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第八十三話 ベッカー家茶話会

茶話会です。

「むー……若干語り足りないよ、エミリ」

「そう言われず、お義姉さま。さあ、紅茶と……エリザお手製クッキーですよ?」

 ビアンカによる大長編『愛のメモリー ~アロイスとビアンカ~』が『王都結婚式編』、『結婚披露宴編』『エリザ爆誕編』と続き、流石に本気で浩太から泣きが入るあたりで、キッチンに避難――ではなく、紅茶と茶請けとしてクッキーを焼いていたエミリとエリザのヘルプが入った。『まだよ! まだ終わんないよ!』などと言っていたビアンカだが、エミリの説得により渋々その口を止めた。

「……正直、本当に助かりました」

「いえ……申し訳ございません、私も失念しておりました。あのお話をお義姉さまの前でしてはいけないと……先に言っておくべきでした」

 エリザのクッキーに手を伸ばし『おっいしーー! エリザ、腕を上げたね!』なんて嬉しそうにエリザの頭をぐりぐりと撫で、『ちょ、お母様! 止めて下さい!』なんて言って嫌がるビアンカとエリザを横目で見ながら感謝を口にする浩太に、エミリは苦笑。

「我が兄と義姉、ビアンカ・ベッカーは恋愛結婚です。お義姉さまのお話でも分かるかと思いますが……こう……ええ」

 言い難そうに淀むエミリに、浩太は疲れた様に溜息を漏らして見せる。エミリに言われずとも良く分かる。ようはアレだ。とんでもないのだ、この人は。

「……アロイスさんが押し切られた形、ですか?」

「いえ、一概にそうとも言えませんが……」

「そうですか?」

「……まあ、私の記憶にあるお義姉さまの姿は、いつもお兄様の後ろにありましたね。こう、尾行の様に」

「……」

「一時、お兄様は『奴が……奴が来る!』と常に後ろを気にする程、心に深い傷を負われていた時期もありましたね」

「……前世でどれだけ悪い事したんですかね、アロイスさん」

 そうやって溜息を吐いて見せる浩太。そんな浩太を見やり、エミリはお茶請けのクッキーに手を伸ばした。

「ですが……そうですね、少なくとも今はお兄様もお義姉様も、それにエリザも幸せそうに御座います。それだけでも十分に御座いましょう?」

「まあ……そういう考えもありますかね」

 結果良ければ全てよし、でもある。プロセスを大事にするタイプの人間である浩太としては如何なモノかとも思うが。

「幸せのカタチは人それぞれに御座いますので」

「まあそうですね」

「あ~れ? なに、二人で楽しそうにしてるの? 何の話?」

 エリザの頭を片手で抑えながら、右手でクッキーを齧りながら二人に声を掛けて見せるビアンカ。良家の、それも千年続く名門商会の奥方とは思えない程の不作法さに思わずエミリが眉を顰めた。

「お義姉さま」

「はいはい。行儀悪いって言うんでしょ? もう、一々細かいね~、エミリは。そんなに細かいと嫁ぎ遅れるよ?」

「おくっ――! い、いえ、そ、そんな事は関係ないでしょう!」

「いーや、あるね。この、私の一種の鷹揚さを見習いなよ、エミリは。エミリのその『きっちり』した所は凄いイイ所だと思うけどね? きっちりばかりじゃ相手も気を張って疲れるよ? 抜く所は逆に抜かないと……『飽き』られるよ?」

