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第八十七話 魔王と小悪魔

ちょっと説明が多いです。

『融資』と一括りにしがちだが、実は銀行融資とは多種多様な形態がある。例えば設備資金や長期の運転資金などであれば証書貸付、短期の資金であれば手形貸付、口座にちょっと残高が足りない場合に自動的に貸越を行う当座貸越などがある。


 少し分かり難ければ住宅購入を思い浮かべて欲しい。


 結婚や出産、或いは持家の魅力や家賃支払がバカらしくなったなど理由は様々だろうが、マイホームを購入しようと思ったと考えて欲しい。規模や立地によって様々だが、住宅とは概ね一千万や二千万を超える大型の買い物である。キャッシュでポンと買えればそれに越した事は無かろうが、現実問題中々に難しく、銀行に資金の相談に行かれる方も多いかと思う。その際、多くの銀行では確認事項の一つに『つなぎが要るか?』という項目がある。

 前述の通り、住宅とは高額な買い物であり、一軒家を購入しようと思えば着工から引き渡しまでに短くても数カ月はかかる。家を建てる施工業者も従業員に給料を払わなければならず、『少し前渡しを……』をお願いされる事がままあるのだ。工事に取り掛かる事が決定し、材料などを仕入れる為の着工金、上棟時に支払う中間金の二つが有名だろう。着工金は契約が交わされた時点で払い込めば良いので分かり易いが、上棟時のつなぎ資金は工事の進捗確認も兼ねるモノでもあり、現地確認が必須である。俗に『屋根がついたら』と言われる由縁でもある。

 本番のローンである住宅ローンは十年、二十年を越える事がザラにある超長期のローンであり、『証書貸付』で融資されるのが一般的であるが、『つなぎ』の場合は本番の住宅ローンまでの、文字通りつなぎの短期資金である事が一般的であり、手形貸付の形態が多い。加えて、住宅ローンは毎月払いが原則であり決められた支払日にお金を引き落とし口座に入れて置く必要がある。毎月忘れなければ問題ないが、忙しくて振込が出来ない時の為に、当座貸越形式の融資をセットで口座に付けておきませんか? と勧められたりする事があるが、これは別にセット販売だけを目的にしている訳ではないのだ。無論、その側面もあるにはあるが。少々脱線するが住宅ローンは『若手が経験しておくローン』と言われる事がある。前述の銀行の融資形態三つを経験出来るし、土地・建物の担保価格の評価の基礎も学べ、『屋根がついたら』で現地確認の重要性という心構えも学べるからだ。


 銀行融資について長々書いたが、証書貸付、手形貸付、当座貸越は『金銭消費貸借契約』と呼ばれる契約の元に結ばれる。消費する金銭を貸借する契約であるが……ざっくり言えば、借りたら返せ、と言う事だ。何を当たり前の事を、と思われるだろうが、実は銀行融資の代表選手の中に、返さなくて良い『融資』がある。『手形割引』という融資形態だ。

 手形割引の際に使われる『約束手形』や『為替手形』とは物品やサービスの対価として支払われ、何月何日に何処の銀行で必ず払いますと書かれた有価証券の事である。裏を返せば『何月何日までは払わなくても良い』という約束事でもある。だが、実際の企業経営の中には不測の事態などで約束の期日まで待てない事も往々にしてあるモノだ。その場合、銀行に依頼し手形を『売却』する事がある。これが『手形割引』という融資である。証書貸付や手形貸付は金銭消費貸借契約であるが、手形割引は売買契約なのだ。借りたモノは返さなくてはいけないが、売ったモノは後は野となれ山となれ、なのである。

 ……まあ、実務上の手形割引には『買戻し特約』というのがついており、手形を発行した『振出人』が『もう無理! 払えません!』と言った場合は割引をお願いした人に買い戻して貰える様になっており、お金を払って買い戻さなければいけないので同じ事ではあるが。


