第八十五話 オルケナ海運事情
今、一番欲しいモノは時間です。
海洋国家、という概念がある。
大陸国家に対する概念であるが、これはイコールとして島国になる訳では無い。海に囲まれていても海上貿易を行わない、或いは極端に少ない国は『海洋国家』とは呼ばないし、逆に大陸国家であったとしても海に繋がりの深い国は海洋国家と呼ぶこともある。
人間の生活と『海』は密接な関わりを持っている。古くはフェニキア時代より海上での貿易は栄えており、大航海時代を例に取るまでも無く海上を制すモノが世界を制して来たのだ。
「傭船……ビジネス?」
『傭船ビジネス』という聞き慣れない単語にエリカが首を傾げて見せ、そのままの体勢で浩太に視線を送る。送られた浩太は一つ頷き、言葉を続けた。
「傭船ビジネスとは船の貸出を行うビジネスの事です。ある組織が『船主』となり、船を必要とする人に貸し出すビジネスの事ですね。簡単に言えば……船のレンタル、ですね」
此処まではイイですか? という言葉に頷く姿をみとめ、浩太は再び口を開いた。
「先程ソニアさんが仰られた通り、造船とは一つの『お祭り』です。それぞれ決まった発注先もあるでしょうし、その中に入り込む事は容易では無いでしょう。加えて、仮に入り込めたとしてもそれがそのまま『私達の実績』かどうか、判断し辛い面もある」
違いますか? とエリザに問う浩太。少しだけ思案した後、エリザははっきりと首を縦に振った。
「そうですね。仮にテラが動いて下さったとしても、それが果たして『テラが動いたから』なのか、『ベッカー貿易商会の技術を見込んでか』は分かりかねます」
「出来たばかりの会社であれば我々の実績ですと声高に吹聴が出来るでしょうが、そうではありませんからね。ですので、商会に直接ベッカー貿易商会を売り込む意味は……まあそれによるシナジーが全く無い、とは言いませんが少ないでしょう」
「じゃあ、ダメじゃない」
「だからこそ傭船ビジネスですよ、エリカさん」
そこまで喋り、もう一度浩太は室内をぐるりと見回した。続きを促す様な視線を敏感に感じ取り、浩太は言葉を続ける。
「ロンド・デ・テラで船を持ちます。借主はテラに来ている商会の皆様方。『造船』自体はお祭りでしょうが、『傭船』はお祭りでは無いでしょう?」
船を造るのには金が動くが、船を借りることであるのならば金の動きは限定的だ。少なくとも、街に直接お金が落ちる事は無い。
「それは……確かに、そうですわね。造船となると問題でしょうが、そうで無ければ……何処から船を『借りるか』となると、わたくしどもが口を挟む問題ではありません」
浩太の言葉にソニアが頷いて見せる。
「造船は莫大なお金が掛かります。各商会は船をレンタル出来るので、初期投資が掛からないメリットがある。契約の仕方にも寄りますが、船の整備や事故補償なども付ければ一定数の顧客が見込めると思いませんか?」
船舶運航にはリスクが多い。当たり前と言えば当たり前であるが、船舶は航海をして初めて利益を生む。一括りに『装置』或いは『設備』といえど、工場内に備え付けている機械などとはリスクが段違いに高いのは想像に難くない。
「何だか顧客ばっかり得しそうな話だけど? 壊れたらテラで直すんでしょう? 別にテラの商会を信用していない訳じゃないけど……ちゃんと船、動かせるの?」
「その一事だけを見れば確かにそうです。船だけを貸し出す傭船契約の事を裸傭船と言いますが、こちらの息のかかっていない乗員である以上、適正に操船されているか不安は不安です」
リスクの高さに眉を顰めて見せるエリカに、肯定の意を示しながら、それでも浩太は反論を述べる。
「ですが、エリカさん。ロンド・デ・テラは此処で『港』を持ちます。港の収益だけを当てにしても良いですが、それでは少々芸が無い。かと言って海運業……実際に船を運用し、物品を輸送するなんて芸当、エリカさん出来ます? 私は無理ですよ」
「それは……無理だけど」
