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第九十三話 ファーバーの娘

先週、結婚式に行って来たんです。お世話になった先輩同士の式で、すっごくいい式だったんですが……花嫁の手紙で何だかうるっと来ました。隣の上司もうるっと来てましたし、多分年のせいと云う事にしておきましょう。


さて、24日にドラマCD、25日に書籍3巻が発売致します。本日(21日)本編で、26日に小雑記の方へも投稿しようと思っています。クリスマス週間? いえいえ皆様、今週は『フレイム王国興亡記週間』と云う事で一つ宜しくお願い致します!


「今、フレイム王国で結構な問題事案が発生しているの。それも、一歩間違えたら貴族と平民の争いに発展する様な、大問題が」

「……はあ」

 自室を訪ねて来たエリカに、『まあお茶でも』と椅子を勧めた浩太。テーブルの上には紅茶のカップが二つ、湯気を立ち昇らせていた。先程、リズ手自らの紅茶を飲んだエリカ的には比喩表現抜きでお腹一杯だが、断るのも何だと思い紅茶に口を付けて口内を湿らせて言葉を継いだ。

「こう……実はね? フレイム王国でも名門と呼ばれる伯爵家があるんだけど……そこの御令嬢が出入りの商人と駆け落ちしちゃったのよ。その伯爵家は王家に連なる名門貴族なんだけど、もうカンカンで……それで、その伯爵家の当主に話をしに行くってわけ」

 エリカの言葉を聞きながら、浩太も目の前の紅茶のカップに口を付ける。浩太の頭に浮かぶ言葉は一つ、即ち『どっかで聞いた事がある』だ。

「えっと……それって、ファーバー伯爵の事ですかね?」

 少しだけ遠慮がち、そう声をかける浩太の言葉にエリカの目が真ん丸になる。次いで、訝しげに口を開いて見せた。

「……知ってるの?」

「『この平民風情が!』と言われましたが。ご本人より直接」

 その言葉に、エリカが額に手をやってやれやれと首を左右に振って見せる。

「なんていうか……ごめんね、コータ。イヤな思いをさせちゃって」

「いえ、別に気にしてはいませんが。それに、エリカさんに謝って貰う事じゃないでしょ?」

「一応、『親族』だし。まあ、コータがそう言ってくれるのならお言葉に甘えるし……コータには申し訳ないケド、話が早くて助かるわ。単刀直入に言うと、リズからの『お願い』はファーバー伯爵の説得。彼が『納得』してくれるように巧い事説得して欲しいって、まあそう言う事なの」

「……納得?」

 浩太の脳裏に自身を罵倒するファーバーの姿が蘇る。

「その……無理じゃないですかね?」

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、と言わんばかりのあの態度だ。簡単に納得する様なタマには見えない。

「それに、ファーバーさんの言っている事も一理あると思いますよ」

「一理?」

「可愛がってた娘さんが駆け落ち、でしょ? 普通の親なら怒りますよ」

「だからって、全然関係ないコータを罵倒しても良い理由にはならないでしょ?」

「まあそうですが……こういうの、時間以外に解決しないんじゃないんですかね? 孫の顔でも見せれば案外コロッと機嫌が直るとも聞きますし」

「……」

「……何ですか?」

「いや……随分、ファーバーの肩持つな~って。なに? もしかして経験者?」

 ジトッとした目で自身を見やるエリカに、慌てて首を左右に振って見せる浩太。

「そ、そうではありません! そうではありませんが……まあ、良く聞く話ではあるんですよ」

『おめでた婚』という言葉がある。最近はダブルハッピー婚なんて言葉もあるが、ようは結婚前に妊娠が発覚する、婚前妊娠の事だ。それをアメリカでは『ショットガン・マリッジ』と呼ぶ。

 語源の由来は二つ。『てめぇ、俺の娘をキズモノにしやがって! 責任取って結婚しやがれ!』と、男の背中にショットガンを突き付けて教会に行く、と言う説と、『てめぇ、俺の娘をキズモノにしやがって! ソコを動くな! 打ち殺してやる!』とショットガンを持って追いかけ回すから、という説がある。どっちにしろ穏当では無いが、まあ親の立場から言えば分からんでもない。