 閑話休題、銀行融資の中でも少々特殊なこの手形割引であるが、審査の仕方も少しばかり特殊である。通常、証書貸付であれ手形貸付であれ、借主に返済能力があるか、と云うのが重要になってくるが、手形割引についてはそれに加えて『手形の振出人に支払い能力があるか』という面も重要なファクターになる。雑な例えで申し訳ないが、日本発、世界に通用する様な某自動車会社の手形であれば、多少自分の所の会社経営が危なくても銀行は買い取ってくれる事が往々にしてあるのである。融資の要諦は回収にあるが、割引に限っては支払人の決済能力が重要なのである。


◇◆◇◆


「閣下ぁ!」

 バーン! と勢いよく開くドアに何事か、と一瞬戸惑った表情を浮かべた後、目の前の女性の生き生きとした表情を見て静かに、疲れた様に溜息を吐いて見せた男性は、目だけで入室を促す。その視線に気付いた女性は――嫁入り前の娘としてどうか、と言わんばかりの大股でズンズンと執務机に近づくと、そのたわわに実った双丘をぐっと張って見せた。

「閣下ぁ! フレイム王都ラルキアより、書状が届いております! それを、お持ちいたしましたぁ!」

「……わざわざお前が届けてくれたのだな、フローラ。ご苦労」

「いえいえ! ルドルフ閣下の! お役に! 立てるのであれば!」 

「……どうした、フローラ? 今日は何だか元気だな」

「はい! 今日は! 元気です!」

「……少し、音量を落してくれんか? 耳が痛い」

「はい!」

 そう言ってキラキラした視線をラルキア王国宰相、ルドルフに向けたままピシッと背筋を伸ばして立つフローラ・ロートリゲン。二十歳という年の割には男性の趣味が渋い貴族令嬢だ。

「ワクワク! ワクワク!」

「……なんだ?」

 口に出し、ワクワクと喋るその姿にルドルフが疑問の言葉を口にする。その瞬間、しゅんとした様に項垂れる姿はまるで飼い主に怒られた子犬の様で一種微笑ましくさえある。

「……その……な、なにか気付きませんか?」

 ああ、と、ルドルフは思う。妻から『ねえ、貴方? 今日の私、ちょっと何時もと違うと思わない?』と言われる、いつものアレだ、と。華燭の典を挙げて三十年、いわば家庭という戦場で戦い抜いたルドルフには人に誇れる――かどうかはともかく、経験はあるのだ。

「……ああ、髪を切ったのか。良く似合う――」

「切ってません! ついでに言えば昨日と髪型も代えていません!」

 ――まあ、経験があってもそれを活かせるかどうかは別の話だ。面食らった、気まずそうな表情を浮かべた後、ルドルフはコホンと咳払いを一つ。

「……そう言えば、そのふく――」

「昔から持ってます! あ、でも着古しとかじゃないですからね! というか閣下にも見せた事ありますよ、この服!」

「――が、良く似合ってると言おうと思っただけだ。分かっているさ。靴だろう?」

「この靴、去年誕生日祝いに閣下に買って頂いたものです! 私、嬉しくて夜も眠れなかったのに! 忘れるなんて酷いです!」

「……」

 言葉も無い。涙目で睨みつけるフローラに、粛々とルドルフは頭を下げる事で応えた。女性を怒らせた場合の対処法はそんなに多くない。謝るか、謝罪するか、土下座するかだ。

「すまん、わからん。ご教授願えるか?」

「あ、えっと……その、素直に頭を下げられるとちょっと……あ、頭を上げてください!」

 頭上から聞こえるフローラの言葉に、ルドルフは下げていた頭を上げてフローラを見やる。涙目のまま、それでもちょっとだけ溜飲を下げた様子のフローラにほっと胸中で息を吐き、ルドルフは言葉を続けた。