「でしょう? ただの寄港地としてしまえば確かにリスクを取らなくてもいいですが……まあ、それでもやはり船は持ってもいいでしょう。それに、どの道『造船』部分で恩を売ろうと思えば、それぐらいしか方法が思い浮かびませんし……ベッカー貿易商会のもう一つの部門である『海運』に至っては皆目見当が尽きませんしね。シーレーンの開発など私の想像の外です。出来ない事は出来ませんよ」
そこまで喋り、浩太はもう一度室内の面々を見渡した。
「総括します。テラは船主として自前の船を持ちます。これにより、傭船料という新たな収益を取る事が出来ますし、ベッカー貿易商会に発注する事により恩が売れる。テラから船を借りる商会の方々は、造船という初期投資を抑える事が出来て、加えて難破や事故などの海難リスクをヘッジする事が出来る。ベッカー貿易商会は新造船の受注が決定し、利益を上げる事が出来る」
どうです、誰も損をしないでしょうと面々に語り掛ける浩太。全員が納得しかけるその空気の中で、一本の手が上がった。手を挙げて見せたのは、綾乃である。
「……綾乃は反対?」
「反対、って程でも無いけど。というか、外に方法が無い以上、それしかないんだろうな~ってのも理解出来る」
「じゃあ、なに?」
「『お金』よ、『お金』。こっちの相場がどれくらいか知らないけど、結構な金額が掛かるでしょうが。なに? テラって領地はたちまち必要じゃない様な設備が出来る程、潤って潤って仕方ないの?」
「そんな訳ないさ。昔に比べれば少しは良くなったけど……それでも、な」
「それじゃ、資金調達はどうするつもり? まさか、ベッカー貿易商会にローンでも組んで貰うとか言うんじゃないでしょうね?」
「それが出来ればいいけど……まあ、恐らく無理だろうな。テラでの余剰の資産と……エリカさん?」
「地方債の引受、って事?」
「そうです。必要ならば建造した船を担保にも入れましょう。ですが、今までの様な一括返済にはしません。均等返済は可能で?」
「えっと……月々とか年払いで返すって事よね? それは可能だけど……」
言外に『大丈夫なの?』と問い掛けるエリカに、浩太は肩を竦めて見せる。
「勝算自体は正直、五分五分でしょう。ですが、今回に関していえば『持って行き方』の所もありますね」
「持って行き方?」
頭に疑問符を浮かべるエリカ。そんなエリカに視線を送り、チラリとエリザに、その後エミリに視線を順々に送る。
「……あまり、私が聞かない方が良い話の様ですね」
視線を受け、その意味を正確に理解したエリザは平然とそう答え、隣のエミリにその瞳を向けた。
「エミリお姉さま、夜も更けて参りましたしそろそろ私、お暇しようと思いますわ」
「追い返すつもりは無かったのですが……申し訳ございません、エリザさん」
「構いませんわ。極論ですが、テラ側が利益の供給をして下されば宜しいのですので。資金調達の方法も、ましてや返済方法などについてはテラ側でよしなに行って頂ければ」
そう言って、ふんと鼻を鳴らし優雅に席を立つエリザ。その後、ちらりと視線を浩太に、その後エミリに向けて見せた。
「まあ、個人的に興味はありますが。地方債の引受で、『話の持って行き方』などを聞いた事がありませんですし」
「申し訳ございませんが、その辺りは『企業秘密』です」
「……そうですか。それなら仕方ありません。我々ベッカー貿易商会も企業秘密はありますので」
それでは皆様、ごきげんようとエリザがスカートの端をちょんと摘まんで頭を下げる。その仕草のまま、トテトテと扉まで歩き扉を押し開けた。
「エミリさん、お見送りをお願いできますか? 出来れば、家まで」
「宜しいので?」
「子供をこんな時間に一人で帰す方が問題でしょう」
浩太の言葉に一つ頷き、エミリもエリザの後を追うように扉に向かう。扉の前で一礼、バタンと音を立てて扉が閉まるのを見届けた浩太が視線を室内の面々に戻した。
「……それで? 小さな女の子追い返してまでの『裏技』があるの?」
