18:ロッティとグレイヴお兄様とお馬さん
グレイヴの手を両手で包み、彼をじっと見上げる。
紫色の瞳。普段は真っすぐに見つめて凛とした強さを感じさせる目元が、今日は弱々しさを見せている。
「ロッティ、お馬さんは怖くないです」
「本当か? 無理はしなくて良いんだぞ。怖いものがあるのは仕方ないことだ」
「ううん、むりじゃないです。ロッティ、お馬さんは大丈夫です」
はっきりと答え、次いでシャルロッテは馬へと視線をやった。
きっとこちらの会話は理解していないのだろう、馬達は好き好きに過ごしている。風を感じるように立つ馬や、足元の草を食む馬。長い足を器用に折り畳んで座っている馬もいる。
グレイヴは『誰がどんな指示を出すか、それによって馬の善悪が決まってしまう』と言っていた。
実際にシャルロッテが乗っていた荷台を運んでいたのは馬だ。だから馬車が怖い。だけど馬は悪い人達の指示を聞いていただけに過ぎない。
馬の意思ではない。彼等のせいではない。
グレイヴの愛馬が彼を乗せて走るように、ブルーローゼス家の馬が馬車を引いて両親を運んでいったように。クラリス達の家の馬が馬車を引いて彼女達を連れてきてくれるように、良いことだってしてくれる。本来馬とはそうあるべきなのだ。
そしてなにより……、
「ロッティをこのお家に連れてきてくれたのもお馬さんでした。お父様がね、ぎゅってして、ロッティをお馬さんに乗せてくれたんです」
真っ暗だったシャルロッテの世界がキラキラと輝きだした、あの晩。
テオドールに助けられ、保護された者達と共に城に向かった。その後はテオドールの愛馬に乗せてもらい、このブルーローゼス家の屋敷にきたのだ。……いや、ブルーローゼス家の屋敷に『帰って』きた。
シャルロッテを運んでいた荷台を引いたのも馬だが、王城という安全な場所に連れて行ってくれたのも馬。そして家に連れて帰ってくれたのも馬。
グレイヴが言った通り、『誰がどんな指示を出すか』で大きく変わってくる。
ならば怖いのは馬ではない。
そうシャルロッテが話せばグレイヴが一瞬目を丸くさせ、次第に実感が湧いたのか表情を明るくさせた。
「怖くないなら、俺と一緒に馬に乗ってみるか?」
「グレイヴお兄様とお馬さんに?」
「あぁ、俺が支えてやる。それに走らせずに屋敷の周りをゆっくり歩くだけだ」
曰く、騎士隊では日常的に人を乗せて走る練習を行っており、慣れたものだという。もちろんグレイヴの愛馬も慣れている。
この提案にシャルロッテはどうしようかと迷いつつ、グレイヴと彼の愛馬を交互に見て……、
「ロッティ、お馬さんにのります」
と、勇気を出して答えた。
馬は怖くないからきっと大丈夫。それに馬車に乗れなくても馬に乗れれば出かけることが出来るかもしれない。
そう考えてグレイヴを見上げれば、彼もまた決意したように頷いて返してくれた。
話している内に御者が馬舎に来て、シャルロッテが馬に乗るのを手伝ってくれた。
後ろからグレイヴに抱きしめられるように座り、手綱を握る。
馬のお腹を蹴らない、手綱を引かない、手綱を離す時はグレイヴに確認する、大きな声を出さない、体をむやみに動かさない……。安全に進むための注意点を確認し、さっそくとグレイヴが手綱を操った。
馬が歩み始める。まるでシャルロッテの事情を知って気遣うような、ゆっくりとした歩みだ。
「お馬さん、ロッティ重くない?」
「馬からしたらシャルロッテなんて羽みたいに軽いだろうな。それよりシャルロッテの方こそ大丈夫か? 怖くないか?」
問われ、シャルロッテは自分の胸を押さえる……、ことは手綱を掴んでいるため出来ず、自分の胸元を見下ろしてみた。
ドキドキはしていない?
