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第九十七話 カルロス一世は二度舞う

今回ちょっと長めです。先週分と合わせてな感じですので。ちなみに、タイトルは『野生の証明』とで悩みました。


「……ウチな? ヤメートの人って賢いって思うててんな?」

「……」

「だって、せやろ? ホラ、コータはんかて『魔王』様やし? アヤノさんもラルキアの聖女やん? 聖女やで、聖女。『聖なる乙女』を略して『聖女』やで? そら、ウチはそんなにアヤノさんと接してる時間が長い訳やない。ほいでも、商人やし? まあ、色んな評判も聞くやん? 『陽気で、笑みを絶やさず、傷ついた兵を、血煙の舞う戦場を鼓舞して回る』とか聞いてたら、そら思うやん。期待するやん。こう、凄い人なんやろうなって」

「……ある意味、『凄い』人ですが」

「ソニア様、不敬やけどちょっと黙っててくれへん?」

「……はい」

「まあな? そら、ウチも悪いで? 確かに、カルロス一世が来てるんやから公爵屋敷にも報告は要るわな? 確かに、報告義務を怠ったのはウチのミスやで? ほいでもな? 陛下から『ソニアには絶対言うたらあかんで! 内緒にしてて、来た時にびっくりさせよう!』言われたら、ウチも何も言われへんやん?」

「……そうですね。迷惑を掛けました、マリア」

「いや、ソニア様が悪いんちゃいますよ? 五日も陛下と一つ屋根の下とか、ホンマに胃に穴が開くかと思いましたケド、それは別にエエんですよ」

「……フィリップに連絡します。サーチ商会には改めて王家と王国から謝礼を届けさせますので」

「そう言うつもりや無かったんやけど……」

「あの……『謝罪』も込みですので」

「ほな、受け取っておく。ほんで、話を戻すで? 確かに、ウチも悪い。連絡をしなかったのはウチのせいかも知れへん。ほいでもな?」

 一息。


「――いきなり人様ん所の従業員張り倒すとか思わへんやろ!」


 サーチ商会の二階、住居兼執務室を兼ねたマリアの自室内に響く大声に、床に正座をした綾乃がビクリと体を震わす。

「そ、その……す、済みませんでした」

「済みませんで済んだら衛士はいらへん! っていうかな? アヤノさん、アンタ聖女様やろ? 何処の世界に言葉より拳が先に出る聖女様がおんねん! なんなん? ヤメートの聖女言うのはウチの知ってる聖女と違うんか? 拳骨で語り合うんかいな、ヤメートの聖女は!」

 酷い冤罪である。主に、こちらの世界の古今東西の『聖女』様に対して。

「いや……まあ、中には戦争に参加した聖女様も居るには居るけど。オルレアンとか」

「それ、標準なんかいな!」

「……いえ、そうではアリマセン」

「ほな黙っとき! なに言い訳してんねん!」

「聞かれたから答え――ああ、御免なさい。言いません」

 マリアの血走った目に、綾乃は静かに目を伏せて反省の色を出して見せる。色々言ってはいるが、別に綾乃も反省していない訳ではない。

「……やり過ぎたよね、流石に?」

「当たり前やん! 誰がどう考えてもやり過ぎや! そら……まあ、一連の流れを見てたら陛下にも非はあるんやろうけど……あるんやろうけど!」

 最後にもう一絶叫。マリアは頭を抱えて椅子に座り込んだ。マリアの気持ちも分かる。『王様ぶん殴りました』で笑って許されるほど世の中は甘くない。

「……死罪……?」

 その想像にマリアが顔面を蒼白にさせる。浩太と綾乃はヤメート時代からの友人とも聞いている。きっと浩太は悲しむだろうし、浩太が悲しめばエリカやエミリも悲しむ。それは彼女たちの『友人』として避けたいし……何より、マリア自身も寝覚めが悪い。

「そ、ソニア様!」

「……分かっています。わたくしとて綾乃さんを失いたい訳ではありません」

 ですから、と。


「――考えがあります、わたくしに」


 口の端を吊り上げるソニアに、マリアが訝しげに首を捻る。それと同時、マリアの部屋のベッドで寝かされていたカルロス一世がううん、と声をあげて身を捩り、硬く瞑った瞳を開けた。

「……ん……んんん……ん……こ、此処は――」

「おとーさまー!」

 身を起こし掛けたカルロス一世のその体に、覆い被さる様にソニアがダイブ。十歳、羽の様にとまでは言わないが、そこそこ軽いソニアの体を泡を食った様になりながらも、それでもカルロス一世は優しく抱きとめた。

「あれ? ソニア? なんでソニアが此処におんねん?」

「なんでじゃありませんよ、おとうさま~。ソニア、お父様が来られていると聞いて走って来ました。ねえ、お父様? ソニア、えらい? ソニア、えらい?」

「あ、ああ……え、えらいえら――っ!」

『撫でて! ねえ、撫でてよ!』と言わんばかりにキラキラした瞳をして見せるソニアに、カルロス一世も――若干気圧された様になりながらも――手を伸ばし、その頭を撫でようとして、思わず顔を顰めて顎を押さえた。