少しだけ意地の悪い顔でそう言って見せる綾乃に、浩太が渋面を作る事で応えた。事実だけ見ればあながち間違っても居ない所が余計に質が悪い。
「……言い方がやらしいだろう。此処でエリザさんに聞かせる訳には行かないし。ちょっと申し訳ないけどな」
「ふーん。それで? その裏技、ご教授願いましょうか?」
綾乃の言葉に溜息一つ、コキコキと首を鳴らして浩太は言葉を継いだ。
「さっきも言ったけど、今回は『持って行き方』だ。言ってしまえば今回のこのベッカー貿易商会の説得は、ロッテさんからの『お願い』だしな」
「だから?」
「その為に『小道具』として船が要るんだ。必要経費だよ、コレは」
「……知らなかったわ。この世界では『船』も小道具なのね? 随分大きい小道具だこと」
「茶化すな。要は俺達がお金を借りたくて借りたくて仕方が無い訳じゃないって事が伝われば良い。仕方ないから、欲しい訳じゃないけど借ります、ってな。金利も勿論、返済だってこっちの都合を聞いて貰うさ。それこそ超長期の……五十年払いとかな?」
「木造船の減価償却、何年か知ってるの? 何処の世界に五十年払いのシップファイナンスがあるのよ」
そこまで喋り、先程の浩太の様に肩を竦めて見せる綾乃。
「だったらそもそも、フレイム王国で船を買って貰えばイイんじゃないの? テラからの口添えですって」
「それじゃ意味ないだろう? 元々フレイム王国の船はアレックス帝以来、ベッカー貿易商会謹製だしな。それに、それじゃ儲からない」
「儲からない?」
「テラが。傭船ビジネス自体、決して悪くは無い方法だと思うけど?」
「……呆れた。まさか浩太、貴方本当に傭船ビジネスで儲けるつもりなの? リスクを取り過ぎだと思うけどね、正直」
種々様々、色々な融資形態がある銀行融資の中に『シップ・ファイナンス』という融資の種類がある。文字通り、船舶に対する融資の事だ。人様のお金を預かり貸し出すのだから当たり前と言えば当たり前の話であるが、昔から銀行とは『リスク』を嫌う傾向にある。それで銀行の公共性が保たれるか、と言われると返す言葉も無かろうが、銀行だって株式会社だ。あまりにリスクの高い所には貸出をしたくないのが本音の所だ。
そう言う意味で、シップファイナンスはリスクの高い……と言うより、リスクの『多い』融資である。シップファイナンスの主な形態は船主が造船の為の建造費を借入し、その資金で建造した船を貸出した賃料で融資を返済する融資形態だが、船主・造船会社・それに借主と三者が絡むだけに、不確定要素が多い。着工金を払った造船会社はきちんと船を造るか、貸し出した先はきちんと賃料を払うか、海外航路の船であれば為替はどうか、着工から完成まで二~三年かかる船であれば、今の相場より賃料の値下げは無いか、海賊には合わないか、難破しないか、戦争などの紛争地帯に行かないか、そもそも、借入した企業は船が完成するまで生き残っているのか……など、ざっと上げただけでもこれだけの不確定要素があるのだ。
加えて、銀行員自体がシップファイナンスに不慣れな事情もある。銀行は不正防止の観点から概ね二年~四年の間で転勤があるのが一般的だ。本部の専門セクションに属し、『それだけ』を重点的に視る人間であれば話は別だが、営業店の行員に自らが居ない十年先の支店運営まで見据えて融資に取り組めと言うのは、理想論としてはともかく現実的に少々難しい。営業店行員に求められるのはスペシャリストとしての能力ではなく、ゼネラリストとしての能力という実情もある。つまり、何が言いたいかと言うと。
「そもそもアンタ、シップファイナンスなんてやった事あんの?」
綾乃の言葉に、浩太もついっと目を逸らす。丸の内支店を振出に、総合企画部勤務の浩太に取ってシップファイナンス……と言うより『船舶関連』の会社自体、担当した経験がないのだ。
「言っておくけど、私だって経験ないわよ? 海運会社は……サブでちょっと齧ったぐらいで、船主になるともうサッパリだからね?」
「まあ俺も経験はない。ただ……傭船契約自体が結べれば後は何とかなるかなとも思う」
