24:もっちり令嬢とふわふわ猫さん
馬車にはまだ乗れない、グレイヴが馬に乗せてくれる。
彼に支えられて、彼の愛馬に乗って、どこまでだって行けるのだ。
それを友人達に話したところ、先日、マリアンネから手紙が届いた。
『ぜひボンボンに会いにきてくださいませ』
と。これはお茶会兼ボンボンとの交流会の招待状である。もっとも、招待状に書かれている文字は拙く綴りの間違いがあるため、母親が清書したものが添えられているのだが。
それでもシャルロッテにとっては自分宛の友人からの招待状。嬉しくなり、さっそくペンを握って「ロッティ、おへんじかきます!」と意気込んだ。――もちろんこれにもフレデリカの清書が添えられていた――
ボンボンとはマリアンネの家で飼われている猫である。
黒毛の長毛種。全身、それも鼻も肉球も真黒で、瞳だけが金色。その黒さゆえ暗闇に溶け込み、目だけをキラリと輝かせてマリアンネを怖がらせている。だが愛されている猫だ。
生憎とマリアンネの家のお茶会ではいまだ会えていない。ボンボンは来客があると家の中で一番高い棚に登ってしまうのだという。
だが少人数の来客なら棚に登らないこともあるという。
そのうえ、共に招待されたのは元々ボンボンと面識のあるクラリスとフランソワ。そこに初対面のシャルロッテが一人加わっても大丈夫だろう、そう判断して招待状を出したのだという。
「ロッティね、猫さんさわるのはじめてです!」
そう興奮しながらシャルロッテが話せば、抱き抱えるようにして馬に乗っていたグレイヴが「楽しみだな」と相槌を打ってくれた。
マリアンネの家に向かう道中。
招待状が来た際、グレイヴに「マリアンネさんのおうちにお馬さんでつれてってくれますか?」と尋ねたところ、二つ返事で了承してくれた。
そうして今日、彼と共に馬に乗っているのだ。乗馬も楽しく、ぴったりとくっつく兄は温かく、そして今から友人達とそのうえ猫に会える。自然とシャルロッテの胸が期待で高鳴り、「とってもたのしみ」「かわいいボンボン」と即席の歌を口ずさむ。
「たまに庭に野良猫が来るけど、触らせてはくれないもんな」
「猫さんがビックリしちゃうから、とおくから見るだけってお庭のひとが言ってました。猫さんはビックリするとかんだり引っかいたりするし、お庭にきてくれなくなっちゃうって。だからロッティ、猫さんがくるとお庭のひとにおしえてもらって、さわらないで見るんです。グレイヴお兄様は、猫さんさわったことありますか?」
「猫かぁ。犬はたまに外を走ってる時に見かけて撫でさせてもらうけど、猫はないかもな」
「グレイヴお兄様もボンボンさわりますか? ロッティがマリアンネさんとボンボンにお願いします!」
「俺まで触ろうとしたらボンボンが怖がるかもしれないだろう。今日はシャルロッテだけ触らせてもらうといい。あとでどんな感じだったか教えてくれ」
シャルロッテのはしゃぎようにグレイヴが苦笑を浮かべつつ話す。
真後ろから、それどころか抱きかかえられているため頭上から聞こえてくる彼の言葉に、シャルロッテは自分がボンボンを撫でているところを想像し、期待を抱いて「はい!」と元気よく答えた。
◆◆◆
「口紅をつけてますの? 子供用の口紅ですの?」
「お化粧なんてお洒落ですわね。素敵ですわ」
好奇心から詰め寄る勢いのクラリスとフランソワに、シャルロッテはコクコクと頷いて返した。
場所はマリアンネの家の一室。庭を眺められる部屋で、テーブルにはクッキーを始めとする様々なお菓子とジュースが並んでいる。家主でありこのお茶会の主催であるマリアンネは数分前に「ではボンボンを連れてきますわね」と退室していった。