「そ、そんな事は……そ、そうでしょうか?」

「結婚して十年、あのイケメンなアロイスさんが浮気の一つもせずに私を一途に愛してくれているのが証左だね!」

 ドーンとバックに効果音が付きそうな勢いで言い切るビアンカに、エミリが驚愕の表情を浮かべて押し黙った。真面目な話をしているような絵面であるが、ぶっちゃけコントだ。

「……失礼ながら、エミリさんがビアンカさんの様になるのは個人的にも少し勘弁願いたいですね」

「それはつまり、『イイんだよ、エミリ! そのままの君が好きだ!』って訳だね、コータ君!」

「こ、コータ様! その……そ、そういう意味で?」

「いえ、そんな事は一言も言っておりませんが」

「ち、違うのですか!」

「違わないよね!」

「……もう、それで良いです」

 とんでもなく、疲れる。そんな事を思いながら口を付けた紅茶が少しだけ苦く感じるのはきっと気のせいでは無いだろう。

「ま、それは置いといて」

「お、お義姉さま? その、置いておかれると少し困るのですが……あ、飽きられるとは、その、具体的に――」

「置いといて!」

 両耳を塞いで、『私、聞きません!』というジェスチャーをして見せるビアンカに、エミリが肩を落として『しゅん』として見せる。いつに無いエミリのそんな『はしゃいだ』姿に、浩太には御主人様に遊んで貰えずに耳と尻尾を『へにゃ』とさせる、わんこエミリの姿が見えた。

「……忠犬エミリ」

「なんか言った、コータ君?」

「いえ、何も」

 ポツリと漏れた言葉を敏感に拾ったビアンカに首を横に振って見せる。どうせ、しょうもない事である。

「そう? ま、それならそれでいいよ。それじゃ……そろそろ本題に入る?」

「……今からですか?」

「そ、今から。晩御飯の準備もあるしさ。さっさとしちゃおうよ」

「そんなお手軽な……というか、晩御飯の準備? ビアンカさんが、ですか?」

「そだよ? 『この家』で食事をする時は必ず私が作るって決めてるんだ!」

 ブイ! っと口に出しながらピースサインを決めて見せるビアンカに、思わず浩太は横のエミリに視線を向ける。

「……そうなんです?」

「王城に勤める料理人が裸足で逃げ出す程の腕前です、とまでは言いませんが、お義姉様は普通に料理がお上手ですよ。私も、幾つかレシピを教えて頂いておりますし」

「ま、正直エミリの方が腕前は上だけどね~。でも、アロイスもエリザも美味しいって言ってくれるから、ココでは私が――と、また話が逸れたね!」

 失敗、失敗と舌を出し、紅茶を一口。ソーサーの上にカップを置き、小指でカップのフチをなぞって見せて――ビアンカは、俯き気味だった顔を上げる。


「『ベッカー貿易商会』会長、アロイス・ベッカー夫人として、ベッカー家の『血』を受け継ぐ者として――コータ・マツシロ殿、貴方の出された『コインに代わる通貨制度』と、それに伴う『王府による紙幣の発行権』を……認める訳には行きません」


 先程までコロコロと、面白いほどに代わっていた表情の変化は何処に置いて来たのか、一転して真剣な、射る様な視線を向けて見せるビアンカに、思わず浩太が息を呑む。

「……理由を、お伺いしても?」

 ようやく捻りだしたそんな言葉。

「メリットがありません」

 それも、ビアンカは一刀両断。あっという間に切って捨てて、返す刀で浩太に斬りかかる。

「そもそも――貴方は何故、我がベッカー貿易商会にそのお話を持って来たのですか? 当方にメリットがある、それほどの腹案があってこその話ですか?」

「それは……」

「エミリ・ノーツフィルトは確かに、アロイス・ベッカーの実妹です。そして、愛すべき夫であるアロイスの妹であるエミリは、私に取っても可愛い妹です。ええ、それは事実です。事実ですが……まさか、身内の縁に頼って、私共にその話を持って来たと?」