「つつ……あれ? なんや、ものすごく顎、痛いんやけ――」

「忘れたのですか、おとーさま! お父様は不意にお倒れになったのです!」

「……倒れた?」

「ええ! それも、顎から『どーん』っと」

「顎から? せやった……かな?」

「そーですよ~。恐らく、あの格好が宜しくなかったのでは? ほら、頭に帽子の様なモノを被っておられたでしょう?」

「そうやけど……アレ? アレ?」

 何が何だか分からない様子を見せながら、カルロス一世が首を捻る。その姿を見ながら、とっておきの天使の笑みをカルロス一世に浮かべるソニア。

「おそらく、帽子で頭が蒸れてぼーっとしてしまったのでしょう。ご自愛下さいませ、大好きなおとーさまぁ!」

 きっと、語尾にハートマークが飛んでいる。甘える仔猫の様に、カルロス一世の胸に額を押し付けるソニアに、カルロス一世の頬がだらしなく緩む。

「お、おお、ソニア? なんやって? お父様の事……」

「? 大好きなお父様、ですか?」

「そ、それ! もう一回! もう一回言ってくれへん!」

「はい! 大好きなお父様!」

「もう一回!」

「大好きなお父様~!」

「もう一回! もう一回お願いする!」

「…………しつこいですわね」

 思わず本音が出た。

「ん? ソニア、何か言った?」

「い、いえ、なんでも! お父様、だーいすきぃ!」

 もう一度、にっこり笑むソニアにカルロス一世の顔面は崩壊した。まあ、あれだ。幾ら『蛇』と言われるソルバニア国王であれ、娘に、しかもソルバニアから遠く離れたテラに居る娘に満面の笑みで『だーいすき!』なんて言われれば、そらこうなる。

「そんな事より、おとーさま? 折角テラに来られたんですし、ソニアと一緒にお買い物、行きませんか?」

「……え? ソニア、俺と一緒に買い物行ってくれるん?」

「ええ! 私、こう見えてもテラ詳しい――お、お父様! な、なんで? なんで泣くんですか!」

「いや……こう、最近ソニア、俺とお風呂にも入ってくれへん様になったやろ? 段々大きくなって行く娘に嬉しくもあり、寂しくもあったんやけど……」

「お、お風呂は恥ずかしいですが……でも、お父様! そんな事ありませんよ! お父様とお買い物にソニア、行きたいな~」

 両手を胸の前で組んで、その瞳を『うるうる』させるソニア。美幼女の括りであるソニアのそんな姿に、カルロス一世のハートがずきゅーんと撃ち抜かれた。覚えておられるだろうか? 『あざとい』は幼女の特権である。

