第八十九話 王国貴族の憂鬱
第八十九話です。多分ですが、来週からは普通に投稿できる筈……と、自分を追い込んでみるテスト。
まあ、ようやくプライベートのバタバタも一段落しましたし……うん、大丈夫の筈です。それでは第八十九話、お楽しみ頂ければ。シオンさんはやっぱり書き易いですわ。
不意にドア口からかかった声に、浩太は視線をそちらに送る。視線の端、横目で見える距離からは『あちゃー』と頭を抱えて見せるカールの姿が映った。
「ふぁ、ファーバーじゃねえか? あれ? 今日はその……なんだ? ローラに出張って言ってなかったっけか?」
「本日の出張はエヴァルト副団長の『たって』の希望で変更させて頂きました。大方、ローラの娼館に懇意にしている女でもいるのでしょう。私も書類仕事がありましたので王都に残らせて頂きました」
「そ、そんな話は――」
「先日、書面で団長にご提出致しました。尤も、先程団長の部屋を訪ねた際、私が持っていったままの状態で置いてありましたが?」
「――済みません」
熊の様な大柄を小さく縮こまらせるカール。そんな姿をチラリと眺め、眼前の男は口を開いた。
「それで……一体、何事ですか? 少し体を動かそうと修練場に来て見れば」
そう言って男は視線を浩太に向ける。カールとは対象的、細身に綺麗な金髪をオールバックに整え、洗練された動作の中に独特の『凄み』を持つ瞳を持った男は、その瞳のまま浩太を睨み付ける様に見つめた。
「お、おう! 紹介しとくぜ、コータ! こいつはファーバー、エアハルト・ファーバーって言うんだ。フレイム近衛騎士団の副団長で、俺の左腕だな! 王都の南、ファーバー伯爵領の当主でもあるんだ!」
少しだけ焦った様にそう言うカールに、紹介された浩太は素直に眼前の男――エアハルト・ファーバーに頭を下げる。その様子をチラリと視界に収め、そのままカールはファーバーに視線を戻した。
「ファーバー、それでこっちが――」
「紹介は結構」
「――コータ……あん?」
「紹介は結構、と申したのですよ、団長。私は別に彼が何者でも興味は御座いません。ただ、私が興味があるのは――」
冷たい視線そのまま、ファーバーは浩太を見やり。
「――なぜ、この神聖な近衛の修練場に『平民』がいるか、です」
何でもない様にそう言い切るファーバー。
「おい、ファーバー! お前、俺の客人に何て口を利きやがる! 訂正しろ!」
「訂正? 可笑しな事を仰る、団長。此処は、フレイム王国国王陛下より近衛騎士団に与えられた修練場です。部外者が勝手に使用する事は禁じられておりますが?」
「そりゃ……そうだけどよ。俺が招いたんだよ」
「それなら尚の事問題です。いみじくもフレイム王国近衛騎士団団長であり、国王陛下の後胤であらせられるカール・ローザンともあろうお方が禁を破ったのですぞ? 陛下にどう、申し開きをなさるお積りですか?」
「申し開きって……ファーバー、お前」
「何でしょうか?」
「……本気で言ってんのかよ?」
「無論、本気に御座いますが?」
一瞬即発。今にも殴り合いの喧嘩が発展しそうな雰囲気を壊す様、心持慌てた様に浩太が割って入った。
「す、済みませんでした。その、直ぐに出て行きますので!」
「コータ! 構う事はねーぞ! 俺が良いって言ってんだよ、ファーバー!」
「カールさん! 穏便に……怖い! 顔が怖いです!」
怒りの矛先をファーバーから浩太に向けたカールの、その鬼も裸足で逃げ出しそうな形相に思わず浩太の背筋に冷たいモノが走る。そんな二人をじっと見つめた後、ファーバーは踵を返した。
「……さっさと出て行け、汚らわしい。此処は平民風情が軽々と立ち入って良い場所ではない」
「ファーバー!」
「カールさん! イイです! イイですから!」
後ろから羽交い絞め、というより、体格差から殆どぶら下がるような体勢の浩太をもう一度見やり、ファーバーはフンと鼻を鳴らして修練場を後にした。
◆◇◆◇◆
フレイム王国の国民をざっくり分けるとすると、『貴族』と『平民』、この二つに分ける事が出来る。
ラルキア王立大学と、それに伴う『王府』という組織、それに独自の官僚機構を持つフレイム王国では一概に貴族が偉くて平民が偉くない、という図式は成り立たない。貴族が国王であるリズに仕える様に、平民――例えば王国宰相ロッテなどは位も、重要度も、それに国家に対する貢献度だって、下手な貴族よりも全然上なのだ。
「……その……すまん」
「いえ、お気に為さらず」