「こ、婚前妊娠って! ふ、不潔よ、そんなの!」

 浩太のざっくりとした説明に、顔を真っ赤に染めるエリカ。アラウンド二十歳の割には初心なその姿だが、フレイム王国が新妻の処女性を求める国家である以上、ある程度仕方ないと言えば仕方がない。

「個人的には其処に至る過程よりも、妊娠・出産後の生活が幸せかどうかが重要だとは思いますが……まあ、その辺りは色々と考え方もあるでしょうし、明言は避けます。ともかく、一度はそうやって怒った父親も孫の顔を見れば態度を改めるという話は……まあ、聞くと言えば聞きますので」

「……駆け落ちでも?」

「その辺りは微妙なトコロではありますが」

 流石に浩太の周りに駆け落ちした人間はいないので推論の域は出ない。出ないが、浩太の肚としてまずはニーザとアイリス、当事者二人の仲直りが優先課題としてあるのだ。言っては何だが、拗ねた親父の相手をしている暇はないし……本音ベースで言えば、関わり合いたくもないのもあるのはある。

「なので、個人的にはファーバー伯爵は『放って置く』というのが一番ベターだと思いますよ?」

 結論としては、コレ。その言葉を聞いたエリカは紅茶を一口付けた後、大きな大きな溜息を吐いて見せた。

「……なるほどね。つまり、コータ的には首を突っ込まない方が良いって事ね?」

「言い方に若干語弊がありますが……」

「ああ、ごめん。別に拗ねて言ってる訳じゃないの。コータの説明を聞いて、私にも理解出来る所もある。時間が解決という方法も悪い訳じゃないと思うわ」

「では」

「ファーバーが隠居の老人とかだったらね?」

「……ふむ?」

「コータも知っていると思うけど、『フレイム王国』って国は『貴族は偉い、平民は偉くない』って単純な国家制度をしていないわ」

「ロッテさんしかり、シオンさんしかり、ですね。平民階級であっても能力があれば重用される、と」

「そういうこと。特にフレイム王国を支える『王府』という組織はラルキア大学を卒業した優秀な『平民』階級によって占められる行政組織なのよ。『貴族だからと言ってただその地位に安寧としているのではない。無論、平民と言えども学問を修めた者には相応の地位を与える』って言うのは、建国帝アレックス以来の伝統よ」

「どっかで聞いた様な話ですね、それ」

家柄だけでなく、努力をした人間には地位と名誉、そして金銭によって報いる。王侯将相いずくんぞ種あらんや、である。

「ファーバーは近衛の副団長。職務上、王府の役人と会う事もあるし、シオンみたいな学術院の人間と逢う事もあるわ。今は目立って問題になる発言は無い様だけど……もし、よ? ファーバーがコータに言った様に『この平民風情が!』なんて王府の人間に言ったりしたら」

「……あまり想像したくないですね、それ」

「百歩譲って王府とか学術院の人間はまだイイのよ」

「そうなんです?」

「元々仲もそんなに良い訳じゃないし、武官と文官」

「シオンさんもそんな事言ってましたね、たしか」

「でもね? フレイム王国が抱える国軍の中には平民が司令官を務める軍もあるのよ? 軍同士、話し合いを行う事もあるし、その時に……『平民の言う事なんて聞けない』なんて言った日には……フレイム王国が二分するわよ。基本、軍人は血の気が多いし」

「仮にも司令官クラスがそんな短絡的な行動を起こす事は無いと思いますが……ですが、まあ言わんとしている事は分かります」

 無駄に火種を捲く必要はないだろう。

「時間が解決、なんて悠長な事も言ってられないのよ」

「なるほど」

 得心がいったように頷きそう言って、溜息一つ。

「……それで、エリカさんに白羽の矢が立った、と?」

「カールから説得して貰うのが一番いいのよ、本当は。今の直属の上司だもの。だけど、カールも血の気が少ない方じゃないし……というか、血の気多い方だし。売り言葉に買い言葉で間違いなく喧嘩になるし」

「……」

 心当たりが有り過ぎる浩太は沈黙で応える。沈黙は金、だ。

「かと言ってリズが言うと完全に『王命』になるし、『平民』のロッテが言うなんて論外。そうなると、王都ラルキアに常駐せず、ファーバーと面識もあり、そこそこ地位の高い人間が『説得』するのが一番となるわけ。つまり」

