25:甘くておいしくてすぐに消えるふわふわ
市街地で大型のお祭りが開催されている。
国内どころか近隣諸国から店が集まり、広場を中心に何十もテントが並ぶ。見世物やイベントも行われ、常設の店や飲食店もこの日のための商品を出す。一年に一度の大イベントだ。
シャルロッテはこのイベントを、テオドールに抱っこされながら見て回っていた。
隣を歩くのはフレデリカ。テオドールに抱っこをされてきょろきょろと周囲を見回すシャルロッテを愛で、時には「そんなに首を動かしてると酔っちゃうわよ」と頬を撫でて落ち着かせてくれる。
「お店がいっぱいで、ひとがいっぱいで……!」
「何を見ていいのか分からなくなっちゃってるのね。大丈夫よ、シャルロッテ。今日だけじゃないから見終わらなければまた明日来ればいいし、ゆっくり見て回りましょう」
クスクスと笑いながらフレデリカが優雅に歩く。後ろを歩くお付きの者達も微笑まし気だ。
だがどれだけ宥められてもシャルロッテの興奮は冷めず、あっちを見たりこっちを見たりと忙しなくしていた。興奮のあまりテオドールの服を掴む手にぎゅうと力が入り、それだけではたりないと彼にしがみつく。
テオドールにしがみついていないと興奮して走り出してしまいそうなのだ。右も左も正面すらも気になるものばかりで、無意識に体が前へ前へと傾いてしまう。何度抱き直されたことか。
「おみせと、ひとと、キラキラがいっっぱい」
「いつもの広場と比べてずいぶんと変わっただろう」
天気が良い日には散歩にきていた広場。馬車に乗れなくなってからも、グレイヴが馬に乗せて連れて来てくれていた場所。
だが今日は店が並んでおり、面白いことがあちこちで行われている。木や街灯も飾られていて、まるで絵本で読んだ不思議な世界のようではないか。賑やかで楽しそうなことがいっぱいで、居るだけでワクワクしてしまう。
「お父様、見て! ボールがふわふわういてます!」
「あれは風船だな。帰りに一つ買って帰ろう」
「なんだか甘くていいにおい」
「焼きたてのタルトだ。せっかくだし食べながら見てまわろうか」
「あれは……、あれはなんですか?」
「あれは……、なんだろうな? だがまぁとりあえず買おう」
そんな話をしながら店や出し物を見て回る。
どれもこれも初めて見る物ばかり。それもすべて楽しそうだったり美味しそうだったりで、シャルロッテは終始興奮して瞳は輝きっぱなしだ。――テオドールの財布の紐も緩みっぱなしだが、なにせ大陸一の公爵家だ、端から端まで買い漁っても支障はない――
いつもの公園や市街地も楽しいが、今日はいつも以上に楽しい。
気になるものばかりできょろきょろと周囲を見回していると、何かを見つけたテオドールが「あれは」と小さく呟いた。
彼の視線の先には一軒のテント。赤い屋根は飲食店だとテオドールとフレデリカが教えてくれた。
小さな子供とその保護者であろう大人が店を眺めており、その中の一人が店員から品物を受け取っている。
ふわふわしてるあれは……、雲?
「お空のくもも売ってるんですか? ……たべてる!」
「コットンキャンディだ。食べたことはあるか?」
「トットンキャンディ? キャンディはあるけど、トットンはないです」
キャンディは食べたことがある。甘くて小さいお菓子だ。だけど硬くて、噛むのではなく口の中で溶かす。
だが目の前の店が売っているトットンキャンディもといコットンキャンディは硬そうに見えない。むしろふわふわと揺れていて、まるで空に浮かぶ雲のようではないか。
試しにとシャルロッテが空を見上げれば、今も晴天を白い雲がゆったりと流れていっている。まさにあれだ。
どういう事だろう?