いや、少しドキドキしてる。
だけどこのドキドキは怖いドキドキではない。楽しい時のドキドキだ。
馬が歩く振動は荷台の振動とは違う。ゆらゆらとして、揺さぶられているようで面白い。だがどれだけ揺れても不安定さはない。馬の体はしっかりとシャルロッテの体を乗せてくれている。重さでよろめく様子もない。
グレイヴが『馬は力強い』と言っていたが、確かに馬の歩みは強さを感じさせる。一歩一歩しっかりと進む力強い歩みだ。
そしてなによりシャルロッテの胸を楽しさで高鳴らせるのが、目の前に広がる光景。
馬車に乗っている時に窓から眺める景色とは違う。抱っこされて歩いている時とも違う。もちろん自分で歩いている時とも。
まるで身長が伸びたかのように視界は高く、そして眼前の景色はまるで流れるように過ぎていく。
なんだか自分が風になったかのようではないか。サァと軽やかにどこまでも吹き抜けていく風。
新鮮な景色と感覚にシャルロッテの瞳が輝きだす。
「ロッティ、お馬さん怖くないです」
「本当か?」
「はい。お馬さんのうえ楽しい!」
シャルロッテが振り返りながら興奮気味に話せば、グレイヴも嬉しそうに笑った。
「シャルロッテ、お馬さんでお散歩してるのね」
とは、穏やかに微笑むフレデリカ。
敷地の外周を馬に乗って回っていたところ、ちょうど正門の前で戻ってくるのを待っていてくれた。曰く、リシェルから話を聞いて見にきてくれたのだという。隣に立つリシェルもまた嬉しそうだ。
すっかりと馬に乗ることが大好きになったシャルロッテが興奮気味に楽しいと話せば、フレデリカの笑みがより強まる。「良かったわね」という彼女の言葉には「はい!」と元気よく返した。
「あ、いいなぁ!」
と窓から顔を出したライアンに声を掛けられたのは、フレデリカに見送られ再び外周の散歩をしていた時。
屋敷の近くを通ったところ、偶然通りがかったライアンが気付いて声を掛けてきたのだ。
彼の隣にはジョシュアも居り、兄二人を普段とは違う高さで見るのはなんだか不思議な感じがしてますます楽しくなってくる。
「お兄様達におてて振っていいですか?」とグレイヴに尋ねれば、彼が了承と共に片腕で支えてきた。ゆっくりと慎重に手綱を離して兄達に手を振れば、彼等もまた振り返してくれる。まるでシャルロッテの興奮が伝わったように彼等も楽しそうだ。
「ライアンお兄様、ジョシュアお兄様、お馬さん楽しいです!」
「良いなぁ。僕も乗りたいな。ねぇグレイヴ、次は僕を乗せて散歩してよ」
「俺の馬に? 別に良いけど、乗りたいなら馬舎に行けば他の馬もいるだろ」
「違う違う、今のシャルロッテみたいに、グレイヴが僕を支えて乗せてってことだよ」
あっけらかんと話すライアン。その軽さといったら、ちょっとした頼み事と言いたげだ。
対してグレイヴはこの提案に怪訝な顔をした。
「俺がライアン兄さんを? 兄さんは一人で乗れるだろう」
「分かってないなぁ。自分で乗るのと、誰かに乗せてもらうのとは違うんだよ」
笑いながら話すライアンに、ジョシュアも苦笑を浮かべて「私も頼もうかな」と冗談に乗ってきた。
これにはグレイヴもぎょっとしてしまう。まさか長兄と次兄が、四男に馬に乗せてもらおうだなんて……。いくらグレイヴの体躯が良かろうとも、ジョシュアもライアンも背が高くきちんと鍛えている。
そんな二人を後ろから抱きしめるようにして乗せ、屋敷の周りを優雅に散歩……。想像したのか、グレイヴが「冗談じゃない」と低い声を出した。
「兄さん達は自分で馬に乗ってくれ。俺が乗せるのはシャルロッテだけだ」
「ロッティだけですか?」
「そうだ。シャルロッテだけだ。馬車に乗れなくたって、俺がどこにだって連れていってやるからな!」
笑顔で話すグレイヴに、シャルロッテは彼をじっと見つめ、次いで正面を向くと目の前の景色を見た。
このまま馬に乗って、どこにだって行ける。
祖父母のもとへも、クラリス達のところへも。それどころかもっともっと先に……。
目の前の景色が輝きだし、今歩いている道がまるで世界中に繋がっている気さえしてきた。
嬉しくなり「はい!」と元気よく答えれば、自分を抱きしめて支えるグレイヴもまた嬉しそうに笑ってくれた。




