22:公爵家と伯爵家の子供達
「……え?」
聞こえてきた言葉にシャルロッテが困惑すれば、その声で気付いたのかジョシュアとカルヴィンが同時にこちらを向いた。
はっとした息をのむ表情。なぜここにシャルロッテがという驚きと、聞かれてしまったという後悔に似た色が二人の顔に宿る。
「シャルロッテ、どうしたんだ?」
「あ、あの、お母様がジョシュアお兄様を呼んできてって、それでね、ロッティね、ジョシュアお兄様のところにきました。そうしたらね、カルヴィンさんが、お兄様のこと……、その……」
『大嫌いだ』というカルヴィンの声が頭の中でぐるぐると回り、伝えたい事がうまく言葉にならない。
『大嫌い』
相手を否定し拒絶する強い言葉。慣れぬその言葉にシャルロッテは鼓動が早まるのを感じていた。ドキドキして苦しい。
無意識に胸元をぎゅっと押さえれば、いち早く異変に気付いたレスカがシャルロッテの名を呼び近付いてきた。
だが彼女がシャルロッテのもとに来るより先に、カルヴィンがシャルロッテを呼んだ。
静かで落ち着きのある優しい声。穏やかに微笑み、それどころか少し腰を曲げてシャルロッテとの距離を縮めてくれる。
「驚かせてごめんね。少し僕と話をしてくれないかな」
「ロッティと……、カルヴィンさんが……?」
「そう。大丈夫、怖くないよ。もし怖いならレスカと三人でもいい」
どうだろう? と誘ってくるカルヴィンは最初に話した時のイメージ通りだ。
容姿は父親であるフレッドに似ており、物腰は柔らかく言動に落ち着きと品の良さを感じさせる。眼鏡と合わさって知的な印象もある。
まだ短い時間しか接していないが、実際に話して感じた印象も初見時と変わらない。穏やか・温和・知的、そんな単語が似あう青年だ。
とても誰かを嫌うとは、それも当人を目の前にはっきりと『大嫌いだ』と伝えるような人には見えない……。
なのにどうしてあんな事を言ったのだろう。
大嫌い、なんて悲しい言葉……。
それもこんなに優しくて素敵なジョシュアに。
疑問が疑問を呼ぶ。
頭の中がグルグルと回る。胸がドキドキして苦しくなる。
……だがそれをぐっと堪え、シャルロッテははっきりと「はい」と返した。
「ロッティ、カルヴィンさんとお話ししたいです」
ちゃんと理解しなきゃという気持ちが湧き、シャルロッテはカルヴィンをじっと見つめて答えた。
彼が穏やかに微笑んで頷いてくる。
背後ではジョシュア達がどうしたものかと言いたげな表情を浮かべているが、レスカが宥めるように話している。「任せてみよう」という彼女の言葉が小さく聞こえてきた。
「あっちに、ロッティのおさんぽ用のいすがあります」
「案内してくれるかな」
「はい」
「じゃあ行こう。ジョシュアは母上達のところに行ってくれ」
カルヴィンの言葉にジョシュアが首肯する。少し不安気な表情だが、それでもシャルロッテの視線に気付くと微笑んで「またあとで」と一言残して去っていった。
他の面々もこの場はカルヴィンに任せると決めたようで、異論を唱えることもせず追いかけもせず、シャルロッテ達を見送ってくれた。
「あっちです。……あの」
「うん? どうしたのかな」
「……ううん、なんでもないです」
普段なら、シャルロッテは誰かを案内する時はいつも手を繋いでいる。
祖父母が来た時も手を繋いだ。今日だって、カルヴィン達を屋敷の中に案内する時も、食事の場から庭に出る時も、夫妻と手を繋いでいた。
家庭教師が来る時もそうだ。いつも彼女を出迎えて手を繋いで部屋まで行き、帰りも手を繋いで玄関ホールまで送っている。
だから普段であれば、ここでカルヴィンと手を繋いで彼をベンチまで案内する。
だけど今は手を繋いで良いのか分からず、シャルロッテは躊躇いの気持ちと共にやり場のない手で洋服の裾を掴んだ。
