第八十八話 近衛騎士団、或いは王国宰相
えっと……済みません。一か月近く間隔が……こう、もうちょっとしたら色々活動報告で報告する事もあるでしょうし、言い訳はその時にでも。取りあえず、お待ち頂いた方、大変お待たせ致しました。綾乃とソニアがテラで頑張っている間、浩太たちも遊んでいる訳では無いですよ、な回になります。なんとなく、浩太は遊んでいる感じもしますが……ま、まあとにかく、第八十八話です。ゾロ目です。宜しくお願いします。
フレイム王国近衛騎士団。
フレイム王国の軍制上、国王陛下の最も近くに侍り、あらゆる外敵から陛下を守る盾にして、陛下に仇なさんとする輩を斬りつける最強の剣。そんな彼らの本部は、ラルキア王城の一角に広いスペースを与えられている。団長、副団長の居室は勿論、所属する騎士一人一人が貴族という、考えようによってはフレイム王国でもスペシャルな軍である以上、ある意味では『特別扱い』されても仕方ない面はある。
当然、『近衛』も軍隊である以上日々の訓練は欠かさない……建前にはなっている。実際はともかく、こちらも所属の騎士全員が貴族と言う特権階級で支配された軍隊である以上、近衛以外は使用不可という、所属人数とその『練度』には到底見合わない豪華な設備が与えられていた。
「……」
そんな近衛の『修練場』に、今、二人の男が対峙していた。どちらも一本の木剣を手にしており条件は同等、練習試合の様子が窺える。だが、彼我の顔には『練習』にすらならない様な、経験や実力の差がありありと見える表情が浮かんでいた。
「どうした? 遠慮はいらねーぞ? どっからでもかかって来い」
木剣を肩に担ぎ、リラックスした表情で男はそう話す。初老、というよりは既に老成の域に達する年輪を顔に刻みながら、しかしてその顔に浮かぶ表情は『余裕』の一言。
「……それでは、行かせて頂きます」
対峙する男の年齢は二十代中盤、と言った所か。頑張って三十には手が届かないであろうその男の表情を、こちらも一言で表現するのなら……『緊張』。明らかに肩が強張っている青年に対し、老人は小さく溜息を吐いた。
「……おめーな? 流石にそんだけ肩に力が入ってたら当たるモンもあたら――」
「――おおおおっ!」
「――って、ずりぃ! 喋っている途中はズルいだろう!」
老人が喋っている途中、青年は剣を振りかぶり声を上げて突進。ズルい、というなかれ、試合が始まっている以上、『何処からでもかかって来い』なんて余裕ぶった態度を取る方が悪い。
「……まあ、もうちっとまともに振れなきゃ話になんねぇけどな」
――が、それは彼我の実力差が拮抗していればの話。老人の取る『余裕』の態度は正しく老人と青年の実力差を現しており、どんな奇襲や奇策、或いは卑怯な事をしようが青年の剣が老人の髪の毛一本触れる事すら叶わないと言う事であり。
「――あ」
振り下ろされた木剣の先にちょんと自分の木剣を合わせる老人。ガン、という鈍い音が響くと同時に老人は左足を引きながら手首を返し、木剣の腹の部分を青年の木剣の刃の部分に当てる。丸みを帯びた刃は木剣の腹を滑り、力任せに振り回した青年の体が剣につられる様に前に流れた。
「ほい」
「って、え?」
流されまいと足先に意識を向けた青年の思考を読むよう、老人は返した掌をもう半回転し、上に向けて手首を振る。その衝撃に、握りの甘くなった青年の手から木剣が弾き飛ばされた。
「んで、これでお仕舞い」
「ちょ、うわぁ!」