「よっしゃ! ほな、ソニア、買い物行こうか!」

「はい! 善は急げと申します! さあ、行きましょう!」

「うし! ほな、ソニア! ちょっと待ってくれ! やる事あんねん!」

「やる事?」

「財布も取ってこなあかんし、部屋に置いてある『今、テラのここがアツい!』っていう雑誌も取ってこなあかんし――」

 それに、と。


「――俺の顎ぶち抜いてくれた仔狸に挨拶せなあかんやろ?」


 そう言って、いつもの笑みを見せる。

「……ソニア、お前に言っておくことがあるんや」

 表情の変化に思わず固まるソニアの肩に手を置き、じっとその瞳を見つめ。



「――そんな茶番で誤魔化される訳あるかぁー!」



 耳元での突然の大声に、ソニアが顔を顰めてカルロス一世の体から飛びずさった。その姿を面白そうに見つめてカルロス一世は言葉を継ぐ。

「いや~……堪能させて貰ったわ。『だーいすき、おとーさま』やって……く、くくく……」

「わ、笑わないで下さいまし!」

 未だキーンと鳴る右耳を押さえながら、ソニアが叫び、その叫んだ事で余計に頭が痛くなったか顔を顰める。その姿を見て、マリアが呆れた様にソニアに声を掛けた。

「……なあ、ソニア様? ソニア様の『考え』って……もしかして、アレ?」

「そうです! わたくしの『お父様、大好き! このまま連れ去って殴った事を有耶無耶にしちゃおう作戦』でしたのに……まさか、失敗するなんて!」

 高笑いを続けるカルロス一世を憎々しげに見つめるソニア。そんな姿を呆然と見つめるマリアに、綾乃がポツリと。

「……ねえ、マリア」

「……なんやねん?」

「……ソニアちゃんって、あんなにポンコツだったっけ?」

「……お願いやから、これ以上ウチの王族に不敬を働くの止めてくれるか? 久しぶりに会ったオトンにテンション上がった、いう事にしといてや」

 もしくは、そのオトンがいきなり友人に殴られてパニックになっている、と心の中でだけ付け加え、マリアはそのままカルロス一世に向き直った。

「……陛下」

「ん? ああ、マリア」

「その……顎、大丈夫でしょうか?」

「ん……まあ、ちーっとばかし痛いかな? ほいでも、まあ喋れんほどやないから、食べる事も出来るやろ」

「そ、それは良かったです。そ、それで……その……」

 言い難そうにそういうマリア。その姿に、カルロス一世は視線をマリアから外して綾乃に向けた。

「……なあ、嬢ちゃん?」

「は、はい!」

「ジブン、何したか分かってるか?」

「そ、それはもう! その……本当に、本当に申し訳ありませんでした!」

 カルロス一世の視線に向け、綾乃が正座のままで床に頭が付く程下げる。由緒正しき土下座スタイルを見るとは無しに見て、カルロス一世は口を開いた。

「分かっているんやったらエエ。ほな、俺から言う事は一個だけや」

「お、お父様! お待ちください! その、確かにアヤノさんに非礼もあります! ありますが、それでもお父様にも――」

「お前は黙っとれ、ソニア」

「――っ!」

 先程までとは、異質。表情に一切の『正』の感情を失くしたまま、カルロス一世はその瞳で綾乃を射貫いて。





「――いやー、エエ右アッパーやったわ! ジブン、オルケナ制覇も夢やないで!」





 親指を上げて、二カッと微笑んだ。


「……へ?」

 室内の時間が止まる。間の抜けたマリアの声だけが室内に響き、それに合わせる様にカルロス一世はマリアを見つめて口を開いた。

「ま、そう言う事で」

「……へ? い、いや、陛下……え、エエんですか?」

「せやから、エエよって言うたんよ。ホレ、からかった俺にも非があるし? エエの一発貰ったけど……まあ、お互い様ちゅう事で今回は不問にするわ」

「へ、陛下? その……ほんまに宜しいんですか?」

「かまへん、かまへん。ほれ、俺かてお忍びで来てるわけやし?」

「でも仮にも国王陛下を……」

「ええんやって。それに、そんなもんで一々不敬やなんや言うてたら、フィリップなんてクビが幾つあっても足りへんで? アイツ、俺の頭ハリセンでしばき回すさかいな」

 本当に良いのだろうか。カルロス一世自身が言っているのだ。これ以上は逆に不敬になるだろうし……何より、付き合いは短いと言えども綾乃は浩太の『ツレ』で、ソニアの『ツレ』でもあるのだ。ならば、この『温情判決』も納得が行く。そう思い、最後にもう一度だけマリアが確認の意を取る。

「……しつこい様ですが、陛下? ホンマにエエんですね?」

「かまわへんって。俺の名前はヘイカ。オルケナ各国を飛び回る流浪の商人にして、後世に名前が残る……予定の大商人、カルロ=ヘイカやで? 一商人が、店に来たお嬢ちゃんをからかったら怒らして、殴られた」

 な? と首を傾げて茶目っ気たっぷりに微笑んで。


「それでエエやん。『そういう事』にしとこーや?」


 小さくなっていた綾乃が伺う様にチラリと視線を上にあげた。視線に気付いたカルロス一世はワザとらしく顎なんぞを触って痛がって見せる。その表情が笑顔である事にほっと胸を撫で下ろして、マリアが口を開きかけて。


「――嘘、ですわね?」


 その言葉を、ソニアが遮った。

「……嘘?」

「ええ」

「どういう意味やねん、ソニア? 嘘って……お前、実のお父ちゃんに言う事ちゃうで?」

「実の父だから言っているのですよ、お父様?」

 目を細め、この目の前の蛇の子を睨むカルロス一世。そんな視線をものともせず、ソニアは言葉を続ける。

「わたくしはお父様の娘に御座います。そして……まあ、憚りながら他のお兄様やお姉様方よりも目をかけて頂いた自負があります」

「……まあな、否定はせーへんよ」

「ですから、分かるのですよ。『あの』お父様が――ソルバニア史上、最も名君の誉れ高いカルロス=ソルバニアが、殴られて笑って許す人間とは思えません」

「……俺、結構寛容な王様やで? フィリップの首、飛んでへんやろ?」

「それは貴方達の間に信頼関係があるからですよ。それに……貴方がただ寛容であったならば、きっと『蛇』とは呼ばれていないでしょう?」

 蛇と仔蛇。二人の視線が、蛇の様に絡まり合う。やがてその視線を逸らした親蛇は小さく溜息を吐いて見せた。

「……なんや、ソニア。反抗期かいな?」

「反抗期って。その様な事は御座いませんよ?」

「さっきまで、『だーいすき!』とか言うてた癖に」

「そ、それは忘れて下さいまし!」

「なあ、もう一回いってーや?」

「お父様、だーいっきらい!」

「ひど! お父さん、悲しい! 娘が反抗期やで、マリア! どう思う?」

「う、ウチに振りますか、ソレ! い、いや……まあ、その、陛下?」

「『陛下』ちゃう。『ヘイカ』や。『イ』にアクセントおいてや?」

「心の底からどーでもエエでしょ、それ! ちゅうかへい――」

「愛が足りへんかったんかな~」

「――かって、人の話を聞いてや! 自分で振ったんやん! 自由すぎるでしょう、陛下!」

 綾乃の気持ちも分かる。これは、マリアでも殴りたい。そんなマリアを申し訳なさそうに見つめ、ソニアは口を開いた。

「愛は足りておりましたよ? 無論、わたくしもお父様を愛していましたし」

「ほな、なんで?」

「わたくしに取ってお父様はたった一人のお父様ですが、お父様にとっては十一人いる子供の一人でしょ?」

「……たった一人の『ソニア』やで?」

「そう言う事にしておきましょう。話を戻します。そんな――お父様を見続けていた私からすれば、余りにもウラがあるとしか思えません。そして、その『ウラ』はいつか私達に取って、『毒』になると、わたくしはそう思いますが?」

