29:ブルーローゼス家の兄達
「テントの色を変えたって、途中から飲食店になったってこと?」
「販売内容が変わったわけじゃない。開催期間中にテントが破けたと交換の申し出があったが、赤色のテントの予備が無くて青色のテントを貸し出したらしい。報告書に記載があった」
「報告書?」
「催事の報告書だ。運営に直接関与しているわけではないが何度か助言を求められていたから、一通り目を通している」
助言だけとはいえ関わったならば報告書をチェックし、もちろんそこに不備があったり人手が必要になったら出来る限りのサポートをする。
なんとも真面目で責任感のあるジョシュアらしい話ではないか。
その真面目さと誠実さ、そして仕事が重なっても完璧にこなす優れた手腕に惹かれ、周りが彼を頼り慕うのだ。
「店の場所も記載があったから大まかには覚えている。……ここらへんだったはず」
広場の地図。その一角をジョシュアが指差した。
誰もが地図を覗き込む。確かに、テオドールが記憶を辿りながら書き記した動線とも合っている。
だが分かったのはここまでだ。報告書は既に返却しているため、店の詳細までは分からない。
そもそも店がわかったところで既に撤収済み。早々に次の目的地に向けて発ったのか、あるいはまだ近辺にいるのか、そこまでは報告書にも記されていない。
一つ分かってもまだ先は長い。
そうジョシュアが小さく呟けば、隣で地図を覗いていたグレイヴも同感だと頷いた。
「でも、毎年出店してる店なら親しい常連客や知人がいるんじゃないか? もしかしたら次の目的地を知ってるかもしれない」
「いや、今年が初出店だと記載されていた」
人伝に行き先を探る線も望みは薄い。そうジョシュアが伝えればグレイヴが肩を落とす。
そんなやりとりに「ちょっと待って!」と声が割って入ってきた。
ライアンだ。彼は慌てた様子で地図とジョシュアを交互に見だした。
「今、初出店って言ったよね? 地図のここらへんで、初出店の店!」
「あ、あぁ、言った……。報告書に書かれていたし、初出店なのに不備があり申し訳ないと思ったから覚えている」
なぜ『初出店』という点を言及されているのか分からず、ジョシュアが気圧されつつも肯定する。
それを聞き、ライアンは今度はシャルロッテへと近付いていった。先程のジョシュアのようにしゃがんで視線を合わせ、膝の上に置かれた小さな手に己の手を重ねる。
「シャルロッテ、そのお店って、僕達ぐらいの年齢のお姉さんとお兄さんがいなかったかな?」
「ライアンお兄様ぐらいの……?」
「そう。確か黒か紺色の髪だったはず。二人とも同じ髪色のお姉さんとお兄さん」
「……かみの色」
問われ、シャルロッテは記憶を思い出すために首を傾げてみた。
リシェルが手にしていたロミーをそっと差し出してくれる。ぎゅうと抱きしめればより落ち着きを取り戻し、記憶を辿れる。
お店には優しそうなお姉さんがいた。それと、確かにお兄さんもいた。二人の髪の色は……。
「黒……、黒い髪のお姉さんとお兄さん。それでね、お姉さんもお兄さんも、いつもいっしょにお店にいました」
「それで、二人ともとっても明るくて、いつも笑ってた」
「お姉さんもお兄さんもいつもニコニコでした」
シャルロッテが返答すれば、ライアンが頷いて同意を示す。
このやりとりに、周囲の者達はついていけずに疑問を抱くだけだ。
ジョシュアが代表するように「知り合いなのか?」と尋ねれば、ライアンが苦笑して首を横に振った。
「知り合いってわけじゃなくて……。実は僕さ、初出店のお店には声掛けするようにしてるんだ」
「声掛け?」
「あ、でも視察とか真面目なものじゃないよ! ただ、こういうのに初めて参加するって緊張しそうだから。僕が覗いて、ちょっと話せば、周りとの会話の切っ掛けになるかなって」
その程度、遊びを兼ねて、むしろ遊びと買い物が本命。そう苦笑しながらライアンが話す。
だが実際、ライアンの訪問が周囲と打ち解ける切っ掛けになったという店は少なくない。