「それで? どうしたんだ?」

「あ、その……あ、アヒム閣下にですね?」

「アヒム殿?」

「その、『いいか、フローラ? 自分の意見を通すのは昔から『声を大に』した方と相場が決まってる。お前があの奥方からルドルフを奪いたいなら大声を出していけ』と教えて頂きまして!」

「……アヒム殿」

「ですから! 取りあえず大声を出しています! どうですか、閣下!」

「……声を大にして、とは確かに言うがな」

 強硬に主張する事である。効果が無いとは言わないが、だからと言って物理的に大声を出せば良いというモノではない。

「がーん!」

「まあ、アヒム殿に担がれたんだろう。というか、そろそろお前も私にばかり構っていないでさっさと結婚しろ。もう二十歳だろう? お父様が嘆いていたぞ? 何時まで経っても娘に浮いた噂の一つもない、とな。分かるか? お父上にそう言われた私の気持ちが。さっさと結婚するのも十分親孝行だぞ?」

「なんでそんな事言うんですか! いいんですか、閣下! 私が人の奥さんになっても!」

「祝福するぞ、フローラ」

 もう一度、口でがーんと言って見せるフローラを意識の外に置き、ルドルフはフローラの持って来た書状に目を向けた。机の二番目の引き出しからペーパーナイフを取り出し封を開け、丁寧に中から便箋を取り出し目を通す。

「……ふむ」

「ちょっと、閣下! 流石にその態度は酷いと思いませんか! こう、もうちょっと構って下さいよ! 私だって拗ねる時は拗ねるんですよ! と、それはそうとその手紙、何が書いてあるんですか!」

「怒るか聞くかどっちかにしろ」

「怒りながら聞いています!」

 器用な事を、と溜息一つ。ルドルフは手元の手紙をくるりと回し、眼前で立ったままが鳴るフローラに手渡した。

「宜しいので? 私が見ても」

「構わんよ」

 ルドルフの差し出した手紙をおずおずと受け取り、目を通す。最初の数行を読んだ所で、徐にフローラが顔を上げた。

「閣下!」

「なんだ、騒々しい」

「これ、アヤノさんからじゃないですか」

 一瞬、『お前は誰からの手紙かも知らずに持って来たのか?』と苦言を呈しそうになり、その言を胸の内に留める。再び開いた口からは、別の言葉が漏れた。

「……お前、聖女様の事を知っているのか?」

「へ? 知っているのかって……閣下に言われたんですよ? アヤノさんの御面倒を見る様にって。ボケました? でも、大丈夫! 介護もできます、私!」

 綾乃が『召喚』され、その処遇に――具体的には年頃の、それも『こっち』の世界の事を何にも知らないと分かったルドルフはその処遇に困った。無論、叩き斬るなど物騒な事は思いもしなかったが、それでも自分の家に住まわすのは……ルドルフ自身はともかく、彼の未婚の息子も住んでいる自宅を提供する事には些か抵抗があった。嫁入り前の娘、何があったか、ではなく、何かありそうだ、と思われるのを忌避する辺り、フレイム王国に召喚された浩太が『女王陛下が中古と思われたら困る』という理由で追い出されたのと似通った思想ではある。かと言って一人暮らしをさせる訳にも行かず、年齢も近く、無理を聞いてくれるフローラに頼んだのだが。

「……ボケてはおらん。まあ、聞き方が悪かったのは認める。認めるが……私は『客人として粗相の無い様に遇せ』と言った筈だ」

 少なくとも、ルドルフには『名前を呼ぶ程親しくなれ』と命令した記憶はない。そんなルドルフの言葉に、フローラはにこやかに笑んで見せ。

「アヤノさんは私の師匠ですから!」

「……まて。私は弟子入りしろ、と言った記憶も無いが」

「通じるものがありましたので!」

「……通じるモノ?」

「初恋の人をずっと思い続けている事です!」

「……」

「アヤノさんもずっと寂しい思いをしていたらしいんですよ! もう、気が合っちゃって! 直ぐに仲良くなりましたよ、私達!」

「……そうか」

「今のは『寂しい』に反応する所ですよ、閣下!」

「喧しい」

 フローラにしても綾乃にしても、どちらかと言えば『武闘派』であり、好きな人の為には手段を選ばない所がある。そんな所も気が合ったんだろうな~なんてしょうもない想像をして、溜息。この話題は、主に自分が幸せにならないと判断し、ルドルフは視線だけでフローラに続きを読むように促した。