「……」

「沈黙は肯定ですね。そして、そうであるのならば、私共が――私が貴方にかける言葉は一つに御座います」

 喋り過ぎたか、紅茶に一口。


「――舐めるな、に御座います」


 唇を湿らせ、その後の辛辣な一言に、思わず凍り付く浩太。それでも、何とか意思の力を持って言葉を捻りだして見せる。

「……ですが、コインの商いでは限界がありませんか? 輸送費だって高くつく」

「仰る通りです。フレイム白金貨数千、数万の単位になれば重量も、それに場所も取ります。紙幣導入によるメリットは確かにあります」

 ですが、それはその他の『メリット』を覆す程ではありません、と。

「ベッカー貿易商会は、憚りながら千年の歴史を有します。フレイムのみならず、オルケナでも有数の名門商会です。商聖と呼ばれ、我らがベッカー家の始祖ロッツの叔母に当たるユメリアが愛した商会です。歴史と、伝統があるのですよ」

「……それが?」

「しがらみも、取り巻きも、利用しようとするものも、蹴落とそうとするものも多いのですよ。古くなれば、古くなるほどに、ね?」

「……」

「貴方の提示する案を示し、それら全てのモノが快く首を縦に振るでしょうか? 輸送費が安くなる、利便性が向上すると言って、皆が皆、諸手を挙げて歓迎して下さるでしょうか? 私はそうは思いませんし、思う事すら出来ません。抵抗にあうでしょう、反抗にもあうでしょう。そして、それは厄介な話ですよ、とても」

「テラでは一応の成功を見ていますが?」

「軸足をテラに置いていないからですよ、それは。私共だって、必要とあればソルバニア白金貨を使う事に抵抗はありません。ローレント白金貨も、趣味の悪いウェストリアの白金貨だって使って見せましょう。テラの成功は、言ってみればそう言う事です。軸足は、拠り所は他にあるから使えるのです。嘘だと思うなら、どうぞ、言ってみて下さい。『明日から、テラではフレイム白金貨を使えない様にする』と。暴動が起きますよ、きっと」

「……」

「人は、変化を嫌うのです」

「そうとばかりは言えませんが?」

「それでは言葉を変えましょう。この『通貨』に関しては変化を嫌います。千年、変わって来ていないのですよ?」

「私も言葉を変えましょう。此処が『過渡期』かも知れませんよ?」

「そうかもしれません。ですが、その過渡期の選択権は私達にあります。そうであるのならば……日和見と言われても、私は『変化』を好みません」

「……そうですか」

「ええ」

 話は終わり、とばかりに紅茶を一口。


「――ま、そういう訳で! ごめんね、コータ君。ちょっち力になってあげれないかな~」


 もう一度、表情をがらりと変える。先程までの表情は何だったのか、そんな印象すら受けるビアンカのソレに、知らず知らずの内に浩太は小さく溜息と――感嘆の息を漏らす。

「参りましたよ」

「そう?」

「ええ。一体、どちらが本当の貴方か、分からなくなってきました」

「どっちも私だよ。商談相手と身内、接する態度を変えるのは普通じゃん?」

「仰る通りです」

「ちなみに、アイデア自体は悪くないと思うんだ。仮に九人委員会が『いいよ!』って言ったら賛成はしても良い。でも、『イイんだよ!』って意見を言っちゃうのは呑めないかな? ってだけで。いや~、本当に敵に回すと面倒なんだよ、色々」