「……エリカさんにお鉢が回って来る、と」

 テラに在住で、公爵で、国王陛下の姉である。エリカの為にある様な仕事だ。

「面識は?」

「可愛がって貰った方、かしらね? 私はアイリスとも年が近いし」

「ますます完璧、ですか」

 もう一度、溜息。

「……先程も言いましたが、さっきファーバーさんに言われたんですよ? 『平民風情が!』って」

「そこも含めて私にぴったりの仕事なのよ、今回」

「……えっと?」

「コータのした事はこの王都ラルキアでも話題になっているわ。当然、ファーバーの耳にも入っている」

「それが?」

「『この平民風情が!』って言うファーバーに、『平民だからと言ってバカにするな!』って言えるの、コータぐらいなのよ」

「……難易度が高そうなんですけど、それ」

 明らかに乗り気ではない表情を浮かべる浩太に、少しの同情とそれ以上の不満を顔に浮かべて見せるエリカ。そんなエリカの表情に、訝しげに浩太が首を捻った。

「どうしました?」

「別に。相変わらずの自虐癖だな~って思っただけよ」

「自虐って……そう言うつもりは無いのですが」

「もうちょっと胸を張ってよね。貴方は私の……そ、その……ぱ、パートナーなんだし。『全部、私の手柄ですよ?』ぐらいは言ってくれてもいいのに」

「流石にそれはちょっと、なんですが」

「でも、貴方のした事はそれぐらい『凄い事』なのよ。だから、私個人としてはもっと胸を張って欲しいって事」

 残った紅茶を一息で飲み干すと、エリカはカップをテーブルに置く。カチン、とソーサとカップが小さな音を奏でた。

「まあ、そういう訳よ。付き合ってくれる?」

 微笑み一つ。にっこりと笑うエリカに、浩太も肩を竦めて笑顔を浮かべて。

「……仕方ありませんね。『パートナー』、ですから」

 そんな浩太の言葉に、エリカの笑みも一層濃くなった。


◆◇◆◇◆


「……少し、聞いておきたかった事があるのですが」

「なに?」

 浩太の私室から近衛騎士団副団長私室までは徒歩で十分程度の距離、『二人っきりで歩くなんて……で、デート? これって、デートじゃないの!』と都合の良い変換をしたエリカの脳髄がその頬を赤らめさせるという副作用をおこし、『風邪ですか?』『だ、大丈夫!』なんてベタな会話をしながら、エリカと浩太は二人でラルキア王城の廊下を歩いていた。どうでも良いが、二人で並んで歩く、という小さな幸せで天にも昇れる程にハッピーになれるエリカは、殆どハイブリッド車並みの燃費の良さである。不憫な事ではあるが。

「アイリスさんとファーバー伯爵はその……良好な仲では無かったのですか?」

「なんで?」

「ファーバーさんがそういう……『平民風情』と思う様な方なら、アイリスさん自体もそういう人に育つのではないか、と思いまして。ニーザさんと駆け落ちする様な事をするかな、と思いまして」

 親の背中を見て育つ、ではないが、家庭環境が子供の成長に与える影響は小さくは無い。親と良好な関係を築いた子供であれば親を見習うだろうし、そうで無ければ子供は反発をするものである。

「勢いも勿論あったでしょうが、仮にも生涯の伴侶に選ぶぐらいです。教育方針に不満があったとか?」

 そう思い問う浩太に、エリカは肩を竦める事で応える。

「ファーバー家は名門貴族の一つだし、王家の連枝でもあるわ。王位継承権だけで考えるのであれば、カールの所のローザン家よりも高いわ。そこまで高位な貴族になると、『血のプール』っていうのも一つの大事な仕事なのよ。それにも関わらず、ファーバー伯爵は側室を持っていないわ。この意味、分かる?」

「……正室第一、と?」

「家族仲が良好で有名だから、あそこ」

「なら、なぜアイリスさんは『駆け落ち』などを? 」

「相手であるニーザが余程魅力的に映った……と言いたい所だけど、多分変わったのはファーバー伯爵の方ね」

 そこまで喋り、エリカはその歩みを止める。つられてその足を止めた浩太が、目だけで続きをエリカに促した。

「昔は……というか、私が知っているファーバー伯爵は『そう』じゃなかったのよ」

「分け隔てなく接していた?」

「昔から自分が『貴族』である事、王家に連なる家である事に誇りを持っている人だったわ。でも……だからと言って不当に人を貶める様な人でも無かったのよね、ファーバー伯爵って」