「……どうだ?」

「そうやって私を蔑ろに……まあ、何時もの事ですけど……えっと、あの……いえ、どうだ、と言われましても……」

 あらっと一度目を通した後、フローラは二、三度瞬きをし、もう一度手紙に目を走らせた後、情けない顔をしてルドルフを見やった。

「……意味が良く分からないのですが。えっと……え? 何ですか、これ? 何だか図が色々書いてて引受人とか支払人とか書いてあるんですが……」

 手の中の手紙をヒラヒラとさせながら情けない顔をして見せるフローラに、ルドルフは含み笑いをして見せて。


「『商売』の話だよ」


◇◆◇◆◇


「テラに着きました。さあ、説明して下さい、アヤノさん!」

「もうちょっと待ちなよ、ソニアちゃん。やっとテラに着いたんだよ? こう、もうちょっとゆっくり――」

「コータさまの為になる事なんでしょう? 時間が惜しいです。さあ、早く!」

 馬車旅が都合三日。ロンド・デ・テラ公爵屋敷――エリカの居宅前に横付けになった馬車から降りた綾乃がうーんっと背伸びをして、およそ淑女らしくなくポキポキと背骨を鳴らす姿を見ながら、ソニアが口の端に泡を飛ばして捲し立てる。そんなソニアの姿に『五月蠅いな~』と小さく呟き、綾乃は自身の荷物を纏めた鞄を持って玄関のドアを押し開けた。

「アヤノさん!」

「ああ、もう! 分かったから! ったく、コータの事になると本気過ぎなんだから……」

 やれやれと首を振って見せ、綾乃は玄関ホールから続く廊下を歩き、対面に見える応接室の扉を押し開けた。お義理程度に置いてある応接セットに目を走らせ、ゆったりとした二人掛けのソファに鞄を置くとその隣に座り、後ろを付いて来たソニアに視線を向けた。

「取りあえず座りなよ、ソニアちゃん。立ったまんまじゃ出来ない話だってあるしさ」

「……分かりました」

 少しだけ不満そうにしながら、綾乃の目の前の椅子に腰を降ろしてソニアも綾乃同様に腰を降ろす。

「さあ!」

「……本気過ぎてちょっとヒくわ」

「アヤノさんにひかれても構いませんわ。早く教えて下さいまし!」

 ふんすと鼻から息を漏らすソニアに、困った様に眉根を寄せる綾乃。綾乃に同情したい所だが、ソニアにだって言い分はある。『浩太の助けになるアイデアあるんだけど?』と言ったにも関わらず、『ま、詳しい事はテラに着いたらね~』と二日間、はぐらかされ続けたのだ。いい加減、我慢の限界でもある。

