26:公爵家四男の弟生活
グレイヴ・ブルーローゼスはシャルロッテが来るまでブルーローゼス家の末子だった。
四人兄弟の四番目。それは彼の身長がどれだけ伸びようと、見目が立派になろうと、騎士見習いとして働こうとも変わらない。
生まれた順番というのはどうしたって変えようがないのだ。これを引っ繰り返すのは大陸一の公爵家とて無理な話。
それがどうにもグレイヴには不満だった。
弟、末子、というのはどうしても幼いイメージがついてしまう。自分は身長も伸びて体も鍛えて、見習いとはいえ騎士として働いているのに。
……という考えで不満を抱くことこそが幼いのだと言われかねないが、グレイヴはまだ十三歳、大人に憧れて子供扱いを嫌がる年齢なのだから仕方ない。
そんなグレイヴの前に現れた幼い少女シャルロッテ。
最初こそ『保護された少女』でしかなく「なぜ我が家に」と公爵家子息として疑問や困惑を抱いていたが、それらすべてシャルロッテの一言で吹き飛んでしまった。
「グレイヴお兄様」
たどたどしい言葉遣いで、こちらの様子を窺うように。それでも『お兄様』と呼んでくれたのだ。
あの瞬間、グレイヴは末子ではなく兄になった。
……兄になった、はずである。
否、確かになった。だけど。
◆◆◆
「俺はもう末子じゃなくて兄のはず……」
そう呟きながらグレイヴが屋敷の中を歩く。
今日は昼から騎士隊の訓練があり先程帰ってきたばかりだ。既に時刻は夕刻、外は暗い。
もっとも、先輩騎士の殆どはまだ訓練所や詰め所に残っており、中には夜間訓練や夜通しの警備に就く者も少なくない。
さすがに十三歳を夜間に働かせるわけには、という考えのもと帰されたのだ。気遣いが有難い反面、子供扱いのようで些か不満でもある。
とりわけ今は不満を抱かせるものが頭上にあるから猶のこと。
「グレイヴ、ちょうどいいところに……」
そう声を掛けてきたのは長男ジョシュア。
一室から出てきた彼はタイミングが良かったと言いたげな表情で声を掛け、かと思えば突然言葉を止めてしまった。
ジョシュアの視線がグレイヴから隣へとずれる。正確に言えば、グレイヴの頭上、少し右。
言わんとしていることを察し、グレイヴが問われる前に「買ったんじゃない、父上達から貰ったんだ」と先手を打った。
「そ、そうか。よかったじゃないか。それで、先程来てた客からお菓子をもらったんだ」
「お菓子?」
「数があるからシャルロッテとグレイヴにと思って」
配るほどの量はなく、さりとて一人で食べる量でもない。 だからグレイヴとシャルロッテにわけようと思った。
そう話しつつ、ジョシュアが小さな袋に入った焼き菓子を渡してきた。有名店の品物らしい。
それを素直に受け取れば彼は満足そうに笑った。
「すぐに食べるのは良いけど一つにしておいたほうがいい。夕飯が食べられなく……、はグレイヴのことだからならないか」
「ひとを大食らいみたいに言わないでくれ。動いてる分を食べてるだけでちゃんと計算してる」
「それなら安心だ。それじゃあまた夕飯の時に。あぁ、そうだ」
部屋に戻りかけたジョシュアが再び戻ってくる。
一体なんだと問えば、彼はグレイヴの右上に一度視線をやり、
「似合ってるぞ」
と、微笑ましそうに笑い、再び部屋に戻ってしまった。
言われたことが理解出来ずにグレイヴがしばしきょとんとする。だが次第に眉根を寄せ、自分の右上を睨みつけた。
さっさと部屋に戻ろう。
そう考えて自室に向かうも、ふと思い立って進路を変えた。
向かったのはブルーローゼス家の一階、その奥……、だったのだが、通路を歩いていると「グレイヴ!」と楽し気な声で名前を呼ばれた。
聞き覚えのある明るい声。とりわけ今は楽しいと言いたげに弾んでいる。……今一番聞きたくなかった声でもある。
「まっすぐ部屋に戻ればよかった」
「酷いなぁ、その言い方。せっかく優しいお兄様が可愛い弟にお土産を買ってきてあげたのに」
窓の縁に寄りかかりながら不満そうにライアンが訴える。もっとも、妙に嬉しそうなあたり不満そうなのは只の演技だ。
「弟のつれない態度に傷付いた」とまで言ってくるが、これも演技なのは言うまでもない。現にグレイヴがジロリと睨みつけても臆する様子無くニコニコと笑っている。