「日和見、ですね? ベッカー貿易商会ともあろう人が」

「言ったでしょ? 日和見歓迎! って。あ、ちなみにその挑発はちょっと安いと思います!」

「言うのはタダですから」

「コータ君の格を下げるよ? 商談は格でするんだから」

「覚えておきます」

「覚えておく、というよりは思い出しておくって感じだろうけどね、コータ君の場合」

 どちらからともなく、不敵に笑い合う。そんな二人に、溜まらずエミリが割って入った。

「お義姉様!」

「ああ、分かる分かる。あれっしょ? 『大好きなコータ様の御意見、どうぞ呑んで下さい!』ってやつでしょ?」

 ニヤッと、悪戯っ子の笑み。その表情に怯むのは、一瞬。


「――そうです」


 余りにも簡単にソレを認める。堂々とまで言えるその仕草に、思わずきょとんとした表情を、次いでそれを誤魔化す様。

「……おっと。これはちょっと、予想外だよ」

 軽口、一つ。そんなビアンカを前に、エミリは胸の前でぎゅっと手を握り締めて見せた。

「……大事です。大切です。そして……ええ、認めましょう。お慕い致しております。大好き、に御座います」

「あら……まあまあ」

「ですから、お義姉様。何卒――何卒、お願い申し上げます。どうかコータ様に……お力添えを」

 そう言って丁寧に腰を折るエミリ。その姿に苦笑とも微笑とも取れる微妙な表情を浮かべてビアンカは言葉を継いだ。

「……頭を上げてよ、エミリ」

「では!」

「ごめん。可愛いエミリのお願い、聞いて上げたいんだけどね? ちょっと難しいのよ、こればっかりは」

「ですが――」

「エミリさん」

 尚も言い募ろうとするエミリをそっと浩太が手で制す。不満げな表情を浮かべながら、それでもエミリは黙ってその制止を受け入れ。

「……さっすが、忠犬エミリ」

「……聞こえてたんですか?」

「結構地獄耳なんだ、私」

 そんなエミリにビアンカはひゅーと口笛を鳴らして見せて笑みを一つ。

「――ま、小難しい話はこれくらいにして……そだね。どう? 今日は晩御飯でも食べて帰ってよ。私、腕によりを掛けちゃうから!」

「……そうですね。エミリさん、ご予定は?」

「いえ、ありません。ありませんが――」

「うし! それじゃ、エミリ! いざゆかん、我らが戦場、キッチンへ! 胃袋を掴むのは勝利への第一歩だよ!」

「ちょ、お、お義姉様! ひ、引っ張らないで下さい!」

「エミリの動きが遅いからだよ! 早く、早く!」

「わ、分かりました! 分かりましたから!」

「ほら! コータ君が楽しみすぎて涎を垂らしているでしょ! 早くしないと!」

「いえ、涎までは垂らしていませんが……ですが、楽しみにしていますよ」

 ビアンカにズルズルと引きずられる様にキッチンに向かうエミリにひらひらと手を振って、浩太は紅茶をゆっくりと啜ってみせた。


◇◆◇◆◇◆


「……いや~、本当に美味しかったですね、エミリさん」

 満腹になったお腹をポンポンと叩きながら、薄暗い夜道を浩太はエミリと連れ立って歩く。それほど遅い時間帯では無い筈だが、高級住宅街であるこの辺りは例えば商業区の喧騒の様な『がやがや』とはほど遠い静寂を保っていた。

「特に……あの、なんでしたっけ? 豚肉を使った料理。あれ、絶品でしたね。エミリさんもお手伝いされたので?」

「……ええ」

「と、言う事は次はアレがテラでも食べれるんですね。うん、それはとても楽し――」

「――コータ様」

 話の途中、浩太の言葉を遮る様にエミリが声を上げる。不意の大声に少しだけぎょっとして浩太はエミリの方に顔を向け――もう一度、ぎょっとして見せる。

「え、エミリさん?」

 眼前に、頭を下げた体勢のエミリを見たから。慌てて声を掛けようとする浩太の機先を制すよう、エミリは続けざまに言葉を放った。

「申し訳ございませんでした」

「エミリさん?」

「私が付いていながら、身内と言う『武器』がありながら……お役に立てませんでした」

「……頭を上げてください、エミリさん」

 尚も頭を上げようとしないエミリにどうしたものかと思い、それでもおずおずとエミリの両肩に浩太は自らの両手を乗せる。びくり、と小さく震えるエミリにもう少しだけ躊躇。それでも思い切って浩太はエミリの顔を上げた。

