第九十四話 最強の刺客
過日、フレイム王国興亡記3巻&ドラマCD発売となりました! これも皆様のお陰です! どうもありがとうございます!
……いや、本当に。思い返せば今年の4月ですからね、書籍化。あれよあれよと3冊も出させて頂いた上にドラマCDまで作って貰って……果報者です、私。これもweb含めてお読み頂いてる皆様のお陰です。感謝、感謝。
さて、それでは今年最後の投稿です。本年もお世話になりました! 来年も宜しくお願いします!
「――少し、暑いな?」
二人きりの、部屋。
「そ、そうです……かね?」
何時もの白衣を脱ぎ捨て、イブニングドレス姿のシオンがそう言ってテーブルの上に置かれたワイングラスに口を付ける。ふぅーっと艶めかしい息を吐き、グラスの縁についたルージュを小指で拭って見せた。
「暑いさ。或いは……『熱い』、のかもしれんがな?」
そう言って蠱惑的な瞳のまま、流し目を目の前の男……ニーザに向けて見せるシオン。
「……は、ははは。そ、そうですかね?」
「おや? どうした、ニーザ? 目が泳いでいる様だが?」
そう言いながら、『暑い、暑い』と胸元をパタパタ。そんなシオンの姿にニーザが慌てた様に瞳を逸らし――その姿に、シオンが口の端をつり上げた。
「……話は変わるがニーザ、私は大学時代からお前の評価は高い」
「そ、そうですか? それは……その、ありがとうござい……ます?」
「なぜ疑問形なのか、問い質したい所ではあるが……まあ、良い」
そう言って、ずいっと。
「――まさか、そんなお前から恋愛相談を受けるとはな」
「あ……あはははは」
「私は君に期待していた。学者になっても良し、商人になっても良し、王府の役人になっても良し、それに――私の『連れ合い』になって貰っても良いと、そう思っていたさ」
「し、シオンさん? えっと、それは……その、どういう……」
「女の私に全部言わせる気か?」
そう言って。
「なあ、ニーザ?」
悩ましく潤んだ瞳をニーザに向け、テーブル越し、そのままその身をニーザに近づける。ふにゅっという、およそエリカでは絶対に不可能であろう――まあ、テーブルに押し付けた胸がその形を歪めた。
「――アイリスと私、どちらが良い?」
「ど、どちらが? え、えっと……え?」
「二度も言わせるな」
なあ、ニーザ、と、もう一度。
「――アイリスより、私の方が……良いと思わないか?」
人差し指と中指でニーザの髪を弄ぼうと、右手をニーザの髪に伸ばし掛け。
「――シオンさん」
その手を、ニーザに『がしっ!』と掴まれる。先程まであわあわしていたニーザのその変化に、妖艶とも呼べるほどの笑みを浮かべていたシオンの表情が崩れた。
「えっと……に、ニーザ?」
攻守交替。攻め手で有った筈のシオンの目が遠洋漁業に乗り出す。あっちにウロウロ、こっちにウロウロと忙しなく瞳を動かすシオンの顔を、そっとニーザが両手で優しく包み込む。
「……は?」
「シオンさん」
ふっ、と、優しくニーザが微笑む。元々顔の造詣に優れたニーザの、若い女性ならコロッと行ってしまう様な笑顔に、シオンは狼狽――『若い女性が抱く』とは別の意味の狼狽をしてみせた。
「ちょ、に、ニーザ? そ、その、なんだ? こう、アレだ! わ、私達はこう、先輩後輩だろ? そ、そういう関係になるのはちょっと早いと思うんだ、うん!」
先程までの妖艶の仮面を脱ぎ捨て、両手を左右に振って見せるシオンの姿を優しく見守りながら。
「――頭でも、打ったんですか?」
「どういう意味だ、それぇーーーー!」
優しい、ではなく憐れむ視線を向けるニーザの顎を、シオンのオルケナ一を狙える様な拳が貫く。
「い、いってぇーーー! 何するんですか、シオンさん!」