「まあそんなに焦らず……と言っても無理っぽいね。分かった、分かった。教えてあげるから」

 そう言って綾乃は席を立ち、部屋の最奥部にある机に歩み寄り机の上の紙とペンを手に取って応接セットまで戻る。身を乗り出すソニアに苦笑を浮かべ、綾乃は席についた。

「さあ!」

「分かったって。さて、それじゃ荷為替手形……の前に、ソニアちゃん……というか、この世界に手形……『商業手形』って概念、ある?」

 綾乃の問いにソニアは首を左右に振る事で応える。そんなソニアに小さく頷き、綾乃は言葉を続けた。

「商業手形って言うのは、『いつまでに幾らの金額を支払いますよ』って書いてある書面の事。私達の世界では、代金の支払いの為に使ったりするものなの」

「借用書、とは違うのですか?」

「厳密に言えば違う。でもまあ、イメージとしては一緒、かな? 要は代金の繰り延べをする証券の事」

 確認するよう、ソニアに視線を送る。ソニアの理解をしたという頷きを元に、綾乃は手に持ったペンをくるりと回して見せた。

「例えば私がソニアちゃんから……そうね、化粧品セットを白金貨一枚で買ったとするわ。でも、私は今、手持ちには白金貨一枚の現金がありません。でも三十日後、浩太に食べさせてあげた和食フルコースの代金である白金貨二枚が入って来る予定になっています」

「和食、とは? というか、コータ様に手料理を振舞った……?」

「……そこに喰いつかないでくれない? 例えよ、例え。私とソニアちゃんの間での話し合いの結果、私はソニアちゃんに白金貨一枚、三十日後に支払います、という手形を発行する事で合意――一応言っておくけど、私も白金貨一枚ぐらい持ってるからね?」

「分かっております。『例え』にございましょう?」

「それじゃ続き。私から白金貨一枚分の『手形』を受け取ったソニアちゃんは三十日後、私から白金貨一枚を徴収する事に成功しました」

 めでたし、めでたしと言って手をパンパンと叩く綾乃。

「ま、本当は『銀行』っていう第三者が絡むからもうちょっと複雑になるんだけど、イメージはこんな感じ。これが『約束手形』と言われる手形の種類になるわ」

「約束、手形……ですか」

「それで、此処からが本題ね。約束手形は私とソニアちゃん、二人だけの話だったけど手形にはもう一個種類があるのよ。それが『為替手形』っていうやつね」

 そこまで喋り、綾乃は持って来たペンで紙に『浩太』『綾乃』『ソニア』と書いて見せる。

「化粧品をソニアちゃんから買って、代金を三十日後にお願いした私ですが……生憎とソニアちゃんにも十日後にお菓子代を支払う予定がありました」

「……わたくし、白金貨一枚分もお菓子を食べたりしませんわ」

「例よ、例。手元に現金が無い私としては、化粧品を我慢するしかありません。でもどうしても欲しい! そこで私は思います。そうだ、浩太に払って貰おう! と」

「……コータ様に?」

「和食の代金があるからね。浩太もいきなり白金貨二枚は無理でも、一枚なら何とか……と言う事なので、私は浩太を支払人、ソニアちゃんを受取人として十日後に白金貨一枚を支払う『為替手形』を発行します」

 紙に書かれた『綾乃』の文字の隣に発行人、『浩太』の隣に支払人、ソニアの隣に『受取人』と書き加え、綾乃はソニアに視線を送った。

「本当は振出人とか名宛人とか指図人とか名称があるんだけど……ま、こんな感じね。この手形を貰ったソニアちゃんは私の代わりに浩太から白金貨一枚を十日後に貰えるってわけ」

「……はあ」

 何とも言えない表情を見せるソニアに苦笑を一つ。

「さて、ソニアちゃん。この『為替手形』の中で、ソニアちゃんが代金を確実に受取ろうと思うと……一体、『誰』が払ってくれれば良い?」

「誰と申されましても……コータ様に御座いましょう?」

「でしょ? 私がソニアちゃんから買ったのに、代金を支払うのは浩太。これが『為替手形』ってやつね」

 そう言って理解を待つよう、綾乃はソニアの顔色を窺う。しばし黙考した後、ソニアがポンと手を一つ叩いて見せた。

「約束手形は私と綾乃さん、二人での『取引』の話でしたが、為替手形ではコータ様を含めた三人の話、という訳にございますね? 本来、私とコータ様の間では取引が無いにも関わらず、コータ様からお金をお支払頂ける、と」