どうして空にある雲を売っているのだろう。それも受け取った子供達は美味しそうに食べている。
シャルロッテが空を見上げたまま疑問を抱く。口が開いてしまっているのは見上げているのと、頭の中が疑問でいっぱいだからだ。
その様子がおかしかったのかテオドールが笑い、フレデリカも優しい笑みを浮かべて扇子の房でシャルロッテの鼻を擽ってきた。
「そんなにお口を開けていると入れちゃうわよ」
「ロッティ、お母様のふさふさ食べません」
フレデリカの冗談に、シャルロッテが庇うように自分の口を両手で押さえて笑う。
「せっかくだし房じゃなくコットンキャンディを食べてみましょう。甘くてふわふわしていて美味しいのよ」
「トットンキャンディはあまくてふわふわですか?」
「そう。きっと気に入るわ」
行きましょう、とフレデリカが歩き出せばテオドールがそれに続く。
彼に抱っこされているシャルロッテも当然フレデリカに続き、次第に濃くなる匂いにすんすんと周囲を嗅いでみた。匂いすらも甘い。
そうして買ってもらった『コットンキャンディ』は小さな容器に入っており、やはり雲のような見た目だ。
大きな塊の端を摘まんで取る。硬さはない。それどころか柔らかいと感じるほどの感触も無い。とにかく柔らかく、そしてとにかく軽い。
よく見るとキラキラした糸のようなものが重なっている。だがシャルロッテがじっと観察していると指に触れた部分から溶け始めてしまった。
慌ててパクンと口に入れ……、
その瞬間、シャルロッテは元より大きな目を更に大きくさせた。
甘い。
口に入れた瞬間に口の中いっぱいに甘さが広がる。
だが肝心のコットンキャンディ自体は口に入れた瞬間に一瞬で消えてしまった。
マシュマロよりも柔らかく、ラムネや以前にレスカがくれた『素敵な夢を見てぐっすり眠れるお薬』よりも早く消えてしまう。
あまりにあっという間で、食べたと感じる暇もなかった。口に入れるのとほぼ同時に消えてしまったのだ。だけど凄く甘い。
その不思議さと美味しさといったら。
思わず頬を押さえてしまう。
「トットンキャンディ、ふわふわであまい! あのね、お口のなかにいれたらね、すぐに消えてね、でもあまくてね!」
瞳を輝かせて美味しさを伝えれば、テオドールとフレデリカがまるで自分が食べたかのように嬉しそうに頷いた。
そんな二人にもコットンキャンディを差し出せば、二人も口にして甘い美味しいと話す。
それを聞きつつまた一口食べる。ふわりとした柔らかさと軽さ、口に入れた瞬間に溶けて、だけど甘い。なんて美味しい。一口食べてはその美味しさに頬を押さえ、また一口……。
そうしてあっという間に食べ終えてしまった。
「ベタベタね」とフレデリカが苦笑しながら手と口をハンカチで拭いてくれる。
「随分と気に入ったようだな。もっと買ってやりたいが、すぐに溶けるから持ち帰りには不向きだな。……いっそ店ごと」
「テオドール」
「……いや、なんでもない。明日も来よう。また買ってやるからな」
テオドールの言葉に、また食べられるとシャルロッテは胸を弾ませて「はい!」と答えた。
そうして再び店や出し物を見てまわる。
見た事がないものばかりだ。店以外にも、魔法のような手品やボールを巧みに使った曲芸、音楽を奏でている人もいる。
それらを時にテオドールに抱っこしてもらいながら、時にフレデリカと手を繋ぎながら見て回る。
そんな中、一軒の店でフレデリカが足を止めた。
青い屋根のテント。青は雑貨屋だと教えてもらった。見ればアクセサリーが並んでおり、どれもキラキラと輝いている。
「珍しいものを売ってるのね」
フレデリカが興味を抱いて店先の商品を覗けば、店員の一人が気付いて声を掛けてきた。
若い女性だ。年はジョシュア達ぐらいだろうか。活発な好印象を与える口調と態度だが、隣の店の店員からフレデリカの正体を教えてもらうと途端に背筋を正してしまった。なにせ相手は公爵夫人だ、身構えるのも当然。