初出店で緊張する中に現れた公爵家子息。その朗らかさ気さくさに驚いていると、他の店員が「あの方はいつも声掛けしてくださるの」と話しかけ、そこから交流が始まる……。
そしてライアンの声掛けで交流するようになった店は、翌年以降、公爵家子息の突然の来店に驚く店員に話しかけるようになっていくのだ。
なんともライアンらしい話ではないか。
ライアンが周囲を好きでいるからこそ、そして周囲がそんな彼を好きでいるからこそ、彼を介して親交を深めていく。
この話に誰もが感心していると、気恥ずかしくて耐えられなくなったのかライアンが「それより!」と声をあげて話題を変えた。
「今はその店だよ。兄弟でいろんな国をまわってるって言ってた。それで、ここでの出店が終わったら次は……」
どこだったか、と記憶を辿りながらライアンが一つの土地名を口にした。
それとほぼ同時にテオドールが地図を開き、さっと二ヶ所に丸をつけた。
現在地である王都と、先程ライアンがあげた土地。件の店が向かう次の目的地だ。
距離はそこまでだが、道は幾重にも別れている。
「どの道で行くかは聞いているか?」
「さすがにそこまでは……。ただ、長く移動販売をやっているから設営や撤収は早い、移動も慣れたもの、と話してました」
祭りが終わり次第撤退し、次の目的地へ。
そこでも販売し、馴染みの店にいくつか商品を卸し、また次へと移る……。そう話していたという。
「ネックレスが売れてしまう可能性もある。早めに追いついた方が良さそうだな」
「手分けして追いましょうか」
「そうだな。だが馬の数より経路の方が多い。どこかから馬を借りてくるか」
一刻も早く追いたいが、追うべき道が分からない。そのうえ追う術が足りず、これでは虱潰しも出来ない。
どうしたものかとテオドールが深く息を吐くと、「あ、あの!」とまたも声が割って入った。
今度はハンクだ。
誰もが彼に視線を向ければ、注目されるのは辛いと視線をそらしてしまう。……が、視線をそらしはしても引くことはせず「少し待っててください!」と告げると部屋を飛び出してしまった。
そうして待つこと少し、再びハンクが部屋に戻ってきた。
手には二体の人形。それを地図の上に置く。
仮にここに何も知らぬ者が居れば、この緊急時にどういうことかと疑問に思うだろう。幼いシャルロッテならばまだしも、人形遊びなんてしている場合かと怒りだす者がいてもおかしくない。
だがハンクが持ってきたのはただの人形ではない。
「精霊が中にいるのか?」
「は、はい。彼らならと思って……。皆、さっき話した通りなんだ。シャルロッテが悲しんでる……、だからどうか力を貸してほしい」
ハンクが手にした人形に告げる。次いで虚空へと視線をやると、件の店の目的地やそこまでの経路、店員の特徴を伝え始めた。
何もないはずの場所へ。当然だが返事も無い。
シンと周囲が静まり返る……。
だが次の瞬間、まるで鈴のような高い音が数度鳴り響き、室内のあちこちが瞬きだした。
たとえるならばシャボン玉がパチンパチンと割れるようなほんの一瞬の音と光。恐怖を感じる暇すらなく、周囲を見回している内に静かになってしまう。
そうして音が止めば、残されたのはいまだ呆然とする面々と、窓を見つめるハンク。それと机の上でカタカタと揺れる二体の人形。
「今のも精霊か……?」
「はい。普段は僕にも殆ど見えないんですけど、た、たまに、ああやって光ったりするんです。多分、い、今のは……、返事と、や、やる気があって、光ったんだと思います……」
「そうか。協力してくれるのなら有難い」
「彼等は僕達と違って、凄く早く移動できるんです。光とか音みたいに……。それに、遮蔽物も関係無くて……。あ、あと、伝達能力も違っていて、離れていても、精霊間でやりとりが出来るみたいなんです……」
「そんなことが可能なのか?」
「はい……。で、でも、全ての精霊がそうかは、わ、分かりません。ただ、僕の部屋によく来る精霊達は、そういうことが出来るみたいで……」