「その……こ、コータ様?」

「『役に立てなかった』なんて、そんな事を言わないで下さい」

「ですが……」

「普通、そうですよ。そもそも、仮にも千年続く名門商会の直系中の直系にお目見え、なんてそんな簡単には出来ないのですから」

「それは……そうでしょうが」

「逢えただけでも僥倖、プラス、美味しい料理ですよ? 十分すぎる成果でしょう?」

 少しだけ茶化して見せる浩太に、エミリも徐々に顔の険が取れていく。

「それに……なんですか? もしかして『エミリさんの役立たず! もうエミリさんなんていりません!』とか、そんな事を私が言うとでってエミリさん! 言いません! 言いませんから! 済みません、悪ふざけが過ぎました! 過ぎましたから、泣かないで下さい!」

「……ぐす……こーたさまの、ばか……」

 瞳一杯にうるうると涙を溜めるエミリに、慌ててコータのフォローが入る。上目遣いに見つめる目の前の美女にうっと息を呑み、その後、おずおずと流れる涙を拭う。

「……申し訳ございません。冗談のつもりだったのですが」

 心底申し訳なさそうにそう言う浩太に、もう一度ひっくとしゃくり上げ、エミリは自らの涙を拭う。涙の痕が一筋、エミリの頬に綺麗にラインを引いた。

「……こちらこそ、申し訳ございません。少々……情緒不安定でした」

「いえ、その……本当に申し訳ございません」

「先程も申した通り、私は、その……『忌子』と呼ばれておりましたので。こう、必要が無いと言われると、少々堪えるモノが御座います」

 それでも普段は抑制出来るのですが、と薄く笑んで見せ。

「――今日は、お義姉様にお逢いしたから、でしょうか? どうしてもお兄様とお義姉様、それにエリザには……その、甘えてしまうのですよ」

「……」

「だからこそ、余計にショックだった、というのもあります。思い上がった話でしょうが……お義姉様なら『おっけー』と快諾して下さると思っておりました」

 アロイスにあれ程溺愛されるエミリだ。ビアンカ自身もエミリの事を憎からず思っており、エリザがあれ程懐いていたのである。エミリでなくとも、快諾してくれると思って――甘えても可笑しくはない。