 こくん、と首を傾げ麗しく微笑むソニア。思わず見惚れそうなそんな美しい笑顔を見つめたまま、カルロス一世は肩を竦めた。

「『私達』って、誰の事?」

「無論、コータ様と――テラ領の人々ですわよ?」

 ソニアの言葉に、両手を挙げて降参の意を示すカルロス一世。そのまま呆れた様に、それでも寂しそうに笑んで見せた。

「嬉しいような、悲しいような……なんや、変な気分やな。娘が嫁に行く気分ってこんなんなんかな?」

「わたくしに聞かれても……それに、アンネリーゼお姉様はお嫁に行っておられるではないですか。分かるでしょう、娘を嫁に出す親の気持ちは」

「アンネリーゼはこっちも心の準備があったさかいな」

「わたくしがテラに行った時は無かった、と?」

「まあ……十歳やしな。やっぱりあそこで止めるべきやったかな?」

「お父様らしくないですわね」

「人の親やしな。それに、娘は何時までもお父さんとは一緒におられへんもんやし、はよから出すもんちゃうな」

「……」

「ま、それはエエわ。ほいで? 何か『ウラ』があるちゅう話やったな?」

「……え、ええ」

 そんなソニアにうんうんと頷いて見せるカルロス一世。その姿勢のまま、にこやかに片目を瞑って笑んで見せ。


「――はずれ。ほんまに、純粋に許したろうって思うてんねん」


「……は?」

 ポカンと口を開けるソニア。その姿を面白そうに見つめた後、カルロス一世は視線を綾乃に向けた。

「なあ?」

「へ? わ、私?」

 人差し指で自身を指す綾乃に大きく頷き、カルロス一世は言葉を続けた。

「ジブン、アヤノ=オオカワやろ? 『ラルキアの聖女』様やろ?」

「えっと……ま、まあ……そうですけど?」

 言外に、『なんで知ってるの?』と問い掛ける綾乃に、カルロス一世はそんなのは当たり前と言わんばかりに手を振って見せた。

「ここ、オルケナ大陸で、しかも片田舎のテラやで? 黒髪・黒目のオンナなんか数える程しかおらへんわ。そんでもってソニアと一緒に肩を並べて出歩ける程の『身分』になるともう、一人しかおらへんやろ?」

「その……エミリちゃんも黒髪黒目だけ――ですけど?」

 ヒントが黒髪・黒目でソニアと一緒に歩くという条件なら、エミリも当然カテゴリーに入る。当然と言えば当然、綾乃のそんな疑問を、カルロス一世は鼻で笑い。

「――『氷の美女』とか、『美人主従』とか呼ばれてたんやで、エミリ=ノーツフィルトは」

「……そりゃどーも悪かったですね?」

「いいや? 良く見たらアヤノ、お前も可愛い顔してるやん。タヌ――小動物系の」

「……」

「無言で拳を握りしめるの、やめてくれへんかな? 仮にも『聖女』様がなんでもかんでもゲンコで解決しようとせんでや」

 そう言って、溜息一つ。

「あのライムとラルキアの戦争を終結させた『聖女』さまやで? そんな『聖女』様、どうやって罰するん?」

 な? とソニアに視線を向けるカルロス一世。

「お父様なら、それすら利用するでしょう?」

「リスクが大き過ぎるやろ? ラルキア王国では大人気やで、『ラルキアの聖女』様。罰したらぶーぶー文句垂れるやろ? 特に、ルドルフ辺りは。アイツ、あんな飄々としてる割にはわりかし義理堅いからな」

「……罰を望んでいる訳ではありませんが、今回は綾乃様に『非』があると思いますが?」

「それで『仕方ない』ってなるんやったら、この世に戦争なんて無いと思うで、俺は」

「……戦争が起こるとでも?」

「起こらへんやろな。俺が望んでへんし、戦争を」

「……随分と上からの言葉ですね」

「まあ『ソルバニア』の国王陛下やしな。ともかく、戦争はまあ、ほぼほぼ起こらへんやろ。ほいでも、『絶対』ではないんや。特にラルキアは思い込んだら『こう!』なトコロがある国民性やしな」

 あの戦争みたら分かるやろ、と問い掛けるカルロス一世にソニアは小さく頷いて口を開いて見せた。

「……続けて下さい」

「ラルキアとライムは軍事同盟を結んでる。ほな、ラルキアがウチに対して宣戦布告して来たら、引っ張られる様にライムもウチと戦争するやろ? 加えて、その同盟にはテラも加わってるんやで? 三つ相手にして、流石に絶対勝てるとは言えへんよ」

「……それは」

「ああ、別にウチが弱いって言ってる訳ちゃうで? 言うてもまだまだライムやラルキアなんかは戦争で負った傷も癒えてへんやろし、テラなんてお話にもならんと思ってるで。戦争になったらウチが勝つやろうしな。ほいでもな? 無傷で勝てる分けちゃうんやで? 言うちゃなんやけど大した理由でも無いし、笑って許したったらええやん。別に、戦争がしたいわけちゃうし」

 だから、と、言葉を続けて。

「別にソニア? ソルバニアが『泣き寝入り』する訳ちゃうねん。そんなリスク取ってまで罰する必要、あるかっちゅう話なだけや」

 それが一個目、と指を立てて。

「ほんで、二つ目。これが公式の――せやな、俺がラルキアに表敬訪問で行ったのにアヤノにシバかれたとかなったんやったら、俺も罰せなあかんわな? 威厳、ちゅうもんあるし……ソルバニアが『泣き寝入り』した言うて悪評が立っても困るし」