だから今回の件で彼等に協力を求めた。
そうハンクが話す。普段以上にしどろもどろなのは注目されている緊張からだ。
この話にテオドールが「凄いな」と純粋な感心の言葉を口にした。
騎士隊を率いる者にとって、移動や伝達能力の向上は常に掲げる目標である。それを精霊達は人知を超えた方法でこなしてしまうのだ。
まさに次元が違う。『凄い』と口にしたが、この一言では到底言い表せられない。
そんなテオドールの考えを察したのか、ハンクが「でも」と小さく呟いた。
「その……、国のためとか、き、騎士隊にとかは、利用はできないと思います……。彼等はすごく気まぐれで……」
精霊は気紛れで、根本的な価値観や常識が人間とは異なる。今回の件も、日頃人形を作っているハンクの頼みで、なおかつ普段から共に遊んでいるシャルロッテが悲しんでいるから力を貸してくれたに過ぎない。
そうしどろもどろで話すハンクに、テオドールが穏やかな笑みを零した。
「大丈夫だ、利用するつもりはない。ハンクの大事な友人だろう。彼等の助力はお前がここだと決めた時に求めれば良い」
「僕の友人……。わ、わがままで、困らされてばかりですけど……」
テオドールの言葉にハンクもまた穏やかに苦笑する。
だが次の瞬間、カタンッと高い音が響き、誰もがはっと息を呑み音のした方へと視線をやった
地図の上に置かれた人形がカタカタと動いている。
「せいれいさん……」
フレデリカに抱き着いていたシャルロッテが精霊を呼び、彼等のもとへと向かった。
どうしたのかと窺うように彼等に顔を近づければ、一体の人形がゆっくりと腕を上げ、関節部をクイと曲げて一角を指差した。
もっとも、人形の手は指までは動かないため開いた手ごと向けているのだが。
「ペン? せいれいさん、おえかきしたいの?」
人形の手の先にあるのはペン。つまり精霊はペンを欲しがっている。
そう考えてシャルロッテがペンを渡せば、二体の人形がしがみつくようにして支えた。
そのままズリズリと何かを書き込む。だが随分と危なっかしく、シャルロッテは泣きすぎて掠れた声でそれでも「ロッティがおてつだいします」と彼等が持つペンを支えた。
精霊は地図に何かを書き込んでいる。
人形という小さな器でペンを持っているため、たどたどしい線で……。
それでも地図上の一角をぐるりと丸で囲んだ。
「この場所にいるのか。やはり移動が早いな」
とは、地図を眺めてのテオドールの言葉。
精霊が丸を付けた場所は王都から随分と離れている。
きっと昼過ぎに祭りが終わるや撤収し、すぐに移動を始めたのだろう。長年移動販売をやっていたと話しているあたり、初出店と言えども手馴れていたはず。もしかしたら今もまだ移動中の可能性もある。
「急ぎ向かった方が良さそうだな。馬の手配を」
テオドールが馬の準備を使用人達に命じる。
だがそれに今度もまた「俺が行きます!」と声が割って入った。威勢の良い声。これはグレイヴだ。
「グレイヴ、お前に夜間走らせるわけには」
「父上はお酒を飲んでますよね。飲酒後の乗馬は極力避けるようにと騎士隊で言われているはずです」
「そうだが、今回は例外だろう。それに酒の一杯や二杯でへまはしない」
テオドールが反論するも、グレイヴはそれでもと食い下がる。
そのうえ「父上はシャルロッテのそばにいてやってください」と言われれば、さすがのテオドールも逡巡した。
シャルロッテは精霊の入った人形とロミーを抱えてこちらを見ている。泣き止んではいるものの、いまだ不安そうにしている。確かにそばにいてやった方が良いだろう。
「だが……」
「今この家の中で、一番速く走れるのは俺です」
堂々としたグレイヴの断言。強い意志を感じさせる瞳。
それをじっと見据え、テオドールが苦笑を浮かべた。「頼むぞ」とポンとグレイヴの肩を叩く。
「すぐに準備してきます!」
使用人に馬の準備を指示し、自らも準備のためにとグレイヴが自室へと向かう。
残された者達は事態の解決を願いつつ、他にするべきことは無いかと考えを巡らせた。