「お前にしてもコータにしても、なんだ! こう、もうちょっと『ドキッ』とかしろよ! どうだ、このドレス! 背中もぱっくり空いて中々色っぽいだろうが! 普通の男ならふらふら~っと靡いても可笑しくないんだぞ! それを……言うに事かいて『頭、打ったんですか?』だと? ふざけるのもいい加減にしろ!」
「い、いえ、それは済みませんでした。で、でも! シオンさんですよ? 天上天下唯我独尊とか、歩く生物兵器とか、着られてる白衣が可哀想とか、ラルキア大学一の危険人物とか――」
「なんだ、その二つ名は! 不名誉すぎるだろう! というか、最後のはなんだ! 誰がラルキア大学一の危険人物だ!」
「在学中は『一、二を争う』でしたけどほら、サーチ商会のベロア先輩! 卒業したら、すっかり落ち着いて家業でも売り出し中でしょ? ぶっちぎりでシオンさんが一位です、今」
「そんな訳あるか!」
「……だって、シオンさん、ラルキア大講堂爆破事件とか起こしてるじゃないですか。アレ、一歩間違えたらテロ扱いですよ?」
立てば爆薬座れば地雷、歩く姿は核弾頭である。色んな意味で問題児なのだ、シオンは。
「ぐ、ぐぅ! ま、まあそれはともかく!」
「ともかまないと思いますが」
「ともかく! そういうのを差っ引いても、私に靡いても可笑しくないだろう! 綺麗なバラには棘があるもんだ!」
「手折った瞬間にこっちまで切り裂く様な棘なんて寡聞にして聞いた事が無いんですけど……と、いうかですね? なんですか? その……ちょっと自意識過剰っぽくてイヤなんですけど……その、も、もしかしてシオンさん? その、お、俺の事、好き……だと――」
「そんな訳あるか! 今のお前の境遇と過去の自分の馬鹿さ加減を省みて発言しろ! 吐いた唾は飲めんぞ、ニーザ!」
「――先輩ですけどこれだけは言わせて下さい。お前、マジでいい加減にしろ! なんなんですか! じゃあ、これ、なんの遊びですか!」
「遊びなもんか! これは――」
◆◇◆◇◆
「……ほんで? なんじゃいな、これ?」
『それでは私は部屋に戻りますね』と浩太がラルキア王城に誂えられたクリスの部屋を辞去した後。『私も少し抜ける』と言って部屋を後にしたシオンが、本のお化けの様な体勢でよたよたとクリスの部屋を再訪したのはそれから小一時間ほどしてからだった。
「アリアから借りて来たんだ」
女性の細腕――細腕では重たかったか、ふぅと言いながら額の汗を拭うシオンにお茶を渡しながら、クリスはシオンの持って来たソレに視線をやる。
「アリアから? アリア、このじか――って、シオン! これって!」
目の前に山と積まれたソレ――書物の一冊を手に取ったクリスはパラパラとその書物に目を通し、その後少しだけ驚いた様な視線をシオンに向けた。
「ん? どうした、殿下」
「どうしたって……これ、『停車場の隅っこで愛を叫ぶ』の初版、しかもサイン本じゃないんか? アリアが大事にしとったやつじゃろ?」
「そうなのか?」
「そうなのかって……『幾ら殿下と言えども、この本だけはお貸しする訳には行きません。代わりにこの布教用ならお貸しします!』って言われたんじゃで、私」
「一国の殿下にいう言葉では無いな、それは。後、何だ、布教用って。良く教育しておこう」
「それこそシオンに言われたくないじゃろうけど……」
そう言って過去、リズと三人で机を並べた学友であるアリアの大事な宝物であるソレを、先程までとは違い丁重に扱うクリス。
「随分馬鹿丁寧に扱うな?」
「やれ折り目がついただとか、やれ唾が飛んだとか五月蠅いからの、蒐集家は」
「本は読まれてこそだと思うが?」
「その考えを否定はせんがの。まあ、ほいじゃけん、布教用と保存用、それに観賞用に分けとるらしいで?」
「アリア曰く?」