「珍しい。いつに無く『前向き』じゃない」
「『前向き』って言えるかどうか微妙なトコロだけどな。結局、出たとこ勝負って話だから」
「……本当に珍しいわね? 石橋を叩いても渡らない貴方が」
「銀行員はそんなモノだよ。それに、ある程度のリスクテイクは必要だからな」
そう言って苦笑を一つ、今度は視線をソニアに向ける。
「そこで、ソニアさんにお願いしたいのですよ」
「わたくしに、ですか?」
右手の人差し指で自らを指し、首を左に傾げて見せるソニア。十歳の少女らしいと言えばらしい、そんな可愛らしい姿に少しだけ浩太の心が『ほっこり』した。
「ええ。ソルバニアは海上帝国、『船』の運用に関してはプロ中のプロでしょう?」
「そう、ですね。他国の操船技術についてとやかく言うつもりはございませんが、我がソルバニアの操船技術が他国より劣っているとは思ってはおりません」
心持、誇らしげにそう言って見せるソニアに、浩太も笑みを浮かべた頭を縦に振って見せる。
「テラには沢山、ソルバニアの商会が来て下さっています。無論、自前の船を持っている商会がほとんどでしょうが……それでも、新しい『船』がある方が便利は良いでしょう?」
「そうですわね。それで? わたくしがするのは各商会の『説得』でしょうか? テラの船を使って下さいと言って回れば宜しいので?」
「有体にいえば。お願いできますか?」
「それは構いませんが……ちなみに、コータ様は? わたくしと共にテラに帰って頂けるので?」
「そうしたいのは山々ですが……ロッテさんとの引受の交渉や他の商会の説得業務もあります。だから」
そこまで喋り、視線を綾乃に向ける浩太。
「……なに?」
「お願いできるか、綾乃?」
「私に、子守をしろって事?」
『こ、子守ってなんですかぁ!』と抗議の声を上げるソニアを意識の外に置き、綾乃はじっと浩太を見やる。
「……純粋に、能力的な問題だよ。シップファイナンスは素人だろうけど……対顧客交渉はプロだろう、銀行員?」
「金貸しのプロなだけよ、私は」
そう言ってうーんと顎に人差し指を置いて考え込む綾乃。その後、にやーっとした悪戯っ子の表情を浮かべて浩太を下から覗き込んで見せた。
「そうね。『お願い、大好きな綾乃! お前しか頼れる人は居ないんだ!』って言ってくれたら考えてあげる」
「だいっ――! そ、そんなこと言えるか!」
「え~、そんな事も言ってくれないの?」
「ぐ! だ、だけど……」
「……そこまで嫌がられるとちょっと傷付くわね。まあ良いわ、冗談だし」
「……お前な?」
「これぐらいはさせなさいよね。それじゃソニアちゃん、宜しくね~」
「こちらこそ……と言いたい所ですが、アヤノさん! 先程の言葉の訂正を! 訂正を要求します!」
「訂正?」
「子守ってなんですかぁ! わたくし、子守をされるほど子供ではありませんわ!」
「いや……十歳の幼女様が何言ってるのよ? 十分子守よ、子守」
「ぶ、無礼な!」
「……お願いだから、喧嘩しないで下さいね?」
わーわーぎゃーぎゃー騒ぐ二人に小さく溜息を吐き、浩太は再び視線をエリカに向けた。
「エリカさんはエミリさんと待機を。ロッテさんにお金の無心をしてからお願いする事もあるかと思いますし」
「分かったわ」
「シオンさん、造船の本か何かあります?」
「ラルキア大学には造船学科もあるからな。当然あるぞ」
「それではそちらの本を幾つかお貸し頂ければ。どれくらい役に立つか分かりませんが……まあ、何も見ないよりはいいでしょう」
「分かった。明日の昼までには用意しておこう」
親指をぐっと突き立てて承諾の意を示すシオンに軽く頭を下げ、浩太はもう一度室内を見回して。
「――さあ、それでは皆さん。忙しいかと存じますが、よろしく――」
「きぃー! アヤノさん! 取り消して下さい!」
「へへーん、やだよ~だ」
「――お願いしますよ、本当に……」
締まらない浩太の声が、溜息と共に室内に落ちた。