そうしてマリアンネとボンボンを待ちながら三人でお茶をしているのだ。
ちなみにグレイヴは挨拶するなり「今日の俺は御者みたいなものだ」と言い出し、本を持参したから適当な部屋を貸してくれと求めた。あくまで今日のメインはシャルロッテと考えているのだろう。
だが出迎えたマリアンネの兄となにやら話すと、楽しそうに彼についていってしまった。
「チェスが趣味とお聞きしました。実は僕もかじっておりまして」「本当か? 周りはカードゲーム派ばかりで相手を探してたんだ」と嬉しそうに話していたあたり、兄達もきっと楽しい時間を過ごしているのだろう。
そんな中で、口紅と乗馬について話したところ、先程の二人の言及である。
「ライアンお兄様が、ロッティもつけていい口紅だよってかってくれました。いろがついて、それで、かんそ……、かんそ? しない口紅です」
「私達もつけていい口紅なんて素敵ですわ。私もお父様とお母様にお願いしてみますわ」
クラリスが瞳を輝かせる。フランソワも同様だ。
彼女達には人形用のポシェットを教えてもらった、その代わりに口紅を教えてあげられた。そう考えるとシャルロッテの胸が弾む。
こうやって良いものを教え合うともっと自分たちが素敵になれた気がするのだ。
お洒落で優しくてもっちりした素敵な令嬢。それに一歩近付けたのではないか。
そうシャルロッテが嬉しくなっていると、部屋の扉がノックされた。
ゆっくりと扉が開かれ、そこに居たのはマリアンネ。
……と、彼女が両腕で抱える大きな黒い塊。……いな、黒い猫。
ちなみにノックをしたのはマリアンネ付きのメイドだ。なにせマリアンネは両腕で猫を抱えるのに必死である。
「お待たせ、しました、ボンボン、ですわ……」
重いのか、マリアンネの口調は少したどたどしい。
そのまま両腕でボンボンを抱えたままよたよたとテーブルへと近付いてきた。
「ボンボン……!」
真黒な猫を見て、途端にシャルロッテはそわそわと落ち着きを無くしてしまった。
なにせ猫だ。はじめて見るわけではないが、こうやって屋内で見るのは初めてだ。人に抱っこされている猫を見るのも初めてである。
そんなボンボンはフランソワの腕からストンと降りると、部屋の隅に置かれているソファへと近付くと身軽に飛び乗った。その動きは優雅の一言に尽き、歩くたびに大振りの尻尾がふぉんふぉんと揺れている。
「ロッティ、猫さんさわるのはじめてです……。ボンボンにさわっていいですか?」
「えぇ、もちろんですわ。まずはゆっくりと手を差し出しますのよ」
急に手を出さない、大きな声を出さない、強く掴まない、上から触ろうとしない、真正面からじっと見つめない……。猫の触り方を教わりつつボンボンに近付く。
ボンボンはソファに座ったままじっとシャルロッテを見ている。逃げようとはしていないが、かといって近付こうともしない。澄まし顔だ。金色の瞳は吸い込まれそうなほどに美しい。
「ボンボン、はじめまして。ロッティは、シャルロッテ・ブルル……、ブルーローゼス、です」
初めて猫を触る期待で少し噛んでしまったが、それでも挨拶をしつつそっと右手を差し出した。
無理に触るのではなく、触れそうで触れない距離で手を止める。
そんなシャルロッテを見つめていたボンボンは今度は差し出された手に視線をやり、ふんふんと小さな鼻でシャルロッテの手を嗅ぎ始めた。少しずつ近付きながら。ついには鼻先がペタリと手に触れる。
触ってくれた!