不意に自らの手から木剣の重みが消えた青年の視線は、木剣の行方を捜す様に宙を彷徨う。イコールそれは他の部分への集中が行かないと云う事であり、足元は当然お留守だ。そんな隙を見逃す訳もなく、老人は流れてたたらを踏む青年の足元に自分の足元を伸ばした。まるで決められたコントの様、青年は見事に老人の足に蹴躓き、肢体を板張りの修練場の床に投げる。その姿を見ながら、老人は木剣を右手で持つと、開いた左手でくるくると回転しながら重力に従って落ちてくる青年の木剣を左手で受けとめた。
「まあ、奇襲攻撃っつう作戦自体は悪くねぇよ。奇襲なら声を出すなとか、もっと近寄ってからにしろとか、相手を攻撃するんだったら打撃より刺撃、つまり振りかぶるより突けよとか言いたい事は――」
「全然ダメだって事ですよね、それ」
「――まあ、言いたい事は山ほどあるけど、作戦自体は悪くねぇぜ」
「……少しばかり『悔しい』と思うのは見のほど知らずでしょうか、カールさん?」
そんな青年の言葉に、老人――フレイム王国近衛騎士団長、カール・ローザンは一瞬きょとんとした後、山賊の様な風貌そのまま豪快に笑って見せた。
「あったりまえじゃねえか。肉体労働専門だぞ、俺? そんな俺に机の上の事務仕事が専門のお前が勝てる訳ないじゃねえか、コータ?」
そう言われた青年――浩太は両手を挙げて降参の意を示した後、ゆるゆると溜息を吐いた。
「……何処を直したら良いでしょうか?」
「難しい事聞くな、お前」
「難しいんですか?」
「強くなるのを諦める方が簡単、ぐらいにはな。ぶっちゃけ、欠片もない」
「……何が?」
「才能が」
カールの言葉に、がっくりと浩太が肩を落とす。そんな浩太の姿を気の毒そうに見ながら、カールは言い難そうに言葉を続けた。
「その……近衛はフレイム王国全軍中で一番弱いんだよ。んで、今のお前は近衛の一番弱い人間の……そうだな、二枚ぐらい下だ」
「……最弱って事ですか?」
「軍人の中じゃな。一般人の中だったら……あ、すまん、コータ。一般人の中でも平均よりちょい下、ぐらいだわ」
「……こう、なんとなく立ち直れなくなりそうなんですが」
別に、浩太だって『戦う』才能があるなんて欠片も思っちゃいないし、そもそも『殺す覚悟』なんてモン、持ちたくもない平和ボケした日本人である。強く無くても問題は無い。問題は無いが。
「……別にいいじゃねえか、強くなくても」
「こう……なんとなく」
浩太だって男の子、やっぱり『強い』事に対しての憧れ自体はあるのである。
「……まあ、それでも一般人よりちょっと上、ぐらいにはなっておきましょうか。今後の為にも」
パンパンと、服の裾の埃を払いながら浩太が立ち上がる。瞳の奥の消えない闘志の火を見たカールはひゅーっと口笛を吹いて見せた。
「いいじゃん、コータ。やる気あるな。普通、あんだけ簡単にあしらわれたら心が折れそうなモンだけどよ?」
「折れる程立派な心を持っていませんから。胸を借りるつもりでしたし……そもそも、松代浩太は『努力』の人なので」
苦笑し、肩を竦めて見せる浩太にカールの笑みがますますと強くなる。
「……いいね、いいね。そういう奴は好きだぜ、俺?」
「ありがとうございます、と言っておきましょう。それではカールさん、木剣を――」
言い掛けて、浩太の言葉が止まる。何故って……目の前に、物凄いスピードで木剣が降りて来たから。
「――……えっと、カールさん? 木剣、返して……」
「いいか、コータ? 実戦で『降参です、武器返して下さい』って言って返して貰えると思うか?」
「い、いや! そりゃ無理だと思いますよ? でも、コレは練習でしょ!」
「練習も実戦のつもりでやれ!」
「心構えの問題でしょ、それ!」
「負けて悔しいんだろ? 俺から木剣取り返すぐらいの心意気を見せて見ろ!」
「いや、素手の素人相手に近衛の騎士団長が木剣二本ってイイんですか、逆に!」