「アリア曰く。ほいでも……ようアリアが貸してくれたの、これ。まあ私は学友じゃ思うて遠慮はいらんってアリアには言うたけど……そうは言うても、他国とはいえ王族の私にも貸してくれんかった本じゃぞ? 流石、姉妹愛じゃ言う事かの?」
一通りパラパラと目を通した後、水気を避ける様に机の上ではなくベッドのサイドテーブルに丁寧に置くと、少しだけ羨ましそうな、嫉妬を混ぜた視線をシオンに向けた。
「……一応、仲良しじゃ思うとったんじゃけどな、アリアとも」
「仲が良いから断れるんだろう? 普通なら王族の『召し上げ』、アリアも泣く泣く提出するさ」
「ほいでも、シオンには貸した」
「珍しく絡むな、殿下。なんだ? 嫉妬か?」
「し、嫉妬って……ほうじゃないんじゃけど……」
自分の前髪をいじりながらチラチラとそんな事を言って見せるクリスに、シオンは大きく溜息を一つ。
「アリアも言っていた。殿下とは仲良くさせて貰っている、とな。だが……まあ、姉はまた別だろう?」
「……」
「殿下だって無いか? アリアのお願いを……あの子はお願いなどしないか。それじゃ、アリアに隠し事をしている事が殿下、貴方には無いか?」
「そりゃ……隠し事ぐらい……あるけど」
「隠し事がある事が悪い事とは一概には言えん。黙っている優しさ、というのもあるし、言いたい事を言うのが仲の良さとは言えんさ。ダメな事はダメ、イヤな事はイヤと言えるのも友人だからこそ、だろう?」
「……先生みたいじゃな、シオン」
「先生だからな、一応。アリアもリズ様も……そして、殿下。貴方も私の可愛い生徒だ」
そう言って、もう一度肩を竦めて見せるシオン。そんなシオンに、クリスは少しだけ頬の表情を弛め。
「それに……そんなに心配するな。アリアの事だ。私にも貸してくれないさ、きっと」
「……は?」
かけて、引き攣らせる。
「い、いや、シオン? 貸してくれんって……さっき、アリアから借りたって」
「勝手にアリアの部屋から持って来たんだ」
「それは不味いじゃろ! 泥棒と一緒じゃで、それ!」
「泥棒ではない。無許可なだけだ。それに、汚さずに返せば問題無かろう?」
「いや問題あるじゃろ! 幾ら姉じゃけん言うても、流石にそれは――」
「心配するな」
「――ちょっと……心配するな?」
はてな顔を浮かべて見せるクリスに、ああと大きく頷き。
「私のモノは私のモノ、アリアのモノは私のモノだ」
その清々しいまでのジャイアニズムに、クリスも開いた口が塞がらない。
「まあ、そんな些細な事はどうでも良い」
「さ、些細では無い気がするんじゃけど……」
「どうでも良い!」
シオンの声にクリスも口を噤む。色々言いたい事はあるが、こうなったシオンが止まらない事は重々承知しているのだ。まあ、仮にも一国の殿下が承知する事ではないが。
「……ほんで? なんでアリアの部屋からこれを盗――借りて来たんじゃ?」
「勉強のためだよ」
「勉強?」
ああ、とクリスの言葉に一つ頷き、シオンは書籍の山から一冊の本を取り出した。
「殿下。恋愛に取って重要な事は何だと思う?」
「恋愛に取って重要な事って……そら、愛情とかじゃないんか?」
「三十点だな。可は上げれんぞ」
「お金かいの?」
「確かに重要ではあるが、それだけではない」
「ほしたら……ああ、定職?」
「それは結婚には重要だろうが、恋愛にはそこまで重要ではない」
「時間じゃな!」
「逢えない時間が盛り上がらせる、と言う事もある」
「それじゃ……なんじゃろ? 努力?」
「貴方はコータか。そんな訳ないだろう?」
ふんっと鼻を鳴らすシオン。そんなシオンの姿に、少しだけ不満そうな顔をしながらクリスは両手を上にあげ、降参のポーズを取って見せる。
「ほな、なんじゃ?」