 せやけど、と言葉を続けて。

「今回、お忍びやしな。『ソルバニア国王が殴られた』って、誰が証明してくれはるん?」

「それは……」

「『難癖つけられた』言われても困るし、『殴られたのは分かった。ほな、一体テラに何しに行ってたんや!』ってなっても困る。痛くもない腹、探られるんも叶わんしな」

 ソニアからの反論がない事を確認し、カルロス一世は三本目の指を立てた。

「ほいでも多分、自分ら納得できんやろ? せやから……これが、最後の理由や」

「拝聴します」

「――此処でアヤノを罰するのは簡単やけど……折角の『カード』や。もっと有効活用させて貰った方がエエやろ?」

「……有効活用?」

「ロンド・デ・テラの魔王様の『弱み』になるんちゃうん? ってな。普通は此処までネタバラシせーへんけど……まあ、可愛いソニアの質問やし、出血大サービスやで?」

 そう言って、笑う。何時もの蛇の笑みで、ニヤリと。

「……一個だけ、言っておきます」

 その笑みの先、殆ど無表情に近い表情でカルロス一世を見つめた綾乃が小さく口を開く。

「貴方が私の行いをタテに浩太を脅すのなら、私は舌噛み切って死んでやる」

「……」

「……」

「……安い脅しはあんまり聞きとうないで?」

「浩太の足を引っ張るぐらいなら、死んだ方がマシよ。だからもし、浩太を脅すつもりなら、さっさと今此処で私の首でも何でも撥ねて頂戴?」

「……へえ」

 綾乃の射抜く様な瞳を面白うそうに見つめて、カルロス一世の口の端が吊り上がる。が、それも一瞬。呆れた様に溜息を吐いて見せた。

「……『愛しのコータの為なら、死すら厭わないわ!』っちゅうやつかいな? 今日び、やっすい演劇でもみーへんで、そんなベタな台詞」

「何と言われても結構。ただ、私は浩太の足を引っ張りたくは無いだけよ」

「……あーあ、おもんないなー。なんや、コータばっかりモテてるっぽいやん。なんやテンション下がるわ~」

「そういう問題じゃないと思うけど?」

「ほいでもな~……ヤラシイ言い方やけど、俺の方が金も地位もあるんやで? ホレ、こう言ったらなんやけど、俺の方が男前ちゃう?」

「生憎、ソロバン弾いて恋愛出来る程器用じゃないの、私。後、別に顔にひかれた訳じゃないから」

「……っくっくくく……あーっはははは! なるほどな! そう言われたら、仕方ないな~。分かった、分かった」

 可笑しそうに笑い、右手を上下に振って見せるカルロス一世。

「……ま、そう言う事ならエエわ。ほな、今度メシでも奢ってもらうのでチャラでエエよ。まあ、『貸し』言う事やね」

 さて、とベッドから身を起こすカルロス一世。

「……その……今更ですけど、殴ってしまったのは本当に申し訳御座いませんでした。それについては本当に……心より、謝罪します」

 そんなカルロス一世の姿に、綾乃が頭を下げる。綾乃の態度にもう一度笑って見せると、カルロス一世はベッドから降りて首をコキコキと鳴らした。

「お互い様やしな。さあ、それじゃマリア! 行くで!」

「へ? い、行く? 行くって……何処へ?」

「決まってるやないか! 俺ら商人の戦場は『店頭』や! 俺らがお客さん相手に商売せんと、明日のおまんまも喰えへんやん!」

「……へ? ちょ、へ、陛下?」

「陛下や無くてヘイカ、やって」

「ほなヘイカ! 店頭行くってなんですのん! もうソニア様にもバレてもうたし、さっさとテラ公爵屋敷に泊めて貰ったらエエじゃないですか! 別に、無理してこんなせっまい店舗に住まんでもエエんですよ!」

「いや~、それも思うたんやけどな? ほいでもアヤノかて俺がおったら気、使うやろ? ほなやっぱりマリアの所でお世話にならして貰おうかな~って」

「な、何言うてるんですか! 勘弁して下さいよ、ホンマに!」

「なんでやねん? 俺、自分が食べた皿とかコップとかちゃんと洗うし、店の掃除も文句言わんでやってるやん。大して迷惑かけてへんやろ? 此処はマリアの店やし、俺なんて転がり込んで来た厄介者やって認識してるから、ちゃんと寝袋で寝てるし」