もっともフレデリカは気にする様子なく「気にしないで、ただの客よ」と微笑んでいる。
「珍しいデザインのものが多いのね」
「は、はい。私共は世界中まわってアクセサリーを買い付けているんです」
「素敵、世界中の宝石商を集めたみたいだわ」
「そんな……。それほど立派なものではありません。ですがもし気になったものがありましたら、ぜひお手に取ってみてください」
フレデリカの褒め言葉に若い店員が嬉しそうにはにかんで話す。
そうして幾つか説明をしてもらい、フレデリカはネックレスを三つ、イヤリングを二つ購入した。
「あら、こっちは子供用かしら。シャルロッテ、なにか欲しいものはある? ……シャルロッテ?」
フレデリカが数度名前を呼んでくる。
だがシャルロッテはそれに気付かず、テオドールに抱っこされたまま一点をじっと見つめていた。
並ぶアクセサリーの中、とびきり輝いて見えるネックレス。
薄紫色の石、それを囲う金の石座。石座もただ石を嵌めるだけではなく凝ったデザインをしており、石と石座が合わさって一つの作品のような美しさだ。アクセサリークッションにきちんと置かれており、白い箱と合わさってか妙に目を引く。
それをじっと見ていると、テオドールが「これか?」とひょいと手を伸ばして箱ごとシャルロッテの目の前に持ってきた。
なんて綺麗なのだろうか。
石が、石座が、キラキラと輝いている。
「欲しいのなら買おう。大人の女性用だから鎖を短くして、これに合わせて少し大人びた服を仕立てるのも良いな」
「お父様、これ……」
欲しい、と、言いかけ、だがシャルロッテは小さく息を呑んだ。
箱に書かれている値段を見たのだ。数字がいっぱい書いてある。
生憎とシャルロッテはまだ大きな数字は読めない。だがそんなシャルロッテでも一瞬で分かる、この数字は大きい。
つまり高価なものだ。それも凄く。きっとビックリしてしまうぐらい。
そう考えると「欲しい」という言葉を口にすることが出来ず、ぐっと飲み込んだ。
「あ、あの、ロッティ、見たかっただけです」
「買わなくていいのか?」
「はい。キラキラしてて、きれいなものがいっぱいだなって思って、でもロッティ、トットンキャンディたべておててがベタベタだから、さわっちゃだめだなって、それで見てました」
そうテオドールに話せば、彼は疑うことなく「そうか」と答えると箱を戻してしまった。
シャルロッテの目の前から美しいネックレスが去っていく。なぜだかそれが少し寂しく感じたが、目で追うと箱に書かれたたくさんの数字まで視界に入ってしまう。出かけた言葉をもう一度飲み込む。
ただ見てただけ。
キラキラしてるなと思っただけ。
だから欲しいわけじゃない。
心の中で自分に言い聞かせ、もうネックレスを見ないようにとテオドールに向き直った。
彼の目の前で「おててベタベタ」と両の手を広げる。コットンキャンディを食べたせいだ。フレデリカがハンカチで手を拭いてくれたが、それでもまた少しペタペタする。
「どこかで洗ってこようか。フレデリカ、すまないがシャルロッテの手を洗ってくるからここで待っていてくれ」
テオドールが告げれば、店員に品物を包んでもらっていたフレデリカが「いってらっしゃい」と見送ってくれた。
そうしてテオドールが歩き出せば、ネックレスが遠ざかっていく。
すぐに見えなくなり、青いテントすらも人込みの中に消えていく。
「お父様……」
「どうした?」
「……あしたもつれてきてくれますか?」
また来たいと強請れば、テオドールがすぐに頷いてくれた。
明日もまたあのネックレスを見にこよう。
きっと凄く高いものだから買ってほしいなんて言えない。
だから明日も、明後日も、まいにち見にくればいい。