修練場のど真ん中、胡坐をかいて座ったカールが対面の浩太に頭を下げる。そんなカールの謝罪を受けた浩太の返答に、カールはおずおずと頭を上げた。
「まあ……その、ファーバーって奴はこう、近衛の中でも随分と……こう、『純貴族主義』の強い奴でよ? 悪気……が、無いとはいわねーけど……その……」
どう言い繕っても言い訳に過ぎない。そう気づいたカールはもう一度、浩太に向かって深々と頭を下げた。
「その……本当に、済まん」
フレイム王国の貴族の中には平民といい関係を築く人間も多い。例えばエミリの実家であるノーツフィルト家の様に、貴族でありながら平民との結婚と養子縁組まで認める様な貴族だって、無い訳じゃない。
「ファーバー家はよ? フレイム王国第四十九代国王、ウェールズ・オーレンフェルト・フレイム国王陛下の第三十五子がファーバー領を賜って出来た結構新しい……と言っても、もう百年以上経つけど、まあそういう貴族なんだよ」
「国王の血が流れる貴族で、誇り高い?」
浩太の問いに、カールは笑って手を左右に振って見せる。
「オルケナ大陸の歴史は政略結婚の歴史と同義だからな。そんな中でもフレイム王国はまだ恋愛結婚が多い方だけど、それでも『何代前の国王陛下の血を引く』なんて家、ごろごろあるさ」
「なるほど」
「まあ、そうは言ってもフレイム王国は基本、父系を遡って行くからな。例えば、俺の所のローザン家なんかもじーさんのそのまたじーさんの……って、遡って行くと国王陛下に行き着くってのが自慢っちゃ自慢だ。一応、王位継承権だってあるにはある。百人以上前にいるけどな?」
「……では、ファーバーさんの考え方、ですか?」
所謂『血』の誇りではなく、純粋な考え方。そう思い、問いかける浩太に対し、カールは少しだけ疲れた様に溜息を吐いて見せて。
「――駆け落ちしたんだよ、ファーバーの娘さん。出入りの商人の息子と」
「……」
「まあ、元々プライドの高い奴ではあったんだよ。貴族は貴族として生きるべき、平民は平民として生きるべき、って考えはあったんだけど……こう、何つうか、『平民なんぞ一切認めん!』って奴では無かったんだよ。関わらず、でも尊重、みたいな考えの奴だったはずなんだが……」
「駆け落ちで変わった?」
「……烈火の如く怒ってな、ファーバー。こう……ちょっと、引くぐらい。貴族の娘を攫った大悪人、本当なら打ち首獄門の上一族島流しって所なんだが」
「所なんだが?」
「……その商人ってのが、九人委員会に名を連ねる商人の息子でよ?」
「こう……言葉も無いんですが」
「まあ、あっちはあっちで有力者だしな? 陛下もロッテも悩みに悩んで、決断を下したんだよ」
「それが、ファーバーさんに納得の行くものでは無かった、と?」
「一切、お咎めなし。商会は今まで通り九人委員会の地位を保ったまま……まあ、ファーバーの『攫われ損』だ」
「……それは……」
「王家に連なるたって精々伯爵家だしよ、ファーバー家。そら、フレイムの経済を握る様な九人委員会と比べたら些か分が悪い。高度な政治決着って言えば、高度な政治決着だけど……人の親だしな、ファーバーだって」
「……」
「加えて、駆け落ちした当の本人も相手も、一向に行方が分からないと来ている」
「行方不明、ですか。まあ……」
「そりゃ、簡単に見つかる様じゃ『駆け落ち』の意味も無いからな。当たり前っちゃ当たり前だ」
そう言って笑い。
「だから、まあ……ファーバー的には振り上げた拳の降ろし処が分からないってわけで……」
その後、もう一度溜息。
「そうは言ってもそれが即、王家に弓引く行為に繋がらない辺りがファーバーっちゃファーバーなんだけどな。そんな訳で……こう、屈折した人間になっちまったんだよ。だから許してやってくれ、なんて言うつもりはないけどな」
「許す、許さないも無いですよ。びっくりはしましたが……まあ、そう言う事でしたら仕方無いでしょう」
そこまで喋り、浩太はパンパンと埃を払って立ち上がる。
「それではカールさん、今日の所はこれで失礼します。此処にいて、ファーバーさんに見つかるとまた怒られそうですし」
「お、おう。悪いな」
「いえ。それでは」
そう言ってひらひらと手を振って浩太は修練場を後にした。
◆◇◆◇◆◇
「……ん? おや? コータ」
「……はい?」
「どうした、元気の無い顔を――というか、疲れた顔か? 何だか物凄く走り回った様な顔をしているが……何かあったのか?」
「鋭いですね。そうなんですよ、ちょっと……ええ、『鬼ごっこ』を」