「それですわ!」

「どれやねん?」

「よう考えて下さいよ!? 一国の国王陛下を寝袋で床に転がして、自分がベッドでぬくぬくなんて一般人には本気で苦行ですわ!」

「マリアのベッドやし、マリアが寝るのが筋やろ?」

「ほら、ソレ! 陛下、絶対ウチのベッド使おうとせーへんし! ほな思うて寝袋で寝ようとしたら怒るし!」

「ベッドがあるのに使わんなんておかしいやろ? それに、流石に女子供を床で寝かして俺だけベッドやなんて、そんなん出来んで、俺」

「女性に優しいのは結構ですけど、時と場合を考えて下さい!」

「ホラ、『カルロス一世の半分は優しさで出来ている』って有名やん?」

 頭痛薬か。

「初耳なんやけど! 陛下、お願いですからはよう出てってください!」

 国の最高権力者と五日も一つ屋根の下であれば、流石にマリアの心労も半端ない。

「イケずな事言わんといてや。俺とマリアの仲やん!」

「国王と平民以上の仲やないですよ!?」

「せやったかな? 何や情熱的な一夜を――」

「過ごしてへんですから!」

「――せやった? まあエエわ。ほな、いこか!」

「って、陛下! 人の話! 人の話を聞いて――」

「陛下やないって。ヘイカやって」

「もうそれはエエんです! エエんですから!」

『ほいじゃまたな!』とヒラヒラと手を振ってその場を後にするカルロス一世の背中。その背中に非難と懇願を向けるマリアの姿を見ながら。

「……ねえ」

「……はい?」

「殴っといてこんな事言うのもアレだけど……ソニアちゃんのお父さんはちょっと可笑しい」

「……言わないで下さい」

 綾乃とソニアは呆然と見送った。


◇◆◇◆◇


「……何を為されているのですか、アヤノさん?」

「……ソニアちゃん?」

 サーチ商会でのドタバタ劇の後。

『お願い! お願いやから、ソニア様! 陛下、引き取って!』と涙目のマリアに心から頭を下げてカルロス一世陛下を残置して来たソニアと綾乃は早々と公爵屋敷に帰って来た。それぞれ仕事もあるし、ある程度で寝ましょうねと約束をして別れたにも拘わらず、ちょっとトイレに起きたソニアは中庭に誂えられた円卓に腰掛けて優雅に紅茶を啜る綾乃に、非難の眼差しを向けた。

「あ、あはは……その……ちょっとばかし眠れなくて……お月見?」

 ソニアちゃんも呑む? と掲げたポットに首を左右に振って見せ、それでもと思い直してソニアは綾乃の対面に腰を降ろした。

「結構です。こんな時間に紅茶を飲んだら眠れなくなりますから」

「おこちゃまだね~、ソニアちゃん?」

「……貴方が言いますか、貴方が?」

 ジトッとした目を向けるソニアに、藪蛇だったと思い綾乃が身を小さくする綾乃。そんな綾乃をじとーっと見続けたソニアであったが、やがて小さく溜息。

「あのような事、なぜ為されたのですか?」

「いや……その……申し訳がありません」

 溜まらず頭を下げる綾乃。が、外される事のない視線に、謝罪ではなく説明を求められている事に気付いた綾乃は言いにくそうに口を開いた。

「……その……」

「何ですか?」

 誤魔化す事は不可能。そう思って、綾乃は小さく息を漏らす。

「丁度、今のソニアちゃんぐらいの時かな? 私、外国で暮らしてたのよ」

「外国、ですか?」

「そ。それで……外国では私たちの国の『容姿』って、まあそこそこ目立つのよ。小さいときは容姿の事で良くからかわれたり馬鹿にされたりしてね。だからまあ……こう、容姿関係の悪口は結構琴線にガシガシ触れるのよ」

「……」

「何が違う訳じゃない。ただ、肌の色や瞳の色が違うだけ。中身を見ることもせず、外見が違うだけで馬鹿にされるのは勘弁願いたいのよ、私。自分でもどうかと思うけど……ま、色々あったし」

 中身を見てくれって言って、殴ってたらお話にもならないんだけどね、と苦笑をして見せる綾乃に、ソニアは小さく溜息一つ。

「……アヤノ様の世界では人を殴っても罰せられないのですか? その様に野蛮な風習があるので?」

「んな訳ないわよ。そんな世界なら浩太、一番に死んでると思うし」

「物凄く納得する理由ですね。ですが、ならばなぜ今回は手を出したのです? まさか、私の父が何も言わずに許して下さると――」

「そこまで甘い事は考えてないわよ。今回なんてラッキーもラッキー、流石に『あ、終わった』って思ったもん。ただ、まあ……仔狸って言われてぷちーんと来ちゃって」

「……アヤノさん、よく今まで生きて来られましたね? コータ様とは別の意味で」

「……一応言っておくけど、私だって仔狸って言われるたびにボカスカ殴ってる訳じゃないわよ? そりゃ……まあ、ちょっと腹が立ったら復讐ぐらいはするけど」

「復讐?」

「いや、そんな大したことはしてないわよ? その……こう、当時の上司で私の事を仔狸って馬鹿にしてた人が居たのよね」

 イヤな予感しかしない。ソニアの額に一筋、冷や汗が流れる。

「……殴ったのですか?」

「まさか。私だってイイ大人だし」

 一体どの口が言うのか。そう思いながら、ソニアは沈黙で続きを促す。

「そのお酒の席で、日本酒の代わりに白湯出したぐらいよ、私のした事って」

「……白湯って」

「前々から『俺は日本酒には少しうるさい』とか偉そうな事いうからさ。結構ベロンベロンに酔っぱらった時に、徳利に白湯入れてお猪口に注いでやったのよ。ちょっと有名な日本酒で、物凄く飲みやすいですって言ってね? そしたら『ほう! これは凄い! まるで水を飲んでいるようだ! 上撰、水の如しだな!』とか通ぶって言ってた。次長、貴方の飲んでるのは間違いなく水です、ってどんだけ言いたかったか」