「……ふむ」

「貴族は貴族として、平民は平民として、その別は勿論あるけど、それでも能力は認めて尊重する人だったのよ。最後にあったのは五年以上前だし、今は変わってても可笑しくは無いんだけど……ま、その辺りは本人に聞いてみましょう」

 そう言ってもう一度肩を竦めて見せると、エリカは目の前の扉をコンコンコンと三度ノック。室内から『どうぞ』という声を聞くとその扉を押し開けた。

「……久しぶりね、ファーバー伯爵。息災かしら?」

 机の上の書面に目を落していたファーバーが、エリカのその声に顔を上げる。一瞬驚いた様な顔をした後、その顔に喜色が浮かんだ。

「……おお!」

 満面の笑み。先程浩太を見て、『平民風情が!』と言った人間の記憶とどうしても一致しないその笑顔に、思わず浩太が体と意識を引く。

「お久しゅうしております、エリカ様。随分とお綺麗になられて……リーゼロッテ様にますます似て来られましたな」

「そう言って貰えると嬉しいわ、ファーバー伯爵」

「おや? 昔の様に『エアハルトおじちゃん』とは呼んで下さらないので?」

 少しだけ可笑しそうに、悪戯っ子の笑みを浮かべるファーバー。

「……幾つの時の話をしているのよ、ファーバー伯爵」

「これは失礼。ですが幾つになってもエリカ様はエリカ様に御座いますよ。覚えておいでですか? これ、この広いラルキア王城で迷子になったエリカ様が!」

「ああ、もう! その話は勘弁してよ!」

「このエアハルト、昨日の事の様に思い出せますぞ? 瞳に一杯涙を溜めて――」

「降参! もう、本当に勘弁してよ」

 両手を上にあげて降参の意を示すエリカに、ファーバー伯爵も顔を心の底からの楽しそうな笑みに変えかけて――エリカの後ろの浩太に気付き、一気に顔の笑みを消し去って仏頂面を浮かべて見せた。

「……エリカ様?」

「……これでもかってぐらい分かり易く表情を変えるわね、貴方」

 疲れた様にエリカが溜息一つ。その後、ファーバーに乾いた笑みを浮かべて見せた。

「大体、分かると思うけど……今日私が来たのは――」

「アイリスの件、ですな?」

「――そういう事。正確には、貴方の『態度』の話ね?」

「出来れば旧交を温める、という純粋な再会が嬉しかったのですが?」

「そっちはそっちで温めましょう。積る話もあるし」

 ファーバー伯爵とエリカの視線が絡む。しばし見つめ合った後、溜息を吐いてファーバーが視線を逸らした。

「……まあ、立ったままする話でもありますまい。どうぞ、お掛け下さい」

 逸らした視線の先、簡易な応接セットの置かれたスペースを視線で指す。軽く顎を引き、エリカと浩太は応接セットの椅子に腰を降ろした。

「紅茶でも淹れさせましょうか?」

「お気持ちだけ、頂いて置くわ。十分飲んで来たから」

 エリカの言葉にそうですかと頷き、ファーバーも応接セットの対面に腰を降ろした。

「回りくどい言い方をするつもりは無いわ。ファーバー? 貴方の態度、あんまり良くないんじゃない?」

「……ふむ。そちらの……失礼、なんというお名前でしたかな?」

「松代です。松代浩太と申します」

「松代殿から聞かれましたかな? 『この平民風情が』と言った、とでも?」

「コータだけじゃないわ。陛下からも聞いたわよ?」

「貴族風を吹かせて偉そうにしている、と?」

「……無礼よ、ファーバー」

「失礼」

 エリカに合わせていた視線を切る様、ファーバーは中空を見つめる。そんなファーバーに追撃するかのよう、エリカは言葉を続けた。

「貴方が昔から『ファーバー』という家に誇りを持っている事は知っているわ。でも、ファーバー? 貴方、昔は『平民風情が』なんていう人じゃなかったでしょ? その……アイリスの事は、こう、腹に据えかねるのも分かるけど……でもね、ファーバー? それ――」

