相手に手を差し伸べる必要なんてない」
そうかもしれない。でも、危なっかしい状態のソフィーをこのまま見捨てるわけにもいかない。
「でも、夜も遅いですし。今日だけはこの家で休んでいってくださいよ」
「そういうわけには――」
「せっかく助けたのに、すぐに死なれちゃ助け損じゃないですか。それに服だってまだ乾いてないですし」
ソフィーは自分の服が借り物だということに気がついたようだ。
襟元を見つめると、ゆっくり呟いた。
「わかった――ううん、わかりました。服が乾くまでは泊めてください。明日には出て行きますから」
そう言って、ソフィーはしおらしく身を縮めた。
***
そして、翌日。起床して、リビングに降りると、ソフィーが乾いた自分の服を探しているところであった。
そうまでして急がなくても、と思う。
体調だって万全じゃないはずだ。あの後、エリンが用意したお粥を口にしたソフィーは、またすぐに眠ってしまった。
意識を取り戻したとはいえ、熱はあり、体力の消耗も激しいようで、またうなされながら深い眠りについていた。
「もう行くんですか?」
「うん……」
「もう少し休んでからでも――」
俺がそう口にしている瞬間にも、ソフィーはふらついていた。
顔もまだ赤らんでいるし、熱はあるようだ。
「大丈夫ですか?」
「これ以上、迷惑はかけられないから」
「別にこれくらい迷惑のうちに入らないですよ。いきなりやって来て命を狙われたことに比べたら」
「それはごめんなさい……」
ちょっとした冗談のつもりだったのだが平謝りされる。言った自分にも責任はあるような気もするが、少しやりにくい。
「これからどこに行くつもりですか? 王都から来たんですよね?」
「うん」
「だったら、戻るんですかね? 旅費がないようなら貸しましょうか? お金ないんですよね?」
「そこまでしなくていい……。もう充分助かったから……」
「でも、どうするんですか? お金」
「多分、まだホテルにあるはずだから……」
ソフィーはもう一度レイファの下に戻るつもりなんだろうか。
正直、今の状態のソフィーとレイファを面会させるのには抵抗を覚える。
ソフィーをいらないものとして、切り捨てたレイファ。
そんな彼女が今の弱っているソフィーを見て、同情を覚えるとは思わない。
無情に突き放すのが関の山だ。
「わかりました。じゃあ、俺も同行しますよ」
「どうして……」
「今の状態のソフィーさんを一人で行かせるのは不安だし」
「大丈夫だから」
「それにミーヤと話をしたいってのもありますから」
ミーヤとはダンジョン制覇をするまで顔を合わせないと誓った、いわばライバル的存在だ。
だけど、同時に彼女は幼馴染だ。あの危ない王女様の下で活動するのは引き止めたい気持ちはあった。
「どうせですし、一緒に行きましょうよ。レイファ様のところに一人で行くのも、気まずいんですよね。俺も連れていってくれると助かります」
俺としては、ミーヤよりソフィーをほっとけないという気持ちの方が強かったが、それを前面に押し出せば、ソフィーは同行を拒否するはずだ。
だから、建前としてミーヤの件を持ち出す。
「……わかった」
彼女もこちらの建前を受け入れてくれたようだ。
「ありがとう」
とソフィーは付け加える。
どうやら俺の簡単な建前など、彼女には見破られているようだ。
まあ、いい。俺が見ていれば、ソフィーはそこまで危険な行動を起こさないだろう。
それこそ、豪雨の中外で一晩過ごすといったような。
「それじゃあ、ひとまずは朝ご飯食べてから行きません?」
「でも、それは悪いから……」
「俺としてもお腹ペコペコのまま行きたくないですし、こんな朝早くに押しかけてもレイファ様に門前払いされちゃいますよ」
ソフィーは窓の外に目を向ける。
街には薄霧がかかっていて、やっと日が出てきたといった頃合いである。
「うん……」
やっと自分が非常識な時間帯に出向こうとしていることに気がついたようだ。
やっぱりまだ本調子とは程遠いらしい。まだ正常な思考回路が戻っていないようだ。
これはレイファの下に一人で行かせなくて正解だったな、と思ったのであった。