だがお土産というのは本当らしく、小さな箱を差し出してきた。
「これは?」
「紅茶用のお砂糖だよ。中に色付きのお砂糖が入ってるんだ。市街地のお祭りに顔出したんだけど、可愛いから買ってきちゃった」
「……なんで俺に?」
「可愛い弟にお土産を買ってくるのは当然だよ。でもお土産が被らなくてよかった」
満面の笑みで語るライアンに、グレイヴはむぐと言葉を詰まらせた。
ライアンの視線は露骨にグレイヴの右上へと向けられている。やたらと嬉しそうな笑みだ。
だが文句を言ったところで揶揄われるだけ。最近になって知ったが、この兄は弟の反応を逐一楽しむ趣味がある。
ならばここはさっさと話を終わりにするべき。そう考えて「お土産ありがとう」とだけ告げてその場を後にした。
そうして訪れたのはハンクの部屋。
軽くノックをして最初の部屋に入り、次の部屋へと向かう。こちらの扉はノックをして「兄さん、俺だ」と声を掛ける。
扉の奥で何かが動く音がして、ゆっくりと開かれた。
「グレイヴ? どうしたの……。い、いや、本当にどうしたの?」
長年の癖なのか、相変わらず扉を少しあけて顔を覗かせてくる。
そんなハンクは弟の訪問に不思議そうな表情をし、そして視線をずらすと不思議を通り越して怪訝な顔になった。
グレイヴと、グレイヴの右上にあるものを交互に見る。
「えっと……、も、もしかして、……お土産?」
「そうだ。父上と母上から。その口振りからするとハンク兄さんはこれを貰ってないんだな」
「市街地のお土産なら、ぼ、僕は金平糖をもらったよ……。綺麗な布に包まれてて……、シャルロッテが、僕達に合う色を選んでくれたって」
「俺もそれは貰った。……ハンク兄さんはそれだけだったんだな」
「うん……。ま、まぁ気にしない方がいいよ……。きっと、父上達も、ちょっとはしゃいでるだけだと思う、から……」
一応のフォローを入れてくれるハンクに、グレイヴは素直に「ありがとう」と感謝の言葉を告げた。
そうして彼の部屋を去っていく。自分の頭上でふわふわと揺れるものを連れて……。
自室の手前までくると、「グレイヴお兄様!」と声を掛けられた。
振り返ればこちらにパタパタと駆け寄ってくるシャルロッテ。それと、まるで彼女の後を追うようについてくる……、ピンク色の風船。
「シャルロッテの風船はピンク色なのか」
「はい。ロッティね、ふうせんとお家のなかをさんぽしてました。ふわふわして、ロッティがヒモを引っ張るとブワンってして、たのしかったです」
「そうか、良かったな。でも手を放すと飛んでいくから気をつけないとな」
「はい。ふうせんはおうちの中でお散歩する時だけです。それいがいは、ロッティのお部屋で、オモシ? をつけようってリシェルが言ってくれました」
嬉しそうにシャルロッテが話す。時折自分の手首に結んであるヒモを軽く引っ張り風船を揺らして楽しみながら。
どうやらよっぽど気に入っているらしく、風船の動きを見るシャルロッテの瞳はキラキラと輝いている。
そんな輝いた瞳のまま、シャルロッテがグレイヴへと視線を向けてきた。
……正確にいうのなら、グレイヴの右上、そこで紐に繋がれてふわふわと揺れる風船へと。
◆◆◆
話は数十分前に遡る。
帰宅したグレイヴはテオドールとフレデリカに声を掛けられた。
青色の風船を手に「おかえり」と出迎える二人の姿は些か奇妙ではあるが、すぐさま市街地に行ったのだと分かった。
なるほど、そこでシャルロッテに風船を買ってやったのか。と、納得する。
「父上、母上、今戻りました。父上達は今日は市街地に?」
「えぇ、シャルロッテと三人で行ってきたの。あの子ってば凄いはしゃいでね、今は屋敷中に話して回ってるわ。どこかで会ったら話を聞いてあげて」
「わかりました」
きっとシャルロッテは瞳を輝かせて興奮しながら今日のことを話しているのだろう。
想像するだけで愛おしさが募る。フレデリカには『どこかで会ったら』と言われたが、むしろ今すぐにシャルロッテを探しに行きたいぐらいだ。
それを話せばテオドールとフレデリカも笑い、次いでフレデリカがお土産だと布に包まれた金平糖を渡してきた。青い綺麗な布だ。曰く兄弟全員に買っており、誰に何色の布にするかはシャルロッテが選んだらしい。