「なにか考え違いを為されているようですな、エリカ様」

「――じゃ……考え違い?」

「私は別に貴族が偉い、とは思っておりません。より正確には、貴族が『無条件に』偉いとは思ってはおりませんよ」

「……どういう意味よ?」

 ファーバーの答えに疑問の色をその瞳に湛えるエリカ。その視線をしかと受け止め、ファーバーは――まるで、自らの生徒に解を与える教師の様に口を開いた。

「『貴族』というイキモノには莫大な権利が与えられます。領土、民草、税収、その全てを自らが手に入れる事が出来るという権利と――同時に、その権利を行使する事による義務と責任が生まれものに御座いましょう?」

「……そうね。まあ? もし、この国が貴方の言う様な『ご立派』な貴族ばかりなら、この国はもっといい国になっていたでしょうけど?」

「無論、全ての貴族が立派、などと世迷言を申すつもりは御座いませんし、私自身、まだまだ未熟な所がある事は重々承知しております。ですが、少なくとも私は自身に与えられた職責を全うしようと生きて来たつもりではあります」

「……」

「多かれ少なかれ、貴族というモノはその『義務』を果たそうとしております。ですから、その対価として私共貴族は領地と地位、それに名誉を付与される存在であり……そして、そう『あるべき』存在なのですよ」

 そこまで喋り、確認を取る様に視線をエリカに向けるファーバー。エリカが目だけで続きを促している事を悟り、言葉を継いだ。

「『平民』の中にもこの『義務』を果たそうとしている人間が居る事も承知しております。例えばロッテ・バウムガルデン卿。かの御仁は……失礼ながら、平民であるにも拘わらず、立派に国家に貢献為されております。そういった方は尊敬に値しますし、兄事する姿勢を取ろうとも思いますよ」

「……それで?」

「総括すれば……国家に、このフレイム王国に貢献している人間であれば貴族・平民の別などありません。ですが、そうで無いのであれば、国家に貢献していない人間であるのであれば……所詮、『平民風情が』と呼ばせて頂く、という話に御座いますよ」

 一息。

「『駆け落ち』という行為はこの最たる物に御座います。ニーザの行いは彼自身だけではなく、実家であるロート商会の名すら貶める行為です。陛下に心労をお掛けし、ロッテ卿にいらぬ気を使わせ、その上で自身の快楽だけを追求する行為に御座います。なぜ、その様な行為に及んだか、分かりますか?」

「それは……」

「ニーザには『責任』という観念が抜け落ちているのですよ。責任が無いから、好きな事をする。責任が無いから、勝手な事をする。責任が無いから、誰に迷惑をかけようが、誰を困らせようが、知った事では無いのです」

「……平民だから?」

「先程も申した通り、全ての平民がそうであるとは申しません。申しませんが、『国家』に対する『責任』という点では、貴族の方が上だと私は思います。いざとなれば、国家と陛下の為に尽くす事が貴族には求められると、私は思います。で、あるのであれば、私はその『責任』を果たす人間には礼を尽くそうと考えております」

 そこまで言って、視線を浩太に向ける。

「……確かに、松代殿にいきなり『平民風情が』と言った事については褒められる行為では無かったでしょう。ですが、エリカ様? 彼は神聖なる近衛騎士団の修練場に足を踏み入れたのですよ?」

「……それは……そうなの、コータ?」

「えっと……はい」

 少しだけ気まずそうに、浩太は視線を逸らす。紆余曲折はあるも、足を踏み入れた事自体は間違いのない事実なのだ。

「……コータ。近衛の修練場は、近衛騎士団の団員と陛下以外は足を踏み入れてはならない『聖域』なのよ。部外者が勝手に使用する事は禁じられているわ」

「その……済みません」

 素直に頭を下げる浩太。その態度に幾分か溜飲を下げたか、心持優しげな声音でファーバーは続けた。

「あの後、団長閣下より事情は承りました。聞けば団長が無理に誘ったそうですし、情状酌量の余地はあります。ありますが……ですが、フレイム王国の『貴族』であれば、幾ら団長の勧めとはいえ修練場に足を踏み入れようとは思わなかった筈でしょう? エリカ様、貴方でも躊躇をするでしょう?」