「俺は何時だって全力を出す。相手が弱っていようが、相手が素手だろうが、相手が素人だろうが……相手が身の程知らずの奴だろうが!」
「最後! 意外に気にしてますか、もしかして!」
「問答無用! さあ、コータ! 全力で来い!」
「いや、ちょ――って、掠った! 今、前髪掠りましたよ! ちょ、カールさん! カールさーん!」
……なんでこんな――木剣二本を持って喜色満面のカールに浩太が追い回されるという地獄絵図――事になっているかを説明する為には、時計の針を二時間ほど戻さなければならない。
◇◆◇◆◇
「……どうですかな、松代殿?」
「ホテル・ラルキア。こちらについては会長にお逢いする事は出来ませんでした。ですが、本館総支配人のクラウス氏とは知遇を得ています」
「クラウス……ああ、ホテル・ラルキアの婿養子ですな」
「ご存知で?」
「仮にも王国宰相ですからな。ホテル・ラルキアは良く利用させてもらっておりますよ。なるほど、クラウスですか。確か……松代殿と同年齢程で?」
「ええ。シオンさんともですが」
「なるほど。あの年代は優秀な人間が多い」
そう言ってフレイム王国宰相、ロッテ・バウムガルデンは湯気の立つカップから紅茶を一口。美味しそうに嚥下した後、視線を浩太に戻した。
「貴方を含めて、ね?」
「買い被りでしょう。私以外はともかく」
「貴方の自己評価の低さはともかく私も同意見よ、コータ。無論、アヤノも含めてね」
そんな二人の会話に入り込む声に視線をそちらに向ける浩太とロッテ。浩太の隣でゆったりと紅茶を飲んでいたエリカが、その視線に気付いて口を開いた。
「今、アヤノとソニアでテラに戻って貰っているわ」
「……ほう。何故にですか?」
「テラで新たなビジネスを興そうと思って」
「拝聴して――」
「どうしたの?」
不意に口籠るロッテに、訝しげにエリカが声をかける。そんなエリカの言葉を受け流し、ロッテが少しだけ考え込む様に目を閉じた。
「……なるほど。『ベッカー貿易商会』ですか。そうなると……今回のこの『会談』は地方債の引受ですかな?」
後、目を開けて何でも無い風にそういうロッテにエリカが一瞬息を呑む。
「……分かるの?」
「テラ、ですからな。今のテラは『港』の建設中です。そうなると海洋貿易か、造船会社にメリットを提供出来る施策になるでしょう。貿易は何処の商会も手掛けておりますし、そうなると消去法で造船。ならば」
「ベッカー貿易商会への造船発注、と推測が付く?」
ロッテの言葉を、こちらも何でもない様に引き継ぐ浩太。そんな浩太にロッテは一つ頷き、言葉を続けた。
「『造船』は一種『お祭り』です。何処の商会も地元の造船を手掛ける商会に発注するのが通例。流石にテラに来ている商会相手に『ベッカー貿易商会に発注しろ』と大上段から要請する訳には行かないでしょうからな」
紅茶を、もう一口。
「加えてエリカ様まで引き連れてのこの『お話』ですからな。正式にテラ領としての申し込み、と考えるのが妥当でしょう。差し詰め、造船費用の捻出の為、地方債を引き受けてくれ、と言う事ですかな?」
ロッテの言葉に一瞬息を呑み、エリカは首を縦に振った。
「……ええ、そう言う事よ。テラでは新しいビジネスを考案しているわ」
「拝聴しましょう」
「テラで船を造る。でも、残念ながらテラには船を『運用』する人材は居ないわ。商売に明るい人間だっている訳でもない。加えて、テラから外に向けて販売できる名産だってないわ」
「ないない尽くしですな」
「悲しい事にね。ただ、有難い話商会の『数』はある」
「販路があるのは強みですな。つまり……ああ、なるほど。船を『貸し出し』ますか」
