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本日も愛され日和〜不遇の幼女、今日から愛され公爵令嬢はじめます〜  作者: さき
第二章

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17:怖いもの・大好きなもの

 


 クラリス達のおかげで『怖い』という気持ちへの抵抗感は減った。

 だからといって馬車への恐怖心を克服したわけではなく、あの件から二ヵ月が経とうとする今もシャルロッテは馬車に乗れずにいた。

 悩ましいのは、馬車が怖くても外出したいという気持ちはあることだ。ゆえに何度か乗ろうとしてみるが、馬車が走り出すと頭の中がぐるぐるとして心臓が荒れるように跳ね、堪えきれずに泣いてしまう。

 さすがに最初に泣き喚いた日のように声を荒らげることはないが、それでも一日は家族にしがみついていないと落ち着かない。最近では『きっと怖くなる』という思いが先行してしまい、以前よりも耐えられる時間は短くなっていた。


「無理をしなくて良いのよ、シャルロッテ」

「そうだ。家の中に居ても良いし、歩いて行ける場所にだって楽しいことはあるだろう」


 そう両親は言ってくれる。

 兄達も同様。


「シャルロッテが悲しむのが私達は一番辛いんだ」

「そうだよ。ほら、庭も広いし遊ぶには十分だよ。遠くに行かなくたっておじい様もおばあ様もみんな会いに来てくれる」

「……い、家の中には人形もぬいぐるみもたくさんあるし、それに精霊達もいる」

「あ、あぁ、兄さん達の言う通りだ。……シャルロッテが、馬車が怖いなら、それは……、仕方ないさ」


 誰もがシャルロッテを気遣い、無理することはないと慰め、屋敷内や歩いて行ける範囲での娯楽を勧めてくれる。


 だから辛いことはない。

 家の中だって楽しいことはいっぱいあるし、クラリス達も遊びに来てくれる。


 そうシャルロッテは庭の一角にちょこんと座って考えていた。

 無意識に右手を口元にやり、むにむにと唇を触りながら。たまに触るだけでは足りずにちゅうと軽く親指を吸ってしまう。


 今日は両親が馬車で出掛けるというので、近くまで寄ってみた。

 外観を眺める分には平気だ。試しに中に入っても少しなら過ごせる。……だが一度でもガタと揺れると耐えられない。

 慌てて外に出て、皆に宥められ、出発する両親を手を振って見送った。それからしばらく経った今も気持ちは沈んだままで、今日は散歩する気にならず庭の一角に座ってぼんやりとしていた。


 そんなシャルロッテに気付いたのは、庭を通りかかったグレイヴだ。


「どうしたんだ、シャルロッテ。一人なのか? リシェルは?」

「お庭見てました。リシェルはね、ロッティがさむくないようにって、あったかいの持ってきてくれます」

「そうか。……庭は見ていて楽しいか?」

「お花きれいで、お庭見るのすきです。……それと、その、お父様とお母様がお出かけするから、ロッティ、その……、馬車にのってみようって、思ったんです、でも……」


 シャルロッテが項垂れれば、それで結果を察したのかグレイヴが「そうか」と呟いた。

 どう駄目だったのかは聞かない。シャルロッテも言わない。言葉にすると余計に悲しくなってしうから。

 沈黙が流れ、静けさが妙に気になってしまう。掛ける言葉を選んでいるのかグレイヴはなんとも言えない表情をしており、しばし立ち尽くした後、無言でそっとシャルロッテの隣に腰を下ろした。


 風が吹き草花が揺れる庭を、二人並んでじっと眺める。


 そんな沈黙を破ったのはリシェル。

 小走り目に近付いてきた彼女の手には柔らかなブランケット。グレイヴに気付くと恭しく頭を下げ、ブランケットをシャルロッテの肩に掛けてくれた。

 大きめのブランケットは柔らかく暖かく、シャルロッテの冷えた体をすっぽりと包み込んでくれた。


「グレイヴ様にもお持ちいたしましょうか」

「いや、俺は平気だ。寒くも無いし、今から馬舎に行く予定だったんだ……。それで、その、シャルロッテも……、行くか?」


 グレイヴの尋ね方は随分と遠慮がちだ。普段の溌剌とした彼の口調とはだいぶ違う。

 シャルロッテが馬車を怖がり、その関係で馬も怖がっているかもと案じているのだろう。現にシャルロッテも「お馬さん……」と弱々しい声で返した。

 以前であれば「ロッティも行きます!」と二つ返事をし、彼と手を繋いで馬舎に行ったのに。つい二ヵ月前のことなのにあの時の気持ちが思い出せない。


「ロッティ、お馬さん怖くなっちゃうかも……」

「そ、そうだな。それなら俺一人で」

「で、でも、怖くなっちゃっても、行っていいですか? ロッティ、お馬さん見たい……」


 怖いかもしれないという不安はある。だがこのまま庭で座っているより、馬を見に行きたいという気持ちもある。馬を見るのは大好きだった、餌をやるのも楽しかった、それはちゃんと覚えている。もちろん不安はあるが。