 合っていますか? と問うソニアに拍手を以って返答とする綾乃。その拍手に少しだけ気恥ずかしそうにソニアが顔を背けた。

「辞めて下さいまし、恥ずかしい」

「いや、優秀優秀。為手……為替手形の事、『ためて』って言うんだけど、為手は本職の筈の銀行員でも最初は『はてな』になるのに。一回で理解するのは凄いよ」

「……そうですの?」

「少なくとも浩太はごっちゃになってたわよ」

 現代日本において、国内流通する手形の多くは『約束手形』である。為替手形は殆ど流通に乗る事はないために、銀行員ですら年に数度しか見ないという事もある。慣れればどうと云う事は無いのだが、慣れる程見たことが無いのが実情なのだ。

「ま、誰が貰うかぐらいは分かるけど、一から説明するのは難しいのよ、為手って」

 そう言って無駄話は終わりとばかりに綾乃はもう一度机の上の紙に視線を走らす。

「さて、それでは此処からが『荷為替ビジネス』の話。ソニアちゃん、売買って普通はいつ、品物と代金を決済するの?」

「品物の引渡を受けてから、ですわね。前渡し等もありますが、一般的には」

「だよね? つまり……まあ、場所にも寄るけど、折角テラに港が出来ても出港してから相手に荷物が届き、きちんと決済が出来たとして、代金がテラの商人の所に戻ってくるまでには結構な時間が掛からない?」

「それは……そうですわね」

 頷いて見せるソニアに満面の笑みを浮かべ、綾乃は言葉を続けた。

「荷為替っていうのはそこのタイムラグを失くせる方法なのよ。この図で言うと、ソニアちゃんは荷物を海上輸送するのと同時に、為替手形を発行するわ。支払人は当然、商品を買う人、つまり私ね?」

「為替手形を発行するのがわたくしで、代金を支払うのはアヤノさん、ですわね? では、代金は誰が頂戴するのです? コータ様?」

「浩太が貰ったら浩太、丸儲けじゃん。じゃなくて、ソニアちゃんよ。ソニアちゃんが自分がお金を受け取る人として、自分宛の荷為替手形を発行するの」

「えっと……え?」

 綾乃の説明に、ソニアが首を捻る。捻った首をそのままに、ソニアは疑問を口に出した。

「それは……二者間でのやりとり、と言う事ですわよね? 約束手形とどう違うのですか?」

「約束手形は代金を払う人が発行するわ。今の話で言うと、私が発行する事になるわよね? と、言う事は、ソニアちゃんが商品を送る時には手元にその手形はある? それとも無い?」

「……無い、ですわね」

「でしょ? 私だって商品が来てから約束手形は発行するわ。でも為替手形なら? 発行するのはソニアちゃん、受け取るのもソニアちゃん。支払うのは私よ? さて、商品を輸送する段階で、誰の手元に手形はあるのかしら?」

「……わたくしの手元にあります」

「そう言う事ね。さて、為替手形を発行したソニアちゃんですが、そのままではお金になりません。そりゃそうよね? 私が『払います!』って署名してないんだもん。結局、お金になるには海を越えて山を……越えるかどうかは分かんないけど、取り敢えず私の手元に届いて私が『払います!』って言わないと意味がないわ。でも、現金はいますぐ欲しい。さて、どうしましょう?」