「簡単に言えばそう。テラは船を持ち、それを貸し出す。収益部分の一部を地方債の償還に回すわ。今までのテラの……借り入れた地方債を償還する為に地方債を引き受けて貰うよりは随分得でしょ?」
「……ふむ。一理ありますな。それで? 如何ほど必要になりますか?」
ロッテの言葉に、エリカはにこやかな笑みを見せて口を開いた。
「白金貨で五十万枚。五十年払いでどう?」
「……は?」
ロッテ、絶句。
「……エリカ様? 流石にそれは無理がありませんかな?」
ようやっと捻りだしたそんな言葉は少しだけ掠れていた。
「そうかしら? だって、ロッテ? 貴方が『したい』のでしょう? 私達は貴方に協力するだけよ?」
嫌ならいいのよ止めるから、と何でもない事の様に言うエリカに、ロッテも苦い顔を浮かべながら――それでも射抜く様な視線をエリカに向けた。
「……テラを『潰す』と言っても?」
「ロッテらしくないんじゃない? そんな安い挑発」
「なるほど。では、言い方を変えましょう。テラにそんな地方債の発行を認める訳には行きませんな。引受致しかねます」
「それじゃ、貴方の計画は台無しにね。こちらは協力しようと言っているのに」
「協力の仕方にもよりますな。流石にそんな無茶な資金は出せません」
「直接、リズに頼んでも良いのよ?」
「陛下が承諾するとでも?」
「持って行き方次第、かしらね?」
睨み付けるロッテの視線を軽くいなし、紅茶を一口。もう一度、エリカはにこやかに笑んで見せた。
「……まったく……誰に似たのですかな、松代殿」
そんなエリカに、毒気を抜かれた様にロッテが溜息を一つ。ジロリと視線を浩太に向けた。
「……私に振りますか?」
「ええ、勿論。エリカ様も……松代殿恋しは構いませんが、あまり悪い点ばかり似無い様に」
「こ、恋しって! ろ、ロッテ、貴方、な、何を言ってるのよ! べ、別に私とコータは、そ、その、そ、尊敬してるし、そ、その!」
「……まあ、宜しいです」
「私は全然宜しくない!」
「松代殿」
「無視するな!」
「松代殿。そろそろ出す所でしょう?」
「……えっと……エリカさん、顔真っ赤にして怒ってますけど?」
「イイんですよ。エリカ様にお付き合いしていたら、時間が幾らあっても足りませんから」
完全に『居ない子』としてエリカを扱うロッテ。
「……良い線をいっていたかと思いましたが?」
「失礼ながら、エリカ様では『まだまだ』ですよ。まあ、昔に比べれば交渉は巧くなりましたが。弱点を前にあのような強気の交渉はしてはいけません。松代殿の話を出せば、ああなるのは火を見るより明らかですからな」
「私の口からは返答し辛いですが……まあ、イイです。それで? 『出す』とは?」
そんな浩太の言葉に、決まっているでしょうと肩を竦めて見せて。
「妥協案、ですよ」
「妥協案、ですか」
「白金貨五十万枚、五十年払い。幾ら分割と言えども年間で白金貨一万枚にしかなりません。無論、決して安いとは言いませんが、それでも五十万枚から比べれば微々たるモノです。常識的に考えてそんな条件を私が呑むと思っていた訳では無いでしょう?」
「呑んでくれても構いませんが?」
「そういう駆け引きは少々食傷気味でしてな。出すのならさっさと出して下さい、『二の矢』を」
「……」
「ちなみに、無いのであれば私は地方債の引受を致しかねます。確かに紙幣での取引は魅力ですが、五十万枚の白金貨の供出では費用対効果が合いませんので」
取り付く島もないロッテの言葉と態度。そんなロッテをじっと見つめて、浩太が口を開いた。
「白金貨五十万枚、こちらは譲れません。内訳は一隻当たり十万枚で五隻です」
「一気に五隻ですか。過大投資かと思いますが?」