「……そうね」

「ですから、私はあの時言ったのですよ。そんなフレイム王国の道理も分からぬ『平民風情が』と」

「……」

「貴族は貴族として生きていく。平民は平民として生きていく。これは差別ではなく、区別です。各々の職分を越えず、その中で最善を尽くす必要がある」

「貴方の気持ちは分かるわ。でもね? そうは言っても――」


「そして……それは、アイリスについても同様。否、アイリスの方がより罪は大きいと言っても過言ではありません」


「――……って、はい?」

「貴族が貴族である以上、果たすべき義務というモノが御座います。それをあのバカ娘……駆け落ちなんぞしおってから……」

 雲行き、危うし。下を向き、ふつふつと噴火寸前の火山の様に怒りを堪えるその姿に――


「……大体、なにが駆け落ちだ……貴族の、それも王家に連なるファーバー家の娘が、よりによってか、駆け落ちだと? 舐めているのか、あのバカ娘め……なにが『私は愛に生きます!』だぁーーーーーー!」


 ――訂正。堪え切れて無かった。

「ふぁ、ファーバー? その、お、落ち着い――」

「なにが『私は自由に生きたいのです! 籠の中の鳥なんて御免なんです!』だ! そう言うのはな? 野良で生きた鳥が初めてのたまえる台詞だ! 餌は欲しいが籠の中は嫌だ、だと? 一丁前の事を抜かすな! 貴族なら貴族らしく、責務を果たせ、あのバカ娘が!」

「お、落ち――」

「育て方を間違えた! 末の娘だと思って甘やかしたせいであんなバカな娘に育ってしまった! 一生の不覚だ! あのバカ娘、見つけたらタダじゃおかんぞ! 我がファーバー家に伝わる『再教育部屋』に閉じ込めて、一から貴族の教養を――」

「落ち着きなさいって言ってるでしょう! ファーバー!」

 エリカの絶叫が室内に響く。その声に、やおら冷静さを取り戻したファーバーが綺麗に腰を折って見せた。

「……失礼、少し取り乱しました」

「……あれで少しなの、貴方?」

 疲れた様なエリカの声に、浩太も胸中で頷き――そして、思う。フレイム王国にまともな人は居ないのか、と。

「と、とにかく! 貴方の考えはわか――あんまり分かりたくはないけど、まあ分かったわ」

「それは重畳」

「一応、確認しておくけど……ファーバー? 国家に貢献している平民には侮辱的な発言をしない、という認識で良いのね?」

「有体に言えばそうですな。正確には国家に『きちんと』貢献している人間、ですが」

「きちんと?」

「王府に奉職しているから貢献している、という認識ではありませんと云う事です」

「……どういう意味よ?」

「そういう意味ですよ。私は近衛の副団長ですぞ? 近衛は陛下と――それに、『国家』を守る為に存在しているのです」

「……ファーバー。それ以上は止めなさい。王府の人間、その全てが全て清廉潔白であるとは私も思ってないわ。でも――」

「言うつもりは御座いませんよ、私も。ただ、そう思っているというだけです」

「ならいいわ」

 そこまで喋り、エリカは腰を上げる。

「取りあえず、その事だけは気を付けておいて頂戴。フレイム王国が二つに割れる、なんて事態は勘弁願いたいのよ」

「承りました」

「くれぐれも宜しくね? それじゃコータ、帰りま――」

 そこまで喋り、何かに気付いた様にエリカが視線をもう一度ファーバーに向けた。

「何ですかな?」

「ねえ、ファーバー? 貴方、さっきアイリスを再教育部屋に叩きこむって言ったわよね?」

「言いましたが?」

「その、アイリスはともかく……ニーザは? 二人で謝りに来たら、許して上げ――ひぅ!」

 エリカが喉奥に引っ掛かった様な声を上げる。


「――ニーザを許す、ですか? ふ……ふっふふふ……エリカ様? 私も一応、人の親です。そして、可愛がっていた娘を……む、娘を……ふ……は……はっははははーー!」


「ご、ごめんなさい! 私が悪かった! 悪かったから!」

「許さんぞ、ニーザ! 必ず! 必ず私がお前をこの刀の錆にしてくれるわーーーー!」

「ファーバー!」

 まるで、コント。

 髪を振り乱し、暴れ回るファーバーを必死で押しとどめるエリカの姿を視界におさめ、浩太は大きく深く、溜息を吐いた。


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