「……それは」

「あんまり美味い美味いって言うから、動画を撮って同期全員にメールで流してやった。浩太とか、お腹抱えて笑ってたんだから」

 そこまで喋り、ああ御免と頭を下げる。

「日本酒とか徳利とか言っても分かんないか。動画も……えっとね?」

「……構いません。正直、言っていることの半分も理解できなかったけど……取り敢えず綾乃さんのやった事で一人の尊い大人が天に召されたのでしょう」

 主に、社会的に。薀蓄語ったモノでガセを掴まされたらとんでもない赤っ恥である事ぐらいは、日本酒を知らないソニアとてわかる。

「ま、そんな訳で結構平和的だったんだけど……」

「それを平和的と言いますか」

「まあ、とにかく手は出して無かったんだけど……何だろう? こう、つい」

「ついってなんですか、ついって」

「いや、本当に、何で自分でも手が出たのか不思議で不思議で……そんなつもり、これっぽちも無かったんだけど……こう、何ていうか」

 自分でも本当に不思議そうに、そう言って首を捻る綾乃。何故殴ってしまったか、心底分からないという風な綾乃に肩を竦めてソニアは口を開き。

「では、なぜあの様な――」


「……なんとなく、『あ、この人浩太の敵だ』って思ったんだよね」


 ――仔狸の、勘。

「しかも、なーんかヤラシイ感じのツメ方した様な感じがするのよね? いや、本当はどうなのか知らないんだけど、こう……浩太が泣かされた感じの」

「いや、泣いてまではおりませんが」

「ん? なんか言った、ソニアちゃん?」

「な、なにも言っておりませんわ!」

 否、野生の勘。いやいや、それにしたってどうなんだといった感じで思わずソニアが口籠り、ついっと瞳を逸らす。あながち間違ってはいない所が綾乃の綾乃たる由縁であろう。

「と、とにかく! アヤノさん、今後こういった事の無い様にお願いしますね!」

「……はい。もう、ソレに関しては重々承知しておりまして……はい、はい」

 今回はどう考えても自分が悪い。そう思い、ペコペコと頭を下げる綾乃に苦笑交じりの笑顔を浮かべるソニア。

「あんまり無茶しないで下さいね、アヤノさん? 私だって、いつでも守り切れる訳では無いのですよ?」

「……あら? 私が居ない方がソニアちゃん、都合が――ごめん、今のなし。私が悪かった」

 怒りを湛えるソニアの瞳に、もう一度頭を下げる。その後、肩を竦めて、肩を落として溜息を吐いてやれやれと頭を左右に振って見せた。

「全く……ダメね、今日の私」

「本当ですね。コータ様に言いつけます」

「チクリは止めて、チクリは」

「だったらもう二度とこんな事をしないで下さいまし。それと……もう二度と、その様な事を言わない様に」

「はい。申し訳御座いませんでした」

 本日一日で何度下げたか分からなくなるほど下げた頭を、もう一度下げる。

「……宜しい。本日はコレで許します」

「ありがとうございます」

 頬を膨らまして腕を組むソニアだったが、それも一瞬。真面目な綾乃のその態度に、溜まらずソニアが噴き出した。

「……笑わないでくれる?」

「くす……失礼しました。つい」

「本当に……まあ仕方ないかな、今回は」

 そう言って、綾乃は月を見つめる。その仕草につられる様、ソニアも天空を見つめ。

「……綺麗、ですわね」

「ねえ。本当に綺麗だし……大きいね、今日の月」

「ええ」

「……」

「……」

「……コータ様達、どうされておりますかね?」

「どうしてるかね?」

「巧くいっておりますでしょうか?」

「どうだろう? 何だか浩太の事だから……そうね。泥沼の愛憎劇とかに巻き込まれてそうじゃない?」

 野生の勘、リターン。そんな綾乃の言葉を、ソニアは鼻で笑う事で流した。

「……どんな印象なのですか、アヤノさんにとってのコータ様は。きっとキチンと仕事をされていますよ」

「だったらいいけど……まあ、とにかく私達もさっさと仕事を終わらして早く帰りましょうか。まあ、帰るってのもおかしいケドね」

 そう言って笑う綾乃に、ソニアも笑みを返して。

「何もおかしくありませんわ」

「そう? だって此処に住んでるじゃん、私達」

そうですが、と。

「……私達が帰る場所はコータ様の所ですから」

「……そうかもね」

 そう言って、二人で玉響の月を何時までも、何時までも眺め続けた。


◇◆◇◆◇


「……ふわ……おはよーソニアちゃん」

「おはようございます、アヤノさん。昨日はよく眠れましたか?」

「……ん。ちょっと夜更かししたからか、遅くなっちゃった。朝御飯、ある?」

「だから紅茶を飲むと夜寝れなくなると……まあ、いいです。昨日買ったパンがありますが、焼きましょうか?」

「流石にお姫様におさんどんはさせられないわよ。自分でするわ」

 ふわーっと欠伸を一つ。ポリポリと頭を掻きながら、眠たそうに眼を擦ってモソモソと動く綾乃。回り切ってない頭そのまま、パンが置いてある食器棚を開けた。

「……アヤノさん? なぜ、パンをそのまま齧るのですか?」

「いや……なんか焼くの面倒臭くなって。大丈夫、これでも十分美味しいし」

「まあ、それならそれで構いませんが……それと、アヤノさん? 流石にダラしなさ過ぎませんか? その……パジャマ、乱れていますよ。一体、どの様な寝方をしたらそうなるのですか?」