「ですので……正直、少々辛いモノがあり……加えて、コータ様に……ぐす……い、いらないと……」

「ああ! も、申し訳ございません! 私が悪かったです! 悪かったですので、その……」

「万死に値しますね」

「ば、万死? ちょ、エミリさん、それは流石に」

「……私は何も言っておりませんよ?」

「……え?」

 浩太、きょとん。同時にエミリもきょとんとし、二人でポカンと見つめ合う、なんていう間抜けな時間が数秒。

「――エミリお姉さまを泣かせるなど、万死に値します」

 ぴょこん、とエミリの背中から一人の少女が顔を出す。

「え、エリザ? あ、貴方何時から! と、いうか、後をつけて来たのですか!」

 先程まで一緒に食卓を囲んでいた少女、エリザである。エミリの言葉にエリザは何でもない様にツインテールのその右側のテールをかきあげて見せる。

「気配を消すのは得意ですから! お母様直伝ですわ!」

「お、お義姉様……」

 あの親にして、この娘ありである。

「ちなみに、お父様も最近出来る様になりましたよ、尾行」

「……そんな事を言っておりましたね、確かに」

 はあ、と大きく溜息を吐き、それでも出掛けた涙を引っ込めてエミリは優しく微笑む。

「……それでも、エリザ? 人の後をつけ回すのは感心しませんよ?」

「あう……その……ごめんなさい」

「はい、宜しい。もうしてはいけませんよ?」

「折角練習したのに?」

「れ、練習……ええ、そうです。もうしてはダメですよ?」

「うー……分かりました」

 しゅんと項垂れるエリザ。その頭をゆっくりと優しく撫でるエミリにエリザの頬が緩む。が、それも一瞬。エリザは思い出したかの様にはっと浩太に向き直った。

「……コータ・マツシロ……君、でしたよね?」

「こ、これ、エリザ! その……『君』など、失礼でしょう!」

「構いませんよ。どうしましたか、エリザさん? 何か私に用事でも?」

「ええそうです、コータ君」

「どの様なご用事で?」

 腰を屈めて目線を合わせてニコリ。そんな浩太の笑顔にこちらも視線をきっちり合わせてエリザは口を開いた。


「貴方は、このまま諦めるおつもりですか?」


「……ほう」

「それを聞きに来たのです」

 少しだけ、挑むようなエリザの視線に浩太の瞳がすっと細くなる。少しだけ面白そうに口の端を歪めて見せる浩太に、慌てた様なエミリの声が割って入った。

「え、エリザ! あ、貴方は何を言っているのですか! コータ様、失礼いたしました!」

 こら、エリザ! とそう言ってエリザを叱ろうとするエミリ。浩太はそんなエミリを手で制し、もう一度エリザに目を合わせた。

「……お助け頂ける、という解釈で?」

「無論です。ただ、決して貴方の為ではありません。私を可愛がって下さる、エミリお姉さまの為です。非常に……非常に不愉快ですが、お姉さまは貴方の力になりたいと思っている様ですので」

「なるほど」

「理由はどうでも良いでしょう?」

「そちらも、なるほどですね。仰る通り、理由はどうでも良いですので」

 そう言って浩太はエリザから視線を切り、肩を竦めてエミリにその視線を向けた。

「……ソニアさんといい、エリザさんといい……この年代の方は末恐ろしいですね」

「……ソニア様もそうですが、エリザも『特別』ですので。同様に、ビアンカお義姉様も」

 浩太の言う通りと肯定するエミリの言葉を、エリザが引き継いだ。

「ベッカー家では幼い頃から商談の場に臨席する権利がありますので」

「義務ではなく?」

「権利です。自らが家を継ぐ意思がある直系の人間は商談に臨み、その場所の雰囲気と……そうですね、『空気』を学びます」

「今後に活かす為に?」

「それもありますが、何時でも『当主』の代わりに成れるように、です。ベッカーの歴史は栄光と嫉妬の歴史ですので。暗殺だって無かった訳ではないですし、誤解を恐れず敢えて言えば、金持ちのボンボンでは務まらない。ベッカー家に伝わる口伝、聞きますか?」

「拝聴します」

「『ベッカー家最低の当主は御大だ』」

「……」

「二度、商会を潰しておりますので」

「間違ってはないのですね、確かに」

 面白そうにくくくと喉奥を鳴らした後、浩太は視線をもう一度エリザに固定。

「――質問に答えていませんでしたね。私は諦めていませんよ?」

「……」

「ビアンカさんは仰った。『メリットが薄い』と。こうも仰いましたね? 『アイデアとしては悪くない』と。そして、『敵に回すと面倒だ』とは言ったが」

 敵に回せないとは言ってませんよね、と確認を込めてそう聞く浩太にエリザは頷いて見せる。

「ええ。我々は『ベッカー』ですので」

「今回、少々失敗しました。血縁だけで何とかなるのではと……言ってみれば、甘えた考えでしたね」

「お父様もお母様も家族と、それに繋がる人を大事にはします。しますが、それだけで簡単に納得してくれる方ではありません」

「情に厚いだけの商会の訳は無いですからね。この辺りが……まあ、少し甘かった」

「大甘です」

「言葉も無い。ですが、逆に言えば失敗はそれ。メリットを、他の商会が何と言おうと、そんなモノを寄せ付けない程のメリットを提示できれば良い話だ」

 そう言って、ニヤリと。


「――ご協力、願えるのですね? エリザさん」


「他でもない、エミリお姉さまの為です。是非もありません」


 そんな浩太に合わせる様、今度はエリザもニヤリと嗤って見せた。




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