「どうしましょう……と言われましても……」

「シンキングター……分かったわよ。そんな怖い顔しないで? 引っ張るなって言うんでしょ? もう! ちょっとぐらい遊んでくれてもいいじゃん」

「……アヤノさん?」

「分かりました~」

 ソニアのジト目に肩を一つ竦め。


「その手形、売っちゃえば良いと思わない?」


 何でも無い様に、綾乃はそう言って見せた。一瞬、ポカンとした顔をして見せたソニアだが、その脳細胞が正常な働きを見せた後、遠慮がちに声を発した。

「うっ……ちゃう? え? ば、売却という意味ですか? いえ、アヤノさん? 売却と申しましても、そんなに簡単に買い手が見つかるかどうかは――」

「買い手は浩太」

「――コータさま?」

「正確には『テラ』領が、ね。決済システムの一つとしてテラ領を組み込むの。商人達は輸送と同時にいち早く現金を手に入れる事が出来るし、テラ領は買い取りの際に手数料を差っ引いて……どれくらいにするかはこれから考えるとして、幾らかの手数料を貰って買い取るの。手数料は払うけど、商会は直ぐに現金化が出来てハッピー、テラは手数料が貰えてハッピー。皆ハッピーでしょ?」

 何でも無い様にそう言って、綾乃はペンをくるりと手元で一回転。

「纏めるわ。テラから輸出する商会が『荷為替手形』を発行すると、それを私達が割り引く――割り引く、じゃ分かり難いか。『買い取る』の。荷物と一緒に荷為替手形を送り、商品を買う人が荷為替手形を『払います』と言った段階で、商品を渡す」

「……払います、と言わなければ?」

「商品は渡さない」

「それでは……皆が皆、『払わない』というと、テラ領には商品の在庫が積まれる事になりますわね?」

「ざっつらいと。ソニアちゃんの言う通り、『払わない』と言われると困っちゃうのよ、テラは。そうなると、『きちんと代金を支払ってくれる』先にしか売れないよね?」

「そうですわね。先日、馬車でお話された通りです」

「私、馬車でもう一個言ったわよね? 『信用状ビジネス』って」

「……ええ」

「『この人は確実に支払ってくれます!』っていう証書を……『信用状』を発行して貰いましょうよ?」

 にっこりとソニアに微笑むかける綾乃。『もう分かるでしょ?』と言外に込めたその言葉を敏感に感じ取り、ソニアは言葉を発す。


「……誰に、でしょうか?」


 だから、これは確認。そんなソニアに、苦笑を一つ。

「今の聞き方は感じ悪いな~。質問じゃなくて確認だもん。ホラ!」


 私とソニアちゃんが持っていて、浩太たちが持っていないモノ、と。


「……わたくしはソルバニアの姫。アヤノさんはラルキアの聖女」

「シンキングタイムは要らないね? じゃあ、解答をどうぞ」

 ワクワクした様な笑顔を浮かべる綾乃に、ソニアも同様に笑みを浮かべて見せて。


「――フレイム王国以外の、余所の国へのパイプ、ですわね?」


 ソニアの言葉に、満面の笑みを浮かべる。

「大商会ならともかく、『外国』にいる浩太たちには、小さな町の小さな商会が本当に取引をしても大丈夫な商会かどうか、分からない事だってあるわよね?」

「ですが……わたくし達には『外国』に確かな伝手がある。小さな町の小さな商会の情報だって、仕入れる事が可能ですわ」

「強権を発動して貰っても困るけど、その街の領主に『この商会ってどんな感じ?』ぐらいの世評は聞いて貰えるでしょ? ソルバニア王であったり……ルドルフさんだったりに」

「直接、間接を問わなければ、どの商会にしても、少なからず大手の商会との取引がありまでしょうし、そちらから調べる事も出来そうですわね」

「そうしてソルバニア王国とラルキア王国は調べた情報で『大丈夫』と思った商会に信用状を発行して貰う。もし、払えなかった場合は王国が立て替えるって『信用』を付した書状をね? そして、商品の買主は信用状の発行の謝礼として」

「手数料を支払う。ソルバニア、ラルキア共に潤う訳ですわね?」

「イヤって言うかな、ソルバニア王?」

「お父様はお金儲けが大好きですから。恐らくイヤとは言わないですわ。後は……そうですわね、果たして発行手数料を払ってまで、買主が信用状を発行するか、ですが……」

「最初はイヤって言うかも知れないけど、ある程度浸透すれば、売主は信用状を望む様になるわよ。テラが『信用状が無ければ手形を買い取らない』って言っても良い。現金が欲しければ売主側から信用状を発行する様に依頼するでしょ?」