「大きい事は良い事だ、とは言いませんがスケールメリットは無視できませんので。リスク分散の意味もありますし」
「まあ、イイでしょう。それで? 期間の方は?」
「十年です」
「一気に短くされましたな。年間五万枚の支払いですか?」
ロッテの言葉に、浩太は小さく首を横に振った。
「年間三万枚。テラの財政を考えればこれが限界です」
「……簡単な計算もできなくなるとは、年を取ったようですな、私も。年間三万枚の支払いで十年。どう考えても十年後には三十万枚にしかならないと思いますが?」
「ご心配なく、ロッテさん。貴方は正常ですので」
「……松代殿。駆け引きは食傷気味だと言ったでしょう?」
感情を意図的に消したロッテの瞳が浩太を射貫く。そんな視線を受け流し、浩太は言葉を続けた。
「五隻の船舶を同時に貸し出す事でテラは収益を上げ、地方債を償還しようと考えています。年間、幾らの貸し出しにするかにも寄りますが……まあ、仮に白金貨一万枚だとすれば、年間で五万枚、テラの懐に入って来る計算になります」
「そうですな。それではその収益を全て返済に回して頂きたい所ですが? そうすれば十年で五十万枚返済できるでしょう?」
「それではテラに『旨み』がない。勘違いしないで下さい、ロッテさん。私はフレイム王国の為だけに地方債を発行するつもりはありません。テラの利益にならないと」
借り入れによる設備投資は、設備投資する事によって『会社』が儲かる事が前提だ。設備投資はその設備が上げる利益で返済するのが原則ではあるが、利益全部を返済に回す様な借入では旨みが少なすぎるのも事実である。
「……なるほど。続けて下さい」
「十年後、返済総額は三十万枚になっております。残債は二十万枚だ。そこで、判断して下さい」
「判断?」
首を傾げるロッテに、ええと頷いて見せて。
「フレイム王国が船を買い取るか、二十万枚で新たに……そうですね。七年程度の地方債の借換えをするか、をです」
浩太の言葉を受け、ロッテが静かに目を閉じた。
船舶を建造し、その船舶が上げる収益を返済の財源として取り組む融資の事を一般的にシップ・ファイナンス、船舶融資と呼ぶ。船舶は高額な商品であり、返済方法として『バルーン返済』という返済方法を選択する事がある。
例えば一隻一億円の船をフルファイナンス、つまり全額借入で賄ったとしよう。年間の支払いを一千万とし、五年。一年目一千万、二年目一千万と返済し、五年目で残りの六千万を全額支払うとする。この方法をバルーン返済と呼ぶのだ。バルーンとは風船の事であり、形を想像して頂ければ分かる通り、最後が膨らむ部分が風船に似ている事からこの名が付いていると言われている。
今まで支払っていた金額の六倍の金額を払うのである。手元に余裕があれば一括返済も可能であろうが、無い場合の返済は難しい。なので、選択肢として『船を売って、その売却費用で一括返済をする』か『六千万でもう一度借り換える』という方法が出て来るのである。
「十年後の選択をロッテさん、フレイム王国に委ねます。業績が堅調であれば借換えをして返済させて下さい。もし、堅調で無ければ船はフレイム王国に差し上げます。フレイム王国であればもっと『巧く』活用できるかもしれませんしね」
「……」
「五隻全ての運用がダメ、と言う事も恐らく無い筈です。三隻までは順調に運用できるのでは無いかと愚考しています。無論、五隻全てが順調なのが一番望ましいのですが」
「……なるほど、それがテラのリスク分散ですか?」
「お互いの、ですよ。返済が出来る可能性もあり、船を手に入れる事も出来る方がお互いの為でしょう?」