「降参か? なら教えてやろう」
そう言ってシオンは手に持った書物の一ページをぐいっと開いて見せる。余りにも『雑』なその扱いに『アリアがきっと滂沱の涙を流すんじゃろうな』と場違いな感想を覚えながら、クリスはシオンの開いたページに視線をやった。
「……えっと?」
「こと『恋愛』に関していえば障害の多さが重要になる。共に苦難を乗り越え、愛を確かめ合う事で二人の仲はより一層深くなるのだ」
「……つまり?」
疑問を重ねるクリスの声に、シオンは胸を張って。
「――『ライバル』だ。ライバルの存在が、二人の仲をより一層強くする!」
「……はい?」
「良く考えて見ろ、殿下。今の二人はお互いが『大好き!』状態で駆け落ちしただろう?」
「駆け落ちじゃから、そら当たり前じゃ思うけど……まあ、そうじゃの」
「信頼と実績のあるこの書物を読む限り――」
「小説じゃけど、それ?」
「――普通の恋愛では恋仲になった後もライバルは登場するんだ。商会の上司であったり、学校の後輩であったり、幼い頃に結婚の約束を交わした幼馴染だったりのな。そんなライバルたちとの……そうだな、戦争だ。戦争に打ち勝って二人の愛は永遠になるのだ!」
「……」
クリス、言葉もない。ぐぐっと拳を握り込んだまま『アツく』語るシオンに、これ以上ない程残念な視線を向けて見せた。
「……すぐ影響される所、アリアとそっくりじゃな。普段は結構クールなのに」
「なにか言ったか?」
「結局、どういう事じゃって聞いただけじゃ」
大人な対応を取るクリスに、シオンはもう一度、今度はご機嫌そうにふふんと鼻を鳴らして見せた。
「だからな? あいつら二人は恋仲から逃亡、二人きりの生活のサイクルが余りに早すぎて、山あり谷ありの恋人ライフを送ってないんだ」
「……まあ谷ばっかりじゃろうな、あの二人」
「この辺りでちょっとライバルの登場が必要なんだよ、殿下。二人の仲を引っ掻き回す様な『お邪魔虫』の存在がな」
「……イヤな予感しかせんが、一応聞くで? その『お邪魔虫』の役は誰がやるんじゃ?」
「何を言っているんだ、殿下。そんなもの決まってるだろう?」
そう言ってシオンは自分を指差して。
「私と」
そのまま、その指をクリスに向け。
「殿下だ」
「……やっぱり」
予想通りの言葉にクリスが肩をがくっと落とす。そんなクリスの態度に、シオンが不満を表情に浮かべて口を開いた。
「なんだ? 殿下、先程『二人の仲直りの手伝いをしてやる』と言ったじゃないか」
「いや、確かに言ったケドのぉ~。ほいでも、この方法はどうじゃろうか?」
「なにか対案でも?」
「いや……そら、無いけどの? ほいでも、ホレ。あんまりこう……エエ方法じゃないじゃろ? じゃって、それって二人を騙す言う事じゃろ? それも、色恋沙汰で」
「騙す訳ではない。『お前ら、何時までも喧嘩をしていたらどちらかが愛想を尽かすぞ』という事を教え込むだけだ。善意だよ、善意」
「そうかのぉ~? イヤな予感しかせんのんじゃけどのぉ。それに……なんじゃ? こう、やっぱり二人には幸せになって欲しいし、こういう……心を弄ぶ? そういう行為は控えるべきじゃと思うけどの?」
「乙女か。まあ、殿下? 対案もないし取りあえずやってみるべきだ! 何の為にその整った顔があると思ってるんだ!」
「別にこういう事する為にあるんじゃないんじゃけど……」
「とにかく、だ! 殿下、これはあの二人の為になる事なんだ! だから躊躇などせず、殿下もガッツリとアイリスを落とすつもりで行くんだ! いいな!」
「……気乗りせーへんけど……はーい」
◆◇◆◇◆
「……」
「……」
「……言葉も無いんですけど」
