13:シャルロッテのこわいもの
シャルロッテの自室は可愛らしいもので溢れている。
ぬいぐるみに人形、絵本が並んだ本棚。天蓋付きのベッドはシーツ類を暖かい色味で統一しており、ピンクのカーテンには同色のタッセル。そしてまるで部屋を見守るかのように角に座る大きなクマのぬいぐるみ。
誰が見てもひと目で子供部屋だと分かり、同時に家族からの愛を感じるだろう。訪れるだけで胸が温かくなる部屋だ。
だがそんな可愛らしい部屋も今は温かみはなく、重苦しい空気と弱々しい声だけが続いていた。
「ご、ごめんなさい……。ロッティのせいで、お、おでかけ、おでかけできなくて……」
「いいのよシャルロッテ。怖かったんだもの、仕方ないわ」
「おじいさまと、お、おばあさま、ロッティのこと、や、約束、まもらないって、き、きらいに」
「大丈夫よ、嫌いになんてならないわ。だから安心して」
ひっくひっくとしゃくりあげながら話すシャルロッテを、フレデリカが優しく宥める。掠れた声で訴えられる不安を一つ一つ聞いて、一つ一つ解きながら。
ベッドに腰掛けたフレデリカと、それにしがみつくシャルロッテ。そしてシャルロッテを挟むように座り、震える背に手を添えるテオドール。
兄達も周りに集まり、時にはシャルロッテを宥め、時には案じて見守っていた。
そんな部屋に入ってきたのはレスカだ。
「やぁ、こんにちはシャルロッテ」とまるで何も無かったかのような穏やかな声色で挨拶をし、テオドールと代わりシャルロッテの隣に腰を下ろした。
「レスカせんせ……。ご、ごめんなさい、今日は、せんせとお話の日じゃ、な、ないのに……」
「可愛い従兄弟が呼んでくれるならいつだって会いにくるよ。……それで、何か怖いことがあったのかな?」
レスカの口調は日頃から落ち着いたものだが、今日はとりわけゆっくりと穏やかさを感じさせる。
暴くでも探るでもなく、胸の中に渦巻く強い感情に寄り添うような声色。単刀直入に尋ねてはいるもののまるで他愛もない日常会話のような軽さもある。
レスカのこの問いにシャルロッテはスンと洟を啜り「あのね……」と掠れた声で話し出した。
「馬車にね、のってたら……、ずっとガタガタして、それでね、なんだかここがぎゅうってして、ドキドキしたの」
あの時の感覚はうまく言葉にできない。それでもと説明しつつ胸元を強く掴んだ。
走った時の鼓動とは違う、楽しいことをする時の高鳴りとも違う。
とにかくひたすらに気持ちの悪い、ドクリドクリと心臓を震わせる、何かを急き立てるような鼓動。
「お父様とお母様がね、お話しているのに……、馬車のガタガタしか聞こえなくなっちゃって……」
「それで嫌だって言ったんだね。ちゃんと自分の気持ちを言えて偉かったね」
「あ、あのね、今日ね、おじい様とおばあ様と会う日でね。ロッティ、それがすごく楽しみで、うれしいなって思ってて……。で、でもね、なんで前は、こんなうれしいことが無かったんだろうって思ってね、そうしたら、お父様と会うまえのことがわーって頭のなかに浮かんで。だから、もうあんなの無いって」
伝えたいことが湧き上がり、頭の中がまたぐるぐると回る。必死で言葉を探して訴えれば、泣き喚いたせいもあってか声が詰まり咳き込んでしまった。
フレデリカが優しく背中を撫でてくれる。水を差し出してくれたのはジョシュアだ。彼の他にも兄達はそばに居てくれる。もちろん父も。
全員いることを確認してから水を飲んだ。泣き喚いた喉に冷たい水が通っていく。屋敷に戻ってきてからも何度か水は飲んだが、今になってようやく冷たさを感じた。
シャルロッテが水を飲み終えるのとほぼ同時に、話を聞いていたレスカが静かに「そっか」と返した。
落ち着いた、大袈裟でもなくとびきり優しいわけでもない、ありふれた返事。
「話してくれてありがとう、シャルロッテ」
「……おじい様とおばあ様が、お、おこってたら、どうしよう……」
「おじい様とおばあ様が? まさかそんな」
レスカがあり得ないと断言した。
これに対してシャルロッテはきょとんと目を丸くさせた。
「レスカせんせ、ロッティのおじい様とおばあ様しってるの?」
「シャルロッテのおじい様とおばあ様は、私のおじい様とおばあ様でもあるんだよ。不思議なら今度紙に書いて調べてみようか」
「はい。でも、おじい様とおばあ様とごはんの約束だったのに……」
「シャルロッテは、もしも今日来られなかったのがおじい様とおばあ様だったらどうしてた? おじい様とおばあ様が何かがとっても怖くて、レストランに行けなかったら、そんな二人を嫌いになる? 約束したのにって怒る?」
「ロッティ、おじい様とおばあ様を嫌いになんてならない!」
あんな優しい二人を嫌うなんてありえない。怒ったりなんてしない。
もしもレスカの言う通りになったとしたら、心配で心配でいても立ってもいられないだろう。早く良くなってほしい、また元気になって笑ってほしいと願う。