「ん? そう?」

 パンを齧りながら、そう言って自身の上から下までをグルリと見渡す。寝間着と言う事もあり、少しサイズの大きなそのパジャマの上は第二ボタンまで開いているし、ズボンはずれ下がっているしで、チラチラと下着が見え隠れする始末だ。

「……どう? 色っぽい?」

含み笑いをして、『シナ』を作って見せる綾乃。その姿に溜息を吐き、ソニアは右手の人差し指でビシッと綾乃の後ろのドアを指し示した。

「そう言うのは色っぽいではなく、だらしないと言うんです! さあ、バカな事を言ってないで早く着替えて来て下さいまし」

「いいじゃん、別に。此処には私とソニアちゃんしか居ないし」

「そういう問題ではありません。どうするのですか、急に人が――」



「――アヤノーーーー!」



「――き、た……ら?」

 不意に、食堂のドアがバーンっと音を立てて開く。喋りかけ、呆気に取られた様にソニアがそちらに視線を向けて。

「……お父様?」

 ドアの所ではあはあと息を荒げるカルロス一世を見た。何時もならオールバックにビシッと決めた髪も乱れ、心なしか眼も血走って見せる。そのままの体勢で食堂の中を見回して。

「へ、陛下! あかんですって! 勝手に入った――って、アヤノさん! なんやねん、その恰好!」

 その後に続き、マリアの声が響く。こちらも慌てていたのか、ショートカットの髪があっちこっちに跳ねて……まあ、結構酷い有様だ。酷い有様だが。


「…………は?」


 パンを齧ったままの綾乃が固まる。

「ふ、服! ちゃんと服着て!」

 ついで、マリアの言葉が耳朶を打ち綾乃は固まった自身の体をゆっくりと見回す。上の服のボタンは二つ開き、下着がチラチラ。下のズボンは半分ほどずり下がり、こちらも下着がチラチラ。マリアの髪よりも、よっぽど『酷い』その恰好に綾乃が回らない頭でようやく気付き。

「――っーーーーーー! きゃ、きゃあぁぁぁぁーーーーーーー!」

 声にならない悲鳴の後、声になった悲鳴。『あ、なんや。アヤノさんもちゃんと女の子なんやな』と、場違いな感想をマリアは浮べながら、目の前で自身の体を両手で抱いてその場にへたり込む綾乃を見た。

「なななななななに考えてるのよ、貴方達! なに勝手に人の家に入って来てるのよ!」

 そんな綾乃の当然と言えば当然の主張。が、その主張を意に介す事なく、カルロス一世がズンズンと大股でへたり込む綾乃に近づき、その肩をガシッと捕まえた。

「へ? へ? え? ちょ、ちょっと! な、なに!?」

 髪を乱し、息を荒げ、目が血走った男が、パジャマを着崩して涙目になりながら恥ずかしげに自分の体を抱く女性の肩に手を置く図が出来上がる。その姿は正に。

「……どう見ても犯罪者です。本当にありがとうございました」

「何言っているのですが、マリア! お、お父様! 一体、どうされ――」



「アヤノ! 俺と付き合え!」



「――た……は?」

「ホレ、昨日言ったやろ? 『貸し』や、『貸し』! 俺と付き合ったら、その『貸し』、チャラにしたる!」

「は? つ、付き合う? えっと、わ、私が? 陛下と?」

「そや! 俺の『オンナ』になったら、それで顎殴ったのチャラにしたるって言うてんねん! エエ取引やろ!」

「いや、ちょ! そ、それはダメです! そんなの、絶対イヤです!」

「ごちゃごちゃ言うなや! ホレ、早く立つ!」

「きゃ、きゃあ! ちょ、や、やめて!」

「何言うてんねん! コレで国王陛下の顎殴ったのチャラになるんやったらやす――へぶぅーーー!」

喋りかけたカルロス一世の顎を、世界を狙えそうなアッパーが打ち抜く。体重差、体格差もなんのその、少しだけカルロス一世の体が宙に浮き――そして、膝から崩れ落ちた。まるで昨日の焼き直しの様なそんな光景を見つめ、ゆっくりと撃ち抜いた拳を左右に振る。


「恥ずかしい」


 ソニアが。


「恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしいです! 何考えてるんですか、お父様! 弱みに付け込んで女性に自身との交際を強要するなんて……このソニア、お父様の娘に生まれてこれ程恥ずかしかった事はありません! 恥を知りなさい、恥を! お母様に言いつけますからね!」

 顔と、殴った右手の握り拳を真っ赤に染めながらソニアが叫ぶ。何が何だか、パニックになりながらその光景を見つめていた綾乃の肩に、そっとマリアが手を置いた。

「……なあ、アヤノさん?」

「えっと……ま、マリ――」

「ウチの姫様にあんまり変な事教えんといてくれへんかな! アレ、絶対昨日のアヤノさんの真似やん!」

 なんで、怒られてるんだろう? と、回らない頭で思いながら。


「……どうも、申し訳御座いません」


 昨日今日で随分下げ慣れた頭をもう一度、綾乃は下げた。


舞ってないじゃん! という突っ込みは無しでお願いします。語感、大事!

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