浩太の言葉に、もう一度ロッテは考え込む。よくよく聞いてみればなるほど、提案自体は悪くない。順調ならそのまま返済を続けて貰っても良いし、ダメなら船を貰ってしまえば良い。お金だってタダで貸す訳ではないのだ。確実に返って来て、利息収入になるのであれば地方債の借換え自体も十分俎上にのる話ではある。
「……前向きに検討はしてみましょう」
しばしの沈黙の後、ロッテはゆっくりと口を開く。
「ありがとございます」
「幾つか諸条件は付きますが、それであればまあ、無しでは無いでしょう。お互いにメリットのある話ですしな」
「そうでしょう?」
「ただ、先程も申した通り幾つか質問はあります。失礼ですが一日時間を頂けますか? 整理して書面で提出させて頂きます。納得出来ればこのロッテの名に置いて地方債の引受は致しましょう」
今日の所はそれでご勘弁願えませんか? と問うロッテに、浩太はゆっくりと頭を下げた。
「十分です。後は質問の方がお手柔らかなら言う事はありません」
「その辺りは妥協は出来ませんので、悪しからず」
ロッテの言葉に浩太は苦笑を浮かべ席を立つ。隣で「うーうー」と唸るエリカを促し、もう一度、一礼。
「……ああ、そうそう。エリカ様」
「なに?」
「その様な不機嫌な顔をされずと。この『お話』が終わった後、陛下の私室を訪ねる様にとの命を受けております」
「……誰から?」
「陛下自ら。『お姉様とお話したいです! ロッテ、絶対お姉様を部屋に呼んで下さいね!』との事です。勅命ですな」
「随分、勅命の価値も落ちたモノね」
「あまり苦言を呈したくはありませんが……そうですな」
「貴方もそう思うでしょ?」
「ですが……まあ、陛下はあの御年で政務に励んでおられます。少しぐらいの息抜きは必要でしょう。それにエリカ様? 最近、陛下にお逢いする機会も少なかったのでは?」
「うっ!」
「ラルキアに来てからもお二人でお過ごしになる時間を取っておられなかったと記憶しておりますが?」
「うっ! うっ!」
「差し出がましい様ですが……お二人きりの御姉妹です。どうぞ――」
「ああ、もう! 分かった! 分かったわよ! もう……本当に貴方はリズに甘いんだから!」
「失礼な。私は王族の方には基本、『甘い』ですぞ?」
「どの口が言うのよ、貴方」
「……それに」
そう言って、ロッテは小さく肩を落として。
「『お姉様が来て下さるまで、仕事はしませんから!』と、陛下より承っております」
「……」
「……」
「……なんか、御免、ロッテ。不出来な妹で」
「いいえ。まあ、リズ様を強制的に働かす手管の十や二十は思いつくのですが……たまには宜しいでしょう」
「……聞かなかった事にする」
そう言ってエリカは視線を浩太に上げ、遠慮がちに言葉を切り出した。
「その……事後承諾みたいでアレなんだけど……」
「構いませんよ。どうぞ、陛下と一緒にお過ごしください」
浩太の言葉に、エリカの顔が小さく綻ぶ。なんだかんだ言っても血を分けた姉妹。エリカだってリズを可愛いと思う気持ちに嘘は無い。
「ああ、そうそう、松代殿。貴方にも伝言を預かっております」
「私に?」
急な予定の変更で午後の予定がぽっかり空き、今日は何をしようかな? と思いを馳せていた浩太を現実に引き戻したのはロッテの言葉だった。
「松代殿、貴方達の年代は確かに優秀です」
「どうも」
ですが、と。
「私の『年代』も、そこそこ粒は揃っておりますぞ?」
◇◆◇◆◇
「しっかしまあ……ビックリするほど才能がねーよな、お前」
「……さ……ひ……」
「ああ、ああ。喋れない程息が切れてんのかよ。ホレ」