ニーザの口車に乗せられ――てはないが、『遊びとは失礼な! これはな――』と呆気なく自損事故を起こしてニーザに全てを告白したシオンを、椅子に座ったニーザが冷たい視線で見下す。その視線と言葉に、思わず地べたに正座したシオンが顔をあげ、あまりの形相にそっと視線を外した。
「……そ、その……そのだな! 別に悪気があった訳じゃないんだ! 良かれと! 良かれと思ってしただけなんだよ!」
「何が良かれですか! シオンさん、貴方、もう少し考えて行動して下さいよ! 貴方は学生時代からそうだったらしいですね! 聞きましたよ、クラウス先輩から! 四捨五入したら三十でしょ? なんでそれぐらいの頭が働かないかなぁ!」
「と、年の事を言うな! 大体、お前には言われたくないぞ! 短絡的に駆け落ちしといてどの口が言うんだ!」
「それ、言います? そもそも貴方が『駆け落ちでもして見ろ。まあ? お前らみたいなおままごとな恋愛で駆け落ちする度胸なんてないだろうがな?』なんて煽るからでしょ!」
「煽られたからって普通やるか? ちょっと考えたらやらないだろう、駆け落ちなんぞ! このバカたれが!」
「バっ! あ、貴方には言われたくないんですけど! 歩く残念製造機の癖に!」
「ざ、残念製造機? 『ラルキア大学きっての神童』と呼ばれた私が、残念製造機だと!」
「神童の座はさっさと妹のアリアが持って行ったんですぅ~。短い栄光でしたね、残念でし――ああ、流石残念製造機! 自分自身が残念ですねぇ!」
「き、きっさまぁーーー! 誰がアリアの下位互換だ!」
「……いえ、そこまでは言ってないんですが……その、もしかして気にしてます?」
「姉より優れた妹なんぞ存在せんぞ、ニーザ! 具体的にはスタイルとかな!」
「貴方、それ絶対妹の前で言うなよ! すっげー凹むんだから!」
お互いにぜーぜーと肩で息をしながらそう罵りあう残念製ぞう――シオンとニーザ。先輩を先輩とも思わないニーザの言動であるが、誰がどう考えてもシオンが悪いのは悪い。
「そもそもだな! お前らがもうちょっとしっかりしていればこんな事にはならんかったんだぞ! 仲良くしろ! 好きで駆け落ちしたんだろ! 色んな人に迷惑かけといて、『もう一緒に居るのは御免です!』だと? ふざけてるのか、貴様らは!」
シオンの剣幕と言葉に、思わずニーザがうっと息を詰まらす。
「そりゃ……その、その点については申し訳ないと思ってますけど……」
「思ってますけど? なんだ!」
「い、いや……その……」
「はっきり言え!」
「その……だ、だから……」
しばしの、躊躇の後。
「その……か、格好悪いなって……」
ポツリ、と。
不意の、トーンダウン。視線を逸らし、そっぽを向くニーザの姿に、シオンの頭に昇った血も少しずつ、だが確実に下に落ちていく。
「……アイリスって、本当にお嬢様なんですよ」
「王家に連なる伯爵令嬢だしな。そりゃ、ピカイチのお嬢様に決まってる」
「その癖、こう……何ていうか、嫌味がない性格って言うか……とにかく、凄く性格が良くて」
「……ふむ。顔に惹かれた訳では無いのか」
「あ、当たり前です! 女性を容姿で評価するなんて、そんなの……し、失礼です!」
「別に構わんだろう? 性格が良い、頭が良い、運動神経が良い、家柄が良いなどの中に『容姿が良い』という項目が含まれるだけだ。大体、結婚すれば毎日突き合わせる顔だぞ? 二目と見れない顔面なぞ、私だってイヤだ。それとも何か? 容姿は好みでは無いと?」
「そ、そういう訳では……」
「ん?」
「……実に、見目麗しい容姿をされているかと」
「最初から素直にそう言え」