 そんなちぐはぐな気持ちながらに訴えれば、グレイヴが僅かに表情を明るくさせた。「あぁ、一緒に行こう!」という声は先程より心なしか明るい。


「もし怖くなったら遠くから見るだけでも良いし、それも怖いなら家の中に戻ってもいいからな」

「はい」

「俺がずっと手を繋いでるから」


 グレイヴが手を差し伸べてくる。

 大きな手だ。まだ十三歳だというのに大人の手のようで、シャルロッテがその手を取ればぎゅっと握ってくれた。温かい。

 そんな手に導かれるように、シャルロッテは馬舎に向かって歩き出した。




 馬舎にいるのは、馬車を引くための馬が数頭とテオドールとグレイヴの愛馬。

 グレイヴが管理しているのは愛馬だけだ。だがどの馬も彼を慕っており、手を差し伸べると鼻先を寄せる。

 馬達の様子はいつも通りで、大人しく従順。吸い込まれそうな黒い瞳でグレイヴを見つめている。


 そんな馬達を前に、シャルロッテはどうして良いのか分からずにいた。

 怖い……、のかもしれない。馬を見ると荷台での生活を思い出してしまう。だけど馬車に乗った時のような、頭の中がぐるぐると回り、心臓が気持ちの悪い鼓動を打つような感覚は無い。近付けないわけでもないが、近付いて良いのか分からない。


 困惑していると、気付いたグレイヴが優しい声で呼んできた。


「シャルロッテ、馬は怖いか?」

「……分かんないです」

「怖いのも仕方ないと思う。……でも、馬は悪くないんだ。それだけは知ってほしい」


 真剣なグレイヴの声色。強要する色は無く、むしろ乞うような切なさがある。その声も眉尻を下げた表情もどちらも普段の彼らしくない。

 シャルロッテはぎゅっと手を握ったままグレイヴと馬達を交互に見た。馬がじっとこちらを見ている。暴れることも嘶くこともせず。


「シャルロッテを運んでいた馬達は悪い人達の指示を聞いていたんだ。ただそれだけ。むしろ馬が従順だったせいだ。誰がどんな指示を出すか、それによって馬の善悪が決まってしまう」

「……グレイヴお兄様は、お馬さん好きですか?」

「あぁ、昔から大好きなんだ。父上から自分用にと貰ったときは本当に嬉しかった。馬は力強くて走る姿が格好良いだろう、賢いし、それに人の役に立ってくれる生き物だ」


 馬について話すグレイヴの瞳は輝いている。本当に馬が好きなのだろう。

 単純に逞しい生き物という馬への好意。それと同時に、騎士として共に戦う存在への好意もあるのだという。

 騎士隊の馬達がどれほど優れているのか、乗りこなす先輩騎士の格好良さ、自分と愛馬がどんな連携を取れるのか。それらを語るグレイヴは饒舌で、言葉の端々から好きという気持ちが溢れている。


 だが話の終わりに「だから……」と呟くと、途端に声色を落としてしまった。

 眉尻を下げて困惑の表情を浮かべる。切なげな彼の様子に、シャルロッテは案じて「お兄様」と彼を呼んだ。


「馬が好きだ。凄く……。だから、シャルロッテが馬を怖がるのが、仕方ないとはいえ………、俺は寂しい……」


 どう説明していいのか分からないのか、「寂しい」とは言いつつもすぐさま「でも仕方ない」と訂正しだした。

 迷いのある表情。言葉尻も弱く、普段の彼らしくない。


 グレイヴ自身、自分の気持ちが分かっていないのだ。

 自分が好きな馬という生き物を、大切な妹が怖がっているのは寂しい。だが好きという気持ちを強いては駄目だと分かる。それでも分かってほしいという気持ちが湧く。馬は人間に使役されただけだから猶の事。だがシャルロッテの事情を考えれば、馬を怖がるのは当然……。

 そんな葛藤の末、少し話しては「無理強いするわけじゃない」「仕方ない」と自分の訴えを否定していた。シャルロッテと繋いでいない方の片手、そこで作られた拳に無意識に力を入れてしまうのは葛藤の表れだ。


 優れた体躯と父親譲りの性格、更に見習いとはいえ騎士隊に所属しているからか、グレイヴは日頃から大人びているし周囲もそう思っている。だがふとした時にはまだ十三歳の少年らしさを見せるのだ。

 自分の気持ちをうまく言い表せず、『傷つけたくない』『伝えたい』『分かってほしい』『だけど悲しませたら』という感情と葛藤が綯い交ぜになっている今はまさに。年相応、むしろ年齢よりも幼さすら感じさせる。


 そんなグレイヴの姿が弱々しく見え、シャルロッテは繋いでいた手にもう片方の手を添えた。

 大きな兄の手を小さな妹の両手で包む。もちろん包みきれはしないのだが、それでもぎゅっと強く握った。





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― 新着の感想 ―
克服は時間かかりますよね…でもちゃんと向き合ってて立派だなぁ ロッティちゃんの『はわわ』を早く聞きたい☆
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