修練場のど真ん中で、息も絶え絶え。寝転がったままひゅーひゅーと変な音を奏でる浩太の頭の上にどかっと座り込んだカールは、浩太の口元に竹で出来た水筒を差し出す。砂漠の如く乾いた浩太の喉を潤していく液体を貪る様に飲み、一息。
「……幾らなんでも、近衛騎士団長相手に結構な時間『鬼ごっこ』していれば息も切れます」
ようやく声をだし、非難の瞳を向ける浩太にカールはがははと笑って見せる事で応えた。
「言ったろ? 幾らお前を守るっつっても、限度があるんだって。ある程度は自分で対処出来る様にしておいて貰わないとな」
「だから『呼び出し』ですか?」
「中々捕まらないからな~、お前。ロッテの所に来るって聞いたから伝言頼んどいたんだよ」
ロッテに言われるがまま、近衛の修練場を訪ねた浩太を待っていたのはカールだった。キツネにつままれた様な顔をする浩太に、木剣を放り。
『死にたくなかったら、此処で学べ』
とカールが言いだし、まあそれではと木剣を手に取ったのが冒頭である。
「ま、これぐらいは学んでおけよ」
「逃げる事、ですか?」
「そうそう。お前、本気で剣の才能はねーからよ。逃げる位は出来てもいんじゃね?」
そうは言っては見たモノの、カールは一目で浩太に才能がない事を見抜いたが。今から剣術を教えたとしても到底『自分の身を守る』と言う事は無理そうだし、だったら精々『逃げる』ぐらいは教えて置こうと鬼ごっこに切り替えた訳だ。
「……最初にそう言って下さればいいのに」
「いんだよ。どうせ頭で聞いた事なんか身に付きゃしねーんだから。体で覚えればいいんだよ、体で」
「何だか私の事を全否定されたようですが」
「ああ、わりぃ、わりぃ。言い方が悪かったな。『こういう』荒事は理屈だけじゃねえんだよ。例えば……そうだな。剣の振り方なんつうのは言葉では説明は出来るんだが、じゃあそれで綺麗に振れるか、つったらそうじゃねえ。何千回、何万回素振りをしてようやく型になるって訳だよ」
「結構得意なんですけど、そういう『努力』は」
「お前の場合は百万回振ってもまともになる気がしねぇよ」
そう言ってカラカラと笑うカールに、浩太はがっくりと肩を落とす。
「ま、向き不向きっつうのがあるからよ。お前はその『アタマ』で勝負しな」
「ロッテさんの様に?」
「そうそう。まあ、ロッテは剣術も人並み以上に出来たけどよ? つうか、結構強かったぞ、あいつ」
「……万能ですか、あの人は」
「背もすらっと高くてよ? 顔だって悪くは無かったし……昔は王城の女官達もきゃあきゃあ言ってたぞ? 『ロッテ様親衛隊』なんてのもあってな」
「……言葉も無いんですが」
「ちなみに、当時『ロッテ様親衛隊は近衛より強い』って評判だった」
「イイんですか、それ?」
「女に勝てる男はいねぇーよ。当たり前っちゃ当たり前だ」
真理ではある。
「……では、ロッテ様の奥方はその親衛隊の誰か、ですか?」
「ん? ああ、ロッテは未婚なんだよ。結婚してねーんだ」
「そうなんです? それだけモテたのに?」
浩太の問いに、少しだけ目を細め。
「……色々あってな」
呟く様に、一言。
「ま、その辺りは俺から話すことじゃねーしな。強いて言うならアイツは『国と結婚した』って所だよ。第一、嫁の尻の下に引かれてるロッテなんて想像つかねえよ」
「……少しだけ、見てみたいのですが」
「……アレ? そう言われてみたら俺も見てみたい。こう、怖いモノ見たさ的に。どうする、コータ? 老いらくの恋でも咲かせて見せるか?」
「…………止めておきましょう。後が怖い」
「ちげーねーな」
二人して、はははと笑う。少しだけしんみりした空気が流れた事にほっとして、浩太が口を開きかけ。
「……そこで何をしているのですか、団長?」
そんな声が、修練場の扉から聞こえて来た。