「いい年をして鬼ごっこか? 随分と『暇』そうで羨ましい事だな、それは。私は忙しいというのに」
「忙しいんです?」
「そうだな。結構長い間、学術院も空けていたしやる事は売る程ある。だって言うのに、人手は足りないし……冗談抜きで、目が回る」
「なにかお手伝い出来れば宜しいのですが……」
「いいさ。別にコータにそこまでは期待していない。まあ……そうだな、暇ならたまに息抜きに付き合ってくれればそれで良いさ」
「話し相手で宜しいので?」
「まあ、そうだな。美味しい紅茶とお菓子は用意しようか。まあ、用意するのはアリアだが」
はーっと溜息を吐いた後、鬱陶しそうにその長い赤毛を右手でばさっと跳ね上げる。その姿をじっと見つめ、浩太はゆっくりと口を開いた。
「えっと……大変、失礼なのですが」
「ん? どうした、コータ? そんな神妙な顔して」
少しだけ言い淀み、それでもこのままでは話が進まないと判断。意を決し、浩太は口を開いて。
「その……どちら様でしたっけ?」
「シオンだよ! シオン・バウムガルデンだ! 何だったんだ、今までの会話は!」
「ああ、失礼。こう、顔と人間性――主に残念な所は覚えていたのですが、つい」
「つい、ってなんだ、ついって!」
とんでもなく失礼な事を聞いていた。当然と言えば当然、がーっと怒りだすシオンに軽く手を振って謝罪の意を示し、浩太は言葉を続ける。
「いや……その、ラルキアに来てから色んな人に出逢ったでしょ?」
「……ふむ?」
「カールさん、クリスティアン殿下、アロイスさんに、ビアンカさん、それにエリザさん……ほら、こんなに沢山の人に出逢ったんですよ?」
「……それが?」
未だ、訝しげな表情を浮かべるシオンに、飛びっきりの笑顔を見せて浩太は一言。
「――インパクトの弱い人は、忘れても仕方なくないです?」
「今までの人生で初めて言われたんだが! どちらかと言えばキャラが濃い方だぞ、私!」
「無論、冗談ですよ?」
邪気なくそういう浩太に、がくっとシオンが肩を落とす。その後、恨めしそうに浩太を見つめた。
「……なあ、コータ? お前、基本的に私の扱いだけ悪くないか? いや、私も別にエリカ嬢やエミリ嬢、或いはソニア嬢みたいなお姫様扱いがして欲しい訳じゃないんだ。ないんだが……こう、もうちょっと気を使ってくれてもバチは当たらんと思うぞ?」
「そうですか? そんなに扱いが悪いつもりは無いんですが……以後、気を付けます」
「そうしてくれ。一応女の子なんだぞ、私も?」
「女の子とか、ヘソで茶を沸かすんですけど? 二十六にもなって何言っているんですか。面の皮が厚いって言われません? だからシオンさんは残念って言われるんですよ」
「そういう所だよ! なんで? なあ、なんで私に対してだけお前はドSなんだよ!」
「仲の良さ、という事で納得して置いて下さい」
「納得いかないんだが!」
「まあ、それはともかく」
「納得いかないんだが、割と本気で!」
がーっと怒り上げるシオンをまあまあと手で制す浩太。
「申し訳なかったです、本当に。少しばかり疲れていまして」
「……ふむ。その鬼ごっこが、か?」
「カールさんとですからね。近衛の」
「近衛のカール……ああ、団長閣下か。あの御仁との鬼ごっこは相当しんどいだろう」
「ご存知――なんです、渋い顔して」
浩太の言葉に、嫌そうに顔を顰め言葉を継ぐシオン。
「ロッテ翁の親友だからな、あの人は。私も小さい時は良くかわ――可愛がって貰ったさ」
「なぜ言い淀むんです?」
「悪意の無い『悪意』が最も性質が悪い」
「……具体的には?」
「『部屋に籠って勉強ばっかじゃ体悪くするぞ、シオン! さ、稽古だ!』と言って、良く道場に連れ出された。加えてあの御仁、『手加減』というモノを知らん。何時だって全力で……まだ当時は十歳かそこらだからな? こう、女の子を叩きのめすんだ」
「……」
「『人間、追い込まれた時こそ隠された本当の力が目覚めるモンだ!』と言ってな。はっきり言おう、ちょっと、何言ってるか分からない」
言葉だけ聞けば中二の星である。
「シオンさんにそう言われるって……大概ですね、カールさん」
「色々言いたい事はあるが、それはスルーしよう。まあ、ともかくそう言う訳でカール閣下は私に取っては鬼門だ。ロッテ翁と双璧を為す程に、な」
「……良く知らないですがシオンさん、学術院の偉い人なんですよね? こう、職務柄、お二人にお逢いする事もあるんじゃないですか?」