「で、でも! 確かに最初は『やべ! めっちゃ可愛い!』とか思いましたけど! 別にそこに惹かれた訳では無くてですね! こう、ああ見えて頑張り屋だったり、負けず嫌いであったり、その癖、ちょっとドジな所もあって失敗して落ち込んだりして! でも、最後はぐっと歯を食いしばって頑張る所がこう……け、気高いな~って――シオンさん? 何ですか、その顔?」
「シオンさん、胸焼けしそうだ」
胸を押さえて『うえぇ』と吐く真似をして見せるシオン。容量用法を守って摂取すべきなのである、人の惚気話とは。
「御馳走様だ。そこまで惚気られると一周回って気持ちが良いが……だが、解せんな」
「何がです?」
「そこまで惚れた女と、なぜ一緒に居たくない?」
「……その……それは……」
「此処まで喋ったんだ。ホレ、最後まで話せ」
ホレホレと促すシオン。そんなシオンの姿に、少しだけ嫌そうに顔を歪めて口籠った後。
「……指、なんですけど」
ニーザが、口を開いた。
「指?」
「アイリスの指、見ました?」
「いや……見てないが?」
「昔は白魚の様に綺麗な指してたんです、アイリス。料理は……こう、趣味でしてたみたいなんですけど、洗濯とか、冷たい水を使う様な生活、した事ないんですよね」
「……ふむ」
「アイリスの指、すっげーアカギレしてるんですよ、今」
両眉を八の字に下げた、情けない顔を浮かべながら。
「――もし、俺と駆け落ちなんかしなけりゃ、あんな生活しなくて済んだんだろうにな、って。いえ、もし俺がしっかり仕事をして……家政婦とか雇える程、稼ぎを上げれば、こう、アイリスにあんな苦労を掛けなくて済むような生活をさせてやれるのになって……そう、思うんですよ。そう思ったら、俺、今何やってるんだろうって……」
「……それで、アイリスに八つ当たり、か?」
「その……はい」
「ふむ」
ニーザの言葉に、一つ頷いて腕を組み。
「非常に――ニーザ、今のお前は非常に格好悪い」
「……だから、そう言っているじゃないですか。格好悪いんですよ、俺。それこそ、アイリスと釣り合わない様な――」
「そういう話ではない」
「――そんな……え?」
「私はアイリスではないし、生憎、愛だ恋だというモノに現を抜かす生活をして来た訳ではない。だから想像に過ぎんが……お前、アイリスの事をバカだとでも思っているのか?」
「……ば、バカ? アイリスが? そ、そんな事は思ってません!」
「貴族の娘だからな、アイリスは。人並み以上に教養もあるし……それに、お前よりは随分精神的にも『大人』で、現実の見える人間だと私は思う」
「えっと……はい」
「そんなアイリスが、だ。果たして駆け落ち後の生活にまで思いを馳せず、勢いだけで駆け落ちをするだろうか」
「……」
「いや、この言い方は語弊があるか。勢いだけで駆け落ちはしただろう。だが、駆け落ち後の生活を、楽天的に『何とかなるさ』と思う人間では無かろう? ファーバー家の娘だしな」
「……はい。俺も、そう思います」
「ならば、彼女にとって指のアカギレなど大した問題では無かろう。それぐらいの覚悟はしていた筈だ」
「で、でも! あんな綺麗な指だったの――」
「人形ではないぞ、アイリスは」
「――に……っ!」
「お前の可愛い可愛いお姫様じゃないんだ。生涯の伴侶に選んだ、相棒だろう? まあ……お前の事情も斟酌せんではないが、それにしたってお前の態度は相当酷い」
「……別に、指だけの話では……」
「それも分かる。もっと楽な生活を、もっと楽しい生活を、そういう生活をさせてやりたいと言う事だろう? 誰憚ることなく、お天道様の下を歩く様な。こんな、逃亡生活ではなく」
「……」
「……まあ、なんだ? 私にも責任の一端はある。全てが巧く進む、と断言は出来んが、努力はしようと思っている」
だから、ニーザ、と。
「アイリスに謝れ。お前の想いをしっかり伝えた上でな。そもそも、お前らが喧嘩したままなら、進むモノも進まない」