『お散歩用の椅子』とは、ブルーローゼス家の敷地内に置かれている二人掛けのベンチやソファのことだ。
これは体力の無いシャルロッテが散歩中に疲れてしまうため、両親が休憩用にとあちこちに設けてくれた物である。庭にはベンチが置かれており、屋敷の裏手や馬舎にも。屋内にもあちこちにソファが有る。
最近は体力もついてきて疲れはしなくなったが、シャルロッテはよくそこに座って景色を眺めるようにしていた。
庭は美しく心地良いし、厩舎で馬を見ているのも楽しい。屋内は使用人達が行き来して、時には家族が通り掛かって隣に座ってくれる。
いつも何かを感じていられる、シャルロッテのお気に入りスポットだ。
そんなお散歩用の椅子の一つにカルヴィンを案内した。
庭の景観に合わせた花柄の二人掛けベンチ。カルヴィンがそれを見て「可愛いベンチだね」と褒めてくれた。
その言葉遣いも柔らかく、そのうえベンチが土汚れが付いていることに気付くとハンカチで拭いてくれた。
そうしてベンチに座り、シャルロッテはさっそくと話し出そうとし……、
「あ、あの……、あのね……、その、カルヴィンさんは……、さっきね」
と、どう話して良いの分からず、あわあわと言い淀んでしまった。
自分を落ち着かせるためにポシェットからロミーを取り出して抱きしめる。
ロミーに気付いたカルヴィンが「可愛い子だね」と褒めてくれたが、これにもコクコクと頷くしかできなかった。
話したいことが次から次へと溢れてきて、それでいて言葉が出てこず「あのね」「そのね」と繰り返すだけで精一杯。
庭を見たり、膝に置いたロミーを見たり、ちらちらと横目でカルヴィンの様子を窺ったり……。言葉も、体も、視線も、何一つ落ち着かない。
そんなシャルロッテに話をさせるのは酷と判断したのか、カルヴィンが落ち着いた声色で話し出した。
「さっき、僕とジョシュアの話を聞いていたんだね」
「はい……。カルヴィンさんが、ジョシュアお兄様に『大嫌い』って……。で、でも、ジョシュアお兄様はすごくやさしくて、いろんなこといっぱい知ってて、すてきなんです。いつもおいしいお菓子をかってきてくれて、それで、いっしょに食べようって……」
優しくて、真面目で、知的な兄。彼と一緒にいるとシャルロッテの気持ちはいつも穏やかで、まるで眠りにつく直前のような心地良さを感じる。
それどころか実際に一緒に本を読んでいて寝てしまったことが何度もある。
ふと目を覚ますとジョシュアの膝に頭を乗せていて、体にはブランケットや彼の上着。シャルロッテが目を覚ましたことに気付くと「おはよう」と微笑んでくれるのだ。
寝惚け眼で見上げるジョシュアは金色の髪がキラキラと輝いて見え、まるで彼自身が温かな光に感じられた。
そんなジョシュアを嫌うなんて有り得ない。
もしかしたらカルヴィンはジョシュアの魅力を知らずに嫌っているのかもしれない。
そう考えてシャルロッテが必死に話すも、彼は苦笑交じりに「落ち着いて」と宥めてくるだけだ。
「ジョシュアが優れてるのは知ってるよ。……身に染みて、ね」
「それなら……」
「でも僕はジョシュアが大嫌いなんだ。あぁ、でも大嫌いだからって何かするつもりはないよ」
シャルロッテが分かりやすくしょんぼりとしてしまったからか、カルヴィンが慌てて宥めてきた。
これもまた優しい声で、とうてい嫌いな人物を語る口調ではない。
カルヴィンは優しい。
でもジョシュアのことは嫌い。
だけどジョシュアが優れていることは知っている。
なんで? どうして? とシャルロッテが疑問でいっぱいになっていると、カルヴィンもまた説明の仕方を悩んでいるのか、どうしたものかと悩むような表情を浮かべた。