「ある。そして、ぶっちゃけ結構苦痛だ。私だって立場があるんだ。こう、偉そうに喋る事だってあるんだ。それなのにあの二人、こっち見てクスクス笑うんだぞ? しかも、真面目な会議とかに限ってだ。『あのシオンが……っぷ』みたいな眼で見られるのは私も結構辛いモノがあるんだ!」
シオンの心の叫びに、浩太も思わず胸の中で手を合わせる。万能選手に見えて、結構心の中は地雷原ばっかりだったりするのだ、シオンは。
「アリアの時は微笑ましそうに見る癖に!」
「……」
まあ、日頃の行いが悪いせいでもあるのだが。
「それにしても……道場、ですか。もしかして、近衛の修練場?」
「知っているのか?」
「先程まであそこで『鬼ごっこ』でしたからね。追い出されましたが」
「追い出された? 誰に?」
「ファーバーさん、ですが……ご存知で?」
浩太の言葉に、少しだけ考え込みシオンが口を開いた。
「ファーバー伯爵か? 近衛の副団長の」
「そうです。『平民風情が』と」
「それは……災難だったな。気を悪くしたか?」
「いえ……まあ、そこまでは。慣れていますし」
「平民風情が、と言われるのが?」
「人の悪意にさらされるのが、ですよ」
銀行員生活をしていると良く言われるのだ。『別にお前の金じゃないだろう!』とか『銀行の看板で仕事している癖に偉そうにしやがって!』とか。変な話であるが、人の悪意には結構慣れっこだったりする。良いか悪いかは別にして。
「何と言うか……こう、言葉に困るぞ、それ」
「別にお気に為される必要は無いですよ。私自身も特に気にしていませんし」
そう言って肩を竦めて見せる浩太。その姿に傷ついていない事を確認し、シオンは言葉を続けた。
「まあ、ファーバー伯爵も昔から『ああ』だった訳ではないんだ」
「ええ、お聞きしました。娘さんの『駆け落ち』が原因とか?」
「そうだ。ファーバー伯爵の娘、アイリスと言うのだが……まあ、見目麗しい娘でな? ファーバー伯爵も目に入れても痛くない程可愛がっていたんだが……」
「悪い男に攫われた?」
「別に攫われた訳では無いがな。お互いに深く愛し合っていたのだし」
「生まれた家が悪かった、と?」
「別に私が平民だからいう訳では無いが……アロイス氏とビアンカ氏の様なパターンもある。別段、平民だからと差別を受ける謂れは無いと思うが……まあ、それは家々の事情もあるからな。少なくとも、誰にも祝福されない『駆け落ち』だったのは間違いない」
「そもそも『駆け落ち』自体が祝福される類のモノでは無いと思うのですが」
「違いない。だが、まあ……私も一応、『女』だ。この身を滅ぼす様な恋熱に身を焼いてみたいという気持ちも分からんでもない」
「……頭でも打ちました? シオンさんですよね? シオンさんの皮を被った何か、では無いですよね?」
「どういう意味だ!」
胡乱な目を向ける浩太に、ジト目を一つ。その後、何かを諦めた様にシオンは溜息を吐いて見せた。
「一応、駆け落ち相手の商会は九人委員会の地位を保ったままではある。あるが、それでも『ある』だけだ。影響力はだいぶ低いぞ?」
「……どういう意味でしょうか?」
「おや? お前の事だ。この事も『利用』しよう、と思っていたのかと思ってな?」
意地悪く笑んで見せるシオンに、浩太は肩を竦める事で応えて見せた。
「……手段を選べる余裕も、時間もありませんしね。利用できるモノは何でも利用したいですが……現状、あまり策は思いつきませんよ」
「魔王さま、でもか?」
「ハリボテですから、私は」
「ふむ。まあ良い……っと」
王城内の廊下。その、二股に別れる所に着いたシオンは『私はこっちだが』と右の方を示して見せる。
「残念、私は左ですね」
「あまり残念そうに見えないのは気のせいか?」
「…………そんな事、ありませんよ?」
「タメが長い! 全く、お前という奴は……」
尚もブツブツ言いながら、それでも『じゃあな!』と言って右の方に歩みを進めるシオン。その姿を苦笑で見送って。
「――ああ、そうだ。もし何か思いついたら言え」
道の途中、シオンが振り返ってそう言った。
「顔繋ぎでもしてくれるんですか?」
「それぐらいはな。何なら直ぐに会わせてやるぞ?」
「そうですか。それは――」
言葉が、止まる。
「――はい?」
「だから、会わせてやると言っているんだ」
「会わせてやる? あ、会わせてやるって……そ、その……だ、誰に?」
「誰にって……」
少しだけ、困った様に。
「駆け落ちしたアイリスと……その相手の、『ロート商会』の三男坊、ニーザに、だが?」