シャルロッテの胸が弾む。
だがここで手を動かしては駄目だ、興奮で声をあげては驚かせてしまう。そう自分に言い聞かせてぐっと堪える。
「ボンボンも落ち着いてますし、撫でても大丈夫ですわ。ゆっくり撫でてくださいませ」
「なでる……、ボンボンを……、ゆっくり……、なでる……」
真剣な声色で復唱し、シャルロッテはゆっくりそっとボンボンの前に差し出した手を動かした。
まずは頬のあたりを指先で触る。……と徐々に触ろうとしたのだが、ボンボンの方からグリと顔を寄せてきた。
シャルロッテの手にふわふわの感触が押し付けられる。強引に、まるでボンボンの方から「撫でて!」と訴えているかのように。
「はわわ……、はわわふわふわ……」
その不思議で柔らかくそれでいて確かに感じる質量に、なによりボンボンが自ら顔を寄せてくれたことに、シャルロッテは歓喜の声を漏らしてしまった。
気持ちよさそうに目を瞑って手に顔を擦り付けるボンボンのなんと可愛いことか。元々鼻も黒いため、目をつむっているせいで顔のすべてが黒い。真黒で愛おしいふわふわ。
グルグルと低い音がするので何かと問えば、猫は機嫌が良いと喉を鳴らすと教えてくれた。それもまた感動だ。
「ロッティ、ボンボンのこと大好きです」
シャルロッテが嬉しくなり話せば、マリアンネ達も嬉しそうに笑ってくれた。
◆◆◆
「それでね、ボンボンのこと撫でててたら、ボンボンがソファでごろんって丸くなったんです。絵本でみた猫さんと同じでした。かわいいし、ふわふわだし、なでさせてくれるし、それにロッティのおててペロってしてくれたし、ボンボンのこと大好きです!」
興奮気味にシャルロッテが話せば、抱えながら愛馬を歩ませるグレイヴが「それは良かったな」と微笑んで頷いた。
数時間前と似たやりとりだ。だが今回は帰り道である。
あの後しばらくお茶会を楽しみ、それもお開きになった。
マリアンネや屋敷の者達に見送られ、馬に乗って歩きだしてさっそく「どうだった?」とグレイヴに尋ねられ、シャルロッテはどこから説明していいのかわからず先程の興奮である。
まずお茶の準備がされた部屋に通されたことから話すべきか、それとも最初にどんな話をしたかを話そうか。だけど一番はボンボンのことを話したい。そんな思いが溢れ、まずはと興奮気味にボンボンについてを話したのだ。
「それで、ボンボンがねたあとは、みんなでお話しました。ロッティのくちべにとか、クラリスさんのお兄様のお話とか」
「そうか。楽しく過ごせたんだな」
「グレイヴお兄様は、マリアンネさんのお兄さんとあそんで楽しかったですか?」
「あぁ、楽しかった。チェスもだが、本の趣味も合ってた。今まで挨拶程度であまり話をしたことがなかったが、気が合いそうだ」
そう語る口調は嬉しそうで、彼もまた楽しい時間を過ごせていたことが伝わってくる。
そのうえ「シャルロッテのおかげだ」と感謝の言葉まで告げてきた。いったいどういう事かとシャルロッテが首を傾げる。
「ロッティ、ボンボンなでてただけです」
「あぁ、そうだな。でもシャルロッテは俺に新しい友人との出会いをくれた。それだけじゃない、俺達家族みんなにだ」
「……ロッティが? みんなに?」
自分はただ楽しく過ごしていただけだ。
そもそも、自分こそブルーローゼス家に来たばかりで知らない人達がたくさんいるのに。
もともと皆のことを知っているグレイヴに、それどころか家族に、どうして自分が新しい出会いをあげるのか……?
いまいちピンとこないとシャルロッテが右に傾げていた首を今度は左に傾げてみた。それでもやっぱり分からない。
その仕草が面白かったのか、グレイヴがふっと笑うのが触れた箇所から伝わってきた。
「分からないままでいいさ。あ、ほら、シャルロッテ見てみろ、猫がいるぞ」
道の端にある木陰、そこにいる猫がいるとグレイヴが話せば、シャルロッテは先程まで頭の中にあった疑問もどこへやら「猫さん!」と弾んだ声をだした。