「……」
「別に私が女だからという訳ではないが……どう喧嘩したって、男が折れる方が早い」
「……語りますね。経験者ですか?」
「耳年増なだけだ。おっと、本当の年増でしょう? などと言うなよ?」
茶目っ気たっぷり、そう言って笑みを浮かべて見せるシオンに、ニーザも苦笑を返す。
「シオンさん」
「なんだ?」
「その……ありがとう、ございます。ちょっと気分が楽になりました」
「そうか。なら、良かった」
「アイリスに、謝ります。謝って……それで、もうちょっと待ってくれって……そう、言います」
「……うん。それが良いと思うぞ、私も」
少しだけ。
ほんの少しだけ、吹っ切れた様な笑みを浮かべるニーザを眩しそうに見つめ、シオンが小さく顎を引く。浮かべた笑顔は、シオンにしては珍しく――本当に珍しく、優しい、優しい笑顔だった。
「……善は急げ、ですね。それじゃ俺、アイリスの部屋に――」
決意も新たに、椅子から立ち上がったニーザ。そのまま歩みを進めようと一歩踏み出した所で、部屋のドアが遠慮がちに三度ノックされた。
「――どうぞ?」
逃亡生活からこっち、部屋を訪ねて来る人間など居ない。そんな疑問を浮かべたまま、扉口に声を掛けて。
「――アイリス」
入り口から、遠慮がちに顔を出すアイリスの姿にニーザの声が少しだけ跳ねた。
「アイリス! 丁度良かった! 今、君に逢いに行こうと思ったんだ! 俺、君に話したい事があるんだよ!」
「……あら? 奇遇ね、ニーザ。私も貴方に話したい事があったの」
「アイリスも?」
「ええ。私から先に言わせて貰って良いかしら?」
嫋やかに笑むアイリスの姿に、ニーザも笑顔を浮かべたまま首肯。その姿に、浮かべた笑みをより一層深いモノにし、アイリスはドア口に向かって声を掛けた。
「殿下? お入りになって下さいまし」
アイリスの言葉に、ニーザが訝し気な表情を浮かべたままシオンに視線を送る。一瞬、ニーザと同じ様に疑問を浮かべたシオンであったが、思い当たる節があったかポン、と手を打ってみせた。
「……ああ、なるほど」
「えっと……シオンさん?」
「なに、ニーザ。君と同じだ。君の元に私が来たように、アイリスの元には殿下が行っただけの話だ。流石殿下、巧い事話を付けて――」
「ニーザ……私、クリス殿下の元に嫁ぎますわ!」
「――くれた……って、はい?」
一瞬、自分の耳を疑う。あまりの衝撃的なその発言に、思わず視線を戸口に向けて。
「で、殿下? 何をしている?」
アイリスに腕にしがみつかれ、照れた様に頭をかくクリスの姿に、今度は自分の目を疑った。
「いや~……悪いの、シオン」
「悪いの、って……ちょ、で、殿下? え?」
「こう……なんちゅうか、ちょっと情にほだされてしもうての? ホレ、アイリスは別嬪さんやし、今度妹も結婚するし……そろそろ、落ち着かないけんじゃろうかって思ってな?」
「もう、殿下! それではマリー様の『ついで』の様では無いですか!」
「ははは、済まんの、アイリス。そう云うつもりじゃないんじゃ」
「ふふふ、冗談ですよ、殿下」
「こりゃ、一本取られたわ。アイリスには敵わんの~」
「失礼しました、殿下。でも、殿下が悪いんですよ?」
あはは、うふふと会話する二人に、シオンの脳髄が動きを止めた。ニーザ? シオンの隣で真っ白になっている。
「ほいじゃシオン、ニーザ? そう言う事じゃけん。結婚式には来てくれな?」
「ま、待て殿下! 説明! 説め――」
「じゃけん言うたがん。それなのに、シオンがエエ言うたんじゃろ?」
「――い……言った? 言ったって、な、何を!」
「言ったじゃろ?」
ホレ、アレじゃ、と。
「――イヤな予感しかせん、って」
ちなみに私、ハッピーエンド至上主義です。