「買主に負担を強いる様になりますわね?」

「ごめんね? 私は浩太程優しくないから」


 ――『皆』の幸せなんて、知った事じゃない、と。


「『私達』だけが潤えばいいのよ。浩太と、エリカと、エミリと、ソニアちゃんと、シオンと……とにかく、私の知る、『私の好きな人』が幸せだったら、それで、ね?」

「……賛同しますわ、そのお考えには。わたくしも、皆様と楽しく過ごせればそれで良いです。付き合いが多い分、私はアヤノさんより『幸せ』で合って欲しい人が多いですが」

 そう言って、二人で嗤い合う。

「――なんだか、コータ様よりアヤノさんの方が魔王に見えてきましたわ」

「それじゃソニアちゃんは小悪魔ね」

「……やはり似ていますわね、わたくし達」

「そうでしょ? 良く似てるのよ、私達」

 そう言って、どちらからともなくもう一度口の端を歪める。

「……情報の売買、というのも良いかも知れませんね。『信用状』を発行するに足る会社の情報を一覧にして、それを売り出しても。国が太鼓判を押す商会の情報なら、欲しい人も多いでしょう。結構な金額になるのでは?」

「企業信用調査会社はちょっと早いかな? 今日隆々な商会が明日も隆々な保証はないし、それにかける人員もいないからね。鮮度が命だし、情報って」

「……そう云った商会が既にあるのですか? アヤノさんとコータ様が住んでいた世界には」

「あるわよ。私も結構お世話になった」

「……何と言うか……凄いですわね、商売の『幅』が」

「ツンデレすらビジネスにする国だからね」

 何でも無い様にそう言って、綾乃はペンをテーブルに置く。

「……どしたの?」

 その後、何気なく視線を上げた先に悔しそうな表情を浮かべるソニアを見た。

「……やはり、私などまだまだ『小』悪魔ですね」

「いや、これだけの短時間で企業信用調査会社まで発想が行くって凄いと思うわよ?」

「ですが、アヤノさんは既に知っておられた」

「そりゃ……でも、私は知識を持ってただけだし? 思いつく方が凄いじゃん」

「有用に使えない思い付きなど、無いのと同じに御座いましょう?」

「まあ……それはそうかも知れないけど……でも、小悪魔だよ? いいじゃん、同じ『こ』でも仔狸より百倍マシだって。可愛いし」

「わたくしはコータ様に『可愛がって』頂きたい訳では御座いません」

 そう言って、席を立ち。


「――わたくしは、コータ様と並び立ちたいのです。頼り、頼られる関係でありたいのです。守って貰うだけの、教えて貰うだけの、導いて貰うだけの……足手まといにはなりたくないのです」


 そこまで喋り、ふっと小さく笑んで見せる。

「……『今』はアヤノさんに譲ります」

「……」

「ですが……いつの日か、必ずその位置に立ちますので」

「……どの位置よ?」

「『お前はどう思う』と、聞いて貰える位置にです」

 それでは父上に先程の信用状についての書状を送りますので、と、スカートの両端をちょんと摘まんで優雅に一礼。ソファに置いた鞄を手に取り、扉まで歩き。


「――負けませんわ、わたくし」


 まるで捨て台詞。背中を向けたままそう言い残し、ソニアの姿が応接室から消えた。

「……もう、イヤになるくらいそっくりね。こう、負けず嫌いなトコロとか」

 そんなソニアを見送って、脱力する様に綾乃はその身をソファに沈める。ゆっくりと息を吐き、やれやれと首を横に振って。


「――上等。負けないわよ、私も」


 そう言った綾乃の顔には、『魔王』の笑みが浮かんでいた。


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