そうシャルロッテが訴えれば、レスカが穏やかに微笑んだ。ずっと背を撫でてくれるフレデリカもまた優しく笑み、「おじい様とおばあ様も同じ気持ちよ」と教えてくれた。
それを聞き、ようやくシャルロッテはほっと安堵の息を吐き、顔ごと埋もれるようにしてフレデリカに抱きついた。背に添えられていた手が抱きしめてくれる。
「お話ししてちょっと疲れちゃったかな?」
「……ん」
「少し寝たほうがいいかもね」
「でも寝るのこわい……」
寝たら荷台での日々の夢を見てしまいそう。
起きたらみんな居なくて、あの真っ暗な世界にもどっていそう。
増していく眠気に抗いながら掠れる声でシャルロッテが訴えれば、レスカが「それなら」とシャルロッテの前に手を差し出してきた。
彼女の手の中にあるのは小さく白い玉。大きさは小指の第一関節もないだろう。コロンと丸く、少し粉がかかっている。
「これはね、素敵な夢を見てぐっすり眠れるお薬だよ」
「すてきな夢……?」
「そう。うさぎさんとお茶会をする夢かな? ぬいぐるみのクマさんとダンスをする夢かも。ロミーとファッションショーする夢かもしれないね」
レスカがあげる夢のたとえはどれもシャルロッテにとって素晴らしいものだ。
そんな夢を見れる薬。口に入れればシュワと溶けて甘さが口の中に広がり、「おいしい」と頬を押さえて伝えればレスカが満足そうに頷いた。
「お薬も飲んだし、みんなそばにいるし、もう大丈夫だね」
「はい。……でも、レスカせんせ、もう帰っちゃう?」
せっかく来てくれたからもう少し話したい。そうシャルロッテが強請る。
「大丈夫、まだいるよ。実を言うと、このまま居続けて夕飯をご馳走になろうと思っていたからね」
おどけたレスカの話にシャルロッテがクスクスと笑う。
そうしてフレデリカに抱きついたままもぞと身動ぐと、察したフレデリカが「もう寝ましょう」と布団に入るように促してくれた。
「お母様、ぎゅってしてて……」
「えぇ、もちろんよ。起きるまでずっと抱きしめていてあげるからね」
布団の中に誘導してくるフレデリカに従えば、布団の温かさもあってか元より増していた眠気が一気にかさを増す。
「おやすみなさい……」とうつらうつらとしながら伝え、シャルロッテはすぐさま夢の中へともぐっていった。
◆◆◆
ブルーローゼス家の屋敷。客室の中でも比較的こぢんまりとした一室。
来客用というより来客の従者を控えさせるこの部屋に、一人の青年がいた。
年は二十代後半。いわゆる甘いマスクで見目がよく、身長も高く四肢も長い。これで堂々と座っていれば絵になっただろう。
だが青年は落ち着きがなく気まずそうにしている。
紅茶の替えに来たメイドにすらビクつく有様で、見目が良いだけに情けなさが増している。
そんな青年の体がひときわ大きくビクリと跳ね上がったのは、男の話し声と足音が聞こえてきたからだ。
扉がノックされ、青年が上擦った声で返事をすれば扉が開かれた。
「待たせたな」
「テ、テオドール様っ……! お、お久しぶりですぅ」
部屋にテオドールが入ってくるやいなや、いな、むしろそれよりも早く、ノックの音とほぼ同時に立ち上がっていた青年がテオドールに駆け寄った。
緊張で強張っていた顔は愛想の良い笑みに変わっている。もっとも、自然に浮かべたものではなく貼り付けられた笑みであり、よく見ると口元が引きつっているのだが。
「ご活躍は伺っております。件の任務は両陛下から直々に統率の指示があったと。さすがテオドール様。ブルーローゼス公爵家当主であり騎士隊長、並の貴族や騎士では務まりません」
「久しぶりだなサジェス。お前のその態度が変わらなくてなによりだ」
「あは、は、これは………処世術と言いますか、生き延びる術といいますか……。と、とにかく、お久しぶりです。ご健在でなにより」
「レスカは頻繁に家に来てくれるが、お前はまったく来ようとはしないな」
「それは……、あは、はは……。そ、それよりも今はご息女ですよ! シャルロッテ様は?」
サジェスと呼ばれた青年が誤魔化しの笑いから途端に表情を真剣なものに変えた。……まだ気まずそうに口元は引きつっているが。
「突然泣き叫ばれたと伺っております。その際に頭を振っていたと……。お怪我は?」
「安心しろ。怪我はない。今は薬を飲んで眠っている」
「そうですか、それはひと安心ですね。……薬?」
「あぁ、レスカが処方してくれた。緊急時ゆえに説明もろくに出来ずに御者が呼んだらしいが、お前もレスカもよく対応できたな」
「確かに突然飛び込んできましたからね。……あ、でももちろんブルーローゼス公爵家の御者ですから、礼節を欠くことなく、説明も簡潔であり分かりやすいものでした。さすがですぅ」
話の最中に突然媚びへつらうサジェスにテオドールが呆れの表情を浮かべつつ、それでも話を聞くかとテーブルについた。
サジェスもそれに倣い向かいに座る。ーー彼の表情が「立ち話で済ませたかったのに!」と訴えているのだが、テオドールは気付いてこれを無視したーー