「少し、僕の話をしていいかな。僕が小さい頃の話だよ」
「……カルヴィンさんが小さい頃?」
「うん。今のシャルロッテよりは大きいけどね。最初は十歳くらいの頃かな」
少し遠くを見るように目を細め、カルヴィンがゆっくりと話し出した。
ブルーローゼス家とラングリッジ家の子息令嬢達の中、最年長がカルヴィンである。次いでジョシュア。二人の年齢差は三歳。
その差は普通であればそのまま成長の差になっただろう。
だが相手はジョシュアだ。幼少時から才知の片鱗を見せ、それを更に伸ばす努力家。七歳を超える頃には既に同い年の子息達と一線を画し、勉学面も運動面もなにもかもで頭一つ抜けていた。
誰もが彼に期待し、元より公爵家嫡男として広がっていた彼の名前は、期待すべき優れた公爵家嫡男として更に海を越えて広がり始めていた。それ程までにジョシュアの成長は目を見張るものがあったのだ。
ジョシュアとカルヴィンを比較する声があがり始めたのも、ちょうどその頃からである。
ジョシュアが優れていれば優れているほど、彼への期待が高まれば高まるほど、話の最後にカルヴィンの名前が上がる。
もっとも、かといってカルヴィンが劣っているわけではない。
勤勉で努力家、伯爵家嫡男として考えれば申し分ないだろう。現に両親はカルヴィンを認め、陰口を叩く者達を許すまいと厳しく詰め寄っていた。
ただあまりにジョシュアが優れているのだ。
そして彼と比較するには残酷なほど、カルヴィンは『平凡』だった。
どこまでいっても、どれだけ努力しても、平凡の域は出られない。対してジョシュアの成長は凄まじく、たった数年で三歳の差は追いつかれてしまった。
「いっそ従兄弟じゃなければ比べられなかっただろうね。ブルーローゼス家は優れた血筋なんだ、凄い家だな、なんて、そんなことを言って終わったはずなんだ。でも、従兄弟というのはあまりに近すぎた。親族関係にある両家の、待望の第一子であり男児、僕とジョシュアは爵位こそ違えども立場は同じなんだ。……だから、ね」
「でも、でも、ジョシュアお兄様はジョシュアお兄様で、カルヴィンさんはカルヴィンさんです」
「みんながみんなシャルロッテと同じ考えなら良かったね」
苦笑するカルヴィンの表情には切なげな色があり、シャルロッテの胸までぎゅうとしめつけられた。
「それで……、ジョシュアお兄様のこと『大嫌い』って……」
泣きそうなほど胸が痛いが、それをぐっと堪えて問う。自分でもわかるほどに声は弱々しく、もはや顔を上げていられずに項垂れてしまった。ロミーを抱きしめるが、それでも胸の痛みは止まず、寂しくなってしまう。
だがそんなシャルロッテに対してカルヴィンは落ち着いたもので、シャルロッテからの問いに「んー」となんともいえない声を返してきた。明確な返答ではなく、さりとて唸りというほどの深刻さは無い。どことなく軽い、迷いの声。
「難しい話だからなんというべきか……。こんな話をしておいてなんだけど、周りに比べられたからジョシュアのことが嫌いってわけじゃないんだ。もちろん、あいつが優れてるから嫌いなんて嫉妬でもない」
「……それなら、どうしてジョシュアお兄様のことが『大嫌い』なんですか?」
「劣ってると認めたくないんだ。僕は、僕だけは、いつかジョシュアを追い抜きたい。『世界一の兄』でいたいからね」
そう話すカルヴィンの声は落ち着いている。
先程まで見せていた切なげな色は無くなり、ふと視線を他所へと向けると愛おしむように目を細めた。
彼の視線の先にいるのはレスカだ。何を話しているのかはここまでは聞こえてこないが、ハンク達と立ち話をしている。
「ジョシュアに追いつかれてどうしようも無くなってた時、レスカが言ってくれたんだ」
『お兄様が世界で一番大好き』