その話を聞けばますますシャルロッテを探したくなる。
……だけど、
「それとこれを」
と、テオドールが手にしていた風船を差し出してくると、グレイヴの頭の中は今度は疑問でいっぱいになった。
青い風船。逞しい父の手から紐が伸び、その先でゆらゆらと揺れている。
「風船……。シャルロッテに渡せばいいんですか?」
「いや、お前にだ」
「俺に? 風船を? 俺に?」
なんで? とグレイヴの頭の中で疑問が増す。
だというのにテオドールは動けずにいるグレイヴの右手に勝手に風船の紐を括りつけて渡すと、「似合うな」「似合うわね」とフレデリカと共に微笑みだした。
いまだ動けずにいるグレイヴの頭上で、風船がゆらゆらと揺れる……。
「父上、母上、まったく状況が飲み込めないんですが……、この風船は……」
「はしゃぐシャルロッテを見て、お前達の昔のことを思い出したんだ。ジョシュアとライアンは幼い頃に連れてきてやっていたが、ハンクは人込みを嫌がって連れて来てやれなかった。そしてグレイヴ、お前のことも連れてきてやれなかっただろう」
「グレイヴが小さい頃はちょうどテオドールが騎士隊長に就任した頃だったし、色々なことが重なって慌ただしかったのよね。すぐに大きくなって、お友達と行くようになって。だからせめてと思って買ってきたの。似合ってるわ」
「はぁ……、そう、ですか」
両親の話に、いまだグレイヴは碌に動けず簡素な言葉を返すだけだ。
軽く右手を動かせば風船が揺れる。なんとも言えない独特な感覚だ。テオドールとフレデリカが「遊んでるな」「喜んでくれてよかった」と微笑み合う。
「で、では、俺は部屋に戻ります……。ありがとう、ございました……」
そうぎこちない言葉と共に、グレイヴは自室へと戻っていった。
両親が微笑まし気に見守ってくる。
……風船を連れて歩く自分を。
◆◆◆
そんな経緯があり、今、グレイヴの頭上で風船が揺れているのだ。
風船をもらった直後こそ理解が追い付かなかったが、しばらく経った今ならば両親の言い分も分かる。
確かに、市街地のイベントに両親に連れて行ってもらった記憶はない。幼い頃は屋敷の使用人達に、十歳になると友人達と行くようになった。去年は先輩騎士達に誘われて警備がてら見て回った。
それを両親は申し訳なく思っているのだろう。
手を掛けてやれなかった、もっと遊びに連れて行ってやればよかった……。と。
なるほど、それなら改めて土産を買ってくるのも分かる。
分かる。だけど。
「さすがに風船はないだろう……」
溜息交じりにグレイヴが呟けば、シャルロッテが「お兄様?」と首を傾げた。
はっと息を呑む。確かに自分はもう風船を喜ぶ年齢ではないが、今目の間にいるシャルロッテはまさに風船を喜ぶ年齢なのだ。
ここで自分が意気消沈してはシャルロッテをガッカリさせてしまうかもしれない。
「ふ、風船を持つのは久しぶりだな……! シャルロッテは屋敷中に風船を見せてきたんだろう? どうだった」
「みんな『すてき』って褒めてくれました。グレイヴお兄様の青いふうせんは、ロッティがえらんだんです!」
「そうか。シャルロッテが選んでくれたのか、ありがとう。俺は部屋に風船を置いてくるけど、シャルロッテはどうする?」
「ロッティもふうせんとおへやにいきます。ご飯のときは、ふうせんがあったら食べられないってお母様が言ってました」
「それならまた夕飯のときに」
「はい!」
一時的な別れの言葉を告げれば、シャルロッテも元気よく返事をし、風船とリシェルを連れて部屋へと戻っていった。
ふわふわと揺れるピンクの風船。その下を歩くシャルロッテ。リシェルと何か楽しそうに話し、彼女に風船を突かれるとキャァと高い声で笑った。その姿も、その後ろ姿も、声も、なんて可愛らしいのだろうか。
……そんな可愛らしいシャルロッテと、色違いの青い風船。
軽く右手を動かせばゆらゆらと揺れる。
「シャルロッテが来て俺は兄になった。……はずなのに、以前より弟扱いが増してるのはどうしてなんだ」
眉根を寄せてグレイヴが呟けば、頭上で風船がゆらゆらと揺れた。




